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手のひらの中のアジア
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April 21, 2005

お詫びとお知らせ

テーマ:(3)中国
このたび、『手のひらの中のアジア』書籍化に伴い、本の内容と重複するブログの関連記事を、誠に勝手ながら削除させていただきました。これまで気軽に読んでいただいていた読者の皆様や、これから読もうとしていただいていた皆様には大変申し訳ございませんが、この本を一人でも多くの方々に読んでいただきたいとの思いもあって、そのようにさせていただきました。皆様のご理解をいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
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March 03, 2005

中国・自転車旅行~欽州から東興(ドンシン)へ~

テーマ:(3)中国

欽州の街は予想以上に栄えていた。


広西省のこんな南の地ではそうたいしたものはないだろうと嵩をくくっていたのだが、僕にとっての最低限の必要物があるばかりでなく、それほど全体は近代的でもないのだが、大きなショッピングストリート沿いには都会の街に見られるあらゆるショップも立ち並び、ここでもこの街に住むだけで必要なものはすべて揃うといっていいほど、数多の店がひしめきあっていた。


ビザの期限残り2日と迫っていることもあり長居はできなかったが、バスの出発を午後便に定めた僕は、限られた時間の中で可能な限りの散策をし、それなりに満足していた。


午後15時45分発、僕はこのバスで一路、国境の街「東興」を目指した。


と、ここで一瞬ひやりの出来事。


バスは前回の欽州までのものとは違い、小さなマイクロバスだった。


自転車と荷物がトランクに入らないのだ。


バスは満員、のそのそと出てきた運転手が僕に言う。


「こんな荷物、載せられない」


ここまできてお荷物状態になっている自転車がさらにネックになるとは。ここまできて移動ができなくなるなんて勘弁してほしい。


仕方なく他の乗客の了解を得て、さらに運転手に荷物追加料として要求された10元を不本意ながらに渡し、車内の通路を半分以上塞ぐ形で無理やりバスに乗せてもらい、なんとか欽州のバスターミナルを出発することができた。


バスが揺れるたびに通路側の人たちの座席にガコンガコン自転車があたる音がする。少し離れた前の席まで聞こえるその音を聞こえぬふりをして、振り返ることもせず、僕は目をつむった。非常に肩身の狭い2時間ではあったが、やむを得ない。いろいろこちらも文句を言いたいこともあったが、今は先へ進むことが先決だ。黙って従った。


午後6時、バスは東興のバスターミナルに到着した。


降りる際、他の乗客にどやされるかもしれない、とちょっと小心気味に覚悟もしていたのだが、皆、さっさと降りて各自の行き先へと散っていってしまった。


―ふぅっ・・・・・・


一息ついた後、僕もタクシーに自転車と荷物を乗せ、そこから程ない大通り沿いにある宿へと案内してもらった。

何はともあれ、ヴェトナムの手前、中国最後の街。


荷物を置いて夕食がてら、散策を兼ねて、少し薄暗くなりかけていた東興の街へとくりだした。


※東興からヴェトナム入国、それ以降のお話は単行本『手のひらの中のアジア』に収録しています。

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March 02, 2005

中国・自転車旅行~広西省壮族自治区・欽州へ~

テーマ:(3)中国

中国広西省壮族自治区と聞くと、「なんだそこは」と思ってしまう。


いったいどのようなところだったか。


璃江下りで有名な「桂林」がある地域だ。桂林という地名だけがひとり歩きしているような感があるが、この桂林もグアンシィに属するのだ。


やはり中国は広い。


桂林を訪れたことはあるが、今回たどり着いたこの南部地方は、またこれまでとは雰囲気が多少なり違うように思えた。ここが、というより、広州を出発してからも鶴山、開平、陽江、陽西、ディエンバイ、湛江とたどってきたが、村や街、景色はさして変わらないのだが、何より観光地化されていないこれらの地域は、西へ進むにつれ、人がより素朴になってきているような感じを受ける。


確かに、観光地化されるほどの見どころという見どころがあるわけではないので、わざわざ5~7日間の旅行やパッケージツアーが組まれるほどのスポットではないかもしれない。短期の旅行で満足が得られる場所でもないのかもしれないが、今回の旅のように少しでも「生きた世界」、「生」の生活を見たい僕のような者にとっては、この「素朴」というキーワードも重要な項目の一つであり、その移り変わりを感じ取れることは一つの楽しみでもあった。


欽州へ降りたった僕は、バスターミナルで次の行動を決めるため、係員に相談した。この欽州から国境の街「東興(ドンシン)」 へ行くバスについて、今晩泊まる宿について、など。


いつもは何人もの人々に訊ねまわってようやくのこと情報が揃うのだが、今回は予想外に一発ですべての望む回答が揃った。


東興行きのバスは今降りたこのバスターミナルから出る。所要2時間、18元。午前10時45分発と午後3時45分発がある。宿はこのバスターミナルのすぐ隣に60元の酒店がある。その隣にインターネットカフェもある。食事場所はいたるところ、どこにでもある。少し歩いたところに書店もある。


文句なしだ。


宿は安いところはたくさんあったが、今の自転車が足になるどころかお荷物状態の僕にとっては、一点にこれだけ必要なものが揃っている条件はこの上なく最高と言ってよい。


早速、ターミナルに隣にある宿へチェックインした僕は、休む間もなく、荷物を置いて欽州の街を散策し始めた。

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March 02, 2005

中国・自転車旅行~広西省壮族自治区(グアンシィ)へ~

テーマ:(3)中国

午前6時に起きた僕は、荷物をまとめ、いつでも湛江(ザンジャン)の宿を出発できる状態を整え、正午のチェックアウトまでの時間を使って日本の実家とその近くにあるサイクルショップに電話をした。


自転車の部品を取り寄せて日本から送ってもらい、この先訪れる場所でそれを受け取る段取りを進めることにしたのだ。大きな都市での受け取りを考えると、ヴェトナムのハノイが候補の最有力だった。いずれにせよ、思いつく方法はそれしかなかった。それまでは、バスやタクシーなどを乗り継いでの移動に切り替えよう、と。


自転車にいつでも乗ることはできる状況で意図的に乗り物を利用するのと、それしか手段がないため乗り物に乗らざるを得ないのとでは、気持ちの上で大きな隔たりがあった。単純に言えば、前者は僕にとって「旅」だが、後者はただの「移動」でしかない、といったような。そんなこと実際にはどうでも良いことなのかもしれないが、とにかくそんなわけで正直僕の気は重かった。


それでも仕方がない。ここに留まる選択肢もない。


手はずを整えた僕は、午後2時発「欽州(キンジョウ)」行きのバスで一路、広西省壮族自治区(グアンシィ)に入ることにした。


湛江から欽州までは距離にして250キロ、所要約3時間で70元。


バスには運転手と女性スタッフが各一名。バスが動き出してすぐにミネラルウォーターが配られ、車内のテレビでは映画が放映されていた(ちなみにジャッキーチェンの「WHO ARE YOU?」)。バスの大きさは中型程度だが、トランクに自転車、バッグともに入れられたし、車内の座席もソフトで乗り心地よく、途中一回のトイレ休憩を挟んで、高速道路を走り続けるその移動は終始快適だった。


―久しぶりに乗るバスも悪くないかもしれないな・・・・・・。


そんなことを思いながら、午後5時過ぎ、ほぼ予定通りの時間に、僕を乗せたバスは広西省壮族自治区(グアンシィ)、欽州(キンジョウ)に到着した。

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March 01, 2005

中国・自転車旅行~傷だらけの自転車~

テーマ:(3)中国

ディエンバイからザンジャンの街へ到着したのは夜10時近くだった。


地図上の推定距離は89キロ。しかし、街に入ってから中心地まで想定外の10キロ、この旅2度目のパンク、さらに一日振り続く雨も重なり、大幅に予定時間を超えての到着となってしまった。


度重なる悪条件に、おそらくこの旅に出てから一番の疲労状態だった。何とか宿を見つけ、とにかく荷物もほったらかしのまま、僕はばったりベッドに沈み込んだ。


翌日。


さすがに疲労はすぐにはとれず、足も肩もパンパンに張っていた。先に行きたい気持ちもあったが、ここは安静をとって一日この街にとどまることにした。


午前中ゆっくり過ごした後、自転車の手入れをすることにした。雨の中を走り続けた自転車は泥だらけで、僕と同じように少しばかり疲れ気味のようだった。全体の汚れをシャワーで洗い流し、タイヤを外して乾かした。

昼食を採り部屋に戻ってから、まだ水滴の残った自転車をタオルで拭き、タイヤをはめようとした時、 重大なことに気がついた。


よく見ると後ろタイヤのスポ-ク(ホイ-ルの骨の部分)が4本折れている。重い荷物を載せた自転車は、僕以上に疲れが蓄積されていたのかもしれない。疲労骨折だ。


さらに前のタイヤならまだしも、後ろのタイヤはこの自転車の仕組み上、専用工具がなければ直すことができない。僕はそのことを今故障して始めて知ったのだから、手の施しようがない。日本から工具を取り寄せる手もあるが時間がかかりすぎてしまう。


頼みの綱は周辺の自転車修理屋しかない。


午後の予定をすべて白紙に戻し、僕はパンク修理でその真髄を見せてくれた修理屋をこの街でも探すことにした。


トラブル続きの状況にいらいらしながらも、必死で街を走り回り、ようやく一軒の店を見つけた。


そこは、爺さんが一人で切り盛りしている小さな自転車修理屋だった。祈る気持ちと苛立ちからくる焦りをそのまま吐き出すかのように、僕は爺さんに必死で頼みこんだ。


爺さんは僕のめちゃくちゃな中国語に耳を傾けた後、ゆっくりと自分の工具箱から道具を取りだした。後輪を車体から外し、さらに折れたスポ-クをホイールから一本一本外していく。折れたすべてのスポークを取り外してから、今度は新しい物をはめ込んでいく。


―すごい!!何とかなるぞ!!


修理屋魂はここにも顕在した。と思ったのだが、しかし―。


うまくできたのは一部分までだった。ギアのついた部分に手がかかったところで爺さんの動きは止まった。


「これを外す道具はないのか.」


仕草を交えてそう訊かれた時点でアウトだった。


「没有(メイヨウ)」


それがないんだ、と僕が答えると、爺さんは首を振ってため息をついた。


鶴山での盗難事件以来、またしてもここで旅が中断される。


愕然とうなだれる僕を見て、爺さんは再び手を動かし始めた。目が今まで以上に真剣になっているのは、僕の心情を悟ったからだろうか。あきらめずに何度も何度も、いろいろな方法で解決の糸口を探しているようだった。


―もういいんだよ、爺さん・・・・・。


僕は爺さんにねぎらいの言葉をかけたかったが、その一言が出てこなかった。


結果を言えば、自転車は直らなかった。さらに、無理やり修理をしようとしたことによって、タイヤそのものが修復不可能になってしまったのだ。


それでも僕は爺さんをうらむ気などない。爺さんは、りっぱな修理屋だった。僕はここでも修理屋魂を確かに見た。


しかし、駄目なものは駄目だった、限界だったのだ。


爺さんは修復不可能になっていることには気づいていないようだった。僕はそのまま何も言わなかった。そんなことを言ったところで自転車が直るわけではないし、爺さんは躍起になって再び修理を続けようとするだろう。


お金を支払おうとすると、爺さんは「直すことができなかったものに金をもらうわけにはいかない」と首を振って断った。僕らはお互い顔を見合わせて苦笑い。それから僕は自転車を押し、泊まっていた招待所(宿泊所)にしょぼしょぼと戻った。


部屋に入り、僕はそのままベッドに横になった。しばらくの間、薄汚れた天井をぼんやりと眺めていた。


僕の旅は再び行き詰まってしまった。


―これからどうしようか・・・・・・。


なんとなしに目を向けた部屋の片隅で、傷ついた自転車が壁にもたれるようにして沈黙していた。

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