昨日の静岡新聞のコラム欄に 火の見櫓 のことが書かれたいた。
かっては、各部落にあり、多くは鉄骨製で高さ10〜15メートル その上に半鐘がつるされ、部落や近隣に一旦事あると、異変を知らせたものだった。
そうそう、私の生まれ育った磐田市の部落にも火の見櫓が有ったっけ!
部落内や近隣の火事などには 連打
母などはこれを 擦り半 と言っていた。
遠くの火事などは ゆっくりと、、、
火の見櫓の下には 消防小屋があり、冬の夜は毎晩 夜警団の詰所に、朝は子供たちの登校前の集まり場所に。
腕白坊主たちは高くまで櫓に登り、遊んでいたものだった。
そんな火の見櫓にある日突然の危機!
根本から切り倒され、水しぶきを上げて田んぼに倒されたのだ。
戦時中の鉄不足で供出させられるためでした。 子供心にもとても悲しい光景でした。
戦後再建された火の見櫓は、三本の丸太を組み合わせた背の低いもので、登り降りに危険なものだったようだ
その後、郷里を離れている間に、依然のように鉄骨でモダンな火の見櫓が再建されていた。
今日はその火の見櫓に久しぶりに会いに、、、とカメラ持参で出掛けたのですが
火の見櫓は既に撤去され、再会は叶いませんでした。
コラムによると、各地で撤去の動きが進行中との事。袋井市などでは住民有志が保存に取り組んでいる地域もあるとか。
出来れば残して欲しいと思うのですが、、、
急に懐かしくなって 久しぶりに会いにいった。