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2012-02-17 11:05:42

日本統治下の朝鮮/山辺健太郎/岩波

テーマ:書評


書評:ためいき色のブックレビュー-朝鮮


   「日本統治下の朝鮮」  山辺健太郎(1905-1977)

   1971年2月1日   岩波書店より新書初版¥550+税


 1910年から太平洋戦争の終戦に至った1945年まで36年間におよぶ期間が日本が朝鮮半島全体を統治下に置いた期間で、台湾の統治より若干短いが、朝鮮における日本人のほうがはるかに横暴で残酷であった。そのことはこの36年間における日本政府がつくった朝鮮政庁による記録すら残されていない事実からも推量できる。


 土地、ひとつとっても、日本人が勝手にとってしまうのだから、朝鮮全域に反対運動やストが起こっても不思議ではない。要するに、欧州の列強が植民地の現地人を人間並みに扱わなかった点を含めて真似ただけという独自性のない、今に続く日本政治の在り方。戦争が始まっては、日本の「国家新道」を現地人にも押し付けるというアホさ加減。


 本書によって初めて知ったことは少なくなかったものの、読み終わって、「あぁ、おもしろかった!」と言いたくなるほどのものではない。本書は本質的に学術書である。

2012-02-13 17:47:02

リリアン/エイミー・ブルーム/新潮クレスト・ブック

テーマ:書評

書評:ためいき色のブックレビュー-リリアン


  「リリアン」 エイミー・ブルーム(1953年生/アメリカ人女性)

  原題:Away

  訳者:小竹由美子

  2009年6月30日 新潮クレストブック 単行本初版 ¥2,000


 帯広告の裏面に「1924年、美しい娘リリアンが、ロシアからアメリカへやってくる。ユダヤ人迫害で両親と夫を惨殺され、一人娘も失って、単身、新天地へと渡った。ニューヨークの従姉のアパートにころがりこんだリリアンはお針子として自活するが、ほどなく劇場主父子双方の愛人となり、新世界の階段を駈けのぼってゆく。そこに、死んだはずの娘が生きているという話がもたらされ、彼女はすべてを投げうってシベリアをめざす。息をもつかせぬ濃密なストーリー。真にドラマティックな傑作長篇小説」とある。


 正直いって、時系列はあっちこっちに飛び、登場者もめまぐるしく変化、そういうストーリーについていくのがやっとであり、上記にあるような「息もつかせぬ濃密なストーリー」などという印象は全くない。


 NYタイムズが褒めちぎっている真意も解らない。

 出版社にも、フアンにも申し訳ないような書評になったが、これでも遠慮して書評した。

2012-02-07 15:29:05

史実を歩く/吉村昭/文藝春秋

テーマ:書評

書評:ためいき色のブックレビュー-史実
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 「史実を歩く」   吉村昭(1923年生)

 1997~8年まで「カピタン」に連載されたものをまとめたもの

 1998年 文藝春秋社より新書初版 ¥680+税


 本書はこの作家が過去に書いた作品を仕上げた過程を吐露したもの。それぞれの作品にかかわる苦労話をはじめ、厳しくチェックした点、多くの関係者にインタビューした点、現地に赴いたときの話など、それぞれに特徴的な内容を書いたもので、どの章からも作者の人柄の良さ、誠実さがにじんでいる。


 本書に出てくる作品は:

  破獄、高野長英逃亡、日本最初の英語教師、桜田門外の変、ロシア皇太子と刺青(いれずみ)、生麦事件であるが、ロシア皇太子のニコライが大津で津田という巡査にサーベルで斬りかかられたことは知っていたが、ニコライと同伴者のニ人ともが長崎で日本の刺青を所望し、実現したという話は初の知見だった。


 日本の刺青の質の高さが世界に知れていたことの証左でもある。


 私自身はこの作家の作品とめぐり合えたことで、本というものの面白さに覚醒したし、結果として、吉村作品の大半を読むこととなった。ただ、今でも思い出すのは、私はこの人が受賞した作品は未だに触れてず、彼が次に手がけた「戦艦武蔵」に感動したことからこの作家との縁ができ、つきあいが始まった。

2012-02-03 11:49:07

哲学者とオオカミ/マーク・ローランズ/白水社

テーマ:書評

  「哲学者とオオカミ」  書評(2)


 以下はなるほどと思った点:


*幸運に恵まれたオオカミでも、一年に一度か二度しかセックスの機会はない。私たち人間はセックスは自然で健康であり、いつでもしたいと思っている。そう思うのは私たちがサルだからである。サルはセックス依存症。


 オオカミの交尾欲は遺伝的な衝動に動機づけられているのであって、交尾から生じる快楽のためではない。


*実家(アイルランド)の母親がチーズで何かを料理していると、ブレーニンは部屋から動かず、吠え声と遠吠えの中間のような声を出した。それまで与えていた牛肉よりもはるかに気に入ったようで、ついには母が冷蔵庫のそばにいるだけでそばを動こうとはしなくなった。


*契約というものは私たちサルにとって期待される利益のために払う意図的な犠牲でしかない。わたしたちの奥深くにある何かを成文化したものにほかならない。道徳は一種の計算、計算こそ私たちサルの得意とするところ。


*なぜ私たちは犬が好きか。オオカミの魂は幸福が計算の中に見出せないことを知っている。私たちはサル的になる前にはオオカミのような魂をもっていたのではないか。


*あるとき、ブレーン(体重・68キロ、体高88.5センチ)がシボレーのブレザー(大型)に衝突された。ブレニンは暫く動けなかった。ブレニンは数秒後、横たわったまま遠吠えをあげ、体を起こし、道路わきの林に入った。一時間をかけてようやくブレニンを発見したとき、ブレニンはすでに回復していた。彼の肉体的な傷は数日で治った。

ブレザーが私にぶつかっていたら、私が死んでいただろうが、ブレザーの受けた被害のほうがブレニンより大きかった。

 以後、ブレニンが道路ですれちがう車に僅かでも恐怖を示すことはなかった。そのブレニンが、牛が出られないようにつくらられた電気柵に触れたとき、ヤケドした猫のようにとびはねし、3キロも離れた場所に止めてあった車まで走って逃げたのには驚いたが、ブレニンはよっぽど電気が嫌いで、恐ろしいものに感じたらしい。


 本書はオオカミや犬のみならず、各種動物の特性にまで踏み込んで、サルを内に秘める私たち人間に迫ろうという意図をもった作品であり、そのように理解して読むかぎり、面白い本である。


言い換えれば、内容の本筋は哲学的思索に貫かれているということだ。


 本書を読んで以来、TVを見ていても、読書をしていても、つい「こいつもサルだな」などと思うことが多くなった。

2012-01-31 10:37:55

哲学者とオオカミ/マーク・ローランズ/白水社

テーマ:書評

書評:ためいき色のブックレビュー-哲学


  「哲学者とオオカミ」  マーク・ローランズ(1962年生/ウェールズ生まれ/哲学者)

  原題:The Philosopher and the Wolf (Lessons from the Wild on Love,Deathand Happiness

  副題:愛・死・幸福についてのレッスン

  訳者:今泉みね子

  2010年4月20日 白水社より単行本初版 ¥2,400 


 書評(1)

 

 哲学者が書いた著作だけに、オオカミにだけ話の焦点を絞って書かれた内容ではない。オオカミを語りながら、人間が生存する意味を考えるといった従来にない内容。作中にニーチェ、サルトルなどという往年の有名哲学者の名が出てくること自体に際立つ個性がある。


 内容が多量であるだけでなく、多岐におよぶこともあり、書評を(1)と(2)に分けることとする。


 「人間という動物についての見方をあらたに検討するという画期的な研究だ」と言ったのは批評家のジョン・グレイ。そして、「驚異的な本、著者の思考の深さには感動せざるを得ない、あまりに魅了され、本を手放すことができない」と言ったのはアンドリュー・リンジー。二人の批評家による発言からは「オオカミとの生活を通し哲学的な思考に沈潜した作者の姿勢が窺える、


 「ブレーニン」と名づけなられたオオカミは1990年から2000年まで10年以上を一緒した関係であり、両者はアメリカからアイルランド、イングランド、フランスと国境越えを何度も経験している。


 以下は作品のなかから目の止まった箇所を記載する:


*一般的に、動物にはサル的な計算づくの狡い動物と、体を張って攻撃することで食料を得る動物とがいる。人間は明らかにサル的である。


*作者は子供の頃から大型の犬、アラスカ産のツンドラオオカミ、カナダ北西部のマッケンジー渓谷オオカミなどを知っていたが、ブレーニンを知って、このオオカミのすさまじさを知った。


*犬とオオカミとの知能は異なる。オオカミは問題解決の課題で犬より優れ、犬は訓練的な課題でオオカミより優れている。犬は困ったとき、必ず人間に頼るが、オオカミにはそういう性質はない。


*犬とのミックスを含め、オオカミにリードをつけて外を歩くことは不可能というのは間違い。私はリードをつけての散歩に10分で成功したし、逆にリードなしの散歩には30分で成功した。


 リードなしの場合、作者がブレーニンに命じたのは:

  1)Go On  出かけていって嗅ぎまわれ

  2)Stay  そこを動くな

  3)Here   ここにこい

  4)Out    やめろ、ダメだ

 の4つだけ。(とはいえ、リードなしのオオカミに道で遭遇した場合のことを想定すると、相等に怖い思いをするのではないだろうか)。


*ブレーニンとの散歩のみならず、作者はオオカミと常時一緒にいた。大学での講義にも同行したが、ブレーニンはおとなしく床に腹這ってj講義を終了を待っていた。


*ハスキー犬やアラスカアラミュートなどのような大型犬をロープで散歩している人がロープをしなかったら、犬は自分勝手な行動をとるだろう。オーナーはそういう犬をコントロールできず、慌てるだろう。ブレーニンにはそういう行為はまったくない。ロープをしなくても、常に飼い主のそばを離れない。


*犬の家畜化も遊びも1万5千年かかって飼養された小児的行動の表れ、棒切れやマリなどを投げてやると喜んでそれを取りに行くなどはその一例。オオカミはこういう訓練を試みてもかれらは反応しない。かれらの好きな行為は他の動物の首をくわえて地面におさえつけること、そのあと、ぬいぐるみのように振り回し、次に自分が同じことを相手にさせる。


*近くにピルトブル種のラガーという大型犬がいて、ブレーニンはラガーより3歳年下で、幼少の頃はバカにされていたが、18か月が経ったとき、仲良しだった関係が闘争に変わった。とくに、メス犬が近くにいた場合、容赦のない戦いが始まった。

 こういうとき、ブレーンを放置すれば、相手は必ず死んでしまう。ブレーンのスピードは目にも見えないほどで、その残虐性は息を呑むほど。かといって、ブレーンだけを止めに入ると、ラガーの鋭い牙がブレーンの首の下に食い込んでしまう。両者を同時に止めに入ること以外に惨事を免れる方法はない。


*群れをつくる動物のほうが単独生活をする動物よりも知能は高い。類人猿は陰謀や騙しの能力を有し、一方、犬やオオカミにはない。理由は誰にもわからない。


 2009年11月30日に本ブログに書評した「マールのドア」を併せて読めば、興が倍化するだろう。


 

2012-01-28 15:59:11

共喰い/田中慎弥/集英社

テーマ:書評


書評:ためいき色のブックレビュー-共


  「共喰い」  田中慎弥(1972年山口県出身)

  2012年1月17日 集英社より単行本初版 ¥1,000+税


 芥川賞を「もらってやる」と、授賞式後の記者会見で口を捻じ曲げて言ったけれども、そんな大言壮語が吐けるほど充実した内容の作品ではない。


 本書には「第三紀層の魚」というタイトルの作品も含まれているが、読む気にはとてもなれずにいる。


 今回はTVの影響もあり、この作品は出版社の思惑以上に売れるだろうが、次の出版からは間違いなく売れなくなるだろう。


 こういう言い方は失礼かも知れないが、長期にわたってニート生活をし、人との交流を拒み、仕事というものをしたことがなく、家族に甘えてきただけの人に、人間関係が解るのだろうか、人間という生物が解るのだろうか?


 とにかく、感動からは遠い本だった。

  

2012-01-22 15:04:36

歎異抄の謎/五木寛之/祥伝社

テーマ:書評

書評:ためいき色のブックレビュー-謎
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 「歎異抄の謎」  五木寛之(1932年生) 

 親鸞をめぐって「私訳歎異抄」原文・対話・関連書一覧」

 2009年12月25日 祥伝社より新書初版 ¥760+税


 帯広告に「親鸞は、本当は何を言いたかったのか?異色の提言」と書いてあり、この作家と表題とは昔から切っても切れぬ間柄にあるとの認識が私にはあり、宗教や信仰といったものには一切関心をもたない自分だが、この作家がこの年齢で一言残しておこうとの意志を感じ、「ならば」と入手におよんだ。


 親鸞の言葉として有名なのは「善人なおもて往生す。いわんや悪人においておや」という言葉で、親鸞という人物の思想はこの言葉の奇妙さから発しているといっても過言ではないと思う。


 ただ、「歎異抄」という著作の原文を書いた人物は不明であり、本人が口にしたことを弟子の唯円(ゆいえん)がまとめたものであるとか、現存する歎異抄はすべて蓮如版だという説もある。


 「人間のあさましさ、こざかしさ、悪行は過去の行いや、過去に犯した罪の結果であり、阿弥陀様に向かってナムアミダブツと唱えるだけで浄土に行くことができる」と、歎異抄は言うけれども、人間には前世や来世があるがごとき前提があり、私には腑に落ちない。


 本書のなかから、私の心に響いた言葉だけを以下に抜書きする:


*そもそも何をさして善といい悪というのか。煩悩にまみれた凡夫である我々の暮らすこの世はすべて空虚であり、偽りに満ちた評価の定まらぬ世界である。


*人間は他の生命を奪うことでしか生きられない。生存そのものが弱肉強食という修羅の巷にある。人間同士が殺しあって奪い合う。生きるということはそのようなことであり、非合理の闇。


*我々は非凡な聖人ではない。無数の煩悩を抱きつつ他の生命(生命の営みすべて)を犠牲にしながら生きる存在である。


 ルース・ベネディクトが「罪の感覚は内発的なものであり、魂の問題であるが、日本人はこの感覚が欠如している」と言った。(そういう感覚をもつ白人が大航海時代、異教徒、異文化の世界に土足で入っていき、殺戮、略奪を繰り返したことを忘れるな)。


 もし、人類に宗教や信仰がなかったら、世界ははるかに平和であろうか?


 私は宗教や信仰が、そしてそれらの分派分裂が世界に戦争と殺戮とをもたらす根源だと思っている。異教徒や異なる文化を認めない精神(キリスト教とイスラム教に強い)こそが人間どうしの殺し合いを助長しているのだと。

2012-01-19 11:20:05

極北で/ジョージーナ・ハーディング/新潮クレストブックス

テーマ:書評

書評:ためいき色のブックレビュー-北


  「極北で」  ジョージーナ・ハーディング(1955年生/イギリス人女性)

  2009年2月25日 単行本 新潮社より初版 ¥1,900

  原題:Solitute of Thomas Cave(トーマス・ケイブの孤独)


 およそ400年前、1616年の北極海で「たった独り越冬してみせる」と言い出した男が主人公であり、上記原題のトーマス・ケイブがその男。船長をはじめ、船員の誰も、ケイブが越冬後も生きているとは思わなかった。


 作者は大昔の航海日誌に取り組んで、あげく独りの男の生涯を通じ、「人間とは?」というドラマに肉迫している。


 帯広告の裏面に「開けない夜、荒れ狂う吹雪、愛した女の幻影。底知れない悲しみを抱えた男の極北での越冬と魂の救済」と書かれているが、男が極北の地で思い描いたり、考えたり、感じたり、思い出したりするあれこれが必ずしも時系列通りではなく、書き手(語り手)も必ずしも同一人でない印象が強く、そのためうっかりしていると前後の繋がりが理解の埒外にいってしまったり、納得が胸の底に落ちてこなかったりするが、そこに女性作家らしい思考、思念、決断が窺われる。


 男の生き様と人生とが北欧の空と海を背景にきわめて個性的に表現され、読者は感動へと導かれる。その表現はイギリス人とは思えぬほどデリケートで、ナイーブ。




 

 

2012-01-15 14:28:05

微熱の島・台湾/岸本葉子/朝日文庫

テーマ:書評

書評:ためいき色のブックレビュー-台湾


  「微熱の島・台湾」 岸本葉子(1961年生)

  1989年凱風社より単行本初版。

  1996年10月15日 朝日文庫より初版 ¥630+税


 1988年に台北から花蓮、1989年に基降(キールン)へと、二度一人旅をしたときのことをベースに体験をエッセイ風に書いたという内容。


 したがって、現今の台湾で日本にかかわるものといえば、漫画だったり、ゆるキャラだったり、アニメだったり、アイドルだったりするのだが、本書では今日からは想像もつかない台湾が描かれている。22、3年の時間が社会というもの、社会を構成する人間というものを、こうも換えてしまうという事実は、台湾にとどまらず、日本自身にも言えそうではあるが。


 同じ頃、私も何度か台湾(といっても台北だけだが)を訪れているが、当時の台湾社会の様相は後進国さながらで、日本からの観光客にものを買わせようという一点に観光業者は注力していた。


 しかし、本書の作者が台湾のあちこちで接し、触れ合った人々との会話の中心、言葉を換えれば台湾の人々が熱心に興味をもった話は「日本」そのものだったという。


 日清戦争後、台湾は日本の植民地となり、日本の教育を強制された島だから、年配の人のほとんどは日本語を話すし、日本の古いしきたりやマナーを知っているが、一方で軍事にも協力を強いられ、憲兵につつかれもした記憶が残ってもいる。


 そのあたりのことが台湾の人々との接触によって浮き彫りになってくるのが本書の特徴、関心があれば読んでみるのも一興。


 ただ、偶然のことだが、昨日は台湾総統の選挙の日で、大陸との関係を配慮する考えの人物が総統に選ばれた。ここ数年のあいだに、台湾を訪れる観光客は中国人が大半という実態、多額の金を落としてくれる。品物も、大陸には溢れるようにあり、ビジネスチャンスも少なくない。中国と台湾いが互いに出入国を認めあったのが1987年だから、それから今日の様相を呈するまで、かなり時間がかかった勘定にはなる。


 かつて、中国が金門、馬祖へ砲弾を撃ち込み、台湾がアメリカの保護のもと積極的に武装に邁進した時代がはるか昔のように感ずるのは私だけではないだろう。尤も、総統選挙の結果は大差での勝利ではなく、多くの台湾の人々は大陸に呑み込まれることを危惧している。


 本書のなかで驚かされたのは、「沖縄は琉球であったが、台湾は琉求であった」という箇所。琉球王国時代に台湾とは格別の関係があったのかどうかは知らないが、戦後しばらくの間、与那国島が200キロ離れた台湾から物資を運んだ話はよく知られている。


2012-01-13 10:54:06

父・藤沢周平との暮し/遠藤展子/新潮社

テーマ:書評

書評:ためいき色のブックレビュー-父


  「父・藤沢周平との暮し」 遠藤展子(1963年生)

  2010年10月1日 新潮社文庫より初版  ¥400


 娘が藤沢周平に関して書いていることは重々承知していながら、藤沢周平が往年に発表した数々の作品ばかりに頭がいってしまい、娘によるエッセイであることをしばしば忘却。


 ことに、藤沢周平のことになると、以前、このブログで採り上げた「司馬遼太郎と藤沢周平」というあまりに異なるイメージの作家と作品とを、かなりシリアスに比較、検討したことがあって、そのことも本書を読むうえで、悪い意味でなく邪魔となった。


 私の見立てに過ぎないけれども、日本語を駆使する作家のなかでも、藤沢周平は屈指の、というよりほとんどナンバーワンのスムーズな日本語を書く作家としての認識があり、意図的な巧みを感じさせない巧みさにいつも痺れながら、後日になって、藤沢作品の内容を記憶していないという妙なことが起こったもので、数々読んだ作品のなかでも、いまだに「橋ものがたり」以外は記憶から消えている。要するに、文章が上手すぎるのだ。


 本書の作者も「橋ものがたり」が好きだと言っていることに安堵した。


 この作家の筆は語彙の点で、父親には到底およばないが、変にいきがったり、自慢したり、顕示欲を垣間見せたりせず、父親が好んで書いた「巷の一市民」としての立場を守りながら、日本の文学界の頂き近くに存在する父親を書いたという認識が読後に残った。


 彼女の文章をあえて表現すれば、「さらさらと降る新雪」。

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