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手のひらの中のアジア
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November 11, 2005

魔都バンコク~カオサンの夜~

テーマ:(9)タイ2

タイ カオサンロード


数年前、初めてタイに足を踏み入れた時、右も左もわからなかった僕にとってここはまさに「魔都バンコク」だった。

怪しい雰囲気と強烈なアジア臭が漂い、危険な匂いさえ感じた。気を緩めたら何かに飲みこまれそうな得体の知れない魔都の姿がそこにはあった。


今も、比較的穏やかな町や村の多いタイにあってバンコクだけが突出して異様な空気と存在感を放つ大都会であることに変わりはない。


しかし、ただ単に自分がわずか数年とはいえ歳を重ねたせいなのだろうか、少なからず旅慣れてきたことによるものなのだろうか、それともこの街が変わったのだろうか、バンコクは明らかに以前とは姿が違って見えた。


思うにそれはバンコクを漠然とイメージとして覆っていた謎多き「暗」の部分、あるいは人によっては居心地の良さや安らぎといった「安」の部分が、良くも悪くも時代の流れとともに新しい波の到来によって陰を潜め、形を変えざるを得なくなったというようなことなんだろうか。


顕著にそれが見てとれるのはやはりカオサンロード一帯だった。


ここはタイの若者や陽気な客引き、世界各地からのツーリストなど多種多様な人々で狂ったように賑わい、朝まで眠らない。それだけ見ると確かに異様な光景でもありここだけが別世界の気もする。でも物価の違いと主な人種が違うだけで日本の都会とさほど変わらない気もする。さらには街の通りでオアシスやコールドプレイが大音量で流れているのを聞けば一瞬もうここがタイであることさえ忘れそうになる。


タイらしさのかけらもないと思うか、これが今のタイとりわけカオサン一帯の姿なのだと思うかで過ごし方も変わってくるだろうし、きっと賛否両論分かれるところ。


昔のカオサンを知っている人たちは居心地が悪くなったと嘆き、反対に便利で楽しく過ごしやすいと喜ぶ人もいる。好き嫌いがはっきり分かれ、居心地の悪さからすぐにバンコクを発つ人がたくさんいる一方で、居心地の良さからもう何年もこの地に住み着いている人までいるのは誰もが知っていることだが本当に面白い。


何度も出入国を繰り返して長期滞在する旅行者。バンコクに滞在しながらここでの職を探す40代男性。路上で太鼓売りをする若者。究極は売ると数十万になるというパスポートを売り飛ばして滞在資金を得るという禁断の裏行為を犯してまでタイに居残ろうとする日本人がいるという事実。日本人に限らず欧米人の異様な多さも嫌でも目につく。不可思議な世界。


美味しいものをたくさん食べまくって腹を満腹にしてみても、欲しいものが何でも安く手に入る便利なこの街でいろんなものを買い揃えてみても、眠らないカオサンで朝まで誰かと飲んだくれてみても、路上のアーティストたちと語らってみても、一時的にここにいるだけですぐ出てゆく立場の僕にはカオサンはじめ今のバンコク、ここがどんなところなのかよくわからない。


バンコクはきっと、もっと大きくて深い。


僕にとってバンコクが以前と違って見えたのは、「暗」の陰が薄れ、自分自身がここで楽しく何不自由なく過ごそうと思えば過ごせる場所だと感じたからに他ならない。しかし以前と今が違って見えたとしても、結局最後に思うのはここがやはり謎多き世界の混在する「魔都バンコク」だということだ。


バンコク最後の夜、それまで誰かしらと一緒に過ごしていた僕は一人で屋台でつまみとビアチャン片手にテーブルに片肘をつき、タバコをふかしながら街の様子を外から眺めていた。


あえて街に溶け込まずに一歩引いたようなところから。


今の僕にはきっとこれくらいの距離感がちょうどよく、お似合いなのだ。


屋台のおばちゃんは鼻歌を歌いながら他のテーブルを汚い雑巾でせっせと拭き、おっちゃんが汗をかきながらパッタイを炒めている。娘もまた歌を歌いながら道路脇に置いたバケツの前でしゃがみ込んで皿洗いをしている。


「おっちゃん、もう一本!!」


ちょっとほろ酔い気分になりながら追加のビアチャンを頼む。


なんだかんだと考えたところで、きっとバンコクは、カオサンは明日も変わらない。


僕は明日の便でバンコクを発つ。


次なる目的地、東南アジア最後の国ミャンマーへ向けて。

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November 10, 2005

カンチャナブリ最後の日

テーマ:(9)タイ2

タイ 線路は続くよ


カンチャナブリ滞在、最後の日。


いつもと変わらない日差しが今日もこの町にふりそそいでいた。


すでに学校の始まっている子供たちは朝早くから元気に家を出ていった。朝食を終えて少し経った頃、新しく入ってきた韓国人を連れてネイチャートレッキングへと出かけるゴンさんがその準備を始めた。


玄関で靴紐を結んでいたゴンさんに僕は言う。


「ゴンさん、今日出発します」


「ほんとに行くの」


「またいつか帰ってきますよ」


「自転車の空気抜いていけなくするよ」


ゴンさんはそんな冗談で僕を笑わせる。


「もう抜いてあるから動けないよ」


そこにママさんまで加わって冗談を言うから、僕は笑いながらもちょっと切なくなった。


今からトレッキングに出かけるゴンさんと、今からこの地を旅立つ僕と、お互いが「いってらっしゃい」で交わす最後の挨拶。


ゴンさんは一足先に新しい仲間を連れ、自転車に乗って出発していった。


子供たちもいない、ゴンさんもいないこの家は妙に静かに感じる。ママさんはいつものように家の裏手で洗濯を始め、ホームステイの仲間もそれぞれの時間を過ごす中、僕は部屋に戻って自分の荷物を整え始めた。


午後2時。


2時40分発の列車でバンコクまで行く僕は、いよいよ出発の時。


玄関で会計をしていると、一緒に滞在していた韓国人のキムさんとユンがおりてきた。


「どっか行くの?」


僕が彼らに声をかけると、


「あなたを駅まで見送ってからね」


と、ユンが答えた。二人がわざわざ駅まで見送りに来てくれるというのだ。


S.N.Pのゲートを出たところでママさんが最後の言葉。


「いってらっしゃい」


ゴンさんと同じくこの台詞で送り出してくれる。


しんみりしそうなところだが、ママさんの笑顔があまりにもにこやか過ぎて、こちらまで自然と晴れ晴れした気持ちにさせられてしまった。また戻ってくることが前提のいってらっしゃいなのだからこの方がいい。


それでも、大通りまで500メートルほどある道の曲がり角をいつもその姿が見えなくなるまで見送っていたのが印象的だったゴンさんとママさん。


「旅立っていく人があの角を曲がって見えなくなる瞬間がほんとは一番さみしいんだよね」


いつだったか一緒に仲間を見送っていた時にゴンさんがそんなことを言っていたのをふと思いだして、僕は思わず後ろを振り返った。


ママさんがやっぱりまだ道路に出てこちらを見ていた。


もう一度大きく手を振った後一礼し、僕はゆっくり角を曲がった。


S.N.Pの家族と次に会うまでのしばしのお別れ。


タイ カンチャナブリ ホ-ムステイ


駅までわざわざ見送りにきてくれた韓国人のキムさんとユン。


僕にとってカンチャナブリでの日々は、S.N.Pや日本人との思い出だけでなく、ここで出会った韓国人たちと過ごした数日間がとても貴重なものになっていた。


「ヒロシィ-!!行くな!!行けっ!!」


相変わらず日本語の命令形を面白がって使うユンと、


「来年インドいくよ」


もし会えたらいいね、という話をしながら、相変わらず細いけれど穏やかな目をして笑うキムさん。


列車の時間が50分遅くなったそれまでの時間、これからの予定について話したり、僕が次に行くミャンマーの話を聞かせてくれたり。これでこの数日間の生活にピリオドが打たれるという気がまったくしない。


午後3時20分。


駅の構内アナウンスが流れ、待っていた乗客がにわかにざわつき始めると、まもなく列車がゆっくりとホームへ入ってきた。


二人と最後の握手を交わした後、僕は少し小走りで一番前の車両へと向かった。


すでにゆっくりと動き出した列車に急いで飛び乗った僕は、すぐさま4人がけボックス座席に荷物を置くと、窓を全開にあけて、まだ改札前に立っていた二人に精一杯手を振った。少しずつ遠ざかってゆく二人の姿が見えなくなるまで僕は手を振った。


二人の姿がどんどん小さくなり、駅の校舎までもが小さくなっていく。

やがて僕は一人になった。


午後、人の少ない列車の車内。


5人家族が楽しそうにボックス席に座り、時折子供たちがあちらの席、こちらの席へと動き回っている。向かいの席にはおばあちゃんと孫の姿。おばあちゃんは座ったままぼんやりと窓の外を見つめ、孫は窓ごしに身を乗り出して外の風景に見入っている。


タイ 泰緬鉄道 おばあちゃんと孫


ちょうど夕暮れ時にさしかかる頃合い、開けた窓から吹き込んでくる風が少しひんやり感じると、なぜだか急にさみしくなってきた。


この数週間の出来事が次々と頭の中に浮かんでは消えてゆく。


うるさいほど賑やかだった天使の悪魔たちの声はもう聞こえない。ゴンさんの熱い語りとママさんの笑い声も。テラスで夜更けまで語ったホームステイのみんなの声も。


ガタンゴトン。


ガタンゴトン。


今の僕に聞こえてくるのは、バンコクへ向けてゆっくりと走る列車の乾いた音と連結器が揺れて軋む音だけだった。


タイ 泰緬鉄道

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November 09, 2005

サリの書いた絵

テーマ:(9)タイ2

sari


9歳のサリが白い画用紙に絵を書き始めた。


茶色のえんぴつで木の幹を、緑の鉛筆で木の葉を。黄緑色で草原を、水色や青で空を描く。


輪郭が出来上がった。


今度はしゃしゃしゃっとえんぴつを滑らせて全体の色をつけてゆく。


「うまいじゃん。絵の具があったらよかったのにね」


僕が言うと、サリは浴室に走っていき、洗面器にいくらかの水を入れて持ってきた。


さらに部屋に置いてあったパサパサの筆を取ってくると、それを洗面器の中でほぐし、まだ水の滴るその筆で、今度は絵を塗りつぶすようにして輪郭をぼやかし色を広げ始めた。


色えんぴつを水でなぞると、まるで始めから絵の具を用いて描いたかのような質感になる。小学校の頃にやったことがあるような気もしたけれど、そんな単純な作用を僕は忘れていて、サリはさも当たり前のようにすました顔で絵書きを続ける。


驚いたのはそこからだった。


二本線で書いた太い幹の輪郭の中を塗りつぶしていると、茶色がその枠を大きくはみ出した。


「あっ、はみ出しちゃった」


僕が言うと、サリは表情一つ変えずに淡々と言う。


「いいの。枝だよ?これ。木には枝があるでしょ」


それから他の部分にも同じように枝を増やし、はみ出した部分を補正する。


今度は木の葉の緑を塗っていると水がハネて青い空の部分が汚れてしまった。


「あっ」


また僕が声をあげると、サリはその色に他の色を加えて周辺をぼかし始めた。


「空には雲があるでしょ?これは雲。あと、これは影だよ」


空色の他の部分に色が飛び散ると、またサリは言う。


「これは風なの。ひゅうって流れてるの」


明らかにはみ出したり飛び散ったりして僕が「ミスだ」と思うところを、サリは負けず嫌いなせいもあるが、描いていく過程の中で発想を転換しながら、次から次へと新しいものを作り出してゆく。


最後にまだうっすらと残っていた輪郭をぼかすようにして、木・枝・葉・空・雲・草原・・・・・・といった一つ一つのものの境界線をなくしていった。


その時サリは何も言わなかったけれど、


「一つ一つのものは、それ一つであるんじゃなくて、みんなで一つなんだよ」


まるでそう言われているみたいだった。それは同時に、自然を愛してやまないゴンさんの言葉のようでもあった。

形は違えど、血は受け継がれているのだ。


この何気ない出来事、僕にはカンチャナブリのホームステイ、今のSNPのことをも表している気がした。


これまでだけでも訪れた人たちが皆、素敵な思い出を作ることができた素晴らしい場所。それはまだまだこれからさらに素晴らしい場所になる可能性を秘めている。日本人においては驚くべきほどの口コミ、韓国人の間ではインターネット、そうやって広がってきたSNP。これからキャンプサイトがオープンし、他にも様々なアイデアのもとにここは成長してゆく。子供たちの成長とともに。


SNPはきっとまだ発展途上の王国。今はまだ輪郭を描いたにすぎないのだ。これからゴンさんやママをはじめ、子供たち、そしてここを訪れる人たちよってSNPのキャンパスはまだまだ鮮やかに彩られてゆく。


その過程にはきっと色が濁ってしまったり、輪郭からはみ出してしまうこともあるはずだ。でもサリがそうであったように、SNPのキャンパスにはこれから先「こうしたい、こう作っていきたい」という考えや夢、希望はあれど、「こうしなければならない」という形はないんだと思う。


これからのSNPがとても楽しみで、今回、このようにそのファミリーの一員になれたことを嬉しく、誇りにも思える。新しいパンフレット作り、いろんな作業、ここがより素敵な場所になるようにゴンさんとママがやろうとしていることにファミリーの一員としてお手伝い、そのために僕自身の労を費やすなど容易いことだった。


僕はまたここへ戻ってくる。


次に訪れた時、このS.N.Pのキャンパスがどんな色で彩られているかが楽しみだ。

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November 08, 2005

JOY

テーマ:(9)タイ2

yoon


彼女とはラオスのヴィエンチャンで初めて出会った。


僕がタートルアンへ向かって自転車をこいでいた時のこと。


信号待ちをしていた僕の隣に、同じく自転車に乗った彼女が並ぶようにして止まった。


信号が青になると、スピードの早い僕が一歩先に出る形で走り始めた。だいぶ距離は離れていたけれど、次の信号で後ろからやってきた彼女が再び僕の隣に並んだ。


軽く会釈を交わし、それ以外は何事もなく走り始めたまっすぐな道。


タートルアン手前数十メートルの交差点、混雑のため僕はやむを得ずまた停止した。そこへまたしても彼女の乗った自転車が追いつき、隣に並ぶことになった。


三度交差点で、同じように顔を合わせた僕らは思わず苦笑した。


「Are you japanese? I’m korean.」


そう声をかけてきた彼女の呼び名はyoon。


ヴィエンチャンでコリアンゲストハウスに泊まっていた僕は、もしや・・・と思って聞いてみた。すると、やはり彼女も同じゲストハウスの宿泊者だった。たまたま今向かおうとしている方面も同じだった僕らは、たった数時間だったが、共にタートルアンや期間限定で開かれていたタイ・エキシビジョンを訪れた。


夕方のバスで次の場所へと旅立つことになっていた彼女とは特に連絡先を交換するわけでもなく、ただ笑顔でさらりと別れの挨拶を交わし、僕はその出発を見送った。



それから4ヶ月近くが経ったある日。


僕らは偶然にもタイ、カンチャナブリの地で再会した。


顔を合わせた瞬間、二人とも目が点になって固まった。ややあって、お互い誰であるかを思い出した時、ヴィエンチャンの交差点の時と同じように、僕らは思わず苦笑した。


「覚えてる・・・・・・?」


僕は彼女に訊ねた。


「もちろぉん!!ビックリしたぁ」


日本語でそう答えた彼女の言葉の習熟度は、ヴィエンチャンの時には挨拶と片言程度のレベルだったのに、この数ヶ月で驚くほど上達していた。


彼女もまた、僕が滞在することにしたS.N.Pの宿泊客であり、さらには日本語教室を受講していた生徒の一人だったのだ。


yoon


あの時はまだ何一つ知らなかった彼女のことについては、同じホームステイの仲間として一緒に過ごすうちに少しずつだがわかるようになってきた。


東南アジアへやってくる前の1年間はトルコに住んでいたこと、これから先はオーストラリアでさらに英語の勉強をしながら旅を続けたいと考えていること、意外とさばさばした性格なこと、とても几帳面なこと、日本が好きなこと、彼氏はいなくて欲しくもないし信じもしないと思っていること、そこに深い過去がありそうな気がしたけれど、僕はあえて訊かなかった。


あとは流暢な英語を話す時には妙に大人っぽく見えること、まだ慣れない日本語を話す時には子供っぽく見えること、時々語尾が「どこどこに行きたいデスダヨ」といった感じでおかしくなること、命令形の用途を覚えたくせにわかっていてわざと「食べろ」「行け」「来い」などと面白がって使うこと。他にもいろいろある。


そんな中、彼女のことで僕が一番に思ったのは、彼女自身が一日一日を生きる上で大切にしているキーワードは、「喜び」という言葉なんじゃないかということ。


ショッピングセンターでカートを押しながら楽しそうに何かを探す時、テラスで椅子に座って物思いにふける時、ご飯を食べる時、町なかで誰かと話す時・・・・・・どんな何気ない時でも彼女のまわりには「喜び」という形でにじみ出る独特の雰囲気が漂っている感じがするのだ。


ホームステイ先のオーナーであるゴンさんと共にネイチャートレッキングに行ったある日、みんなで山道を歩いていると、一番後ろを歩いていた彼女が空へ抜けるように大きな声で言った。


「ゴンさーん!!ワタシぃ!!ココ、ナンカイモ来たケレドぉ!!メンバーがチガウとぉ!!タノシイネー!!」


嬉しそうに笑顔で叫んだ彼女の言葉が印象的だった。


写真を見せてもらった時にも彼女の素顔を見た気がした。トルコでの1年、ミャンマーやラオスなど東南アジアでの旅の日々、これまで出会った人たち。彼女の撮る写真もまた彼女らしさや彼女の持つ世界、いろんな思いが伝わってくる感じがして好きだった。このブログの冒頭に使っている写真も彼女に撮ってもらったものだ。


また、彼女はよく音楽も聴く。日本のアーティストではCHARAやピチカートファイブが好きだと言って時々聴かせてくれる。


ある日、彼女の部屋から一番好きだというYUKIの歌が流れてきた。


曲は「JOY」。


隣の部屋で荷物を整理していた僕はふと動かしていた手をとめ、ベッドに腰かけて耳を傾けた。


彼女はこの歌の日本語の歌詞をわかってはいないはずだ。僕には当然だがそれがわかる。なんとなしに聞き入ってしまったその一曲、一部の歌詞がとても今の彼女の世界やこれから望むもの、彼女そのものを表しているようで不思議な気持ちになったのだ。



いつだって世界は私を楽しくさせて

いつか動かなくなるときまで遊んでね


運命は必然じゃなくて偶然で出来てる


死ぬまでドキドキしたいな

死ぬまでわくわくしたいな



彼女は自分がどうしたら一番嬉しいんだろう、喜べるんだろう、そのために今すべきこと、やりたいこと、そういったものを自分自身でわかっている人のような気がした。そして心には些細なことに対する喜びが溢れている。そんなこと、彼女自身は意識したこともないのかもしれないけれど。


彼女の見据える世界は広い。


僕はそのほんの一部しか知らない。知らない部分ではきっと僕が思ったことが「そうでない」こともあるのかもしれない。


それでも。


僕はyoonのことを思いだす時、実際にそうあってほしいという願いも込めて、笑顔で喜びに満ち溢れた彼女の姿を思い浮かべるだろう。



いつだって。



どこにいたって。



僕らの合言葉は 「JOY」。



yoon

※photo by EJ, yoon (korean)

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November 07, 2005

KOREAN‐JAPANESE

テーマ:(9)タイ2

a


S.N.Pには日本人以外に多くの韓国人が訪れる。


初めは口コミで広がっていった訪問者の繋がりは、ここを訪れた人たちがインターネット上のサイトでS.N.Pを紹介したことによってより多くの韓国人に知れ渡ることとなった。


日本に興味のある人や日本語を学びたくてやってくる韓国人も多い。一ヶ月500バーツ程度の料金で受けることのできるゴンさんの日本語教室は、他の高額な授業料が必要な日本語教室と比べれば破格の値段でもある。


僕がS.N.Pに来てからも数人の韓国人と出会うことになったが、僕にとって日本のお隣韓国の人たちと「共に過ごす」といった形で交流を持つのは初めてだった。日本で韓国ドラマが流行しようが、日韓交流がどうのこうのと言われようが実際に触れあう機会なんていうのは今までなかったし、どんな価値観を持った人たちなのかということも知らなかったのだから。


ここで出会った韓国人たちは独特のカラーを持った人たちばかりでカンチャナブリでホームステイという目的以外の部分でとても興味深い世界を見せてくれる場を僕に与えてくれた。



僕がS.N.Pにきて最初に顔を合わせた韓国人EJ。


彼の撮る写真には毎回驚かされる。


単純に写真を見せてもらって凄いと思ったのはこの旅だけで言えばヨシさん 以来だ。


写真についてはてんで何も知らないど素人であって偉そうなことは言えないけれど、僕は彼らの撮る特に「人」の写真が好きだった。


でもヨシさんの撮る写真 とEJの撮る写真は違う。


なんというかヨシさんが被写体の持つ空間に溶け込むようにしてとても近い距離感で内側からその人を切りだすのに対してEJの場合、実際の距離は近いにもかかわらず相手の内なる領域には踏み込まず、その人が一番輝きを放つ瞬間を外側から待って切りだす。


それはその人自身知らぬ間に見せている一瞬の、本気の自分だったり、素の自分だったり。だから場合によっては意外な自分に映ることもある。


試しに同じ被写体を同じ角度と同じ距離で撮ってみても彼と同じような写真をとることはできないことからしてEJ独特の世界がそこに存在していることがわかる。


彼が描くイラストもまた同じで、頭にイメージしたものをその場でさささっと書き上げるそのセンスには脱帽させられる。


EJはまさしくコリアンアーティストと呼ぶにふさわしい人物。




一つ一つの言葉を丁寧に伝えるように話す姿が独特だったチャーリー。


仕事の休暇を利用してこのS.N.Pを訪れた彼は韓国でも有数の広告会社に勤める敏腕クリエイティブディレクター。


見た目の穏やかさからすると「普通」というイメージしかなかったのだが、日本でもヒットした韓国映画「シュリ」でも知られる主演ハン・ソッキュと仕事をした時の話をはじめ、その活躍ぶりを聞けば聞くほど彼が一級線で働くエリート広告マンだと知り驚くばかりだった。


一緒に酒を飲んだり、ビリヤードをしたり、ゴンさんとのネイチャートレッキングに出かけたりする中で、仕事は仕事、遊びは遊びときっちりわける彼は限られた休暇の中で無駄なく且つ思う存分心も体も開放しながら一日一日を楽しんでいるように見えた。


「CHANGE THE RULES」


チャーリーの名刺の裏に刻まれた文字。


彼は既に自身の世界に独自のルールを築き上げているような気がした。





スタートして1年足らずのS.N.Pで既にリピーターでもあるキムさんは、ここの居心地の良さを知っていることはもちろん、良き理解者でもあった。


今回二度目の長期滞在になるという彼は今回S.N.Pへの寄付として大量の書籍、マンガ、そして韓国の酒を持ってやってきた。


大柄で一見恐そうな外見や酒豪のイメージとは裏腹に笑った時の目は細いながらも優しい。実は以前EJと同じ会社で働く同僚だったという彼はコンピュータに関しては韓国で右に出るものがいないと言わしめるほどのスペシャリストだという。


ハードコアをこよなく愛する30代の彼も人としてやはり多彩な面を持っていて、酒だけでなく、彼自身についてもまだまだ底が知れない深き人物だ。





このようにしてこのS.N.Pで、他に何人もの韓国人と接する機会を得ることができた。


寝食を共にし、カンチャナブリの自然を一緒に歩いてまわった。


酒を飲みながら朝まで語ったこともあった。


血液型別の性格について日本と韓国の違い、なんていうくだらない話題から今のS.N.Pについてとか、日本の作家「だじゃいおさむ」についてどう思うか、なんていうことについても話したことがあったっけ。言葉の壁からお互い言いたい事も言えずにもどかしく思ったこともあった。それでもその全てが僕にとって貴重な時間だった。


何がどのように、ということはうまく言葉にできないけれど、ここで韓国人の仲間と交流を持てたことは僕にとってまぎれもなく素晴らしい思い出と大いなる刺激、違った世界観をもたらしてくれたのだった。


charly

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