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手のひらの中のアジア
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April 22, 2006

もう1つのヤンゴン

テーマ:(10)ミャンマー

ミャンマー ダラの子供たち


「チィニーウェイ!!」


「メーパー!!」


「ゼモーシュイ!!」


「モーサーナ!!」


「ターセーピョー!!」


なんだか、立て続けに言われて何かの呪文でも唱え始めたのかと思ったが、これは皆、子供たちの名前だった。


日本から遊びにやってきた僕のためにみんなは一人一人の名前を全員で呼び合いながら自己紹介をしてくれたのだ。僕もお返しに自分の名を名乗る。


「チャノォ イェ ナーメー ヒロ バー。。」


名前はヒロだよ、と。


「シロ?」


「シロ!!」


「シロ!!」


やっぱりどこへ行っても皆、「ヒロシ」という3文字を言えないばかりか「ヒ」の発音が「シ」になる。


「犬みたいだな・・」と思いながらも、


「そうそう、シロ、シロ(苦笑)」


と僕は結局、それでもいいことにする。


「自転車で走ってきたらいい、ここもけっこう広いからな。誰か後ろに乗せて案内してもらうか。誰がいいかなぁ」


Yさんがそう言って僕に周辺の散策を勧めてくれた。


そこへちょうど一人の女の子が家にやってきた。まわりの子供たちよりほんのちょっと年上(といっても9歳か10歳くらい)に見えたその子の名前はチューチューだとYさんが教えてくれた。


「おぉ、ちょうどいいところにきた。チューチューと一緒に行ってきたらいいよ、しっかりしてるしな」


Yさんが彼女に何やら伝えると、チューチューはニコっと笑って答えてくれた。


「暑いのに大丈夫かな(苦笑)」


と気づかったつもりだったが、


「毎日そんなとこで生活してんだから問題ないよ」


とYさんは言った。


他の子供たちも行きたい、行きたいと口々に言い出すのを「後でね。。」と言ってなだめた後、僕らは外に出た。


外にはさらにざっと30人くらいの子供たちが元気に走りまわっていた。


僕が自転車に乗ろうと近づくといっせいに皆が寄ってくる。そして、


「俺行くー!!」


「あたしもー!!」


そんな様子で何人かは、ちゃっかり後ろのキャリアに乗っかって、


「いぇーい!!出発進行!!」


なんてことを言いながら手を振り上げ始める。


こんな光景を見ているだけでも楽しいけれど、ずっとそれに付きあっていると時間が何時間あっても足りないのでちびっ子たちを笑いながら抱きかかえて降ろす。


案内役のチューチューをあらためて乗せると僕らは周辺の散策に出発した。


シロとチューチュー、まるで「犬とねずみの冒険」みたいだったけれど、チューチューはあいにくその名にふさわしくないほど可愛い顔をした女の子だった。


通りを走り始めるとすぐにまわりの人たちの不思議そうな視線がこちらへ向けられるのがわかった。大人は遠くからじぃっと見ているといった感じであったが、いかんせん子供たちは走ってついてこようとする子が多い。


「ねぇ、誰その人!!」


みんながそう聞いてくる中、チューチューが笑いながら「日本人の人」とでも答えたのか、それを聞いた少年たちは「ハロー!!ハロー!!」と走りながら手を振ってくる。


とてもヤンゴンとは思えないそんな光景が僕をいっそう楽しくさせた。


それにしても、この日も日差しはかなり強く、じりじりと焼けつくような暑さ。僕にとってはたいしたこともないのだが、後ろに乗っているチューチューは「プーデー、プーデー・・」暑い、暑いと言いながら手で顔を扇いでいる。


Yさんが暑さなんて慣れているから問題ないと言っていたけれど、僕の思ったとおり、地元の人でも暑いものは暑いのだ、という結論だったようだ。


「大丈夫?戻る?」


と聞く僕にチューチューは汗をかきながらも大丈夫だと言って、それでも一生懸命に自分の住むこの地域を案内してくれた、その気持ちが嬉しかった。


あまり連れまわしてはかわいそうなので、1時間ほどして家に戻ることにした。


ミャンマー ダラ


到着するとすぐに留守番をしていた子供たちが「次!!」「次!!」と言って騒ぎ始める。


そんな様子を見ていたお母さんが、子供たちに市場へのお使いを頼み、今度はそこへ僕も一緒にいってきたら、と勧めてくれた。それなら歩いて皆一緒に行くことができる。


その場に居合わせた子供の中では一番のお姉ちゃんでもあるゼモーシュイがお金の管理を任され、中くらいの編みカゴを二つほど分担して持ち合う。


お買い物メンバーは、背が少し高くてハスキーな声を出すそのゼモーシュイと、緑と白の制服姿がよく似合うチニィーウェイ、日本人の女の子かと思うほど日本的な顔をしたメーパー、男の子なのか女の子なのかよくわからないユニセックスなターセーピョー、そして白い花という名の女の子パンピュー、の5人だった。


ぎゃぁぎゃぁ、わいわい、とにかく賑やかな5人は、


「シロっ!!」


と僕の名前を呼んでは、少し前を歩いていた僕が立ち止まって「なに?」と振り返ると、彼女たちもぴたっと止まる。


そして「ぎゃはははは」と大笑い。


また歩き出して少しすると名前を呼ぶ、止まって振り返ると彼女たちも再び、ぴたっ。


まるでダルマさんが転んだでもしているかのように戯れながら市場への道をゆく。


いつのまにか近所の男の子たちまでついてくるようになって、10人くらいで動く団体様のお買い物になっていた。


市場へ到着すると、ゼモーシュイが僕に、


「私が買い物してくるから、その間この辺をぐるぐるしてて」


というようなことをジェスチャー交じりで言った。そして小さなパンピューを連れ、手には頼まれた品々が書かれた紙を握りしめ、奥へと入っていった。


残っていたメーパーやチィ二ーウェイたちに引っ張られて僕は市場を散策する。


「ここは雑貨だよ、ここは魚、ここはね、肉」


そんな調子で子供たちなりにいろいろと説明をしてくれる姿がかわいらしい。


市場はさほど大きくもないので、奥へ入っていったゼモーシュイとパンピューにもまたすぐに会う。市場の商人と何やら真剣に交渉をしている様子のゼモーシュイはやはり他の子供たちよりも少しお姉ちゃんの貫禄が見える。


ミャンマー ダラの子供たち お買い物


それにしても大人数の買い物団体である上に、まったくといっていいほど訪れることのない外国人が一緒にいることで市場の商人たちも不思議そうな目でこちらをうかがっている。


「シロっ!!」


また僕の名前を呼ぶ声が聞こえて、


「そのハスキーがかった声はゼモーシュイだ、当たり!!」


などと思いながら振り返る。


どうやら買い物は無事に済んだようだった。


帰り道もぞろぞろ、がやがや、わいわい、と通りを賑わしながら家路へと向かう僕ら。


「こっちから行った方が近い!!」


「あっちだよ!!」


裏道がたくさんありそうな周辺、十字路にさしかかるたびにそんな言い争いをしながら、なんとか家に辿りつく。


家の前では、午前中や昼の時間には見られなかった子供たちがさらに増えて、大賑わいになっていた。制服を着た子が目立つところからすると、学校に通っている生徒たちの授業が終わって、みんな帰ってきたからのようだった。


まだまだこんなに子供たちがいたことに、あっけにとられて僕はその光景を見ていた。


しかも、一人一人の目のなんと澄んだことか。


貧しくて何も持たないがゆえに純粋なのか、それとも何か他に特別な理由が存在するのだろうか。


ここは僕の知るヤンゴンではない、ここは「もう1つのヤンゴン」というべき場所だった。


1ヶ月も半年も1年も居たわけじゃない。でも例えば、「たった1日」の出来事が「1ヶ月」分にも値する充実感を伴うことがある、というそんな実感を今、強く感じていた。


ミャンマー ダラの少女たち


「ヒロさーん!!明日もまたきてください!!」


帰り際、ジャミィのお姉さんがYさんに教えてもらったらしい日本語で、去ろうとしていた僕に言った。子供たちも、


「マネッピャン!!マネッピャン!!」


明日!!明日!!って叫びながら、そこら中で飛び跳ねている。


「また、来ますよ(苦笑)」


そう答えた僕の言葉を理解したのかどうかはわからないが、笑顔で見送ってくれた。子供たちも、


「たったぁー!!たったぁー!!」


ばいばーい!!ばいばーい!!いつまでも手を振っていた。


「さぁ、行くか。船がなくなっちまう」


「はい」


Yさんに言われて僕はこの村をあとにした。


すっかり薄暗くなったヤンゴン川を元きたように小さなボートで戻っていく。


対岸にはヤンゴンの街。


ストランド通り沿いに並ぶ建物の明かりだろうか、きらきらと光輝くヤンゴンの街を見て、やはりこの日僕が過ごした場所とは「別世界」だとあらためて思った。


ミャンマーの旅を最後にして、僕はまた一つ素敵な場所、そして素敵な人たちにめぐり逢えた。


これでミャンマーの旅が終わる。


明日の今頃はもう、バングラデシュだ。


ミャンマー ダラの子供たち


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April 17, 2006

「白い花」という名の女の子

テーマ:(10)ミャンマー

ミャンマー 白い花という名の少女パンピュー


ヤンゴン川の対岸にある小さな村の一角、僕は平屋建ての小屋に住むミャンマー人の家族と穏やかな1日を過ごしていた。

喧騒漂うヤンゴンといったイメージしかなかった僕には、子供たちが元気に走りまわる光景がこんなところにあったという事実が何よりも驚きだった。


でもそこは、ミャンマーでも特に貧しいとされる人々が住んでいる場所でもある。


穏やかに見える光景の中にも殺伐とした世界が潜んでいることを、ここへ連れてきてくれたYさんは教えてくれた。


何もなさそうでのどかに見える通りでさえ、普通の恰好を装った私服警官が至るところに配備されている。小さな売店でお茶でもしながら気楽に談笑をしているかのように見えた2,3人の男たちまでもが、


「あれは警察だぞ・・」


と聞かされた時には、この地に潜む見えない謎に少なからずの恐怖心を抱いた僕であった。


何も言われずに通りを歩く限りは、そこかしこに子供たちのはしゃぎまわる姿が目に入ってくる。


しかし、この元気な子供たちに関係して、


「ミャンマーでは水面下で不穏な動きがある」


そんな話を以前に耳にしたことがあるのを僕はふと思い出した。


まだ生まれたばかりの赤ん坊や小さな子供たちが、ある日突然「姿を消す」という話だ。


ラオスやタイの小さな村では、他民族間で男の子の赤ん坊と女の子の赤ん坊を交換したり、子供を育てる経済的な余裕がないために自ら生んだ赤ん坊を別の家庭に預けたりという養子縁組のような事実は目にしたことが何度かあった。その子は一生その預けられた家の民族の子供として育っていくのだ。


「この子は、血が繋がってないのよ」


僕の好きだった民族のお母さんが、愛しそうに預かった赤ちゃんを抱きながら僕にそう言って事情を説明してくれた時、実はその子が他の民族なのだと知ってショックを受けたのを覚えている。


ミャンマーでそのような話を聞いた時、同じ類の話かなと思った僕は、その時には驚くこともなかったのだが、ここではまた事情が違い、その話を耳にした時、身の毛もよだつ恐怖にかられたのだった。


それはいわゆる「間引き」あるいは「人身売買」というものに近かったのだが、この国のある組織の者が貧しい村から生まれたばかりの赤ん坊や小さな子供を連れ去っていく、というものだった。そこに育児をする経済的余裕のない家族との合意があるのかないのかはわからないが、まわりの人たちからすれば昨日まで元気な声が聞こえていたはずのお隣さんの子供が、突然「姿を消す」ことになるわけだ。


ある話では、連れていかれた赤ん坊や子供はまた別の場所、あるいは隣国でさらに高く「売られる」こともあるのだとか。それが商売に利用されるのか、はたまた臓器提供にということも・・・。


そんなことを考えながら、Yさんに連れてきてもらったこの家に住む子供たちを見ていて、


「まさか、この子たちもある日突然いなくなるんじゃ・・」


そう思ったら背中にぞくっとした感覚が走った。


・・・・・・・・・


この家に住む子供たちの中には一人、とても目を惹く女の子がいた。


顔つき、髪の毛の質、目の色、鼻立ち、全体の雰囲気を見ても他の子供たちとは少し違うその子は、嫌でも目立つという感じである。


僕は、Yさんに聞いてみることにした。


「この子、名前は何て言うんですか?」


「こいつかぁ、こいつを俺は未歩って呼んでるんだ」


「未、歩・・?」


「そう、未来に向かって歩む、こいつには未来があるからな」


「いい名前ですね。。」


僕は素直にそう思うのと同時に、そんなところにもYさんの優しい気持ちを感じた。


ビルマ語の名前は知らないというYさん、でもそこであえて本当の名前を知りたくなって僕はYさんが未歩と呼ぶその子に聞いてみたのだ。


「ナーメー バーレー?」


ねぇ、名前は?そう僕が言うと照れくさそうにおどけてみせて、すぐに隠れてしまった。


そばにいた子供たちが代わりに、


「パンピュー!!パンピュー!!」


と口々に叫んで教えてくれた。


「パンピューかぁ、かわいい名前だね(笑)」


僕がそんなことを日本語で口にしている隣で、Yさんが驚いた様子で言う。


「おい、この子、パンピューっていうのか!?」


Yさん自身、初めて本当の名前を知った様子であったが、その驚きようが少し普通とは違ったので不思議に思った僕が聞くと、Yさんはこう言った。


「パンピューってのは・・白い花っていう意味だ・・」


僕もそれを聞いてハッとした。


そういえば「パン」は「花」、「ピュー(アピュー)」は「白」、それぞれの単語の意味だけなら僕にもわかったからだ。ジャミィのお姉さんが、


「そう、あなたの名前は白い花、パンピューって言うのよねぇぇ。。」


そんな様子でその子を優しく抱きかかえる。離せ、離せと言いながらジャミィのお姉さんの肩越しあたりをパシパシ叩くパンピュー。


そんな光景を見ながら、僕はなんだか胸に迫るものがあった。


この子には未来が託されている。


本当の父親が誰なのかわからないけれど、でもこの子は、


「白い花のように美しく純粋に育ってほしい」


そんな皆の願いが込められて、この世に生まれてきた子供なのだ。


Yさんが驚いたのも、きっと同じ思いを持ってこの子を「未歩」と名づけたからだ。


「未来に向かって歩む、白い花のような女の子」


ミャンマーの国のあらゆる現実に負けないでほしい。


いつかこの広大なミャンマーの地が無味乾燥とした荒寥たる広野になろうとも、大地に凛として咲く一輪の白い花のように強く、美しく、そして可憐な大人になってほしい。


そんなことを考えながら僕はずっとパンピューを見つめていた。



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April 10, 2006

ミャンマーを愛した男

テーマ:(10)ミャンマー

ミャンマー ダラの少女


僕がヤンゴンで泊まっていた宿には、もうミャンマーにきて10年にもなるYさんという男性がいた。

50過ぎほどの年齢で体つきは痩せているものの、背丈は180センチほどはあるだろうか。重く低い声、鋭い目、ぶっきらぼうな口調は一見「ヤクザ」に見えなくもない。


Yさんとは、ヤンゴンに到着してこの宿で出会った。


自転車を持ってロビーへ入るなり、Yさんは僕にこう言った。


「おい、自転車で来たんか?まさかミャンマーを自転車で走ろうってんじゃないだろうな。この国は自転車で走るようなとこはねぇぞ」


のっけから完全否定されたような厳しい一言に、まだミャンマーのことを何も知らない僕は、


「全部じゃないですから(苦笑)まぁ、なんとかなるだろう、と・・(苦笑)」


とただ笑って流すことしかできなかったのを覚えている。


ヤンゴンに滞在中の数日間、Yさんとは毎日顔を合わせた。というよりYさんが毎日といっていいほど必ずロビーにあるソファーに腰かけているので、外へ出ようと下へおりてくると必然的に顔を合わせることになるだけだったのだが。


だいたいいつもソファーにもたれて昼間からウィスキーのグラスを片手に煙草をふかしている。ロビーに設置された一台のテレビを眺めながら、時々宿の若いスタッフを呼びつけてはNHKにチャンネルを変えろと指図する。もう10年にもなるというのだからビルマ語もお手のもの、といった様子だ。


いったい何をやっている人なのかさっぱり検討もつかず、近寄りがたい雰囲気さえ醸し出しているYさんであったが、昼時の時間に居合わせると、よく飯に誘ってくれた。


さすがにヤンゴンの街にも詳しく、いろいろな店を知っている。


宿を出て店に行くまでの通りでは、近隣に住む何人ものミャンマーの若い男たちと顔を合わせた。


「Yさん、どうもぉ。。」


「おう・・」


そんな様子で一言二言交わし、挨拶代わりなのか、必ずといっていいほど煙草を2、3本分け与えてやる。彼らにとってYさんは父親のような存在で、またとても慕っているようでもあった(この辺りを牛耳っている首領とチンピラという構図に見えないこともなかったが)。一方、数十メートルの間に立て続けに数人と会っても嫌な顔一つせず、平等に接してやるYさん、それがYさんと彼らの暗黙の決まりごとのようでもあった。


しかしそんな姿とは逆に、通りを歩いていてYさんの口から出る言葉は荒々しい。


びゅんびゅんと飛ばしながら行き交う車の波を見ては、


「こいつらは人間なんて何とも思っちゃいねぇんだからなぁ、人を一人ひいちまうことくらい何でもないんだから。恐いよこの国は」


と言う。無数に並ぶバナナ売りの露店の前を通れば、


「こんなにバナナ売りがいたって、肝心のバナナが数円にしかならねぇんだから・・それでも多くの人はこれやってくしかねぇようなとこなんだよ。この国は終わってるよ」


と言う。


「ミャンマーを旅行する人は皆、この国は人もよくて親切でって言うわなぁ。そりゃぁ旅行者だから当たり前だ。ここに住むとなったら話は大違いだ。住んでみりゃぁ、ここがどんなところかわかるさ」


Yさんの口からついて出る言葉は、いつも虚無に満ちていた。Yさん自身、完全なるニヒリストのように思えた。


「そんなに嫌な国ならいなければいい」


普通に考えれば、誰もがそう思うのが妥当だろう。


しかし、僕にはYさんが生きてきたこの10年にいったい何があったのか、何がYさんをそのような発言に至らしめるのか、そこにミャンマーの現実までもが垣間見えるような気がして、次第に惹かれていったのだった。それに、口が悪いことは確かであったが、その裏に見え隠れする「優しさ」のようなものを少なからず僕は感じていた。


若い男衆に煙草を分け与えてやる行為もそうであったが、僕の自転車での旅を「無理だ」と否定した割には、保管についてや手入れに関してもいろいろと便宜をはかってくれたり、困ったことがある人を見つけるとなんだかんだと言いながらすぐに手助けをする、そんな一面も見ていたからだった。


・・・・・・・・・・


僕が約1ヶ月ぶりに戻ってきたヤンゴン、Yさんは相変わらずの生活をしていた。仕事は、ミャンマー人の知り合いのつてを使って新たな計画を練っているようだったが、未だ定職にはついていなかった。


久々に再会を果たしたYさんは僕をある場所に誘ってくれた。


「川向こう、行ってみるか」


「あのフェリーで行くことができる対岸の町ですか?」


僕が既に訪れたことがある旨を伝えると、Yさんは言う。


「そんなとこじゃねぇよ。手こぎのボートみたいなちっちゃい船でいくんだよ。貧しい人しかいない、言ってみれば貧乏人の巣窟みてぇなとこだ」


相変わらず口は悪かったが、まだこのヤンゴンにそんな場所があったことに驚き、興味もあって僕は連れていってもらうことにした。


聞けば、そこは外国人などは一切入ることができない場所だという。その前に、その対岸へ渡るボートに乗せてもらえないのだ、と。


「俺だけはそこに行ける」


なぜ日本人であるYさんだけがそのボートに乗せてもらえるのか、その時には理由もわからなかったが、実際に少し前、Yさんと一緒に訪れたジャーナリストの男性が、翌日に今度は一人で対岸へ渡ろうとしたところ、ボートに乗る段階で拒否されたと言う話を本人から聞いて、それは嘘ではないのだと思った。


「そこにはなぁ、俺の家があるんだ。子供もたくさんいるぞぉ。あんたが行ったら皆、喜ぶだろうな」


Yさんはそう言った。


「俺の家」というのは、よく通っているお気に入り家のことを指しているのだろうと思っていた。少々失礼な言い方をすれば「自慢の類」かな、と。


「自転車を持ってくといい」


そう言われた僕は、言われたとおり自転車を持ち出した。


「子供たちにお菓子を買っていくから、売店に寄っていこう」


そう言うYさんについていき、飴玉のたくさん入った大袋を二袋ほど、それと他にもいくつかのスナック菓子を買った。こういうところが口の悪さとは逆に、ほんのちょっと見え隠れするYさんの優しさだった。


ミャンマー ヤンゴン ダラへの船


船着場では、聞いた話どおりの小さなボートに地元の人たち10人ばかりがぎっしりと詰め込まれた状態で待機していた。


外国人の僕が来たことでいぶかしげな表情を見せていた船頭だったが、Yさんが一言告げると、ボートの先端に自転車を載せてくれ、先に乗りこんでいた乗客たちが座るスペースを分けてくれた。遠くヤンゴン川の対岸には小さいながら同じような船着場が見える。


まだ知らない未知の世界へ旅立つようで、僕は自然とわくわくしていた。


川幅は相当に広く、そこを渡るには不釣り合いなほど小さなボートで、大きく揺れる波をかき分けるようにして進んでいく。


15分~20分ほどで対岸に到着し降り立ってみると、市街側からは遠くて見えていなかったが、目の前には小さいながら一応の形としてゲートがあった。自転車を押しながら歩く僕を、まわりの人々が珍しそうに立ち止まって見つめる。そんな光景をよそに、ゲートをくぐってすぐYさんは荷台付き三輪自転車を掴まえるとそれに乗り込み、僕についてこいと言った。


町といえばいいのか村といえばいいのか、そこはヤンゴンという場所とはかけ離れた別世界のようだった。以前にフェリーで訪れた対岸の町とも違う。


「貧乏人の巣窟みてぇなとこだ」


Yさんがそう言ったのを思い出した。


ミャンマー ダラ


竹で編んだような平屋建ての家屋が立ち並び、付近には小さな寺院や学校などもあった。確かに貧富を問えば、貧しい部類の人々が暮らしていることになるのかもしれないが、すれ違う人々やそこら中に見かける子供たちの笑顔はそれだけでも明るく、気さくで、初めに抱いていた「陰鬱」なイメージはかけらも感じられなかった。


左へ曲がり、右へ曲がり、また左へ、そうして船着場から15分ほど行った通り沿いにある一軒の家屋へ到着した。


「ここが俺の家だ」


Yさんはそう言うと、リキシャから降りて平屋の家屋へ続く小さな橋を渡り始めた。


すぐに子供たちが飛び出してきた。まるでお父さんが帰ってきたようなはしゃぎっぷり。次に若い女性が姿を現し、ニコッと笑うと僕の方へも一礼した。


「この人は?」


僕がそう聞くと、


「ジャミィってんだ。まぁ、入って」


Yさんに言われて僕は家の中へとお邪魔させてもらった。先ほどのジャミィという名の女性の他にも家族が居て、お姉さんやお母さん、おばあちゃんらを紹介してくれた。


思ったよりも小綺麗な服装をして身なりもきちんとし、「普通」の人たちに見えたが、住居はやはりお世辞にも「普通」の域には程遠い。確かにラオスやタイでも似たような平屋建ての家屋はいくつも見てきて、さしたる違いはないのだが、この家族の家に限って言えばそれは老朽化がかなり進んでいたのだった。


木の板を並べただけの床は隙間だらけ、そこからは床下も透けて見え、下には腐敗したゴミが散乱していた。乾季で雨も少なくカラッとした晴れが続く今の時期は問題もないだろうが、雨季になってとりわけ雨量の多いヤンゴンのことを考えるといささか心苦しくなる。


ミャンマー ダラの家


しかし、そんな僕の気持ちとは裏腹に何といっても子供たちは文句のつけようがないほど、明るく元気だった。


そんな子供たちと僕一人散々遊んでから、午後3時頃になって家に戻ると、暑い日差しの中、昼寝をしていたYさんがちょうど起きて一服しているところだった。


「いやぁ、こんなところがあったなんて驚きました(笑)」


僕がそう言うとYさんは、しばらく物思いにふけった様子の後、おもむろに口を開いた。


「いいとこだろ。貧しいけどな。でもこれがいいんだ。こいつらに囲まれて、元気な子供たちがいて。こいつら皆、俺をお父さんだと思ってんだからな(笑)」


ふと僕は、Yさんの表情からいつものとげとげしさが抜けているのに気づいた。口調もどことなく穏やかになっている。


「ここ、お父さんたち、いないんですか?」


「さぁな・・この子供らもそれぞれどっから生まれてきたのか、わからんよ」


「そうなんだ・・(苦笑)Yさんは、いつからここへ?」


「あぁ・・俺か、もう10年も前だなぁ・・」


僕が投げかけた質問によって、Yさんは少しずつ、ゆっくりと過去を語り始めた。


それまで影になっていたYさんの知られざる過去が、明らかになってゆく。


「10年前、何も知らない俺がこのミャンマーにきて出会ったのがこいつらだった」


果てしなく遠い過去のように思えた。今から10年前、僕がまだ学生だった頃、Yさんは既にこの人たちと出会っていたのだ。


「あの頃は、この娘たちももっと綺麗だったけどな(笑)でももっと貧しかった。生きるために必死で、でも困ってた」


僕は夢中でYさんの話を聞いていた。Yさんは続ける。


「俺は当時、金もたくさんあった。今はないけどな(笑)10年前出会ったこいつらに、俺はこの家を買ってやったんだよ」


「ここ、Yさんが買ったんですか!?」


衝撃の一言だった。


Yさんがここを訪れる前に言っていた「俺の家だ」とは、このことだったのだ。「自慢の類だろう」などと思った自分の浅はかさが恥ずかしかった。


「ここも建てかえてやらなくちゃいけないんだけどなぁ・・今は俺も自分が生きるのに精一杯だからな(笑)」


Yさんはそう言いながら隙間だらけの床板をぽんぽんと叩く。


そんな話をしているところへ、ジャミィのお姉さんがアルバムを持ってきて見せてくれた。そこには、この10年の間に育んできたYさんとこの家族の宝物が詰まっていた。枚数はそれほど多くはないが、写真の右下に入った年数が真実を物語っていた。


「これ・・Yさんですか?」


僕はふと1枚の写真に目が止まって聞いてみた。その写真の人物は相当に若いのだが、どことなくYさんの面影を残しているような気がしたからだ。


「おぉ・・なんでこれがこんなところにあるんだ?」


Yさん自身、意外な様子だった。


「これは、俺が30の頃じゃないかなぁ」


僕はまじまじとその写真のYさんを見つめた。今、目の前にいる痩せて険しい表情のYさんとは違い、確かに面影はあるのだが、がっちりとした体つきで筋肉隆々、爽やかな笑顔は昭和の映画スターに出てきそうな感じのハンサム男だった。


写真の背景が船のデッキであることに気がついた僕は不思議に思って、それについて聞いてみた。


Yさんは答える。


「俺は船乗りだったんだ。沖縄で漁師をやってた。25の時に自分の船で旅に出たんだ。」


「25歳!?」


現在50代のYさんは10年前、このミャンマーにやってきた。それだけでも驚きに値するものなのに、さらにもっと深い過去があるなんて、誰が想像できようか。


Yさんは25で旅立ち、海を渡ってインドネシアに到達した。その地で数年、さらにそこからベトナムに移ってやはり10年以上の月日をそこで過ごしてきた。そして最後に辿りついたのが、このミャンマーの地だと言うのだ。


生きるために、自分の船をも手放したというYさんの壮絶な人生。


「これは俺の息子たちだ」


そう言って見せてもらった写真には、現在も日本で生活しているというYさんの「実の」息子と娘の姿があった。


僕が聞かせてもらったのは、そこまでだった。そしてそれ以上のことを、僕はもう聞かなかった。聞く必要もない。


今から20数年前、日本を飛び出し、自分一人の力で海を渡って旅に出た若者は、荒れ狂う波を乗り越えて異国の地に辿りついた。インドネシアで過ごした数年、ベトナムで過ごした10数年の間にも語りきれない人生模様がそこにあるということだけは容易に想像できる。僕がこの世に生まれたか生まれていないか、といった時代にこの人は既に海を渡っていた。


そして2005年も暮れにさしかかろうとしている今、僕が旅の途中で出会ったその人はミャンマーという地で生きていた。


彼の旅は、まだ終わってはいないのだ。


もちろん、日本にいる実の家族と連絡はとっていて、Yさん自身日本へ何度か帰国もしているそうだが、それでもYさんにとって「帰る場所」はミャンマーなのだ。


Yさんは、ミャンマーのこの家族や子供たちのことを思い浮かべた様子で言う。


「こいつらが死ぬまで、面倒みてやらんと。腐れ縁ってやつかな(笑)」


どうしてそんなことができるのか、僕にはわからなかった。


自分自身の生活でさえままならない状況で、今さら日本へ帰って落ちつくこともできず、それなのに今ここにいて誰よりも幸せそうな表情を見せているのは、Yさん自身なのだ。


あまりに壮絶な人生に、僕は誰かの夢物語でも聞いているかのような心地だった。


しかし、Yさんは最後に一言、僕に言ったのだ。


そこに、これまでのYさんの何もかもが集約されていた。




「俺は、好きなんだよな。ミャンマーが」




それが、ミャンマーを愛した男のすべてであり、生き様だった。


ミャンマー ダラ


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April 09, 2006

夢の終わりと現実の続き

テーマ:(10)ミャンマー

ドンドンドン!!


部屋をノックする音で目が覚めた。


僕は約1ヶ月ぶりにヤンゴンの街へと戻っていた。


「お電話が入ってます」


宿のスタッフがそう言った。


「誰?」と聞かなくてもそれが誰からのものであるかすぐにわかった僕は、急いで服を着替えて1階ロビーに走って下りていく。


電話をとると、始めから日本語で「もしもし!?」と声をかけた。


受話器の向こうはざわざわと騒がしく、少し間があいてから返答があった。


「もしもしぃ」


ちょっと堅い調子の日本語、聞いたことのある声。そう、思ったとおりメイッティーラで一緒だったミャンマー人青年リンからだった。


メイッティーラで一緒だった時、日本語検定試験を受けるためにヤンゴンを訪れる予定のあった彼には、僕がヤンゴンで泊まっていたホテルの名前や電話番号の入った名刺をもしよかったら、と渡していたのだった。そして僕がヤンゴンへ戻るであろう予定日も。


「もしもし!?リン、ヤンゴンにいるの!?」


僕はもしかしたらと思いながら、少し興奮気味に言った。


「もしもしぃ、聞こえますかぁ」


「聞こえてる?」


「もしもぉーし」


電話の調子が悪いのか、なかなか会話が成立しない。


「もしもし?ヤンゴンにいるの!?」


「あぁ、聞こえた。わたしは今ヤンゴンじゃありません」


久々のリンの日本語を聞いてどこか懐かしくなり、会えるかもしれないという期待も一瞬募ったが、ヤンゴンにいるわけではないらしい。


「そっか・・メイッティーラ!?ニン帰ってきた!?」


またもしかしたら、と思って聞いてみる。


「わたしは実家に戻っています。今は公衆電話から電話してます。」


彼は試験が終わった後、直接実家に向かいメイッティーラにはまだ帰っておらず,ニンにも会ってはいないと言う。


そして今度は逆に彼が僕に聞いた。


「彼女はどうでしたか。旅行は無事にいきましたか?」


「うん、楽しかったよ!!」


「そうですか、言葉は大丈夫でしたか?」


「なんとかね、でも問題なかったよ!!」


「それはよかった。きっと彼女も楽しかった」


僕はリンと会話するうちに、僕と彼女の旅のことをどんどん話したくなった。


「リン、僕らの旅行、最初5日って言ってたじゃない?それがさぁ」


と言いかけたところでまた電話の回線不良が会話の邪魔をした。


「もしもし?」


「もしもしぃ」


「聞こえる?あ、それでさ、最初に5日って・・」


「また、ミャンマーに来てくれますか」


「え?あぁ、わかってる。うん・・。」


彼には僕の声があまり届いていないようで、話がなかなか噛み合わない。


「楽しみにしてます。きっと彼女も同じ」


うん、と答えた僕は彼に


「あのさ、ニンにも楽しかったって伝え・・」


とまで言ったところでやはりそれさえも聞こえていなかったのか、受話器からはほぼ同時に「元気で。。」という最後の言葉が聞こえ、そして切れた。


「もしもし!?もしもし!?」


僕は2,3度、声を発したけれど、その時にはもうツーツーツーという虚しい残音が響いているだけだった。


僕は、なんだか不思議な気持ちのまま、ゆっくりと受話器を置いた。


電話の様子を見ていたレセプションのホテルスタッフが僕に言った。


「随分、長い電話でしたね(笑)」


その時、僕は思わず「えっ?」という声を出してきょとん、としてしまった。


「随分、長い電話・・・?」


僕にとってはそれがとても意外な一言だったからだ。電話回線が悪いせいで多少の無駄な時間はあったにせよ、それほど長い会話をしていた覚えはない。


僕は一瞬ハッとして、それから、受話器を置いた時に感じた不思議な気持ちのことを思い出した。


同時に少し前、リンと電話のやりとりをしていた時と同じ映像がもう1度頭の中に流れ始めた。


「もしもし?」


「もしもしぃ」


相変わらず回線の調子が悪い電話だった。


「どうでしたか?私のプレゼントは」


彼は妙なことを言った。


「えっ?プレゼント?どういうこと?」


「楽しかったですか?」


「えっ、楽しかった・・けど・・リン?どういうこと?」


「それはよかった。言葉は大丈夫でしたか?」


「大丈夫だったよ、って、ねぇ、どういうことだって」


「もしもし?あぁ、大丈夫でしたか。それはよかった」


「もしもし?聞こえてる?」


「きっと彼女も楽しかった」


「意味がわからないよ・・プレゼントって何?」


それが電話回線のせいなのか、意図的なのかわからないまま、彼は一方的に話し続けた。


「この電話が切れて受話器を置いた時、あなたと彼女の旅は本当に終わります。夢の時間はそこまでです」


「はっ?いったいどういうこと!?ねぇ!!」


「お元気で。。」


「リン!?もしもし!?もしもし!!」


僕が必死で声を発した時、既にさっきと同じようにツーツーツー・・という残音だけが響いていた。


いったいどういうことなんだ。


この数日間に渡る僕と彼女の旅は、最初からリンが僕らにプレゼントしてくれたもので、出会いも必然だったなら、別れも必然だった・・。リンは僕の前に現われた「夢先案内人」で、今彼からの最後の電話が切れた時、夢は終わりを告げた・・。この数日間は夢だった・・ミャンマー人青年のリンも、共に旅をしたニンも・・僕は今・・。


「あほか!!」


僕は、くだらない想像を振り払うように心の中でそう叫んだ。もちろんこれは夢の話じゃなく現実にあったことで、リンもニンも実在する。僕が再びその地を訪れさえすれば当たり前のように、あっけなく会える。


どうやら僕はまだ、この数日間の出来事について心の整理ができていないようだった。時の止まってしまったようなバガンから、突如として喧騒溢れるヤンゴンに戻ってきて間もない僕は、すべての出来事が夢であったように感じられて仕方がなかったのだ。


「随分、長い電話でしたね」


そう言われたことにハッと驚くほど、自分は夢中になって電話をしていた。まるで夢の世界にしがみつく亡者のように。


少しの間、夢と現実の狭間を漂っているような感覚だった。


・・・・・・・・・・


ふと、肩をぽんっと叩かれて僕は我に返った。


「おい、飯でも食い行くか」


ロビーにいた日本人の1人が、ぼぉっとレセプションの前で立ちつくしていた僕にそう言った。


「え?あ、はい。行きますか(笑)」


時計を見ると昼の12時を過ぎていた。


そういえば朝食も食べずにいた僕は、今日はまだ何も食べていない。さすがにそろそろお腹もすいてきた頃だった。ちょうどいい。


ホテルのドアを開けて外へ出ると、もわっとした熱気が体を包みこんだ。


「ふぅぅぅっ・・」


じりじりと焼けつくような日差しは容赦なく僕に照りつける。


ヤンゴンは今日も暑かった。




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April 07, 2006

Never say SAYONARA

テーマ:(10)ミャンマー


轟音に近いエンジン音を響かせて走るバス。


堅いシートが45席ほど並んだ大型バスは満員に埋まっている。


僕は、ヤンゴン行きのバスの中にいた。


左斜め前に座っていたアメリカ人の若い男が僕に聞く。


「あの彼女は一緒に行かないのかい?どうしていかないんだい?」


僕は答えた。


「彼女は行かないよ・・。彼女はミャンマーの別の町に住む女の子だから・・」


「そうか。。君たち、よくバガンの町を自転車で一緒に走ってたね。何回か、見かけたよ。楽しそうだった。。」


「そう・・(苦笑)」


右斜め前に座っていたミャンマー人の男が僕に言う。


「僕はミャンマー人だけど、あまり見ない感じの女性だった。素敵な女性だね。。」


「そう・・(苦笑)」


まだ彼らは何か聞きたそうだったけれど、僕はそれを無意識に避けるようにして窓の外に視線をそらしていた。自分自身でさえ、冷静に振り返ることができないほど、ふわふわと宙を漂っているような感じだった。


・・・・・・・・・


少しずつ、頭の中でいろんなことが思い出された。


ほんの1時間前、先に出る僕のヤンゴン行きバスを待ちながら、僕らはまだ宿のロビーにあるベンチで一緒に座っていた。


「HELLOは日本語で何て言うの・・?」


「こんにちは・・」


「THANK YOUは・・?」


「ありがとう・・」


思えばこの数日間、彼女に日本語をまともに教えたことなんて1度もなかった。


最後の日になって、今更そんなことに気がつくなんて・・。


それでも残りわずかな時間を使って、いろいろな言葉を紙に書きながら教えてあげることにした。


いくつかの単語を書き終えてから、


「GOOD‐BYEはね、さよなら。。」


そう言ったところで彼女は、僕のボールペンをさっと取り上げてぐちゃぐちゃにその言葉を消し、強い口調でこう言った。


「No!! I don't need this word !! Never say SAYONARA!!」


私にこんな言葉、必要ない、さよならなんて絶対に言うな、と。


僕は最後まで気の利かない男だった。


機嫌を損ねてしまった彼女にあらためて「また会いましょう」という言葉を教え直すことにした。


ふてくされ気味に「なに・・」と聞いた彼女に「ピャンソウメ、ピャンソウメ。。」また会いましょうの意味だと答える。


わかったのか、わかっていないのか、つんとした表情で彼女はそっぽを向いた。


「意味はわかったけれど、納得ができない」彼女の顔からはそんなふうにも伺えた。それは僕自身が少なからずそう思っていたのと同じように。


僕らの「また会いましょう」には、実際に「また会う」までの期間、繋がりを保つ確実な術というものがなかった。


今の時代、世界中どこに居ても気軽に繋がりを保てるはずのインターネットの環境などというものは、彼女を取り巻く世界には皆無だった。仮に彼女が使いこなせるようになったとしても、ミャンマーという国が僕らの電子的繋がりを遮断するだろう。この国では政府の事情によって自由にメールを送受信することが不可能だった。観光地では一部、それをかいくぐって自由に使いこなせる環境を持つところもあるけれど、彼女の住む町にそれはない。そもそも彼女の家には電話一つだってない。さらに手紙という手段でさえ不確定要素を伴う。実際、僕がタイからミャンマーのゲストハウス宛に送った郵便物は届かずに紛失扱いになった。


残された唯一の方法は、ただ「信じる」ことだけだった。


去るのは僕で、来るのもまた僕で・・、それを考えると「また会いましょう」という言葉を気軽に言えない気もする。「また会いましょう」以外にないことがお互いわかっていながら、受け入れがたいもどかしさがそこにはある。だから、別れは辛い。


今回に限ったことじゃない。中国でもベトナムでもラオスでもタイでもそうだった。仲良くなった人たちに「いつ帰ってくるの?」って言われる時が「嬉しい」けれど、ほんとは一番辛かったりする。離れてもお互いが連絡を取れる環境にいるならば、それで少しは寂しさも紛れるけれど、そうじゃない方が僕には多かった。仲良くなればなるほど「すぐ帰ってくるよ」なんて簡単に言えない。かといって「帰ってこない」とも「20年後」とも言えない。「わからない」と言えば、「きっと帰ってこないんだね・・」そう言われる。戻りたい気持ちはもちろんあるけれど、そういう場所が増えれば増えるほど、今度は現実的に全ての場所に再び訪れることは難しくなる。


僕は結局、時々嘘をついたりする。


笑ってお別れできたら、そんなに楽なことはない。でも、今度いつ会うことができるのかわからない現地の人々との別れは、やっぱり切ない。


ついにヤンゴン行きのバスが宿の前に到着した時、心臓の鼓動がにわかに早くなるのを感じた。


それからすべての乗客の荷物を積みこみ終えるまでの数分間の出来事を僕はあまり鮮明に覚えていない。


乗客たちのザワザワとした騒がしさと、かけっぱなしのバスのエンジン音が響いているはずの中、僕には自分の鼓動の音だけが何よりも強く、大きく響き渡っていたのは覚えている。


そして、最後の言葉、涙を必死でこらえて、それでも笑顔でお別れをしようと頑張って笑った彼女の顔だけは、今もはっきりと脳裏に焼きついていて、僕の胸をぎゅっと締めつける。


彼女は、覚えたばかりの日本語で言った。


「マタ・・アイマショウ」と。


ちゃんと覚えてるよ、とでも言いたげな顔をして。


それが最後だった。


前方から乗ったバスのドアが無情なほど無機質な機械音をたてて閉められ、ゆっくりと動き出した時、僕と彼女の数日間に渡る奇妙な旅が終わりを告げた。


・・・・・・・・・


ほんの20分前の出来事だった。


窓の外は、乾いた大地をすべて覆うが如く土埃がもくもくと巻き上がっている。


心うつろな僕を乗せたバスは、ヤンゴンの街へ向けてただひたすら走り続けていた。



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