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手のひらの中のアジア
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September 16, 2006

アキィの恋

テーマ:(11)バングラデシュ

アキィ


ある日の午前中のこと。

僕もアキィも朝から元気なチビっ子たちとたわむれていた。


村の池に浮かぶ一隻のボート。

アキィはふと何を思ったのか、すたすたと岸辺まで下りていくと、杭に結びつけてあったロープを解き、たった一人そのボートに乗り込んだ。その場にいたチビっ子たちがそれを見て「ボートだ、ボートだ!!」とはしゃぎ始め、急いで後を追うようにして船着場への階段を駆け下りていく。何人かは僕の腕をぐいっと引っ張って早く、早くとせかす。しかし、勢いよく追いかけていったチビっ子たちがたどり着くのを待たずして、ボートはアキィ一人を乗せたままゆっくりと岸を離れて動き出した。


「あーっ!待って、待って!!」


そんなチビっ子たちの飛び跳ねて叫ぶ姿を横目に、アキィはフフッと軽く笑みを浮かべながらオールを掻き出し、池のなかほどに進んでいく。こんな行動をとるアキィを見るのは初めてだ。


「アキィーっ」

「待ってってばぁーっ!!」


チビっ子たち何人もが大声で何度も何度も叫ぶのだが、アキィにはまるでそれが届いていないかのように反応がない。しばらくしてオールを掻き出すのを止めた彼女は、その場にまっすぐ立ったまま、流れのままに身をまかせた。アキィを乗せたボートは池の中央あたりをゆっくりと八の字を描くように漂っている。


僕らの姿はもはや彼女の視界の外にあった。心、ここにあらず。アキィの視線は深い緑色した池に向けられていたけれど、それは水面ではなく、見えるはずのない池の一番奥底を見つめているかのようだった。何かを思いつめている、といったような。もっと正確に言えば、「何かを」ではなく、「誰かを」だ。アキィの心の中で、何かが変わり始めていた。


アキィ


アキィは恋をしている。

それは、僕の直感だった。タンガイルに来てからのアキィはこれまでとあきらかに違った。アキィがとる行動、何気ない仕草、どれ一つとってみても、そこに内面から滲みでる生きいきとしたオーラのようなものを感じるのだ。それは、ずっと続いていたダッカでの家事手伝いの仕事から一時的に解き放たれた喜び、そこからくるものとは質が違う。アキィは、ここ数日で妙に大人っぽくなり、綺麗になった。そして何より、アキィは「恋する女の顔」をしていた。


午後になり、僕はアキィを外へ連れ出した。


「アキィ、一緒に、モニールの家、行こう」


一瞬、えっという表情を見せたけれど、それからすぐに首を傾げるOKの仕草でアキィは笑って答えた。本来、田舎に戻ってきたとはいえ、アキィはムスリムの女性に変わりはない。昼間から一人でふらふらと外を出歩くことはありえぬこと。でも僕が出かける時の案内役としてなら外出は簡単に認められた。運転手役として村のリキシャワラ、ナシィさんが僕らを連れていってくれることになった。


村に到着すると、すぐに好奇心旺盛な子供たちが走り寄ってきた。それから少ししてモニールが姿を現した。比較的濃い顔の多いバングラデシュ人のなかでは珍しく端整な顔立ち、加えていつも冷静で落ち着いた印象のある二十五歳の男、モニール。ダッカではアキィと同じくルナのマンションに住んでいて、五階の住人の一人でもある。タンガイルでは別々の集落だが、ルナ家とは親戚関係にあるようで、よく家にも遊びにやってきた。 


一足先に帰郷していたモニールと握手を交わした後、彼は僕を家の中に招き、家族を紹介してくれた。チャイをいただきながら和やかに談笑し、それからしばらくして集落のまわりを案内してもらうことになった。


細い水路が両脇を挟んだ、ひと一人通るのがやっとの畦道を僕らは歩く。先頭はモニール、その後をアキィ、僕、少し離れて子供たち、と行列のようになって。僕の目の前を歩くアキィはいつになく言葉数が多く、足取りも軽い。と思った矢先、足を踏み外してあわや水路に落ちそうに…。


「きゃっ!!」


思わず声を上げたアキィを見て一瞬ひやりとしたけれど、何とか体勢を持ち直して事なきを得た。前を向いていたモニールがうしろを振り返って何やらアキィに言いつける。口調からすると「喋りながら調子に乗って歩いてるからだ」というようなことを。これまでのアキィならしょんぼりと下を向いてしまいそうなものだが、怒られたアキィは逆にフフッと笑ってなんだかとても嬉しそうだった。

何気ないやりとりだったけれど、僕にはこの時、それが池の底を見つめて「誰か」を思うアキィと重なった。


畦道を抜けて集落を一周してきた僕らは、モニールの家の前にあったベンチに腰を下ろす。それほど長い時間はとらせなかった。僕はすぐに席を立って子供たちと遊ぶことにした。アキィとモニールが僕の村案内役をしなくて済むように二人を残して。


思ったとおりだった。僕が子供たちと鬼ごっこやらかくれんぼをしている間、少し離れたところに見える畦道を、モニールが前を、アキィがその二、三歩後をついていく形で歩く二人の姿が見えた。なんだか微笑ましいような、でもどこかぎこちなくてむずがゆいような、そんな気持ちで僕は立ち止まって二人の光景を見つめていた。


「なにやってんの?」


一人でニタニタと笑いながらつっ立っていた僕を見て子供たちが顔を覗き込む。気づかれて叫ばれたりしたらせっかくの雰囲気が台無しになってしまう、と僕はあわてて取り繕う。


「ん?あ?いや、なにも?があああ!!鬼だぞー!!」

「ぎゃーっ!!」 


急いで四方へ散る子供たち。ふぅっと思わず溜め息をつく。


「そろそろ帰るぞぉ」


一時間ほど経った頃だろうか。僕らを呼びにきたナシィさんの一声で、帰り支度を始める。一緒に家まで行くよ、と言ったモニールも乗り込み、四人で村を出た。


暮れ方、辺り一面に広がる田園の中をつづく一本道をゆっくりと荷台式リキシャに揺られて家路をたどる。ナシィさんがペダルを踏み込むたびに生じる「ぎぃこ…ぎぃこ…」という軋みが、ちょっと古びた、でも不思議な味わい深さを醸し出すバイオリンの音のように響き渡る。僕らは誰一人、何一つ言葉にせず、そのどことなく懐かしい故郷の晩景に心をあずけていた。


夕陽は、少しずつ遠く山の稜線に近づき、だんだんと薄暗くなってゆく。街灯一つないこの辺りは、日が沈むと途端に真っ暗闇に覆われる。日中は軽く汗ばむほどだった気温も、それまでが嘘のようにぐっと冷え込む。乾いた風が体をかすめるたびに顔をしかめて身震いしてしまう。気づくと足を揺すり始めていた僕は、ぶるっと肩を震わせながら腰に巻いていた上着を解いてすぐに着込んだ。はぁぁっと息を吐きかけながら両手をこすり合わせる。そのあまりの寒さに、思わずそれを口にしようとした時だった。


「オネック タン…」


ほんと寒…振り向きざまにそう言いかけて、僕は思わず言葉を止めた。


僕の斜めうしろ、そっと肩を優しく包み込んだモニールの腕の中で、アキィは身を委ね、目をつむっていた。薄暗がりでぼんやりとしているけれど、まだかすかに顔は見てとれる。そのあまりに穏やかな表情。心が温かいもので満たされているのがこちらにまで伝わってくる。これまで見たことのないアキィ。誰かを思い、誰かに思われるということが、こんなにも人を優しい顔にする。


「ほんと寒くて嫌になるね」


さっき言いかけたその言葉を僕は心の中で撤回した。

タンガイルの冬が寒くてよかった。

それは、二人が寄り添うための、この上ない理由になるから。


これまでずっと同じ屋根の下にいたけれど、たいした話をしたこともなかったモニールと、ふとしたことがきっかけで話す機会ができたアキィ。気づけばいつしか彼のことが気になる存在になっていて。離れている時には、彼の顔がいつも浮かぶようになって。やがてモニールの腕に優しく包み込まれた時、アキィはこれが恋なんだと確信した。一番大切な人は、ずっと前から一番近くにいたんだ。


辺りが完全に暗闇で覆われようとする直前、ぽっと灯された小さなあかり。


バングラデシュの冬空の下、今日ここに、一つの恋が生まれた。


アキィ

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September 02, 2006

ブランケット 

テーマ:(11)バングラデシュ

ぶらんけっと  


タンガイルにやってきてから僕の身の回りの世話をしてくれるのは、やはりダッカの時と同じくアキィだった。


食事の時間に部屋へご飯や煮物、スープといったものを運んでくれるのも彼女なら、昼間、家の手伝いがない時に、村の人たちと一緒にタンガイル周辺を案内してくれるのもそう。寝る前の蚊帳作りも、ダッカの時と同じく二人の暗黙の共同作業だった。


夜、部屋から少し離れた場所にある井戸で歯を磨き、顔を洗った。


井戸から汲みあげられる水は指先がじんじんと痛むほど冷たい。タオルでさっと顔を拭いた後、中腰姿勢だった体を起こすと、ふと自分の影が動いてその存在に気づいた。夜空を見上げると、灰色に包まれたダッカの街では意識することもなかった月が、タンガイルの澄んだ空気のなかで、はっきりとその姿を現していた。ぼんやりと透けるほど薄い帯状の雲が、月をかすめるようにゆっくりと流れている。庭先の電灯はすでに消されていたけれど、月明かりが示してくれる草むらの道を、僕は肩をすぼめながら足早に戻った。


この時期、タンガイルの夜は凍えるほど寒い。


布団は厚手のものが一枚用意されていたけれど、それでも一夜を越すには少々役不足といったところだった。僕は、土竃で火をおこして暖まりながら楽しそうに談笑していたおばさんたちの傍へ行って、身振り手振りを交えて訊ねた。


「寒いからブランケットがあったら貸してほしいんですが」


おばさんたちは、ブランケットという言葉を聞いて不思議そうな顔を見せた。やはり通じてはいないようだ。そのうちの一人は僕が寒さを表現するために腕や体をさする仕草を見せると、それが体を洗いたいという意味だと解釈したようで、再び井戸へと案内されてしまった。


「ノー、ノー。ブランケット、ブランケット」


僕は頭を抱えながら思わず苦笑いした。実際に布団を見せて伝えた方が早いと思い、皆を呼んで部屋へ行こうとした時だった。


別の場所で夕食後の片付けの手伝いをしていたアキィがひょっこりやってきた。


「何をしてるの?」


アキィがおばさんたちに訊ねると、


「こっちも何のことだかさっぱりなんだよ」


そんな様子で一人が肩をすくめて答えた。それを聞いたアキィは、今度は僕の方を向いて一言、問いかけた。


「キー?」


なに?というわかりやすい言葉で。


バングラデシュに限らずどこの国を訪れても、たいてい人は、僕がその土地の言葉を理解しようがしまいが、おかまいなしに普段の口調で喋り続けることが多いけれど、アキィはそうじゃない。アキィはいつでもこちらの理解度に合わせて片言なら片言の訊き方、答え方をしてくれる。難しい言葉やよけいな単語を省いた必要最低限の言葉で。だから「何を困ってるの?」でもなければ、「どうしたの?」でもない。僕が混乱せずに、確実にわかるであろう「なに?」という最も簡単な単語をあえて選んで投げかけたのだ。


僕は、寒いからブランケットが欲しいんだとアキィにゆっくりと英語で伝えた。もちろんダッカにいた時に僕がアキィと英語で会話したことなどない。でもアキィは、僕が時折ルナに口にしていた「ブランケット」という言葉を耳にして覚えていて、今僕が何を言いたいのかすぐにわかったようだった。


「なんだい。お腹がすいたっていうのかい?」


おばさんたちの一人が食べ物を口にする仕草をしながら確認しようとしたところ、アキィは答える。


「違うわ。彼は毛布が欲しいって言ってるのよ」


困った顔をしていた彼女たちにそう告げると、アキィはすぐに別の部屋からブランケットを引っ張り出して僕のところへ持ってきてくれた。


「あらやだ、この子ったらいつから英語なんて話すようになったんだい」


小さい頃からのアキィをよく知るおばさんたちは、アキィが僕の言ったことを理解し、外国人と意思疎通できていることに驚いたのか、笑いながらイングリッシュがどうとか言っている。たまたまそこを通りかかった大ババさんにまでそれを伝えてさらに大笑いしている。


「ちょっとお婆ちゃん、聞いて。アキィったら、英語なんて話すのよ」


それを聞いていたアキィは恥ずかしそうにサリーの袖の部分でとっさに顔を覆うと、足早に自分の部屋へと戻っていってしまった。


ちょっと申し訳なく思いつつ、僕も笑いながらその様子を見ていた。僕のベンガル語の習熟度からすれば、アキィにも他の人たちにも伝え方は何ら変わりはない。そして、アキィは英語を理解できるわけでもない。ただ、たった二週間ダッカの同じ環境で暮らしてきただけなのに、言葉がわからなくても僕とアキィはここまで意思疎通ができるようになっていたことが不思議で、驚きで、そして嬉しくもあったのだ。いつのまにかアキィは、この村で僕にとって誰よりも頼もしい存在になっていた。


アキィには僕の考えていることがなんとなくわかる。僕にはアキィの考えていることがなんとなくだがわかる。


しかし、幸か不幸か、それによって僕は知ってしまうことになる。

 
この村の人たちも、ルナさえもまだ知らない、小さなブランケットの温もりに包み込まれたような、アキィ初めての恋を。


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