2010年03月14日(日) 11時15分25秒
posted by huruhon
時代についていく芸術家とは・・
テーマ:ジャズ
このところ、レコードはずっと、アート・ファーマーの「モダンタイム」を繰り返し、聴いていた。よく言われる燻し銀のような安定した楽しいプレイが今の自分の気持ちにフィットするし、好きなビル・エヴァンスも一緒にホレス・シルヴァーのような珍しいプレイもあるから。
ずっと考えていた。
大和氏が言うように、後半の彼のプレイは少しマンネリになってきたのではないかと言う一節だ。
初期の頃の新鮮でスリリングなプレイが次第になくなってきて、安定したプレイだけを求めるようになってきたと言う。
もちろん、それは彼だけではなくて、その他のさまざまなミュージシャンにも言えることで、大和氏に言わせると、いつまでもスタイルを壊しては創造していくタイプと、ひとつのパターンに安定を求めるタイプと。
確かに、50年代のjazzシーンの前には、黒人が西海岸から出てくる白人達のjazzに対抗して、自分たち黒人のルーツを発見するような過激で、アヴァンギャルドな情熱のほとばしるプレイがあり、それが、次第にバップ、モダンjazz、そして、マイルスなどにひきつがれていくのだが、アート・ファーマーを始めとして初心を失って行ったのかもしれない。
フリューゲルホーンなどに手を出したのもその現れ、と大和氏は言うのだが、どんなものか?
だが、彼は性格的に真面目で面倒見がよく、実生活面では、マイルスが麻薬に溺れて楽器も買えないような時期には、自分の楽器を貸すようなまことに人間味溢れることもしている。
そこで、ふと思い出したのが、漫画家の寺田ヒロオ氏。
論点はずれているかもしれないが、彼もまた時代の波についていけない一人だったような気がする。
トキワ荘を読んでいても、彼は非常に面倒見がよくて、皆に飯やら金やら工面している人情家。
私も愛読した「背番号0」や、「スボーツマン金太郎」。
彼がトキワ荘物語りによく出てくる割にはテレビにも出ないし、作品を描いていないのが不思議だったが、最近調べてみて、その理由がなにやらわかるような気もしている。
笑いも過激で下品、セクシーを売り物にすることもなく、彼はただ子供達のために純粋マンガみたいなものを追いかけていたのではないか。
劇画ブームがさまざまなる漫画家を窮地に追い込んだことはよく知られている。
あの手塚治虫氏でさへ、自分の作風が古いのではないかと悩み、実験的な劇画手法の短編をたくさん描いて、それが結果的には次の脱皮した手塚治虫氏をつくりあげているのだが、寺田ヒロオ氏はそこまで器用ではなかったのかもしれない。
まさに五木寛之氏がいつも言っているように、マスコミに強い人と弱い人が確かにいるのであって、寺田ヒロオ氏はまさにそんな刺激には非常に弱いと私は見た。
自分が面倒を見た若手が自分よりも売れていく。
なんだヨ、オレの恩義を忘れたか・・・・まあそこまでは考えたかどうかは今となってはわからないが、少しは焦りみたいなものもあったと思う。
人気なんていうものは、何十年ごとに繰り返すものだから、一線で活躍ということにこだわらなくても、やなせたかし氏のようにアンパーマンというキャラを確か60過ぎに生み出すことも可能だったと思う。
弱いから、閉じこもる。
閉じこもるから、ますます、脱皮することがむづかしくなる。
人付き合いもしたくなくなる。
というわけで、資料などによると、晩年は母屋にひとりで住んで妻ともまったく会わなくなったらしい。三度三度の食事だけを母屋に運ぶ日が続き、或る時に、食事に手がついていないので奥様が不審に思い中に入ると、死んでいたと言う。
マンガの世界も、jazzの世界も、いやどんな世界であっても日々の変化というものはすさまじいものがある。
ビジネスの世界とはまったく違うように思われるこれらアートの世界でも、まったく同じ法則が貫かれているのではないか。
つまり、「変化しないものはない」という諸行無常の原理。
人の心はたしかに古来変化はしない。
でも、人のこころはあるパターンが続くと飽きるのだ。
だから、その欲求はとどまるところを知らない。
真の芸術家とは、常に変化しつづける人、けっして自分のスタイルに完成を見つけることをしない人だと私は思っている。
読者はその意味ではひどく我がままだ。
アート・ファーマーの一番良いプレイはいつでも、そこだけ繰り返し聞けるのだし、寺田氏の傑作のマンガ本もまたいつでも取り出してそこだけ繰り返しよんで感激を味わうことができるのである。
アート・ファーマーがこの「モダン・タイム」をその後乗り越えた作品が出なかった事も、寺田氏が「背番号0」などを超えた作品を描けなかった事も、普通の読者にはどうでもいいようなことなのかもしれない。
ただひたすらに、良き作品が読者は読みたい、聴きたいのだから。
ずっと考えていた。
大和氏が言うように、後半の彼のプレイは少しマンネリになってきたのではないかと言う一節だ。
初期の頃の新鮮でスリリングなプレイが次第になくなってきて、安定したプレイだけを求めるようになってきたと言う。
もちろん、それは彼だけではなくて、その他のさまざまなミュージシャンにも言えることで、大和氏に言わせると、いつまでもスタイルを壊しては創造していくタイプと、ひとつのパターンに安定を求めるタイプと。
確かに、50年代のjazzシーンの前には、黒人が西海岸から出てくる白人達のjazzに対抗して、自分たち黒人のルーツを発見するような過激で、アヴァンギャルドな情熱のほとばしるプレイがあり、それが、次第にバップ、モダンjazz、そして、マイルスなどにひきつがれていくのだが、アート・ファーマーを始めとして初心を失って行ったのかもしれない。
フリューゲルホーンなどに手を出したのもその現れ、と大和氏は言うのだが、どんなものか?
だが、彼は性格的に真面目で面倒見がよく、実生活面では、マイルスが麻薬に溺れて楽器も買えないような時期には、自分の楽器を貸すようなまことに人間味溢れることもしている。
そこで、ふと思い出したのが、漫画家の寺田ヒロオ氏。
論点はずれているかもしれないが、彼もまた時代の波についていけない一人だったような気がする。
トキワ荘を読んでいても、彼は非常に面倒見がよくて、皆に飯やら金やら工面している人情家。
私も愛読した「背番号0」や、「スボーツマン金太郎」。

彼がトキワ荘物語りによく出てくる割にはテレビにも出ないし、作品を描いていないのが不思議だったが、最近調べてみて、その理由がなにやらわかるような気もしている。
笑いも過激で下品、セクシーを売り物にすることもなく、彼はただ子供達のために純粋マンガみたいなものを追いかけていたのではないか。
劇画ブームがさまざまなる漫画家を窮地に追い込んだことはよく知られている。
あの手塚治虫氏でさへ、自分の作風が古いのではないかと悩み、実験的な劇画手法の短編をたくさん描いて、それが結果的には次の脱皮した手塚治虫氏をつくりあげているのだが、寺田ヒロオ氏はそこまで器用ではなかったのかもしれない。
まさに五木寛之氏がいつも言っているように、マスコミに強い人と弱い人が確かにいるのであって、寺田ヒロオ氏はまさにそんな刺激には非常に弱いと私は見た。
自分が面倒を見た若手が自分よりも売れていく。
なんだヨ、オレの恩義を忘れたか・・・・まあそこまでは考えたかどうかは今となってはわからないが、少しは焦りみたいなものもあったと思う。
人気なんていうものは、何十年ごとに繰り返すものだから、一線で活躍ということにこだわらなくても、やなせたかし氏のようにアンパーマンというキャラを確か60過ぎに生み出すことも可能だったと思う。
弱いから、閉じこもる。
閉じこもるから、ますます、脱皮することがむづかしくなる。
人付き合いもしたくなくなる。
というわけで、資料などによると、晩年は母屋にひとりで住んで妻ともまったく会わなくなったらしい。三度三度の食事だけを母屋に運ぶ日が続き、或る時に、食事に手がついていないので奥様が不審に思い中に入ると、死んでいたと言う。
マンガの世界も、jazzの世界も、いやどんな世界であっても日々の変化というものはすさまじいものがある。
ビジネスの世界とはまったく違うように思われるこれらアートの世界でも、まったく同じ法則が貫かれているのではないか。
つまり、「変化しないものはない」という諸行無常の原理。
人の心はたしかに古来変化はしない。
でも、人のこころはあるパターンが続くと飽きるのだ。
だから、その欲求はとどまるところを知らない。
真の芸術家とは、常に変化しつづける人、けっして自分のスタイルに完成を見つけることをしない人だと私は思っている。
読者はその意味ではひどく我がままだ。
アート・ファーマーの一番良いプレイはいつでも、そこだけ繰り返し聞けるのだし、寺田氏の傑作のマンガ本もまたいつでも取り出してそこだけ繰り返しよんで感激を味わうことができるのである。
アート・ファーマーがこの「モダン・タイム」をその後乗り越えた作品が出なかった事も、寺田氏が「背番号0」などを超えた作品を描けなかった事も、普通の読者にはどうでもいいようなことなのかもしれない。
ただひたすらに、良き作品が読者は読みたい、聴きたいのだから。






















