いろんな形のボランティアがあって
あらゆる方面からのアプローチがある
支援は一方向ではないし

現地で頑張ってくださる方々へ
ドネーションとして支援するのもボランティア
特定団体に活動をバックアップ
(資金や活動物資。現地入りするボランティアなら食料や生活用具)するのは
本当に大事なボランティア

中越元気村ブログでも
ドネーションのことをかかれてます

スリングは優先順位からは考えたら絶対要るものではないだろう

しかしスリングについては
今も『ほしい』と連絡を下さる方がいる
一人でも二人でも
そういってくださるのなら・・・・

そう思っています
AD
ご本人からの了解のもと、配布時のメールと共にUPさせていただいています

今日代表さんからメールをいただきました
今の状況をいろんな方に知っていただきたいとのことです

スリングの指導については
一回だけではなく
何度もフォローアップしてくださっているようです
本当に感謝です

詳しくは スリング@救援物資
に書いてます(^^ゞ
AD
先日パンダの会代表さんから、
こんな素敵なカードをいただきました
ご本人の了解のもと、UPさせていただきました

スリング@救援物資のスタッフや
各作成者に送っていただいたようです
改めてありがとうございました
大変過酷な中でサークル活動を再開され、
サークルメンバー様にスリングを手渡しして佐竹さんや助産師さんとともに
ご指導して下さったとの事

支援している私たちが、助けられ癒されたました

被災されたママとベビーに
笑顔が戻るお手伝いをさせていただきたい

改めて思いました

おむつや食料などはほかの企業や団体がされているし
確かにもっと切実な物資もあるだろう
実際に送ったりしてる企業や個人、団体もある
義援金という形の支援もある
しかし「今」必要なお金はなかなか被災された方の元には届かない

うまくいえないんだけど
私が思うようにはスムーズに現金は被災者の元には渡らないようで
家が倒壊しても仮設に入ったら手当てが減る
全壊と半壊じゃ額も違う
当然といえば当然だけど
それだけの額では半壊した家を取り壊す額にも満たない
それぐらいしか義援金ってでないものです

そして自宅で生活してても不自由な思いをされてる被災者は多々いらっしゃるのに
義援金が被災者の元に手に渡らないとか・・・・

被災されて辛い思いは変わらない
そして「いま」現金がほしいと思っていても手に渡らない現実
10年前もそうだった
でもドネーションも認められてきたので
特定団体に対して支援するのは大事なこと


私たちが出来る事を新潟のニーズの元にやっていく
そう思います

AD
実は私はスリングだけを制作というわけではありません

元はリメイクデニムとわんこグッズ、そして二号懐妊でマタニティのリメイクデニムをデザインするようになり、
育児バッグをデニムで...とどんどん進化しているのです(笑)

今回は「マタニティdenim」
パッチワークをしてみました
あと一枚はデニムにコンピューターミシンで刺繍を入れてみました
バッグはべいべを抱っこしたまま荷物が取り出しやすい位置にポケットを作り、ファスナーをあけたら...ここもポケット!
またちゃり鍵をつけるためにナスカンもつけてみました

マタニティでもデニムがはきたいっていうニーズに少しでも近づきたい
そう思って作ってます

人の優しさ

テーマ:
今日一号のリクエストでミスドに行った ほんまに久々にイートイン
今キャンペーンでスペイン食器がもらえるんやね
そんで前と違って点数じゃなく枚数でもらえるんやね

「ママ、どれもらいたい?ゆ~てあげるで」

う...今日は二枚分しかない...

「あんな、もっといっぱい買わなもらわれへんねん」

一号は少ししゅんとして、そして笑った
「そうか、ほな、またお小遣いためてこよかぁ」

そしたらね
お店にいたお客様みんなが「どうぞ」 って
カードを一号の手に握らせてくれたんだよ~(ToT)

愛想のいいお姉さんやおばさんだけじゃなく
いかついおっさんややんちゃそうなにいちゃんまで...

おかげさまで3セットいただきました

なんか...人の優しさにふれた午後だった

そろそろメモリアルデー
そう、95.1.17の阪神大震災から10年経つ
昨日はそのドキュメントやってて、ついつい見てしまった

そしたら封印してた思いを思い出した

あの時の生まれてはじめて感じた絶望感とか、虚無感とか。。
被災者なんだけどボランティアに神戸まで歩いていってたこと
連絡が取れない友達を探しに東灘にいって
素手で瓦礫をほったのに、見つけたときは氷のように冷たかったっけ
あの冷たい手足は絶対忘れない

あの日は準夜あけで夜中の三時半に帰宅
一階のこたつと石油ストーブでぬくぬくしてだらだら
夕ご飯も食べてないことに気がついてごそごそラーメン作ったんだっけ
こたつでうとうとして・・・気が付いたら五時半


「あかん、こんなとこで寝てたらおとんにしかられるわ」


そう思ってこたつとストーブ消して二階に上がって自分の部屋へ・・
ふと外を見たら雨も降ってないのに雷?
地面から空に向かって稲妻が走ったのを見た


『ん?』

『そんなんより、ねよねよ~』

布団被って・・・・すぐに下から突き上げる感覚
頭もとのCDコンポは落ちてくるわ、テレビはぶっ飛んでくるわ、
たんすは倒れて来るわ、もうぐっちゃぐちゃ

そんな中、気になったのは職場の状態
家の事はおかんに任せて、速攻病院に戻った

当時私は内科と産婦人科の混合病棟に勤務
お産になりそうな人はいなかったが
婦人科で重症の人が何人かいて人工呼吸器をつけて管理していた

災害時、予定では病院は自家発電で優先順位順に電気が供給される
しかし、病院に着いたときにはナースが必死で手でアンビューバッグを揉んでた
つまり他の患者のケアも出来ないし、手を休めたら呼吸はとまる
そんな切迫してる、でも詳細が全く分からないという不安極まりない状態

その日は夕方まで帰れなかった
その間何回も余震でゆれた

その夜、友人のドクターやナースに言われた
「もう登録してるやんな?ボランティア」

『え?うちの家、すごいことになってて・・・』といいかけた時

「あんなにテレビで看護婦募集って言われてて
 あんたは何も感じないの?」

その場でボランティア団体に電話、翌日(仕事がオフ)現地入り
歩いて灘まで8時間
不眠不休で動き続けて、また8時間かけて大阪に戻り自分の職場で働く
そんな生活を一年した
正直カラダは辛かったが、心は満たされていた
待ってくれてる人がいて、帰ってきたら、また待っていてくれる人がいる
神戸では大阪の患者さんからのメッセージを伝え、
大阪では神戸の様子を語る
そんな毎日だった

そしてニュースで友人が病院の二階がつぶれて圧死したと聞いた
何日たっても何人もの友人が消息が分からないままだった
探しにいって瓦礫をかきわけて助けた友人もいるし
息絶えて変わり果てた姿の友人もいた

職場には言われた

「有休使ってまで現地入りしないでほしい」

正直腹が立ってやめてやるって思ったけど
そこに勤めてる限りは、まずは目の前の患者が大事
それに神戸からぞくぞくと患者の移動もあったし、
こういう形の支援もあるんだなって思ったので了解した
つまり仕事をしながら休みは4週8休で出来る限り神戸にいった

あれから10年
今年はメモリアルイヤーだから結構あちこちのメディアに取り上げられている
・・が数年前は17日前後だけだった

被災者に取ってはぜんぜん過去になんかならないのに・・・

あの時の経験を生かしてなんていうけど、
行政関係はなかなか進展してない気がする
しかしNPOやボランティア団体は確実に進化した
あの時はボランティア自体、浸透してなかったしなぁ

あれからボランティア同士の連携もとれつつあるようになり
みんなでささえるっていうラインが出来ている

新潟もスマトラもみんなで支えよう
明日は自分かもしれないし、決して人事なんかじゃない

ボランティアに参加したらきっと思えるはず

あ~、人間ってあったかいな♪・・・・・・ってね







ほぼ毎日チェックしてる『中越元気村ブログ』
その中でも心にずしんときた書き込みがあった

自分の言いたかったことを
草島氏・谷口氏は本音でずばっといっている

また暁ボラネットからリンクされていた pamoja 地球を球くするつながり
新潟中越大震災-震災地レポート

ここのレポートは本当に真に迫るもの

やはり現地でないとわからないことはたくさんある
でも、、行きたくてもいけない自分は
こうやって情報をネットで得て、
今できることをここでするのが私のボランティアなのかもしれない

そういう意味ではネットは本当に便利
でも、ネットは道具、道具に振り回されないようにしなくちゃね
早いもので2号が一歳になりました

そして10ヶ月から一歩歩いてはいたけどなかなか先に進まなかったのに
誕生日の前日に一気にスタスタ歩くようになった

一歳になると一気に出来る事が増えたような気がする

「ままぁ~!」と大声で呼ぶようになり
ベビーサインだけでなく
「ままぁ、まんまぁ~、まんまぁ~」と要求

う○ちしたら大声で「ままぁ~!ま、ま、」とオムツを叩きながら換えろと要求

音楽がかかればお尻を振って踊り、
ALMAをなでなでしてかわいがり
サインでもかわいいを連発

去年の14日に私たちの所に来てくれた二号

母には

「生んでくれてありがとう」

だけど
息子たちには

「生まれてきてくれてありがとう」

...って言いました

来年の14日までにはどんなエピソードが積み重なるのか、
楽しみでわくわくしてきたぞ

年末の個人的な事情でやむをえず活動を休止する運びになってしまい
賛同者の方々には本当にご心配をかけてしまいすみませんでした

私も強制的にPCを触れない状況になり
ある意味、冷静になれ、客観的になる時間をもらったと思ってる

そしていろいろ考えた結果、

待ってても何も始まらないし、変わらない


って心の底から思った

いろいろ悩んだり、考え込んで八方塞がりにもなったけど
今はすっこ~~んって何かが吹っ切れた気分
自分のやることを信じて、
自分のやろうとしていることにつながるための受入先を探した
そして大きなラインが出来そうだ


何で急にうごけたか・・
きっと10年前の阪神大震災の経験や記憶を思い出したから・・・

悩んでたって解決しない
現場の辛さをイメージしてたら奇麗事なんて言ってられない
今、この瞬間、誰かが困ってる
外野がいろいろ言ってきても
まず、一番大事なのは ヘルプを求めてる人が充足されるかどうか
もちろん客観的な意見は必要だけど
周りに降りまわされて自分を見失ったらいかん、いかん



確か10年前、先輩ナースやドクターに言われたせりふ
そうやった、自分を信じないと、自分を信じてついてきてくれる人も揺らぐ

いろんな意味でもう一度体制を立て直してる最中
そして風が吹き始めてるから
それにのって、また動き出せそう

だから、みんな、もう少し待っててね
私にはハワイに12年のつきあいになるソウルメイトがいる

この話はまだブログじゃない時のつぶやきの中に書いたっけ

そのもう80近いソウルメイトからバースデープレゼントが届いた

何でも彼のソウルメイトの南米に住むリアルインディアンの方にお願いしたと言うレザーの時計

無骨だけど暖かい、そしてスピリチュアルな部分で守られているような...

ネックレスは12年前にハワイで出会い彼と彼のワイフと家族に本当によくしていただき、日本に帰る時に彼が20年肌身離さずつけていたそのネックレスを私にくれたのだ

貴方は私と私の妻の子供と同じ
たとえ一緒にいなくても心が繋がっていたら大丈夫
どうぞ神のご加護を

そう言ってつけてくれたもの

ホントありがたいです