{F299F76E-E350-4081-8FEF-ECF89665214E}
つい、闇イメージ。



おねがいこんにちは!puffです。
土曜日、日曜日二連休して読書するって決めたのに、うっかり忘れてしまいました。
良くあることです……、注意力が散漫なのかもしれません。
しかし、新たな展開を見ました。

ヘルマン.ヘッセの自伝ともいえるデーミアン。
車輪の下もそうですが……、みずみずしい描き方、主人公の視点や全体の雰囲気は圧巻して車輪の下が美しい。
しかし、これを素直に友人に漏らしたら、車輪の下は初期作品、デーミアンは後期作品だそうです。
なるほど、車輪の下は今から読むべく、鯉渕先生の訳本を取り寄せ中なんですが……、ふむ。デーミアンは読めば読むほど、完成度の高い作品です。知識の浅い私にもなんでかそれが分かる…、全体の肝である、主人公ジンクレールとデーミアンの関係性も、二人は対極の存在でありながら、デーミアンはジンクレールの分身たる存在でもある、これが良く理解できた。

ジンクレールはデーミアンのようになりたい、またデーミアンはジンクレールに新たな知識という種を蒔く、それも大胆な種を。
これも新鮮極まりなく、羨ましいなと感じた。

生まれながらにして宗教を持ち、選べぬ環境、そういった世界で生きるジンクレールは、幼い頃から、”この世には明るい世界と暗い世界”二つの世界があることに、朧げながら気づいていた。
そして、幼いジンクレールは段々とそれを身をもって体験する……。

父母に守られ信仰が身近にある、清潔で清い世界は暖かくほのぼのとした世界観……、ジンクレールはこれにどっぷりと浸かる。
しかし、一旦目を凝らせば、違う世界が見えるのだった。女中や下男が話す下卑た猥談が聞こえ、言葉の荒い彼らの痴話喧嘩などを肌で感じ、違う世界があるぞと気づいて行く。

ジンクレールの心惹かれる世界とは、常に闇であったといいます。闇は牽引力があるような気がします。その最初の一歩が、近所の悪童らとの付き合いでした。
ジンクレールの住む地区がどんなだったかは分かりませんが、女中がいたり下男がいるのだし、中流の、良識的な家庭事情であったように思われます。
ジンクレールは地元の小学校に通わず、ラテン学校に通うちびっ子ですが…、なんでまた地元の悪童とつるむのか。ここも、ヘッセの描く”二つの世界”に繋がるのでしょうね。

そんな中、ジンクレールは悪童の親玉、フランツ.クローマーに睨まれ、強請りたかり、脅されるという闇の世界に堕ちて行きます。
これもなんだか、胸が締め付けられるような、甘酸っぱい思いでが。こんな奴いたなぁってな実感ですが、ジンクレールはひょんなことから彼に金をせびられ強請られる羽目に。
はねつける勇気もなく、両親にも言えず、特に信頼していた父親は全く、ジンクレールの怯えに気付きませんでした。
ただもう慌てて、ジンクレールはフランツ.クローマーに僅かな金を進呈し、少なきゃ少ないで馬鹿野郎と罵られ、哀れなことにジンクレールは彼の奴隷となり、心を痛め頭痛がしたり吐いたりを繰り返し、一種の神経衰弱でしょうか……、

そんな時に現れる。
その名は”デーミアン”……、※ラテン語読み、ダミアノスに由来し、さらにギリシャ語にも由来する。damao、征服する、抑制する、飼い馴らすから派生した。

大人びた風貌のデーミアン、ジンクレールは小さい子供のクラスに編成されていますが、ある日、やや大きな子供達と混ざります。そんな中にデーミアンがいました。

彼は転校生であり、最初から話題に上る生徒でした。挑戦的な傲岸な態度があらわであり、しかし寸分の隙の無さが忌々しくも映える少年、わちゃわちゃした仔羊の群れに、賢い黒い羊が一頭、入り込んだわけです。
彼は転校生でありながら、異教徒なんじゃないか、実はユダヤなんじゃないかと噂されます。教師に対してもどしどし意見するし、堂々としていてそう不良でもない。良い家庭のおぼっちゃまです。ただ……、雰囲気がどうしてか臈たけて違う、ジンクレールは彼に興味を抱き、段々と惹かれ……、ある日デーミアンに声をかけられます。
その会話が……、また”異質”であったと言えましょう。

※フランツ.クローマー事件はデーミアンがクローマーと話をつけて完結しました。(凄い……)
どういった経緯であったのか詳細には語られていません。

⚫️殻を脱ぎ捨てろ。

先ず、デーミアンはジンクレールの白地ともいえる現在(今)を大きく揺さぶる問いかけをします。
ラテン語学校ですから当然、ラテン語以外に聖書研究なる授業もあります。
いつもの聴きなれた話を、これでもかと刷り込まれていくのは昔も今も変わらず、私も教会のyouth時代は、こうして呆れるぐらい勉強したものです。

するとデーミアンは神妙に問いかけます。
《さっきの授業だけど……、カインとアベルの兄弟殺し、君はどう思う?面白くなかったかい?》
ざっくり書くとこんな感じです。基督教がいやというほど染み込む世界に生きていない私には、昔読んでいたらちんぷんかんぷんでしょうが……、ジンクレールの生きる世界は、基督教が根深い。
ジンクレールは基督教の真理に疑問を持ったことがなかったのです。
面白いとか面白くないとか……、そういった思いに駆られることがなかった。
ジンクレールは驚きます。

カインとアベルの兄弟殺しの話しは、誰でも知る、旧約聖書に出てくる有名な話です。
カインとアベルはアダムの子、二人は神の祭壇に供物を捧げます。しかし神はカインの供物をかえりみず、それを恨み、カインはアベルを殺します。そして神に追われますが、保護の為に神はカインの額に印をつける……、これが世の中で最初に起きた殺人事件であると言われていますが……、

デーミアンはジンクレールに別の解釈があるよと、種を撒き散らします。
《あれは別の解釈もできるよね。弟を殺して、その勲章に印を貰ったなんて、その勲章が保護してくれたり、皆が畏怖したり。なんだか納得いかないじゃないか。
もしかしたら、この殺人は英雄的な行為だったかもしれない。
いやさ、その印もね?実は最初からその男に付いていたとしたらどうだろう。その印がある為に皆が手出しできずにやきもきした、それであとから殺人話を都合よくくっつけたんじゃないかな……、それでその印ってのもさ、郵便スタンプみたいな印じゃないよ。
才気漲る不適な力、権力とかってこと……、だからカインは子孫も含めて皆に怖がられていたんじゃないかな。その印に皆は苦しめられたりもしたろう?だからあとから都合よく作り話をくっつけて溜飲を下げたってわけ。》
《でも……、カインは殺人をしたでしょう?それを嘘だというの?》
ジンクレールはやや不安になりますが、
《いや、そらそうさ。確かに殺人はあったさ。でも強者が弱者を殴り殺したまでの話しさ、それに本当に弟だったかはわからない。そんなものは大したことじゃない……、世間てのは昔から、自分らの都合の良いものを好むね、わかるかい?》

このデーミアンの問いはジンクレールの心に深く刻まれます。カインが英雄でアベルが意気地なし、そんなことはない、断じて違う。

いわば……、泉に石が投じられ、斑紋は広がるばかり。ジンクレールの中のマグマは滾り上昇をたどりながら、戦慄と鼓動は自我の目覚めに他ならず、思春期への入り口であったに違いない。
またこうした逆説に強く惹かれて行く自分にも、はっきり、”カインの印”が刻まれるのを感じたのではないでしょうか。

こういった、アンチ.キリスト的なモチーフは各所に出てきます。キリスト教を疑い始め、古い殻を脱ぎ捨て、生まれ変わるんだという思考を見出し、新たな自己形成を模索する……、この発端が”カインとアベルの逆説問題”であった。これはただ単に、二人の間に出てくる語り合いのほんの一部にすぎません。

しかし”カイン派”なる教義が、実は原始キリスト教にはあったらしいですね。ふむふむ。
異端だと言われ、排斥されたようですが……。
基督教にも矛盾があるからこそ、そこを突くのだ。またそれは考える葦である”人”ならではの所業。
またその人を作りしたもうたのは神……、

2017.3.8