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手のひらの中のアジア
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August 26, 2005

お詫びとお知らせ

テーマ:(8)ラオス2

このたび、『手のひらの中のアジア』書籍化に伴い、本の内容と重複するブログの関連記事を、誠に勝手ながら削除させていただきました。これまで気軽に読んでいただいていた読者の皆様や、これから読もうとしていただいていた皆様には大変申し訳ございませんが、この本を一人でも多くの方々に読んでいただきたいとの思いもあって、そのようにさせていただきました。皆様のご理解をいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。



※以下の記事は、残った一部の記事です。

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August 18, 2005

族になる

テーマ:(8)ラオス2

son


僕のムアンシンでの生活スタイルは、ここ最近でだいぶ変わった。


特に食事。


朝は市場やメインストリート沿いのレストラン、昼は近くでカオソーイやフー(汁そば)などの麺類、夕食は町に戻ってきてから誰かしらとレストランで、といったごく普通の流れだったそれが、いつのまにかがらっと変わっていた。


朝から市場裏へ行くと、タイダムのみんなのうち誰かしらが言う。


「ヒロ、キンカオレーオボー?」 ご飯食べたの?と。


まだ、と答えると、村で作ってきたカオニャオと少々の煮物などの食事を出してきて、食べろと言ってくれる。昼の時間になると僕がすでに食べていようが食べていまいが関係なく、決まって言う。


「ヒロ、キンカーオ」 ご飯だよ、と。


夕方になると今度は、子供たちと遊んでいたその後、そのまま夕食を食べていけ、という話になる。ナオ君がいた頃にはたまにお言葉に甘えるくらいで、だいたいは丁重にお断りしつつ二人で戻ってきては町で食事を採っていたのだが、最近、町へ戻っても一人でしかない僕は、みんなでわいわいと食べる村の雰囲気につられてついごちそうになってしまう。


ある日、ジャの家でお言葉に甘えてごちそうになった。昼間の十倍くらい大きな入れ物に入ったたっぷりのカオニャオと竹の子の煮物や魚の料理が出てくる。シンプルだが豪勢な食事。卓を囲んで食べている間も他の家の子供たちがやってきては走り回ったり、騒いだり、それはもう賑やかだ。


大変なのはそこから、である。


僕がちょうど食事を終える頃、今度は隣のボン家から叫ぶ声が聞こえてくる。


「ヒロぉーーーーっ、きんかーーーおっ」


 そしてその後、すぐにそのボン家の男の子ソーンがわざわざ迎えにやってくる。


「きんかーお、きんかーお!」 ご飯、ご飯、だと。


「ヒロ、いむれーお、いむれーお」


僕がお腹をさすりながら、もうお腹いっぱいだよと言っても、引っ張って連れていこうとする。なんとなく断ってしまうことに気が引けて、僕はボン家でも同じように食事をいただく。面白いことにジャの家にやってきていた子供たちがそっくりそのまま、今度はボン家にぞろぞろと移ってくる。


おいしくいただいて、さぁ帰ろうかと村の道を歩き始めてすぐに目に入るのはスナック・ムヒことムヒのおばちゃんの家。案の定、手招きをするおばちゃんの家で僕は三度目の夕食をいただくことになる。


翌日にはジャンの家、次はノーイの家、ハクの家、またジャの家といった感じで各家でのローテーションまでできあがってしまいつつあった。そして気がつけば僕の毎日の食事は、朝一昼一夕三食、しかもそのすべてが「タイダム食」になってしまったのだった。


夕食後、時々、昼間は表立って出てくることのない男性陣、つまり子供たちのお兄さんたちで僕と比較的年齢が近い人たち、と酒を飲みながらテレビのある家で談笑したり、夜、村のママたちが町へと売りに出かける時には村から一緒に出ていったり。


これまで町に「やってくる」子供たちとたわむれるスタイルだったそれは、いつからか「村から一緒に」町へと向かっていくような形になっていた。


「俺も行く!」
「俺も!」
「あたしも!」


ぞろぞろついてこようとする子供たちを、少し兄さんのジャが、


「ヒロ、こんなにたくさんいったら町や宿の前でもうるさくて迷惑がかかって、よくない」


と、今日は誰々は帰れ、誰々は明日な、という感じで取り決めるまでになってしまった。


夜の町で遊ぶ時間にも自然と流れができあがりつつあった。


七時から八時頃までが一緒に来たちびっ子たちの時間。八時以降になるとちょっと上の世代の子供たちが後からやってくる。そしてちびっ子たちが帰っていき、入れ替わる。こうした入れ替わりで夜の町へと出る子供たちに加えて、売り終えたママたちまで一緒にいつものベンチに座り始めると、僕を取り巻くムアンシンの夜は大賑わいになる。


よく考えると朝から晩までずっとタイダムと一緒、食事まで同じで、唯一違うのは「寝る場所」だけだった。でも「泊まっていきな」というお誘いだけは、最後まで丁重に断っていた。


僕が自分とタイダム族の間になんとなく引いた気持ちの一線。


もし、その一線を越えてしまったら…もはや僕は「族になる」しかない。

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August 10, 2005

伝説のクリーンナップ

テーマ:(8)ラオス2

ぼむ


ここ最近、町は閑散として通りを歩く外国人観光客の姿もまばらに、市場裏のタイダム族、モン族の売り場においては来客は皆無に等しいほどになっていた。


「ヒロ、今日はファラン(外国人)来たかい?」


「う~ん・・2,3人は見たけど・・」


毎日話すタイダムのママたちの会話もお決まりになっていた。


そんな中、ノンボアのママたちは昼間もゲストハウス周辺の通りを行ったり来たりしながら数少ない観光客を捉まえては頑張って売りに励む。一方、市場裏で店を構えるシェンジュン村のママや女の子たちは相変わらずのんびりで十二分にくつろぎながら一日のほとんどの時間をそこで費やしている。こののんびりさ加減が好きでもあるのだけれど。


動きまわって少ないながらも確実にファランをものにするノンボアと、ぼやくわりにはのほほんとしたシェンジュン。


こりゃぁだめだ・・と苦笑いするしかないほどの違いだった。


しかし。ある時、その変わらないと思われた状況が一変した。


ある日、いつものように夕方まで村で子供達と遊んでいた僕がそのまま夕食をごちそうになっていた時のこと。ジャのお母さん、ボム、本名は違うが、しかしどこをどう見てもそのパワフルで大きな図体からして「ボム」だろう・・との話から僕らは勝手に「ボム」と呼んで覚えているのだけれど・・・、そのジャのお母さんボムが何やら荷物を背負い始めながら僕に言う。


「ヒロ、ゆっくり食べてけのっ。またあとでのっ」


「えっ、どっかいくの??」


「町だよ、今日はファランたくさん来てるしのっ」


カオニャオを手で握りながらもぐもぐと食べていた僕は思わず喉をつまらせそうになる。


大事件だ。


あのマイペースこの上ないシェンジュンのママたちがついにその重い腰をあげて夜の町へとくりだすというのだから。これまで彼女達がわざわざムアンシンの夜の町に売りに出るところなんて見た覚えのない僕にとってこれはビッグニュースなのだ。


町へ出るのはボム、ムヒ、オンママという3人。それに加えて特攻隊長という肩書きがふさわしい若き25才のウイママとその娘ウイ。


ういとまま


まるで特ダネスクープを掴んだどこかの新米記者のような気分で興奮した僕は、あわてて食事を済ませて皆と一緒に町へ戻る仕度をする。


これまでナン・ボア・アンの10代トリオが営業を名目に遊びにやってくる程度で誰も出てこようともしかなかったシェンジュン村からついに「伝説の3人」が立ち上がった。


ボム・ムヒ・オンママ。


おんまま


おそらく、かつて若かりし現役最盛の時代に、やはり今のナン、ボア、アンのように夜の町でぶいぶいと言わせていたのは彼女達3人なのだ。新旧交代を済ませ引退、町へと出向くことはなくなった伝説の3人が今宵、復活を果たす。それはもう例えるなら、王・長島・5番が誰だかよくわからんが・・とにかくそんなビッグネームが揃って現役復帰するという日本でなら全てのスポーツ新聞の一面を飾るような話題に等しいほど、興奮ものなのだ。


僕らはシェンジュン村をセ・リーグ、ノンボア村をパ・リーグと呼ぶのだが、夜の町で「セ・パ」オールスターの熱い激戦が繰り広げられるとなればそれはもう視聴率80%並みの注目度。欧米人10人ほどのツアー客がレストランで食事をとるために姿を現したその夜、どっと押し寄せるようにノンボアの精鋭10名ほど、そして伝説の3人に若きメンバーを加えた新旧合同のシェンジュンが6~7名、静かなはずのムアンシンの夜の町はにわかに沸き立った。


村からついてきた子供達と一緒にいた僕はただ一人よそ者ながらその場にまざり、気持ちはもう「いけー!!やれー!!」のミーハーと化していた。それはもう話はプロレスに飛ぶが、かつて「力道山vsデストロイヤー」の街頭テレビ放送を食い入るようにして見入っていた昔の少年達のように。


伝説のクリーンナップは3人だけでも10人分のインパクト。それはノンボアはおろか、アカ族軍団 でさえも、か弱く見えるほどである。


むひ


激しい激戦の後、僕は伝説の3人にインタビューをする。


「どうだった・・?」


「ボーダイっ、ボーダイっ」


ぜんぜんダメだ、とぼやく3人であったが、顔に落胆の色はない。


心の中でにんまりとしつつ、数枚の20,000kip札を大事に腰のポケットにしまう姿がそこにはあった。


見事な復活劇を3者連続ホームランで華々しく飾った、そんな様子の3人。


にわかに沸き立ったムアンシンの熱い夜。


そして今日も伝説の3人はムアンシン、その夜の町をゆく。

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August 01, 2005

ムアンシン  ノンボア村とシェンジュン村

テーマ:(8)ラオス2

しぇんじゅんむら


タイダムの村はこのムアンシンで主にノンボア村とシェンジュン村の2つに分けられる。


同じタイダム族でありながら2つの村のカラーはだいぶ違う。


自分たちで作った織物や衣装、雑貨といったものを観光客相手に売って収入を得ることはどちらも共通で、それが農業以外のタイダムの生活手段でもあるのだが、その売り方一つをとっても村による違いがあっておもしろいのだ。


町から歩いて15分くらいのところにあるシェンジュン村の営業部隊は市場裏のスペースに店を構えて商売をするスタイル、一方ノンボア村の営業部隊は一部同じ店を構えるお決まりの人たちが数人いる以外は、売り場を持たず町を直接歩いて商売をする無店舗型スタイルをとる。


見る限り、客が訪れなければ売れることもないシェンジュンよりも自分たちからすすんで観光客へと売りを仕掛けるノンボアの方が売れ行きが良いのは明らかだ。ましてやメインストリート一本しかない小さな町である。


こうしたことが影響しているのかどうか真意はわからないし、あくまで私的考察でしかないのだけれど、ノンボア村に住む人たちはシェンジュン村の人よりも多少なり裕福に見えてしまう部分がある。


ノンボアの人たちは皆それぞれ「自転車」なる文明の利器を持っていて、村から町までの距離が遠いからとはいえ、子供たちまでそれを最大限に利用している。シェンジュンには自転車がないわけではない。持ってはいるが、その数は少なく、ほとんどが錆びて古く今にも壊れそうでブレーキさえもない自転車がけっこうあったりする。それに比べてノンボアの自転車は町で観光客が借りるレンタサイクル並みにしっかりしていて、2人乗り席の後ろにまで柔らかなシートが付いている「高級車」なのだ。


着ている服にしても随所に違いがある。2、3日は序の口、時には一週間近くも同じTシャツを着ていることが当たり前のシェンジュンの子供に対してノンボアの子供はそれより小奇麗な格好をし、ちょっとばかり高価なアクセサリーや時計を身につけていたりする。電気の通っている家の数、テレビやバイクを保有する家庭の数においても明らかに差がある。


のんぼあ


時代は変わった。


数年前、まだ観光客もまばらな時代に外国人が撮ったという写真を見せてもらうと、僕の知る子供たちは仲良く同じ民族衣装を纏い、裸足での姿であった。おそらくそのほんの数年前には、どちらの村にもあらゆるものが「平等」に「なかった」はずの時代があったであろうに、ラオスの発展は同一民族の間にもこのような格差を少しずつ生んでしまったのだろうか。。


とはいえ、一概に全てを通して2つの村にそうした違いが見られるわけでもないし、もちろんシェンジュン村にもそれなりの家庭や子供にだっておしゃれさんはいて、どちらの子供が元気かというとシェンジュンの子供たちの方がより無邪気で活発で楽しそうに遊ぶ子供が多いような印象を受けるのだけれど。


こうした比較の仕方をしてしまうと明らかに格差を感じてしまう2つの村だが、将来的にはそうでもないことがわかる。


今、主に営業部隊として活躍しているのは、ノンボア村においては20代~30代半ば、現役バリバリのママたちが多く、そこに数人の10代っ子が加わって主力が構成されている。それに対してシェンジュン村は50~60代のママたちと何よりも圧倒的に多いのは10代っ子の女の子たち。20代で毎日町へと出る人は知る限り一人しかいない。


のんぼあ


僕がルアンパバーンで再会したママたち(再会 )もそのほとんどがノンボア村の人。ムアンシンからルアンパバーンまで長旅の出張にも耐えられ、フットワークの効く世代が多いのはノンボアだ。出張費も当然自腹であるタイダムにとってシェンジュンのママたち自身、予算も体力もないとぼやく。シェンジュンの主力は若かりし頃の出張出稼ぎの責務を終え、今ではそこまでのフットワークもない世代、そして10代っ子の少女たちはお隣りのルアンナムターにさえまだ訪れたことがない子も多いのだ。


この構成だけを見ても現在の状態がはっきりと見てとれる。


しかし、だ。


よく考えてみる。


数年後。


今、10代の子供たちが村を支えていく時代がやってきた時、花開くのはシェンジュン村の10代っ子チームなのだ。


今はまだ主に2、3年生で構成されたチームがほとんどである高校総体に、チームの若返りを図って入学したての1年生のみで構成されたチームで大会に出場しているようなもの。


時代が来れば、今度はノンボアはおろかアカ族やその他の民族の同年代たちと比較して、圧倒的な力を発揮するのは、幼い時から現場で鍛えられているシェンジュンの今の子供たちなのだ。


近い将来、シェンジュンの時代が来る。そしてもちろんノンボアだって子供たちがいて同じように町を歩くようになる。どちらがどう、という話ではなく、2つの村がかつてと同様「平等」のもとに共に繁栄する時がやってくるかもしれないということだ。そして同時にラオスの国自体もさらなる発展を遂げているに違いない。


その時僕らが見るのは、おしゃれな服で着飾って、いかしたモータバイクにまたがって町をゆくタイダムの姿かもしれない。


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July 31, 2005

伝えたいことがあるんだ

テーマ:(8)ラオス2

やーとぅい

その人は、訪れた場所の空気や時間、人にすうっと馴染んでゆく。


まるで水に溶け込むように。


自分と対象物との間に距離を感じさせず、まるでそれが同じ性質を持つ者同士であるかのように、あらゆるものと一体化する。


なんとなしに向けたカメラ、そのファインダー越しに見た空間、それをシャッターを押したと同時に、一瞬のうちに自分の世界へと引き込む。そして彼というフィルターを通して「写真」になったその空間は、本来のありのままの姿を損なわずして、さらにそこへ彼の「思い」なるものが凝縮されて、独特の世界として表現される。


彼の名は「よしさん」。


よしさんとは、このムアンシンで出会った。カメラ片手に旅を続け、お酒をこよなく愛するフォトグラファー。初めて彼の写真を見せてもらった時、単純にすごいという枠を越えて、不思議な温かい気持ちになった。よしさんのことについてはまだ何を知っているわけでもないのに、写真を見れば、お酒片手にカメラを持って、気ままに写真を撮る自然体の姿や人柄がそのまま伝わってくるような気がした。


すでに今回の旅を終えて日本へ帰国しているよしさんは、自分のやりたいことのために、まずは写真エッセイを出版にこぎつけようと日夜悪戦苦闘しながら、それでも妥協せずに自分を信じて前へと進んでいる。


そんなよしさんの撮った写真を一般に公開している彼自身のサイトがある。数々の写真を一枚ずつ、エピソードを添えて綴っていく形で作られているそれを、僕は今も旅先ながらちょくちょくと拝見させてもらっている。


その何枚もの写真の中で、僕が一瞬にして惹き込まれた一枚の写真がある。現在トップページのTOP画像背景として使われている写真だ。撮影された場所は、僕の好きなラオス、ムアンシンである。


タイダム族の子供たち。(写真「アジアンワールド」より。 )


当然知っている子供であったというひいき目はあるかもしれないが、話はそれで終わらない。


ムアンシンへ戻る日の朝、僕はルアンナムターで最後のメールチェックをした。受信トレイには、日本にいるよしさんから一通のメールが届いていた。


「実は、気に入ったというその写真が、美術展で入選しました!!」


僕はとても嬉しいのと同時に胸が締めつけられるような気持ちになった。感情が一気に高まって、少しの間どうしていいのかわからないほど興奮した。


よしさんが撮った写真が賞を受けた。それは僕が一番好きだと思った一枚だった。そして偶然か必然か、僕がたった今いるこの場所はそのラオスという国。さらに、今から向かおうとしている場所は、まさにその写真の子供たちが住んでいる村なのだ。


ムアンシンへ出発するほんの数分前の出来事である。


この意味のある偶然、シンクロニシティともいえるこの知らせを受け、僕は興奮冷めやらぬまま、午前11時発のソンテウに乗り込んだ。


そしてこの日、その写真の子供たちとの再会も果たすことができた。


道端にしゃがみこんでシャボン玉を膨らましていたのは、お姉ちゃんの「ヤー」、10才。その正面に立ち、シャボン玉に手をかざしていたのは、妹の「トゥイ」、5歳。


この二人、実はあまり目がよくない。きっと生まれた時からずっとそうなのだろうが、正面を見た時に視点がずれてしまうのだ。その影響のためか、思いきり笑いたい時にもうまく笑えない。笑顔の表情はわかるけれど、大きな口をあけて大声で笑う他の子供たちと同じような、くしゃくしゃの笑顔というものは残念ながら見たことがない。


とぅい


お姉ちゃんのヤーは無邪気に走りまわったりもする元気な女の子だけれど、妹のトゥイは走ろうとするとよく転んでしまう。そんな妹のトゥイを、お姉ちゃんのヤーはとても大切に扱う。一緒にいる時には常に目をかけ、手を差し伸べる。そんな二人を見た時にはなんだか温かい気持ちになる。


再会した二人に僕は言った。


「ヤーとトゥイを撮ったよしさんって人の写真がな、日本で賞をとったんだぞ」


ラオス語をだいぶ覚えたとはいえ、これはわからなかったのですべて日本語だったけれど。


頭を軽くぽんぽん叩きながら言った僕の前で、ヤーは意味もわからずに照れ笑いして肩をすぼめた。トゥイは「ん?なぁに?」っていう顔をしてみせた。


もちろん二人とも理解できないことはわかっていたけれど、その後、そう告げた自分が何だか恥しくなった。なぜならヤーもトゥイも、ただ元気で無邪気な姿がここにあればいいのだ、と思ったからだ。日本での出来事なんて、彼女たちにとってはきっとどうでもいいこと。そしてよしさんもまた、わざわざ本人たちにそれを自慢したり、僕に伝えてほしい、などとは思っていないのだ。まったくよけいなことをしようとするのは僕ばかり。


でもそんなことを考えながらも、僕はあらためて思う。


それは、僕が戻ってきたこの村と人々はやっぱり最高に素敵だということ。


僕はこうしてだらだらと書き綴りながらも、「世界にはこんなに素朴な村があって、こんなに優しい人たちがいる。こんなに綺麗な風景もあるんだよ。素敵でしょ」といったようなことが少しでも伝わったら嬉しいな、と心のどこかで思っている。


よしさんという人は、それをたった一枚の写真で、多くを語らずしてそれを伝えられる力を持っている。


あの写真は、ほんの一瞬でしかないけれど、ヤーとトゥイの姉妹、その距離や体温、本来の二人のありのままの姿が現れていると思う。そんな写真を、僕以外の誰かが見て、何かを感じ取ってくれたから賞にも結びついた。僕としては、誠に勝手ながら、「戻ってきたくなる理由がわかるでしょ」と言いたくなってしまうほど、自分のことのように嬉しかったのだ。


この写真を撮った人がよしさんでよかった。よしさんに出会えてよかった。それがどうしようもなく嬉しくてヤーとトゥイにも伝えたくなってしまったのだ。


「トゥイ、いくよ」


まだ僕の前に立ってきょとんとしていたトゥイに、お姉ちゃんのヤーがそっと手を差し伸べる。


手を繋ぎながら、うちへと続く村の道を二人は歩き始める。


そんな姿がいとおしく、温かかった。

やーとぅい


※よしさんのサイトは、ブックマーク「たびびより」からアクセスできます。
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