2016年01月22日

来るべき日(上)

テーマ:上京後
その晩、父から珍しく電話がかかってきました。
わたしはよく用もないのに父に電話しては、「はあ~週休3日くらいの仕事があったらええのになあ」などと愚痴を吐き散らかしていますが、父の方からかかってくることは、ほとんどありません。
着信を見た時点で、少し嫌な予感がしました。それは、徳島に住む母方の祖父の訃報の電話でした。


94歳の誕生日を2日前に控えた夜、祖父――以下、じいちゃんと書きます――は病院で息を引き取りました。
母の死から16年、久しぶりの肉親の死でした。
電話口の父の声は明らかに震えていましたが、わたしは電話を切ってからも、悲しみより先に、心をどこかに落としてきたような感覚で、涙もなかなか出てきませんでした。その感じは、母を看取ったときと極めてよく似ていて、たぶんショックの大きい出来事に対しては、心が防衛反応で一時停止する傾向があるんだな、とぼんやり自己分析していました。
じいちゃんもいい加減高齢ですから、そう遠くないうちにこの日は来ると思っていました。東京で暮らすようになってからも、あと何回会えるか分からないんだと思うと、最低でも年に1回は四国まで顔を見に行かないわけにいきませんでした。しかし、ここ数年、めっきり弱ってしまい、いよいよ年1回では足りない気がして、昨年夏も数日の休暇が取れた際に帰省しました。


じいちゃんは、母の死の頃に一度肺の大きな手術をしていましたが、それ以外は、80代になってもバリバリ車を運転したり、ゲートボールの大会にもしょっちゅう出場したりと、年のわりにかなり元気な人でした。うちの父もまったく病気しませんし活動的ですが、その父ちゃんが「おじいさんが俺の年の頃は、もっとシャキシャキしとった」と感心するくらいで、身なりもきちんと気を遣っていたし、髪もフサフサ、立ち居振る舞いも含めて、いわゆる“おじいちゃん”という感じではなかったのです。そんなじいちゃんが、ある正月、こたつむりと化しているわたしをマジマジと見て、「○○(私の名前)、化粧しいや」とのたまったときは、わが身を恥じました(苦笑)。
それが、ここ数年で急激に弱っていき、本当に同じ人なのかとしばしば目を疑うほどでした。年を取ると、人はこんなにも弱々しくなってしまうものなのか……。 人は老いるにつれ子どもに戻っていくと云いますが、小さな子どものか弱さとは似て非なる、悲しくつらい弱さを、会うたびに目の当たりにするのでした。
その頃から少しずつ、わたしの中でじいちゃんの死は始まっていたと云えばいたのです。デイサービスの介護は受けているものの、さしてボケていたわけでもないのに、ただただ弱って、生命の火が刻々と消えようとしている、というような有様でした。


わたしが帰省した約1カ月後、病院に入ったと聞いて、そこがいわゆるターミナルケアの病院だと知ったとき、もう確実に別れの時が近づいているのだと、改めて思い知らされました。
今年の年始、家族総出で見舞いに行くと、じいちゃんは病院のベッドの中に小さく寝たきりで、歯が外されていて、何も喋れない状態でした。眼鏡をかけてあげないと、みんなの顔も判別できないようです。時々、弱々しくも辛そうに咳込むので、看護師に吸引器で痰を吸いに来てもらいました。こんなにどうにもならない体をもてあまして、じいちゃんは今、何を考えているんだろうな……いや、もう考えることもできないくらい弱っているのかな……。
それでも、わたしが手を握って「じいちゃん、結婚したよ」と告げると、はっきりと笑顔になって、手を強く握り返しました。その強さは、わたしの涙腺を危うく全開しそうになりました。
まだ、まだもう少しは生きられるかもしれない。今年のGWにでも、また会いに来よう。本当は旦那さんを連れて来られたら喜んでくれるだろうけど、たぶん来られないよな……とか、そんなふうに思って、でも何となく後ろ髪を引かれて、家族に囲まれるじいちゃんの姿を、いくつか写真に収めて帰りました。


木曜の夜遅くに電話があって、その時点では、土日が通夜と葬式になるだろうという予測でしたが、翌朝出社して間もなく、「斎場が空いてなくて、今夜が通夜になった」と父からの連絡が。
前日に、職場のチームの人たちには知らせてはいましたが、今日は大丈夫ですと話していたので一瞬迷いも生じたものの、血縁的に、またこれまでの恩を考えたら、葬式だけというわけにもいくまいて。その日にするつもりだった仕事を急きょ、最低限のところまで終え、早引けしていったん家に戻り、黒い服(ちゃんとした喪服がない!)やら下着やらをトートバッグにぐちゃぐちゃに詰め、午後の飛行機に乗るべく空港に向かいました。“取るものとりあえず”という言葉が、これ以上ないほどぴったりのシチュエーションでした。
人の死は待ったなし。遺体が腐敗してしまうので仕方ないのですが、母が亡くなったとき、悲しむ間もなく病院から撤退して、あれよあれよと通夜と葬儀が進んでいった一連の様子は、未だにどこか腑に落ちない感じのまま、記憶に残っています。
これからは、喪服と数珠、香典袋と薄墨筆、そして最低限の帰省セットを玄関先に置いて、いつでも人の死に備え……というのも何だか寂しい話ではありますが、年を取るということは、そういうことなのでしょうね……。

父がちょうど、大阪から車で到着する時間帯だったので、徳島の空港から斎場まで、車で拾ってもらいました。
父は、新しくなった空港に来るのは初めてらしく、ひとしきり空港についての感想を述べた後、
「にしても、徳島阿波おどり空港っちゅう名前が、なんやふざけてる感じで、未だに違和感あるわ。高知の龍馬空港のほうがよっぽどええわ」
「でも、徳島と云えば阿波おどりなんやし……徳島すだち空港になるよりはマシやろ?」
「いやあ……俺はすだち空港のほうがええと思う」
我が親ながら、ちょっとセンスを疑ってしまいました。しかし、こんなくだらない会話も、いつか父とも別れる日が来たら、ふと思い出して涙腺が崩壊するのかもしれません(笑)。

(下)に続きます。

P1150298 阿波おどり空港を車中から臨む。

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2016年01月05日

ご挨拶、ご報告

テーマ:上京後

あけましておめでとうございます。
まだ生きておりますので、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
年末の休み中、一人で紅白を見ている合間にでも更新しようと思っていましたが、休みのときはしっかり休んじゃう人間なんですね、わたし……。

 

仕事始め早々にミスが発覚し、いきなり幸先の悪い1年がスタートしておりますが、気を取り直して……。
昨年末に結婚いたしました。
11月に籍を入れたのですが(いい夫婦の日ではありません)、なんかFacebookで報告というのもなあ、世界中の人に報告するのもおこがましいかなあ、直接会った人とか連絡頻度の多い人には逐一お知らせするってことでいいかなあ……なんてヒネくれた逡巡をしているうちに、所属バンドのライブの際に「結婚おめでとう!」と友達のFBにタグ付けされたり、はたまた友達の友達からの伝聞だったりで、「結婚したんですか?」というメッセージもちらほらいただき、逆に気まずい……。
しかし今さらFBで、というのもタイミングが微妙すぎるので、半ば空き家化しているこちらに書くことにしました。

 

結婚したと申しましても、“入籍しただけ”で一緒に住んでもおらず、家探しがアパートの退去期限に間に合わなかったため更新してしまい、挙式も引っ越しも全くの未定。目下、週末のみの逢瀬という、平安時代の通い婚状態……つうか、前と何も変わってねー!
職場では旧姓で働いているうえ、結婚したからといって朝礼や会議でわざわざお知らせするような雰囲気でもなく、上司やチーム、あと手続き上の都合で人事の方に細々と報告したのみでした。
年末も、夫になった人は東京の自宅で過ごし、わたしはいつも通り実家と祖父母の家に帰省して、こたつがトモダチの寝正月を過ごしておりました。向こうの両親になんだか申しわけないので、ささやかな贈り物はしましたが、うーん、これでいいのだらうか……。
そんなわけで、結婚したことをどうやって自覚したらいいのかと戸惑っており、本人の実感が薄いゆえ、報告しそびれているというのもあるかもしれません。結婚は紙切れ一枚というけれど、実に文字通りで脱力しています。

 

直に報告した友達や親類には、「なんで結婚したの?」とよく聞かれるんですが、わたしの中では、「高度不妊治療を受けるため」というのが正解です。入籍後、まずやったことといったら、免許証の書き換えと、専門クリニックの予約でしたもの……。
ただ、おめでとうムードの中でそんな答えも興ざめどころか氷水をぶっかけるようなものなので、「長いこと付き合っていたから、そろそろ区切りをつけようかと……」と、よくある回答をしております。まあそれも、決して間違っているわけではなく、お互いの親への挨拶にも行くなどそれなりに段階を踏んではきており、さてそこからどうすんの? という感じではありました。ただ、プロポーズの儀式や言葉はお互い特になかったので、最終的にどこで結婚が決められたのか、今いち記憶が定かではありません(汗)。
本当は、その区切りってやつを妊娠にしたかった、未だに悪評高いデキ婚で終わりにしたかったんですけど、神様が許してくれず、大枚はたいて不妊治療の道を、粛々と歩んでおります(まだ初期の初期ですが)。子どもができない体で結婚するのも何となく申しわけないなあというのがあったから、子どもを作るために結婚するというのは、私的には、本末転倒感がなきにしもあらずです。ってか、そこまでして子どもが欲しいのかどうか? その金はどこかの孤児院などに寄付したほうが有効なのではないか? ……など、考えれば考えるほど深みにはまっていきます。

 

なんか、こんなふうに書いていると、結婚してうれしくないのかよ!? とお叱りを受けそうですね……そんなことはないんですけどね。こんな年増の醜女をもらっていただいて、ほんとうにおありがとうございますと感謝はしているのですが、どうも、新婚イエーイ!!みたいなテンションにはならないんですよ。損な性格ぅ……。
ただただ、実感がない。これに尽きます。まるで、離人症なのかと思うくらいに。それとも、脳の老化で感情が鈍化しているんでしょうか?
正直なところ、紙切れを出しただけでは、どこか他人事のような感じがあります。昔は、結婚には何か雷のように明確な啓示や、信仰にも似た確信があるものだと思っていました。「この人と会った瞬間、結婚するってピンときた」「この人と一生添い遂げる」みたいな……。もちろん、好きな人と結婚したので幸せには違いないんですけど、長く付き合ったせいか、現実の結婚はあまりに日常と陸続きで、砂漠に引かれた見えない国境線を越えるように風景は変わらなくて、それがどうも、従来のイメージと違う。結婚が決まった瞬間、「Butterfly」とかBGMで流れてもよさそうなもんなのに(笑)。
でも、安心してください、仲よしです☆ ちなみに旦那さんは、「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさんのような、あるいはノッポさんのような感じの人で、わたしの年甲斐もない不思議な服装を蔑むどころか褒めてくれる素晴らしく奇特な男性です。

 

金銭的な問題で、結婚式はうーん、ごにょごにょ……とお茶を濁す方向でしたが、結婚した自覚を持つためにも、ささやかでも何かしら儀式は行ったほうがいいのかもしれませんね。やっぱり、泣きながら花嫁からの手紙を読むことが、モラトリアムから抜ける第一歩なんでしょうか。
それに、一般的には人生の一大イベントと云われる結婚ですから、これまでの浪費や怠惰、不義理などについて見直すにはまたとない機会。どこまで行っても大人になれない感が付きまとっているけれど、今度こそ、この人生のカードを有効に使って、一人前の大人になりたいものです。

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