2014年11月27日

銭湯だけが楽しみさ

テーマ:上京後

お久しぶりでございます。。。
相変わらず時間にも心にも余裕がなく、ついに先月は1回も更新しないという未だかつてない放置プレイをやらかし、刻々と廃墟化が進んでおります当ブログへようこそ。。。

もうこのままフェイドアウトしようかしら…と思わなくもなかったけれど、なんか、この場を失ったらいよいよ仕事しかない人生になってしまいそうなので、勇気を出して(?)久々に更新します。

 

パンが無いならケーキを食べればいい。温泉に行けないなら銭湯に通えばいい。
ということで、最近の、わたしの数少ない楽しみは、銭湯です。
徒歩圏内に3軒の銭湯があることは前から知っていて、時折、気が向いたら足を運んでいたのですが、先月から新宿浴場組合が「ゆげじい祭り」というスタンプラリーイベントを始めたために、湯船好きかつスタンプラリー好きという二重の嗜癖を刺激され、毎週の休日にせっせと銭湯通いしております。
まあスタンプを貯めたところで、先着4000名にゆげじいグッズが当たるという特典しかないのですが、何ごとも、締切とか制限があるとしぜんに気合が入るもので、今までは漫然と近所の銭湯に行くだけだったのが、自転車で足を伸ばして新規開拓も試みています。
前に、職場周辺のショコラティエを毎日食べ歩いていたのと、やっていることは近いですね。根っからのスタンプラリー体質なんだと思います。旅行も、どちらかというとフラッグハンター傾向がありますしね。

 

新宿区に銭湯がある、というのが、またいいのです。
思えば、新宿に住もうと思ったのは、チュートリアル福田氏の影響でした。ラジオで昔、徳井さんと「東京に行ったらどこに住む?」というトークをしていて、徳井さんは“三軒茶屋”とわりと普通の回答でしたが、福ちゃんは“新宿”と答えていたのよね。徳井さんが「新宿なんか、人の住むとこちゃうやろ」とツッコんで福ちゃんがなんと返したのかは覚えていませんが、そのチョイスはやけに印象に残っていたのです。
実際に住んでみると、新宿(正確には新宿“区”だけど)はいたいそう便利ではありますがちゃんと暮らせる環境もあり、次もやっぱりこの辺に住みたいなあと思います(まあ飽きたと云えば飽きましたが…)。特に銭湯のある辺りは古い民家や商店が残っていることもあり、そういう場所に出くわすと、新宿の知られざるよさを勝手に発見したような気になって、奇妙に得した気分にもなるのです。
そんな(どんな?)、新宿区の銭湯を、ゆるくレポってみます。
休日の夕方に行くことが多いのですが、おお今日は空いてるな~貸し切り状態やな~ということはあまりなく、いつもそれなりにお客さんが入っています。大半、いや95%がご老人なのは、「ふれあいパスポート」なる月4回無料になる券を所持しているからなのか…?
何度も申し上げますように、人とのふれ愛が苦手なわたくしは、銭湯で人生の先輩方と裸のコミュニケーションを取るようなことも特になく、淡々と入浴を済ませて帰ることがほとんどです。ただ、一度ですが隣に座った湯婆婆のようなおばあさんが物も言わずにじーっとわたしを見ていたことがあって、言葉をかけるのも憚られるほど怖かったです。

弁天湯(余丁町)
住宅地のなかに燦然とそびえる煙突が目印。家から近く、前にも何度か行ったことがあるけれど、今まで行ったなかで最も設備充実度の高い銭湯です。ジェットバスの数と種類の多さ、薬湯、水風呂、サウナ(別料金)、そしてなんとっ、露天岩風呂まで! ほとんど屋根と壁で覆われているので、半露天、いや、1/4露天くらいですが、気分はちゃんと味わえます。先日の露天風呂は、ほのかに甘い香りのする「黒糖湯」でした。浴室は「竜宮の湯」「桃源の湯」と2つあり、男女日替わりになるそうですが、わたしはなぜかまだ、「桃源の湯」にしか当たったことがなく、「竜宮の湯」にあるという「オスマン風呂」を一度も体験できていないのがなんとも口惜しい…。脱衣所も広くて、清潔で、テレビが多い(笑)。健康ランドほどくつろげないまでも、コーヒー牛乳の1杯でも飲んでひと息つきたくなる銭湯です。

弁天湯 

塩湯(三栄町)
硬質なタイルの外壁に燦然と輝く看板がかっこいい、町なか銭湯。玄関の坪庭も洒落ています。ここは、新宿区ですがエリア的には新宿というより四谷ですね。後に紹介する若葉湯もそうですが、四谷の銭湯は、なぜかとてもお湯が熱い! 足を浸けた瞬間、思わず「ひゃっ」と引っ込めてしまうような熱さで、体まで沈めるのにしばし時間を要しました。こ、これが江戸っ子の銭湯というものなのでせうか…? 浴槽は2種類で、この日はヒアルロン酸湯でした。

塩湯 

若葉湯(若葉)
四谷と信濃町の間にある小さな銭湯。壁画はモザイクタイルで、馬に王女様だか女騎士だかが乗っている中世風?の絵が、子どもの落書きのようなタッチで描かれています。銭湯の壁画にこれを採用するとは、なかなか興味深いセンスです。番台もちょっと変わっていて、元々あった番台を壁で囲っているのか、おじさんがとても圧迫感ある空間のなかに押し込められていました。。。前述のとおり、ここもお湯が熱くてビックリしました。45度くらいあるのか…?

若葉湯 

  
大星湯(市谷台町)
ここも家から徒歩で行けるので、家風呂の延長的な感覚で、スタンプラリー以前からちょこちょこ行っています。新築っぽいマンションの1階という立地はやや珍しいですが、設備や脱衣所は広めで新しく、なんというかとても平均的な銭湯。ジェットバスにでんき風呂(入るとピリピリする)、サウナと水風呂。壁画は印象派っぽい構図のボート遊びの絵。
ところで、大星湯さんとは何の関係もなく、水風呂についてここでひと言、云いたいことを思い出しました。今年、登別温泉に行く機会がありまして、そこのホテルの風呂に温度32度くらい?の低温風呂というのがあったんですが、これがすこぶる気持ちよかったんですよ。アツアツの温泉・露天風呂をひと通り廻った後のこの低温風呂は、実に絶妙な温冷バランスでして、銭湯も、水風呂ではなく低温風呂だと最高なのになあ…と、毎度水風呂にチャレンジしてはやっぱり冷たすぎて挫折してしまうわたしは思うのでした。

大星湯 

柳湯(牛込柳町)
入口を入ると右に下駄箱、左に番台があるちょっと珍しい造り。浴槽は2つ、脱衣所も浴場もそれほど大きくはなく、壁画は竹林のウォールペーパーと、第一印象はあまりインパクトがなかったのですが、ここの売りはそんな上っ面ではなく、地下水をくみ上げて薪で沸かしているというこだわりの湯。土曜日の「生ハーブ湯」は、薬草の臭いがむんむん沸き立ち、むちゃくちゃ体に効いている感じがしました。肌もつるっとしたような気がします。

柳湯 

東宝湯(新宿)
ここは、銭湯じたいもさることながら、立地というか、風景がいいです。 階段になっている坂のふもとにちんまりとあって、その階段を上りながらふと後ろを振り返ると、ぽこぽこと群生する高層マンションの風景。銭湯の周りはどちらかというと三丁目の夕日的町並みなのですが、まるでそれこそ銭湯の壁画のように、夕靄にけぶるビルの背景は、やけにドラマチックに見えました。銭湯は浴槽が3つあって、ジェットバスも充実。

東宝湯 


蓬莱湯(四谷)
前の職場の通勤ルートにあり、何度か行ったこともある銭湯でしたが、今年の9月末を以て無期限休業に入っていました…!破風造り、木製ロッカーという風情あふれる建物、そして、番台から着替えが丸見えという昔ながら感。浴槽もシンプルに2つ。思えば、新宿にも銭湯ってあるんだ…と気づいたきっかけはここだったかも。併設のコインランドリーは現在も営業していますが、いつか銭湯も再開してくれるといいな…。

蓬莱湯 

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2014年09月30日

反逆の原宿

テーマ:かわいいもの

今日は珍しく、比較的オンタイムの話題をば。
昨夜、NHKで放送された「ブレイクスルー」という番組をご覧になった方はいらっしゃるでしょうか? きゃりーぱみゅぱみゅのアートディレクターとしてすっかり有名になった、増田セバスチャンのドキュメンタリーをやっていまして、今回のブログタイトルは番組のコピーから拝借しました。実際は、「反逆の原宿“カワイイ”」でしたが、「反逆の原宿」というひとまとまりの響きが、何だかいいなと思ったもので…。

原宿の職場を離れて半年弱、MILKの展示会とラフォーレ原宿のバーゲンだけは這ってでも参加しているけれど、原宿で買い物する頻度はぐっと減りました。厚底靴を履いたりデコった名刺入れを使ったりしていると注意される現在の職場で、息をひそめながら(?)手持ちの服を駆使してなんとかやり過ごしている今、新しい服を買うにもいちいち「これは会社に着ていけるのか否か?」を真っ先に考えてしまいます。しぜん、いかにも原宿的な装いからは遠ざかり、このままわたしも大人になって(もういい大人ではあるが!)エレガントな装いとやらに移行していくのだろうか…とため息まじりに思う日々を送っていました。
しかし、こないだ、MILKの予約商品を取りに行くついでにラフォーレ原宿に寄ったら、相も変わらずキラキラとかわいいものがてんこ盛りになっている様子を見て、まるで麻薬でも打ったようにハイになりました。自分の心と脳がすーっと解放されていくのをひしひしと感じ、うっかりJane Marpleで予定外の買い物までしてしまいました。まあそれでも、「会社に着て行けるかどうか」は考えざるを得なかったのですが、やっぱりわたしは、原宿とそのファッションを愛しているのだ!ということを痛感した機会でした。

昨夜、番組を見ながら、わたしはそのことを思い出し、自分がなぜ「かわいいもの」が好きなのかということに、改めて、明確に思い至りました。
かわいいものを愛することが、精神の自由につながる。だからこんなにもこだわっていたんだ、と。
そして、わたしの好きなもの二大巨頭である「旅」と「かわいいもの」には一見つながりはなくて、よく「バックパッカーとロリータって対極だよね」とも云われるのですけど、むしろその2つは「自由」という共通項で分かちがたく結びついているのです(昔、もう少しぼんやりとそんなことを書いた記憶はあるのですが、いつだったか…)。
そんな思いを新たにして、きゃりーぱみゅぱみゅのデビューPV「PONPONPON」を見直すと、そのまるっきり子ども的に作られた世界観に、単に「かわいい!」という以上の感動が湧いてきて、思わず心の汗が噴出しそうになります。

番組がよかったので、ずーっと積ん読になっていた彼の著書『家系図カッター』をもそもそと取り出して読み始めました。適当なところでしおりを挟んで寝ようかと思ったのですが、熱に浮かされたように夜更かしして読み通すことに…。
増田セバスチャンは、どこか仏のような超然とした佇まいがあるなあと感じていましたが、その理由が、本を読んで少し分かったような気がします。本のタイトルと、帯の「子供は作らない。」という強いコピーを見て、幼少時の家庭環境が酷かったであろうことは容易に推測できるのですが、本は番組で言及されていた以上の内容で、大人になってからも家庭の問題はずっと続いていたことを知りました。
ああ、彼の徹底した色彩とかわいさの感覚は、こんなところから生まれていたのか…と、切なくなりつつも、なんだか優しい気持ちにもなったのは、傷ついた心がこんなものを生み出せるのなら、傷つくことも、復讐心を抱くこともそんなに悪くはないのかもしれない…と思ったからかもしれません。そして、最後の著者紹介で、母親と一緒に写った写真が小さく掲載されていたことにも、救われる思いがしました。

今日は誕生日、お店に行く時間はなかったけれど、自分へのプレゼントには6%DOKIDOKIの「革命ブローチ」を買って、お守りにしよう…なんて、10代の情緒不安定な娘かわたしは(苦笑)。
かつて、野ばらちゃんが、ロリータは武装だと云っていた記憶がありますが、ちょうど、そんな気持ちです。かわいいもので、自由な心を守るのです。

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2014年09月20日

2006

テーマ:上京後

時には自分のブログを読み返して、当時どんなことを思っていたのか見直すのも、生きるヒントになるかもしれません。
2006年は上京し、久々に社会人に復帰した年でして、今思い出してもつらい毎日でした。牢獄かと思うほど拘束時間が長く、自身も疲労しすぎて殺気立っていた先輩の元で働くことで、さらなるデフレスパイラルの奈落の底に落ちていました。
それでもまだ、ブログを書いて発散しようという気力はあったようで、すべては書けなかったにしろ、当時のつらさの痕跡が、血痕のようにブログにも残っています。
特に入社してから9月までは地を這い血を吐くような毎日で、9月にはいよいよ本気で進退窮まり、高いお金を払って占いもすがりました。わたしの様子を見かねたのか、後にも先にもこれきりでしたが社長がサシ飲みに誘ってくれましたっけね…。
それがきっかけかどうかはともかく、10月になって急に仕事の環境が変わりまして、その後、紆余曲折はありながらも8年も生きながらえることになります。会社の労働環境が徐々に改善されたこともありますし、つらさを分け合える同僚の存在や、単に慣れというのも大きいでしょう。服装も自由すぎるほど自由が許されていましたし(笑)。ただ、仕事の内容に対する不満と鬱屈をついに解消できず、転職を決めたわけですが…。

 

年を取り経験を積んだ分だけ2006年より心構えはあるのかもしれませんが、今もやっぱり同じようなつらさを感じているわたしは、まったく成長のない人間ということなのでしょうか。
そのつらさは、新しい環境に慣れるためにどうしても避けられないものなのか、この業界にいる限りどこまでもついて回るつらさなのか、そもそもこの仕事に適性がないのか、いやむしろ働くこと自体に向いていないのか……判断がつきかねて途方に暮れ、視界が曇りまくりの毎日です。
つらい理由は複合的なものだと思いますが、大きな問題としては、労働時間の長さと仕事へのモチベーションが反比例していることです。今は本当に、仕事が人生を侵食していると感じています。どこまでも、休日でも仕事が追いかけてきて、仕事が脅迫者のように心と時間を占拠しようとする。仕事=人生と思えれば、或いは仕事を心から楽しめればそれも苦にはならないのでしょうが、なかなかその境地にはなれず、かと云って仕事以外のことに打ち込む時間的精神的余裕もなく…。
今、もしもあと1年しか生きられないことが分かれば、仕事は即座に辞めるでしょう。その期限が仮に10年だとしてもたぶん同じ結論になりそうです。むやみな向上よりも、興味と快楽を優先し、時にはもう少し世の中にダイレクトに役に立つことをしようと考えるかもしれません。
であれば、(今の)仕事を続ける意味とは…もはや、それを考える時間もないくらい圧迫されていますが、本当は今こそそれを考えるべきときなのでしょう。何がしたいのか、どうしたいのか、つらいからこそ聞こえる自分の偽りなき本音を聞かねばなりません。それが分かるならば、今のつらさを耐える価値もあり、むしろいい機会でもあるはずです。瞬時に終わる休息が与えられたとて、そこで麻酔を打たれたように思考停止してはならないのです。

 

旅からも、読書からも、かわいいものからも遠ざかって、わたしはいったいどこに行こうとしているのか…。
今なにか希望を見出すとすれば、時間の経過とそれに伴う経験によって少しは仕事がラクになる(或いは楽しくなる)…だろう…かもしれない…という淡い期待と、浪費体質に多少の改善の兆しが見えていることくらいでしょうか。やっぱり、つらいとき我慢せずに逃亡するためにはある程度まとまった金と、貧乏でも生きていける体質が必要ですからね。
『100万円と苦虫女』のように、100万円貯めたら次の土地へ、それくらい身軽になりたいです。今までの浪費は楽しかったし、まあ今だってラフォーレに行けば瞬時にウン万円を使い果たすことは可能だけど、冷静に考えれば(いや、考えなくても…)大量に服も本も持っているわけで、この後の人生はそれを使い切ることに費やした方がいいんじゃないの?と思います。
今はお金より時間の自由がほしいです。高いランチや休息のためにするコンビニの買い食い、それなりの身なりや化粧品も、働かなければ別に必要のない経費だったりするんじゃないのかしら。保育園だって、せっかく子どもと居られる時間を、お金を払ってまで手放す必要があるのかと、子どももいないのに考えてしまいますね(まあ現実的にはそんなこと云ってられないんでしょうけど…)。
とりあえず、仕事との付き合い方としては、「仕事をあまりしない」か「仕事を楽しむ」以外の幸福はおそらくないだろう…というのが今、改めて思っていることです。むやみな過労とは手を切って、そこの選択をちゃんとできるようになればいいのですが…。

余談:
仕事に行くのがつらい朝(ほぼ毎日かも…)、よく見るブログがあります。
その名もずばり、「働かない暮らし」というブログです(笑)。このワードで検索したらトップに出てきますので、ぜひググってみてくださいませ。「作られた世界」というエントリーが特に秀逸です。
今年になって更新が止まっているので知らない人ながら心配になるのですが、世の中にはこんな人もいるんだなあと思うことで、少し気が楽になります。

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2014年08月10日

帰る家

テーマ:上京後
先日、海外に出るには短すぎるこま切れ肉のような夏休みを与えられまして(ご丁寧に宿題付きだったわ!)、こういう中途半端な休みの場合は、行き先は常に実家一択。
今年は正月、3月の連休、GWに続いて4度目と、かなり頻繁に帰っておりますね。
御年92歳と89歳の祖父母にも、人生であと何回会えるか分からないので、父と二人で田舎にも行きました。正月の帰省時、祖父が風前の灯火といった雰囲気でもう長くないのでは…と思いましたが、デイサービスに通うようになって、急激に元気を取り戻していました。よかった…。

さて、わたしは、3年半の長旅の間、皆無と云っていいくらいホームシックにかかったことはありませんでした。少しくらい、家族や故郷を思って枕を濡らす夜があってもよかろうと我ながら思いましたが、道中つらいことや気の滅入ることが続いても、不思議と「家に帰りたい」という気持ちにはならなかったのです。
ところが昨今、実家に帰ると決まって猛烈なホームシックに襲われます。
ホームシックというのは、遠くにありて思ふものかと思いきや、わたしの場合、実家にいるまさにそのときに罹患するようで、東京に戻る日の前夜と当日は特に重症、帰りの夜行バスでは何かにとりつかれたように涙が止まらなくなり、声を殺して暗闇の中で泣いております(こんな奴がバスの座席で隣だったらやだよね…)。
毎回、最寄りの駅から夜行バス乗り場へと向かう道のりは、夜逃げのような暗い寂しさに満ちていて、物思ふこと限りなく、ちょっとした苦行ですらあります。
それなら新幹線で、もう少し早く帰ればよかろうと思うのですが、金をケチってしまうのと、少しでも長く滞在しようという二重のいじましさが働いて、帰りが猛烈に寂しかろうとも、どれほど睡眠不足のつらい道中になろうとも、翌日の仕事がきつくなろうとも、往生際悪く23時~24時台のバスを選び、1分1秒でも長く実家に居座ろうとしてしまいます。
最も、東京に戻るとわりとケロッと忘れてしまうので、いっそ実家に帰らなければそんな寂しさを味わうこともないのかもしれませんが、故郷を離れる寂しさ、これは忘れてはならない感情なのだと思うことにしています。

東京暮らしもずいぶんと長くなりました。
未だに東京は出稼ぎの土地という感じを拭えませんが、果たして大阪に再び帰って住むことがあるのかと考えると、現実的な期日が浮かんできません。
無論、どうしても帰らねばならない事態になれば、きっと帰ります。でもそういう事態とは親の病気や介護、はたまたわたしに病気が見つかるなどのマイナス要因しか思いつかず、そんなことはさすがに望まないわけです。
実家で、父がテレビを観ている隣で、寝転がって読書をしていると、これこそが本当の幸せの形なのではなかろうか…という気がしてきて、東京に戻って会社で働く暮らしにムクムクと疑問が湧いてきます。自分はいったい何のためにわざわざ離れて暮らしているのでしょう? 帰る家があるのに、倉庫みたいな狭苦しい部屋に家賃を払って住み続ける理由は何なのか…と、自問自答が止まらなくなります。

父は、「わたしと弟(の家族)がいつでも帰って来られるように、元気な間はこの家を守って住み続ける」と云っていました。4人家族のために建てられた家は、全然大きくはないけれど父が1人で住むには無駄な広さとも云え、一時は家を売ってもっとコンパクトな住まいに引っ越すことも考えたようです。
男だし(?)、遊ぶ友達もそれなりにいる父は決して寂しいとは云いません。しかし、実家にいると、ふとした会話や行動の端から、あるいは何気ない日用品や冷蔵庫の食材なんかからも父の無言の寂しさをキャッチしてしまうことがあって、そのたびに固まってしまいます。
昔、実家から戻った翌日の仕事帰りに、父からメールが来ていて、今朝は遅刻しなかったか、とかそんなことのあとに「風呂と洗面所が美しくなっていました。掃除してくれてありがとう」と書いてあり、その文面を見た瞬間、電車内だというのに心の汗をかいたことがありました。わたしを見送ったあと、誰もいない家に1人で帰って、風呂と洗面所がきれいになっているのを、父はどんな気持ちで見たのだろうか…。
でも、わたしはこれから先も父の寂しさを見なかったことにして、父が、または己が死ぬまで無視し続けて生きていくのかもしれない。いや、仮に今わたしが東京で暮らしていなくても、例えば結婚して実家を出ていれば、同じことにはなっているわけで、子はいずれ独立するのがよしとされている世の中では、それを親不孝とは、普通は云いません。ただ、例えば、優秀で世界にも羽ばたいて忙しい子と、そんなに優秀でなくても家に残ってくれる子とでは、果たして親にとってはどちらが嬉しいのだろうかと、ふと考えてしまいます。まあ、わたしは優秀でもなく活躍もしていないのに家にも残らないという、どうしようもない子のパターンですが…。

さすがにニートってわけにはいかなくても(ほんとはそれでもいいんだけど…w)、大阪で仕事を見つけて、戻ってくればいいのにと、実家に帰るたびに思うのですが、一時的に帰ることはできても、本当の意味で帰る道が分からず、長いこと迷子になっているような不思議な気持ちになります。
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2014年07月07日

またまたLIVE☆

テーマ:上京後
珍しく更新したと思ったら、そんな話かよ…と思わないでおくんなまし(涙)。
もはや、ブログに書いても誰も来ないことは分かっており、Facebookで告知した方がまだ些少でも反応が期待できそうな気もしつつ(基本的に顔見知りの繋がりだしね)、どうもFacebookに移行できないわたしです。FBとここを繋げる気も、100%ではないにしろ、ありません。
わたしにとって、ホームページとブログの匿名性は未だに価値を持っており、まあ仮に、知られたところで「あれは他人です♪」と嘘をついて死守するほどのものでもないのですが、切り分けておきたい気持ちが強いです。自分の生きている場所をすべて地続きにしない方がいいというのが、世知辛い世を生きるためのささやかな知恵です。

…と、そんなことを語りたかったのではなく!
ライブをやるんです、またしても。FBで友達に招待メールは送らないくせに、こっちでは告知しているのも何やら矛盾がありますが、自分なりにはいちおう理由もあって、他のメンバーや出演者の皆さんがちゃんと友達や知り合いや会社の人などを呼んでいるのに、自分だけ誰にも声をかけないというのも気が引けて(そもそも、ライブに来てくれそうな友達とか知人というのが思い当たらないのだ…)、こうして姑息に告知の既成事実を作っておるわけです。
前回は、緊急結成されたXのコピーバンドで出演しましたが、今回はまた古巣で下手くそなキーボードを披露いたします。いったいいつになったら、わたしの指先に小室先生が憑依してくれるのでしょう…。
しかし、このバンドも何だかんだで長いこと存続していますね、もう5年くらいやっているんじゃないでしょうか。多くても年に2回のライブですから、そんなに長くやっている気はまるでしないのですけどね。
今回は、バンドの精神とも云える(?)Led Zeppelinと、椎名林檎(東京事変)の2本立て。Led Zeppelinは、そもそもキーボードいなくても成立するので、邪魔にならない程度にチャラチャラ弾いていればいいのですが、椎名林檎の方はそうもいかず、仕事並みに懊悩しながら練習しております。と云っても、練習は例によってだいぶサボってしまい、今さら締め切り前の漫画家さんみたいに慌てまくっているわけですが…。
それでも、衣装だけはしっかり購入(今回はAlice and the Pirates)。相変わらず努力の方向を間違えております。

三連休の頭で、お出かけしている人も多いでしょうし、お出かけしていなくても何の義理があってわざわざお前のライブに行かなアカンねん!…という感じですが、誰にも届かぬ想いを深い穴に向かって叫ぶような気持ちで、以下、告知いたします。
でも、これを見た人は、3日以内に他人に話さないと呪われる…かもしれません☆

【USBイベント2014夏】

7月19日(土)
@秋葉原 昭和通り口 スタジオリボレパート2

http://www.studio-revole.com/access/index.php 

チャージ:1500円(飲み放題、乾き物おつまみ付き、おみやげ付き)

出演バンド:
 u-san band、ロキソニン、坊主丸坊主、徳ちゃんを囲む会、日本代表

16:20オープン
16:30スタート
16:30~17;00 ロキソニン
17:10~17:40 u-san band
17:50~18:20 徳ちゃんを囲む会
18:30~19:00 坊主丸坊主  ←おらの所属バンド
19:10~19:40 日本代表
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2014年06月28日

消費を控える

テーマ:上京後
…今日みたいな雨の日は、家で静かに読書したり空想に耽ったりするのがいちばんいいですよね☆

わたしは、表面上はわりと真面目に働く人間で、きっと両親の勤勉な遺伝子を受け継いでいるのだろうなあと他人事のように思うのですが、自分の心の蓋を開けてみれば、常に「休みたい」「ダラダラしたい」という叫びが跋扈しており、勤労仮面、あるいは仮面の勤労とでも名乗りたいような心持です。でも、たまに気を抜くとそういうやる気のなさがチラ見えして、鋭いツッコミを受けることもあります(苦笑)。
ふと見ると、わたしの本棚には、ポール・ラファルグの『怠ける権利』を筆頭に、『働かない』『働かないってワクワクしない?』『これでいいのだ怠けの哲学』『減速して生きる』などといった本が並ぶ一角があり、そこには、荻原魚雷さんやエノアールのミニコミなんかもあったりして、百歩譲っても『定時に帰る仕事術』といった具合で、己の仕事に対する姿勢がよく分かります。過労死関係の本も何故かやたらとあります…。
『怠ける権利』は、Amazonの履歴によると2008年度に購入しているようで、かなり昔からわたしは働くことに対して懐疑的であったことが伺えます。確かに、2006年に就職した当初は、線路に飛び込まないまでも失踪したいと思ったことは何度かありましたので、その後いくらかマシになったとは云え、労働に対する抵抗感は続いていたのでしょう。
ある程度まで労働生活に慣れてくると、単に自分の時間の使い方が下手なだけでは…と、歩み寄る気持ちも湧いてきて、いじましい時短術・時間管理術を学んでは失敗することを繰り返していましたが、昨今はもはや、仕事法の改善などでは埒があかぬので、抜本的に時間が欲しいという思いに駆られてしょうがない。単純に、家に積んである本を死ぬまでに読了することを考えただけでも、今のままではとても時間が足りそうになく、「もしかして、労働こそが時間の無駄なのではないだろうか…」などと、若干倒錯的な疑念まで浮かび上がってくる始末です(何のために転職したんだ…)。

でも、労働時間を減らすのは今の業界ではなかなかに難しく、仮に労働時間の少ない仕事に鞍替えする場合は、必然的に収入も減らすことになりますので(今だってそれほど多くもらっているわけではありません、念のため…)、そのためにはまず、これまでの暴力的な浪費活動から1日も早く足を洗うことが不可欠になります。
……おおおーーい! どの口が云うとんねん!?!?!…と、消費の権化のようなここ数年来の自分自身を顧みると、ハリセンで百発殴ってもなお白々しい気持ちを拭えませんが、貯金をしたいというよりは、金をあまり使わなくても楽しくやっていける体質になろうと、目下、試験運転中なのです(6月から)。
何しろ、不安定な職業という意味ではわたしの100倍危ういはずのさくら剛さんに、「あんたの貯金額は少なすぎ!30代半ばの女性の平均貯金額を見てみい!」と説教されるくらいですから、これまでの己の浪費体質を治すには相応の努力が必要なのは重々承知です。
来月(7月)は、買い物中毒者にとって魔の月ですから、早速挫折する可能性も大いにありますけどね…。今だって、ちょっとでも油断したら財布のチャックを開けそうになる自分がいますからね。もし、奇特な方から「100万円あげます。ただし、今日1日で使い切ってください」という申し出があったら、使い切れる自信も十分ありますしね!
わたしの場合、みなさまもご存知のように浪費の原因は明白すぎるほど明白でして、服飾関係のものを一切やめることができれば8割がた解決すると思われます。書籍も、わりと見境なく買う方ではありますが、3万円も使えば「むむ、今月はだいぶ使ってしまったな…」と心理的に歯止めがかかります。これが、服の場合だと、3万円使っても「おお、今月はまだ大して使っていないぞ♪」となってしまうのですから、いかに服飾がわたしの財布を圧迫しているかが分かろうというもの。
…と思っていたけれど、6月の内訳をみるに、服飾代が珍しく2万円を切っているにも関わらず、劇的に出費が減った感じもないような…? 紛失したBOZEのイヤホンを買い直したせいか…?

消費は楽しいけれど、消費すればするほど労働からの解放には遠ざかる一方だと、頭では分かっていながら、麻薬のような消費の快楽から逃れられずに何年も過ごしてしまいました。
しかし、今こそ、思い立ったが吉日、バックパッカー時代の10円を争うみみちさを取り戻さねばなりません…って、こういうのを後退的人生と云うのでしょうか…(苦笑)。
こんなことを書いておいて、早速バーゲンで大爆発していたら洒落になりませんが、ここに書くことで何かしらの抑止力になればと思う次第です。。。

都築響一の『賃貸宇宙』に、何度も見返してしまう理想の部屋があります。
それは、モデルルームのように整理整頓された部屋でもなく、かわいいものに囲まれた趣味の部屋でもなく、壁一面の本棚と、作業机と、寝転がって本を読むための布団だけがある2DKのマンションの一室。
その人の暮らしは、「週に2日ほどフランス文化の広報関係の仕事をして、後の5日は家で読書三昧。時々、友達が心配して家に様子を見に来る」といったもので、うひゃあ、なんてうらやましい生活だろうか、これこそわたしの目指している姿なんじゃなかろうかと思うのです。
完全にニートになりたいという贅沢(?)は云いませんので、労働時間とそうでない時間(睡眠を除く)が、せめて半々くらいにできたらいいなと思いますし、もっと云うならそうでない時間をもっと増やしたい。昨今ですと集団的自衛権云々みたいな、国体に関わるようなニュースが入って来ても、それについて調べたり考えたりする時間もないなんて、やっぱりちょっと、健全ではないような気がします。
まあ読書ばかりでも飽きるでしょうから、何らかのアウトプットは心の健康のためにもあった方がよく、それがイコール仕事で生活費を稼げるのならよい循環ということにはなりそうです。それが、今の仕事で実現できるに越したことはないのですがね…。

それにしても、技術の進歩でこれほどさまざまなことが便利になった(わたしが再就職した後の数年ですらも!)にも関わらず、労働時間だけは一向に減らないというのが、この世の恐ろしい謎のひとつです。
「働け、働け、プロレタリアート諸君。社会の富と、君たち個人の悲惨を大きくするために。働け、働け、もっと貧乏になって、さらに働き、惨めになる理由を増やすために。」(『怠ける権利』より)
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2014年06月20日

無為こそが過激

テーマ:上京後

みなさま…と呼びかけながらも、もはや誰が読んでいるのかと首をひねってしまいますが、たいへんご無沙汰しております。
新しい国を旅するのは楽しいけれど、新しい労働環境に慣れるのは骨が折れますね……という一文にて、昨今の状況を察していただければと思います(笑)。

 

ひょっとすると、表題の言葉にぴんときた方がいるかもしれませんが、まずは前置きから。
もう昨年10月のことなので半年以上も前ですか、このブログにもたまに登場する旅友・福ちゃんが、突然マレーシアに赴任することが決まり、出発3日前というギリギリのタイミングで、テレサハウス(ブダペストの安宿)仲間のアクセルとタケシさんを呼んでささやかな宴会を行いました。
アクセルやタケシさんとはすでに年単位で会っておらず、2人ともとっくに結婚もしていて、すっかり様変わりしているんじゃないだろうか、未だ独身で浪費が生きがいみたいなわたしなんて、虫けらのような目で見られるんじゃなかろうか…などと余計な被害妄想を抱いていましたが、いざ顔をつき合わせれば、福ちゃんも含め誰一人として変わった様子もなく、瞬く間に10年以上前のテレサハウスでの、素晴らしくくだらない夜に戻っていました。全員、翌日は仕事だというのに、あっさりと終電を見送ったときは、興奮にも似た幸福感に満たされたものでした。
その2軒目で、アクセルとタケシさんが口をそろえて「バックパッカーなら絶対に読むべき! 福ちゃんも、マレーシアに送るから読んで!」と猛プッシュした漫画があります。わたしはそれを聞いて、ああ、みんな立派な社会人なのにバックパッカーの心は捨てられないのね…と半ば呆れつつもうれしくなり、その直後に、kindleで1巻だけを買って読んだのですが、続刊を買うにあたって、紙の本で揃えるか電子で続けて読むか、はたまた古本を揃えた方が安いのか…などと迷っているうちに、すっかり時が過ぎてしまいました。

 

それが、今になって急に、紙か電子かどっちが安いかなどどうでもよくなり、とにかく続きを読みたい! という衝動が湧いて来たのは、ひとえに昨今、労働(仕事)と人生の関係について考えることが多くなったからです(結局kindleで揃えました)。
ともかく、その漫画の名は『ボーダー 迷走王』。
時はバブル全盛期。10年以上大陸を放浪していた男・蜂須賀と、旅先のパキスタンで遭遇した男・久保田は、ともにオンボロアパート「月光荘」の住人。蜂須賀にいたっては元共同便所の家賃3000円の部屋で、ホームレスすれすれの暮らしぶり。東大を目指して2浪中の木村を加え、気ままな貧乏暮らしの中、大小さまざまのハプニングに巻き込まれる…というような筋書きです。
思えば、これまで旅関係の友人の誰からも、この漫画を薦められなかったことが、不思議と云えば不思議です。まあ、わたしも昨年までは存在も知らなかったのですけど…。
彼らは今で云うところのニートのような存在ですが、21世紀のニートほど悲愴な雰囲気はなく、やたらと元気です。しかし、今の世であれば不景気ゆえニートもやむを得ない感があるところ、世の中が上昇気流に乗りまくっていた時代に、働かずに貧乏を選ぶというのは相当に風変わりで理解できない生き方であったことでしょう。
ある子どもが蜂須賀を指して、「オジサン 何してるヒト?」と尋ね、久保田が「このオジサンはなんにもしないヒトなんだ」と答える場面があります。
貧乏でも決して定職につかない蜂須賀は、「無為こそが過激」という哲学の持ち主です。この言葉は、わたしが常々(?)「何の役にも立たない旅でもいいですよね…?」と震え声で主張している件を、この上なく単純明快に、かつ生き方のレベルで表していて、目からウロコがボロボロと落ちました。
それは、人間の価値が生産性で決まってしまう世界に対する挑戦であり、「何もしねえでブラブラしてるのがホントは一番<力業>なのさ」(蜂須賀)というのは、生産性から自由になるためには相当の胆力が必要であるということなのでしょう。実際、骨の髄まで生産性に冒されていると、貴重な余暇まで使って“自分を高めるための”習い事に行ってしまったり、健康のためにせっせとヨガに通ったりしてしまうわけです。何かに追われるように、何かをして時間を埋めてしまう。

 

働きだしてからというもの、この世のあらゆることが壮大なゲームに過ぎないような感覚に囚われることがよくありまして、いったんそういう疑念が芽生えると生きづらくなるので見なかったことにしてゲームに乗っかり続けているのですが、最近は、過労気味なせいもあって、また疑いの気持ちがフツフツと…。
長い旅が終わればモラトリアムも終わって、社会復帰もして、そのうち収まるべきところに収まるのだろう…と思いながら8年も会社員をやっているけれど、どうも青臭さが抜けません。でも、『ボーダー』を読んで、無理に何者かになろうとしなくても、陳腐でも自分なりの自由やロマンを求めて迷走し続けてもいいのかなあ…っていうか、何もせずにブラブラするのもいいかなあ(笑)…などと、大人気なく夢想してしまいました。ホントはもっと若い頃に読んで、道を踏み外しそうになりつつもまともな大人になって、「あれは青春のバイブルでした」と遠い目をして云うべきなんでしょうけどね。

 

「愛しの”ボーダー”たちよ 俺の分まで自由を探す旅を続けたまえ……」
(1巻の途中に出てくる、ある登場人物のセリフ)

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2014年04月27日

新人ですよふたたび

テーマ:上京後

新入社員になって、早2週間が経ちました。
昨年でしたか、『35歳の高校生』というドラマがありましたっけ。まあ、そこまでのギャップはなくても、3●歳の新入社員というのもなかなか、乙なものであります。新人研修とか、ホントの新卒の時でも受けたことないわっ!
ただでさえ、緊張と不安と分からないことだらけな上、これまで働いた中では最も規模の大きい会社なもので、毎日が戸惑いの連続です。だって、コピーをどうやって取るのか、電話はどうやって回すのか、配送物はどうやって出すのか…などというところからスタートですからねえ。最近は、やっとのことで文房具一式をデスクに揃えることができたような有様です。アルバイトさんの方がよっぽど使える従業員ですよ。。。
でも、中途採用ですから、企画や取材や撮影などはそのうちばんばん任されるわけで、ジェットコースターが今まさに落下しようとするあのてっぺんのあたりにいるような気分です。

さて、久々の”新人”になったということで、昔愛読していた『悪女(わる)』という漫画を読んでいます。
実家には全巻揃っているのを、またkindle版で全巻(37巻! キャプつばと一緒だ)買うというのも実にもったいなくは感じたのですが、今のわたしに必要なスピリットが詰まっているような気がして、どうしても今、読みたくなったのです。MILKでスカートを1枚諦めればいいんだよ。。。
昔むかし、ドラマ化もされたので、覚えている人もいるかもしれません。わたしはドラマを見てから漫画を集めましたが、ドラマの先はさらに面白いことになっていて、今回、何年かぶりに読み返してもやっぱり読みがいがありました。

主人公の田中麻理鈴(まりりん)は、三流大学卒の新卒OL。コネ入社で、一流商社・近江物産の座敷牢と呼ばれる部署に配属されます。ある日、エレベーターの前でコンパクトを拾ってくれた名も知らない社員の男性と、また座敷牢では峰岸さんという謎の女性に出会い、そこからまりりんの長い長い恋と出世の旅が始まります。
アホ・ブス・落ちこぼれという三重苦を背負い、エリートだらけの周囲からは徹底的にナメられながらも、いつかあのときの王子さまにたどり着くために、王子さまにふさわしい女性になるために、出世を目指して奮闘する。こういう図式はヤンキー漫画などにもよくあるタイプではありますが、会社という舞台だとなかなか新鮮です。
わたしは、特にいま出世したいわけでもなく、たどり着きたい王子さまがいるわけでもないのですが(あ、小室さんには会ってみたいけど)、まりりんほどではないにしろ、どちらかというと落ちこぼれ側の人間なので、落ちこぼれの身の処し方というものを、まりりんから学ぼうと再読した次第です。
まりりんは毎回、あの手この手で困難なミッションをクリアしていくのですが、エリートには持ちえない彼女の武器は、落ちこぼれの自分をよく知っていて、そこからスタートできる姿勢、そして、落ちこぼれでも決して卑屈にならない素直さです。まあ簡単に云うと”無知の知”ってことになりますか。
逆に、エリートまでは行かなくても、仕事がなまじできる人は、そこが弱点にもなりうるんですよね。例えば旅のシチュエーションで例えるなら、地図を読む才能よりも、人に道を尋ねる才能の方が、サバイバルには必要だったりするじゃないですか。
あと、仕事ができる人は、できない人に対して非常に冷たく、辛辣な傾向があると思います。わたしはいつも、そういう仕事ができる人のその手の文句を聞くと、自分が云われているようで密かに傷つきますが、一方で自分も、調子に乗ってさも仕事ができそうな発言をぶっ放しているかもしれません。。。でも、仕事ができないまりりんは、できないからこそどんな仕事にも真剣に取り組むし、決して周りの人間をバカにすることはない。
そして、挫折や失敗など日常茶飯事なので、大して怖くないんですね。王子様という精神的支柱があることも大きいですが、ゴキブリのようにとにかくへこたれない。
それらは、できない人間が持てる数少ない強みなんだと思います。でも、なかなか人は”よいアホ”(ってのも変な云い方ですが)になることが難しい。自分がどんなにアホでも、なかなかそれを曇りなく認めることはできないものです。一寸のアホにも五分のプライドで、つい本能的に(?)、なけなしの乏しい知恵で知ったかぶりとか、見栄とか張っちゃうんですよねえ。つまんない言い訳しちゃったりとかね…。

この漫画にはいろいろと、グッとくるセリフが散りばめられているのですが、峰岸さんがまりりんに云う、
「いいコなだけじゃダメよ。時には悪女にもなるのよ」
という言葉が好きです。
聖書の、「蛇のように賢く、鳩のように素直に」を思い出しますね。

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2014年04月14日

サヨナラだけは純粋だ

テーマ:上京後
旅→帰国→退職→転職…と、毎日チャンネルが変わるようなめまぐるしさで、自分を見失いそうになっておりますので、ブログでも書いて落ち着きを取り戻したいと思います(笑)。

昔の旅友達が、旅先でノートに書いてくれたこの(表題の)言葉が、わたしは好きです。
見てのとおり、井伏鱒二訳「勧酒」の一節「サヨナラだけが人生だ」をもじったものですが、意外とこっちのパロディの方が、わたしにはしっくり来ます。

先日、とうとう退職日を迎えました。
東南アジアの旅から帰ったその足で最後の出社をするという、相変わらずのいい加減さでした(汗)。
半分近く残っていた片づけや、PC内の整理などを淡々とこなしつつも、旅先では―それこそ、成田に着くまでは、退職のことも、次のことも、すべて他人事であるかのように感じていたので、ちょっとした浦島太郎状態で、どこかふわふわした心持でした。
絶対に無理と思っていた片付けも何とか終わり(自宅同様、デスクにめっちゃ物と書類があふれていたのです)、何事も、終わるときはあっさりと終わっていくもんだなあ…と思いました。

しかし、その後、盛大な送別会を開いていただきまして、仕事場でのわたしは普段以上に寡黙でものすごーく愛想のない人間だったのですが、そんなわたしにも、過大なプレゼント(何と、テレビをいただいたのだ!)や温かいメッセージが贈られ、朝まで付き合ってくれる人たちもいて、何だかもう骨抜きになりそうなほど、感激してしまったのでした。
記憶にある限り、こんなにちゃんとした送別会は人生において初めてだったと思います。

どんなときでも、物事の終わり・立ち去る場所はいつも別離の瞬間、いまわの際に輝くもので、それは、単純に感傷でしかないのかもしれないけれど、一方で、最後だからこそ、余計なものがリセットされて初めて見える本当の姿というものも、あるのかもしれません。
寂しいけれど温かい、それが”サヨナラの純粋さ”なのではないかと思います。純粋ゆえに、痛みも伴うのでしょうが…。

これからもずっと、サヨナラは繰り返され、そうやって自分の命もいつの間にやら終わっていくのでしょう。本家本元の「サヨナラだけが人生だ」もまた、真実ですものね。
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2014年03月26日

二人のTK

テーマ:偏愛
TM NETWORKだけ聴いていれば基本的にはOKだけど、やっぱり小室哲哉ワークも気になってしまうのは、ファンとして自然な流れというもの。
自分の中でのブームはすでに去りつつありますが(今はtrfに移ってしまいました)、もう1人の(?)TKこと華原朋美について、急に語ってみたいと思います(笑)。
最近は竹田氏とのあれこれですっかり評判を落としつつあるようで…。しかし、元々彼女に“いい人”のイメージを抱く方が間違っているんじゃないかと思います。無邪気ではあるかもしれませんが、それといい人とは別物。その無邪気さの中には毒気もしっかり含まれており、よくも悪くもそこが魅力でもあるのではないでしょうか。

小室ファミリーの歌い手の中では、昔は歌もキャラもKEIKOの方が好きでしたが、大人になって、“朋ちゃん”の持つある種のドラマ性に惹かれるようになりました。
全盛期の彼女は、ある意味で女子の憧れのひとつの到達点だったと思います。
綺麗だけど親しみやすいビジュアル、当代一のプロデューサーの恋人というポジション、上手くはないけれど個性的な美声。美貌と強運と才能を兼ね備え、女子として最強の立場に上りつめながらも、元B級アイドルという出自の胡散臭さが、純天然のシンデレラではない微妙な陰影を与えていました。
まだ若くモテとは無縁だったわたしは、ぶりっ子という存在をとにかく嫌悪していました。そういう心の狭さがますますモテを遠ざけていたことは云うまでもありません(涙)。しかし、一見ぶりっ子の権化のような朋ちゃん――大人のくせに己を「朋ちゃん」などと呼んでしまうような――に対しては、特段の興味も抱かない代わり、嫌いだとも思いませんでした。
2人で登場した何かの会見で、「朋ちゃん、小室さんのことダイスキよ」と云い放ったのをたまたまテレビで見たことがありました。呆気に取られつつも、こんなにも堂々と恋人への愛を、恋人の目の前で表明できるなんて、何と羨ましいバカさ加減だろうと、目からウロコが落ちたものでした(笑)。そういう戦略とイメージで売っていたことを差し引いても、その無邪気さは実に清々しいと感じたのです。
あのまま結婚して、引退でもしていたら本当に伝説になっていたことでしょう。「I'm Proud」のPVメイキング時のような輝きを保ったまま、幸せになっていたら…と、特にファンでないわたしでも、ふと考えてしまいます。

復帰した今ですらも、「まだまだ未練がありそう」とあまり好意的でなく捉えられているようですが、下世話な外野としては、一歩間違えたらストーカー状態の、呪いにも似た恋愛の影があってこそ目が離せなくなるというものです。
呪われるほど誰かを愛してみたいもんだな…とたまに(遠い目になって)思います。そこまで愛せるならそれは、もはや善悪も、幸不幸も越えた何か…なのかもしれない。まあ、わたしも含めてほとんどの人はそんな思いに耐えられないから、自分の恋愛は置いといて、ドラマや漫画で代用する。実際に朋ちゃんがどう思っているかは知らないけれど、少なからぬ人が、彼女に対して勝手に、呪いのような愛のドラマを感じていて、だからこそ復帰後もそれなりに話題になったりするのではないでしょうか。
ただ、普通の恋愛なら果たしてここまで引きずることはあったのかな、と思います。そこに、“才能”というものが関わっているから、断ち切り難い執着が生まれたのではないかと。自分の才能を認めてくれるのみならず、それを伸ばしてくれる人がいるというのは、得難い幸運です。ましてその人もまた才能にあふれ、自分の人生においてありえないほど輝く時間を与えてくれたら、そこに一生拘泥してしまうのも無理はない…という気がします。
わたしは、「今がいちばんいい」という現在至上主義には少々違和感を覚えます。戻れない過去を取り戻そうとすることは、愚かなこととしてばっさり切られがちですが、それだと、常に人は最高に幸福な状態を更新していかねばなりません。いや、もちろんそうできれば素敵ですよ。でも、アスリートじゃあるまいし、そこまでする必要があるのでしょうか? 少なくともそこまでする義務はないでしょう。昔が輝いているだけでも、わたしの如き虫けらに近い凡人にとっては眩しい限りです。

さて、朋ちゃんは今の方が歌も上手くなったという専らの評価で、確かに安心して聴けますが、昔の不安定な歌声、恐れも不幸も知らないような一途な歌い方には、人の心を掴む何かがありますね。それをかつて、小室さんは「涙腺を刺激する声」と評しましたっけ。
最新のカバーアルバムで歌ったらしい「DEPERTURE」は、絶頂期にもカバーしていますが、このときの動画は何回観ても揺さぶられるものがあります。「あなたが私を選んでくれたから」のところでちょっと涙声なんかになられると、どうしたって2人の背景を想像して胸を突かれます。
小室さんの影を払拭することが、今後の朋ちゃん――歌手としての朋ちゃんに与えられた使命なのかもしれません。いつまでカバーばっかりやるんだ、いい加減I'm Proud以外の歌を歌いなさいよという外野の声もごもっともですが、いっそのこと、徹底して小室さんの歌(過去曲のカバーにしろ、新曲が今後あるにしろ)ばかりを歌い続ける歌手人生でもいいんじゃないかと、無責任に思ったりして…。
すべての小室曲に合うわけではないにしろ、朋ちゃんの声と小室曲の、特にアイドルに提供したようなポップスとの相性はかなりよさそうな気がするんですよね。だから、恋愛関係とかはさすがにもう無くていいので、師匠と弟子みたいな関係で、朋ちゃんは小室サウンドの表現者として、音楽を純粋にやってくれたらいいなあ。
個人的にツボなのは、木根さんが歌う「Close to the night」における、やや主張の強いコーラス。小室さんもコーラスで参加しているんですが、そこが聴きたくてリピートしてしまいます。
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