学中文~断断続続 其一

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私が中国語を学ぶきっかけになったのは...

13年前に台湾に日本語教師の実習でやって来たことでしょう...

約一ヶ月の滞在で、ちょっとした会話を覚えて本当に嬉しかったので、続けて勉強する気に

なりました...


その頃の私は、台湾語と国語(普通語)の区別もつかないくらいでした。

(でも、イー・アー・サン・スーは、昔ポンキッキで カンフーなんとかっていう歌を

よく聴いていたので、それだけは知っていました。)


最初は漢字の使われ方が違ってたりするので、おもしろかったんですよ...

カラオケに連れて行ってもらった時、「自分も必ず歌えるようになる!」と心に決めました。


独学って行っても、ぜんぜんまじめにやってませんでした。


旅行する時に通じるような言葉を中心に覚えましたね。最初は...

旅行会話を中心に練習したり、文型を覚えたり...そして、実際の場面をイメージして

単語帳を作ったり... はしてましたが... 型にはまって、ちゃんとしてなかったです。


台湾は繁体字、 大陸用は簡体字で単語カードを作りました。

まずは発音してみて、ダメだったら単語カードを見せるという安易な方法です。

(旅行の時は役に立ちますよ)

発音記号(ピンイン)が嫌いで、無視して勉強してました。 (カタカナ表記とかして)

でもこれではなかなか、上達しないんですよ... ちゃんとピンインを理解しないと...

中国語講座に通ったこともありました。 年配の方が多かったですね~

私はその頃、まだ若かったので、特にそう思ったのでしょう...


私はやっぱり、ピンインができないので、すぐに落ちこぼれました。


そして、ある日勤め先の会社のポストに入っていた小さなちらしを発見。


それは上海人の老師による「中国語サークル」の案内でした。

月謝が月に5000円だったかな...とにかく安かったので、行く事に決めました。


やっぱり、ここでも年配の方が目立ちましたね...でもたまに若い方もいらっしゃったので

友だちになれるかな~なんて期待もしたりして。


やっぱり、同志の存在は大きいと思います。

今はブログがあるし、中国語学習者人口も多いので、いろんな輪があるんですけど、

この当時、中国語を勉強している若者はくせ者が多かったようなイメージでした...


ここでは、ゆっくりしたペースで学びました。 なんせ年配の方が多いのでどんどん進みません。


上海人の男老師はその当時美術系の院生で、35過ぎてくらいからの留学だったので、

落ち着いた人でした。 ボードに書かれる字がとても美しいんですよ~(本職は画家)


私はちょっと退屈になると、よく行かなくなりました。(壊壊!)

すると、すぐに老師から電話が入ります...

「どうしたの?いらっしゃいよ。」

「ああ、、すみません。今月はもう半分過ぎましたので行きません。」

「そんなこと言わずに、半分の月謝でいいから...」


とか、

「今月はお金がないから行きません。」 なんて言うと...

「そんなこといいから来て下さい。」 って熱心に言ってくださった。


または、

「一週間に1回だけじゃなくて、他のクラスにも来ていいですよ。月謝は週一の分だけで

 いいですから。」


などと、本当によくしてもらいました。(私は週3回通うことができました)


あの頃、老師に引き止めてもらっていなかったら、中国語は続けていなかったでしょう...



最初の中国語講座では、NHKの本を使っていました。日本人の男の先生でした。

確か、けっこう有名な先生だったような気がします。

私に「光生館」の辞書を薦めてくださいました。

結局半年くらい通ったかなあ。


老師のクラスでは、北京語言学院の「中国語」という本でした。(内容がかなりレトロ)

同志とか、ちょっと昔風の表現がたくさん出てきてました。

今となっては新鮮かも...


今では、この頃よりもいい教材もCDもたくさんありますね!


私も持ってますけど、これは如何でしょうね...

樋口 勝, 李 珍
聴いて,話すための-中国語基本単語2000

入門にはいいかなと思います。 100回くらい聴いたら嫌でも覚えますね。


あと、ベネッセの通信教育の教材も使ったことあります。

私は月一回の課題がおっくうになってしまいましたからこれは、ちゃんと終わりませんでした。 


いちばん始めの発音の聞き分けでつまずいて、前に進めませんでしたので...

でもビデオもついていたし、とても分かりやすいテキストでした。文法の説明も丁寧だし。

今思えば、もったいなかった~ ちゃんとしておけばよかったなあ~ と思います。


そして、台湾に来る前、よく買っていたのが...

 「中国語ジャーナル」です。 これは別冊です~

プランニング オフィス ウェディア
中国語ジャーナル インタビュー・セレクション〈Vol.1〉

日本では出たり入ったりの学生でしたね~ 

クラスのあとで、皆さんと飲みにいったり、麻雀したりが楽しかったです。(←中文では麻将) 

それに行きつけの中華料理屋さんのおかみさんが大連の方だったので、よく

おしゃべりしてもらいました... 


あんまり、学習に関係ない話だわ...


とにかく、毎日聴くのが大事です~ たくさんドラマとか映画を観るのもいいかも...

やっぱり楽しまないと...ね!


私の中国語学習歴はこんな感じです...↓


断断続続 duan4 duan4 xu4 xu4 トゥアン トゥアン シュ シュ 

 切れたり、続けたり。断続的に。

私のレベルなんて、ほんとうにコミュニケーション程度なんですよね...

ごまかすのは上手くなりましたけど... (へへ)


ブックマークにある私のお友だちのお店、 「銘龍園」  では中国楽器を扱っているのですが、

中国語教室もあります。 (繁体字も習えるのでは...台湾出身の老師がいらっしゃいます)


月一でサロンも開いています。(サロンは北京外大卒の日本人講師)

先ずは、この中国語サロンで雰囲気を楽しんで見られてはいかがでしょうか...(場所は大阪ミナミ・アメ村) 

くわしくはHPをご覧下さい。








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私個人の過去のお話シリーズを始めることにしました。


私は台湾へ来る前は、旅行業の派遣元で経理課のOLだった。

旅行業ということで、同僚は添乗員がほとんど。(私は内勤のみだった)


彼らの旅の話にはいつも楽しませてもらった。(またネタにさせてもらいます...)


そういう私も海外旅行は大好きで、よく出かけた。(オフシーズンは休みやすかった)

海外デビューは短大の卒業旅行で行ったアメリカ西海岸。

アジアデビューは香港だった。


あの頃の香港はいやー新鮮だった。(13年前の話です。まだ旅行業に勤める前。)


飛行機はビルすれすれで着陸するわ、袋いっぱいの蛇をかかえて歩いている人を見かけるわ、

(透明ビニールでした)みんな大声で叫んでるわ.... 


ある旅行ガイドの記事によると、アメリカ人の若い女性の旅行者が、市場で何かを見て、騒いだそうだ。

「なんて残酷なの!」 

彼女はそのあと、現地の人にたたき出されたらしい。(しばかれたんだっけ?)


記憶はあいまいだが、確かあの時私は心に誓っていた。

「とんでも無いものを見ても、決してキャーとか言わないようにしよう。」と。

ドリアンがあっても、「臭い!」とか言わないようにしよう...などなど。


団体ツアーだったので、現地のガイドさんが付いた。


「あの~にせものが見たいんですけど...」 とガイドの彼に聞いた。


「じゃーあの人についていってください。」 と一人の兄ちゃんを指した。


ついていったところは古いビルの一室。(九龍地区)

黒社会の臭いがする。

だってドアの前に監視カメラがついてたし。 

チンピラ風の兄ちゃんが待機しているし。 非常にあやしい...


私たちは3人だった。地味な部屋に通されたあと、

ソファに座って、写真を見せてもらった。 あらゆるコピー商品がずらり。


「これが見たい。」というと別室から、違う兄ちゃんが持ってくる。


けっこう精巧に作られていたものだったみたいで、バックや時計は万単位だった。

私はそんな高いコピーはいらないので、買わなかったが一緒に行った人は買っていた。

お土産にするのだと。


一応団体旅行だったので、他のグループの人たちとも一緒に行動したりした。

でも、中華料理はやっぱり、ツアーだと不便だ。

知らない人と一緒に同じ皿のものをつつくのはね。

大体一人分を目で測って、適当に取っていく。


毎日似たようなメニューだったなあ。 昼は特に。

場所は違えど、出てくるものは大体同じ。

ビーフン、チャーハン、シューマイなどの点心...これらはいつも出てきた。

多分日本人が受け入れられる物が

こんなところだし、予算も限られているからだろう。


3泊4日で、真ん中の一泊だけマカオで宿泊した。

マカオではカジノ、ポルトガル料理を楽しむ為に。


マカオの人の三人に一人は日本人の血統だそう。

大昔(小田信長の時代?)キリシタンが迫害された時、

船でマカオへ逃げてきた人がたくさんいたそうだ。(スミマセン勉強不足...)


初めてのギャンブルだったのでビギナーズラックが起こった。


まずはよく分からないので、スロットマシーンで遊んだ。

2千円くらい突っ込んだ。

私の横に知らない人がぴたっとついて、アドバイスしてくる。(しつこい~)

ちょっとみずぼらしい感じの人...

うっとおしいので、

足でバンと大きく地面をけって威嚇する。

すると消える。(日本人ガイドさんがそう教えてくれた)


この近くには質屋さんがいっぱい有って、ギャンブルに狂った人は自分の金歯まで質にいれるそう。

(當舗=質屋)

身なりがぼろぼろで、歯がなくなっても、それでもギャンブルにしがみつくのか。


それから、少しコインが増えたので、今度は他のコーナーに行ってみた。


よくわからない....


ルーレットはなんだか、高級そうな感じだったので敷居が高くて近づけない。


大小というコーナーを発見した。

しばらく見ていたら、遊び方が分かったので、参加してみた。


3つのさいころの合計点が、たしか12以下だったら小、13以上だったら大。(?)

シートの上に大と小が書かれたスペースがあって、そこへ賭け金を置く。

当たったら2倍だったと思う。(現金をそのまま賭けたと思う)


単純なので、私にもできた。 

お金を置く時、とどかなければ、「しぅ~(小)」 とか言って投げればいい。

あとはディーラーがちゃんと置いてくれる。


小学校のころ、横山ノックが出ていた「ノンストップゲーム」と言う関西の番組を見ていたので、

小がでる確立が多いことを私は知っていた。 どんどん持ち金が増えていく。


そして、たまたまぞろ目のところに何気なしに置いたのも当たったのだ。(奇跡?)

ぞろ目なんて、でないよ~そんなに。

だから自分でもなんで置いたのかビックリ。

手がかってに動いたのだ。(賭神?ゴッドギャンブラー?)


2千円が2万円くらいになったので、私は引いた。(かわいいもんです)

これ以上欲をだすと、いい事はないと思ったのだ。(っていうか、貧乏性なので怖くなった)

そのお金で結構いいシルクのコートを買った。(ふふふ)


最後は飛行機の故障で、一泊滞在が伸びた。 もちろん食事とホテル代は航空会社もち。

乗客の一人、M物産にお勤めのおじさまが、私に提案してくださった。


「私は香港の自分のうちへ帰ろうと思います。 で、あなたたち3人といっしょの部屋だということに

してもらえませんか? 出発時間などの連絡があったら、私に知らせてください。

私は会員なので、私と同室ということだと、いい部屋に泊まれますよ。」


そして、私たちはジュニアスイートに泊まれたのだった。(好運~)


J**が用意してくれた晩餐(Buffet)もよかったし、帰りの飛行機内でのサービスもよかった。

ワインがじゃんじゃんでて来るし。

普段エコノミーで味わえないようなサービスがあったと思う。


でも飛行機の故障の話は日本ではオフレコであったようだ。

迎えに来ていた人が、係員に聞いても詳しく説明してくれなかったそう..

迎えの人は空港まで来てくれたのに、私たちは帰ってこなかった。(連絡がまにあわず)

しかし、空港で成龍(ジャッキーチェーン)を見れたそうだから、それも好運!?













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