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手のひらの中のアジア
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March 31, 2005

お詫びとお知らせ

テーマ:(4)ベトナム
このたび、『手のひらの中のアジア』書籍化に伴い、本の内容と重複するブログの関連記事を、誠に勝手ながら削除させていただきました。これまで気軽に読んでいただいていた読者の皆様や、これから読もうとしていただいていた皆様には大変申し訳ございませんが、この本を一人でも多くの方々に読んでいただきたいとの思いもあって、そのようにさせていただきました。皆様のご理解をいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。
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March 31, 2005

ベトナム中部の旅⑥~空白の数年間と共通項の原点~

テーマ:(4)ベトナム

フォーン川の川岸から見えるフラッグタワー。


さらにその向こうには直接は見えないが、阮朝王宮がある。


自分の自転車をハノイに置いてきていた僕は、宿で一日自転車を借りて王宮とその周辺をまわることにした。


チャンティエン橋から王宮のある旧市街の方へ渡っていくと、橋を境にまるでまた別の世界へ足を踏み込んだようだった。そこから北(東)の方に位置するドンバ市場は活気に溢れ、いかにもベトナムらしい賑わいをみせる場所だったが、橋から王宮へ進んでいくにつれて様子はさらに独特なものに変わってきた。


それまで川の対岸からしか見ていなかったフラッグタワーが目の前に現れる。タワーの下はだだっ広い広場のようになっていて、子供たちが元気にサッカーボールを追いかけまわしている。その光景を横目に見ながら城門をくぐると、いよいよ王宮が姿を現す。王宮は四方を堀に囲まれ、そこを川が流れる。さらにぐるっと全体を覆うようにして城壁が建つ。緑一面の原っぱと、ところどころ苔に覆われた石造りの城壁は荘厳な気配を醸し出している。


正面入り口の「午門」と呼ばれる王宮門。正午になると王宮の真上に太陽がくることからその名がついたようだが、あのアンコールワットで5つの塔の真上にちょうど朝日が昇るように造られているのと同様に、やはりその意味のある造りには有無を言わせぬ神秘を感じさせられる。


門をくぐり中へ入ると、僕はすぐに立ち止まった。異様なまでの静けさに包まれた城内の雰囲気に圧倒されたからだ。前方と左右の三方に延びた長い通路の途上に他に人の姿はない。この日、僕が訪れている間の観光客の来訪は極端に少なく、人数を数えるのも容易なほどだった。王宮本来の姿を見るにはこの上なく最良の日に違いなかった。正方形の造りになっている城内の通り、ほとんど見学客と出くわすこともなく、気の済むまで王宮とゆっくり向き合うことができた。


大半の建物がベトナム戦争中に破壊されてしまった城内の建築物は、いくつかの有名なものが再建され保存されている以外は、そのままかあるいは面影すらないものもある。敷地内の原っぱには崩れかけの建物の残骸が残り、ひび割れた石造りのテーブルやイスがそこかしこに点在している。


じりじりと照りつける太陽、少し歩いただけで肌が焼けるほどの暑さ。付けていた腕時計に目をやると、隙間の影になっている手首の部分だけが薄っすらと白っぽい肌色のまま残っているのが見えた。ようやく寒さが和らぎ、これから春を迎えるであろう日本とは違って、ヴェトナムはすでに真夏に等しかった。


僕は無造作に生える草木に埋もれた石造りのイスに腰掛けた。周囲には相変わらず僕以外に誰もいない。


これまでまったく気づかなかったのだが、入城してからずっと城内で鳴り響いていたのは、ものすごい数であろう蝉の声だった。まわりの木々すべて、それはもう生命ある木々そのものが鳴いているのではないかと思うほど、どの木々からも蝉の声が飛び交い、城内に響き渡っているのだ。それほどの音であるにも関わらず、まったく気づかずにいたのはなぜだろう。僕は自分の耳を疑った。僕がこの場所を訪れてまず感じていたのは、「異様なまでの静けさ」だったのだ。


不思議だった。今、僕のいるこの場所は、アブラゼミの声響く、日本の夏に見られる光景とはまったく別の趣を持つものだった。蝉の数は日本であれば異常と映るほどの多さでありながら、鳴声のトーンは心地よく耳に入り込んでくる高さなのだ。日本であれば暑さをさらに増す甲高い蝉の声は、ここではこの城内の雰囲気をよりいっそう荘厳な、神聖なものする役割をも果たしていた。


僕は炎天下の中、実に3時間近く王宮を歩いてまわった。


気の済むまで歩き、再び王宮門の前に戻ってきた僕は、王宮門の楼閣の上に登り、しばし外を眺めた。一段と高いこの場所からは、城内においては建築物の姿、王宮の外においてはフラッグタワーや城壁に囲まれた内堀、その横を流れる川などをいっぺんに、そして遠く向こうの景色まで見渡すことができた。


僕はかつての王朝時代に思いを馳せてみる。


と気取ってみたところで、歴史に疎い自分の頭に思い浮かぶものは皆無に等しかった。


それよりも、僕がこの場所でずっと考えていたのは、歴史うんぬんよりも、8年前にここへ来たであろう日本の友人Mのことだった。


8年前、今僕がいるこの場所で、20歳そこそこだったあいつは何を感じ、何を思っていたんだろう。その時も同じように蝉の声は響いていただろうか。この独特の静けさ漂う世界はそのままだろうか。王宮内にいくつかある民家のような建物とその付近で羽根突きをして遊ぶ子供たち。こんな光景は今も8年前も変わらないのだろうか。王朝時代、8年前、そして現在。これらの時代それぞれのことをシンクロさせながら、いろんなことを考えた。


王宮をあとにしてから、僕は自転車で外壁沿いの道をゆっくりと一周し王宮を外からもう一度じっと眺めた。それから少し離れた場所に広がっている、この土地で生活する人々の様子を見てまわった。


Mが畑で見つけたという戦車。ヴェトナム戦争の残骸が生活の中に紛れこんでいる姿。これらは今でも見られるのだろうか。8年前に見た光景、8年前に撮った写真と同じ風景はどこにあるのだろう。そんなことを思いながら僕は自転車であらゆるところを駆け回った。


午後の大半を使って何時間も走りまわる中、結局のところそのようなものを見つけることはできなかった。


しかし、そこには穏やかなフエで生活していながら、熱く、たくましく生きる現地ヴェトナム人の姿がたくさん見られた。それはヴェトナムの他の都市はもちろん、同じフエの新市街に見られる光景ともまた違った。これこそが今の生のヴェトナムで、これこそがきっと見てみたかったヴェトナムの姿だったかもしれない、そんなふうにも思えた。

もしかしたらどこかに、8年前にあいつが見た光景が広がっている場所があるのかもしれない。僕にはそれを見つけることができなかったけれど、それに等しいだけの価値を持つ今のヴェトナムというものを見ることができ、僕はどこか満たされた気持ちになっていた。


空白の数年間と共通項の原点。


それが何なのかはっきりと口にすることはできないけれど、昔も今も変わらない僕とMを繋ぐ見えない絆、それだけは確かに心の中で感じていた。

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March 30, 2005

ベトナム中部の旅➄~フエに行かなければならなかった理由~

テーマ:(4)ベトナム

はじまりは、ヴェトナムの旅の最中、日本の友人Mから受け取った何気ないメッセージだった。


「元気そうだね。


俺が行ったのはもう8年位前だけど、未だに現地で呑んだ333ビールが忘れられなくてさ。旨かったなぁ。たかだか10日位の滞在だったけど100本は呑んだっていうくらいの勢いだった。帰ってきて血眼になって探し当てて、勇んで呑んだけど・・・やっぱり現地の気候と人情が欠かせない要素であることを思い知ったよ。ご当地ものはご当地で。これが何よりの至福。


フエも寄るのかい?
ヴェトナム戦争の残骸が生活のあちこちに紛れ込んでてさ。
畑の中で戦車を見つけて、穏やかな日差しの中でエリーゼに跨って写真をとったよ。それがいい写真でさ。俺たちの共通項の原点ってそんなんだったなぁ、と。


まぁ、身体に気をつけて流れてってください。


まだまだ先長いんだし、のんびりとね」   

                     

久々にもらった嬉しいメッセージだったが、それは次第に僕のベトナム中部への旅の動機に必然性をもたらし、僕の気持ちを駆り立てるようになっていた。


メッセージをくれた友人Mとは小学校以来の付き合いとなる。中学・高校時代にはAとSの二人も併せて、僕らはいつも四人で一緒だった。


あの頃、僕らは何もないのにわけもなく集まって、わけもなく夜の街を歩いていた。


あの頃、僕らは何もないのにくだらないことで笑い、くだらない話に花を咲かせていた。学校のこと、バンドのこと、女の子のこと・・・・・・。


僕らは繰り返される日々の中を共に過ごし、青春を謳歌した。


時は流れ、大学、就職・・・・・・と進むにつれて、いつしか僕と彼らの間には距離ができていた。それぞれがそれぞれの道を進む中で、僕らの友情が薄れていったとは思わないけれど、それでも連絡をとることはやはり稀なほどになっていた。


あれから8年以上の月日が経ち、僕は旅に出た。


このヴェトナムの地にたどり着き、友人の一人Mから受け取ったメッセージ。


今から8年前、あいつはこのヴェトナムの地を訪れた。
それから8年後、僕はかつてあいつが訪れた場所にいる。

8年という歳月、空白の8年間を結ぶもの。


それは「共通項の原点」という言葉。


Mがかつてこの地を訪れ、見たもの、感じたこと、考えたことはどんなことだったのか。今でもこの地には、その当時の面影が残っているのだろうか。そこで僕は何を思うのだろう。


あいつが訪れたその道を、8年後の今、僕はあらためてたどってみたくなったのだ。


空白の数年間と共通項の原点。


そこには大切な何かがあると思った。


それを今考える必要はない、行けばわかると思った。


直感が自分自身にそう働きかけていたのだ。


だから僕は、フエを訪れなければならなかった。

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March 29, 2005

ベトナム中部の旅④フエ~Welcome to HUE~

テーマ:(4)ベトナム

ホイアン、ダナン、フエと北へ順に進んでくると、風景の移り変わりとともに村、街の雰囲気、人の気質の変化が明らかに感じられる。


ノスタルジックなホイアンからダナンへは30キロほどしか離れていないものの、様子はがらりと変わる。


賑やかで大きく、国際貿易港として栄えたダナンの街には港と海がよく似合う。リゾート開発が進むだけあってビーチの数も多い。ダナンを抜け、途中、山の峠をひたすら進んでいくと、眼下に広がる海。道路の両脇に緑の木々生い茂るのんびりした村々。これらを目にしながらバスは国道1号線を北へと走っていく。


午前8時に出発して、フエには午後2時頃の到着となった。


フエはダナンやホイアンとはまた少し趣の違う街だった。


ベトナム最後の王朝、阮朝の都が置かれたフエは世界遺産の街。フォーン川という大きな川によって二分され、バスを降り立った側の新市街から川沿いの対岸を見ると、少し遠くに風にたなびく大きな旗、そこにそびえ立つフラッグタワーが見える。


到着してからの午後の時間、まずはフォーン川沿いの公園、散策道をゆっくり歩くことにした。フォーン川にかかるチャンティエン橋、フースアン橋の二大橋付近、この辺りはベトナムらしく数え切れないほどの自転車やバイク、車ですさまじい交通量なのだが、川沿いの公園に足を踏み入れると周囲の雑音も気にならないほどに聞こえなくなる。のんびりするには格好の場所であった。


フラッグタワーの見えるフォーン川の船着場付近で夕日を見ながらしばし物思いにふけっていたところ、俺はボートの船長、キャプテンだと名乗る男が声をかけてきた。今日はもうぜんぜん客がいない、格安にするから乗らないか、と。


この時間、確かにフォーン川を遊覧のために出ているボートはなく、船着場にはこれですべてと思われる30隻ほどのボートがそのまま寄せられていた。


これまでのことを考えれば、ここでふっかけられる可能性というものが先行するところだが、この情景下ではそう思うこと自体がナンセンスだった。それほど夕日の美しい川沿いの光景とボッタクリは、あまりにも不釣合いで対照的だった。静かな川の流れと沈みゆく夕日は、僕に「安心しなさい」と諭しているかのようだった。


まだ完全に沈みきるには時間がある。僕はこの時間、この街でただ一人フォーン川をゆく旅人となった。何十隻もあるボートの中からゆっくりと僕を乗せたボートが岸を離れると、少し日差しが和らいで優しくなった風を感じた。


少し進むと、小さな島で生活する人々、ボートの船上で生活する人々の姿に出くわした。たった一人、ボートの客として乗っている僕を見つけた子供たちが大きく手を振る。


彼らはここに住んでいる。
ここで生活することが彼らの「日常」。
それが彼らの人生。


そんなことを思いながら、一人ボートの先頭に立ってまわりを眺めていた。


約1時間。優雅なひとときの後、再び戻ってきた船着場でキャプテンに礼を告げ、川岸を離れた。やはりボッタクリというものなどは存在しなかった。


「おい、今度はこっちに乗ってくれよ!」


他の船員たちが少し離れたところから声を飛ばしてくる中、キャプテンは笑顔で手を振ってくれた。


この街では目の会う人、出会う人が皆にっこりと微笑んで何かしら話しかけてくる。それは決していやらしいものではない。もちろんモトバイの「乗らないか」という声かけは日常茶飯事としてあるのだが、それも皆、一度断るとそれ以上はしつこく強要しない人が多い。


「またよろしく」


そんな様子でひとこと言ってさっと去っていく。実に心地よい。


すべての人が、というよりもこのフエという街そのものが、僕を歓迎してくれているような感覚を味わいながら、僕は宿へ向かって悠々と歩いていった。

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March 28, 2005

ベトナム中部の旅③~世界遺産ミーソン遺跡~

テーマ:(4)ベトナム

ホイアンから南西に45キロほどのところにある世界遺産のミーソン遺跡。


街の中心からたった一時間半と近いのだが、ノスタルジックなホイアンとは違い、四方を山に囲まれた場所にある荘厳な遺跡だ。


ゲートをくぐるとすぐにチケット売り場(入場料60,000ドン)、そこから小さな橋を渡り、少し歩くとジープが待機している。このジープは遺跡群のある場所まで観光客をピストン輸送している無料の乗り物だ。入り口手前にあった遺跡案内図を見る限り、遺跡はやはり少し山の奥にある。歩いていけないこともないが、暑い上に日陰も少ないこの場所では素直に用意されたジープに乗って移動するのが最良だった。


ミーソン遺跡はホイアンから郊外へのツアーとして日帰りでも行け、それでいて世界遺産のため、観光客の数は多い。ジープの待機所でさえ、5~6人ほど乗れるジープ数台を4~5往復分待たなければ乗れないほどだ。ジープを待っている間にも汗が噴き出てくる。


ようやく乗ったジープで5分ほど走り、降りたところに休憩所がある。遺跡群はさらにそこから5、600メートル歩いたところで姿を現す。山の奥の緑の草木に埋もれた遺跡が見えてくると自然と気持ちも引き締まる。


かつての王国の聖地でもあったミーソン。ここいったいに栄えていたチャンパ王国のことについてはよく知らないが、それでも草木に埋もれたこの遺跡の数々を目の当たりにするだけでやはり神秘を感じる。アンコールワットを筆頭に有名な遺跡はたくさんあるが、似たような遺跡でも全体像、一つ一つの壁画や彫像には、やはりそれぞれの王国独特の表現や感性が感じられ、趣き深い。


それにしても如何せん人が多い。きっと訪れている人も皆同じように思っているのだろうが、こうした遺跡は、わがままを言わせてもらえば、誰もいない静かなところで、その崩れかけながらも当時の面影を残す遺跡と向き合い、目を閉じ、ゆっくりと荘厳な世界に思いを馳せたいものだ。


他の観光客がいようがいまいが、それだけでも見ごたえのあるものではあるが、僕はなるべく人のいないところへ、いない方へと場所を探しては移動して歩いた。


遠くに見える四方の山々とジャングルのように生い茂った木々の中にひっそりとたたずむミーソン遺跡。


心を静めて静かにしていると、体が自然と溶け込んでいくようになる。その感覚がたまらなかった。


約2時間から2時間半。4、5ヵ所ほどに分かれているグループ遺跡群を一周し、戻ってくる。帰りはボートに乗り、ゆったり揺られながらホイアンの街、トゥボン川沿いの船着き場へと降り立つ。ホイアン市場も近く、途中で汗だくになった体にフルーツでも、と市場でマンゴーと見知らぬ果物を買ってかぶりつきながら帰る。


たった一日のありふれた観光でありながら、やはり世界遺産の一つを目で見て、体で感じられたことに僕はとても満足していた。 

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