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手のひらの中のアジア
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August 31, 2008

★グルジア紛争④ ~脱出~

テーマ:◆旅の断片 グルジア

グルジア紛争の戦火 ゴリ周辺


山が、大地が、燃えていた。


「ГОРИ(ゴリ)」というキリル文字の道路標識を目にした時、にわかにバスの車内がざわついた。


周辺の大地、車内から左右どちらを見ても、そこかしこで噴煙が上がっている。おそらくロシア軍の爆撃によるものだ。いつのことかはわからない。バスから見える範囲には、ロシア軍もグルジア軍の姿も見当たらない。すでに撤退したのだろうか。


灰色の煙が風に流されながら徐々に上空へと昇っていく。それはこの日の曇り空と同調し、上空にどんどん溜まってまだ広がり続けているように見える。悲しい色の空だった。


燃えさかる炎は、まだ当分消えそうにない。


グルジア紛争の戦火 ゴリ周辺


雨が降ればいいのに、と思った。


でも雨は降りそうになかった。


人間たちが繰り返す愚行に、もはや流す涙すらない。


それほどに空も大地も乾ききっているように見える。


夏の花畑は色彩を失い、山々の一部は冬の枯山のように物寂しい姿に成り果てていた。


グルジア紛争 燃える大地


町の周辺、幹線道路上の片側車線には、戦闘に使われた何台もの高射砲がある程度の間隔をおいてずらりと並び、まだそのままに放置されている。2トントラックほどある2台の軍用車両がお互い正面衝突したままの状態で固まっている。どちらもぐしゃぐしゃに潰れた運転席の様子からは、もし兵士が乗ったまま衝突したのだとしたら確実に両者ともに即死したであろうことが容易に窺える。ここでも周囲にはロシア軍の姿もグルジア軍の姿も見当たらない。戦火の爪痕だけを残してすでに両軍共に去った後の光景のようだった。


グルジア紛争 道路上に放置されたままの武器 グルジア紛争 道路上に放置されたままの武器

ゴリの周囲一帯はロシア軍によって占拠されたとの一部情報もあったが、幹線道路上には巡回する数台のグルジア警察車両が見られるだけだった。ほとんどもぬけの殻となっている町には、それでも時々とぼとぼ歩く人の姿が見受けられた。パンを売るため路上に立ち、車やバスが通りかかるのを待っている初老の男性たちを見かけた。しかし彼らが持っているのは、1枚50円程度の円盤型のパン、たったの数枚だけだった。なぜここにいるのか。それが彼らの日常的な仕事なのか、この状況下で生きるためにそうせざるを得ないのか、確かなことはわからない。僕らのバスが彼らの前を通りかかった時、何事か口にしながら1人の男性がこちらに向かって手を挙げた。誰かパンを買ってくれないか・・・・・・そう言っているようにも思えたが、バスは無情にも止まることなくその場を走り去った。


グルジア紛争 ゴリ周辺の光景(路上でパンを売る男性たち) グルジア紛争 ゴリ周辺の光景(人の姿あり)

僕は奇妙な感覚にとらわれていた。


目の前に広がる現実の有り様をこんなにも近くで見て肌で感じていながら、同時に、バス車内のたった1枚の窓ガラスを隔てて見る周囲の光景は、テレビ画面を隔てて見る遠い世界の出来事と同じようにも思えてしまったのだ。


こうしてバスに乗っていると、走行中はエンジン音とエアコンの稼動音、乗客の声、座席の軋む音といった車内で聞こえる音以外、外からの音は耳に届かない。異様な町の光景も、歩く人々も、燃えさかる山も大地も、すべては無声映画の1シーンを見ているようだといえば、そんな気がしなくもなかった。


南オセチアの首都ツヒンバリまで26キロの標識


バスはゴリ周辺を抜けると、順調に幹線道路を西へ西へ向かって走り続けた。


途中、車窓から見える川辺では子供たちが真っ裸で川遊びを楽しむ光景が見られた。以前訪れたことのある町に休憩で立ち寄った時には、まるで何事もないかのように前と変わらぬ人々の姿があった。黒海沿岸沿いの町バトゥミにいたっては、ビーチは大勢の海水浴客で賑わっていた。北へ70キロ程の場所にある黒海沿岸の港湾都市ポティがロシア軍の進攻を受けたというニュースが流れたのはつい前日のことだったが、まったくその影響を感じさせない光景が目の前に広がっていた。これが同じグルジアだとはにわかには信じ難かった。


さらに午後5時過ぎ、無事にグルジアを出国してトルコへ入国を果たすと、もうそこはまったくの別世界だった。


やはり異様な状況下にいたからだろうか。トルコという国が眩しいくらいに明るく輝いて見える。人々の笑顔といい、陽気さといい、すべてが段違いにあか抜けている。そのギャップは前回グルジアからトルコへ抜けた時と比べても大違いだった。でもそのことは僕にどことなく違和感を抱かせる。


トルコ入国後2、3日の間、食事のために訪れた数軒のロカンタのテレビは、どれも北京オリンピックにチャンネルを合わせていた。自分から調べでもしない限り、グルジア情勢に関する情報は入ってこないといってよかった。グルジア紛争のことで頭がいっぱいだったこの数日間から、急に北京オリンピックに頭を切り替えるには無理がありすぎる。それに僕がグルジアを脱出したからといって紛争が終わりを告げたわけでもなく、それは未だ続いているのだ。


グルジア紛争 火の手があがる村


「1つの世界、1つの夢」


陳腐なその言葉が妙に滑稽に響く。


世界は1つなんかじゃない。


同じ空の下にありながら、これからも世界は1つになることなんてない。

そんなこと、ずっと前からわかっていたことだけど。


グルジアを抜けてきた今、願いとは裏腹に、僕は殊更そう思う。


だけど・・・・・・なのか。
だから・・・・・・なのか。


その先の言葉を僕は見つけられずにいる。


言葉にならないその先を埋める言葉の所在を、僕は自分の旅そのものの中に見い出せるだろうか。


トルコに入ってからの数日間、ずっとそんなことについて考えていた。 


グルジア紛争 ゴリ周辺の光景

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August 31, 2008

★グルジア紛争③ ~葛藤~

テーマ:◆旅の断片 グルジア
グルジアでの毎日の朝食

いつもと変わらない目覚めだった。

宿のすぐ近くにある野菜市場へ向かう人、買い物を済ませて帰る人。通りを行き交う人々の声がいつもと同じように聞こえてくる。僕は頭の後ろで両腕を組みながら、その心地よい程度のざわめきを耳にしながら、しばらくの間ベッドの上でぼんやりとしていた。


「何も変わってないね」


「そうですね」


宿に泊まっている他の2人の話し声がすぐそばで聞こえた。


緊急の避難車がアルメニアに向けてトビリシの街を出発してから一夜が明けた。あれからロシア軍が夜のうちにトビリシの街を包囲した様子はない。かといってロシア軍とグルジア軍の武力衝突が終わりを告げたわけでもない。実際の状況は刻一刻と変化しているのだろうが、少なくとも僕らを取り巻くこの一帯の状況についていえば、確かに何も変わっていない。


朝8時。


僕らがそれぞれグルジア出国に向けて動き出そうとしていたところへ、電話が鳴った。


大使館からだった。


本日12日、外務省から正式に「退避勧告」が出ました。それに伴い、これからアゼルバイジャン行きの車を出すので乗車の上、すみやかにグルジアから退去してください、というような内容だった。


今さら退避勧告が出るそのタイミングといい、アゼルバイジャン行きの車が出ることになった経緯といい、どことなく歯痒い気持ちになりながら僕は話を聞いていた。いつその車は迎えにくるのかと1人が訊ねると、午後もしくは夕方になるかもしれないとの返事だった。


僕は腕組みしながら思わず唸ってしまった。


あれほど一刻を争っていた昨夜と比べてどこか悠長に聞こえるのは気のせいだろうか。それに夕方出発してアゼルバイジャンに行くくらいなら、もし僕が午前中のトルコ行きのバスに乗れば、場合によっては夕方には国境まで辿りつけてしまう。


昨夜もそうだったが、よけいな迷惑をかけないために素直に大使館の指示に従うべきだ、と思う自分がいる一方で、どうしてもそれに納得のいかない自分がいる。


ぎりぎりまで迷ったあげく、僕はやはり自己責任にて行動しようと決めた。僕はトルコを目指す。アゼルバイジャンには行かない。この日、実際にトルコ行きのバスが運行しているのを再確認した時点で、僕の決心は揺ぎないものになった。


大使館とのやりとりを残った旅行者2人に半ば任せるような形で、午前11時、僕は自転車と荷物をバスに全部積み込み、トルコを目指して出発した。


グルジア トビリシ ナリカラ城塞跡
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August 29, 2008

★グルジア紛争② ~錯綜~

テーマ:◆旅の断片 グルジア
グルジア トビリシの街

情報は錯綜していた。


「ロシア軍がトビリシから約60キロ地点にある都市ゴリに進軍し、銃撃戦の結果、制圧」、「ゴリとトビリシを結ぶ幹線道路付近でロシア軍とグルジア軍が交戦、道路は封鎖されている」、「黒海沿岸沿いの町ポティやアブハジア難民が多く住むズグディディなども含め、グルジアの領土のほとんどはロシア軍によって占拠されている」、「ロシアはグルジア全土を征服する気だ」、いや「ゴリに部隊はいない」、「トビリシ進軍の計画は過去も現在もない」、「グルジア政府はパニックに陥っている」


いったいどの情報が真実で、あるいはどの範囲までが正しく、現状をより正確に伝えているのか。情報戦争の渦中にあって、もはやテレビやインターネット上のニュースだけで状況を判断するのは困難だった。


11日、アゼルバイジャンの首都バクーにある日本大使館(グルジアも管轄している)から宿へ電話がかかってきた。事態の発生した8日以降、大使館からはたびたび宿へ電話があり、その都度現在の日本人旅行者の状況と安否の確認が行なわれていた。この時点で宿に残っていたのは僕も含めて3人、うち1人がその電話をとった。


ロシア軍が首都トビリシに進攻しているとの情報を受けて僕らに退避を要請する旨の連絡、これからアルメニア行きの車を用意して向かわせるのでいつでも出発できる準備をしておいてください、とのことだった。


奇妙だな・・・・・・と僕は思った。


なぜならそれほど危険と言われる状況にもかかわらず、運転を見合わせていたはずのトルコ行きのバス会社が同じ11日、このタイミングで運行を再開していたからだ。アゼルバイジャンやアルメニア行きのマルシュルートカ(乗り合いバン)やタクシーはこれまで戦場となっている地域からは遠ざかるルートをとるため、運行にさほど支障はない。しかしトルコ行きの大型バスはというと、トビリシの東西を結ぶ主要幹線道路を走るため、今回の事態の影響をもろに受けることになる。「死への直行バス」や「戦争観戦ツアー」じゃあるまいし、まさかロシア軍がグルジア各地に進攻し始めたのを受けてあえて運行を再開するなんて馬鹿な話があるだろうか。バスが運行を再開したということは、ルート上におけるそれなりの安全状況が確認できたからではないのだろうか。


やはり情報は錯綜している。


それにしても、アルメニア行きの車と聞いて僕らは困惑した。僕らは3人ともアルメニアからグルジアへとやってきた。その後、僕はトルコを目指し、他の2人はアゼルバイジャンを目指していた。


アルメニアへ戻るような形で避難したとしても、現実的な話、途方に暮れてしまうのは目に見えている。わざわざ再び高いビザ代を支払って入国してもその先、アルメニアからはトルコ、アゼルバイジャンともに国境は通じていない。コーカサス事情は非常に複雑だ。新たなビザを取得してイランへ抜けるか、または飛行機を利用してどこかへ飛ぶという手はあるけれど、何より着の身着のまま脱出してきた状態では何もしようがない。


3人のうち1人は、アゼルバイジャンから帰るエアチケットを持っている。それが急遽アルメニアからの帰国に変更せざるを得ないとなれば、片道分のチケット破棄と新たに購入するチケット、その他諸費用を考えても軽く1,000ドル以上の損失になるだろう。少し前まで同じ宿に泊まっていたポーランド人旅行者2名の場合、大使館側が用意した車でアルメニアへ避難するという点では同じだが、その際、本来必要なビザ代は特別措置により無料、さらにアルメニア入国後、帰路便の確保までを大使館側が請け負ってくれるのだという話を聞いた。日本大使館の場合、そうはいかない。避難後、大使館に何かしら相談したいと思っても、アルメニアという時点ですでに管轄外、さらにややこしいことにアルメニアを管轄しているのは今度はモスクワの日本大使館になる。幸い、今回アゼルバイジャンを目指している2人は僕なんかよりずっと旅のベテランで、失礼ながら放っておいても心配いらないといえばいらないような人たちだったからいいけれど、これが初めての海外旅行者だったり旅慣れない旅行者だった場合を考えると、もっと面倒なことになっていたかもしれない。


グルジア トビリシの旧市街


そんなことをあれこれ考えているうちに、夜11時過ぎ、迎えの車がやってきた。


運転手として派遣された大柄なグルジア人の男が息急き切って部屋に入ってきて、すぐに車に乗り込むようにと促す。


「ここは危険だ。ロシア軍がトビリシに向かっている。車はもう外に用意してある。あとは、あんたたち次第だ」


乗るのか乗らないのか。今すぐに決断しなければならない。


再び受け取った大使館からの電話で、僕らは最終的な返事をする。しかし、アゼルバイジャン行きを望んで以前からその旨を伝えていた2人と、それはできないと言ってアルメニアへの避難を促す大使館との間には次第に険悪なムードが漂い始めていた。僕が持ち出した現地交通機関の情報と大使館に入っている情報との差異が話をややこしくさせ、会話にさらなる亀裂を生む。


とはいえ話を聞いていると、たくさんの疑問符が頭の中に点灯する。


大使館側は避難車をアゼルバイジャンへ向かわせることができない理由を述べるのだが、「アルメニアより遠いから」(いや、むしろ近いのでは?)、「(事前取得していない僕のような旅行者がいた場合)ビザを国境で取れるかわからないから」(わからない・・・?)、といったどこかあいまいなものばかり。そうなると、こちらが疑念を抱くのも無理はない。


そもそもグルジアを管轄している大使館はアゼルバイジャンにある。アゼルバイジャンにある大使館なのだから当然アゼルバイジャンについても精通している。これまで何度も電話でやりとりをして話が通じている利点もある。そう考えると管轄外のアルメニアへ避難させるよりアゼルバイジャンへ連れてくるような形をとる方が合理的だし、もし旅慣れない旅行者の場合を想定すれば、配慮という点でもベターじゃないだろうか。それでもあえてアルメニアへ避難してもらわなければならない理由があるならば、他国の大使館がそうであったように、その後のフォローについてももう少し考えた方がいいのでは、と思ってしまう。


まず安全な場所に避難させることが最優先というのはわかるけれど、避難後、あとは各自で何とかしてください、もし何か相談がある場合にはアルメニアを管轄するモスクワの日本大使館の方へお願いします、というのでは当事者は困り果ててしまう。こうなると現時点での大使館側の言い分は、危険だし何かあった場合に責任を問われるのは我々なので一刻も早く管轄外へ出ていってください、という本心が見え隠れしているように受け取れなくもない。その気持ちもわからなくはないけれど。


結局、話は平行線を辿るばかりだった。


現場と大使館との間には縮めようのない距離、明らかな温度差が存在していた。そもそも管轄する大使館が別の国にある時点でそれは仕方がないのかもしれない。


―事件はアゼルバイジャンで起きてるんじゃない・・・・・・グルジアで起きてるんだ!!


受話器越しにそう叫んでみたくもなったけれど、そんな場合ではなかった。


乗るのか乗らないのか。決断の時は迫っている。強制ではない。ただし断れば、それ以降は自己責任での行動になるということだ。


「いいんですね?あとは自己責任ということになりますが」


大使館側から強い口調で念が押される。


受話器は3人に順に回され、各自どうするのかを大使館側に伝える。これ以上あれこれとあげつらっても仕方がない。


僕らは差し伸べられた救いの手をはねのけて、それぞれ自己責任において行動することに決めた。


結論だけを言えば、だいたいそういうことになる。


グルジア トビリシの街

電話が切れ、宿の下に待機していた車が深夜のアルメニア国境越えを目指して出発してしまうと、部屋の中は妙にしんとした静けさに包まれた。


少し置き去りにされたような気分にもなったけれど、自己責任のもとに自分で決断したこと、もはや誰に頼ることもできない。


気を取り直し、僕らは最後の夜をグルジアワインと少量のコニャックで乾杯した。


1人が杯を掲げ、僕ともう1人もそれに合わせて杯を重ねる。


「生きるために」


そんな言葉で音頭を取ることは、もうこの先2度とないんじゃないだろうか。


静かな夜だった。


仮に僕らが本当に危険な状況下に置かれているとするならば、それはトビリシの街に住む人々にとっても同じく危険であるはずだ。泊まっている宿(通称ネリ・ダリの家)の主、ネリばあさんとヴァシャおじさんだって同じこと(ダリと息子たちはこの時留守だった)。僕はこの家にももうだいぶお世話になっている。


旅行者にはいくらでも逃げ道がある。アゼルバイジャンだろうとアルメニアだろうとどこにでも行けばいい。でもグルジア人のこの人たちは違う。この人たちの居場所はここしかない。グルジアしかない。他に逃げる場所なんてないのだ。お世話になった人たちを見捨てるように自分だけさっさと車に乗って避難する。そんなこと、あのタイミングで僕にできただろうか。


乗るのか乗らないのか決断を求められていたあの時、大使館の要請を断ろうとしている自分にどこか引け目を感じる部分もあったけれど、やはりあの場だけは乗車を拒否してよかった、と今あらためて僕は思う。ここに残ったからといって何かの役に立つわけでもないけれど。まぁ、もしトビリシの街の人々が一斉に避難するようなことにでもなったら、僕はネリとダリを自転車の荷台にでも乗せて全速力で国境まで走るくらいの覚悟はあるよ。ちょっとほろ酔い気分になった頭で、ぼんやりとそんなことを考えていた。


幸い、今のところ政府からは正式に避難命令がくだった話も聞いていないし、少なくともこの周辺の人々の様子に今も大きな変化は見られない。


ベランダの下の方から聞こえてくる近所のおばさんたちの立ち話の声が、僕の気持ちを和らげ、落ち着かせてくれる。


大丈夫、明日きっと僕は問題なくグルジアを出発できる。


そう信じながら、赤ワインのほのかに甘い香りに包まれて、やがて僕は眠りにつく。


グルジア トビリシ ネリ・ダリの家にて

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August 25, 2008

★グルジア紛争①~勃発~

テーマ:◆旅の断片 グルジア
グルジア トビリシの街

体の芯にまでズドンと震動が伝わるほどの大きな爆発音が、グルジアの首都トビリシの街に響き渡った。


新市街の外れを歩いていた僕は一瞬びくリとして立ち止まったが、その時にはそれが何なのか確かなことはわからなかった。


トビリシ市街を見渡すのに絶好の場所であるナリカラ城塞跡を訪れていた日本人旅行者の男性が、同じ時間帯、爆発音とほぼ同時に少し遠くで噴煙が上がるのを目撃したと言った。後にテレビで、10日、ロシア軍によってグルジアの首都トビリシの空軍施設及び国際空港近郊が爆撃されたとのニュースが報じられた。


僕が聞いた音、彼が目撃した噴煙など、日時、場所ともにだいたい合致する。


「我々はロシアと戦争をしている」


グルジアのサーカシビリ大統領が少し前のテレビ演説でそう述べた。


―戦争・・・・・・。


戦後30年以上が経って生まれ、その後の30年弱、これまでの人生のほぼすべてをそれこそ平和といっていい日本で過ごしてきた僕は、戦争を知らない。世界各地で今も絶え間なく続く紛争・テロの類も、いつだって画面の向こうのどこか遠い国の出来事でしかなかった。


しかし、2008年8月8日、北京オリンピック開催と同時に勃発した南オセチアをめぐるグルジアとロシアの武力衝突は、僕にとってもはやどこか遠い国の出来事などではなかった。遠い国どころか、それは今まさに自分が滞在している国で起きた出来事だったのだから。


新たな「世界の火薬庫」とまで呼ばれるコーカサス地方。南オセチアをめぐるロシアとグルジアのここ最近の緊迫した情勢についてある程度は情報が入っていたけれど、このタイミングでこれほど大規模な武力衝突が勃発するとは予想だにしていなかった。


「グルジアのサーカシビリ大統領は、北京オリンピック開会式当日なら南オセチアに軍事進攻してもさほど大事には至らないだろうと判断したのではないか」


そんな専門家の推論さえなされる中、仮に大統領の判断が事実そうだったとして、ならばなおさら北京オリンピック開催と同時にこんな事態に巻き込まれることを僕などが予測できるはずもない。ましてや「オリンピック停戦」と呼ばれる暗黙の了解とやらを完全に無視した前代未聞の出来事だというのだから。


ほとんどのグルジア国民がおそらくそうであったように、僕もまた否応無くその国家間の争いの渦へと巻き込まれていった。


グルジア トビリシの旧市街

恐怖や焦りといったものはなかった。あくまで冷静だった、と思う。

いわゆる平和ボケした日本人的感受性の鈍さによる部分もあったかもしれないけれど。


大々的にニュースが報道された後も、トビリシの街に住む人々は普段とさして変わらないように見えた。8日以降も毎日、トビリシ駅前の野菜市場は早朝から元気な掛け声が飛び交い賑わいを見せていたし、「マツォニ~、マツォニ~」と叫ぶヨーグルト売りのおばさんの鼻にかかった甲高い声はいつもと同じように部屋の窓の外から僕の耳に飛びこんできた。家の前の道端に座り込んでアイスクリームに夢中の少年少女。テレビチャンネルを北京オリンピックに合わせ、のほほんと店番をしているマガズィン(商店)の旦那。市の中心部で開かれる数万人単位の集会、反戦を訴え平和を願いそこに集う多くの人々がいる一方で、これまでの日常となんら変わらない人々の光景が目の前にある。


話をする人の中には、ロシアを悪く言う人もいれば、そもそも大統領(サーカシビリ)が駄目なのだと言う人もいる。とにかくアメリカが何とかしてくれると思っている人もいれば、武力衝突を嘆きながらもこの事態にさほど関心がない人さえもいる。人それぞれとはいえ、どことなくグルジアの一体感の無さを感じてしまうのもまた事実だった。


テレビでは相変わらずロシアの非道ぶりが強調され、爆撃を受けたグルジア側の町や人々の凄惨な光景が多く映し出されていた。グルジア軍が攻撃した南オセチア側の町や大量の死者についてなど、このような状況下で自国が不利になるような情報は国民に向けて流せないのかもしれないが、明らかに自分たちの都合の悪い部分を伏せた報道は、客観的に事態を把握したい僕のような第3者にとってはいささか偏りすぎに受け取れる。


仮にロシアの非道ぶりは非難されて然るべきだとして、グルジアのサーカシビリ大統領が見せる強気な言動もまた、背後に欧米の協力があるとはいえ、それをちょっと過信しすぎのように感じる。実際に見てなんとなく感じてしまう人々の一体感の無さと、国内的にも求心力を回復させたいサーカシビリ大統領の強気な言動というのは、まったく無関係ではない気がする。


NATO加盟と領土の統一回復を目指す親欧米のグルジアと、それを阻止し勢力圏の再拡張を目論むロシア。本音と建前の見え隠れする双方の駆け引き。原油利権をめぐる欧米とロシアの争い。グルジアからの分離(北オセチア(ロシア)との統合)を望む南オセチア、同様に独立承認を求めるアブハジア。そして巻き込まれる多くの罪無き人々。


それぞれの思いが交錯する中、ロシア軍とグルジア軍の戦闘は激化の一途を辿っていった。


グルジア トビリシの街
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August 07, 2008

★旅の断片 インド ~ダラムシャーラー近郊の村の子供たち~

テーマ:◆旅の断片 インド
インド ダラムシャーラー近郊の村に住む少女

インド ダラムシャーラー近郊の村に住む少女 インド ダラムシャーラー近郊の村に住む子供たち インド ダラムシャーラー近郊の村に住む少女
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