私は自分の気持ちをある程度伝えるようにしています。

それは結果的に人に優しいと気づくことが有ったからです。

 

私に 「私は人ともめないように自分の心は押さえています」

と伝えてくれた人がいました。
確かにもめないようにするのは大切な側面も有ります。

私にそう伝えて来たその人は

裏で私の陰口をメッセージで回していて

このことは私には内緒にして

と口止めもしていました。

それを言っている気持ちは快の部分も有りネガティブな部分も有るのだろうと思います。

 

人が物事を起こすのには必ず肯定的な意味づけが有るからです。

ですからそのことで得ていることもあるのだな

と冷静に見ている私がいます。

 

その一方で感情豊かな私の部分は

 

大好きだったけどなんとなく予感は有ったから、

距離を置いていました

 

わかったからきっぱりと離れることができたけれど
基本は人が好きなので

 

嫌いにはなれない

距離感が変わっただけです。

 

今度は遠くからですが彼女の幸せと喜びを祈っています。


そうネガティブも大事な自分の一部分 否定したり隠したりしても

 

どこかで溢れてくるものなのです。

と思っています。


悲しみを切り離そうとすると

悲しみはトボトボとどこまでも後ろを付いて来る

怒りを切り離そうとすると

怒りは襲いかかってきて飲み込んで来る

どちらも否定したり無かったことにしてしまうと
感じる力が失われる

怒りや悲しみをかんじたら

大事なのは 反応せず

ちゃんと 悲しみや怒りの感情が心の中にあることを認めて

心の中にあり悲しみや怒りに、認めていることを伝えること
名前をつけて呼んであげて
怒りや悲しみが心の中にいる場所に印をつけてあげて

自分の息遣いや心臓の音、歩いた時の踵の感触 風の音、香り光 それらも同じように感じると

さらに 今ここ の力が着き

落ち着きリラックスできるようになります。

怒りや悲しみを見せ無い のは大事な所でもあるけれど
良い人であればあるほど
と言うか良い人と見せようとすればするほど
いけないと禁止している心を隠したまま人に近づくから
実は腹黒い人であったりもするのです。

自分の気持ちを大事に

だけど気持ちを伝える時は、ほどほどに
これもチラッとで丁度良い加減なのです。

雨の日も風の日も晴れの日も有って楽しいのです。
ずっとお天気だなんてつまらないし
そんなの不自然です。
いろいろ有るから魅力が増すのですよ