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手のひらの中のアジア
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June 20, 2006

ダッカ・大晦日・ニューイヤー

テーマ:(11)バングラデシュ

newyear


2005年最後の日。


この1年の締めくくりを僕はバングラデシュ、ダッカで迎えることになった。


夕方からの時間、僕はタンビルとディープという二人の若者に連れられて年末のダッカの街へとくり出した。二人は共に25歳、欧米の大学への進学を目指し日夜勉学に励む学生だった。タンビルはマンションの5階に住むルナの親戚の息子で、ディープはルナのマンションの斜め向かいのアパートに住む友人である。


モッグバザールロードから一本入った通りにあるベイリーロード沿いの歩道は、新たに座り込むスペースを見つけるのが困難なほどダッカの若者たちで溢れ返っていた。道路沿いに数軒立ち並ぶお洒落な喫茶店にはカップルや学生グループの姿が見られ、皆サンドイッチやティーといった軽食をテーブルに並べて穏やかに談笑している。店の外にはチョポティやフスカといったスナック類を売る車輪付きの移動式屋台も多く見られ、5タカ、10タカ(一ドル=約65タカ)程度で一皿山盛り食べられるこうした軽食は男たちを中心に人気があるようで、各屋台の周辺はまったく人が絶えることがなかった。


「ここはダッカの若者に人気のある通りなんだ」


そう教えてくれたディープの言葉はそのままベイリーロードの光景に表れていた。そこにあえて付け加えるならば、若者たちの姿からは「年末特有のどことなく浮き足立つ心」というものが見え隠れし、それらはこの辺り一帯の賑わいにおそらく通常以上の彩りを添えているのだろうということであった。


若者たちは一人一人が皆、文庫本に挟むしおりほどの大きさのチケットを手にしていた。ニューイヤーを祝うイベントのチケットだ。クリスマスの時のこともあってか、僕はてっきりダッカの街ではそういった類のものはなくて人々はただ静かに新年の幕開けを迎えるものだと思いこんでいたのだけれど、若者たちには若者たちらしく、各バーやレストランを貸し切ってカウントダウンの瞬間、そして朝まで盛大に大騒ぎするというそれなりのイベントが用意されていたのだ。


「今夜はお酒も好きなだけ飲めるし、いつになく盛大に盛り上がるよ」


もう今からわくわくして仕方がないといった様子で彼らは僕の肩を叩きながらそう言った。そして僕にも日本からの特別ゲストとしてチケットを用意するからぜひ来てくれと誘いの声をかけてくれたのだった。


「ありがとう、ルナに相談してから考えるよ」


と僕はタンビルとディープに伝えた。イベント自体はとても興味の惹かれるものだった。僕自身、それに参加してみたい気持ちは十分すぎるほどにあった。でも何かが引っかかった。


ルナだった。


家に戻ってから、その予感はものの見事に的中した。ニューイヤーイベントに参加したい旨をルナに告げると、彼女の顔はすぐに曇った。ルナは、あまりそういうイベントが好きではないのだ。イスラムにおいて禁止されている酒を始めとしてドラッグや女、夜の街に潜むアンダーグラウンドな世界をも彼女はよく知っている。その前に、彼女の目の届かない範囲で僕が行動することを彼女はとても心配する。僕が昼間に一人で出かけるという時も同じだし、僕が夜遅く帰ってきた時には夕食を食べずに待っている。何度か予定よりも遅くなって帰宅した時には予想以上に心配させていたことがわかって、僕はとても申し訳なく思ったことがある。


「わたしは、心配よ。もちろんタンビルはよく知ってる。でも安心じゃない。もし何かあっても、彼はすべての責任を取れないでしょ。ルーモンとあなたは同じ、今、あなたは私の息子。だから心配よ」


ルナはそう言った。8歳のルーモンといい歳をした僕は、ルナにとってはある意味同じなのだ。


ルナは僕を居間に呼んで、ちょうどその時間やっていたテレビニュースを見せた。画面では「どこか」の国で起きたデモ隊と警察の衝突、仕掛けられた爆弾でこっぱみじんに吹き飛んだ商店の映像が映し出されていた。数人の市民が暴動に巻き込まれて命を落としたなどと報道されている。


「どこの国?」


「これ、ダッカよ。すぐ近く、モティジールよ。ここから1、2キロのところ、覚えてない?」


僕は一瞬目を疑った。よくよく見てみると、見たことのある建物や通りが映っている。僕がルナ家にやってくる前に滞在していた辺りではないか。テレビというのは恐ろしい。きっと2、3軒隣で起こっている重大事件が、テレビ画面を通して見るとまるで別の国で起きていることのように思えてしまうのだ。


「あなたが思っているほど、ダッカは安全な街じゃない。特に政治的な問題が起こっている時には。恐いよ、だからわたしは今日も外に出なかった」


年が明けた2006年、バングラデシュでは新たな選挙が実施される年だという。そもそもバングラデシュではこれまでも目まぐるしく政権が入れ替わってきた。現在政権を握るカレダ・ジア率いるBNPとシェーク・ハシナを筆頭とするアワミ・リーグ。少し前までよく耳にしたホッタールという事態が起こると街の商店はすべて閉まり、交通期間は遮断、デモ隊と警察の衝突で街はひどく荒れたと聞く。


「思うように政治も経済も好転しないではないか」といういかにももっともらしいプロパガンダによって人々は煽られ、ホッタールが起き、さらには普段厳しい生活を強いられている路上生活者やストリートチルドレンたちが「今ならどんなに暴れてもいい」という条件を得て雇われ、彼らが日々のうっぷんを晴らすために石や火炎瓶を手にするような状況になった時、この街は本当の「狂乱」に陥る。実際にそうしたことが政権を奪うための戦略として利用され、これまで何度も政権交代をくり返してきた背景があるから、バングラデシュでの政治がらみの事件は本当に恐ろしいのだ。


今でこそホッタールやこうした荒々しいやり方というのはなくなってきているとはいえ、こうして2006年の選挙を控えて「前哨戦」とでもいった様子の激しい争いが実際に繰り広げられている。


テレビニュースでは、何も関係のない市民が何人負傷し、何人死んだといって血だらけになりながら担架で運ばれていく人々の姿が何度も映し出されていた。


「今日は、ルーモンやアキィ、サミィとみんなで一緒に新年を迎えるよ」


僕は静かにルナにそう言った。


午後9時頃、少し散歩をしようと思って外へ出ると、ルナの家の斜め向かいにあるディープのアパートから僕を呼ぶ声が聞こえてきた。てっきりもうパーティーに出かけたものと思っていたのだが、ディープとタンビルは暇を持て余した様子で屋上のテラスに腰をおろしていた。


「パーティーは?」


と僕が聞くと彼らは苦笑いしながら答えた。


「ニュースは見た?さっき、政府から外出禁止令が出たんだよ」


「そうなんだ・・じゃぁパーティーは中止?」


「さぁね、わからない。年を越える前に解除されるといいけど」


そう言って彼らは肩をすくめてみせた。


ルナの家があるモッグバザール周辺は、政治的殺伐とした光景はおろか大晦日の街全体がどことなくそわそわするあの独特の気配さえも感じられず、いたって穏やかな夜に見えた。


午後11時50分。


僕はルーモンを連れてマンションの屋上へと上がった。アキィとサミィは誘ったけれど、笑って首を横に振った。屋上には5階に住むルナの親戚にあたるおじさんや、他に数人の男衆がやってきていた。屋上からは、かなり遠くの建物まで見渡すことができた。たいして派手ではないものの、いくつかのビルにはイルミネーションも灯されている。見渡す建物のほとんどは、僕が立っている場所よりも低い場所に位置していた。


「けっこう高いんだな、ここ・・・」


そんなことを思いながら立っていた僕のまわりでは、ルーモンが興奮してカウントダウンを待ち切れないといった様子で走りまわっている。親戚のおじさんが僕に訊ねた。


「日本はもう、カウントダウン終わったかね」


「そうだね、時差があるしね。たぶん、みんなソバ食べてるよ、ヌードル」


「日本はニューイヤーにヌードルを食べるのか」


「そう」


僕はほくほくの蕎麦を箸ですくって、ずるずるとすすって食べるしぐさをして見せた。そんなことをしたら少しだけ「年越しソバ」が恋しくなった。


時計を見た。15秒前。


「くるよ!!」


「10!!9!!8!!・・・」


みんなで声を合わせてカウントダウンが始まる。ルーモンの声は誰よりも大きい。


「3!!」


「2!!」

「1!!」


次の一瞬、ダッカの夜空が淡いオレンジ色に瞬いて見えた。いくつかのビルからは新年を祝うたれ幕がまばゆいイルミネーションで照らされた。ほぼ同時に街のあちらこちらで、われんばかりの歓声と拍手、奇声に近い人々の声までもが街中に轟き渡った。ルーモンはハッピーニューイヤー、ハッピーニューイヤーとくり返し叫びながらそこらじゅうを走り回り、僕もそこにいた人たちとあらためて抱き合ったり、握手をしながら新年を祝った。遠く大音量で流しているのであろう音楽がスピーカーを通して風に乗り、僕らの耳にも届いた。そして若者たちの叫ぶ声、きっと外出禁止令も少し前に解除されたのだろう。


しばらくしてから僕はルーモンと一緒に部屋に戻った。それから家のドアを開けるとすぐに、まずルナに、そしてアキィとサミィにも、二人で大声張り上げながら手を上げて「ハッピーニューイヤー!!」と叫んでまわった。


呆れたような顔をしてきょとんとしていたアキィとサミィがくすっと笑う。


「男の子って好きね、そういうの」


そんな様子で二人は僕らを見ていたけれど、おかまいなしに僕はルーモンを肩車して家の中を歩きまわった。肩の上で僕の頭を太鼓のようにポコポコ叩いてハッピーニューイヤーを叫ぶルーモン。痛いよと訴える僕にルーモンはルーモンでおかまいなしだ。


アキィとサミィはそのまま布団の用意と蚊帳作りを始めた。彼女たちにとっては、2005年が2006年になることにたいした意味なんてものはないのかもしれない、でもそれがまた彼女たちらしくも思えた。


バングラデシュ、ダッカで迎えたささやかなハッピーニューイヤー。


こうしてこのルナの家族と一緒に僕の2005年は、静かに、穏やかにその幕を閉じたのだった。



12/31


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June 16, 2006

サミィとジンナー

テーマ:(11)バングラデシュ


さみぃとじんなー2


ルナの家で住み込みのお手伝いとして働くもう一人の女の子、サミィ。


彼女がこの家にやってきた理由は、アキィと同様に両親や家族の消失、身寄りがないことによるものだった。12歳のアキィと比べると、現在18歳というある程度精神的に成熟した年齢のためか、または単に時の流れが彼女にそれを慣れさせてしまっただけなのか、アキィのようにどことなく不安定な要素といったものをサミィには感じることがなかった。


サミィはルナ家において主に「食事」全般を任されている。ルナが市場で買い込んできた大量の食材を、すぐに使うものと冷蔵(凍)庫に保存するものなどをさっと見分けて手際良く作業を進める。朝、昼、夜の3食、すべてをサミィ一人で準備することもある。


またサミィは一日の時間のうち、その3分の2をキッチンで過ごしているといっても過言ではない。残り3分の1はアキィと一緒に洗濯や家全体の掃除、ルーモンにシャワーを浴びさせてやったり、ご飯を食べさせたりといった形で過ごすのがほとんどだった。自由に遊ぶ、といった姿はアキィ同様残念ながら見たことがない。


数年前、まだこの家にやってきたばかりの当初、サミィは料理はおろか掃除一つとってもほうきで床を掃くということ、雑巾で床を拭くということ、その前に水で洗った雑巾を絞るということに至るまで、何一つわかっていなかったとルナは言う。そんな彼女にルナは、何から何まで一から叩き込んだ。徹底的に教え込んだというベンガル料理は、今ではかなりの腕前だ。


「ぜんっぜんっ、だめっ。私が教えたのじゃないよ」


ルナは今でも絶対にサミィが作った料理を誉めたりしないけれど、きっと認めてしまったらルナの「お母さん」として立場がほんの少し危うくなってしまうことをわかっているから、心の中では少なからず認めている部分があるのに間違ってもそれを表に出して言えない、いや言いたくないのだ、とちょっと僕は思う。


確かにルナの作るベンガル料理はお世辞抜きに旨いから文句はないけれど、僕はサミィの作るさっぱりとして口当たりの良い家庭料理も好きだった。ご飯はポラオじゃなきゃ食べられないというわがままなルナの一人息子ルーモンだってサミィの作った料理を毎日きちんと(半強制的ながら)食べるし、一日に何人も訪れてくる親類や客人たちも同様に食卓を囲んでご飯を食べる。ルナやアキィが手伝うとはいえ、やはり普段の食事に関するもろもろは、サミィ様様なのだ。


そんなサミィは、僕がルナ家にやってくるほんの少し前、人生における一大イベントを迎えたばかりなのだとルナに聞いて僕は飛び上がるほど驚いた。


サミィは、正式な形で「結婚」をし、式をすませたばかりの新婚だったのだ。


相手は、爽やかベンガル好青年といった感じの容姿で19歳、名をジンナーといった。二人はお見合い結婚だった。身寄りのないサミィにとって事実上の親であるルナとジンナーの両親による合意でそれは実現したと言う。


ルナという人が存在しなければ決して出会わなかった二人、出会っていたとしても決して結ばれることは叶わなかった二人。それを現実として可能にしたのは、ルナがサミィの「親」として金銭面での支出を受け持ったり、二人のための生活場所をも与えたからに他ならない。


現在19歳のジンナーは街のビスケット屋で働き、18歳のサミィはこれまでのようにルナ家のお手伝いとして働いている。ビスケット屋の収入のみで結婚後の生計を立てていくのが不可能であるのは、ビスケット一枚の原価と売価の間に生じる純利益を計算せずとも目に見えて明らかである。ましてやビスケットの単価をいくらか値上げしたところでどうなる問題でもない。


ルナは普段自分のマンションの一階に常駐させている「門番」に今度空きがでるため、ジンナーにその仕事を与えるという条件も付加したのだった。二人は常に一緒にいられる、食費もかからなければ服もルナが用意してくれるのでまるで出費がかからない、まさに理想の結婚だった。


僕がルナ家にやってきた数日後、ジンナーが正式に引越してきた。二人の部屋は僕が使わせてもらっている部屋の隣だ。ただでさえいろんな人がやってくる賑やかな家庭にまた新たな家族が一人増え、ルナ家はよりいっそう華やかさを増した。


爽やかベンガル好青年のジンナーは、時々僕の部屋にもやってくる。


「ボス!!」


彼はなぜか僕をボスと呼ぶのだ。この家にデカい面して居据わっているつもりはないし、彼も特に意図があってそう呼ぶわけではないのもわかるけれど、それだけに僕はジンナーにボスと呼ばれるたびにどこか背中がむず痒くなるような思いで苦笑せざるを得ないのであった。


「ボス!! アッサラーム アライクム!!」


と彼が声をかけるので僕は、


「ワライクム アッサラーム!!」


と答える。


イスラムの挨拶は、挨拶を発した側と受け手の側の言葉が違うのだ。誰かがアッサラームアライクムと言えば相手はワライクムアッサラームと答える。だから僕がジンナーに向かって先にアッサラーム~と声をかければ、ジンナーはワライクム~と答えるわけだ。それは時々僕のなかで、部屋の前にジンナーの姿が現れた瞬間どちらが先に「アッサラーム~」と言えるか、といったゲームのような感覚になる。何十回と顔を会わせて、今は五分五分といったところだろうか。


「ボス!! バロアチェン?」


ジンナーは続いていつも決まってそう訊ねる。お元気ですか?と。


「バロアチ」


元気だよ、と僕は答える。


それから時々、マッサージをしてくれたりする。初めは不思議に思っていたのだけれど、実はこれは彼なりの僕に対するコミュニケーションの方法なのだということがわかった。僕はベンガル語をほとんど話せなかったし、彼もまた日本語や少しの英語を話すことができなかった。僕たちには、完全に使いこなせる共通言語というものがなかったのだ。それでもなんとかこうして交流を図ろうとしてくれるジンナーの気持ちが伝わってきて、断りながらも続けるマッサージを苦笑いながらに受けるのだった。


後々、言葉が少しだがわかるようになってきた頃、ジンナーがいつも部屋にやってきては言う台詞があって、僕はその意味を理解した時に思わず胸が熱くなった。


「ボス!!

困ったことはありますか?

もし困ったことがあったらいつでも、なんでも私に言ってください。

私があなたを助けますから」


ジンナーはいつも僕を気にかけてくれて、自分の胸に手を当てながらゆっくりと言い聞かせるように僕に向かってそう伝えてくれていたのだった。


紳士的で礼儀正しい爽やか好青年ジンナーと家庭的なサミィ、彼らはお似合いの二人だった。


さみぃとじんなー


ある朝、ジンナーが仕事で外へ出た後、午前中からキッチンで野菜の手入れをしたり、料理の下準備を始めたサミィを僕は、じぃっと見つめていた。


本当は「サミィ、幸せ?」とでも笑って(ちょっと冷やかしも込めて)聞きたいのだけれど、そんな言葉さえよくわからないので、結局ただじぃっと親父のような目で見るだけになってしまうのだ。


「キィ?」


当然サミィは、いぶかしげな言い方で、なぁにぃ?と僕に訊ねる。別になんでもないよ、と言った笑いで僕は首を横に振る。しばらくして、僕が部屋で荷物の整理でもしていると今度はサミィが僕の部屋の前にやってきて仕返しとばかりに何も言わずにただじぃっと見ていたりする。


「きぃー?」


なにさ?と僕が訊ねると、


「きぃぃぃちゅなっっ」


べっつにぃぃ、なにもぉ、と言った感じで笑いながら彼女は、してやったりの顔をする。


そんなサミィを見て僕は「ほんとに幸せそうだな」と笑いながらも微笑ましくなるのだった。何か大切なものに包まれて幸せを体いっぱいに感じている女性からにじみ出るオーラというのはすぐにわかる。言葉の節々、声のトーン、笑顔一つとってもこれまでとの違いが如実に現れる。それはベンガル人の女の子でも同じなのだ。こうした純粋な輝きはこちらをも何とも言えぬ穏やかな心地にしてくれる。


ほうきの使い方、雑巾の絞り方さえままならなかったベンガル人の少女サミィ、現在18歳、彼女は立派な女性に成長した。


そして今日もキッチンの床にかがみこみ、家族や親戚、やってくる客人へ食事をもてなすため、袋にどっさり入ったじゃがいもを一つ一つ手にとっては慣れた手つきでせっせと皮むきをするのであった。


12/29 


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June 07, 2006

アキィ・アッタリマ

テーマ:(11)バングラデシュ

aki


ルナの家には、まだ12歳の少女にもかかわらずお手伝いとして雇われている女の子がいた。


彼女の名は「アキィ・アッタリマ」。


アキィはこの家において、主に全体の掃除、洗濯、食事時の食器の準備や後片付けを担当する。ルナが家にいる時にはひっきりなしに「アキィィィ!!」という怒声が響き渡る。あれをやれ、これをやれ、と。そんな時のルナは、少し恐い。しかし、


「そんなにあれこれ言わなくても・・(苦笑)」


と思っている僕をよそにアキィはすぐさま言われたとおりに動く。僕が来てからは、その部屋のシーツ交換、蚊帳作り、床掃除など身の回りの世話までしてくれようとするので、


「いいよいいよ、自分でやるから(苦笑)」


と伝えるのだがアキィは、


「No!!」


これはわたしの仕事なの、といった様子でやめようともしない。だから僕とアキィは時々2人で一緒に掃除をする。


食事の準備が整った時や茶(ミルクティー)を出してくれる時に呼びにくるのもアキィだった。


「チャー カベン?」


ドアの前にひょっこり現われて、お茶飲みますか?って首を少し横に傾けて聞く時のアキィのしぐさ、「あぁ・・カボ、カボ(笑)」 飲む飲む(笑)そう僕が答えると、アキィは「OK。。」と言ってキッチンにお湯を沸かしに向かう。この何気ないやり取りは、この家での生活において僕が好きなことの一つだった。


そんな、けなげなアキィ。しかし彼女は時々、行き場のない寂しげな表情を見せることがあるのを僕は知っていた。


その答えに繋がるような話を、ある日ルナが僕にしてくれた。


なぜ、アキィがこの家にやってきたのか。


アキィには、お父さんもお母さんも、いない。数年前まではいた。田舎の小さな村で生まれたアキィは家族に囲まれて毎日を過ごしていた。それがある日突然、お父さんもお母さんも自分の前から姿を消してしまった。 経済的な理由からなのか、夫婦仲の問題だったのか、それはわからない。いずれにせよ、自分たちが生んだ子供の養育を「拒否」したアキィのお父さんとお母さんは、我が子を捨てた。


何も悪いことなんかしてない。


どうしてお父さんもお母さんもいなくなってしまったのか。


自分の身に何が起きたのかわかるはずもないアキィは、ただ泣いていたという。


ある日、目の前から大事なものが全て消えた。彼女に残ったのは、


「アキィ・アッタリマ」


その名前だけだった。


アキィには別の場所に親戚がいたけれど、そこで暮らしていくことは経済的事情からみても不可能で、そこでも身切りをつけられて最後に預けられた場所がルナの生まれた故郷の小さな村だった。 ルナとアキィは、そこで出会った。 その頃には既にダッカの街で今のマンションを持つほどになっていたルナは、家事手伝いとして働くことを条件に、アキィに生活する場所を与えたのだ。一人っ子であるルーモンの遊び相手としてもちょうどいい、ルナはそうも考えていた。


そして今、アキィはダッカのこの家に住み、この家で働いている。ルナが用意してくれる艶やかなサリーを着て、毎日ご飯も食べられる。少し時間が空いた時にはルーモンと遊んだりもする。4歳年上のアキィは、コマ遊びやお絵書き、テレビゲームといったルーモンがする全ての遊びに嫌な顔1つせずに付きあう。アキィもそれなりに楽しそうだ。2人が仲良く遊んでいる姿を見ると、ルナの思惑どおりであることをあらためて実感するとともに、純粋に微笑ましくもなるのであった。


バングラデシュにはストリートチルドレンがたくさんいる。おそらく小さかった頃のアキィのような境遇は珍しいことではないのかもしれない。もしかしたら、アキィは路上での生活を強いられていたかもしれない、場合によってはこの国の影の部分で存在する人身売買の「商品」にさえなっていた可能性も否定はできない。そんなことを考えるとルナの家族に拾われたことによってそうした境遇や貧しさからも解放されたアキィは、むしろ「幸福」な人生を手にいれた何万人に1人の稀有な存在とも言えるのかもしれない。


ルナは、アキィの親代わりとして、到底普通の人にはできない、この上ないほど様々なものをアキィに与えている。服を買うときにも自分の子供ルーモンのものだけではなく、アキィをはじめ他の子供たちの分まで買ってプレゼントする。ルナは本当の母親以上の母親だった。


しかし、それと反対に厳しい一面もある。食事の時、僕がアキィやサミィに「一緒に食べようよ」と言って椅子に座るように勧めても、彼女たちは絶対に「No!!」と言って拒む。それはルナの家で雇われている立場という点での決まりごとのようだった。


居間でテレビを見ている時も、少し離れたところに立ってこっそり見ていることはあっても居間の敷居をまたいで入ってはこないし、ソファーには絶対に腰かけない。


「私が恐いから、この子たちは座らない(笑)」


ルナは僕にそう言う。働くことが条件で住まわせている以上、一線を引くところは引くというルナの方針でもあるがゆえ、僕にそれ以上口を出す権利もない。ただ黙っていることしかできない自分がもどかしいこともあった。しかしアキィが(サミィも同様だが)ルナにどんな厳しいことを言われようと従順なのは、自分を助けてくれた恩人に対しての彼女なりの感謝の気持ちがあるからなのだと思う。


アキィは、どんなにルナに怒られても泣かない子だった。お父さんとお母さんがいなくなったあの日以来、自分が泣いたからって何かが変わるわけじゃない、まるでそう悟ってしまったかのように。


強いわけじゃない、本当は泣きたいことだって誰かに甘えたい時だって子供ならいくらでもあるはず。でもアキィはそうした感情を自分の心の中で押し殺していて、その結果であるようなどことなく寂しげな笑顔を見せるのだった。


無邪気な笑顔の中にふと見え隠れするアキィの寂しげな表情、それは時々僕を複雑な気持ちにさせる。


アキィの心には決定的な何かが欠けてしまっている気がした。


いくら綺麗な服で着飾っても、おいしいものを食べられたとしても、寝るための暖かい場所があったとしても、不自由ない暮らしが与えられているのに満たされない何か。


親から十分な愛情を受けることができなかったアキィのことを考えると、それは「愛」のような気がした。


アキィが特に寂しげな表情を見せるのは、この家の1人息子ルーモンとお母さんのルナが一緒にいる姿を見る時だった。たった1人のかわいい息子をルナはとても大事に育てる。時に厳しく怒鳴りつけたりすることもあれば、時に優しく抱きしめて頬にキスをしたりする。ルナが自分の子供にそそぐ愛情の大きさ、深さはよそ者の僕でも見ていてわかる。アキィは1度もそんなふうに親の愛を受けたことがない。


アキィは今、ルナの娘といってもいい。ルナとアキィの間にも愛はあり、絆もある。でもルナとルーモンの間にある愛の形と、アキィのそれはやっぱり違う。違うということは現実がそうである以上、仕方のないことでもあった。ルナが悪いわけでもアキィが悪いわけでもない。


僕はこの素晴らしいルナの家族のもとで過ごすバングラデシュ生活の中で、唯一アキィのことだけが心残りになってしまうことを覚悟しなければならないと思っていた。


しかしこの滞在中、奇跡は起きた。


それは、アキィのこれまで満たされなかった「愛」が別の愛の形によって満たされる可能性があったということ、アキィの心にはまだ光の射す余地があったのだということを僕に思い出させてくれた。


「愛の形は1つではない」


僕は数日後、アキィ自身がそのかすかな光を見つける瞬間を目の当たりにすることになる。


アキィは、この世に生まれて初めての「恋」をした。



12/28

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June 01, 2006

ルナとルーモン~日常の中のイスラム教~

テーマ:(11)バングラデシュ

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ルナ・パルヴィン。


若い頃、日本で10年くらい働いていたというルナは日本語を話すことができる。今は、旦那さんが日本で働いていて、彼女自身の方はダッカで自動車工場などをはじめとしていくつかの会社のオーナーを務める。


彼女にはルーモンという名の息子が1人いた。ルーモンは、まだ8歳ながらルナによる英才教育を受けて育っている。親の血を受け継いでいるのか、頭は学校でもトップクラスなほどずば抜けて良い。数枚見せてもらったテストの点数は、ほとんど100点、そうでなくても95点以上、一番悪くてどうしようもないと言って見せてくれた1枚の答案でさえ80点台は確保しているほど。僕が訪れた時期は学校が冬休みであったものの、ルーモンはルナに送り迎えをされながら週に何度か、英語の個人教室に通っていた。そのおかげもあってか、日本語は話せなくても英語はペラペラだ。


僕が教えたビンゴゲームや○×ゲーム、時々一緒にやるオセロやチェスといった頭を使うものについては、どうやったら自分が勝てるかということを考えて、1回1回こなすごとに上達していくのが目に見えてわかるので、まったくその頭の回転の早さには驚かされる。


教育後進国といわれるバングラデシュにおいては、未だ学校にも通えない同年代の子供たちがたくさんいるであろう中、ルーモンのような恵まれた環境で生活する子供は稀なのかもしれない。ルーモンはいわゆる限られた「エリート」の集団に属する少年の1人だった。


一方で、若干8歳の少年はその年齢相応の姿も見せる。いつも家にいる時には、だいたいがうるさい。お客さんが来ている時でも、大事な話をしている時でも、とにかくぎゃぁぎゃぁと騒ぐ。


「うる゛っっさいよっ!!」


ルナが日本語でルーモンに巻き舌ながらに怒鳴りつけるのは、もはや口癖のようになっていた。


でも悪がきルーモンは止まらない。


「うる゛っさいよぉぉぉ、うる゛っさいよぉぉぉ。。さんきゅーべりーまっちどーもありがとーございましったぁー」


まったく言うことをきく様子もなく、日本語をふざけて真似をしては叫び家中を走りまわる姿には、お母さんのルナも思わずため息をつく。



そんな家庭の中、この家において独特だったのは、イスラム教の聖典コーランを学習するための家庭教師まで雇っていることだった。小さい子供の頃からこのコーランだけは、学校教育よりも重要視され教育が徹底されている。学校に通っていないアキィやサミィでもこのコーランだけはイスラム世界で生きる人間としてここで教育を受ける。こうしてイスラム教、宗教は内在化されていくのだ。


週に数回、夕方の時間になると、ターバンのようなものを頭にまとってりっぱな髭をたくわえた先生がやってきて、お手伝いのアキィやサミィと一緒にルーモンもコーランの勉強をする。


でも8歳の少年ルーモンはこのコーランを学ぶ時間が嫌いで、いつも先生の訪れを告げる家のチャイムが鳴り響くと、すぐに僕のいる部屋へ逃げてくる。


「ルーモン!!早くしなさい!!」


「やだよっ!!つまんないもん!!」


そんな言い合いをしながらも、お母さんのルナに尻を叩かれてようやく準備を始めるといった具合いだ。こうしたところはイスラムであろうが何であろうが、どこの世界にも共通する子供の姿らしくて実にかわいげがあって可笑しくなる。でもそれからは1時間ほど、まるで合唱部の発声練習のように、いつも先生の後に続いて呪文のような言葉を繰り返す3人の声が少し離れた僕の部屋まで聞こえてくるのだった。


rumon


普段一緒に過ごしている時にはあまり感じることもないのだが、こんな光景を見ているとやはりルーモンもれっきとしたイスラム教徒なのだということを実感する。


お母さんのルナもまたそうだった。


街では1日5回、アザーンと呼ばれる礼拝の呼びかけがモスクから街中に轟くほどの大音量で流れてくる。要は「お祈りの時間ですよ」というお知らせだ。


「アッラーは偉大なり」


その一声で始まるアザーンが聞こえてくるたびに、ここはイスラムの国なのだと実感する。


そしてルナもまた、アザーンに合わせてというわけではないけれどやはり1日のうち、ある時間帯ごとにイスラム教のコーランの教えにそって礼拝を実行する。居間で1人きりになり、ジャイナマスと呼ばれる四方1メートル大ほどの小さな絨毯のようなものを床に敷き、その上に膝をついては何か言葉を呟きながら何度も伏せる姿を毎日必ずといっていいほど見る。


この家にくる前にもダッカの街のそこかしこでジャイナマスを手に祈りを始める人というのを何人も見た。何もないホテルの白い壁に向かい合わせになって膝まずきながら熱心に言葉を呟く人、どこかの建物の敷地の塀の前で何度も何度も伏せている人、そこがどんな場所であれ、ジャイナマスを敷いた瞬間そこは神の領域になるようだった。


このジャイナマスというものは、値段の安いものから高いものまで様々な種類があり、信者はそれぞれ自分に合ったものを買って持っていて、イスラムの信仰においてとても重要なものだとルナの親戚のおじさんが教えてくれた。彼ももちろん持っているし、ルナもまた同様だった。


居間でルナの礼拝の時間が始まると、それを見る時は彼女がイスラム教徒であることを実感するときでもあり、この時だけは近寄りがたいほど神聖な空気があたりを包んでいて、僕が彼女に話しかけることなど到底できないのであった。


もう1つ独特なものとして目についたのは、ブルカだった。


一般にイスラム教信者の女性は、外出時、このブルカと呼ばれるヴェールをかぶる。ブルカは、「女性の美しい部分は隠すものだ」というイスラム教の教えからくるもので、頭から足首まで全てを覆い、目もとだけ開いている、あるいは網状になっている独特の衣装だ。


かつてアフガニスタンのタリバン政権はこのブルカの着用を強制し、だがそれは女性が差別的に扱われることの代表的な例の1つでもあった。働くことはおろか簡単に外出することも許されず、家庭内にしか居場所を持てない女性の自由は限りなく「ない」に等しかった時代、そんなイスラムの世界もあったのだ。今でこそそういった風潮はなくなり、女性の社会進出に伴って自由が少しずつ広がりつつはあるものの、イスラム原理主義の影響によって未だブルカを着用する人というのは少なくないと聞く。


バングラデシュにおいてイスラム教が本格的に浸透し始めた時期や成り立ちとも関係があるようだが、今のダッカではブルカを着用する人の方が少ない。女性は比較的自由に街を歩いている。 同じイスラム教といえども国や地域によって、さらに個人の価値観によっても大なり小なり違いがあるということか。


このブルカの着用も、ファッション性を第1の理由にする人もいれば、気候・風土の特性からくる(例えば砂漠に住む人たちが砂嵐を避けるといった)機能性を理由にする人、男性の視線を避けるために着る人、その他の危険から身を守るために着る人など、様々だという。イスラム教が単純にこういうものだと安易に決めつけられないように、ブルカについてもまた同様、一概にこういうものだと規定できるものではないようだった。


runatorumon

ブルカというものがこれほどまでに気になったのは、ルナのお姉さんたちがそれを着用しているのに対し、ルナ自身はしていないという現実があったからだった。ルナのお姉さんたちは外出する時にはこのブルカをかぶって目もと以外の全身がヴェールで覆われた格好で出かける。仮に街で彼女たちとすれ違ったとしても、向こうから挨拶でもしてくれない限り、僕からはそれが誰であるかも気づくことはないだろう。


家では化粧もせずに顔はすっぴん、スウェットの上下あたりを着こんでソファーでくつろぎ、外出時になると派手な洋服に着替えて、まるで別人のような変身ぶりをみせるメイクを施して、お尻をぷりぷり、街へくり出す日本の女性とは何もかもが反対だった。


ルナのお姉さんたちは外出時よりも、むしろ家にいる時の方が美しい衣装を着こなしている。ルナから聞いたいろいろな話から判断すると、彼女たちは「美しい部分は隠すべき」というイスラムの教えに忠実な信者であり、かつ他の男性からの視線やその他危険から少しでも身を守るという意味合いでブルカを着用しているようだった。


ところがルナ自身はというと、いっさいそんなことはしない。僕がそれについて聞くと彼女はあっけらかんとして言う。


「めんどくさいでしょ(笑)」


「え゛・・・」


「ある程度上の年齢の人や、厳しく教えを守る信者はする人多いよ。いい加減というわけじゃないけど、でも今の人たち、あまりしないよ。ダッカにもそんなにたくさんいないでしょ?私も別にしないよ(笑)」


礼拝の時のイスラム教徒としての厳格な一面とは逆に、「めんどくさい」という理由で着用しないあたりが彼女らしいといえば彼女らしいところでもあった。もちろんいいかげんなイスラム教徒というわけではなく、日本人の僕を相手に話す流れの中での言葉使いにすぎないことはすぐにわかったし、時々ルナが見せるそうしたフランクな部分がまた僕は好きでもあった。


しかし、お姉さんたちとは正反対に、買い物や僕を案内するためにダッカの街を歩くときにはいつもお洒落で目立つ服装をして出かけるので、一緒にいる僕の方が心配になることがある。高級そうなバッグを腕にかけ、どうみても「お金持ち」ということがありありとわかるいでたち、さらに一緒にいるのがこれまた典型的な日本人と一目でわかる僕であるせいか、人々の熱い視線は自然とこちらへ向けられるから困ったものだった。


ひと昔前、イスラム教徒の女性が外出するのは、夫や兄弟など身内の男性が付き添う時に限られていたという話を聞いたことがある。それが関係あるのかといえば、まったく関係ない個人的な理由からかもしれないが、ルナが外へ出るときにはいつも門番をしているアリンや友人のディル、ルナの弟といった誰かしら身内の男たちが一緒に付きそっていた。


でも時々、誰も付かない時がある。そんな時は、つまり付き添いの男は僕1人なわけで。どこかへ連れていってもらったり、案内されているのはこちらなのだけれど、常にどこからかひったくりが狙っているのではないかと心配になり、僕は時々自分がルナの用心棒をしているような気持ちになるのだった。


それにしても、あえてこうして彼女たちの独特な面を取り上げて考えるから「イスラム教」ということについても実感をするのだけれど、実際にはルナやルーモンをはじめとして僕がここにきて出会った人々は、普段一緒にいる中ではなんら変わったところがあるわけではない。


宗教というものを意識して「感じようとして」いたのはむしろ僕の方だけだった。それは僕にとって生活と宗教はそれぞれ別々のものとして認識し、存在するものだと思っていたふしがあるからかもしれない。


しかし彼女たち、イスラムの世界で生きる人にとっては違う。


何よりも強く感じたのは、イスラム教はここで生活する人々にとって1つの「宗教」として存在する以前に、彼女たちの「生活そのもの」だったということ。


何の違和感もなく、当たり前のように、それは人々の日常に溶け込んでいた。


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