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手のひらの中のアジア
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April 22, 2007

バスケットボール・ダイアリー in ダージリン

テーマ:(12)インド
インド ダージリンの小学生
※縮小画像のため、荒くなっています・・。

三月下旬のダージリンは、まだ吐く息が白いほどに寒かった。


もうすでにTシャツ一枚に短パンでも暑いであろうインドの平野部とは対照的だ。僕は無用と思って荷物の一番下にしまっておいた二枚の上着と防寒タイツを取り出して着込み、首にはラオスのタイダム族にもらった織物の布をマフラー代わりに巻いた。


時々、街は白い霧に包まれる。それは自分以外のものが何も見えなくなってしまうほどに濃い。毎回、僕はこの霧が晴れたら、この街そのものが消えてなくなっているんじゃないだろうか、とおかしなことを想像してしまう。霧がわずかに途切れた隙間から、古めかしい建物や歩く人々の姿がぼんやりとシルエットのように浮かび上がる様はまるで蜃気楼のようだった。


少し離れたダージリン駅の方角から汽笛が高らかに鳴り響く。小さな店の木の椅子に腰かけて、かじかんだ手をこすり合わせながら注文の品を待つ。紅茶の里ダージリンで飲む一杯のチャイ。喉を通り体全体に熱が伝わると、なんだかほっとした気持ちになる。寒いところはあまり好きではないのだけれど、ダージリンの街の雰囲気はすぐ好きになった。


この街には、チベット仏教を一つの共通点としてチベット人、ネパール人、ブータン人の姿がよく目立つ。インド人ももちろんいるけれど、避暑地として有名なためか観光客として外からぞろぞろやってくるインド人家族の姿の方が印象が強い。もはやここはインドではないような気もするのだが、それでもやはり“インドの街ダージリン”。種々雑多な人々が入り混じっている割に騒々しいわけでもなく、皆それぞれがうまくこの街に馴染んでいる。


そんなダージリンでの最初の出会いは、チベット人青年たちだった。


ある日、山沿いの道をなんとなしに歩いていると、どこからともなくダムダムダム・・・・・・とボールの弾む音が聞こえてきた。僕にとってはとてもよく聞き覚えのある音。姿を見なくても、それが何のスポーツかわかる。僕は引き寄せられるようにしてその音のする方へと歩いていった。


ダージリンの街外れにある学校の校庭で、やはり思ったとおりバスケットボールが行われていた。クリケットやサッカーはメジャーなスポーツとして空き地でも路地でもよく見かけることはあったけれど、標高2,134mの山の奥地でバスケをやっている学生たちの姿には驚いた。


十数人の青年たち。屋外コートに設置されたゴールを取り囲むようにして二、三のボールをまわしながら、ある者はスリーポイントシュートをうち、ある者はフリースローを、ある者はドリブルからきゅっと止まってジャンプシュート、何人かはゴール下でリバウンド争いを繰り広げている。


僕は興奮と共にどこか懐かしい感情を抱いていた。あれはまだ僕が部活動に明け暮れていた頃。学校の授業が終わって仲間たちと体育館への連絡通路を歩く。館内からはやはりダムダムダム・・・・・・とボールをつく音が響いている。さらにバッシュ(バスケットシューズ)が床にこすれるキュッキュッという音が聞こえてくると、それだけで僕は自分の居場所に帰ってきたような気がしたものだった。


ダージリンのコートは屋外だからバッシュの音は聞こえないし、今目の前にある光景は遠い異国の地ではあるけれど、そこは確かに僕が“知っている場所”だった。


彼らと軽く会釈を交わした後、僕はコートサイドでしばらくその様子を眺めていた。そのうち、シュートをうちたい、という衝動にかられ始めている自分に気がついた。青年たちも僕を見てそう感じたのかもしれない。フリースローラインに立っていたブルズの赤いユニフォームシャツを着た青年が僕を呼んでパスする素振りを見せた。コートに入って一緒にやるかい、と。


僕はウェストバッグを外し、巻いていたマフラーを解いて床に置いた。寒さでかじかんだ手に息を吹きかけながら、ゆっくりとコートに入る。ちょっと緊張した。パスを両手で受け取ると妙に落ちつかなくなってしまい、二、三回ドリブルをついただけで逆サイドにいた青年にパスをした。皆がシュート、シュート!!と言って笑いながらパスをまわす。


もう一度息を整える。それからオーケー、と言って僕は手をあげた。一番好きだった左四十五度のスリーポイントラインに僕は立つ。逆サイドからトップへ、トップから僕へとパスがまわってくる。バスッという音と共に気持ちよく両手にボールが収まった時、不思議と体のスイッチがオンになった。体はまだ感触を覚えていた。


パスを受けとってからシュート体勢に入るまで、その間わずか一、二秒。軽く膝を曲げ、腰を落としてボールを額の少し上方に構える。全身をバランスよく使い、力の流れを最後右手の指先がボールから離れるリリースの瞬間まで保ち、放つ。僕はこの時、いやパスを受け取った瞬間にはすでに感じていた。バスケをする人ならきっと誰でも感じたことがあるかもしれない。僕は久々にこの感覚を思い出した。


「このシュート、はずす気がしない」


そう思えるほど絶好調の時、その勢いは誰にも止められない。


僕の手元から離れたボールは綺麗なアーチを描いてリングへ向かって飛んでいく。右腕を伸ばし、手首を反したフォロースルーの形からそのままガッツポーズをしたくなるほど―そこまではやっていないけれど―、我ながら美しいスリーポイントシュートだった。


と思ったのだけれど、ボールはリングの枠を捉えながらも内枠に二度当たってこぼれ落ち、気づけば僕は天を仰ぎ、掲げていた手を下ろしてとっさに頭を抱えていた。


青年たちが僕の様子を見て笑う。


「風だよ、風・・・・・・」


苦笑いしながら宙で手をひらひらさせて風を表現してみせたものの、相変わらずいいわけがましいところだけはコートが異国の地ダージリンであっても変わらないな、と思い僕はちょっと自分自身にがっくりした。


そんなふうにして始まった僕とチベット人青年たちとのバスケットボール。二時間近く一緒にやらせてもらって帰る頃、僕はいつになくすがすがしい気分になっていた。


茶畑の広がる小道を歩く帰り道、下校途中の女の子たちに出会った。彼女たちは僕を見てくすくす笑う。何がおかしくてそんなに笑うんだろう。


「なんで笑ってるの?」


僕が訊ねると彼女たちは逆に訊き返した。


「なんで笑ってるの?」


初めは口真似をしてふざけているのかと思ったのだが、彼女たちが身振り手振りを交えながら“なんでそんなに汗をかいてるの”、“なんで腕まくりをしてるの”と重ねて質問してきたので、その理由がすぐにわかった。


マフラーを巻きたくなるほど寒いこの時期のダージリンで、訪れた外国人が汗だくになり、Tシャツの袖を肩まで、長ズボンを膝上までまくりあげた恰好で歩いてきた。さらに僕の表情は妙にニコニコして、歩調は軽やかに弾んでいたらしい。彼女たちがおかしな人が向こうからやってきたとくすくす笑うのも無理はない。


しかし、僕はそれほどすっきりして気持ちのいい気分だったのだ。バスケットボールをやっていたんだよ、と言いながら僕はシュートをうつ恰好をして見せたけれど、彼女たちは「シュッ、シュッ」とかなんとか言ってシュートの真似をしながらまた大笑いするばかりで、いろいろと質問を投げかけた割に、その理由なんてどうでもいいという様子で僕をネタに楽しむばかりだった。


それでも彼女たちと別れてから、僕の足取りはより軽やかになった。何かを掴みかけている感覚をはっきりと感じたのだ。それは、コルカタで崩れてしまった旅のリズムを、ティンダーラ、カルシャン、ダージリンと渡り歩くにつれて徐々に取り戻しつつある、ということ。


あと少し。


あともう少しで、僕はどんよりとした雲を突き抜けて、太陽の照りつける場所までたどり着くことができる気がする、そう思った。

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April 19, 2007

郷愁列車

テーマ:◆旅の断片 インド

インド ダージリン・ヒマラヤ鉄道 トイトレイン


雲 ゆるやかに 空を渡り
風 やわらかく 身にぞ染む 


音 高らかに 汽笛の響きあり
色 みずみずしく 茶畑の緑あり


インド ダージリン・ヒマラヤ鉄道 トイトレイン


つづらに続く 線路沿い
子供たちは手を振り
薪を背負った老婆が歩く


インド ダージリン・ヒマラヤ鉄道 トイトレイン


開いた窓に差しこむ 淡い光を 浴びながら
乗客は しばしまどろみ 甘美な夢を見る


インド ダージリン・ヒマラヤ鉄道 トイトレイン駅 インド ダージリン・ヒマラヤ鉄道 トイトレイン駅

インド ダージリン・ヒマラヤ鉄道 トイトレイン駅 インド ダージリン・ヒマラヤ鉄道 トイトレイン駅


小さな駅舎
古びた時刻表
時を刻む電光時計
赤い郵便ポスト


インド ダージリン・ヒマラヤ鉄道 トイトレイン駅


駅舎で 人は 何をか待つ 
娘の帰りを待つ父や

恋しき人を待つ者や


インド ダージリン・ヒマラヤ鉄道 トイトレイン


夕暮れの里 汽笛が響く


素朴な村の風景と
人々の人間模様


汽車はゆく


それぞれの想いを乗せて 


終着駅は 遥か山のあなた 
異国の街 ダージリン


インド ダージリン・ヒマラヤ鉄道 バタシアループ

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April 11, 2007

ダージリンへの道~カルシャン~

テーマ:◆旅の断片 インド

インド ダージリンへの道 カルシャン


カルシャンを案内してくれたのは、二人の小さな女の子だった。


路地裏で出会った彼女たちは、町のあちらこちらを二人でああだこうだと言いながら、僕をいろんなところへ連れていってくれた。子供に連れられて歩く僕を、町の人たちは不思議そうな目で見つめる。


インド ダージリンへの道 カルシャン


一時間もあれば隅から隅まで歩けてしまう町をひととおりまわって元の場所へ戻ってきた頃、少し遠くでトイトレインの汽笛が鳴り響いた。


「しぃーっ」


彼女たちは振り向いて二人同時に口元に人差し指をあてる。
それは、耳をすまして、の合図。


500mほど下のカルシャン駅を出た汽車は、ゆっくりと僕らの方へやってくる。


トイトレインは、町を迂回し山を巻くように進路をとるわけではない。町の外側を道路に並行して走るわけでもない。レールは町のメイン道路上に重なるように敷かれていて、トイトレインはまさにカルシャンの町の中心を貫くように走っていくのだ。


インド ダージリンへの道 カルシャン


彼女たちの合図に従って、僕は耳をすませる。


いろんな音が聞こえてくる。


路地の脇でミシン台に向かうお婆さん。その古びた機械から紡ぎ出されるカタカタカタという音と、商店街を歩く人々の足音。素朴な市場の賑わいと子供たちのはしゃぐ声。そこへ小気味よいドラフト音を響かせながら、トイトレインがやってくる。食堂やパン屋、売店、ホテルなど建物のすぐ目の前を、悠然と通り過ぎていく。窓から顔を覗かせる乗客と商店の主人が二、三の会話でもできそうなほどに距離は近く、速度もゆっくりだ。


インド ダージリンへの道 カルシャン


トイトレインは、騒音や排気で町の雰囲気を壊すこともなく、見事なまでに自然に町に溶け込んでいる。名前のとおりその小ぶりな車体によるところもあるけれど、それにしてもまったく違和感がない。まさにこの町に住む人々の生活の一部となっている。


インド ダージリンへの道 カルシャン


トイトレインそのものは、ただの山岳鉄道にすぎないかもしれない。そして、もしもこの町をトイトレインが通過しないならば、カルシャンはただのありふれた町でしかない。しかし、両者の存在がこの場所で顔を揃える時、町全体は不思議な世界を創り出す。


汽車のリズムと町のさざめきとが折りなす旋律と調和。


圧倒的な存在感で魅せる世界遺産もいいけれど、静かな感動がじわりと心に染み入ってくるようなこうした世界遺産にはまた独特の趣があって僕は好きだ。


一日のうちに数回、その短いひとときを味わうために、この町に数日間滞在してもいい、と僕は思える。


インド ダージリンへの道 カルシャン


とても素敵なものを見せてくれた二人に、僕は写真を撮ってプレゼントしてあげたかったのだけれど、残念なことにここでは現像することができなかった。僕にとってそれだけが唯一の心残りだった。


そう遠くない日に今度、僕は彼女たちに写真を送ろうと思う。


君たちの案内のおかげで、この町を好きになった一人の日本人がいたんだよ。そう感謝の気持ちを込めて。


そんなこと、小さな二人にはちっともわかりはしないんだろうけれど。


インド ダージリンへの道 カルシャンの少女たち

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April 03, 2007

ダージリンへの道~ティンダーラ~

テーマ:◆旅の断片 インド

インド ダージリンへの道 ティンダーラ ゲストハウス


ティンダーラ。

シリグリから約30キロ、ダージリンまでの道のり、3分の1を過ぎた辺り。


九十九折の道に沿うようにして、いくつかの商店、宿、民家がまばらに散らばっている。

この辺りに住む人々はネパール系の人々が多いようだった。

泊まったゲストハウスもネパール人の家族経営。

顔も肌の色も比較的日本人に近い人たちだったせいか、それだけで少しほっとした。


宿で働くマルコメ少年は笑顔が印象的。

僕が彼の顔を見る時には、いつも満面の笑み。

いつでもニコニコ、とても気持ちのよい少年。


インド ダージリンへの道 ティンダーラの少年


宿にはシャワーがない。

大きなドラム缶に溜め込まれた水を小さな桶ですくって浴びる。

トイレの流し水も同じ。

その水をドラム缶に溜め込む作業は、たいていこのマルコメ少年の仕事のようだった。


ひんやりとして肌寒いこの時期のティンダーラで水浴びするのは、なかなか気合いのいるもの。それでもこの貴重な水をマルコメ少年が一生懸命運んできたのだと思いながら、大事に大事に使わせてもらった。


インド ダージリンへの道 ティンダーラ .


ここでは、あらためて水が貴重なものだと感じさせられる。

水道設備はもっと整っているものだと思っていたけれど、そうでもない。

山を少し下りたところに大きな貯水タンクのようなものがあって、ティンダーラの人たちはここへ水を汲みにやってくる。


そこで活躍するのは、ダージリン・ヒマラヤ鉄道~トイトレイン~のレールだった。

列車は一日に数本しかやってこない。本来、列車が走るために必要なレールは、その用途以外は無用の物に等しい。

しかし意外にもそれは、人々の生活のために有効活用されていた。

むしろそちらの生活用途の方が主といってもいいのかもしれない。


インド ダージリンへの道 ティンダーラ


村人はレールに置いた車輪付きの台車にドラム缶を載せ、線路つたいに山を下りてくる。

貯水タンクからホースを使って水を吸い上げ、大きなドラム缶に溜め込む。もうあと一滴でも入れたらこぼれてしまうというほど、なみなみと水を入れる。

そう簡単に何度も繰り返しできる作業ではない。

ほんのわずかな水でも大切なのだ。

蓋をしっかり閉めると、2,3人がかりでドラム缶を押し、また線路つたいに台車を転がして各自、家まで運んでいく。


力のない女性たちの場合、運ぶ物はまた少し変わる。

小さな容器だったり、たらいと洗濯物だったり。

ジープやトラックのある家庭は、荷台にドラム缶ごと積み、簡単に作業を終えてしまうのかもしれない。水道設備がきちんと整っているところだってあるのかもしれない。

でも、このように汗をかきながらわざわざ生活用水を汲みにくる人々がいることも確かなわけで、そうした姿を見ると胸を打つものがある。


インド ダージリンへの道 ティンダーラ


それほど多く外国人旅行者がやってくるわけでもないせいか、村人たちは温かく僕を迎えてくれた。

食事を終えた夜、食堂でネパール語の勉強会が始まった。

僕としてはインドにいるのだからヒンディー語を覚えたかったのだけれど、彼らはネパール人。もちろん彼らはどちらの言語もわかるけれど、僕に「いずれネパールにいくならネパール語を覚えろ」と言って、だから僕は先駆けてネパール語をここで学ぶことになった。


皆、一生懸命教えてくれるので、一生懸命覚えようと思った。

のちのち、ネパールを旅する上で最低限必要なネパール語を覚えていくことになるのだけれど。


ここで学んでノートに書きなぐった汚い字のネパール語。

それが今後の僕にとっての、すべてのネパール語の基礎になっている。


インド ダージリンへの道 ティンダーラ ゲストハウス

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