過食嘔吐の最中、

 

急に食べようと決意して、コンビニに買い物へ行く時、

 

殺気立っているーー。こわっ。

 

それを許せるかな~。ダメだと思いながらやっている最中に

 

いいんだよ、食べたいんだから食べなよ。

 

好きなだけ買ってあげるからねって自分に言えないんだよね。

 

でも、言ってしまえ。

 

そして好きなだけやらせてあげる。

 

だって止めたくても止まらないから苦しんでいたわけだし。

 

やっていい。

 

たべたければ好きなだけ食べていいし、吐いていいし

 

自由。

 

悪くないって自分に言うんだよ。

 

それをひたすら続ける。

 

私の場合は、過食嘔吐の人は完璧主義で理想主義。

 

全てにおいて誰かに負けているから、太ったら完全に負けだと思っているので

 

食べた後に、太ることを恐れて吐いて、

 

罪悪感で苦しんでいると言われたことがあった。

 

全てにおいて負けているってすごくない?

 

実際は単なる自分の思い込み、勘違い。

 

だって勝ち負けって本当は自分だけの問題だから。

 

相手って誰だよ~~。

 

確かに自分が理想としていたことが実現していなくて

 

負けだと思い込んでいたわけです。

 

その理想すら、本物の理想じゃなかった。

 

例えば、こういう人が結婚相手ならいいなって理想。

 

背が高い、かっこいい、それなりのまとまった経済力。

 

学歴も自分にふさわしい人がいい。

 

じゃ~そうじゃなければ、その理想にあわなければ

 

どうなるんだろう、私。

 

その理想=条件を手に入れられなかったらどうなるんだろう、私。

 

・・・・

 

価値が下がる。

 

価値がない。

 

って思っていた。

 

相手によって自分の価値が上下すると思っていた。

 

自分に高卒は合わないとかね。

 

だって釣り合わねーじゃんとかね。

 

そう思えば思うほど、ろくなやつと知り合わない。

 

なぜなら

 

条件に恐れていると、その波動が現実になるから。

 

私自身に価値を置いていたつもりが

 

実は自分に価値がないと思っていた。

 

自分に価値がないから

 

相手は好条件が必要。

 

そうすれば、自分の価値が少しでも上がる気がしたんだろうね。

 

それに気づくまで

 

半世紀。

 

そして年齢に対する嫌悪感。

 

本当にばかばかしいけど、年を取ったら重ねたら

 

価値が薄れると思い込んでいた。

 

だったら生まれ来ること自体、無意味じゃないか。

 

あほだよね。

 

自分には価値がある。

 

誰に言われなくても、宇宙一の価値がある。

 

こんなことが腑に落ちるようになると

 

とっても楽。

 

そして自分が自分を幸せにする方向へ行く。

 

私はとても恵まれた家庭環境で

 

お金もたくさんあって、親にもよくしてもらえた。

 

やりたいことは何でもやらせてくれた。

 

それなのに何が不満だったのか。

 

母親が自分の幸せの中心にいたことは確か。

 

ずっと母にいてほしい、死なないでほしい、

 

だって私は一人じゃ絶対に嫌だーー。

 

こんなことをずっと無意識に思っていた。

 

それをパートナーにも求めていた。

 

するとどうなるか?

 

パートナーと自分の関係が

 

母と子供になってしまったのだ。

 

なぜだか相手は赤ちゃん言葉を使いだし、

 

働かず、金もない。

 

そして私に可愛がってもらおうという態度をする。

 

こんなことにうんざりした。

 

全くこんなの望みじゃない!って怒りがふつふつと湧き、

 

心でこの野郎、くたばりやがれ!って思っていた。

 

すると、女としては扱ってもらえず、

 

保護者みたいな関係になった。

 

こんなの望みじゃないーーー。

 

今はどうか。

 

私の中心に親がいたことが分かったので

 

その強烈な観念=思考パターンは崩壊した。

 

気付いた時点で、癖は癖ではなくなる。

 

なぜなら癖というのは無意識でやっていて自分じゃ気づかないから

 

癖という。

 

過食嘔吐も同じだよね。

 

我慢し続けている、何かを。

 

あれを食べたい。でも太るから。

 

だから我慢して野菜だけ、お味噌汁だけとかね。

 

低カロリーのものならいいよとかね。

 

全くのカロリー信者だった。

 

そんなの本当なのかどうかも

 

不明何だって聞いて、信じた自分が馬鹿だったな~と思ったけど。

 

なぜなら

 

この世の中のほとんどすべてと言っていいが

 

解らない事だらけなんだそう。

 

ノーベル賞レベルの学者たちが言うのだから

 

確かだって思った。

 

今、何がしたい?

 

本当はどうしてほしい?

 

と繰り返し繰り返し自分に聞いてあげる。

 

話を聞いてほしいのか。

 

何かをしてほしいのか。

 

したくないことは何か?

 

そういうことを丁寧に自分にやってあげたこの3か月。

 

思考はまるで変ったんだよね。

 

気付けば過去の嫌な事ばかり

 

頭に浮かんで、むっかーーー、イライラの繰り返し。

 

なぜこうも嫌な事ばかり浮かぶんだ、というほどね。

 

でも、自分に集中することになれていなかったから

 

1秒1秒、今機嫌はどう?

 

何をしてほしいの?

 

お腹すている?

 

何か飲みたい?

 

本当に食べたいのは何かな?

 

と聞いている。

 

するとあまりお腹が空いていない。

 

お腹が空いていると、今度は本当に食べたいものが

 

あまりわからない。

 

これって当然のこと。

 

だって今まで自分の希望を無視ししてきたから

 

不感症になっていただけ。

 

だんだん思い出す。

 

するとね、そんなに食べたいと思っていないことに

 

気付いた。

 

それが信じられなかったね、

 

なぜなら、子供のころからたくさん食べていたから。

 

子供のころは、完食すれば母が褒めてくれたから

 

たくさん食べたんだと思う。

 

沢山食べる=偉い人=褒められる

 

この観念=思考パターンを止めた。

 

そして

 

食べる=太る ではない。

 

食べ物にカロリーなんて関係ない。

 

という観念に変えた。

 

何かを止めたら新しい観念がいる。

 

なぜなら人は何かを信じていないと

 

元の観念に戻るから。

 

食べたいものを食べて良いことにした初めのころは、

 

ランチにケーキなんかを食べたり。

 

夜中2時にハーゲンダッツ食べたり。

 

常識でダメと言われるタブーをやりまくった。

 

やりながら、いいんだよ。

 

食べれば美しくなる。

 

食べてスリムになるんだよ。

 

食べなきゃいけないよ。

 

だって食べないで痩せても満足しなかったよね。

 

ずっと食べないでいられるわけないよね。

 

お父さんだって好きなものを好きなだけ食べて

 

スリムだよね、ずっと体型同じだよね。

 

カロリーなんて関係ないよ。

 

こういうことを続けたら

 

食べる量が減った。

 

本当に食べたいものを探すって

 

自分とコミュニケーションをしっかりとらないと

 

出来ない事。

 

私が私に聞いてあげる、根気強く。

 

そして恐れていることを聞いてあげる。

 

何が怖いのかって。

 

太ったらくずになる。

 

価値がなくなる。

 

色々出てきた。

 

どんな体型だろうと、自分を尊ぶ人は存在する。

 

理解できなかったな。

 

なんでそのルックスで幸せそうなんだって。

 

失礼だけど、そういう人っているよね。

 

何が違うのかってことね

 

その人は外見が悪くても、自分では決して悪いと思っていない。

 

それどころか、自分のことを好きなのだ。

 

私は信じられなかった。

 

そ れ で ???

 

よく自分を好きでいられるな!!

 

と怒りすら沸き上がったよ。

 

でもここに答えがあった。

 

どんな自分でも自分を見捨てない。

 

どんな自分であっても自分は自分の最大の味方。

 

どんな自分であってもそれは最高の自分。

 

いきなりこう思えるなんて無理だった。

 

だから

 

現実は過去の産物。

 

現実みて、あーだこーだって判断して

 

意味をつけるのをまず辞めた。

 

例えば鏡のまえで、おなかを見る。

 

「今なんでおなかを見ているの?」

 

「だって今日便秘しているからお腹出ている」

 

それで?何を考えたいの?

 

「あーお腹が出て、醜い」

 

と思った瞬間、腑に落ちた。

 

私って自分のあら捜しのために、鏡を見ていたんだ!

 

これって自分に失礼極まりないよね。

 

他人からされたらどんなに傷つくだろう。

 

「ね、鏡の前に立ってみて。ほら、お腹出てかっこ悪いよね。

 

最悪だよね、その体型」

 

こんなことを他人から言われたら

 

私は相手を許さず一生恨むだろう。

 

ってことなのね。

 

これを自分が自分にやっていた。

 

ひどくない?

 

と気付いたのね。未だにやるけど、文句言いたいわけね、自分に。

 

現実は過去の産物。

 

だから意識を望みに当てるの。

 

もちろん今の自分もいいんだよ。

 

でも私はこういうスタイルが好きなんだよね。

 

いいよね。

 

という感じで無理なく望みに自分を誘導する。

 

こんなのダメじゃん!という否定をしない。

 

そこから望みに行くと、

 

否定からの望みって上手くいかない。

 

なぜなら、嫌なことがあるから、これが欲しい。

 

という思考をしていると、

 

嫌な事が起きて、恐れを回避する行動になってしまうから。

 

するといつまでも恐れは付きまとう。

 

それに気づいて解除するまでね。

 

だから恐れを感じたら

 

恐れなくていい。

 

あー怖いんだね、と自分に言ってあげる。

 

それで何が怖いのかなと聞いてあげる。

 

人は自分の不安なとき、話を聞いてもらいたいよね。

 

だから聞いてあげるといい。

 

それだけでほっとするから。

 

そこから本当はどうしたい?と望みを聞き出す。

 

自分とのコミュニケーション能力を上げる。

 

いくら他人に聞いてもらっても

 

解決にはならない。

 

自分と話す。徹底的に。

 

嫌なことは何?それでそれで?

 

そっかー。それは嫌だねって。

 

それで望みは何かな?

 

本当はどうなりたい?

 

本当はどう在りたい?

 

こういうことを聞いても初めは何も話してくれない。

 

なぜならずっと無視されてきたから

 

黙っちゃうんだよね。

 

でもいいの。続ければ心は開く。

 

今かなり開いている。

 

すごく楽だよーー。

 

 

 

 

 

過食嘔吐と完璧主義

テーマ:

確かに私は完璧主義だった。

 

細かいところまで完璧にしておきたい。

 

なぜなら、完璧なら自分の価値があがるだろうと思っていたからだ。

 

ここに気づくまで50年か~~~。

 

完璧じゃない自分

 

不完全な自分

 

これだと価値が薄れる

 

というか価値のない自分になってしまう。

 

そういう恐れがあった。

 

4歳5歳ごろに保育園で

 

デブと言われたり。

 

それまでデブという言葉すら知らなかった。

 

しかしその言葉が意地の悪い言葉ということだけはわかる。

 

すると自分はそんな言葉を言われるような人なんだ・・

 

と思う。

 

こんなことがきっかけで、自分への価値が下がってきたように思う。

 

何も言われないよう、誰にもつっこまれないよう

 

完璧にしなくては・・・

 

そうしておけば誰も私を傷つけないんじゃないかって。

 

子供ながらに思ったのかもしれない。

 

でも自分を愛しているならば、

 

大事にしているならば、不完全な自分さえ

 

良い、と思えるだろう。

 

どんな自分でさえ

 

良い、と思えるだろう。

 

それが健全な思考回路だと思う。

 

しかし何に付けても自分に不足を見つけては

 

ここがダメ、

 

こうしなくては。

 

これを自己否定だとは知らなかった。

 

こんなことをやり続けたらおかしくなる。

 

感覚すら麻痺する。

 

本来どんな自分で在っても尊いはずなのに。

 

だから価値を高めるなんてことを止めることが先決。

 

なぜなら

 

自分の価値は、無条件で

 

条件なしで

 

初めから高いのだから。

 

それを喜んで自分の価値を下げ続けていたわけ。

 

喜んで・・・というのがポイント。

 

だって

 

ダメだしし続けたのは自分だから。

 

普段の不足感、欠乏感がたまって

 

暴食する。

 

もうそんな自分も許せるね。

 

自分を感じる 

テーマ:

不感症を取り戻すにも練習、トレーニングが必要ってことに気づく。

 

自分の好み。

 

過食中は苦しむ。

 

何に苦しんでいたのか。食べたいけど痩せたい。

 

なぜ痩せたかったのか?

 

今の自分ではだめだから。

 

なぜダメだったのか。

 

太ったら絶対にダメ。

 

それはなぜ?

 

太ったら相手にされない。

 

太ったらきっとさらにみじめになる。

 

こんなことを考えた。親にも太った・・・とがっかりされたことがあった。

 

それでも親は娘の私に寛容だったのに。

 

太ったらさらにダメになる自分って一体なんだろう。

 

ただでさえ価値がないのに

 

太ったらさらに価値が下がると思っていたのかも。

 

ただでさえ価値がないなんて、ひどい考えだよね。

 

だって本当は神なのに。

 

この自分への侮辱ともいえる

 

自分への思い込みを止めた。

 

辞めるきっかけは、人類には奴隷のDNAが埋め込まれていたっていう

 

怪しい情報だけどね。

 

だからもうそんなスイッチを切った。

 

始めは意味が分からない。

 

でも自分にはなんとなく奴隷の情報が理解できた。

 

人はどんな体型だろうが無価値なはずはない。

 

それは趣味の問題だ。

 

私は自分が一時期すごく太ったことで

 

こんな体型になってしまった・・・と愕然としたものだ。

 

だけど、どんな体型の自分であっても

 

どんな性格の自分であっても

 

自分が一番の理解者でなければ

 

誰も自分のことを立て直すことなんて無理。

 

だから今は丸ごと自分を無条件で好きになることを決めた。

 

自分には必ず条件が付いていた。

 

身長167センチ

 

7号と9号の中間ぐらいのスタイルが理想。

 

一時期7号になり、鎖骨とかガリガリになって

 

家族が心配した。

 

しかしそんな痩せたスタイルになっても

 

満足したのかというと・・・

 

していなかった。

 

あー、私って何をどうやっても自分に満足なんてしないんだ。

 

今振り返るとそう思う。

 

これじゃ自分が報われない。

 

せっかくダイエットしたのに。

 

堂々巡り。

 

我慢した分の見返りすら与えない。

 

ひどいことを自分で自分にしていたのだ。

 

体重計の数字に一喜一憂していたあの日。

 

どう考えても変態だ。

 

それで今は・・・

 

体重計はない。9号の洋服が入ればいい。

 

そんな感じ。

 

何を努力しても気分が良くならなかったな。

 

その気分こそ、最大のエネルギーなのに。

 

気分が良くなることこそが

 

自分の目的なのに。

 

それにはどうしたらいいのかって?

 

結果ではないんだ。

 

結果で気分を左右されていたから苦しい。

 

そうじゃない。

 

私は気持ちよくなりたい。

 

欲しい洋服が着たい、

 

食べたいものが食べたい、

 

美しいヘアースタイルにしたい

 

これらすべては

 

そうすれば自分の気分が良くなるからだ、

 

と思っているから。

 

つまり

 

望みの目的は

 

その条件を得ることで

 

気分が良くなることなんだよね。

 

だったら初めに気分を良くする。

 

この仕組みが腹に落とせるかどうか。

 

その気分というのは

 

感情の事。

 

だから、常に自分の気分を優先するように

 

そこは努力している。

 

それには自分に常に関心が向いていないといけない。

 

1秒ごとに

 

今どんな気分?

 

この瞬間どうかな?

 

何かこの瞬間問題ある?

 

というように、現実は今この瞬間しかない。

 

よく聞くけどね、今この瞬間って。

 

だけど実際に言葉だけでは実感がわかない。

 

でもこの先、こうなったら?あーなったら?

 

という不安がよぎるときにこえを使うの。

 

今この瞬間何か問題はある?

 

この瞬間、何も問題なんかない。

 

だったら今この1秒を思いきり感じよう。

 

気分良くしよう。

 

意識的に良いことをイメージしてみよう。

 

ほっとする言葉を言ってみよう。

 

安心する言葉って何?

 

自分を安心させる。

 

こんなことを続けよう、今日もこの瞬間から。

 

 

自信喪失からの脱却

テーマ:

過食嘔吐している時ってね、

 

本屋行ったり、ネットでいろんなブログを読み漁っていた。

 

今もやっているけどね。

 

それで気付いたの。

 

なぜ色んな人の本を読んだり、ブログを読み漁っているんだって。

 

自分に聞いてみた。

 

すると・・・

 

1:

 

何もしないでいると、過去の嫌なことが自動的に浮かんできて

 

気分が悪くなって、いらだつから。

 

だから何かに夢中になっていると少しだけ

 

そこから離れられる。

 

2:

誰か神様のような人がいて、

 

今の問題をすべて解決してもらえるかもしれないから。

 

3:

 

私のやり方ではどうせダメだから。

 

こんなことが出てきたーー。

 

これってさー、今だから観察できるけど

 

自信喪失していることすら自覚していない状態だから

 

気付けない。

 

本屋に行けば、昔はファッション雑誌なんかも買っていたのに

 

数十年買ったことない。

 

「心理学、自己啓発」のコーナーばかり。

 

ちょっとまえは占いとか。

 

つまり、自分ではどうにもできないと思っていた。

 

というかさっきまでそう思っていたわ。

 

これ、自分の意見は取り入れないという極みじゃない?

 

なんでそんなに自分の意見が悪いの?

 

採用できないの?

 

だからだよね。

 

感情が暴れだすのって。

 

認めない過去の経験、嫌な経験、すべてそいつは嫌な出来事。

 

嫌な事=最悪なことを経験した自分=自分はダメな人

 

みたいな自己イメージになっていた。

 

答えは自分が知っている。

 

って巷でよく聞くけど、さっぱり意味が分かっていなかった。

 

嫌な過去の出来事が思い浮かぶ→不快な感情を感じる

 

だから嫌だった。

 

でも、感情を感じ切ってみよう。

 

だって嫌な感情も良い感情も実は一緒だって知ったから。

 

そうしたら、自分って自信があると思っていたのに

 

その自信は無条件の自信ではなくて

 

条件付きの自信だった。

 

自分のことが好きになるときは、

 

条件を満たした時だけ。

 

それ以外は、ダメな自分。

 

これを他人にされたらどう感じるか?と考えると

 

わかりやすい。

 

なんてひどい人だと思うよね。

 

でも自分へ自分がすると、ひどい人とは感じないのが落とし穴。

 

するとすると

 

自分に対する扱い=自分が他人から受ける扱い

 

なので、自分に厳しければ

 

更に厳しい人が現れるし、厳しく扱われて

 

評価されない、なんてサイクルになる。

 

自分を信用できない原因って何?

 

それは・・・上手くいかなかったから。

 

なぜ?

 

だって思い通りにならなかった。

 

なぜ?

 

理想じゃなかった。

 

不快だった。

 

周りの評価によってしか自分を認められないと勘違いしてきた。

 

違う!

 

自分のことを自分で満たせなかったから。

 

自分の意志を無視したから。

 

いつも一方的に自分の意見をバッサリ切り落としたから。

 

本当は嫌なのに、条件で選んだり。

 

本当は好きじゃないのに、それをしたり。

 

そのうち、誰の意見で生きているのか意味不明になる。

 

今はそこから脱してきた。

 

知識を増やしたり、脳の仕組みを学んだりしたけど、

 

それすら、人の意見だ。

 

じゃー私はどうしたいの?

 

私はどこに行けばいいの?

 

私は今この瞬間何をしたらいいの?

 

これにこたえられる人は誰?

 

 

だよね。

 

私を完全に無視していたことに気づいた。

 

それじゃ悲しいよ。私が。

 

私の気持ちを無視しないと決めた。

 

今何がしたいのか?

 

思考じゃなくて、感覚、感じたいことは何か?

 

朝6時22分に目覚めて、ようやくお腹がすいてきた今、13時38分。

 

何が食べたい?

 

本当に食べたいものは何?

 

何がしたい?

 

何でもやっていいんだよ。

 

周り、世間気にする必要なんて全くない。

 

大事なのは私の意見が一番。

 

何がしたい?

 

食事がしたい。えっと・・・

 

うーーん、本当に食べたいものすら

 

よく考えても浮かばないな。

 

何が食べたい?

 

そして私は最低じゃない。

 

私は最高なんだよ。

 

誰の意見が正しいっていうのもない。

 

一番尊重すべきは

 

自分の意見よ。

 

無理、できない、どうせ、って辞めた。

 

こんな年だしって意味ない。

 

じゃ年取るのが悪いなら

 

生まれる意味だってないってことになる。

 

冗談でしょ。ね!

 

年を気にしていた。

 

自分の年すら恐怖。

 

その年で独身?

 

は?みたいな。誰にも言われていないのに自分が言っていた。

 

自分をいじめるの、やめよう。

 

だって

 

生まれただけで天才なんだから。

 

そうだよね、天才か。

 

 

 

 

体の感覚 よみがえる

テーマ:

本当に自分の感覚って大事。

 

自分の感覚が理解できるのは

 

この世で自分だけ。

 

本当はどうしたいの?

 

こんな質問に、さっぱり答えられなかった。

 

もう不感症もいいところ。

 

何が喜びなのかすら不明。

 

それで一番自分にとって手っ取り早い

 

食べ物から始めたのです。

 

何が食べたい?

 

今、おなか空いている?

 

どんな気分?

 

何をしてほしい?

 

食べたいものすら、わからなくなっていた。

 

過食嘔吐するとき、コンビニで爆買いして

 

それを家に帰って無心に食べたあの頃、

 

タブーな食べ物を買い込んできた。

 

メロンパン、ケーキ、カップラーメン、などなど。

 

それらを解禁にした。

 

本当に食べたいものは何?

 

チーズケーキ。しかもこってりの。

 

そう思ったら、迷わず食べた。

 

カロリーオフとかそういう偽物ではだめ。

 

ちゃんとしたものを自分に与えた。

 

じっくり味わって。

 

もう一つ食べたいと言えば、食べさせた。

 

体重計は捨てた。

 

そのデジタルの数字で自分の不幸と幸せが決まっていたから。

 

まずは見ないことにした。

 

体重じゃなくて見た目が良ければそれでいいの。

 

自分は今何を感じている?

 

何をしたい?

 

何が食べたい?

 

本当にそれが食べたい?

 

これを聴き続けて実行し続ける。

 

だめ、と言わずに。

 

いいよ、食べようね、買ってあげるよ。

 

美味しい?

 

良かったね。また買ってあげるよ。

 

こういうやり取り。

 

自分とのこういうやり取りを続ける。

 

今も続いている。

 

現在は、一日1.5食ぐらいが平均になった。

 

食べ物で苦しむことはなくなった。

 

自由~~~って気持ちがいい。

 

常識?

 

それ、誰が決めたこと?

 

他人の常識と自分の常識に

 

きっちり線を引く練習。

 

常識が気に入らないなら使わない。

 

いいんだよ、私は常識を使わなくてもって。

 

常識はすぐに変化する。

 

自分も変化し続けている。

 

常識に縛られることは自分を奴隷化するんだよね。

 

奴隷の時代が終わった。

私は何事も過剰に気にしすぎる性格。

 

相手の反応で、自分の幸せが決まる。

 

なんてこと!だよね。

 

自分の幸せは自分で決められるのに。

 

自分の幸せは相手の反応次第だなんて、間違い。

 

こんな過敏な性格だった・・。今もその傾向はありますが前進中。

 

分析するのは疲れるので大雑把に言うと、

 

常に脳の中には母がいました。

 

私はお母さんが大好き。

 

もし母が死んだら、この先どうやって生きればいいのか、ってくらい。

 

お母さんが大好きなので、お母さんの言うことは聞いていました。

 

と口ではいうモノの、母親に対しては馬鹿にする発言ばかり。

 

母より自分が上だって感じ。

 

しかし心の中はお母さんに頼り切っている。

 

お母さんを幸せにしなくちゃ・・。とかね。

 

上手く説明できないけれど、

 

自分の中心に常に母がいるのでした。

 

洋服一つ選ぶにも、基準は母になんと言われるか

 

褒められるか。

 

こんなことが無自覚で習慣になっていた。

 

ついつい最近まで。なんと51歳なのにね。

 

自分の中心に親がいるから自分の意見なんて

 

本心なんて、本当にわからなくなっていた。

 

何が喜びなのか、何を感じたいのかさえ。

 

欲しいものをイメージしても、嬉しくないしワクワクしない。

 

不感症。

 

そんな状態が続いたけど、自分の世界は自分が中心だと決めた。

 

そうじゃなければ本当に自分の世界なんて作れない。

 

いつまでたっても

 

何をどうするにも

 

親のことが頭から離れないなんて

 

自由とは反対じゃないかって。

 

自分の感覚を取り戻そうと思ったわけです。

 

食べもの一つにしても

 

ずっと体にいいもの、美容にいいものばかり選んできた。

 

食べたいものを食べよう!

 

食べたいときに、食べたいだけ。

 

そう決めた。

 

私の場合、食べ物から始めたのです。

 

自分を知るために。

 

そして恐ろしい観念を、安心の観念に交換したのです。

 

食べる=太る ではない

 

1:好きな時に好きなものを好きなだけたべるから

 

2:スリムでセクシーで美しい自分。

 

本当は、2のスリムでセクシーな美しい自分。

 

だけでいいのです。

 

でもそれでは、今までの自分が納得しない。

 

いろんな言い訳を考えてくる。

 

「でも、好きなだけ食べて太ったじゃないか。」

 

「そんなの嘘だーー」とかね。

 

それを黙らせるというよりは、納得させるために

 

少しずつ、自分が納得できる理屈が必要なだけ。

 

でも、2の部分は、

 

本当になりたい自分の状態であることが必要だった。

 

これを常に思考するのは大変なので

 

Iphoneのボイスメッセージに録音して何度も音声で聴いた。

 

もっと確実に書き換えたいなら、幼少期1-3歳ぐらいの

 

自分をイメージしながら聞くと効果も増す。

 

徐々に徐々に、自分の好きなものを食べていいんだよ。

 

それは良い事なんだ。

 

怖くない。大丈夫だよ。

 

本当に食べたいものを、本当に食べたい分量食べていいんだよ。

 

これをしていたら、分量は適切な量に変化してきた。

 

食べすぎても大丈夫。

 

食べたい分、食べていいんだよ。と優しくするのが効いたなぁ。

 

優しくされるとほっとするからね。

 

誰に優しくされたいって

 

本当の自分に優しくされたいんだよね。

 

こうしなくちゃ、あーしなくちゃ

 

という完璧を求め続ける自分を

 

優しく優しく

 

いいんだよ、それで。

 

どんな自分でも大好きな状態に持っていく。

 

どんな自分というのは、

 

どんな馬鹿な自分でも

 

どんなくずな自分でも

 

どんな優秀な自分でも

 

どんなだらしない自分でも

 

つまり、全部全部どんな自分で在っても

 

OKなんだよ。

 

だって全部完璧なんて不可能だから。

 

自分に悪い評価を下すのを徹底的にやめる。

 

そして自分の良いところを

 

これまでの1000倍褒める。

 

しかも大げさに。

 

こちらはまだ練習中。

 

自分を褒めるのってすぐ忘れる。

 

自分をまずは褒める。

 

今から褒めよう。

 

今日も好きな時間に起きてありがとう。

 

今日も大好き。きれいね。かわいいわ。

 

こころで「ばっかじゃねーの」

 

と言っていたけど、もしそう言ったとしても大丈夫。

 

「うそうそ。私らしくない。私って本当に素敵。大好き」

 

これをたーぷり言ってあげよう。

 

ものすごく自分を責めているんだよね、過食嘔吐する人って。

 

まずは責めるの止めよう。

 

一切やめよう。

 

私は悪くない。だから私はかわいい。素敵。

 

これでOKなんだよね。

 

 

 

 

過食嘔吐が加速した時は、

 

FXで生活しようと思って専業になったときだった。

 

私は大卒、自営業で音楽教室を経営し、成功していた。

 

しかしそんな生活も飽きて、生徒にも飽きて

 

収入にも納得しなくて辞めた。

 

FXで簡単にお金が儲かった。

 

でもそれを維持して続けるにはやっぱり難しくて。

 

部屋に一人。

 

FXで利益が乗るとワクワクしてニヤニヤしていた。

 

こういうトレーダーを選ぶ人って

 

ぎりぎりドキドキハラハラが好きなギャンブラーだそうだ。

 

だそうだ・・というのは、ある心理学のカウンセリングを受けたときに

 

言われた。

 

思い返せば過食嘔吐のカウンセリングも病院にも行ったことがなかった。

 

なぜなら

 

病気だと思っていなかった。

 

ええーー!

 

と今頃になって自分でも驚き。

 

FXをしている最中、だんだん行き詰ってきた。

 

負ける。お金をどかんと失う。

 

生活費も貯金から崩して生きていた。なんとその間4年。

 

少し前まではそういう自分の過去を毛嫌いしていたな。

 

そんな無駄遣いをした馬鹿な自分って。

 

でも今はそんな過去の記憶はデータでしかなくなった。

 

良い思い出悪い思い出という意味をつけて苦しんできたけど。

 

その過去を創造した自分すら嫌ってきたけど

 

なぜ嫌った?

 

それ、あまりにも可哀そうだよね。

 

自分で作った創造物。

 

良いも悪いもないのに。→今だからそう思えるってことじゃない。

 

出来事に良い悪いという名前を付けて意味を持たせたのは自分。

 

だからその意味を持たせて苦しんだ自分もいとおしいなって思う。

 

過食嘔吐して吐いている最中、涙も出る。

 

吐いたらすっきり。

 

でも後悔。罪悪感、なにやってんだ!って自分を責めた。

 

けど、そんな自分も丸ごと受け止められず、責めていたな。

 

責めるから、何やってんだーーーって自分を自分が責めるから

 

矛盾したんだよね。

 

なぜなら、食べたい!思いきり食べたい!

 

限界までとことん食べる!と思った。

 

そして死ぬほど食べた。

 

苦しくなった。

 

だから吐いた。

 

それだけなのにさ、次は自分を怒る。

 

なんで吐いた!気持ち悪くなるまでなんで食べた!

 

ばっか!

 

って怒る。

 

自分じゃなくて他人にそういわれたらどう感じるかな。

 

きっと他人を恨むよね。

 

でも自分だから自覚がない。

 

自分に言われて自分がしてあげたのに

 

自分に怒られた!

 

なんだよーーーー。聞いてないよーーーー!!!

 

本当はこんなからくりだったのに。

 

あなたが望むから望み通りにしたのに

 

なんでーーー!!!

 

これを繰り返したらさすがにまいっちゃうよね。

 

可哀そうな自分。

 

つまり自分で2役やっていた。

 

常に自分は

 

1:望みが湧いて望む役

 

2:望みを叶える役

 

この二つをやっているのに。

 

2の望みを叶えた人が1の望みがわいた人に責められるってわけ。

 

自分、可哀そう。

 

でも今はありがとうなんだよね。

 

つづく。

 

 

過食嘔吐からの脱却

テーマ:

私が過食嘔吐になったのは19歳ぐらいのころ

 

原因は、ダイエット。

 

友達の先輩が食べたものを吐いて痩せたと聞き、これは簡単!

 

と思ったのがきっかけでした。

 

太ったのは大学入学後、上京して寮生活に入り、常に食べていた。

 

寂しい・・

 

思い通りじゃない・・

 

なんか満たされない不足感・・

 

こういう思いを抱えきれず

 

解消したくて、食べていたな~。

 

ここから過食嘔吐が始まったように思う。

 

そして常に脳の中は

 

食べることが頭から離れない。

 

そんな状況のなか、なぜ治せたのか。

 

今は本当に良かったと思います。

 

過食嘔吐から抜け出せて本当に良かった。

 

つづく。