2015年06月29日

自由と欲望の狭間で、断捨離…とつぶやく

テーマ:上京後

部屋と人生は必ずしも一致しないとは思いつつも、このままだと人生が破綻してしまいそうな恐れすら抱かせる現在の部屋は、やはりどうにかしないといけないと、毎日のように考えています。
今さら云うまでもないですけど、とにかくモノが多い。大地震が来なくても、物理的に倒れてこなくても、今の状態ではモノに押し潰され、下手したらモノに殺されかねません。
モノが増えていくのは、ある段階までは幸せだったと思うんです。好きなブランドの好きな服、読みたい本、美しい雑貨…わたしは、好きなモノに囲まれて生きたかった。そしてそれは、ある程度、達成されました。
ところが、モノはあればあるほどいいかと云ったら、そうでもないらしいということに、やっとのことで気づき始めております。
ひとつひとつのモノは素晴らしいのに、わたしの小さな頭が把握しきれないために、モノの価値はどんどん暴落し、こないだ買ったアレよりも、お店でキラキラしているあの娘が欲しくなる。そして、かわいいあの娘をカオスな我が家に連れて帰って来た途端、お店での煌めきが魔法のように消え失せ…まではしないものの、半減してしまうのです。

 

そもそもは、引っ越ししたい→モノを減らさないと無理、というきっかけではありましたが、今は、引っ越しする/しないに係わらず、1日も早い身辺整理の必要性を感じています。近い将来に死期が迫っているのでしょうか…。
それで、春先くらいからボチボチ手をつけてはいたのですが、本は文字通りの二束三文にしかならず、あっという間にやる気が沈下。比較的単価の安い本でさえこんな気持ちになるなら、服なんて売ったら心がズタズタになるんじゃなかろうか。前に旅行資金に困って売ったときだって、「もう、お気に入りの服を売るような悲しい真似はすまい」なんて決意したくらいなのです。
そんなことを考え始めたら、当然ながらモノの処理は遅々として進まず、今に至っていたわけですが、最近、『ぼくたちに、もうモノは必要ない』という本を読んで、再びやる気が湧いてきました。
このテの本はもう読み飽きた、読んだ結果がこの部屋というザマだしな…と、懐疑的になっていたのですが、なぜかやる気になれたのは、この作者さんと、自分の背景がよく似ていたからです。
モノを買うのが大好きで、部屋はモノで溢れ返っていて、床と壁は本で埋め尽くされ、使う時間がないのにアンティークカメラをせっせとオークションで落とし、カメラの暗室まで作ったものの、現像した写真は整理しきれずにしまいこまれて、プリントとプリントがくっついてしまっている…。
「読んだ本は自分の一部だから、捨てたくない。興味のある映画や音楽を、他人にも示したい。いつか時間ができたえあ、とりかかりたい趣味がたくさんある」
ああ、わたしもまさにこんな感じだ。モノ=自分だと思っていて、だからモノを増やしまくっている。
そんな状態を彼は「マキシマリストだった」と表現しています。わたしも、モノの力で自分自身を増大させようとしている、まごうかたなきマキシマリストです。
昔の部屋と現在の部屋の写真が載っていますが、今はミニマリストを名乗るだけあって、居間には布団と木箱しかないところまで行きついています。ここまで変わると、そりゃ人生も人間性も変わりますよね。


本来なら荷物が少ないはずの旅人時代から人の5倍はモノが多かったわたしは、文字通りのミニマリストになるのは、たぶん、相当難しいと思います。
それに、禅寺みたいな部屋に住みたいわけでもないし(それはそれで憧れますが)、いくらモノがないったって、刑務所みたいな部屋は気分が滅入りそうです。
ただ、せめて、せっかくわたしの元に来てくれたモノたちを大切にできる部屋にしたい。わたしが好きになって、選んで持って帰って来たモノは、きれいに、大事に扱ってあげたい。「ああもう、ぐちゃぐちゃ!」とか云って無下にしたくない。モノを憎みたくない。
モノは、そこに居るだけで何も云わないけれど、何だかんだ手はかかるんですよね。特に服。白いシャツは、ちょっとメンテナンスを怠っただけで、すぐに襟の汚れが沈着する。いつ洗濯したのか記憶が定かでないから、えいっとクリーニングに出しては、それなりに金がかかる。車の維持費ほどじゃないけど、原理は同じです。
新しくモノを買うときもそう。あの機種とこの機種、どちらがいいか、どの本が面白いか、どの色柄がかわいいか…それを血眼になって検索しているとあっという間に時間は失われます。
つい先日もこんなことがありました。セールになっていたキティちゃんのワンピースを部屋着および近所出歩き用に購入、さっそく家で着てみた…まではよかった。その格好で、白いかばんについた赤カビらしきものを落とそうとしてカビキラーを吹きかけたところ、汁が服にこぼれてあちこちに色剥げがあああ!! わたしは思いました、「嗚呼、モノを減らすと云いながら、ついモノを買ってしまったからだ…」と。そして、その色剥げを隠すための方法を思案したあげく、キティちゃんのアップリケを貼り付けたらどうだろう!と思いついて、適切なアップリケをAmazonで30分近くもかけて探し、計2,500円分ものアップリケを買う…という結果になったのでした。
我ながら、“モノの奴隷"の見本のような人間だな、と呆れる以上に滑稽でした。
「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆる面倒が、ふりかかってくるものさ。運んだり、番をしたり……」と、旅人の理想像にしてミニマリストの神(?)、スナフキンも云っております。

 

そうは云っても、ここまで増えてしまったモノたちを一気になかったことにするのは、物理的にも精神的にも困難を極めます。
なんでもかんでも捨てて、「あースッキリした!」ではモノに申しわけなく、せめて、「ちゃんと使ったからもういいや」とか、「欲しい人の手に渡ったからいいや」とか思いたい。それが整理の歩みをのろくするんだけど、それでも、ね…。
モノの数を絞れば、埋もれて輝きを失っていたモノたちは、それはそれはありがたく蘇ることでしょう。だって、買ったときは、そのくらいありがたいと思って、これしかないと思って買ったのです。最初のときめきを再現しないまでも、せめて生き返らせてあげたいです。
モノが多くても、モノがイキイキと暮らしている空間というのはちゃんとあります。部屋しかり、デスクしかり。モノは多いし、ごちゃごちゃしてるけど、楽しげなオーラを放っているんですよね。せめて、そこに到達したいものですが…。

 

結局、何かを抱えていることは、心の不安と停滞につながるんだと思います。
それはモノだけじゃなくて、直近の仕事、煩わしい雑事、絶えず入ってくる有象無象の情報、複雑に絡み合う人間関係、将来に対する悲観……etc。
それらが一切なくなったら、人生はそりゃ味気ないものになりそうだけど、いまは抱えすぎてパンクしそう。いや、ふつうの能力の人ならこのくらいではパンクしないんだろうけど、低能かつ怠け者なので、キャパシティがたいそう低いんです(苦笑)。
一方で、衣食住も足りているのに、決して不幸なわけじゃないのに、常にどこかに欠損感があって、飲んでも飲んでも喉が渇く砂漠にいるような感覚に囚われます。
モノから解放されたいという自由への希求と、モノを手に入れたいという欲望と…この折り合いをつけるには、まだしばらく時間がかかりそうです。
でも、とりあえず、蔵書はもうすぐ段ボール4箱目を売ろうというところで、友達にもBL本を譲ったりして(笑)、少しずつ前進してはいます。部屋の見た目は未だ絶望的に変わっていませんが。。。

 

余談ですが、この手の「モノを捨てること・持たないこと」を推奨する本が、ことごとく電子書籍化されていないことに、いつも納得がいきません。超ベストセラーになった『断捨離』『人生がときめく片づけの魔法』あたりはkindle化されていますが、このジャンルではカリスマ的存在のドミニック・ロー●ーさんの電子書籍なんて、1冊もないですからね!
あれだけモノを減らすようにと迫ってくるのに、このような本棚のスペースを占領するモノを売るんですか、と、若干意地悪な気持ちになるんですよね。読んだら売るか捨てるかしてくださいって解釈すればいいの? それとも、ほかのどんなモノを捨ててもこの本だけは置いておく価値があるって云いたいの? …って、出版社の苦しい懐事情も分からないではないのですが。
まあでも、この本は面白かったから、特例でいいとしようか…1000円だし…。電子書籍で買えたら、文句なしにAmazonでいうところの5つ星評価だったのですけど(苦笑)。

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