大きな事故でたくさんの人が死んだ、そのなかで、死にながらも赤子を産み落としたひとりの女性。残念ながらこの赤子は、意識がもどらず、そのまま寝ておきずのままに、大きくなっていく。そこに興味を持つひとりのやはり病院にいた少年。なんとか彼女の意識をもどそうと・・・・・・。そして、奇跡が。

彼女に残された日はたった五日間。

そして、その言葉を彼女の心に呟いたひとは・・・・・・・・・・・手塚治虫の傑作である。
「ガラスの脳」。

これで、まず、眠気をさます。

朝、精神安定剤を飲む。
すっきりするから合っているのだろう。


つぎに・・・・・・・・・・読む漫画は・・・・・・・

笑う角には福来るではないけれど、愛読書の「バカボンパパ」を読んでから、雑用。





日本人にはラテン系的な、おおらかな生き方は無理だろうけれども、このバカボンとパパはまさにその実行家。無意識なだけだから笑える。

可愛い愛するママがせっかく、お風呂上がりにみんなで冷たいスイカを食べましょうと、良きアイデアをもらっておきながら、そのスイカを、風呂であたため、なんでこんなところに緑の筋がついているのだと、そのスイカの筋をきれいにとろうとするパパ。


これは怒り狂うママの行為、しょうがないでしょう・・・・・・・・・・・・・笑えます。






・・・・・・・・・・・











いつも私が、美意識だとか、言っても「美意識」ってなんだ?とか思う人も多いと思うし、ラテン系の生き方と書いても、定義もむずかしいし、テキトウにいきることだけだろうと誤解する事もいると思う。

小林秀雄氏の言う「芸術活動とは歴史に埋もれて行く人間達を救う術を編み出す事だ」という言葉も、わかりづらいとも、よく言われる。

そんな時、さきほど、テレビで、こんなシーンを見て感銘した。(まったく同じクリップはなかったので代用クリップとなりましたが・・基本同じです)


とあるアメリカの赤ちゃんが、お母さんの口ずさむ歌を聞いていて、しだいに、口からはよだれ、そして、真剣に母の曲を聞いている事がカメラから伝わってくる。
・・・・・

うれしそうに。
不思議そうに。
こころから満足して。


最後の最後には、目から一筋の、涙がでていた。
彼は、泣いていた。


これはもう無意識の赤子の心魂の感動なんだろうと思う。


たしか「霧と夜」という名著のなかに、日々、明日ガス質で殺されるかもしれないという閉鎖された環境のなかで、最後の最後まで生き残った連中の特長のひとつとして、
強制労働のあいまにも、夕陽を眺めるのが好きだったり、自分のパンをちぎってからだの弱っている人に与えたりする人たちが多かったということを、書かれていたこととをふと連想した。


感動。
感銘。
感激。


こころ=魂が、まさに、「生きている」こそが、「生命」「命」のパワーの源なのだと思う。


小さな、言葉も喋れない赤子でさへ、大好きなママの聞き慣れて美しい歌を聞いているだけで、「至高体験」がおとずれるのだから。・・・・・・・・・・・・


おとなだって、そんな瞬間は、必要なんではないだろうか???

現実でそんな素晴しいことがしょっちゅうあれば一番なんだろうが、そうもいかないので、
わたしたちは、本を読んだり、音楽を聞いたり、絵画を見たり、映画をみたりしてて、
「至高体験」を感情体験することで、涙したり、笑ったりして、「埋もれる歴史の中から救われている」のだと思う。







こんなクリップもある。
母親・父親との肌と肌とのスキンシップ。はなしかけ。・・
人類のつくりあげた言葉だけの世界を超えた「なにか」を感じるのは私だけだろうか?

「言葉」は人類がつくりあげた最高の叡智ではあるけども、「命」というものはもっともっと、複雑なものだと思う。「言葉」を超越した「何か」・・・・



これらの、赤子のクリップのことは、けっして、私はこれからわすれないだろう・・・・・。
人の心魂の、無意識の原点だと思う。


「美」とはそんなところから産まれてくるのだろう。




・・・・・・・・・・・・



というわけで。「感動のある日々」「至高体験のある日々」「しずかで普通の日々」「小さなことにくよくよしないラテン的な楽天的な生き方」が私は好きだ。



また音楽もまた。なんでも聞くけれども、
ボサノバも素晴しいです。




ラテンでは一番好きなHow Insensitive。
この曲は、
言葉ではあらわせないものをよく、表していると思う。
不思議な、ミステリアスな、霊性の世界。
みんな感じているのに、表現することが不可能な世界。





How Insensitive。・・・
好きなクリップを並べて、今夜は聞き込むことにしましょう。






実は、この曲。
何回聞いても、意味がわからないのです。
そして、それが素晴しいところ。
言葉を分析し理解することも大事ですが、
言語をそのまま暗記して、くちずさむことが大事、
深い深い、言葉を超えた世界に慣れ親しむようにしている私です。
(他人にはすすめませんが。)






How insensitive
I must have seemed
When she told me that she loved me
How unmoved and cold
I must have seemed
When she told me so sincerely
Why she must have asked
Did I just turn and stare in icy silence
What was I to say?
What can you say
When a love affair is over?


こんな詩なのですが、不思議な詩です。好きです。何回も聞いています。








jazzの演奏では下記の二曲が最高のフェボリット!!!


なんといっても、これが一番。




そしてこの演奏をしたふたりはともに麻薬で天国。
花のようにあっと言う間に、天国に逝ってしまいました・・・残念。



これもまた素晴らしいバサラ。
彼らには、かないません。




夜。
すっと眠れる日と、眠れない日があります。
不思議です。・・・・・・・・





自律神経の調子はあいかわらず、調子が悪い。
寝ておき来てのんびり副交感神経をのびのびさせてあげればよいのだろうが、せっかちだから、すぐに、何かをしようとしたり、外で運動を使用として、自律神経が悲鳴をあげている状態だろろう。


起きて二三時間は、のんびりすることにした。
あと、深呼吸というか、呼吸が浅い傾向があるので、意識的に深くゆったりと息をするように・・・




そんな時に、見た、この映画。「パッセンジャーズ」。




やはり、西洋の映画もだんだん変わって来ているなという感覚を持つ。
好きな映画にはいる。
私にとって「傑作」の映画は、あまり意味がありません。
私にとっての、フェボリットであれば、それで良いのです。
自分のこだわる小さなディテールがたくさんあるシネマ。
それだけで、「感銘」がもらえますし、さきほどの話しでは在りませんが、私の心=魂は生き生きとしてくるのです。・・・・・・・・・


スター・ウォーズだけが映画ではないでしょう。



まったくラテンとは違う発想の映画なのでが・・・。
人とはなぜ、「ホラー」いや「謎」いや「不思議なもの」をもとめるのだろうか????
これが今一番興味のあることである。


これまた、私たちが普段感じている、当たり前の世界の不思議さを語っていれば語っているとも言えますね。
いつものように、日々、水を汲む、火をつける、ああ、なんという奇跡!!!!!!


この映画は、そのずれみたいなものを表現しようとしているのかしら。
そのあたりは再試聴するとおもしろいかもしれません。





セラピストをしているドクター、クレア・サマーズは、ある日飛行機事故で生存した5人を受け持つことになった。
グループカウンセリングの度に、窓の外にある人物の影が…そして、メンバーが一人ずつ消えていく…。
クレアは徐々に、航空会社が過失を組織ぐるみで隠すために、生存者を口封じのため狙っているものと疑い出し、解明のため奔走する。
その中、生存者の一人エリックは、唯一自宅での個人カウンセリングを希望。
事故のショックからか、躁状態とも言える彼の突拍子もない行動に、振り回されっぱなしのクレア。しかし、自分の心の痛みにそっと寄り添ってくれている彼に、戸惑いながらも次第に惹かれていく。
そして、最後に意外な真相が明かされることに…。






これは実に不思議な映画だ。
東洋的な映画とも言える。
合理的な判断やら、計算づくのハリウッド映画とも違う、生と死の詩の讃歌のような不思議な鵜調に溢れている。
レヴューの一言二言がすきだ。


I just saw this wonderful movie.... I hope my sweet Pup comes back for me :)

i had to watch it twice to understand the ending :o
i didnt expect the ending at alll

Crazy good movie ! Yoh what an ending! Totally twisted my mind in all shapes and sizes, I highly recommended it !





生と死はとある場所から、きちんと、きれいに、ちょんぎれているわけではないと思う。
行ったり来たり、入ったり出たり、泣いたり笑ったり、・・・・複雑に糸はからみあう、
そして、静かに静かに、自分たちの心の、魂の位置を、感じて行くのだろう・・・
しみじみとした、不思議な、パワーに充ちた映画だと思う。

監督のガルシア・マルケスの息子であるところの、ロドリコ・マルケスは、 やはり、映画の文体をきちんと持っていてて、その文体が、美しいと思う。
・・・




背徳の賛美歌 The Minister's Wife (1992) 撮影監督
フォー・ルームス Four Rooms (1995) 撮影監督
彼女を見ればわかること Things You Can Tell Just by Looking at Her (2001) 監督・脚本
彼女の恋からわかること Ten Tiny Love Stories (2002) 監督・脚本
美しい人 Nine Lives (2005) 監督・脚本
パッセンジャーズ Passengers (2008) 監督
愛する人 Mother and Child (2010) 監督・脚本
アルバート氏の人生 Albert Nobbs (2011) 監督


コロンビアの首都ボゴタで生まれ、メキシコシティで育つ。父親はノーベル文学賞作家のガブリエル・ガルシア=マルケス。フリオ・コルタサル、パブロ・ネルーダ、カルロス・フエンテスら一流の文筆家の存在下で育った。
ハーバード大学とアメリカン・フィルム・インスティチュートで学ぶ。卒業後、撮影監督としてキャリアをスタートさせ、『フォー・ルームス』や『ジーア/悲劇のスーパーモデル』を手掛ける。
2000年に『彼女を見ればわかること』で映画監督デビュー。カンヌ国際映画祭ある視点部門でグランプリを受賞し、注目を集める。また、『シックス・フィート・アンダー』などのテレビシリーズの監督を務めている。
2011年のアイルランド映画『アルバート氏の人生』ではグレン・クローズとジャネット・マクティアがアカデミー主演女優賞・助演女優賞にノミネートされた。2015年にはユアン・マクレガー主演の『Last Days in the Desert』が公開予定。



仕事で疲れて、へとへとになった男性サラリーマンであれば、もっとハリウッド系のアクション映画を見たいと思うのもよくわかるし、そうすれば良いと思う。


しかしながら。


連休があり、心に少し余裕があり、stilll iifeに興味がある人であれば、見ても、なかなかの印象を持てるだろうと思う。皆に推薦する映画ではないけれども、生と死のタペストリーの糸に興味がある人は是非。



モーツアルトのピアノ協奏曲を一番から聞いていると、さほどクラシックに詳しくもない私が言うのも変だが、モーツァルトがだんだん、モーツアルトになってくるという感覚がわかってくる。





その意味においても、2006年に、アン・ハサウェイが、「プラダを着た悪魔」を成功させたばかりで、2008年に、この「パッセンジャー」という不思議な映画と、「レイチェルの結婚」という麻薬中毒の女を演じている勇気。





アン・ハサウェイもまた、しだいに、アン・ハサウェイになってくるのだった。


『レイチェルの結婚』(Rachel Getting Married)は、2008年のアメリカ映画。
第65回ヴェネツィア国際映画祭出品。主演のアン・ハサウェイは第81回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。

キムは10年間、薬物治療のリハビリ施設の入退院を繰り返していたが、姉のレイチェルの結婚式のために実家に帰ってくる。







ところで、この「パッセンジャーズ」を見終わって、ふと、なぜか、
「異人達の夏」を思い出してしまう。なぜだろうか?



異人たちとの夏 (新潮文庫)/新潮社

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なぜか、秋吉久美子を思い出す。



そして、連想として、関根恵子や、髙橋洋子や、栗田ひろみやらを・・・・。
アン・ハサウェイとはまったく似ていもいないのに。



日本の女優達は、存在感が増してくると、キモノが実に似合ってくるのだけれども、アン・ハサウェイにも着てもらいたいものだ。






Oiran Parade from "Yoshiwara Enjo"





この吉原炎上も素晴しい映画だったです。何回再試聴したことか。
最近では、聞いた話しでは、とある日本のartist が、この義太夫の高下駄をヒントに、ブーツをつくって、ガガに買ってもらったらしいですね。

(村上隆にしても、この作家にしても、アイデアだけで、
感銘はありませんが。・・・・・・・・・・・)


五木氏の「日本の心」読む。
かつて昔の吉原の女郎達は14歳頃に売られてきて、21前後で死んだと言う。
吉原の裏の寺に皆埋められた・・




美の極致。
死も恐れぬバサラの世界。
地獄のような人身売買から抜け出しひとり姫になれる世界。
人徳と肉体の魅力があれば身分など関係もなし。
悪には悪の魔力と倫理があるのだ。

そんなことを考え、ふと夜の静寂にふとワレに帰る。









・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






赤ちょうちん-予告

『神田川』 予告編

クリップがどうやらない。YouTubeで見るしかないようだ。それにしても、なつかしい。この映画はそのまま私たちの時代の青春だとも言える。








この映画・・「神田川」と「あかちょうちん」。

関根景子と、秋吉久美子が素晴しいですね。
関根景子は、いまこそ、素晴しい着物姿のよく似合う本格的な女優になりましたが、
度胸があります。樋口可南子とおなじくらいの肝っ玉かな。



秋吉久美子もまた、シュールで、魅惑的な女優ですね。

「妹」というのは彼女のはまり役でしたし、「異人達の夏」という河合隼雄が推薦している映画では若くてきれいなお母さん役でした。(この異人達の夏は、すごいです。人の無意識界をよく具現化していると感心してしまいます。何回試聴にも耐えることのできる傑作です。風間作品としては、個人的には、この「異人達の夏」と「蒲田行進曲」は見ておいてもソンはなんでしょう。




この映画は死んだ筈の若き母と父との会話のところが、非常に良いですね。
個人的な勝手気な感想を言わせてもらうと、西洋映画はキリスト教の世界ですから、なにかというと、悪魔がでてきますが、日本の文学や映画の文化の伝統としては、どこか、この現実とあの世界がつながっていて、そこで、生きている人と、すでに亡くなっている筈の人が、生き生きと、コミュニケーションをはかったりする傾向があり、好きです。


最初に書いた、「パッセンジャーズ」も、まったく視点は違いますが、ホラーと宣伝されていましたが、そうではなくて、東洋的な、優しき発想ですね。






この頃の松阪慶子はきれいでしたね。







・・・・・・


秋吉久美子。
「バージンブルース」
「赤ちょうちん」はともかく、・・・・
「八甲田山」にも出ていましたね。これにはびっくり。



「旅の重さ」でも、なかなかの演技でした。

特に最近見た、彼女の演技で、陽炎のようにほそぼそと弱々しく、かぼそく、ただひたむきにひとりのだらしない男を、姉妹で愛してしまうという妹役をやっていた映画が印象的でした。
原作が、「宮尾登美子」ですからおもしろくない筈がありません。

「夜汽車」です。


短編をふたち合わせてつくった映画らしく、少し、わざとらしいシーンもありますが、
監督も、山下耕作ですから、人情劇はうまいです。

現実の秋吉久美子も、またまたシュールなところがあり、先日も、たしか、沖縄かどこかで若い愛人と一緒にくらしていたとか・・・
いいじゃあありませんか。




◎資料
昭和10年の秋、高知行きの夜汽車に揺られながら、岡崎露子は少女の頃を回想していた。彼女が13歳の時、母親は妹の里子を産んで死に、やくざな父親は露子を高知一の料亭“山海楼”に売りとばし、その金を酒と博奕に使い果たしたあげく野垂れ死にしていった。露子は泣く泣く里子を人手に渡し、その養育費を稼ぐために芸妓として各地を転々。16年ぶりに故郷に帰って来たのだ。そして、17歳の女学生に成長した里子と再会した。・・・・・・・・ひとりの男を挟んでの姉妹ふたりの愛憎を中心に、三人を囲む人々の葛藤を描く。宮尾登美子原作の短篇小説「夜汽車」「岩伍覚え書」をもとに「道(1986)」の松田寛夫と「F2グランプリ」の長田紀生が脚本を共同執筆。監督は「最後の博徒」の山下耕作、撮影は「火宅の人」の木村大作がそれぞれ担当。


秋吉久美子。
思い出すだけで彼女があわれで、可哀想になり涙がでてきます。







まったく関係のない映画のようですが、「夜汽車」を見ていて、
「冒険者たち」を連想しました。
最後の粋なセリフが素晴しいからです。



ちょぃと、備忘録を書いておきますと。


冒険者たちの中でコンゴの海のなかに消えて行くレ­テッシアとスキャット。
素晴らしいシーンでしたね。
あのスキャットの声が彼女とは知りませんでした。・・・・・・・









今。
tutayaなどに行っても、この映画はみつからないのではないでしょうか?
それがパソコンで見れるというこの21世紀のありがたき幸福。
このシネマは、若き頃に見て、そのかっこよさに感銘、
フランスにあこがれ、一度は、フランスに行きたいと思ったのもこの映画のおかげです。
なんとか、人生の中で、二回、フランスに行けましたが、現在のフランスがこの映画のような
ロマン溢れる物語を持っているかどうかはわかりません。

海のなかのスキャット。
アランドロンと、リノヴァンチェラがこの女性を好きになってしまう・・・

フランスでは、当時は、圧倒的にリノが人気がありました。
日本では、もちろん、圧倒的に、ドロンが人気がありました。


私が感じたのは・・・


この映画のラストシーン。実は、宮尾登美子の「夜汽車」のラストシーンとよく似ています。
死ぬ人に向かって、
「あの人はほんとうにあなたが好きだったのよ」とウソを言う訳ですね。
言われたほうは、それがウソだということは知っていて、
嬉しそうに死んでいく・・・・・・・名シーンです。




個人的には、「序の舞」の方が、映画としては上だと思いますが。
映画はあくまでも、個人の好みで、自分なりの見方で・・・・・

「序の舞」の名取裕子も素晴しいかったですね。
個人的には、「異人達の夏」の風間と名取裕子。




















それと、「吉原炎上」の彼女の演技がフェボリットです。













秋吉久美子。
髙橋洋子。
関根景子。



「おさな妻」「高校生ブルース」、「旅の重さ」「あかちょうちん」「かんだ川」
まだ、世の中が、いまほどヒステリックでない時代でしたから、彼女たちの美しさはそれはそれは女神のようでした。・・・・・・・・・













とくに、「あかちょうちん」には、山科ゆりまででてきますから。これは貴重です。







( ◎山科ゆり資料)
秋田県秋田市出身。演劇にあこがれ高校中退後上京。独立プロ系成人映画(向井寛監督作品)に津村冴子という芸名で数本出演。
ロマンポルノに路線転向した日活にスカウトされ入社。1971年「色暦女浮世絵師」でデビュー。 当初は本名で出演していたが、4作目の「さすらいの情事」から山科ゆりの芸名となる。
1973年4月公開の「昼下がりの情事 古都曼荼羅」が初主演作。
初期の日活ロマンポルノの主力の一人として主役から助演まで幅広く活躍。純情派として高校生役などを得意とした。 同時期にロマンポルノに出演していた風間杜夫との共演が多く、風間のロマンポルノ出演14作品中8作品で共演している。
70年代半ばから並行してテレビドラマにも顔を見せるようになるが、1983年結婚を期に引退した。



栗田ひろみという、チャーミングな少女も。
私は、彼女の顔が好きで、よくイメージをモデルにして、絵にしていた記憶があります。













ところで、ラテン的生き方。
ケセラセラ的生き方。








「しりすぎた男」ヒッチコック。これがもともとのケセラセラの映画のようですね。


テーマの「ケセラセラ」が大好きだ。・・・・・・・・・・・・






◎ドリス・デイの資料
父はドイツ出身の音楽教師で、両親は彼女が10歳の時に離婚。ドリスの名はサイレント映画女優のドリス・ケニヨン(英語版)から名付けられた。幼い頃から歌や踊りが好きで、バレリーナを目指していたが、15歳の時に列車事故に遭い、激しい踊りができなくなりその夢を断念[2]。しかし歌の方は続け、18歳の時にジャズバンドのレス・ブラウン楽団に専属歌手として参加。バンドメンバーのアル・ジョーダンと結婚し、息子テリー(後にレコードプロデューサーとなる)を出産するが、1942年、20歳の時に離婚。2年後、このバンドのリーダーだったレスター・ブラウンの提供した『センチメンタル・ジャーニー』を歌い、大ヒットさせる。
1946年、24歳の時に2度目の結婚をするも、わずか8ヶ月で破局。離婚直後にワーナー・ブラザーズのオーディションを受け、同社と契約。1948年の『洋上のロマンス』で映画デビューする。評判はよく1949年に2本、1950年に主題歌もヒットした『二人でお茶を』など3本、1951年には5本も出演するほどのど売れっ子になった。同年エージェントだったマーティン・メルチャーと結婚。また、1953年の西部劇風ミュージカル映画『カラミティ・ジェーン』の大ヒットで人気を不動のものとした。1956年のアルフレッド・ヒッチコック監督作品『知りすぎていた男』の劇中で歌った『ケ・セラ・セラ』が大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞した[3]。
1968年に夫が亡くなり映画界を引退、活躍の場をテレビに移し『ドリス・デイ・ショー』(1968年-1973年)を中心に活躍することになる。1976年に4度目の結婚をするが、1981年には離婚。その後は動物愛護に力を注ぎ、カリフォルニア州のカーメルに設立した「Doris Day Animal League」で、家庭内ペットの世話の方法などを指導している。





・・・・・・・・・・・・



ラテン的生き方 発想「その2」




自分でつくったたらこは、どうして市販されているようなあじにならないのだろうか?
自分でつくった「タバスコ」はどうして市は版されているようなタバスコにならないのだろうか。

自分でつくった「イカ塩辛」は市版されているようにできないのか?














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こんなくだらないことを考えていた。ある日、愛好するグールドのバッハを聞いていて、はっと気がついた。
「あああ、グールドのCD好き、演奏会嫌いは有名だけれども、何もCDの「完璧な音」だけが、良き音というわけではない。

そりゃあ、アンプなどの配線に数十万の金を使うマニアはともかく、普通の人にとっては、音質も大事だけれども、感動が大事なのだ。


ということは。



今は発売禁止になったけれども、カスピ海のヨーグルトを何回つくっても、違うあじになるし、つくる家によっても違うヨーグルトのあじになるというのもよく理解できる。
いいではないか、違う家によって違う家に違うヨーグルトができる。


人は、雑菌と共生しているのだから、そんなことは当然なこと。







完璧さを一番にする、日本人の悪いところ。
完璧さを一番にする、日本人のすごいところ。





自分でつくったたらこは、少し生の味がするけれども、最後に蝦夷ニンニクの醤油漬けなんかを少しつけると最高の味になるし、
「イカのはらわた」も、潮加減を薄くできるのも素晴しいことだろう。
たしかに、市販の塩辛は美味いけれども、塩分の強さと言ったら、・・・毒を食しているみたいなものだろう。糖尿になりたくなかったら、自分でつくるのが一番。市販の味なんかをお手本にすることはない。
ガラス瓶の裏に張ってあるデーターを見てみて下さい。
おそろしいほどの、調味料やら、薬やら、赤黄色緑などの色番号。




・・・・・・・・・・・・・



というわけで。

日本人は、もっとラテン系の人を見習うべきだと思う。
どうせ、真面目で、律儀で、文化歴史の長い日本人には、いくらマネをしてもラテン系になぞ、なれるわけがないのだから、少しでも、マネのふりをするだけでも気持ちがちょっと楽になる。



ケセラセラ。
小さなことにくよくよしない。

他人の気持ちを自分勝手に推量しすぎずに、スキンシップで、ほめたたえる。


家族や、子どもや、兄弟親戚もそうだろう。
なにかにつけては、吉本漫才のマネみたいな空のもりあげなんかはやめて、、静かに、話しをおたがいに聞くようにするだけでも、違う心のあり方が産まれることだろう。


そして、気が向けば、踊ったり歌ったりすればよいのだ。



不思議なところで、この北海道。
二次会は昔から、ディスコ。
札幌には「アダムとイヴ」というデカいディスコがあって、かっこ良かった。
毎週のように遊びに言っていた。











「サルサ」この映画、リベルタンゴが良し。





「ラテンに学ぶ幸せな生き方 (講談社+α新書)/講談社」にはおもしろいヒントがたくさんある。
特に、完璧主義の日本人には、ちょうど良い心のサプリかもしれない。


◎格差や、貧富の差はどこにでも、どこの国でもある。
哀しむより楽しむようにする。

◎金がないから、助け合う。金のある奴は意外にケチなもの。ない人ほど、他人にほどこすことができる。
◎別れた相手をけっしてけなさない。
人として自分という人生の縁のなかに一度は組み込まれたわけだから、他人のわけははない。
感謝と、褒めの言葉で、認める。



金なんかなくとも、服装なんかどうであろうと、今ここの瞬間に「踊り」を通じて、永遠を感じるというのは、なにやら、禅にも通じるような気もする。



Chic - Le Freak



今から、35年前か、日本中でディスコがおおはやり。
クラブのように閉鎖的な踊りではなく、もはや、盆踊りのように、 老若男女が、
みんな、同じステップでおどりまくるのだ。

真夜中の三時頃になると、かならず、パトカーの威嚇があったけれども、きにせずに、よく踊りまくっていた。

旭川。26歳の頃に、年上の女性たしか、33ぐらいのXという女性がいた。ディスコで出会った女性だったとたしか、記憶している。


私自身がまだまだ人生のい・ろ・は・しか知らない頃であったから、彼女からはいろいろなことを教えてもらえた。

特に、ジャズの名盤、そして今何が流行っているのか、それから旭川といってもまだまだ田舎の街の中に、女特有の嗜好でジャズと料理の美味い店をよく知っていて連れて行ってもらった。
人柄が明るいので、どこの店に行っても、マスターやママが良くしてくれた。


ああ、こうやって、みんな小さな町でも人生を楽しんでいるんだ・・・人生を遊ぶことの下手な、糞真面目な私はそんなバカなことを思いながら、ウィスキーのストレートを思い切り喉にながしこむ。







ただ、私はどちらかというと、人見知りが激しくお店に行くと、そこのマスターやママと楽しく話しあうことよりも、ひとり雰囲気を楽しむ方なので、逆に一緒に連れて行く女性は彼女のような「社交的な大人の女性」の方が、楽なのである。



彼女はいつも洋服はアカルく大きなデザインの柄の花や鳥を好んだ。赤や黄色やトルコブルーのようなはっきりした色彩がよく目鼻立ちのはっきりした顔にあった。



「huruhonさん、がんばりなさい。あんたは絶対ものになるわ」
と、今でも、懐かしく彼女の独特の励ましを思い出す。
(まだまだ、私はこの言葉をあきらめていないから・・・笑えますね・)



現実から逃避しない強さとユーモアが彼女の魅力であった。


彼女は五木寛之を読み瀬戸内晴美をその時読んでいた。今ならば村上春樹を読むようなそんな不易と流行の、「流行」という言葉がよく似合う打ち上げ花火のような女だった。

ある時。吹雪いていた日だったと思う。




遊び仲間と旭川の汚いビルの七階で何かのプロジェクトの打ち上げをしていて、さっきも書いたように、昭和五十五年頃の北海道の遊び方は皆二次会では皆、ほぼ、ディスコで踊るのである。(上手く踊る必要がないので楽でもあった。)



その少し東京のしゃれたバーをイメージした狭い室内に少しの踊り場があり、そこで皆で我々は、仕事の成功のせいで、少し陽気になりすぎて、踊っていた。


気がつくと目の前に帽子をかぶった二十代の身長のでかい男が異常な手振り身振りで私の前で踊り始めた。今から思えばからかわれたと思うのだが、まだ青くてつっぱりの性格の私はその帽子を二メートルほど手ではじきとばした。


彼がけっそうをかえて、私に殴りかかったきた。



面倒になるのも嫌だったし、私はひょいと逃げるのは得意なので、その馬面の男に、馬鹿やろうと叫んだ後、帰るぞとばかり皆を誘い、エスカレーターで逃げ出した。


その時、我がグループの仲間の中に相撲取り志望の男の子がひとりいて彼の塞き止めをかってやったくれたのだ。チンピラ相手に全然顔色ひとつ変えずに、彼は塞き止めをしてくれた。
(一緒に麻雀をやったり、素晴しい性格の良き男だった。もしも、あの時に、あの男がいなければ、もつと大きな騒ぎになっていただろう。)

二分後に仲間のチンピラ数人が階段から上がってきた時には、相撲取り志望の彼はその帽子の男をおとなしくさせ、見事全員逃げることに成功していた。





数日後。

あとでそこのマスターにそのチンピラのことを聞いたのだが、私もけんかっぱやいので、説教されたことを今思い出す。ちょいとまちがえたら、刺されてたぞとも、脅された。若気のいたりである。




Xはその夜とっておきのバーボンを出してくれて、「怪我などはないか」と心配してくれ、馬鹿な私のその喧嘩の一部始終を黙って聞いてくれ、照明のよく計算された女性がひとりで住むのには少し大きめの部屋で、「ミドル・マン」ボズ・スキャッグスの「ジョジョ」のレコードをかけてくれた。

その夜、音楽とウィスキーと喧嘩の三位一体で、青二才の私は、生まれて初めて大人の空気を思い切り吸い込んだのだった。




正直いって、「男も女によってつくられる」のではないだろうか。「女が男によってつくられる」ように。Xの部屋で聞いた、特に名曲でもないけれど、女性のセンスで部屋の雰囲気を良くしたいという「インテリア」感覚で選ばれた曲もなかなか悪くはないなあ、と私はバーボンを舌で味わいながら感じた。

芸術に対する彼女の興味と好奇心は私を更に刺激したのである。

今でも、ボズ・スキャッグスの「ミドルマン」と、グローバーワシントンの、「ワインライト」を聞く特に切なく彼女を思い出す。


Grover Washington, Jr. Winelight ( Full Album )

今は風のうわさで、ハンサムな年下の彼氏と仲良く暮らしていると聞いているのでいつまでもおしゃれな女性でいてもらいたい。



1944年オハイオ州生まれ。少年時代をテキサス州で過ごす。12歳のときにギターを始め、セント・マークス・スクールでスティーヴ・ミラーと出会う。彼にギターを習いながらヴォーカリストとしてバンド活動を始めた。2人は共にウィスコンシン大学に進み、大学時代もブルース・バンドを組んだ。
1960年代前半、白人によるリズム&ブルースが盛んだったイギリスのロンドンへ渡る。いくつかのバンドでプレイした後、ソロとしてヨーロッパを遠征中スウェーデンのポリドール・レコードの目にとまり、1965年にデビュー作『ボズ』を発表する。
帰国後、サンフランシスコを拠点に活動し、スティーヴ・ミラー・バンドのファースト・アルバムに参加。これで評価を得たボズは、1969年にアトランティック・レコードからアメリカでのデビューを果たすが、しばらくはセールスに恵まれなかった。
R&B色が濃い音楽を発表し続けていたボズであったが、1976年、ファンキーでクロスオーバー的な洗練されたサウンドの『シルク・ディグリーズ』を発表。これが全米2位を記録し、500万枚以上を売り上げた。アルバムからも「ロウ・ダウン」(全米第3位)、AORのスタンダード曲「ウィ・アー・オール・アローン」の大ヒットを放つ(このアルバムに参加したセッション・ミュージシャンたちは、後にTOTOを結成)。次作の『ダウン・トゥ・ゼン・レフト』、『ミドル・マン』も続いてヒットした。
1980年に、トヨタ・クレスタの初代モデルのCMソングに、『You Can Have Me Anytime』(邦題:『トワイライト ハイウェイ』)が採用された。
その後、ヒットチャートからはしばらく遠ざかっていたが、1988年発表のアルバム『アザー・ロード』の収録曲「Heart of Mine」が、そのミュージック・ビデオの効果もあり、翌1989年に大ヒット、カムバックを果たした。日本では未だに根強い人気を誇っている。







「映画からたくさん愛をもらってください」 淀川長治







FIN

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