本コンテンツをご覧になるには、Flash Playerプラグインが必要です。FlashのWebサイトよりインストールしてください。



bloglank


手のひらの中のアジア
QRコード
BLOG QR
February 27, 2007

再びインドへ

テーマ:(12)インド

インドの街


「国が変わって食べ物も変わる。環境が変化すれば、また同じように繰り返しますよ」


病院の先生から欲しくもないお墨付きをもらって、僕は五日間のタイ入院生活を終えた。
 
その後二月初旬から、僕はムアンシンを中心として、ラオス、タイで約一ヵ月半を過ごした。僕にとってはラオス・ムアンシンの町が、村が、何よりの静養だった。当初の目当てだった祭りはもうとっくに終わっていたけれど、そんなことはもはやどうでもいいことだった。おかえりなさいと言って迎えてくれる人たちがいて、いつでも心和む居場所がある。それだけでムアンシンには戻る価値がある。


さらにこの一ヶ月半の間、不思議な巡り合わせで奇跡の再会を果たした友人たちがいる。一方、新たに出会った人たちもいる。僕にとってこの再会と新たな出会いは、過去の意味を変えてくれた貴重な出来事だった。体調を崩し入院するに至った辛い過去の事実は変わらない。でも、その後の自分の行動、さらに新たな出会いと再会によって、僕は「タイでの入院生活は、これらの出来事のためにあったのだ」と考えるようになった。つまり、過去の持つ意味が変わったのだ。


「過去」と「過去の意味」は、必ずしも同一ではない。

過去は変えられないが、過去の意味なら変えることができるのだ。


単に都合の良い考え方をしているに過ぎないのだが、きっとこれが前向きな力というやつなのではないだろうか。旅に出てから、こうした考え方をすることが多くなったような気がする。もし、あらゆる出来事を過去ではなく、「現実」の時点で意味のあるもの、価値のあるものとして受け入れることができたなら、僕はもう少し楽観的に物事を考えられる人間になれるんじゃないだろうかと、思うことがある。が、それはなかなか難しい。何はともあれ、退院後の充実した日々の中で、僕は心身ともに順調に、以前の調子を取り戻していった。


三月中旬、日増しに暑くなり始めたタイに別れを告げ、僕は再びインド・コルカタへと戻ってきた。


コルカタも、タイほどではないにせよ、以前よりだいぶ蒸す感じがする。サダルストリートへ向かうタクシーの車内、窓から入り込む風は、確かな熱気を伴っている。このまま日一日と気温は上昇し、四月には四十度、四十五度にまで達する酷暑期を迎えるのだろう。


タクシーの運転手がラヂオのスイッチを押すと、どこかで聴いたようなヒンディーソングが流れ始めた。聴くたびに思うのだが、インドに無数にあるはずの歌謡曲はいつどれを聴いても、すべて同じ人物が歌っているように聞こえる。それら女性歌手独特の甲高い歌声を耳にするたび、ここはインドなんだなあと、感慨深げに思う。気持ちが妙に落ち着くこともあるのだから不思議なものだ。


タクシーを降りてサダルストリートに立つ。歩き始めてすぐ、通常の雰囲気とはどこか違うことに気づいた。大道芸人の集団が太鼓を鳴らし、賑やかに通りを闊歩している。中央の神輿のような台座では、派手に着飾った芸人が皿回しのような芸を披露しながら踊っている。左右に延びた通りの向こうで、子供たちが勢い盛んに走りまわっている。


―はて、今日は何の日だろう。


疑問に思う僕の目の前を、裸足の少年が通り過ぎる。包み込むように合わせた両手の隙間から、紫色した奇妙な粉がぱらぱらとこぼれ落ちた。色の黒い少年の顔や手足に加え、薄汚れた白いTシャツまでもが、赤や青、緑、黄などの混在した奇抜な色合いに染まっている。ファッションにしては、お粗末すぎるいでたちだ。


―もしかして今日は・・・・・・。 


そう思った矢先、突如、空から大きな水の塊がどしゃっと落ちてきた。


―!?


まるで水溜まりの上を走る車の泥跳ねをもろに浴びせられたかのように、体が鈍い衝撃を受け、僕は思わずその場で固まってしまった。


「ヘーイ、友達!! ヤッホゥー!!」


バケツを持った青年と数人の子供たちが、小さな建物の屋上でげらげら笑いながら飛び跳ねている。直撃はしなかったものの、跳ねた色水のせいで、つい先日バンコクで買ったばかりのTシャツが一瞬で斑色に染まってしまった。僕は道路に立ち尽したまま、ふつふつと湧き起こってくる何とも言えぬ憤りにじっと耐えていた。
 
そこへ今度は二人組の青年が目の前に現れ、手に持っていた水鉄砲を僕に向けてさっと構えた。が、狙いを定めては見たものの、僕の凄まじい憤怒の形相を見て一応確認した方がいいと思ったのだろう。


「撃ってもいい?」


一人が僕に訊ねた。僕は表情一つ変えずにゆっくりと首を横に振り、低い声でノーと言った。彼は構えていた水鉄砲をゆっくりと下げた。それから僕の横にやってきて、笑いながら肩をぽんぽん叩いて言う。


「そんなに怒らないでよ。今日はホーリーなんだ。インド中が何でもありの最高に盛り上がる日さ」

 
やはりそうだったのだ。ホーリーは、春の到来を祝う祭りといえば聞こえはいいが、その内容はまさに僕が被害を被った如く、色粉や色水を無差別に投げ合うことで祝福する過激な祭り。この日ばかりは身分の差を問わず無礼講となるようで、日頃の鬱憤が溜まった若者たちの行動も想像以上に過熱するという。それは北部を中心にインド全土に渡って繰り広げられ、人々は熱狂と興奮の渦に包まれるのだ。エスカレートすると、色粉・水に留まらず、牛糞までもが町中を飛び交うというから恐ろしい。東南アジアの気分を引きずったまま何も知らずにインドへ戻ってきた僕にとって、ホーリーの洗礼は衝撃であり、悲劇だった。さらに、ホーリーと知ってしまったからにはこれ以上怒りようもない。この祭りは何でもありなのだ。怒れば怒るほど自分が惨めになるだけだ。


彼らは、気さくでいい青年たちだった。二人とも名を名乗り、僕に握手を求めると、
 
「宿に荷物を置いてから来なよ。ホーリーを一緒に楽しもう」


そう言い、僕に溜まり場の場所まで教えてくれた。


「とりあえず宿にチェックインするよ」


僕はそんな曖昧な返事だけを残し、牛糞が飛び交う前に避難しようと足早にゲストハウスへ向かった。


部屋に入りベッドに荷物を置くと、思わず溜め息が洩れた。僕はホーリーの洗礼にすっかり面食らってしまい、当惑していた。さらに一度振り上げてしまった拳の下げどころを見失い、その行き場のない怒りは僕自身の体内で靄になって広がっていった。


やれやれ、と僕は思う。よりによってとんでもない日に戻ってきてしまったものだ。


再び戻ってきたインド。旅の再開は、波乱の幕開けだった。

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。