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手のひらの中のアジア
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December 28, 2006

レセプションの男/身毒

テーマ:(12)インド

宿の入り口までたどり着くと、どっと疲れが出た。


表情にはそれがあからさまに出ていたのか、レセプションの男が僕に声をかけた。どうかしたのか、何かあったのか、と。僕はため息ながらにこれまでの経緯をざっと話し、結局薬が一種類足りないままであることを打ち明けた。


「どこで手に入るかなぁ。バザール(市場)に行けばあるかな」


と僕は呟いた。これといった確かな返答を彼に期待していたわけではないのだけれど、その言葉を聞いていた彼は肩をすくめ、そっけなく、いかにも興味なさげに答えた。


「さぁ、知らないな。私は医者じゃないから」


その時、まるで煙が湧き起こるように僕の心の中で嫌な気分がもわっと広がった。僕はこういうタイプの人間をあまり得意としない。はっきり言ってしまえば、嫌いだ。君が医者でないことは事実だ。毎日レセプションの椅子に座って決められた時間、たいくつそうに座っている姿を見て君が医者でないことくらい僕にだってすぐにわかる。医者や薬局の関係者とは無関係の宿のレセプション担当に薬のことがわかるはずもない。あるいは僕は最初から言葉を発するべきではなかったのかもしれない。僕はレセプションの男の返答に、そうだね、と苦笑いしてそれ以上は何も言わずにその場をあとにした。


それにしたってどうだろう。例えば、


「この果物、おいしいかなぁ」
「さぁ、食ってみりゃわかるだろ」


「あの遠くに見える小屋、誰かいるかなぁ」
「さぁ、行けばわかるだろ」


確かに果物を食べればそれが美味しいかまずいかすぐにわかるし、小屋に行ってみればそこに誰かいるのかいないのかすぐにわかる。実に的確な答え方であり現実的だ。しかし、そもそもの意図するところが、果物が美味しいのかどうか、小屋に誰かいるのかいないのか、ということそれ自体を問うているわけではないということがレセプションの男のような人にはわからない。「~かなぁ」で発された言葉の持つ意味は、それ以上でもそれ以下でもないのだ。会話で言うなら「流し」の部分だ。あえてこう言うと、それは非常にあいまいな表現と捉えられるかもしれない。あいまいさを嫌う人やはっきりイエスノーを言うような気持ちの良い人からは、日本人特有のあいまいさと指摘されるかもしれない。それでも日本の日常生活ではよくこうした会話の流れは頻繁に見受けられる。それを小屋の例で言うならば、


「あの小屋、誰かいるかなぁ」


「いるかなぁ、いるといいけどね」
「いなそうだよね、寂れてるし」
「いなかったら最悪。。」


今風にしてそんな具合だろうか。たいしたことではない。何気ない会話そのものだ。ある程度、お互いの会話を流した上で言葉を重ね、話を膨らませながら二人は小屋へたどり着くだろう。でもそれを「誰かいるかな」と言った後すぐに「さぁ、行けばわかるだろ」と返されたら、会話は膨らむどころか、コミュニケーションはそこで断絶されてしまう。もしもそれが探して探してようやく遠くに見つけた小屋だったとしたら、その時疲れ切った僕は、さらに重く鈍い疲労の塊を背中に載せられたような気分になってますます憂鬱になるだろう。体の具合も芳しくなく、ほとほと疲れ果てていた僕には、レセプションの彼に対して何とか笑顔を作って「そうだね」と流して早々と会話を切り上げてしまうことしかできなかった。


部屋に戻り、ひんやりとしたベッドにもぐり込んで僕はぼぉっと天井を眺めていた。


少し冷静になってから、いろんなことを考えた。レセプションの男の一言は、彼にとっては何でもない言葉だった。それをここまで堀り返してあれこれと気にするなんてどうかしている。病んでいる証拠だ。そもそも誰かに依存しようとする気持ちがあるからそうなるのだ。甘いのかもしれない。きっとこれまでいろんな人に優しくされすぎたのだ。ラオスでもタイでもミャンマーでもバングラデシュでも。


天井寄りの高い場所に設置された窓枠付近で、鼠がちょろちょろと動きまわるのが見えた。僕は一つ、大きくため息をついた。


古代中国では、サンスクリット語のシンドゥーの漢訳でインドは「身毒」と呼ばれていた。今の僕にとってそれは、字面から受ける視覚的な印象のとおり、と言ってよかった。


―まさに身体に毒だな…


僕は思わず苦笑せざるを得なかった。


「身毒は、真読なくして、慎独為せず」


インドでは、経典を省略せずにすべて読むくらいの心持がなければ、雑念を取り払うこともまたできない。我ながらうまい文句を思いついたものだ、と感心する気にもなれなかった。インドの現実にいちいちいきり立っているようでは、この国のことはきっと何もわからないのだ。底が知れぬほど奥が深いと言われるインドにおいて、僕はまだその世界の入り口にさえ立っていないのかもしれない。しかし、ひとり皮肉を呟いてみたところで、目の前にあるその現実に、僕はただただうんざりするばかりだった。

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December 28, 2006

病院のドクターと若いスタッフの男

テーマ:(12)インド

病院にたどり着き、前回担当したドクターと顔を合わせた時、苦しさと同時にどうにも苛立っていた僕には彼をもが憎々しく見えた。だいたい今回こうして来ることになったのは初回の診察に問題があったからじゃないのか。


ドクターに同じ症状が再発したことを告げた後、別室で即効性のある注射を打ってもらった。診察中も二度トイレに駆け込んだが、三十分ほど経った頃、確かに痛みは消えて病状は和らいだ。


少し落ち着いたところで、僕は一つ抱えていた疑問をドクターにぶつけてみた。


「ドクター、前回もらった処方箋の中でこの薬はどれなんですか」


僕は紙上に書かれた文字を指差した。治療のために出してもらった薬は種類が多く、指示どおり服用するのが大変なほどだった。その中で一種類だけ足りないものがあったのだ。ドクターは自分の書いた前回の処方箋を見直し、一つ一つの薬名を口に出して実物と照らし合わせながら確認をしていたが、しばらくして言葉を失った。


内線電話で一階の若いスタッフを呼びつけると、二、三分で診察室に一人の若い男が入ってきた。言葉はわからないが、会話の内容はすぐに察しがついた。


「私が指示したこの薬はどうした」
「指示どおりに準備をしたと思いますが」
「ばかやろう!!この薬がなかったと患者は言ってるんだ」


大方そんなところだ。ドクターが怒鳴りつけると、若いスタッフは一瞬黙り込んだ。それから、


「申し訳ありません」


と、ひとこと謝り頭を下げた。だがそれは、とくに悪びれた様子もなく、ただ事の成り行きとして頭を下げただけという印象は否めない。若いスタッフが部屋を出ると、ドクターは一呼吸おき、処方箋の書かれた用紙にもう一度目を通した。


「さて・・・」


椅子ごとゆっくり回転してドクターはこちらに向き直り、手を口元に当てて二、三の咳払いをした。


「心配するな。ノープロブレムだ」


とドクターは言った。何のどこがノープロブレムなのか、僕はもはや問いただす気すらおきない。僕が今、この診察室にいることが二度目である時点で、すべてはプロブレム、大問題なのだ。それをドクターは微塵も感じていない。それにわざわざ僕の目の前で若いスタッフを怒鳴りつけたのは、自分の医師としての評判、立場を守るためにとった行為としか思えない。「私のミスではない、部下のミスなのだ」と言い聞かせるように。


とにかくさっさと宿へ戻ろうと新たな処方箋を出してもらい、僕は診察室を出た。


さきほどの若いスタッフの男がいる一階の薬局へと入る。二度目の失敗はないようにと、注意深く実物と記載内容を確認しながらテーブルの上に薬品が並べられる。滞り無くその事務的作業は終わると思って待っていたのだが、最後の薬を取り揃える時になり、若いスタッフが薬品類の置かれた同じ棚を何度も見返す姿を見て、非常に嫌な予感がした。


三段になった薬品棚のすべてをひととおり見終わったにも関わらず、若いスタッフの男は再び上段の棚をくまなく探し始めたからだ。それが中段、下段、また上段、とくり返される姿を見て僕は思わずため息が洩れた。


「この薬はない」


若いスタッフの男はあっさりとそう言った。申し訳なさそうな素振りなどかけらもない。そして、ここから一キロほど行った道の反対側に薬局があるからそこで手に入れろと告げると、さっさと奥へ引っ込んでしまった。どうしてそのようなことができるのか僕には理解できない、というより理解したくもない。処方箋を出しておきながらどうしてその病院に薬がないのだ。薬がなくて、ある場所がわかっていながらどうして事前に調達してこようともしないのだ。病人は今すぐにでもここからタクシーに乗って安らかなベッドにつきたいのだ。それを一キロ先まで自分で歩け、と。


反論する気も起きず、仕方なく僕はその病院を出た。しかし、その後の結果はさらにどうしようもなくひどいものだった。一キロ先の薬局に、その薬はなかった。「ない」とひとこと言われて終わりだ。五百メートル先にある別の薬局へ行けと言われて行ってはみたものの、そこでも同様にまた五百メートル先にある薬局へ行けと言われた。いったい何がどうなっているのだ。結局のところ、ドクターに指示されたその薬を手に入れることはできなかった。注射で痛みを止めてあるにもかかわらず、煮えくり返るような怒りのせいで麻酔が切れ、自分の腸がねじれて弾け飛ぶのではあるまいか、と僕は思った。


怒りの極致に達する寸前だった僕は、もうたらい回しのような薬局まわりを止めた。ドクターのところへ戻る気も失せた。そして再び面倒なことになることがわかっているタクシーに乗ることもなく、そのまま意地でも徒歩で宿まで戻ることにした。

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December 28, 2006

タクシーの運転手

テーマ:(12)インド

僕を乗せたタクシーは、なんとなく見覚えのある街並みへと入ってきた。


病院までは、サダルストリートから二十分ほど。前にも行ったことがあるからそれだけはわかっている。具体的な場所までは覚えていない。なにしろ前回も体調の悪さで道を覚えている余裕などなかったから。病院の名刺に住所が記載されているから問題ないだろうと思っていた。タクシーの運転手もそれを見てわかると言ったのだから。料金のことだけが心配だった。三十ルピーでいいとは言ったものの、こうした乗り物でのトラブルは最後まで何が起こるかわからないからだ。とにかく一刻も早く、かつ無事に病院へたどり着くことが、僕にとっての最優先事項だった。


そう思っていた矢先、タクシーが道路脇に寄せられ停車した。


「ここだ」


無表情のまま運転手は僕にそう言った。
目の前にも、あたりを見まわしてみても病院なんてどこにもない。確かに見覚えのある景色で、病院がある程度近い場所にあるのはわかるけれど、ここではない。


「俺は以前にも病院に行ってるんだ。はっきりと場所は覚えてないけど、ここじゃない。その名刺に住所は書いてあるはずだ」


と僕は言った。


「あとは、人に訊けばわかる」


と運転手は淡々と答えた。一瞬カチンときたけれど、僕は感情を抑えて冷静を保った。「お願いします」と一呼吸おいてからゆっくり、丁寧に言った。


「病院の前まで行ってください」


だが、突然むきになって怒鳴り始めたのは運転手の方だった。


「あとは歩いていけと行ってるんだ!!」


その言いざまに、僕はどうにも我慢することができなかった。


「おまえ、これタクシーだろ!!」


運転手の対応につい怒鳴り返してしまった瞬間、また腹に激痛が走った。


―くそぅ・・・


舌うちをしてから、もう一度冷静になろうと感情を大きなため息に包んで吐き出した。だが運転手の方は落ち着くどころか、よりいっそう声を荒げるばかりだった。


「早く金を払え!!」


僕の座っている後ろ座席の方を振り返って運転手は言った。


「ふざけんな!!!!!」


苦しかったのもあって、悔しさもあって、ありったけの力を振り絞って日本語でそう言い放ち、僕は十ルピー札二枚を投げつけてタクシーを降り、思い切りドアをばたんと閉めた。運転手もカッとなったのか勢いよく外へ飛び出し、僕を睨みつけながら車の屋根を手の平でばんばんと激しく叩き鳴らして叫んだ。


「おい!!!あと十ルピーはどうした!!!」


頼んだ場所まで到達していないのだから約束どおりの額など払うつもりはない。


「俺は病院って言ったんだ。ここは病院じゃないだろうが!!!」


僕はそう言って相手の反応など無視して振り向き、歩き始めた。運転手はそれ以上食ってかかってはこなかった。そもそも病院まで行って二十ルピーが正当な料金なのだ。依頼された場所まで送らなかったにも関わらず、それでも十分な金を手に入れることができた時点で運転手も満足だったのだろう。


そこから僕はふらふらになりながら何人もの街ゆく人々に道を訊ね、病院を探してまわった。気を抜いたら倒れてしまいそうで、どれほどの時間がかかったのかなどわからない。迷った分も含めて三十分は無駄に歩いたのではないか、そんな漠然とした感覚だけが残っていた。


病院の入り口にたどり着いた時、僕は受け付けも済ませることなく、倒れ込むようにしてソファーに沈んだ。

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December 23, 2006

ミルクの男

テーマ:(12)インド

コルカタの病院は、泊まっていた宿のオーナーから紹介してもらった私立の病院だった。この国の病院事情を知らない僕にとってインドの病院に対するイメージは、薄暗くて不潔、回復よりもむしろ病状悪化の不安の方が先立ってしまうほど信頼性を欠くものだったが、「~クリニック」と名付けられたその病院は僕の想像とは裏腹に、最新鋭の設備が整い、おおよそ病院の持つ重苦しい雰囲気とは無縁の清潔感漂うとても綺麗な病院だった。


初回の診察料だけで三百ルピー(一ルピー=2,7~8円)を請求されるあたり、インドにおけるある程度の富俗層、あるいは僕のような外国人旅行者に的を絞った経営であることは明らかだった。他の総合病院ではトータルの費用が数十ルピーから百ルピー程度で済むと聞いていたから大きな出費ではあったが、安心料の意味合いも込めて僕はここでレントゲンと血液検査を兼ねて診察を受けることにした。二日後に出た検査の結果では、特に異常は見つからなかった。


「一年も旅を続けて疲れが溜まったんだろう、自転車による体への負担も通常の旅行者に比べて大きい。当然といえば当然の話だ」


とドクターは言った。インドの後はどこまで行く気なのかとの問いに、世界中を行けるところまで行くつもりだと僕が答えると、「まったく変わったやつだ」とドクターは肩をすくめ、しばらくは安静にするようにと付け加え、高級そうな金色の万年筆で処方箋の最後の欄に書き込みをした。


僕はさして頑強な体ではない。旅に出て一年、移動するたびに生活環境も食事も変わっていく状況の中で起きた体の異変。僕はここでこの旅にドクターストップがかかるのではないかと内心気がかりだったが、なにはともあれ、しばらく休めばもとどおり旅が続けられそうだとわかり、少しだけ安心した。数日間、食事は控え目にし、はりきっての行動をやめてサダルストリート周辺をうろつく程度にとどめた。五日も過ぎた頃にはだいぶ体も心も楽になり、元の調子を取り戻しつつあった。


しかし、順調に回復へ向かっていたはずの体は、一週間後、突如として再び悪化した。深夜、腹痛で目が覚めてトイレに駆け込んだ時にはまたひどい下痢になっていた。


「うぅぅ…なんでまた…」


朝方までベッドとトイレの往復をくり返し、結局眠りにつくことなどできずに僕はずっともがき、唸り続けた。 その日の午前中、薬のおかげでほんの少しだけ痛みが和らいだ時間を見計らって、僕は再び病院に行くことを決めた。だが、それと同時に僕は憂鬱な気分になった。


病院までは、若干の渋滞を考慮してもタクシーで二十分ほどの距離だった。それは僕にとってとても長い道のりだった。体調が優れず、早く病院に着きたい焦りの分だけ時間が長く感じられるという理由もあるけれど、それだけではない。それ以上に長い道のりになることがこの数日の滞在で僕にはわかっていたからだ。そして案の定、僕の危惧するとおりそれは果てしなく長い道のりになった。


いつものように宿を出てわずか三分と経たないうちに、一人の男が話しかけてきた。肌の色は黒く、白髪まじりの頭、痩せていて背丈は僕と同じく百七十センチくらい、三、四歳の小さな娘を脇に抱きかかえている。


「この子にミルクを買ってやってくれないか」


と男は英語で話しかけてきた。それどころではない僕は無視して歩いていたのだが、男はずっと後をついてくる。


「なぁ、この子にミルクを買ってやってくれ」


僕の隣に沿うようにして歩きながら男は二、三度同じことを言った。僕は腹がずきずきと痛むのをこらえながら、「ミルクいくらだよ」と訊き返した。


「百ルピー貰えれば何とかなる」


小さな娘を右脇から左脇に抱え直して男はそう答えた。


冗談はよしてくれ、と思いながら僕は首を振り、追い払いながらまた歩き始めた。だが、既にミルクの値段を訊き返してしまった時点で間違いだった。たいていの旅行者ならば端から相手にするはずもないのだけれど、僕に脈ありと思ったその男は僕がタクシーを拾おうとする間、しつこくまとわりついてきた。ごめん、と男に謝った後、今朝からとても腹が痛くて苦しいんだ、今から病院に行くんだ、と告げると、


「そうか、それはよくない。病院へ行くべきだ、お金があるんだから。うちの娘もよく体を壊す、でも病院には行けない。お金がない。ミルクを飲む金もないんだ。だから、この子にミルクを買ってやってくれ」


とミルクの男は答えた。


体が熱を帯びてだるい。腹の痛みのために半ば前かがみの姿勢になって歩く。そのすぐ後ろにぴたりとくっついて男はミルク、ミルクとせがむ。そもそも、そのやけに流暢な英語がよけいに腹立たしい。男と娘にとってそれが日々の日課になっていて、ある意味商売なのだということがありありとわかる。貧しいことに変わりはないのだろうが、そんな境遇の人々はごまんといるのだ。いちいち関わっていては正直きりがない。それに申し訳無いが、今はそれどころではないのだ。


すぐにタクシーに乗り込んでしまいたいけれど、この街ではタクシーを一台掴まえることにも苦労する。まず道端に寄せてあるタクシーにはろくな運転手がいない。メーターはあってないようなものだし、料金は交渉制の上、日本人とみるや大幅にふっかけてくる。僕は比較的交渉のしやすい流しのタクシーを掴まえようと大通りに出た。しかし、手をあげてタクシーを止めて値段を交渉し始めるのだが、相場の倍以上を言い値とするタクシーばかり。さらに交渉の間もずっとつきまとう例の男は、そのすぐ後ろでミルクをせがみ続ける。


体内で腸がねじり切れそうになる痛みを覚えた。宿を出てタクシーに乗る、たったそれだけのことになぜこんなにも苦労しなければならないのか。次第にねっとりとした嫌な汗をかき始め、膝には力が入らなくなり、吐き気さえもよおしてきた。これ以上交渉に時間をかける余裕はない。百メートルほど先の道路脇に寄せてあるタクシーを見つけて、仕方なく僕は値段が倍であろうとそれに乗り込むことに決めて、ふらつきながらそこまで歩いた。


暇を持て余した様子で道路脇にしゃがみ込んでいた運転手は、近づいてきた僕を見てのっそりと立ち上がった。言葉をひとこと発するのも辛かった僕は、病院の名刺を見せてそこへ行くように頼んだ。「いくら…」と息切れしながらに訊ねた僕の様子を見て、インド人とはいえさすがに情が湧いたのか、運転手はこれまでの中では最も安い「三十ルピー」と答えた。病院までの料金は二十ルピーだと知っていたから、それでも十ルピーはしっかりのせられているのだけれど、ここにきてもはや二、三十円などどうでもいいことだった。体調が悪くて一刻を争うならば、百ルピーでも二百ルピーでも払って最初から行ってしまえばよいものを、それにもかかわらずたった二十ルピーごときにこだわったのは、一年旅をしてきた末に染みついた貧乏性というわけではなく、後々の旅行者のためでもなく、「絶対に言いなりになってたまるか」というインド人に対するある種の敵対心からかもしれない。


早く病院へ行かなければまずい、とタクシーのドアを開けて乗り込もうとした時、ミルクの男が娘を抱えながら空いた片方の手で僕の腕を掴んだ。


「プリーズ!!プリーズ!!」


男のじゃりじゃりとして且つ甲高い声が弱った僕の体を突き抜けて響き、そのたびに全身が不快な痛みに襲われる。僕は後ろのポケットに入れた財布から一ルピー硬貨を二枚取り出して男の手に握らせた。ミルクの男とその娘に情が移ったわけではない。優しさなんてものでもない。これ以上、喚いてほしくない。単に、うっとうしいのだ。


僕はタクシーに乗り込み、ドアを閉め、後ろの座席にどすんと腰を落とした。しかし、安心したのも束の間、ミルクの男はおとなしく立ち去るどころか空いていた窓から手を突っ込んできて、もらった二枚の硬貨を僕に示しながらさらに喚き始めた。


「たった二ルピー!?これじゃぁ、チャイを一杯飲んだら終わっちまうよ!!」


その言いざまに怒りの感情が反応した瞬間、また体に激痛が走った。この男には、僕の体がどうであろうと、命がどうであろうとまったくもって関係のないことなのだろう。こうした貧しいいわゆる下層の人々が住む世界では、皆、自分が生き延びるために必死なのだ、などと悠長に思いふける余裕があればまだましかもしれないが、今の僕にそんな余裕があるわけもない。もしも今僕が病人でなかったならば、窓から伸びてきたその男の手を上半身ごと力いっぱい引き込んで、顔面に拳でも食らわしていたかもしれない。


「とっとと出してくれ!!」


何の口出しをするわけでもなく、事の運びをただ眺めているだけの運転手を怒鳴りつけたせいでまた腹に激痛が走り、思わず顔が歪んだ。エンジンがかかっても手を引っ込めようとしなかったために、ミルクの男は走り出してすぐ、車に引きずられるようにして抱きかかえていた娘もろとも道路に倒れ込んだ。道路に這いつくばり、娘が泣き出してもなお、男は窓の外へ顔を出して見ていた僕から視線を逸らさず、手を伸ばしてひたすらに叫び続けていた。心が痛まなかったわけじゃない。でも正直なところ、うっとうしさから解放された安堵の方が大きかった。


少し先の交差点でタクシーが止まった時、僕は息をするのもやっとな体で、それでも気になって後ろの窓から男の姿を追った。まだ男と娘は道路脇に倒れたまま、喚いているようだった。大通りには人が溢れている。誰も手を差し伸べようとする者はいない。僕とその男がやり取りをしている時からそれはそうだった。誰も見向きもしない。まるで最初からこの街の誰の視界にさえも入っていないかのように。それは空気のような透明な存在、というより腐敗臭を放ちながら街のいたるところに散乱するゴミと同じ、といった方が近いかもしれない。


道路に倒れ込んだミルクの男と娘の姿。


「そういう世界なんだろ…ここは」


そう言い訳をしながら、僕はその光景を見て見ぬふりをした。

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December 10, 2006

インド 暗鬱な世界

テーマ:(12)インド

インドの大都市コルカタ。


陽の当たらない薄暗い安宿の一室、じめじめと湿気に満ちたトイレとベッドの間を何度となく行き来する。わずか十分と経たないうちにまたトイレに駆け込み、苦痛に顔を歪めながら僕はうなだれる。錆びついて濁った水のような便が、蛇口を無駄に勢いよくひねったかの如く体内からとめどなく排出される。体に必要な水分までをも残らず搾り取るようにしてそれは吐き出され、脱水症状からか喉が異様なほど乾き、ねっとりした油汗が額に惨む。腸がねじり切れそうな激痛と四十度以上の高熱で意識が朦朧とし始める。


覚えのある症状と苦しさだった。
旅に出る前、社会人として働いていた時分に一度入院したことを思い出した。原因はわからない。あの時も同じだ。あれがたとえ見えないストレスだったとしても、ここ最近の僕はおよそストレスとは縁がないほど穏やかな気分に満たされた毎日だった。


バングラデシュ国境の町ベナポールを抜けて三日前、僕は新たな国インドへと入った。


緑豊かな樹木が道の両脇に生い茂り、庶民生活溢れる光景のなかを一本道が続く。想像していた世界とは違い、どことなく穏やかで、柔らかな空気に包まれて僕は気持ち良く自転車をこいでいた。集落を通りかかるたびに、バングラデシュよりもさらに人なつっこくなった感のある田舎の人々に呼び止められて立ち止まる。チャイを飲んでいけ、腹は減ったか、補給用の水は大丈夫か、一緒に写真を撮ろうじゃないか。なかにはプレゼントにマフラーをかけてくれたり、布性の葉書入れをくれる人もいて、五キロおきくらいにそんなことがあってちっとも前に進まない。


ボンガオンを経由し、南の方角へ進むにつれて荒涼とした大地に変わり、やがて遠くに大都市コルカタの姿がぽつりと見えてくる。旅に出てから一年が経ち、ようやくやってきた南アジアの国インド。街を見据え、ペダルの回転をいったん止めて、ペットボトルの水をひとくち、ふたくちぐいっと口にしながら僕は思う。


インドはもう、どこかの知らない遠い国ではない。


僕がまだインドをテレビで見る西遊記でしか知らなかった頃、インドはそれこそ神秘に満ち溢れた存在だった。そんな世界が僕の住む日本と同じ空の下にあるなんてことは想像にも及ばず、インドそのものが空想世界の産物だと思っていた。僕は大人になり、時代も変わった。インドはもう、「天竺」のようなお空の国ではないのだ。


インドに限らず他の国についても同じことだが、僕がそうしたことを「実感」として感じられるようになったのは、旅に出て自分の足でその土地をまわるようになってからのことだった。そんなことは今や、ガイドブックを見れば、インターネットを覗けば、誰でもすぐにわかるような時代なのだけれど。


コルカタへたどり着いた僕は、宿に荷物を置いて、ゆっくりと街を歩いてまわった。目の前に広がるインドの光景に別段大きく心が揺さぶられることもなく、驚くほど冷静な自分がいることに気がついた。目が肥えてきたせいだろうか、衝撃的なはずの光景はさほどには感じられなかった。旅をして一年、好奇心が少なからず薄れていることの証拠であり、それは長く旅をすることの弊害でもあった。


タイ以降、ミャンマーを経てバングラデシュ、インドと一つ一つ進んできた僕にとって、あらゆる変化は緩やかな流れのもとでなされてきた。人、食べ物、街並み、といった、それらは表層的な部分にすぎないけれど、それでも僕のペースに沿った形で少しずつゆっくりと、目に映る世界がより濃厚なアジアの色に移り変わっていく、その変化の過程を感じられることは旅の楽しみの一つでもあった。ただ、その緩やかな変化はすうっと自分の心に入ってくる代わりに、天から轟き落ちてくるような衝撃をもたらすこともまたないのであった。


そうした流れのなかで初めて訪れたインド。


僕は漠然と心のどこかでもっと刺激的な何かを探していた。しかし、そんなことを思っていた矢先に体調が激変した。どんなに充実した旅の日々を過ごしていても、見えない疲労は蓄積されていたのかもしれない。


自分の気持ちの状態によって旅先で見えるもの、出会うもの、感じるものは面白いほど激的に変わる。体調に異変が起きてから、僕の目に映るコルカタの街はその様相を著しく変えた。


スラムや旅行者の集まるサダルストリート周辺は、歩くだけで腐敗臭が鼻をついた。黒々しい光沢を身にまとったカラスや勢い盛んな鼠の集団、時には同じ「食」に群がらんと人間までもがゴミをつつく。頭部の上半分が人為的に剥ぎ取られたかのように、脳味噌を露出した犬がうつろな目をして道を横切る。そんな状態で尚も生きているのはここがインドであるがゆえのことなのか。道路脇の溝では、そこかしこで立ち小便ならぬ「座り小便」をする男たち。華やかに着飾った人々や小洒落たレストラン、芸術的感覚溢れる建造物、緑豊かな公園よりも、今にも崩れ落ちそうで廃墟と化したような住居群や街中を俳諧する物乞いたち、そうした退廃的な光景の方が強く視覚的に訴えてくる。


僕には体調を整える時間はもちろん、しばらくの間充電期間が必要だった。


しかし、インドは僕が安らかな時間と休息をとることをそう簡単に許してくれるような場所ではなかった。少なくとも今いるインド、初めてのコルカタの街は僕にとってそういう場所だった。


まるで強大な磁力によって磁場が乱され、狂ってしまった羅針盤のように僕の心は方向を見失ってぐるぐるとまわり始めた。次第に僕は、自分とインドとの距離感までもがつかめなくなっていった。


これまで訪れた国では、自分とその国の距離感を少なくとも自分の意思によって自由に保つことができた。その街や人を外から眺めていたければそうできたし、望むならば内なる世界をある程度の範囲で覗くこともできた。でもインド、とりわけ北インドは違った。自分が望む望まぬとに関係なく、否応なしにその世界へと引きずり込まれていく。そう気づいた時には遅いのだ。刺激的な何かを探すもなにも、インドに足を踏み入れた時点で既にこの世界に呑み込まれていたのだということを、僕は後々嫌というほど思い知らされることになる。


そして僕はインドに打ちのめされる。


けっしてインドの奥深さや神秘さに、はたまた政治や文化、宗教などに関連して何かしら感銘を受ける、といった類のものではない。それ以前の問題だ。それは、インドにおける身分や貧富の差こそあれ、僕と同じ「人間」であるインド人、現実のインド世界に生きる「彼らそのもの」。地の底から伸びてきた何十、何百という手によってじわじわと引きずりこまれていくような感覚。その手は、インドにいる限りいつまでもしつこくまとわりつく。人間の生きる力、などという大そうなものでもない。人間臭さと言うべきものなのか、単に性格と言えばいいのだろうか。


いずれにせよ、それらすべてをひっくるめてインドだと言うならば、やはり僕は、インドに打ちのめされたのだ。


旅の出発からこれまでのことを振り返り、ゆっくりと感慨にでもふけりたい気持ちでいたけれど、そんなことは到底無理な状態だった。旅に出てちょうど一年目を迎えた日、僕はインド、コルカタの病院で力なく沈んでいた。


そしてこの日を境に、さらなる暗鬱な世界へ、僕はじわじわと引きずり込まれていく。

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