サンディエゴ USA 05


「このアカデミーに来てもう何年になります?」
「六年目に入りました。今は、練習に使わせてもらったり、トレーニングジムを使ったりぐらいですね。ほとんど遠征ばかりです。」
「サテライト・サーキットですよね。」
「インターナショナル・イベントに出るのはなかなかむずかしいですけど、フューチャーやチャレンジャーはカリフォルニアでも結構たくさんありますから、賞金稼ぎはできますね。」
「失礼ですけど、ここでの生活費は?」
「お恥ずかしいですけど、まだ親からも仕送りをしてもらってます。でもここは、恭子とシェアーしてますから、そんなに負担になりません。賞金も稼いでますから、ふたりでお金に困ることはありません。」
「どうすると、ウインブルドンに出られると思いますか?その、方法論ではなくて、鈴村さんとしての心構えっていうんですか。」
「おっしゃっている意味はわかります。ウインブルドンに出たくてもこんな状態じゃ、予選にすら出られないじゃないかっていうことですよねえ。」
「私は鈴村さんを責めに来たわけではありません。ありのままをお聞きしたいのです。」
「やっぱり、強くならなければと思ってます。何しろ、試合で勝たないとポイントをもらえませんから。だけど、最近どうすれば勝てるのかがわからなくなってきちゃったんです。技術的には、それこそフェレラーにだって負けないと思うんだけど、勝ち続けるっていうことができないんです。ある日は調子がよくて、誰とやっても勝てそうな気がするけど、翌日になると、全く勝てる気がしなかったり。」
「もう一度お聞きします。ウインブルドンで本当に優勝したいと思ってますか?」
「もちろんです。」

「手紙にも書きましたが、戦後日本男子がテニスの世界で脚光を浴びたことは、ほとんどありません。松岡修三さんが一時期確かに日本を代表する選手でしたが、トップランキングまではどうしてもいけませんでした。その後はもうさっぱりです。しかし、松岡さんもそうですが、あなたのように、アメリカでプロ修行されている日本人は結構たくさんいました。ところが、そのほとんどは、志半ばで、日本に帰ってきてしまう。始めからウインブルドンに出場するなどという志さえない人たちもいる。遊びなんです。アメリカで2年も修行すれば、日本に帰ってきて、スクールのコーチにでもなれば十分食べていける。日本国内の試合なら上位だって夢じゃない。」
「実は僕も親からはもう帰って来いを云われています。今年が最後なんです。だから、9月のUSOpenにはどうしても出場したいんです。」


山上は少し興奮気味の鈴村の言葉を制した。


「あくまでも目標はウインブルドンです。USOpenでも、全豪でも全仏でもありません。ウインブルドン一本に絞るのです。あなたのプレイスタイルはウインブルドンで勝つためのプレイスタイルです。逆な言い方をすれば、ウインブルドンで勝つためには、あなたのような、そしてフェレラーのようなプレイスタイルでなければ今は勝てません。テニスはウインブルドンを制することが頂点なのです。」


ここからは、山上竜彦の独壇場だった。山上が考えた鈴村をウインブルドンで優勝させるためのプログラムを語り始めた。


「ウエアー、用具の心配はしなくて結構です。日本の代理店にサポートさせます。今年一杯はこちらから指定する米国内の試合に参加してください。来年に入ったら、コーチを附けます。そしてフィジカルトレーナーも附けます。マネージメントは恭子さん、お願いします。そしてもうひとつ恭子さんに頼みがあるのです。メンタルトレイナーになって欲しいのです。鈴村さん専属のメンタルトレイナーです。来月、日本のある有名なメンタルトレーニングの先生をこちらにお連れします。たぶん2週間が限界でしょう。その2週間でノウハウをつかんで欲しいのです。鈴村さんがウインブルドンで優勝できるかはそのメンタルトレーニングの良し悪しで決まります。」


センターコート ウインブルドン 06


鈴村は短い時間に瞑想状態に入れるようになっていた。そこが、喧騒の中でも、静寂の中でも。


控え室のドアーがノックされた。試合再開である。鈴村はゆっくり目を開けた。もう今までの記憶は頭の中から消えていた。「今」に集中できる。もうダニーは何も云わなかった。恭子とイアンが小さな声で「グッド・ラック」とつぶやいた。ウインブルドン センターコートの空は灰色から真っ青に替わっていた。もうこれから雨が降ることはない。そして日没までには十分すぎる時間があった。


スポーツバー 六本木 06


結局中断は、40分だった。これが海洋性気候なのだろう。40分前の雨がまるでうそのようにウインブルドンは晴れ上がっていた。


テレビの中の解説者はしきりに、この中断はどちらの得か損かを語っていた。もっぱら、フェレラー有利説を唱えている。現象的に観れば確かに、第11ゲーム目のサービスをブレークした鈴村が、雨でそれこそ水を刺されたわけだから、フェレラー有利かもしれない。フェレラーがほっとしたのは確かである。しかし鈴村もこのまま次のサービスゲームでキープできたかどうかわからない。


「本当に、ロンドンていやよね。雨ばっかり。これで鈴村君が負けたら雨のせいね。」
「恵子、自然は中立なのさ。神様はサイコロを振らないっていうじゃないか。鈴村にもフェレラーにも両方に恵の雨さ。少なくともふたりともそう思っている。だから、まだ勝負はついていない。」


また、山上は悟りを開いた空海のような発言をした。


センターコート ウインブルドン 06


センターコートに戻ってきたフェレラーと鈴村を観衆はスタンディング・オベーションで迎えた。これまでのウインブルドンでもこの光景は珍しい。40分の中断なので、5分間の練習タイムが設けられる。30分以内の中断ならば3分間の練習と決められている。グランドストローク、お互いのボレー、スマッシュ、そしてサーブ。
5分間などあっという間に終わってしまう。ピエトロ・クルトウリさんの「タイム」の声が響いた。


第2セット、ゲームカウント6-5で鈴村のサーブから再開する。このサービスゲームを鈴村がキープすれば、2セット連取となり、王手を掛ける。


ファーストサーブ。少しコースは甘かったがフェレラーの返球は浮き球になった。鈴村は自然に前に進み出てその浮いたボールをバックのミドルボレーでクロスに叩きつけた。

15-0

アドバンテージサイドからのサーブは、ワイドに大きく逸れた。セカンドも同じワイドにフラットを打ち込んだ。コースは少し甘くなったが、フェレラーのリターンはネットの前で失速した。

30-0

センターへのファーストサーブがノータッチエースになった。

40-0

勝負を掛けたワイドへのフラットはまたも大きく逸れてフォールトとなった。セカンドも全く同じワイドを狙った。惜しくもフォールト。

40-15

究極のスライスコース。これを取れる奴を知らない。

ゲーム

鈴村は2セットもものにした。しかし、ここから鈴村の忍耐が始まる。


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