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手のひらの中のアジア
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September 29, 2005

一杯の汁そば

テーマ:(9)タイ2

花馬車が行き交う静かな町ランパーンで1日ゆっくりした僕は、次の町へと走り出した。


町を出て国道11号線に入ると、目の前には大きな山が立ちはだかることになった。朝一番、しばらく走って体を慣らしてから現れる山ならまだしも、出だし早々に長い登り坂が始まるというのは厳しいものがある。


運の悪いことに、それから間もなく雨が降ってきた。1時間ほど歯を食い縛って上り下りを繰り返しているうちにあがったが、逆に今度はものすごい暑い日差しが照りつけてきた。風もなく、日陰もない道をずっと走るのは鈍った体にはかなり堪え、気づくとただ一点の木陰をまだかまだかと探しながら自転車を押して歩いていた。


しかし、自分と自転車が隠れるほんの小さな影があればいいだけなのに、自転車はおろか自分が座り込むだけのわずかな影さえない。


焼けつくような日差し。舗装されたアスファルトからは、熱気でゆらゆらと陽炎が揺れている。視界の先の木々までも歪んで見える。


真夏の学校の校庭で開かれる朝礼で、暑さのあまり卒倒する生徒の気持ちってこんな感じだったんだろうか。余裕があるのかないのか、もはやそんなどうでもいいことを考えながら、ふっと気が遠くなりそうになった時、山の中腹辺りの道脇で、ようやく座り込むだけの大きさがある一点の木陰を見つけて、僕は転がりこむようにしてそこへ倒れこんだ。


荒かった息使いが少し落ちついたであろう頃、気づくとしばらくその場で眠っていた。時計の針を見ると40分ほど経っていた。まだ1日の行程の半分も進んでいない。こんなに何もないところで一晩明かすわけにもいかない、という思いでまた走り出す。


夕方6時過ぎ、辺りはだいぶ薄暗くなってきた頃、僕はまだ延々と上り下りを繰り返す山道を走っていた。途中寄った売店でこの日行きたいデンチャイまでの距離を訊いて愕然とした。だいぶ距離がある上に、まだアップダウンが続くというのだ。


夜8時頃、少し道が平らになって開けたところで標識が現れた。右はシーサッチャナーライ、直進するとデンチャイとある。人に訊ねると、ここからデンチャイまではまだ15キロあるという。この日、目的地に定めたのはデンチャイだったけれど、僕がその次に行きたいのはシーサッチャナーライだ。


つまりここは分岐点で、デンチャイへ行くと翌日また15キロの同じ道を戻ってこなくてはならないということ。もう夜も遅く、疲労も溜まっている、この分岐点で泊まれるのがベスト、言わずもがなそんな状況だったが、周囲には数件の民家があるだけで、まわりは当然山のみだった。


そんな状況下、僕を救ってくれたのは、分岐点にある派出所のポリスたちだった。


「今日はここに泊まっていけ。フリーだし、安全だ」


一気に今日1日の疲れが吹き飛ぶようなありがたい一言だった。


水道もあるし、トイレもある。シャワーまで付いている。こんな山の中の派出所にも関わらず、驚くほど設備が整っていて、建物自体もコテージ風、ポリスと思えないほどお洒落な感じだ。テレビもあり、リクライニング型のウッドチェアーもあり、コーヒーは飲み放題、へたなゲストハウスよりずっと立派だ。オープンテラスのような場所に蚊帳式テントを広げて寝る。夜は二人のポリスマンが交代で起きているので安心。なんとも贅沢な一夜をこんな場所で明かすこととなった。


夕食をまだとっていない僕を、今度はクッティアォ(汁そば)だけをやっている小さな食堂へ連れていってくれた。夜遅くて当然閉まっているその店のドアをドンドン叩き、出てきたおばさんに事情を説明して、何か作ってやってくれと頼んでくれた。最初は不機嫌そうだったおばさんも、話を聞くと、心よく僕のために山盛り具だくさんのクッティアォを作ってくれた。


昼から何も食べていなかった僕に、一杯の汁そばの温かさが身に染みる。


涙が出そうなほど旨い。今日一日、へとへとになってたどり着いた苦労がすべて報われた気がした。この一杯のために今日一日があった、そういっても過言ではない。


疲れのせいもあったけれど、それでも僕は、名前も知らぬこの村の人たちに助けられ、その温かさの中で一晩ぐっすりと休むことができたのだった。

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September 28, 2005

チェンマイ・メーホーンソン勝手に宿情報

テーマ:■勝手に宿情報
さらぶー

チェンマイは150バーツクラス3件の宿に泊まった。

簡単に感想と情報だけ(ちょっと手抜き・・)。。

ナムコーン・ゲストハウス(新市街):

シングル一泊150バーツ。ホットシャワー、トイレ、扇風機付き。ロンプラに載っているらしく、欧米人の利用多し。部屋は快適。レストラン併設でいつも賑わっている。トレッキングツアーに力を入れているようで、種類豊富。価格も妥当か。スタッフは親切でしっかりしている。インターネット併設(1時間30バーツ)。雨が降るとなぜかこの宿の前の道路は異様に水浸しになる(たいして影響ないけど)。

★NAMKHONG GUESTHOUSE
     55THAPAE RD. SOI 3 T
       CHANGKLAN MUANG CHIANG MAI THAILAND. 
  TEL:66-53-275556


ナット・ゲストハウス(旧市街):

シングル一泊150バーツ。ホットシャワー、トイレ、扇風機付き。地球の歩き方に載ってるそうな。日本人、数人いた。レストラン併設。各種トレッキングあり。3階に泊まったが、水道の水が茶色く濁っていて流し続けてもとれなかった。隣の部屋も。でも2階以下の部屋やその他の部屋ではそのような話はないようなので、あまり使っていない部屋だったんだろうか。各部屋の前の通路はちょっとしたベランダのようになっていて、ここは居心地良い。景色が良いわけでもないけれど、静か。スタッフはフレンドリー。ここでチケットを購入した人の話ではバンコクまでのバスが安い、とか。この周辺のインターネットは1時間15バーツ。新市街がほとんど30バーツなのを考えると断然こっち。もし旧市街に泊まるなら、ここかな。

★NAT GUESTHOUSE
住所忘れた・・。歩き方参照あれ・・。

サラブー・ゲストハウス(新市街):

シングル一泊150バーツ。ホットシャワー、トイレ、扇風機付き。旧バラヌン・ゲストハウスから改名したらしい。レストラン併設。インターネットあり(1時間40バーツ)。家族経営でお父さんが警察官とか。安心。。スタッフも皆親切で、日本人の青年がここで働いていた。ナムコーン・ゲストハウスとも近いけど、こちらの方が静か(水浸しにもならない・・)。部屋は一人だと逆に寂しくなってしまうほど広い。3階だと暑いので、2階か1階が良いと思われ。トレッキングツアーもやってるけど、ナムコーンと比べるとさほど力を入れてるようには見えない。が相談には懇切丁寧に応じてくれる。宿泊客もバラエティに富んでいて面白い。これがいい!!というものがあるわけではないけれど、なぜか落ちつくゲストハウス。またチェンマイにいったら、ここに泊まると思う。場所はターペー通りのWat Bupparam とTHAPAE PLACE HOTEL の間の細い道を入って道なりに行った左側。安心オススメ。

★SARABU GUESTHOUSE
   31-33 THAPAE RD. SOI 3.
     CHANGKLAN CHIANG MAI
   TEL:50100053-206575


メーホーンソンは一軒。

フレンド・ゲストハウス:

一泊100バーツ。部屋にはマットレスと扇風機があるのみでシンプルだけど清潔で気持ちよい。トイレ・シャワー共同。ホットシャワーとはいうものの、ぬるいお湯なのか水なのかわからないほどだった。が、気にはならない。宿を出て2,3分ですぐチョーンカム湖。宿の左斜め向かいはツアーなどを扱う会社で、レンタサイクルなどもある(一日60バーツ)。宿の人とも仲がよいので利用する際には何かと便利。ここでガイドとして働いてるトバッチャイ(通称とばっちり。。)はまじめで日本語も結構達者な若者。宿のキンちゃんは謎。果たして男なのか女なのか・・しかし気さくで親しみやすい。フルーツシェイクを頼むといつも大盛り。日本語を自分のメモ帳にその都度書き込みながらマメに勉強している。ママさんたちも優しく穏やかで温かい。山奥の割には思ったより発展していて町には数件のインターネット屋もある(1時間30バーツが多い)。チョーンカム湖にあるレイクサイドバーは生バンド演奏あり、食事や飲み物の値段も手ごろ、誰かと行くならこんなところも良い。ここからメイン通りへ出るところの角にある焼肉屋もなかなか。sahachai noodleという麺屋もさっぱりしていて旨い(歩き方にも載ってる?)。市場の中にあるお粥の店は個人的に一番オススメ、朝一で食べる朝食はここのカオトムで決まり。旨い(20~25バーツくらい)。今思い返すと、ここではけっこうグルメ派だったな・・。

★FRIEND HOUSE
住所忘れた・・。歩き方の地図にも載ってた。
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September 27, 2005

チェンマイからランパーンヘ

テーマ:(9)タイ2

らんぱんへ

久々に荷物を積み込んだ自転車に乗って走り始めた。


だいぶ落ちた体力では相当辛いだろうなと思っていたけれど、道が平らななおかげもあり、チェンマイから30キロ弱ほどのところにあるランプーンの町には、それほど苦せずしてたどり着いた。


売店に立ち寄り一服する。瓶詰めのコーラを買って飲みながら、店のお姉さんに道を尋ねていると、彼女が僕に訊ねた。


「ハリプンチャイには行ってきたの」


行っていない、と答えると、彼女は僕が今通ってきた道の方を指差した。「すぐ近くよ」


彼女が言うハリプンチャイとは、この町の一番の見どころといってもいいワット・プラタート・ハリプンチャイのことだ。


この町自体をこの日の休憩地点としか考えていなかった僕にとって、むしろこの小さな売店こそが目的地のようなものだったので、ハリプンチャイという名前以外のことは何も頭に入っていなかった。


僕はちょっと考えた。


本来であれば久々の走り出しの日、がむしゃらに突っ走ることしか考えないのだが、ふと思ったのだ。


それは売店の彼女の言葉によるところもあった。


「私たちの住むランプーンの町は見ていってくれないの」


実際にそう言われたわけではないけれど、彼女はハリプンチャイの話や、あそこには何があってここには何があって、というようなことをいろいろと説明してくれる。その姿を見ていたら、ここをコーラ一本飲んで後は素通りしてしまうのがもったいなく思えてきたのだ。


そもそもこうして田舎町の小さな店先で何気ない会話をして、気分によって自分の好きなように寄り道できることが自転車に乗って旅をする僕の特権でもある。


そんな初歩的な楽しみ方さえ、僕はチェンマイでの一ヶ月で忘れていた。久々に寄り道の楽しさを思いだした僕は、すぐに出発するのを思いとどまり、ハリプンチャイだけでも見てからこの町を出ることにした。


町の歴史やワットについてどうのこうのということは、今の僕には正直それほど興味のわくところではなかったが、「寄り道」の醍醐味が、ワットやそこで修行する僧侶たちなど見るものすべてを楽しくさせた。


1時間ほど歩いた後、再び売店に戻って先の彼女に感謝を告げ、僕は再び走り出した。


昼食や午後の休憩の時にも行く先々で時間をとっていたら、どんどん時間は遅くなり、目的地のランパーンへ着く頃にはすっかり暗くなってしまっていたけれど、気持ちは底辺から一歩上がったような、実感があった。


ランパーンをぐるぐるまわってようやく見つけたこの日の宿。


チェンマイの小綺麗なツーリスト向け「ゲストハウス」から比べると、見違えるほど閉塞感さえ漂う一見怪しきホテル。


中国を旅していた頃の古めかしい「旅社」を思い出した。薄暗い電灯と湿気の多い部屋。清潔なのかそうでないのかわからない堅いベッド。黒ずんだパイプからジャバジャバと勢いよく流れ出すシャワーの水。時々カチカチと引っかかるような音を立てながらゆっくりと旋回する天井の大きなファン。見た目の第一印象はどう見ても怪し気な宿の住人たち。


僕はなんだかそんなすべての状況が嬉しかった。


旅の初心に戻りつつあるような感覚を、掴んだ気がした。

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September 26, 2005

嘲笑え、己を

テーマ:(9)タイ2

とうとうチェンマイでの日々が、一ヶ月を過ぎた。


ラオスのムアンシンで過ごした一ヶ月とチェンマイで過ごした一ヶ月、よくよく考えてみると、共に同じ期間でありながら、そのあまりの内容の違いに驚く。


もはや笑いさえこみあげてくる。


このチェンマイでの僕はかっこよく言えば「翼を失ったイカロス」だった。いや、それほど趣も伴わない今の自分なら、せいぜい「飛べない豚」とでも言ったところだろうか。いや、「ポケットをなくしたドラえもん」とでも言った方がいいかもしれない。


無限大の心のポケットからあらゆる情感を際限なく引き出すことができたあの時と比べて、使いすぎて道具がなくなってしまったかのように何も出てこないポケット。


いい加減そろそろ気づいていい頃だったのだ。そもそも飛べない豚はただの豚、そんな豚は屋台の炒飯の具材にでもなっていればいい。ポケットのないドラえもんなど、おうちへ帰ってドラ焼きでも食っていればいいのだ。自分もそれでいいのか、いや、よくはないはずだ。


地に堕ちて底についた僕は、これ以上、下降してゆく場所もなく、自分を嘲笑うまでになった。そして徹底的にあざ笑った結果、ある結論にたどり着く。


「気力が充ちた結果」による決断ではなかった。


「底をついた結果」の行き先が一つしかなかったのだ。


それでも今の僕には、走り始めることしか選択肢がなかった。


これでも前に進む理由に違いはない。時として、そうやって自分を奮い立たさねばならないこともあるのだ、ということを僕は知った。


とにかく、走ろう。


走れば、すべてが動き出す。


明日、僕はチェンマイを出る。

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September 25, 2005

ロックンロール イズ デッド

テーマ:(9)タイ2

一日特に何をするわけでもなく、ゲストハウスに併設された小さなレストランで時間を過ごしていたある日のこと、同じ宿の泊まり客でもあるタイ人で、ミミと名乗る女性が話しかけてきた。


彼女は他に3人いるタイ人の友人たちと一緒に国内をあちらこちらと渡り歩いている4人組の一人。このチェンマイでこの宿にもう一ヶ月半も滞在している彼女たちとは、必然的に毎日顔を合わせるようになっていた。


彼女たちは僕と同じように、毎日この街にいながら、特に何をしているわけでもなかった。昼間はラフな格好をして市場で買ってきたフルーツやらお菓子を宿のレストランのテーブルの上に広げて、世間話をしながら時間を過ごしている。


夜になるとよそいきの服に着替えて、賑わいを増すチェンマイの繁華街へと繰り出していく。常に4人で行動しているわけでもなく、一人がバーへ飲みに行けば、一人はまた他の友人と食事に行く。もう一人は毎晩、別の男を引き連れて夜の街へと消えていき、あとの一人は世もふけた頃ディスコへと踊りに行く。


僕は彼女たちのことを最初、体を売って稼いだ金ででも旅をしてるのではないかと思っていた。しかし何日かその様子を見たり話をする中で、その考えは浅はかでしかないことがわかった。この宿の経営が警察官一家であり、皆とも仲良くやっている姿を見たり、彼女たちが欧米人旅行者と真面目な話をしたり、ネイティブに近い英語の習熟度などからしてもそれはわかることだった。


バイク2台に二人乗りしながらタイを転々としている彼女たちは、60年代のヒッピーに傾倒するタイ版ヒッピースタイルの放浪者のようだった。


彼女たちはそれを「自由」と称する。僕にとってそれが刺激的で何かを感じさせてくれる世界でもなかったし、少なくとも今、自分を取り巻く世界にあるのは「倦怠」だけ、お互いが何かに共感をするわけでもなかった。それでもなんとなく僕と彼女たちが接点をもって話すようになったのは、僕らが「同じ世界」にいたということなのかもしれない。「フリーダム」と「アンニュイ」の相反する概念がある意味同義にて共存する世界。


「今日は、何するの」


相変わらず誰と話しても答えることは同じ。


「別にどこも」


いつもと同じように苦笑いして答えた僕に、ミミが言った。


「じゃぁ、今夜、飲みに行かない?ロック・バーに」


「飲みにいくほどの金、持ってないよ」


「大丈夫。あそこに座ってるオールドマンがおごってくれるから」


すぐ近くのテーブルに先ほどから座って楽しそうに喋っていたのは、毎晩別の男を手玉に取っては傍においているミミの友達が、今日も新しく目をつけたアメリカ人のツーリストだった。がっちりした体型に渋い顎ひげをたくわえ、初老ながらバイクで世界を旅している彼は、名をマイクと言った。60~70年代のロックが好きで、生バンドによるライブが行われているロック・バーがあると知った彼がそこに行きたい、と皆を誘ったのだ。


ヒッピーとロックを結ぶ60年代の背景が彼と彼女たちの接点だとでもいうのだろうか。


「今夜どうだ、いかないか」


なぜ僕がこうして誘われたのかはわからなかったが、何もする予定がないと言ってしまった上、彼の好意をも無為にするわけにはいかない。さらに、金なんか気にするな、とまで言われてしまえば断る理由も見つからなかった。そんなに乗り気なわけでもなかったが、僕は彼らと一緒にチェンマイにあるロック・バーへと行くことにした。


小さなバーには10ほどのカウンター席と木造の6人がけボックス席がまた10ほど。そしてそのすぐ前にはドラムセットやアンプ、壁に立てかけられたギターとベースが置いてあった。今はちょうど休憩のようでライブは行われていない。


マイクは高級なウィスキーボトルを二本頼むと、全員にショットグラスを手渡し、順につぎ始めた。久々に飲むウィスキーの味は濃く、一杯で喉がかぁっと熱くなる。


しばらくして今時のタイ人とは風貌も顔つきも違う、これもまた60~70年代の匂いをぷんぷんさせた長髪のロッカーたちがステージにあがり、それぞれの楽器を手にした。まもなくストーンズのジャンピンジャックフラッシュやサティスファクションが立て続けに流れ出し、それまで静かに飲んでいた観客たちの視線がステージに集中し、バーは次第に熱気に包まれ始めた。


小さい店内の中で爆音で響くギターとベースの重低音、バスドラムの振動が体の芯まで突き抜けてくる。


隣の席ではやはりマイクと同年代ほどの3人組の男たちが曲に合わせて体を揺らしながら、手ぶりでギターのリフやベース、ドラムのリズムを刻んでいる。ミックとキース。ローリングストーンズ。かつてのストーンズが持っていた不良的で暴力的、セックスとドラッグの甘くて刺激のある匂い、そんな危険な感じをどことなく漂わせる、今は老年の男たち。


ウィスキーのグラスを揺らしつつ軽くリズムを刻んでいた僕に向かって、その中の一人が椅子にもたれかかった姿勢のまま、話しかけてきた。


「ボーイ、お前はハッピーか」


単刀直入な質問に笑いながら、僕はなんとなくイエスと答えた。男は僕にさらなる質問を投げかける。


「ボーイ、ロックってのはなんだと思う」


僕はウィスキーをひとくち口にしながら、少し考えた。


「Life・・・・・・かな」


僕は一言そう答えた。それに対し、彼は黙って親指を立て、にんまりとした顔で小さくうなずいた。ボーイ、なかなかいい答えを返すじゃねぇか、といった様子で。


「ロックってのはスピリッツだ」


彼は誇らしげに言った。


熱くロックというものについて語り始めた彼はしばらくして、どっしりと腰を下ろしていたその体を起こし、グラスをかかげた。彼に合わせて他の二人が、そして傍にいたマイクや他の席の男たちまでもが同じくしてグラスをかかげる。それから皆で軽く重ね合わせて乾杯した後、各自グラスのウィスキーをぐぃっと飲み干した。


様々なバンドの名曲が演奏される中、ディープパープルのハイウェイスターとともに店内は異様なまでの熱気に包まれた。


そもそも60~70年代のロックを愛する人たちというのは、どうにもこうにも、とにかく熱い。


今、僕のいるこの小さなロック・バーは音楽だけに留まらず、男たちの生き様をはじめとして、何もかもが「60~70年代」で包まれていた。この時代になっても色あせない匂いと熱き魂は、この世代の人たちの中で生きつづけている。ここで僕は、自分の知らない、まだ生まれてもいなかったその当時の匂いや空気を、少しだけ感じ、見させてもらった気がした。


気づくと僕は一緒になってその世界に陶酔し、スモークオンザウォーターに合わせてドラムのリズムを刻んでいた。熱い魂を持つ世界各国の老年の男たちに交じって肩を組み、煙草をまわし、ウィスキーグラスを重ねた。


深夜3時過ぎ。チェンマイの町が静けさに包まれている中、熱いロック・ショーは終わった。


しかし、店を出て誰もいない街の通りを歩き始めた僕に残っていたのは、あの凄まじいほどの熱気の余韻ではなく、単なる「虚しさ」だけだった。


ロックは確かに死んではいなかった。


「ロックはスピリッツだ」


その言葉を思い出しながら、僕は今、旅においての自分、気怠い世界に身を置いていた自分、そこに己を置き換えて考えていた。


もう一人の自分が叫んでいた。


「お前の心の中でロックは死んだんだ」

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