2013年09月26日

Pigs Of The Empire

テーマ:読書

またまたご無沙汰しておりました。
ご無沙汰と云えば、昨日の朝は久々に低血糖症状に襲われ、駅のトイレで嘔吐と下痢を繰り返し、1時間近くのたうちまわっておりました。数年前、横浜駅のトイレで救急車を呼んでしまったときときわめてよく似たシチュエーションだったので、今回は何とか歯を食いしばって耐え、救急車のお世話にはならずに済みました。
前回と違うのは、満員電車に乗っていたため、嘔吐と下痢のプレッシャーが倍増してしまったこと。嘔吐ならまだしも(?)、車内で下痢を出した日には、その後の人生に影響が出てしまいます。1時間弱とはいえ、生き地獄に叩き込まれた気分でした。。。

 

さて、前回の話題から、うっすらと続きの内容です。
シリアのことをいろいろ検索しているうちに、藤永茂さんという物理学者の、『私の「闇の奥」』というブログに行き当たりました。
ブログというにはあまりにも長い内容なので、電子書籍としてまとめた同名タイトル本を買うことにしたのですが、これがkindleでたったの100円でした。紙の本にして1062ページ(推定値)。紙ではとても出版できないボリュームです。
量も凄いのですが、内容は輪をかけて凄まじく、というかむちゃくちゃ濃く、このような本がたったの100円で読めるということに対して、わたしは、金銭の使い方を見直さざるを得ません。100円ショップであっさり消えていく100円という金。いや、MILKであればその300倍くらいの金が一瞬で飛んでいくこともあるわけで(苦笑)、いったい“値段”とは何なのか? と軽く混乱をきたしてしまいます。

 

最初、ブログに行き当たってさらっと読んだ時点では、これはいわゆる陰謀論系のブログなのかなと、半ば訝しんでいました。
何しろ、激烈なほどのアメリカ批判がなされており、めちゃめちゃざっくり説明すると、「全ては欧米が悪い」というスタンスなのです。わたしも反米バイアスがかかっている方なので、こういう意見に接する際には、その自覚を手放さないよう疑り深く読もうと努めるのですが、読み進めていくうちに、これは陰謀論にありがちな暴論やオカルティックな見解ではなく、膨大な量の資料(英文・日文両方)を丹念に読みこなし、検証した上での思考だということが分かってきました。
藤永先生(と呼ばせていただきましょう)は、本職は物理学者ですので、国際情勢の専門家でもジャーナリストでもなく、あくまでも市井の一老人という立場から思索を発信されています。最も、その方面の著作も何冊かあるので完全に素人ということでもないでしょうが…。
では、欧米の悪とは何なのか? わたしは、「根深い人種差別主義」というふうに捉えました(「白人絶対主義」と言い換えることもできそうです)。歴史の事実として、つい簡単に「植民地政策」と云ってしまいますが、これがどこまで闇の深い問題であるのか、もっと勉強する必要があると感じました。「アフリカは「白人の重荷」ではありません。真実はその逆で、白人こそ「黒人の重荷」です。」という一節が、頭の中で答えを求めて鳴り響いていますよ…。

 

藤永先生はコンラッドの『闇の奥』の新訳を出版しており、主眼は常にコンゴに置かれています。次によく取り上げられているのがハイチ、そしてアフリカ全般です。
コンゴとハイチには行ったことがなく、日本人として生きているとどうしてもマイナー国扱いをしてしまいますが、日本の報道では省みられないような小国の問題にこそ、世界で起きている大きな出来事のヒントがある、と藤永先生は書いています。
アフリカについては、一部地域とはいえ曲がりなりにも半年近い月日を費やして旅してきたわけですが、そのことを踏まえて読むと、わたしはいったい、アフリカの何を見ていたのだろう…と、呆然としてしまいました。
当時はただただ、「飯が微妙」だの「観光地が今イチ」だの「どこもかしこも危険」だのと文句ばかり垂れておりましたが、そのようなペラペラの表層的視点ですらも、アフリカの“闇の奥”に繋がっているのではないかと、今さらながらに考える次第です。
例えば、ルワンダの虐殺について、わたしは現地で大量の白骨死体を見たにも関わらず、何も知らないに等しい。「多数派であるフツ族出身の大統領の飛行機事故をきっかけに、少数民族のツチ族に対して、フツ族が大量虐殺を始めた」その程度の認識に留まったままでした。そして、あまりにも悲惨な事件ではあるけれど、ともかくも収束して、今のルワンダは“アフリカの奇跡”と呼ばれる経済発展をしている…と。その裏にある、アメリカとの関わり、ポール・カガメ大統領の政治姿勢、などまで思いが及ぶことさえありませんでした。
ひどい目に遭ったジンバブエのことも、何故あんな気の狂ったようなインフレが起こっているのか、独裁者と云われるムガベが全て悪いのか…当時はおろか、今に至るまで真面目に考えたことはなく、「いろいろ危ない国」という認識から発展せずにいました。いつも、ジンバブエの話題になると、強盗の話をして、それで「うわー怖い目に遭ったんだね」という反応が返ってきて終わり。まあ、旅の雑談レベルでいきなり、ジンバブエの農地改革にまで話を広げられても困るでしょうが…。
自分の世界認識は、実に簡単な思い込みで出来上がっているのだな…ということを厳しく痛感します。実地に行ってすらこれですからね。旅行というのはその程度の関わりしか持たない行為であるとも云えますし、好意的に考えれば、曇りのない目で本当の姿を見ることもできる…のかも知れません。いずれにしても、ジャーナリストでもない、一旅行者に、世界を正しく理解しろと云っても無理な話ではあるのですが、余命いくばくもないと自覚している藤永先生が、「けれども、やはり、私は真実を知りたい。生半可な絶望の中に没するよりも、絶望を確認してから死ぬほうが、日本人らしい選択だと思いませんか?」と訴えるように書いているのを読むと、そういう理解への努力を放棄してはいけないなと反省します。
ブルキナファソという名前に「高貴な人々の国」という意味があることも、トーマス・サンカラという人物のことも知らなかった。ハイチの元大統領、ジャン・ベルトラン・アリスティドのことも、エリトリアの大統領、イサイアス・アフェウェルキのことも知らなかった。そういや、旅行当時のケニアで人気のあったキバキ大統領も、その先どうなったかなんてまったく追っていなかった。ま、その名前も存在も、行くまで知らなかったんだけど。
でも、アウンサンスーチーのことは昔から何故か知っていて、何となくすごい人というイメージを持っている。そういう自分の認識は、単に日本での露出度の高さに依拠しているだけかも、ということに気がついて、愕然としたりして。

 

ようやく8割がた読破したという状態ですが、本当に、いろいろな気づきを与えてくれる本です。人は、それが直接役に立とうが立ちまいが、一生勉強し続けなければいけないですね。だって、外国の大学で物理を教えていたようなえらい先生が、80を過ぎてもこうして専門外の勉強をし、思考を重ね、それを伝えて行こうと努めておられるのに! 最も、膨大な量の参考文献を見ただけで、「わたしの脳みそだと一生かけても読めんわ…」と速攻で怯んでしまいましたが、それを先生が代わりに(?)読んで編集してくださっているので、せめてこの1000ページに書かれていることくらいは、血肉にしたいものです。
英文記事の抜粋がふんだんに載っているので、無理やり英語の勉強をさせられる、という特典もあります(笑)。先生曰く、単語の意味が分からなくても、とにかく読み進めることで鍛えられる、のだそうです。筋トレみたいなもんでしょうか。英語も、真面目に勉強しなくなって久しいですが、もう少し、頑張ってみようかな…。

 

※今回のタイトルは、ROSENFELDのアルバムタイトルから拝借しました。何となく、帝国主義批判ぽい意味を込めて…。

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2013年09月10日

人生の主役は誰か?

テーマ:読書
ああ、また間が空いてしまった。。。
かなり個人的なことに忙殺されてまして。。。
いや、忙殺されていなくても、いつも更新は遅いですね。。。


先日のブログで最後に少し触れた『最強伝説 黒沢』について、もう少し書こうと思います。
平凡な、いや、むしろうだつの上がらぬ44歳現場監督が、ある日何かに打たれたように、「人望が欲しい…!!」という欲望に打たれて、みっともなく這い回るお話です。
このマンガは最初から最後まで痛切ですが、まず冒頭のシーンで頭を殴られます。
職場の仲間たちと、サッカーの日本戦を観ている主人公・黒沢。周りが盛り上がり、自分も大騒ぎする中、唐突に心が冷え冷えとしていくのを感じます。
「感動などないっ…!」
「オレが求めているのは……(中略)オレのオレによる、オレだけの……感動だったはずだ…!」
画面に映っているのは、他人事、他人の祭りでしかない。それに熱狂しているだけの自分に気づいて、愕然とするのです。「いつまで続けるつもりなんだ…? こんな事を…!」


わたしはそれを読んで、いつも胸に刺さっている、テネシー・ウィリアムスの『ガラスの動物園』の一節を思い出しました。
映画が好きだったはずの主人公・トムが、もう映画は見飽きた、と云った後に続くセリフです。
「そう、映画! どうだい、あの――魅惑のスターたち――あの連中が冒険という冒険を――かっさらってるんだ――ひとり占めしてるんだ! その結果、どうなる? みんな自分で経験するかわりに、敬虔な面持ちで映画見ることになる! ハリウッドのスター連中がアメリカじゅうの人間になりかわって冒険をおこない、アメリカじゅうの人間は暗闇にすわってスター連中の冒険をじっと見つめる、ってわけだ!」
最近読んだ岡本太郎の『美しく怒れ』でも、同じようなことが云われていました。
「まったくチャンネルさえ切りかえれば、硬軟さまざま取揃え、あらゆる悲喜劇が展開する。適当な刺激で人生を代用してくれるのだ。そこで毎日毎日、○○がある、なんて自分自身の行動はやめてしまって、テレビの前に坐っている。だが、みんな出来あい。」

 
SNS全盛の現代、誰もが自己顕示欲まみれで生きているように見えるけれど、本当の意味で人生の主役になれているでしょうか?
…なんて、ずいぶん青臭い問いかけですね。自己啓発本かよと(笑)。
でも、世の中に『半沢直樹』を見て溜飲を下げている人がたくさんいるのを見るにつけ、架空の人物に代わりに生きてもらわなきゃいけないほどみんな疲れてんのかなあ、とか思ってしまったり…。
先日はまた、テレビである女芸人が「一般人のブログに自分の作った料理のレシピとか載ってるやん。誰も聞いてへんって」と皮肉っていまして、それを聞いて、情報や感動は、特定の人物しか生み出しちゃいけないことになっているんですか?と、思わず聞き返しそうになったり…。

 
そんなことをウダウダ云っているわたしも、別に世の中の大半の人と同じように、マンガや映画でしょっちゅう現実逃避しているので、何もそうしたものを批判したいわけではないんです。
他人の祭りだってもちろん面白いし、そこに乗っかる楽しさ、そこからもらえる喜びもたくさんあります。一人で出来ることは限界がありますしね。
ただ、特に昨今は、わたしなどは100回生まれ変わっても取得できないほどの情報量に取り囲まれ、情弱にならないためにもそれを適切に処理し、フィクションの感動にまみれているうちに、いつの間にか人生が終わってしまいそうです。
でも、ほどほどにして、もうちょっと、自分の可能性というものに、真剣に目を向けるべきではないのかなと思うんですよ。昔、カイラスを一緒に旅したSおねえさんは、「人生とは、可能性のことではないかしら」と云っていましたっけ。なかなか、あの人のような本物の自己肯定感を得るには相当の鍛錬が必要ですけどね…。


話は冒頭に戻りますが、黒沢はその後、おおよそマンガのヒーローとは思えないほどの無様さで、大して羨ましくも見えない人生の可能性を探り始めます。
人望が欲しいからと、部下たちの弁当にアジフライを1尾ずつこっそり入れるという短絡さ。しかも、まったく気づかれないという切なさ…!! こういう場面に涙を禁じえないわたしは、未来永劫、日陰側の人間のような気がしてきて、さらに切なくなります(苦笑)。
黒沢はカッコ悪いなりに、地道な行動改革で自信を取り戻しては調子に乗って、しばしば間違ったヒーロー像にたどり着きつつ、それなりの波乱万丈を繰り返して、いよいよ大舞台に立ちます。と云ってもそこは、傍から見れば決して華やかなステージなどではないのですが、ここで黒沢は、黒沢による感動を見事に生み出すのです。
この漫画で描かれる「オレが、オレの人生の主役である」というテーマですが、それは必ずしも自己顕示欲と同意語ではありません。自己顕示欲というのは他人が基準になっており、仮にどんなに注目されても自分が主体であるという実感がなければ、「オレが主役」ではないんだと思います。それよりも、“人生を賭けて己の理想を貫く”という信念、それに従って行動していれば、他人の評価がどうであっても、充分、主役として人生を歩んでいることになるでしょう。


最後に、前述の女芸人の発言に対して、もう少し補足を。
わたしは、HPやブログやツイッターというものが生まれて、本当によかったと思っています。声の小さい、無名の人々が、誰も聞いてなくてもとりあえず云いたいことを云ったり、いいなと思ったものを紹介したりできる。そういう権利が万人に等しく与えられるということは、何て素晴らしく、革命的なことか。
もちろん、弊害を数え上げればキリがないでしょう。なまじ自分から発信できるために、今度は自己顕示欲に囚われすぎて不自由になる、根拠薄弱でつまらぬ情報が蔓延する…など。それでも、特定の人間や集団の言動・行動だけが神託のようにありがたがられるばかりの状態よりは、自由なのではないでしょうか。
才能、金、美貌…そんなもの何もなくたって、自分を開示してはいけないという謂れはないはずです。
卑屈にならずに(これがとても難しいわけですが)、自分を粗略に扱わずに、精一杯、矜持を持って自分の人生を生きていきたいものです。
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2013年06月05日

Kindle Paperwhiteを絶賛する!※増補改訂版

テーマ:読書
ゴールデンウィークの旅行話、あれで終わりかと思ったら、まだ“ひがし”編、すなわち青森編がしつこく続くんですよ。
いい加減ウンザリされた方のために…だけでもないのですが、ここでちょっと話題を変えて小休止。


岡山編にてちらっと登場した「Kindle Paperwhite」は、ゴールデンウィーク前に、旅行の荷物を少しでも減らそうという意図で買ったのですが、これが予想以上にいい買い物、どころか、久々に感動のレベルに達しております。
3Gなしのシンプルモデルで7,980円。激安でもないですが、高っ! という印象でもない、絶妙な値段設定。
これまで買った生活必須家電以外の家電で、その水準にまで至ったのは他に、BozeのBluetooth headset series2(ワイヤレスイヤホン)くらいでしょうか。
これホント、本好きにはたまらんオモチャですよね。読書生活に静かな革命を起こしていますよ。職業柄、電子書籍にものすごーく懐疑的だったわたしも、アッサリ転向しちゃいそうですよ。
ということで、特に内容に目新しさはないですが、Kindle Paperwhiteをベタ褒めしたいと思います。


●読みやすい画面
Kindle Fireではなく、あえて本しか読めないPaperwhiteを購入するメリットは、おそらくここにあります。そして、わたしの購入の決め手になったのも、これです。
ざらっとしたマットな画面、E-Inkなるもので書かれたアナログタッチの文字、ページめくりのスムーズさ。活字を読むことに焦点を絞り、追求した真摯さを感じます。でも、マンガを読む端末としても悪くないです。
紙の本と同じとは云わないまでも、「本を読んでいるぞ!」という感覚はしっかり味わえます。オリエント工業製のダッチワイフを抱く感動も、これに似ているのでしょうか…わたしは抱いたことがないので分かりませんが。
ただ、マンガは見開きで読むとたいへん小さい画面になってしまうのが残念ではあります。


●暗いところで読める
暗いところで本を読んだら目が悪くなるよ! とママに注意されそうですが、寝ながら読書→眠くなる→就寝という美しい流れを保つためには、いちいち起き上がって部屋の電気を消しに行くのは、コトの途中でコンドームを付けた瞬間冷める男性の心理にも似たものがあります(たぶん)。部屋の電気を消して本を読むためには、ブックライトを挟んだり、電気スタンドを駆使したりとちょっとした工夫が必要になるところ、Kindle Paperwhiteはバックライトが光るので他の灯りは要りません。それならスマホでもタブレットでも同じでしょ、って? いやいやいや、普通の液晶だと光がキンキンすぎて目が痛くなるじゃないですか。Kindleはあくまでも目にやさしい、ほのかなバックライト。しかも部屋の明暗に合わせて24段階の明るさ調節もできるのです。


●文字を大きくできる
これも、暗いところで読むときには特に大きなメリット。8段階で変化させることができるうえ、フォントや行間、余白までも選べます。最大フォントサイズで読むと、普通の新書が1ページ4行×10文字という、もはやぱっと見ただけでは怪文書にしか見えない状態になりますが…。おじいちゃんおばあちゃんにもやさしい仕様です。


●辞書を引きながら読める
分からない単語を長押しすると、辞書画面が出てきて単語の意味を教えてくれます。洋書を読むときなんかはめちゃめちゃ便利! だって、分厚いペーパーバックを読みながらいちいち電子辞書で単語を打ち込む手間といったら、「もうええわ!」と読書を挫折させるに十分なめんどくささですから。日本語の本でも、昔の言い回しなんかが多く使われているときは役に立ちますね。


●付箋の代わりにハイライトができる
わたしは紙の本に線を引くことができない性質です(同じ理由で雑誌もスクラップできません)。でも、印象的な文章があるたびに、ノートに書き写したり、パソコンにメモったりするのはたいへんなので、該当文章のあたりに付箋を貼って凌いでいます。ただ、あまり太い付箋だと該当箇所が分かりにくくなるので、付箋選びが重要になり、今のところ100均の細いテープ付箋(幅2mmくらい)を愛用していますが、kindleならその文章を選択するだけでマーキングしてくれます。これもめちゃんこ助かります。ただ、他人がハイライトした箇所も「10人がハイライト」とかいって表示されるので、内容によってはちょっと興を削がれることも…。


●机の上に置いたまま読める
これも、使ってみるとかなりのメリットでした。本を広げるという手間(まさに手間)がかからない。つまり、読書できるシチュエーションの幅が広がったということです。
三十路も半ばを過ぎた大人が、なんと行儀の悪い…と呆れられることは承知で書きますが、わたしは料理中や食事中も本の続きが読めたらどんなにいいだろう…と、かねがね思っておりました。その願いがKindleで大方叶ったと云えましょう。
また、風呂に浸かりながらでも読める。紙の本はシワシワになってしまうのが怖くてなかなか風呂に持ち込めないのですが、kindleなら風呂フタに置いて、ページをめくる際のクリックだけ気をつければ、半身浴しながらさくさくと読書できるわけです。無論、落としたら悲劇ですが…。
さらに!(だんだん深夜の通販番組チックになってきているな…) お休み前の読書においても、本のページを押さえるという手の労力がかからない。分厚い本だと、本を押さえてページをめくるだけでも結構しんどいじゃないですか。
これなら、乳児のお母さんも抱っこしながらマンガを読んだりできそうじゃないですか? え、育児をナメてますか?(汗)


●場所を取らない
一般的にはこれが最大の長所ではないかと思います。
家なんか、たかだか20平米しかない部屋に、おそらく3000冊くらいの本がひしめいているわけですよ。それも、めったに売りに出さないものだから、増殖する一方…。
そこにkindleを投入したところでもはや焼け石に水であり、抜本的解決が必要なのは分かっていますが、少なくともこれまでのところ40冊近い本のスペースをまるまる浮かせることができており、西川きよし師匠もおっしゃるように「小さなことからコツコツと」、本棚の本の自然増殖スピードを、少々ながら防ぎ止められているのです。
本体の容量は2GBなので、マンガなんかは20冊もダウンロードするといっぱいになってしまうのですが、一度買った本は、クラウドに残っているのでいったん本体から削除しても、また読みたいときにダウンロードしてくればいいわけです。まあ、本体容量が多い方が何となく安心ですけどねー。


●カバンの中で本が折れない
わたしは、どこに行くときもカバンに、読む時間もないのに常時3冊くらいの本を入れて持ち歩くアホな習性があります。
1冊なら分かるけどなんで3冊? というのは、いつも数冊を並行して読んでいることと、本を読む時間ができたそのときの気分にしっくりくる本を選べるようにするためです。
しかし、ただでさえ荷物が多いため、カバンの中がカオスになっており、せっかく古本でも吟味に吟味を重ねて比較的キレイな本を買っても、ブックカバーをかけて大切に扱っているつもりでも、カバンの中で盛大に折れていたりします…。自分の本ならまだしも、借りた本だと激しく落ち込みます。でも、kindleなら、その心配はありません。その分、貸し借りできないっていうデメリットはあるけど…。


●1クリックで本が手元に降りてくる
これはメリットと云いつつデメリットにもなりうる微妙なところですが、wi-fiにつながっていれば、いつでもAmazonストアで本を買って、すぐに読むことができます。
他の電子書籍リーダーでもよかったところを、Kindleに決めたのは、普段あまりにもAmazonの世話になりすぎていたからというのも理由のひとつです。
Amazonの「この本を買った人は~」のリンクをテレホンショッキングのように辿ってはダラダラと本を買ってしまうわたしのような人間には、誘惑の甘い罠があちこちに撒かれていて危険極まりないのですが、すこぶる便利であることは確かです。
最も、買った当初は、「あ~まだまだタイトルが少ないな~つまんないな~」といくらか失望し、紙の本とkindle本が同じ値段、ひどいときにはkindle本の方が高値という仕打ちに合うことも多々あって「おいおいこんなんで端末買った元は取れるんかよ!」と憤怒し、しばらくの間はビビって青空文庫の0円本ばかりをセコくダウンロードしていました。
でもまあ、大充実とは云わないまでも、紙の本生活のサポートとしてはそこそこの在庫と云えなくもない…とそれなりの納得をしていたのですが、最近立て続けに、点数が増えているように見えるのは、気のせいでしょうか?
ヤマジュン先生のマンガや宇都宮隆ファンクラブ会報誌バックナンバーまでもkindleで読めるようになり、リクエストに出していた『夏への扉』も晴れてkindle本になり(リクエストを出してkindle化されるとメールでお知らせが届きます)、『ONE PIECE』『ジョジョの奇妙な冒険』など長編漫画もラインナップに加わり、あげくの果ては、金子光晴御大の放浪三部作までもkindle化! もう個人的にはkindle祭り状態で、ますますkindle愛が深まっております。


●電池が持つ
これは、コメントでご指摘いただいたとおりです。Amazonの公表値では8週間とのことですが、まあそこまでではないにしろ、ふと思い出したときに充電していれば済む程度。スマホが1日で死亡することを考えると、驚異的な長さだと思います。

☆Amazon様へ今後のお願い

・紙と併売しているkindle本は、理想は紙の半額以下、せめて30%OFFくらいにしてほしい

・スリープ画面の画像がどうにもおどろおどろしいので何とかしてほしい

・各国の辞書を入れて欲しい。

・メモ機能とか付いてたらマジで最強

RIMG0485 ゴッホの「花咲くアーモンドの枝」のスキンカバーにしてみました。本体はラバー製で、指紋が付きまくるので保護しました。

RIMG0486 真っ暗な部屋だとこんな感じ(写真がボケててよさが伝わりづらい!)

RIMG0489 枕元のフットライトを付けた状態。フォントサイズを上から2番目にしています。


ここでも買えるお…とさりげなくリンク(笑)→野ぎく堂Online


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2012年04月02日

またいつの日か新宿の地で

テーマ:読書

ジュンク堂新宿店がなくなってしまったなあ。寂しい寂しい寂しい。
新宿で時間があると、夢遊病のように店内をさすらっていたものでした。都内の本屋全てに行ったことはもちろんないけれど、少なくとも「東京で好きな本屋」3本の指には絶対に入るレベルで好きだった。
思えば大阪にいた頃も、西梅田で働いていたわたしにとって、ジュンク堂大阪本店は心のオアシスでしたよ。あそこの広場みたいなところで同僚とよくお弁当を食べていた、ミレニアム頃の思ひ出。


閉店の日、ちょうど新宿でスペイン語教室があったので学友(笑)と連れ立って、最後の雄姿を見に行きました。
紀伊國屋がポイントカードを作ったせいで、そしてブックファーストがJALのマイル特約店だったせいで、しょっちゅう浮気していたけれど、純粋に本屋としていちばん気に入っていたのはジュンク堂でしたよ。
何せデカい。それも、横に広くて階を何度も行き来する必要がない。碁盤の目の如く整然たるレイアウト、異様なほどの品数、物色のしやすさ。それに何と云っても、『女ひとり旅読本』も面出しで置いてくれていた!(今のは多分に私見)
例えばけいぶん社のように、徹底的にセレクトされた本屋とは逆ともいえるアプローチで、新鮮な(つーかマニアックな)本との遭遇がたくさんありました。ここに来れば必ず、新しい本がわたしを呼んでくれる気が、いつもしていました。
ネット上では、怒涛の閉店フェアのことが話題になっていたようですが、フェアをやっていなくても十分いい本屋だったと思います。
けいぶん社やヴィレッジバンガードが店員のむき出しの愛とセンスを媒介として本と出合う本屋の最右翼だとしたら、こちらは穏やかな愛で静かに導くイメージの本屋。図書館にも似ているけれど、図書館ほど他人行儀じゃない(図書館の本って、個人的には遠いもののように思えるんですよ。無料でなんでも借りられるけど、返さなきゃいけないから)。大いなる本の神が「さあ、どこへ行ってもいいんだよ」と見守る中、わたしは特別な1冊(3~4冊でもいい)を見つけるために棚から棚へと遊泳するのです。ああ、なんか表現がキモくなってきました…。


夕方に行ってみると、閉店バブルでバカ売れしているのか、単に在庫整理が追いつかないのか、これまで見たこともないほど本棚がガラガラで、隙間だらけになっていました。
そんな状態でも、改めて本棚を見てみると、まあよくこんな本があるな! と唖然とするほかない物量と品揃えで、「ああ、やっぱすごい奴だったんだな君は…」と目頭が熱くなりました。
特に専門書の棚は宇宙空間ばりにすごいよ。<カオス・複雑系>っていうジャンルの学問がこの世にあるなんて知らなかったよ。でも、さすがに未知すぎて買えなかったよ。
別の用事が入っていなければ、閉店までずっと見守りたかったです。そしたらおそらく、散財が止まらなかったでしょうが。あちら方面のマンガの棚とか、ここぞとばかりに物色したかったわ(ボソ)。


本好きの端くれとしては、リアル書店vsネット書店みたいな比較は、どうも空しく感じられます。
Amazonで出合えた本も星の数ほどありますし、本屋をさまよったからこそ見つけられた本はそれ以上にたくさんある。
だから、どちらかが栄えればどちらかが衰退して…ということではなく、うまく共存できたらいいのにと思います。
しっかし、まさか次が家電量販店になるとはな~…。今さら感満載というか、西口に行けばいくらでもあるから特にありがたみもないというかで、何だかモヤモヤします。そのうちそこに家電量販店があることにも、慣れてしまうのだろうけどね…。


でもまた、新宿に戻って来てね、ジュンク堂さん。

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2011年01月24日

江とナポレオン…って、何のカンケーがありまんのや;

テーマ:読書

み、みなさま、明けましておめでとうございます!


…え、何を寝ぼけてんのかって?
お前はもう死んでいるんじゃないのかって??


ブログって、いったん止まると復帰しづらくなりますね☆(って、何を今さら…)
更新されないブログって、まるで借金のようなもんで、もう、ある時点から思考停止状態というか恐怖症というか鬼門というか、そんな感じになってしまいまして…。
でも、書かなきゃ書かないで、別の意味で心の負担になるわけで。プロじゃないからやっぱね…、結局は自分の意志でどうにでもなるシロモノなわけで。更新できない→意志が弱い→自己嫌悪→更新できない…というデフレスパイラルになっておったわけです(汗)。
で、毎度こういうふうに更新をサボったときに、不特定多数の人に対して「すみません」って書くのは正しいのかどうかと悩みます。
あ、そうか、期待をしてくださっている方にはすみませんでした! ですね。や、ほんと、失礼しました。。。


さて、遅まきながら今年1回目のブログは、「今年の大河ドラマ、どないなっとんねん!!!(怒)」というお話です。
ほんとは先週アップしようかと思ってた、けど、いちおう3回までは観てから判断を下そうと、モヤモヤモヤモヤ時を待っていたわけです。で、3回目を観て意を決しました。
いや、過去作品だって、ツッコミどころは満載でしたし、完走できずに終わることもしばしばでしたよ。それでも最初の数回は楽しんで観ていた、と思う。
NHKは先日の受信料の件もあるから、余計に怒りが倍増して体内に活性酸素が噴出しまくりだよ。。。


思えば、第1回からうっすらヤバイ空気は発していたのでした。
万福丸の存在がなかったことになった時点で「むむ…?」と違和感を覚え、ツイッターで思わずちらりとこぼしたのですが、まあこの件は、お市の方の子ではない説もあるから、そっちを取ったのか? と解釈して消化したのです。
それならそれで、嫡男のいない正妻が、いくら戦時下だからって子ども堕ろそうとするか~? とか、別の疑問も湧いてきたわけですが、万一信長が負けたときにその子が浅井家でどんな仕打ちを受けるかとか考えちゃったのかな? と脳内補正をしてみたりしてね…。
第2回でも、北大路欣也が急に真面目な顔して「この姫(江)は織田様に似ておられる…」なんてつぶやいたり(何を見てそう思ったんだ!?)、江がいきなり織田信長の寝所を訪ねていったり(その前に秀吉にウキャーと飛びかかるシーンあり)と、ある意味コントな場面が随所に散りばめられ、ますます首をひねることになったのですが、第3回はダメ押しだった…。
何がダメって、云っちゃなんだが全体的にチープで白ける。状況、セリフ、人物設定……第3回は正直、再現ドラマかSF設定の歴史探訪番組かと思ったわ。視聴者に歴史を解説しているかのような質疑応答の嵐。ドラマなんだから、説明じゃなくエピソードで見せてほしかったのに…。


ある程度のフィクションや無理設定はアリだと思うし、むしろフィクションや架空の人物が面白かったりドラマに厚みを持たせることもあるでしょう。
でも今回のドラマにはそれが…ないと思う。万福丸を端折ったのは、単に出すのがめんどくさかったか、“三姉妹”を強調したかったか…としか思えん。
6歳の幼女がやたら城の中枢部を歩き回ったり、政治的なことを嗅ぎ回ったりするのも、歴史的背景の説明にただ主人公をレポーター代わりに持ってきているだけでは? という魂胆が見え透いて萎えてしまいます。
そんな6歳の幼女を、上野樹里がむりやり演じているのも、観ていて気の毒ですらある(苦笑)。当時10歳くらいの茶々=宮沢りえにいたっては、半端丈の着物の裾から見える足をどうしても直視できません。
『独眼竜政宗』で、少年役から成人の政宗=渡辺謙に変わったときは、まさに“満を持して”という感じで胸が震えたもの。今思えば、幼年→少年→成年というあの描き方はすごく贅沢だったのかな…。
せめて、上野樹里を最初っから使うなら、子ども時代をある程度、端折るべきなんじゃ?それをあえて出しているのは、信長と絡ませたい意図が見えすぎてまたもや白ける。
(江にとって)信長を大きな謎として描くってスタンスは悪くないんだけど、肝心の“謎”があんまし謎として迫ってこないのですよねー。そもそも、信長がそんなに超越的なキャラに見えないし。。。登場シーンで軽いロックが流れてくることからしてもう、出オチかよと(苦笑)。映画『マリー・アントワネット』でも意識してんのかしら?(あれも中味はペラかったが、映像は目の保養になった)


たぶん今後は、「何でも解決しちゃう(=だって信長様によく似た天才の姫だから♪)スーパー姫さま」ってことになっていくんだろうかね…。まあ、昨年の龍馬だってスーパーミラクル龍馬だったけどさ。
結局、わかりやすいヒーロー(ヒロイン)じゃないとお茶の間には受けないってことなのでしょうかね。それも、30文字以内で説明できるくらいの。で、テーマは「家族愛」ですか?
同じ戦国で女性主役モノなら、大和和紀の『イシュタルの娘』(まんが)の方がまだ無理がなくて楽しめました。ていうか、なんかちょっと、於通と江の立ち位置が心なしか似ている気が…。
とさんざんコケにしましたが、どこかで名作に化けたらすみません(0゜・∀・)


口汚く文句を書き散らかしたので、口直しに、面白かった歴史まんがをご紹介することにします。
先月よりわたしは、漫画本を買い集めることを己に解禁したのです。これまでは主に収納面での困難と、文字の本に比べすぐに読み終えてしまうコストパフォーマンスの悪さゆえに避けておりました。しかし、「うーあのマンガ気になるなあ…でも漫喫に行くのは面倒だなあ(その漫喫にない可能性もあるし)…でも買うのはちょっとな…」という懊悩を繰り返しては、買うことも漫喫に行くこともせず、気になったまま1年経つといったことが多発しているため、それでは時間がもったいないと思い直した次第です。
え? 断捨離はどうなったのかって?? そ、それは服飾の方で努力を…と思ったらバーゲンで×××(以下、強制終了)


その一環として早速コンプリートしたのが『栄光のナポレオン』。
こちらは、ベルばらの作者・池田理代子先生が満を持して発表した歴史大河ロマンでございます。ていうか知らなかったYO! ナポレオンのまんが描いてたなんて! うれしすぎるじゃないかー!
このまんがは、ベルばらの続編とも云うべき位置づけで、まえがきにもこのように書かれていました。
「『ベルサイユのばら』を描き終えたとき、実は続いてフランス革命史を掘り下げながら『ナポレオン』を描く予定であった。けれど当時二十六歳の私にとって、それはまさに、訓練も装備もなしにヒマラヤに挑むが如き望郷に等しいものであった。」
それから12年後にこのまんががスタートすることになるのですが、それでも「今、十分に『ナポレオン』は私の中で醸成されたのかと問われれば、自信はない」とどこまでも謙虚な池田理代子先生。「歴史が苦手で、歴史を無視してドラマをつくっていった」なんておっしゃる脚本家先生との対比が眩しすぎます。


確かに、ナポレオンという人はよくわかりません(あ、これ江が連発していたセリフだな、ちっ)。
わたしは部屋に「アルコル橋のナポレオン」(複製画ではなくA4のチラシですが…)を貼ってあるくらいナポレオンの顔が好きで、その昔、ルーブル美術館に飾ってあったこの絵の習作を見、ハートを射抜かれたことを今でも鮮明に思い出します。
そのわりにはナポレオンの墓があるアンヴァリッドにも行っていないし、「一介の軍人から皇帝にのぼりつめ、その後失脚して島流しに」というざっくりした流れは知っていても、何ゆえ彼は英雄なのか? どうして皇帝にまでなれたのか? 彼の理想とは何だったのか?…といった点はわからないまま、今にいたるまで実に生半可な興味しか持っていませんでした。


やーしかし、ナポレオンはなんと面白い人なのでしょう!! 超平凡な感想ですまんが!!
革命後のフランスをまとめ上げた英雄? ヨーロッパを大戦争に巻き込んだ悪人? 数学が得意な理系かと思いきや、詩作をし文学者を志したこともある文系でもある。純粋な理想に燃え誇り高く、一方では権謀術数を巡らせしたたかに立ち回る…。
汲めども尽きぬ謎のキャラクターに加え、死後の歴史の数奇な成り行きまで、ドラマチックにも程があります。
このまんがでは、そういうややこしいキャラとさらにややこしい歴史がうまくひとつの流れにまとめられており、ナポレオンとその時代を知るにはうってつけの良作でした。
分かりやすいけれど決して浅くない。基本的にはかっこよく描かれている主役のナポレオンも、ただかっこいい英雄ではなく、失脚へ至る暗い影が点々とちらついていてハラハラします。
これでわたしのナポレオン熱は急激に高まり、1冊でひととおりは把握できそうなビジュアルブック『皇帝ナポレオンの生涯』を買って読みふけり、今は『ナポレオン言行録』と『ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争』(後者は『ワル姫さま~』の作者による)を注文中。


歴史好きと云ってもわたしは、各戦争の陣形や戦況などをそこまで詳しく知りたい方ではないのですが、ナポレオンに限っては、ひとつひとつの戦争についての起承転結を知りたい(もっと云えば、誰かにわかりやすく解説してもらいたい)。
そういう意味では『ナポレオン 獅子の時代』も読んでみたいですね。でも、『北斗の拳』ぽい絵(※作者は原哲夫の元アシスタント)でナポレオン戦争を味わうのはちょっとクドそう…(笑)。あとは学術書で『ナポレオン戦争―欧州大戦と近代の原点』も面白そう。10500円も出して読み切る自信がないけど…。
わたしにとっては軍人としてのイメージが強かったナポレオンですが、かのナポレオン法典を築いた政治家としての側面も見逃せません。彼が目指していた理想は、今のヨーロッパの重要な礎に、間違いなくなっているように思えるからです。皇帝になってからのビジュアルが今ひとつなので、前はあんまり興味なかったんだよな…(笑)。


副読本として『恋するジョゼフィーヌ』を読むとさらに楽しめます。
こちらはタイトルのとおり、ナポレオンの妻・ジョゼフィーヌが主人公。軍人でも政治家でもない、一人の男性・ナポレオンの恋愛生活が赤裸々に見えてこれまた面白い。
読みどころは何と云っても、ナポレオンがイタリア遠征時に彼女に送った(送りまくった)熱烈すぎる長文ラブレターの数々。
凡人が真似してもキモイと云われて終了しそうですが、ここまで一人の男に熱愛されたら女冥利に尽きそうです。
しかしその熱すぎる愛は、元来遊び人で浮気性のジョゼフィーヌにとってはたいそううっとおしく、「ナポレオンってヘンな人ね!」と一蹴。しぶしぶ結婚を承知したときも、「ああ、ボナパルト夫人なんて、ダサい名前…」とため息をつくのです。そこなんかい!(笑)
後年、この関係性が逆転していくのもまた興味深いですね。ナポレオンはどんどん愛人を作り、ジョゼフィーヌが嫉妬。最後には、半ば政治的な理由で離縁されてしまうのです…。


というわけで、今後もナポレオンへの興味の火を灯し続け、折に触れ関連書籍を読んで知識を増やす所存です。
しかしながら、飲み会などで「最近、ナポレオンにはまってて~」などと切り出しても、完全なる暴投と見なされ相手にしてもらえないのが寂しい…。わたしとナポレオンの話で盛り上がってくださる方、誰かいませんか!?

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2010年12月15日

歴史趣味はゴシップ趣味

テーマ:読書

「歴史は単なるゴシップにすぎない。」byオスカー・ワイルド


自分の"歴史好き"の根元を探ってみると、実はものすごく単純かつミーハーなゴシップ趣味だと思うのです。…というわたしの思いつきなど、オスカー・ワイルドはとっくの昔に看破していたようです(笑)。
幼少の頃、日本史にハマりすぎて、片時もまんが『日本の歴史』(小学館)を手放せず、祖父の家に帰省する際、親に「本は2冊まで」と忠告されたにも関わらずお腹の中にもう1冊、あれは忘れもしない第8巻の南北朝編を仕込み、青木港でバレて本でどつかれた苦い思い出があるくらい、歴史好き歴(ややこしい字面)は長いのですが、大人になって、いったい歴史の何が好きなのかと考えるに、有名人のあれやこれやを「へー」「ほー」「そうなんや~」とニヤニヤしながら知りたいだけなんではないか、と。
現代の、ハリウッドゴシップみたいなのも決して嫌いじゃないですし、ヤフーのトップに「AがBと熱愛報道」とあればとりあえずクリックしますし、水嶋ヒロ小説のAmazonのレビューもつい読んでしまうしで、要するに、下世話な好奇心がいつもいつも渦巻いている俗物野郎、あっ女だから乙女ですわね。俗物乙女なの。放浪乙女じゃなくて。
ただ、同時代人よりも歴史人物の話の方が安心して楽しめるというんで、歴史が好きなんだわね、きっと。


そういうわけで、わたしは歴史の本を読む際も、かなりミーハーです。
真性の歴史オタクは、司馬遼太郎の小説を全巻読破したり、ディアゴスティーニの「戦国武将データファイル」を購読したりするのかもしれませんが、現実の生活もあることだし、他の趣味もあるしで、そこまで深くは入り込めない。
で、好んで読むのが、列伝モノなんですね(と、歴史まんが)。
大河モノも好きなんですけど、広く浅く、かいつまんで知ることこそゴシップの楽しみ方であり、列伝系はゴシップ読み物としてもってこいの形態なのです。


最近また、こういう列伝系書物を乱読しているので、頼まれてないけど一部をご紹介いたします。
わたしはどうも、昔から女の人の列伝を好む傾向があって、女性が苦手と云いながらこれは不思議な嗜好なのですけど、まあ考えてみれば、雑誌も女性誌を読むし、服も女性物しか着用しないし(それは普通か?)…結局、愛憎入り混じっているんですかねえ。
でも、女の側から見る歴史というのは、何故か妙に面白いんだなー。


『独裁者の妻たち』
ロシア→米原万里→ルーマニア…の流れで買った本です。
いちばん読みたかったエレナ・チャウシェスクを始め、スターリンの3人の妻、フランコ将軍の妻、毛沢東夫人(江青)、チトー夫人…など、興味深い顔ぶれが並んでいます。
当然ながらここにはエヴァ・ペロンも名を連ねているわけですが、彼女の伝記は何回読んでも飽きませんねえ。この、善と悪、正義と欲望とがミラーボールのようにくるくると周って、正体の分からない感じに萌えます。


しかし、この本で最も鮮烈に印象に残ったののは、イタリアの独裁者・ムッソリーニでした。妻じゃないんですけど(笑)。
ヒットラーとの比較で何となくパッとしない、軟弱なイメージを抱いていたのでしたが、そいつぁとんでもない誤解だった!!
ファシズムはもともと、この人が打ちたてたものであり、ヒットラーの方がむしろ後塵だったのですね。ファシズムは、ムッソリーニが始めた時点では、ナチスの強制収容所の如き恐ろしい産物を生み出すようなものではなく、もっと志の高い思想だったのかも…という疑問が生まれてきます。
この本では、彼の正妻と、有名な愛人(ムッソリーニと一緒に処刑された。この処刑の写真がまた凄まじい…)についてそれぞれ章を設けていましたが、正妻のラケーレが、夫について語った言葉が非常に印象的でした。
「三六年間わたしはあなたのかたわらで暮らして、あなたの困難なたたかいを、苛酷なお仕事をよく知っています。そして、生身の松明として祖国を見守ったあなたの燃えるような意志の力のことも」
歴史的な善悪はともかく、ムッソリーニはなかなか魅力ある男性だったのだなあと、見方を改めさせられます。彼自身の伝記もそのうち読んでみたいです。


『「ワル姫さま」の系譜学』
これはほとんどジャケ買いでした。
装丁自体の美しさもさることながら、タイトル(テーマ)との合致ぐあいも素敵ですね。女性誌『FRAU』で連載されていたようです。
内容はというと、フランス王室とその周辺の女性列伝です。
実はこれを読んだのはロシアに行く直前でして、今からロシアに行く人間が、何でせっせと450Pものぶ厚い本を読んでわざわざフランスの歴史を学ぶねん! せめて『オルフェウスの窓』にしとけよ! と自分を激しく責めましたが、しょうがない、本棚からオイデオイデされてしまったのだから…。


この本には、27人の「ワル姫さま」が登場します。
カトリーヌ・ド・メディシスやメアリ・スチュアートなどの超有名どころはごく一部。ガブリエル・デストレ、ディアーヌ・ド・ポワティエ、マルグリット・ド・フランス(王妃マルゴ)あたりの、名前は何となく知ってるけど…で、何した人だっけ? な人に加えて、半分くらいは存在すらも初めて知るような女性たちばかりです。が、誰も彼もがまるで蔦のように、歴史のメインストリームに絡みついているのが面白い。一部を除き、ほとんどの肖像画が掲載されていて、ゴシップ好きにはうれしいオマケです。


ワル姫ばかりを集めているだけあって、大半の姫が性悪なんですが(笑)、中でも、ルイ十四世の愛人だったモンテスパン侯爵夫人の下衆っぷりは清清しいくらいです。最初に登場するイザボー・ド・バヴィエール(シャルル6世妃)や、ロングウィル公爵夫人(ラ・ロシュフコーの愛人)もかなりの曲者ですし、ニノン・ド・ランクルくらいでしょう、今の世で、安心して目指してもよさそうなのは…。彼女の美貌の秘訣であるマッサージ方法も簡単だし。
それにしても、何てタフな人たちなんだろう。それぞれキャラは違っても(昔も今も、肉食がいたり猛禽がいたりしたのだね)、このえげつないまでの生命力、ある意味、女の鑑だわー。
そして、性悪だからこそ数々の逸話やドラマも生まれ、450Pのボリュームを三晩で読み終えるくらい面白くなるわけです。また、彼女らと対になる男どもが、心なしか変態気味なもので(笑)ネタが尽きません。これぞ恋愛の国の底力と云うべきか…。


わたしも本っ当に性格が悪いくせに、それをひた隠しにして生きているつもり…が、実はけっこうバレバレという見苦しい状態なのですが、どうせ性悪なら堂々と悪い方が、かえって天晴れなのかも。でも所詮、小市民なのよねん(苦笑)。


ちなみに、何故かいちばん頭にこびりついているエピソードは、ブルボン王朝の始祖・アンリ4世がひどい脇臭だったというものでした。。。だから何!?(笑)


『乙女の日本史 文学編』
ヒットした前作に続く、第2弾。
著者の、乙女的というかおばさん的というか(笑)な、歴史=ゴシップを見事に体現した週刊誌視点がけっこうツボります。この人の手にかかると、どんな歴史的事件も格好のゴシップになり(笑)、どんな古典もエロスと笑いに満ちた読みものに。「浦島太郎」の原作に、太郎さんと乙姫さまが“交わりの限りをつくした”という記述があるのには笑いました。
歴史的事件の大半は、当時はきっとゴシップだっただろうし、文学は世相を生々しく映す鏡だったのでしょう。だから案外、その時代にはこういう視点で解釈されていたのかも、と思います。


この著者が、女性ではなく男性であるのは興味深いですね。
ゲイではないと思うのですが、非常に女子的なココロをお持ちのようです。いったいこういう視点はどのようにして養われるのでしょうね?
わたしも、バイセクシュアルという意味ではなくて、両性を行き来できるやわらかい感性が欲しいです。というか、性を超越したいです。


前作もそうでしたが、このページ数(256P)で古代から近代まで嘗められるのもオトクでいい。前作は、他の本やドラマなどで時代の流れを整理して把握したくなったときに、ハンドブックとしても活用しています。


『「怖い絵」で人間を読む』
ヒット作『怖い絵』シリーズのダイジェスト版ともいうべき一冊。
さる飲み会にて、さる歴史好きの青年に薦められ、これは間違いなく面白そうだとその日のうちに買いに走ったという本です(閉店5分前でした)。
美術から歴史を見るというコンセプト、もうそれだけでゴシップ心をそそるではないですか~!
ハプスブルグ家の近親結婚にはじまり、マリー・アントワネットの処刑、ロマノフ王朝のクーデター…などなど、歴史的に、いやゴシップ的に第一級の事件が、これまた第一級絵画とリンクしていくのですから、面白くないわけがない。
先日、トレチャコフ美術館で見てきたイリヤ・レーピンの解説もあり、なんちゃって美術好きのわたしにはちょうどよい、マイルドな知識を新しく仕入れることができてよかったです。
『怖い絵』シリーズもケチらずに買って読もうかなあ。でも3冊集めるとまた本棚がなあ…。


わたしは曲がりなりにも、世界四大美術館を制した女(それくらいしか制したものがない…)であるのに、肝心の名画についての記憶はかなり偏っています。
ていうか、こないだ行ったエルミタージュもそうだけど、絵があまりにも多すぎるのと、予備知識が乏しすぎるのとで、記憶容量的にも感受性的にも、ほとんど刻み込めないで終わってしまうのよ!
しかし、この本を読むと、それがいかにもったいないことかと、しみじみ嘆かずにはおれませぬ。
ベルギー王立美術館に行っておきながら、クノップフの『見捨てられた街』についての記憶がないとはな~。美術好きを名乗るのが憚られる失態です。プラド美術館では『カルロス二世』や『運命の女神たち』も生で見ているハズだよね??
…むう。あの日に帰って、今一度確認したい…。

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2010年11月03日

高潔に生きられないという悲しみもある…かもね

テーマ:読書

ロシアと云えば、読んでおきたい米原万里。
てことで、長い間、積ん読本の山に埋もれさせていた『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を読みました。
正確には、3章から成るうちの1章を、3か月くらい前に読んだのですが、非常によくできた、読みがいのあるノンフィクションだなあという感想を抱いたにも係わらず、続きを読むのを怠っていたのです。
ところが、残りの2章の方がさらに面白かったという誤算!
ちょっと調べれば、この内容がNHKの番組企画を基に書かれた本であることがわかって、ほんの少し興ざめもしたのですけど(いかにも素人くさい感想ですまん)、それを差し引いても秀逸な内容でした。
プラハのソビエト学校に通っていた子ども時代の3人の級友を探すという個人史的な体裁を取りながら、次第にそのストーリーが東・中欧の激動の歴史に肉薄していくさまは、非常にダイナミックかつスリリング。この、マクロとミクロがリンクするさまは、そのまま人の生の面白さであるとも云えそうです。


ヨーロッパを旅する前にこの本を読んでいれば、視点も多少違ったかもなあ、と悔やまれます(でも、この本が出たのが2002年だから、どの道ギリギリ間に合わなかったんだけど)。
わたしがこれまで旅してきた国の中で、唯一、この世にもう無い、ユーゴスラビアという国。この本の舞台となっているベオグラードにも行きました。サラエボで見たオスロボジェーネ新聞社と、その隣にある大きな廃墟。そこで子どもにたかられましたっけ…。モンテネグロをバスで通過したとき、「モンテネグロって、何じゃ?」と思った自分の無知さかげんも今は懐かしいです。


どの章も面白かったのですが、特に印象に残ったのは、表題作でもある第2章でした。
3つの中で、いちばんモヤモヤする話でありながら、それゆえにか読後、心の中でいろいろと渦巻くものがあり、翌日にはとりあえず、ルーマニア革命の映像をYoutubeで見漁りました。それでモヤモヤが解消されはしないのですが、闇雲に、とにかく知らなければ、という気持ちが働いた…ような気がします。


<※多分ネタバレになりますので以下は適当に読み飛ばしてください>
主人公アーニャは、ルーマニアの特権階級の家庭に生まれ育った娘です。ルーマニアを愛し、最高の国だと信じて疑わないアーニャは、クラスメートの前でも共産主義的言辞を嬉々として繰り返していました。
著者は30年後に、彼女のルーマニアの実家を訪ね、実家とは決裂状態のアーニャの兄に会い、最後にプラハでアーニャと再会します。
そこで著者が知るのは、チャウシェスク政権のもと、多くの国民が貧困にあえぐ中で、両親は特権を享受し続けていること、アーニャはイギリスに留学して(庶民では絶対に不可能)、そこで家庭を築いていること。ただ一人、兄だけが特権を放棄し、ルーマニアの一市民として生きていること。などでした。


著者は、アーニャの変わりように、両親の狡猾さに驚き、怒りにも近い感情を抱きますが、わたしは、アーニャの両親の、正しくはないという自覚がありながら特権を手放せない弱さに、ウソの上塗りをするアーニャの“空虚な正義論”に、賛同はできないまでも、心を寄り添わせてしまいます。
人間とはそれほど、一貫性のあるものではなく、その都度、自分にとっての正義を更新して生きていくことを、必ずしも卑怯だとか、無責任だと断罪することはできないのでは、と思ってしまうのです。
そもそも一個人が、生まれた瞬間から多くの外的要因のコラージュによって形成されていくものだとしたら、その“実体”とは果たしてどこにあるのでしょうか。であれば、責任とは何であり、どこに帰するべきなのでしょうか。
自由や平和を享受できる環境ならばまだしも、国や民族、特異な社会情勢や家庭環境に翻弄される人間が、しばしば狡猾に、時には悪事に手を染めながら生きていくことを、個人の資質に帰していいものか……しばしば判断に苦しみます。


「民族や言語なんてくだらない」と云ってはばからない元・愛国主義者のアーニャに、「母国の文化や歴史から完全に自由になるなんて不可能。そんな人は紙みたいにペラペラで面白くない」と反論する著者。
ここでは、そんなアーニャの人生こそが誰よりも民族的なものに縛られているという矛盾が描きだされますが、一方で、貧しいルーマニア国民を尻目に自分の娘だけを助けた(逃がした)アーニャの両親に対する非難めいた感情は、著者の主張との若干の矛盾を感じもします。自分の家族を愛する気持ちと、自分の国を愛する気持ちは、さほど乖離しているものではないとわたしには思えるのですが…。
娘を留学させるために、チャウシェスクに頭を下げに行ったという父親が、もし自分の父親であったら…。悲しい愛情ですが、それを軽蔑することが出来るでしょうか。
人間はある意味で強いけれど、ある意味では弱い。と考える時わたしは、したたかさや図太さという意味での強さ(生命力)と、高潔さや一貫性という意味での弱さ(精神性)というものを痛感します。そして、興味深いのはそういう部分なのかなと思います。


なんかこの本のせいで、ロシアよりもむしろルーマニアに行きたくなってしまいましたが(前の旅で行くつもりだったのに、手前のブルガリアで両替詐欺に遭ってやめたのよね~;)、本の全編に通底している“共産主義”(著者の思想的に、という意味ではありません)の親玉みたいなロシアの空気を吸いに行くというのも、自然な流れかも知れません。
それにしても、ヨーロッパ史は何でこんなに面白いのでしょうか。以前は、中世~フランス革命くらいまでしか興味がなかったのですが、近代史の激動ぶりは、ドラマ的な面白さもさることながら、国とは、民族とは何なのか? 正義とは? 思想とは? 愛国心とは? 共存とは? …なんて壮大な(笑)問いを次々と投げかけて来て、興味が尽きません。日々の生活では見えなくても、歴史の大きなうねりの中に、自分も生きているのだなあと、ふと考えさせられます。

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2010年09月13日

森茉莉の乙女っぷり

テーマ:読書

金子光晴と森茉莉。全集を買い集めてもいいと思っている日本の作家はこの2人だけです(などと書くとまるでいっぱしの読書家のようですが、他の作家はよく知らないだけでして……。現役の作家については心が定まらないので除きます)。
前者が旅人としての憧れだとしたら、後者は乙女としての憧れの存在。自分のホームページタイトル「放浪乙女」とは、この2人への憧れをくっつけたものである――とはまあ完全なるこじつけですが、そう云うことも出来そうです。
両者に共通するのは、どちらもかなりヤバめのダメ人間であり、そのくせ(そのぶん?)誰も到達しえない唯一無二の文章を書くという点です。
二人の文章は、名文の定義からすれば外れているのかもしれません。非常に読みづらく、決して一気に読ませるようなスピード感はないけれど、酔わせることにかけては天才以外の何ものでもない。気がついたら身体に毒でも仕込まれたかのように虜(読者)になってしまい、多分、一生ついて行くことになるでしょう……。
色が浮かび上がるような文章というんでしょうか。モノクロかカラーかで云うと間違いなくカラーの文章。そのきらめき方にはただただ呆然、恍惚とするばかりです。


今回は後者、森茉莉のことを少し(何故急に? それは、最近立て続けに森茉莉(関連)の本を読んだからです)。
世に乙女と呼ばれる人たち、或いは現役の乙女たちのアイコン的乙女は、故人も含めてたくさんおりますが、森茉莉は乙女のひとつの極右に位置付けられるのではないでしょうか。好き嫌いは別として、ここを通らない乙女はいない、と断言してもよさそうです。
彼女の乙女っぷりを示すエピソードは枚挙に暇がありませんが、わたしが最も感嘆するのは、「贅沢貧乏」の実際の部屋(自宅)が凄まじいゴミ屋敷だったという話です。
矢川澄子の森茉莉論『父の娘たち』にも、オブラートに包みつつもそのことが書いてありますが、全く、このネタは何度読んでも痛快であり、やっぱり彼女の乙女っぷりは他の追随を許さないなとしみじみ思うのです。
他人から見ればみすぼらしく乱雑きまわりないアパートの小部屋が、彼女の手(文章)にかかれば、まるで路傍の石を天上の星に変えるの如く、美と退廃に満ちた貴族の居室になる。レトルト食品もサヴァランの御馳走になる。これこそ魔法の手と云わずして何と云いましょうか! 或いは、凄まじく強靭な乙女力とでも云えばよいでしょうか。それは、「ちょっとしたアイデアで暮らしが豊かになります♪」的な生活テクニックでは到底及ばない領域の話なのです。
乙女とはやはり精神のあり方なのですね。でも、あのような鋼鉄の想像(妄想)力を堅持しながら殺伐とした現実世界を生き長らえることのできる乙女は、そうそういるものではなさそうです……。


そう云えば、森三中の黒沢かずこは相当な汚部屋に住んでいるそうですが、あの3人の中で彼女だけが独身であり、全てのネタを作っていることを考えても、彼女はなかなか乙女度の高い人ではないか……と勝手に推測しています。別に、独身であることや部屋が汚いことが乙女の条件ではないでしょうけど(笑)。
……え? ここまでの文章は自分の部屋の汚さを必死にフォローしているだけじゃないかって???
いや、わたしの部屋も、キレイか汚いかで云えば後者に違いないけれども、どうもただ散らかっているだけでそこに大したストーリーもないので、中途半端で見苦しいばかりです。。。
よし、わたしも部屋にきのこが生えてくるまで、もっと徹底的に汚そう!(?) と思いつつ、わたしの貧困な想像力では、汚部屋をメディチ家の居室にすることはとても難しそうです。


余談:矢川澄子は森茉莉とはまた別な乙女の終着形態であると思うのですが、動物的性質という点におちて両者には乖離があり、それぞれの死に方があのように違っているのはそういうわけではないか……と愚測します。云い方を変えれば、森茉莉は痛々しくないけれど、矢川澄子は痛々しい、という差を感じるのです。

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2010年08月30日

唐突に、源氏物語のことなど

テーマ:読書

『源氏物語』が、来年、映画化されるそうですね。
主演、つまり光源氏は生田斗真。徳井氏と似ているという説を聞いて以来、わりと好意的に見ている俳優さんなので楽しみではありますが、他のキャストはどうなるのかなあ、という大きな心配が……。それに、超大作エンターテインメントというキャッチコピーにもかなり不安を覚えます(苦笑)。安部清明も出るとかって……何でっっ!?!
源氏物語のキャストは、NHK大河ドラマ並みに気合いを入れてくれないと、小学生の頃からの源氏好きとしては納得できませぬ。
昔、東山紀之主演でドラマ化されたときも、天海祐希主演の映画も、いろいろ納得いかないことばかりでした。で、自分で勝手に配役を考えたりしたっけね(笑)。
大河ドラマは実在の人物しか取り上げないとか、フィクションとは云え天皇家の不倫なんか書いてるから国営放送では難しいとか、いろんな事情があるのでしょうが、いつの日か大河ドラマで豪華絢爛な源氏物語を観られるといいのに……というのが幼少の頃からの切なる願いです。


さて、気まぐれに訪れる歴史ブームと同じく、このニュースを知ったことで第?次源氏物語ブームが起こり、そろそろ原文で読破しようなどと殊勝なことまで考えております。…ってまたそんな時間のかかる目論見! しかも、ブームが再来したことで、新たに関連書籍を読んだり、ネットを巡回したりとただでさえ忙しいのに!(苦笑)


多くの女子たちがきっとそうであるように、わたしもご多聞にもれず『あさきゆめみし』を入口に、源氏物語の世界を知りました。
それより前に、子ども用の文学全集みたいな本(有名な章のみのダイジェスト版)で読んだ際は、「何じゃこの退屈な話!」と思ったものでしたが……マンガで読むと、なんという面白さ!!!
最も、小学生の頃は、エロ本代わりに読んでいた部分も大いにありましたが(少女漫画なので描写は大したことないんだけどね)、それを差し引いても、華麗で、ドラマチックで、夢のような物語に、他のどんな少女マンガも色あせるほど、傾倒したのでした。
当時は7巻が最新刊だったかな(「藤裏葉」~「若菜 上」のあたり)。ほどなくして、友人が既刊を全巻揃えてくれ、その後も新刊が出るたびに借りて読んでいました。そして、高校生くらいになって再び全巻を借りたが最後、やっぱり面白すぎて10年くらい借りっぱなしになってしまいました。。。
さすがに大人になったので、今は自分用に美装ケース入りの文庫コミックを買って、手元に置いております。
現代語訳は、読みやすい田辺訳と、瀬戸内訳&橋本治の「窯変 源氏物語」の一部しか読んでおらず、原作に関してはあまり真面目に取り組んでいませんが(せめて原文の前に谷崎訳くらいは読むべきか…)、源氏関連本(解説本など)はけっこういろいろと読みました。一部マニアに有名な「源氏物語占い」も本まで買って、そのとき好きになった相手をいちいち占っていたわ…。ちなみにわたしの結果は、“明石の君”でした(合ってるようなそうでもないような)。


何度味わっても源氏物語は底知れぬ面白さで(まあわたしの場合、ほとんど『あさきゆめみし』ですけども…)、現存する中で最高の恋愛小説のひとつだよなあ、という確信を深めるばかりです。
しかも、読むたびに強く思い入れる人物や場面が変わるという、「一粒で何回美味しいねん!?」な減価償却の低さ(?)も素晴らしい。
例えば昔は、紫の上みたいな“非の打ちどころのない優等生”キャラにはつゆほども興味が湧かなかったのですが、三十路も数年過ぎると、紫の上に「女の一生」(あるいは女が逃れられない業)というものをまざまざと見るような気がして、胸が痛くなったりして…。
もう数年前は、柏木の登場から死までがいちばん好きだったし、宇治十帖に通底する静かな情熱に心惹かれる時期もあったし、ずっと遡って子どもの頃は朝顔とか夕霧みたいな真面目な地味キャラがお気に入りだったっけ……。
そのうち、朧月夜とか六条御息所に感情移入できる日も来るのでありましょうか。 女の極右みたいなこの2人のキャラには、物語的には面白いけれど、どっぷり共感できないのだ~……。こんなふうに“恋に生きる”キャラは、自分とはかけ離れすぎているよのなあ。


本当に面白く、かつ飽きない物語というのは、下世話さと高貴さが自然に同居しているものだと思います。
源氏物語はまさにそのお手本のよう。恋愛指南書のように軽くも読めれば、人の生死の深淵を描いた宗教書のようでもあり、エロ本のようでもあり(よく考えたらロリコンやら不倫やら近親相姦やら…官能小説に出てきそうな要素がてんこもりだす;)、華麗なる王朝文化カタログでもあり、残酷な因果応報の物語でもあり、キャラ萌えもできる……(以下∞)とは、なんという裾野の広がり方でしょうか。
そりゃあ1000年経っても愛読されるわけですね~。

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2010年03月18日

久しぶりに買った正体不明の漫画

テーマ:読書

最近、漫画に関するページを担当することになり(入社以来、初めての出来事である…そしてこれが最後かも)、漫画のことを考える時間がにわかに増えています。
この件でご協力いただいている方々には、この場を借りて御礼申し上げます。


わたしは、世間的に云うと中の上くらいの漫画好きなのですが、一人暮らしを始めてからは(さらに云うなら旅の間はもちろんのこと)、ほとんど漫画を買っていません。というか、買わないようにかなり自重しているのです。
何故なら漫画は、他の本とは比べ物にならない勢いで増殖するからです。実家であれば長編漫画でも次々とコンプリートすることができますが、極小スペースの東京のワンルームではとても保管しきれません。ただでさえ、収納全般で頭を悩ませているというのに…。
そんなわけで今は、
1.どうしても今すぐ読みたい
2.鉄板で名作
3.死ぬまで保管してもいい

の条件をすべて満たす漫画しか買わないことにしており、現在我が家にあるのは『アドルフに告ぐ』『あさきゆめみし』『残酷な神が支配する』『はみだしっ子』『エースをねらえ!』『チェーザレ』『僕の小規模な失敗(及び生活)』あとは単発もので『刑務所の中』『孤独のグルメ』、そして先日頂戴した『四丁目の夕日』のみ(あれ、意外と多いか?)。


そんなにも自分を抑えて暮らしてきたのに、つい先日、禁を犯して一冊の漫画を買ってしまったのです(お気づきのように、また前置きが長くなりました)。
仕事の資料を探しに(←タテマエ)本屋の漫画コーナーを物色していた際、わたしの目に強烈に飛び込んできた、風呂桶を抱えたダビデ像的な男が描かれたゲージュツ的な(?)表紙。
気になって水玉模様の帯(ムダに可愛いぞ)を見ると、「……好漢ルシウスの時空を越えた大冒険(風呂限定)が始まった!!」というコピー。な、なんだ!?(風呂限定)って??
(風呂限定)に激しく心を揺さぶられ、しかしいったんコーナーを離れて他の本を物色したあと、やはり気になって戻り、もう一度帯を端から端まで読み返してみました。
…むーん、なんか、超くだらなそうな予感もするな(爆)。でも、そのくだらなさに身をゆだねてみたい衝動がふつふつと湧き上がってくる。
まだ1巻しか出ていないみたいだし、装丁も美しいし、なんと云っても中身が気になってしょうがない!!袋とじ的に気になる!!狂おしく!!
はっきり云って、この状態は1の条件しか満たしていないことになり、本来ならばいったんアマゾンのレビューなどを見てから再検討するか、漫画喫茶で読むかするべきところなのです。
しかも、今回の仕事のヒントになりそうな要素はまるでなさそうなので、本当はこんな(ジャンルの)漫画を買って読んでいる場合ではないのです。


……てことで買いました。


読了(所要30分)。


な、なんというニッチな内容…。
くだらなそう、と思った予感は必ずしも外れてはいなかった(笑)。しかし、なんだろう、この絶妙なくだらなさは…。いったん読み終えて、15分後にもう一度開きたくなる感じは…。
帯にあるとおり、確かに(風呂限定)でした。
帯のオモテに「古代ローマの男、現代日本の風呂へタイムスリップ!」と書いてあるとおり、まさに、それだけの漫画なのであります。わたしがここであらすじを語る必要を微塵も感じない。
売れている漫画は「壮大なストーリー」か「日常をリアルに描いた」漫画のどちらかだと思い込んでいた中、こ、この単純でマイナーなテーマ&設定で、戦車のように1巻を押し通すとは…作者、恐るべし。
でも、古代ローマが舞台なので歴史好きの心もちょっとくすぐってくれるのであった。さりげなくハドリアヌス帝とか出てきちゃったりしてなんだかトクした気分になりました。最近、ランビ熱の影響で個人的にヨーロッパブーム来てるしな(笑)。


その漫画の名は…『テルマエ・ロマエ』。
“ローマの風呂”という意味のようです。タイトルまでもそのまんま!!どんだけ風呂!!


…しかし、これこそが本当の”癒し系漫画”なのかも知れませぬ。笑いの温度感もまさにそんな感じ。爆笑しないけど思わず噴いちゃう。
(風呂限定)ってコピーは何気にかなりの秀作だわね。
奥付を見たら6刷しているので、けっこう売れているようです。
かく云うわたしも、「月刊コミックビーム」の付録が“テルマエ・ロマエ手ぬぐい”だそうで(本の中にチラシが入ってた)、買おうかどうか悩んでおります…。


<追記>

売れているどころか、「マンガ大賞」を受賞ですって!!しかもこのブログをアップしたその日に!!

アマゾンのレビューも超高評価でしたね…。自分がまさか、こんなタイムリーな話題に乗っかることになろうとは思わなかった;


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