手のひらの中のアジア -98ページ目

⑤<真夜中の老人(後)>



 深夜三時過ぎ。


 ひどく激しい苦しそうな吐き気の音と低く重い呻き声が聞こえて、目が覚めた。それは、例の老人がいるであろう場所だった。心配で駆け寄ろうかと思い体を起こした時、遠くの医務室で呼び出しブザーが鳴っているのが聞こえた。


 この部屋だろうか、そう思った瞬間、医師と看護師がばたばたと駆け込むようにして部屋に入ってきた。医師の「大丈夫ですか」という問いにももはや返事はなく、「ううぅ・・・・・・ううぅ・・・・・・」という呻き声だけが聞こえてくる。


 自分の鼓動が急速に速くなっているのを感じた。少し前まで喫煙所で熱く語っていたあの笑顔の老人の印象は窺えない。まるで別人だ。その後、医師と看護師らによって、老人はベッドごとどこか別室へ移動されたようだった。


 部屋のドアが閉まると、また夜の静寂が戻ってきた。静まり返った病室には僕の鼓動だけが響いている。


 一夜が明け、明るくなってからゆっくりカーテンを開けてみると、老人がいたはずの場所はただがらんとしていた。その後、二度とあの老人が帰ってくることはなかった。あとで同じ部屋の人の話を聞くと、あの日の翌日、老人は亡くなられたとのことだった。


 あの老人は僕と話していた時、なぜあんなに諭すような話し方をしていたのか。昔を振り返りながら若い頃のことを楽しそうに話していた姿、幸せそうに煙草を吸う仕草、もしかしたら老人は自分の死期をすでに悟っていたのかもしれない。いろんなことを考え始めた。


 自分はいったい何をやっているんだろう、こんなところで。


「常に死を意識すると、生きることに一生懸命になれる」


 その言葉がずっと頭の中で鳴り響いていた。


「限られた時間の中で精一杯の人生を生きる。人生の時間は誰でも皆、限られている。遅かれ早かれ終わりが来る。自分にも、自分の大切な人たちにも。死生観の違い、意識の違い。死を意識することができると生に対して一生懸命になれる」


 そんなメッセージを、僕は自分に重ねて考えていた。


 もし死ぬことになっていたら、どうなっていたんだろう。


 少し前にそう考えた自分がいたことを僕は思い出していた。



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④<真夜中の老人(前)>



 少しずつ回復してきたのは四、五日経過した頃だった。食事も多少なりできるようになってきた。気分的にもだいぶ良くなった僕は、ある夜、ここしばらく口にしていなかった煙草を吹かしに一階ロビーの喫煙所へと向かった。


 夜も更けた二十三時頃だった。昼間、医師や看護婦、そして多くの患者、見舞い人など出入りの絶えない一階ロビーはこの時間、不気味なほど静まり返っている。自動販売機の電光と非常口ランプの灯りが静けさを助長している。それらの灯りに照らされてうっすらと見える廊下を、さらに少し奥に進んだ角に喫煙所はあった。


 自動ドアが開き中へ入ると、そこには一人の先客がいた。六十代と見受けられる初老の男性だ。


 狭い喫煙所の両端に二つ並べられた、ところどころ穴があいて黄色いスポンジが見え隠れする緑色の長椅子に、ちょっと背を丸めた姿勢で前かがみに座り、男はゆっくりと煙草を吹かしていた。


 窓の外は真っ暗闇で、ガラスに映る自分の姿を見ながら、その男は何か物思いにふけっているように見えた。よく見るともう少し歳が上の老人だろうか。煙草を吸っている感じが妙に幸せそうに見える。


 こんな時間に老人が煙草を吹かしに一人で喫煙所まで来るなんて、きっと看護師の忠告を無視して抜け出してきたに違いない。そんなことを思いながら、僕は反対側の長椅子に老人の斜め向かいになるような形で座り、ポケットから煙草を取り出した。火をつけて、深々と吸い、ゆっくりと吐く。久々の煙草は格別の味わい深さだ。


 相変わらず静寂に包まれた喫煙所の一室。瞬きするようにちらちらと光る青白い蛍光灯に向かって昇っていく煙を見上げながら、僕は少しの間その時間に浸っていた。


 煙草が半分くらいの長さになった時、向かいに座っていた老人が自分の吸い終わった煙草を灰皿にすり消しながら、話しかけてきた。


「兄ちゃんどしたい? 入院して」


「ええ、ちょっと体調を崩しまして・・・・・・急性腸炎じゃないかと言われたんですけどね。原因はわかってません。まあ、だいぶよくなったんで煙草でも、と」


「そかぁ、若いのに大変だなぁ。おらほも元気なのに看護師に煙草はだめだって言われててなぁ、でも自分の体は自分のもんだからなぁ。入院までさせられて煙草も取り上げられたんじゃ、何の楽しみもないしなぁ、はっはっは」


 老人は少ししゃがれた声であったが、ゆっくりとした独特の口調で話す人だった。最初に見た物思いにふけったような顔とは別に、笑顔の表情は意外にも健康で元気そうに見える。


「じゃあ兄ちゃん、仕事も休むようで大変だなぁ」


「ええ、旅行の仕事でこの時期一番忙しいんですよ」


「旅行かぁ、いいなあ。いろんなところに行けるんか」


「ええ、まぁ仕事ですから。そんな自由じゃないですけどね」


「昔はいろんなところに行ったなぁ、若い時になぁ。ヨーロッパもひととおりまわったし中国もあちこち行ったし、オーストラリアなんかもなぁ。今じゃ、こんなでとても行けないけどなぁ、はっはっは」


 そんなことを話しながら、老人はまた煙草を一本取り出して、火をつけた。


「すごいですねぇ、僕もほんとはもっと自由にいろいろ行ってみたいんですけどね」


「何でも若いうちにやりたいことはやっとくべきさ、歳とって融通きかなくなってからじゃだめさぁ。若いうちが大事だ、若いうち健康なうちだ。死んだら何もできないし、いつ死ぬかもわからん。生きとってもな、常に死を意識しながらな、若いうちにやれることやっといた方がいい。死を意識してるとな、生きることに一生懸命になれるんだよ」


 再び吸い始めた煙草を指に挟みながら、だんだんと話にも熱が入ってきた。不思議と、何かを諭すようなその話し方に僕はいつのまにか惹き込まれていた。


 しばらくあれこれ話をした後、僕は老人に礼を告げ、先に席を立ちその場をあとにした。深夜一時をまわっていた。何気ない時間だったが、満たされた思いで部屋に戻り、しばらく余韻に浸っていた。


 三十分くらい経った頃だろうか。部屋のドアが開く音がして、人が入ってきた。カーテンで仕切られていて見ることはできないが、その人物が咳をしたことで、さっきの老人だとすぐにわかった。僕がこの病室に来てからずっと同じ部屋にいたのだ。話をして知り合いができたおかげか、これまで監獄のように感じていた病室が、少し和やかな印象に変わっていた。


 老人は、僕のベッドを通り越して一番奥のベッドへ入ったようだった。


 朝、起きたら食事でもとりながらまた話でもしようかな。


 そんなことを思いながら僕は眠りについた。



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③<日常と非日常の間で>



 ざわざわとした物音と館内アナウンスの声で目を覚ました僕は、病院にいることにあらためて気づいた。


 夜中に数回トイレとベッドを往復したものの、処方してもらった薬と点滴のおかげか、いくらか楽になって眠ることができたようだった。医師からは当分食べ物を口にすることを禁じられ、食事の時間になっても僕が得られるのは点滴から体内に注入される液体だけ。


相変わらず腹痛が三十分に一度くらい襲ってきてそのたびに点滴をつけたままトイレに移動するのは非常に煩わしかったが、それ以外の症状はだんだんと落ち着いてきていた。最初の頃は十分に一度くらいだったことを考えると少しはよくなっているようだった。熱も三八度を越えない程度の状態が一、二日続いた。


 できることといえば「寝ること」か「考えること」くらいだった。寝ていても腹は減るものだが、何も口にできないというのは想像以上に辛い。飲み物は水に限って許されていたが、水分を口にするとすぐに下してしまうのだ。「食べる、飲む」ということができない、外を歩くこともできない、ただ寝たり起きたりを繰り返すだけという現実に自分が情けなく思えて仕方なかった。生きているのに死んでいるような自分・・・・・・。


 病院の外へ一歩出ればそこは時の流れる日常の世界。僕はまるで時間の止まってしまった非日常の世界にいた。


 もし仮に今回が本当に死と直面した状況だったら、どうしていただろう・・・・・・。


 そんなことを考えながら、この日もまた眠りについた。



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②<とても長い一日>



 病院の一室、僕はベッドに横になり、ただ天井を見つめていた。


 ある時期、僕は体調を崩して入院した。十一月も終わりにさしかかる頃だった。仕事はピークに入る直前で、毎日のように仕事に追われていた。


 本格的な冬が到来する前の季節の変わり目に鼻風邪程度を患うことはよくあったが、この時、風邪をこじらせてしまった。いつもなら少し早く寝て体を休めればたいてい一晩ですぐに回復するはずの体調は、今までとは様子が違う。疲れが溜まっていたのか、ストレスだったのか、はっきりとした原因はわからないが、とにかく苦しかった。 


 熱はいつまで経っても下がらず、三八、三九、三九・五度と悪化の一途を辿るばかり。がんがんと割れるような激しい頭痛に加えて、悶えるほどの腹痛、トイレと布団を這って往復する状態が数時間続いた。「くそぉ、くそぉ・・・・・・」そんな無念の言葉だけが口をついて出た。


 ちょうど三連休にあたる時で、僕はピークを目前にして連休も返上で仕事が入っていた。翌日から出張を控えていてその準備が終わっていない焦りもあり、熱が四〇度を越えた時点で、病院に行って注射を打ってもらうことにした。連休中、診察時間外に、急患依頼で何とか診察窓口までたどり着いた時にはすでに意識は朦朧とし、診察を待つ間もトイレと待合室の往復を繰り返した。


 診察前、最後に測った熱は四一度に達しようとしていた。視界は霞み、診察を待つ人々の姿がゆらゆらと揺れてまるで実体を持たない亡霊のように見える。目に映るあらゆる物体は所在なくふわふわと宙を漂い、僕は長椅子にもたれかかって、その蜃気楼のような待合室の光景をうつろに眺めていた。その一方で、この体調に耐えて明日からの出張やピークをこなす自分ってなかなか・・・・・・そんなくだらない優越感に浸る自分がいるのだった。


 だが、医師は即答した。


「今すぐ入院です」


 膨大な量の仕事といい、この先の予定といい、僕を取り巻くすべてのものの繋がりをたった一瞬でバサっと切り捨てられたようだった。


「入院・・・・・・ですか・・・・・・」


 僕はひきつった笑いでそう言った。しかし、それが現実だった。四一度以上の熱を帯びている状態の中、無理を言って二時間だけ外出の許可をもらい、どうしてもしなければならない仕事の処理をできる範囲で済ませるため、いったん外に出た。


 外の空気は妙に乾き、ひんやりと身に染みた。ふらふらとしながらも気力だけで何とか連絡や引継ぎを済ませ、それから病院へ戻った僕は、到着するとすぐに病室へ案内された。


 六人部屋の病室のうち五つのベッドはすでにカーテンで仕切られ使用中のようだった。僕は当然残り一つのベッドを使うことになる。横たわってからまもなく、担当の看護婦が点滴を打ちにやってきた。


 つんと伸ばした左腕に点滴を打たれると、身動きが限られるようになった。まるで鎖に繋がれた罪人のような気分だ。自分の抱えていた仕事も最後までできず、何もできないでただこのベッドに横たわっていることがとても罪のように思えた。病院はまるで監獄のようだった。


 しかしそうした考えも、しばらく治まっていた頭痛と腹痛の再来と共に再びトイレとベッドの往復を繰り返すようになると、あれこれ考える余裕もなくなり、体が多少なり落ち着くといつのまにか僕は眠りについていた。


 とても長い一日。二〇〇三年の出来事である。


 しかし偶然か必然か、おそらくこの一連の出来事が僕を旅へと導く不可思議なシンクロニシティの始まりだった。



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①<ソレナリストな日々>

 

 夢なんてものは小さい頃からいくつもあった。


 スポーツ選手やらパイロットやら誰もが夢見るようなものを。あとはどんなものがあっただろう。


 小学生の頃、学区を越えて隣り街まで行くだけでわくわくした。


 中学生の頃、自転車で県境を越えたその先は未知の領域で、僕にとってそれはちょっとした冒険だった。高校生になり、バイクを手に入れると、もうどこまでも行ける気がした。


 電車で旅をするようにもなった。ローカル線に揺られながら見る窓の風景は格別だった。大学時代には、自転車で日本中を走り回った。行く先々で出会った人たちとのふれあいが今でも心に残る。そうやって少しずつ少しずつ、僕の遊び場は広がっていった。


 世界は広い。まだまだ知らないこと、見たことのないものがたくさんあって。


 いつか世界中を旅してみたかった。世界中を遊び場にする。それが僕の大きな一つの夢だった。


 想像するだけでわくわくした。




 大学を卒業して、当たり前のように就職した。


 旅に出ようか迷ったが、この時の僕にはまだ夢は夢でしかなかった。資金もなく、周囲の反対もある中でそれを押し切る力もなかった。そして何よりも自分自身があり得ない話だと思っていた。世間一般でいう「普通」の生活を望んでもいた。


 長野での社会人生活はそれなりに楽しかった。いろいろあった。嬉しいことも、辛いことも。誰もが持つであろう少なからずの不満や嫌なことなんてものはいくらでもあったが、そんなことも含めてそれなりに満足した生活だった。


 でもあえて言うならば、それらはすべて「それなり」だったのだ。


 そう、僕はいわゆる立派な「ソレナリスト」だった。


 仕事においては特に出世欲が強いわけでもなく、程よいお金と程よい自分の時間、程よいやりがいがあればよかった。僕のようなタイプは会社組織においてはきっと大成することもないのだろうけれど。


 忙しい日々の中でそれなりの生活をし、それなりの楽しみを感じ、それなりのレールの上を歩いてきた。この先、結婚をして、子供ができて、仕事もある程度軌道に乗って、たまに旅行へ出かけたり、様々な趣味の幅を広げたり、たまに会う旧友たちと昔話に花を咲かせ、語らい、酒を酌み交わす。悪くない、むしろ幸せだ。


 そんな人生を僕自身、望んでいた。



 

 ふと立ち止まったのはいつだろう。


 二十五歳を越えた頃から、一年一年がとても早く感じられるようになった。気がつくと三十歳という節目がちらほらと視野に入るような歳になってきた。


 仕事柄、海外へ行く機会がよくあり、仕事が慣れるにつれてその度合いも増えた。他の仕事と違ってこの「海外へ行くことができる」という点は、僕にとってこの上なく良い条件の一つでもあった。そして仕事を通して人に喜ばれ、誰かの役に立つ。さらにはそれで自身の生計を立てることができる。これ以上の至福はない。


 しかし、僕は知ってしまったのだ。


 海を越えて訪れた国々には、まだまだ知らない世界が広がっていて、そこは刺激に満ち溢れていた。よく仕事の時間外を使って訪れた街を一人で歩いた。思い出すだけで今でもわくわくするのだ。


 アジア独特のあの熱気と街の喧騒に心の底から興奮した。


「すべてが生きている」


 そんな感じだった。


 東南アジアの湿った熱風と混沌に満ちた世界に魅了された。ヨーロッパの優美、華麗な街並みに心踊り、カナダの大自然に圧倒され、中国の歴史に彩られた悠久の世界に酔いしれた。それほど多くの国を訪れたわけではない。世界の広さから見たらほんの一部でしかない。でもほんの少し世界の一部を垣間見た、それだけで心が踊ったのだ。


 ―新しい世界を知ってしまった。


 まさにそんな感じだった。知らなければ、きっといわゆる「普通」の生活をし続けていたのかもしれない。


 僕は今までにない興奮と同時にどこか懐かしい感情を抱いていた。それはかつて「世界中を遊び場にする」と想像してわくわくした気持ちによく似ていた。


 あの頃の夢は、いったいどこへいってしまったんだろう。



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