2012年06月29日

80年代白昼夢

テーマ:偏愛
こんにちは。2012年6月末現在、日本で最も熱心に男闘呼組史を研究している野ぎくです☆
男闘呼組の記事になってからというもの、ただでさえ少ないブログのアクセスがさらに減っているように見えるのは気のせいでしょうか…。
しかし、世界中の誰ひとり興味がなくとも、肝心のわたくしが興味津々なのですから仕方がない。何せ20年以上も前の話で、現存する資料も少ないため、歴史研究並みの根気を要しておりますが、毎夜目を血走らせながら関連ワードで検索をかけまくり、関連書物も入手して情報収集に余念がありません。
おかげさまで、ウィキペディアに載っている程度の知識は試験に出ても全問正解できるほど頭に叩き込まれ、メンバーの妻子の名前までインプットされてしまいました。それは、研究者ではなくてストーカーのような気もしますが…ま、いいんだよ。だって、主要な歴史人物の婚姻関係だって把握しているもの。歴史研究においては必須項目ということで(?)。

男闘呼組はアイドルからロックバンドになろうともがく後期に惹かれるのですが、初期アイドル時代は、それはそれでやっぱり素敵だよねと思う、結局はミーハーなわたしです。
ひと粒で二度おいしいところが男闘呼組の魅力なんですよね。このハイブリッドな(?)バイオグラフィーを、何とか個性として確立してほしかったです。
ヤフオクでライブDVDを探しているうちに、アイドル雑誌の切り抜き出品に目が行き、恥ずかしながら落札してしまいました。いやーもうね、人生のうちで雑誌の切り抜きをわざわざ買うことがあるなんて、自分の中に無限の可能性を垣間見る気分ですよ。
だって、もう今はどこで何をしているのやら消息不明の成田くんが、若々しい満面の笑みでこっちを見ていたんだもの…まるで遠い夏の日の花火のようじゃないですか。当時のファンでもないのに、切なすぎて呼吸困難に陥りそうになったんですよ。他のメンバーも、眩しくて目が開けられないほどキラキラしていて、ああほんとにおっさんでもいいからこの4人が同じステージに立つところを観たいと切望する。無理だと思っていたTM NETWORKのライブだって叶ったんですもの…。

この情熱を他に向けられたら…なんてことはもう云わないようにしましょう、空しくなりますからね!
ちなみに、過去文献を当たる中で、中野ブロードウェイにて活動期間中に発行された音楽雑誌のバックナンバーも漁ってみましたが、表紙を見る限り“男”の文字すら見られなかったわ…。まったく相手にされていなかったってことなのでしょうか。Xとセッションしたことがあるっていう話は都市伝説なのでしょうか。
それとは裏腹に、アイドル雑誌では常連中の常連、表紙を飾ることも珍しくありません。アイドルならではのサービスカットもさぞかし満載なことでしょう(立ち読みできないので中身は未確認)。早く切り抜き届かないかな…。
ステージ衣装も、アイドル時代は力が入ってるなあと思います。パンクスとヤンキーが融合したような、硬派だけどギラギラな衣装なんですよね。スタイリストつけずに自分たちで選んでいたってどこかに書いてあったけれど、本当だとしたら尊敬するわあ。だって、小物の使い方とか、重ね着の仕方とか、憎たらしいほど上手いんですもの。
ポリス帽に黒いフェザーの襟巻き、真っ白なライダースの上下、薄い紫のスーツに赤紫色の帽子と大きなストール…と、文字に起こすと何となくヤバそうな着こなしですが、ルックスがいいのでちゃんとカッコいいんですよ。全員20才そこそこで、そんなに背も高くないのに、このハマリ具合はどうですか! とムダに机を叩いて力説したくなります。マントみたいなロングコート、花柄や豹柄のジャケット、帽子やストールなどの小物、重ね付けしまくったアクセサリー…。写真集(←しっかり入手済)を見る限りだとそんなに好みど真ん中のファッションでもないんだけど、映像に残っている衣装はほんとに素敵。
ちょうどミルクの秋物でライダースも予約していることだし、今秋からハード路線に方向転換しようかしらん。久しぶりにヒステリックグラマーあたりで買い物しようかしらん。

TM狂の頃も痛切に思っていましたが、わたしは今、どこよりも80年代後半の東京、それも原宿に行きたいです。原宿には今でもクレープ屋はあるし、Jショップには常に行列ができているし、竹下通りではアイドルのブロマイドも売られているしで、面影は随所にあると思われるのですが、お店はかなり変わっていますものね。何よりも今の原宿では、男闘呼組のブロマイドが買えません!(笑)
そもそも、わたしを男闘呼組などに走らせたのも、すべては80年代への不毛な憧れの為せる業。『君の瞳に恋してる!』なんか観ちゃったからいけないのです。
もはや男闘呼組動画で忙しいため、このドラマへの関心は薄れているものの…バブル後期のチャラくて楽しげな空気が詰まっていて、いかにも気楽な時代の気楽なドラマといった感じに和みます。主役の中山美穂と前田耕陽のカップルが、もう完全におとぎ話っつうか、少女マンガ。素直になれないキレイな女の子と、軽薄だけど心根の熱い男の子。脇役・菊池桃子の無邪気なヤリ○ンという役どころも意外性があってかわいいです。ミングルって今ではほとんど死語なんでしょうねえ…。
やー、だって80年代はミルクも全盛期で、アイドルの衣装提供とかしていた時代だもんねー。そういう意味ではモロ好みの時代だったんだねー。…と、今なら納得できるけれど、80年代にはしっかり生を受けていたわたしが、リアルタイムで時代の空気を享受していたかと云われると、全くそんなことはないのが何とも切ない。まるで白昼夢のようなわたしの80年代。
改めて振り返ると、80年代カルチャーのファンシーなお花畑具合ってすごくまぶしいですよね。人工甘味料のようにチープで毒々しくて、だけど心臓が跳ね上がるほどウキウキする。閉塞感ありまくりの現代に、この華やかなエッセンスはひと匙の魔法になりえるのではないかと大げさに考えてしまいます。わたしの乙女の先生だった野ばらちゃんはかつて、ファンシーは陳腐だと嫌悪していたけれど(今は知りませぬ)、ファンシー文化の過剰な甘さ、強力メルヘンコーティングは、ロリータ同様、なかなか過激でいいと思うんだよなあ。そして、乙女にとって過剰さこそは、人生のいばら道を歩く上での最大の防御法なんです、きっと。

男闘呼組でガツガツ検索をかけていたら、まさにその辺の80年代ファンシーを研究しているブログを発見。その名も「昭和的ガーリー文化研究所 」というブログです。
文章・内容ともすんごく面白いのだけど、とにかく物持ちがよいのには驚愕します。男闘呼組のレジャーシートを持っているのにもビビりましたが、かつて観光地のみやげ物屋には必ず売られていた“メルヘンしおり”を見たときは、「うぎゃーこれ昔絶対に買ったことある!」とパソコンの前で失禁しそうになりましたよ。わたしがお金持ちだったら、この人にミュージアムを建ててあげたい!
ここ数年の断捨離ブーム、特に震災以降は物を所有することの空しさについて考えざるをえない風潮になっていますが、「必要なもの以外は持たない」という考え方は、果たして最善なのでしょうか?
置いておく余裕が少しでもあるなら、昔好きだったものは取っておいてもいい、いや取っておいた方がいいと思うんですよ。「りぼん」のふろくのレターセットや、「Olive」のバックナンバーが実家の片隅から出てくるときのささやかだけど確かな興奮。それは多分、遺跡を発掘する感覚に似ています。廃墟が遺跡になるように、過去はいずれ、歴史になっていくのです。

同じように、「過去にしがみつくのはカッコ悪い」「今がいちばん大切」といった考え方についても、そんなことないよ、過去も時には素敵だよと思うのです(全部が素敵なわけはないですけどね)。
少なくとも、誰にとっても、どの時代にとっても美しく輝いている時間というものがあって、それを無理して切り捨てて、何が何でも今>過去というふうに貶める必要なんてあるでしょうか?
だって、過去という形になってから初めてよさがわかることだってありますもの。まさにわたくしの2012男闘呼組ブームがそうです。今、彼らがどんな活動をしていようと、それが昔に比べれば至極ひっそりしていようとそんなのカンケーねえ。あの頃キラキラしていたことは紛れもない事実だ!それさえも納得できない人も大勢いると思うが!(笑)

というわけで今回は、断捨離ブームに惑わされず、物を大切にというお話でした(っけ??)。
AD
いいね!した人  |  コメント(5)  |  リブログ(0)
2012年06月21日

ロックよ、静かに流れよ

テーマ:偏愛

あの運命の夜(って何だ!?)から1週間が経ち、男闘呼組ブームは沈静するどころか加速し続けている…これはもう、ファンになってしまったと認めるしかあるまい。
ブログではこのように堂々と愛を公開し、盛大に語りますが、日常生活においては、かくれキリシタン並みに沈黙を守りたいと思います。
CDはとりあえずヒット曲の入ったベスト盤があればよかろうと思っていたのに、後期のマニアックぶりが中毒になってきたため、中古でオリジナルCDを揃えようとしております。もうどっからどう見ても立派なファンです。いやーほんと、あのまま続けていたらどんなバンドになっていたんだろうと気になってしょうがない。今さら過ぎて泣けてくるけど(苦笑)。


さて、表題は、男闘呼組が人気アイドルだった頃に4人で出演した映画のタイトルです。
まさかこの年齢になってこの映画を観ることになるとは思わなかったし、好きになるとも思わなかった。だけどこれは何気に名作、青春映画の教科書的作品ではなかろーか? これをVHSのまま埋もれさせておくなんて、ちょっと抗議モノではなかろーか!?
何つってもタイトルがいい。公開当時も、タイトルはかっこいいなと思った記憶があります。でも「男闘呼組の映画でしょー。別に男闘呼組に興味ないしぃ」などと幼い反抗心から観ることはなかったんだよなあ…本っ当にかわいくない子ども! タイムマシンに乗って、幼なじみと一緒に映画館で観て、涙で頬を濡らしながらきゃあきゃあ云いたいよ! わたしの人生って、こうした後悔の連続ばかりなのかしら…。


わたしはそもそも、このテの青春ものによくある、“不良だけど本当は心根のやさしい奴が、スポーツやらバンドやら熱血先生やらによって成長していく”タイプのストーリーがあまり好みではありません。
それって、もともと真面目に生きてる普通の学生たちがバカみたいじゃん? ヤンキーもさ、本当はやさしいんなら他人をムダに傷つけるなよ、と思うわけ。それで「誰も本当のオレを分かってくれない」とか云われても、お前の本当の姿を、なんでこっちがわざわざ見抜いてやらなきゃいけないんだよ!とか思うわけ(イヤな大人だなー)。
で、この映画は、もう王道すぎるほど王道の、そのテの青春映画なんですが、なんだかとっても素直に観られたんですよね。
原作が実話にもかかわらず、ストーリーは清々しいほどベタで、理由なき反抗感が満載です。
両親の離婚によって、東京から松本に引っ越してくる高校生の俊介(岡本健一)。転校初日、同じクラスのツッパリ・ミネさ(成田昭次)にいちゃもんをつけられ、車の廃工場で取っ組み合いのけんかをした末、仲よくなる。
…っていうスタートからもうベタ!ベタキング! 大した理由もなくケンカ売るとか、さすがツッパリ!(笑)
その後、学校一のツッパリ・トンダ(高橋一也)とややヘタレのトモ(前田耕陽)も仲間に加わり、4人で東京に行って憧れのバンド「CRIME」のライブを観たことをきっかけに、「バンドやろうぜ!」……っておい、青春剛速球どストライクじゃねーかよ!
他校の不良にからまれているトンダとトモを助けてケンカになるとか、レコード屋で万引きの疑いをかけられた女子高生を助けるためにミネさが店長を殴るとか、そのことで警察沙汰になり学校に親もろとも呼び出されるとか、楽器を買うために全員でコツコツ肉体労働のバイトをするとか、んもう期待を1ミリも裏切らない王道の展開が、これでもかと続きます。そして、悲劇が彼らを待っているところまでも…。


ただ、この悲劇=いちばんの泣かせどころでは、派手に演出しないんですよ。すごく静かに表現している。うーん、奥ゆかしくてよいなあ! そういうギリギリのところで陳腐に堕ちきらないところが、実話だからなのか、演出がうまいからなのか。
キャラクターもストーリーもテンプレどおりなのに、ああ、案外これがリアルな青春の姿かもって思える。狭い世界観の中で苛立ち、鬱屈し、もがく姿って、不良であろうがなかろうが同じで、誰しもそれぞれの形で青臭い時代をくぐり抜けて大人になっていったんだわ、とこれまたテンプレどおりのことを思う(笑)。
青臭いことは恥ずかしい。厨二病も恥ずかしい。だけど、その恥ずかしさの泥の中には、小さくても確かな、ある種の輝きが交じっているんじゃないのかしら。
そんな、青春の恥ずかしさと儚いけれど強烈な輝きが、男闘呼組4人のナチュラルすぎる田舎ヤンキーっぷりによって、すごくいい感じに表現されているんですよね。
セリフから仕草からいちいち、“必死になって背伸びしているクソ生意気な男子”がこぼれ出ていて、胸キュン(死語)が止まりません。音楽の映像ではどう見てもおっさんの高橋くんでさえも、立派に青臭い悪ガキしてて、何だかニヤニヤしちゃうわ。
田舎の若者の鬱屈って、どこもきっと変わらないんだろうな。わたしの住んでいた町も、こんな感じだったと思う。都会は遠くて、世界は狭かった…。そんなノスタルジックな気持ちを、地方都市・松本の風景が、そして、初期男闘呼組の暑苦しいヤンキーロックがいっそう盛り上げてくれます。「ROLLIN' IN THE DARK」って古典的だけどいい曲だよね~。


成田くんが岡本くんの家に誘いに来るとき「かったおっかく~ん」って外から呼び出すんだけど、昔ってホントに、こうやって友達のこと呼び出してましたよね。「○○さーん、あーそーぼー」とかデカい声で。このシーンに、いちばん懐かしさを感じたかも。
他にも、4人でボーリングに行って、球を落としちゃう前田くんに、高橋くんが「あぶねーなっ!! 足当たったらどーすんだよお前はよ!?」と怒鳴るシーンも好き。
前田「でも当たってないじゃん」
高橋「当たったらどーすんだよ! 責任持つのかよお前がよー!」
こっ、この幼稚な応酬~! かわいすぎる(笑)。


青春、ロック、友情、儚さ、ダサさ、バカさ、ひたむきさ……そういうものが一分の隙もなくぎゅっと詰まっていて、誰かにそっと、「あの、これ、青春です」とお中元のように渡してあげたくなります。あ、本当に渡したりはしないので、この記事を読んで、まだ観たことのない誰かが、ひっそり観てくれたらうれしいです。
この映画に閉じ込められた“永遠のひととき”が、短命で終わってしまった男闘呼組というバンドの姿とも重なって、きゅううっと切なくなること請け合いです。


(追記)
その後、原作も買って読んでみました。
原作は、小説ではなくノンフィクションで、主人公・シュンスケの母親の手記というかたちを取っています。
原作と映画(ドラマ)はなかなかうまく両立しないものですが、これは理想的な結婚ですね。相互補完具合が完璧。
映画化は、原作に忠実であること以上に、原作と映画の本質が同じであることが大切なのだろうと思います。
と、年間10本くらいしか映画を観ない人間がエラそうに語っていますよ…。


不良やヤンキーを過剰に美化するのは好きではないけれど、これを読むと「このクソ忙しい現代に、本当のキミの姿なんか見る余裕は誰にもないんだよ」などと考えていたことを反省せざるをえませんでした(苦笑)。
子どもたちに、大人と同じものを求めてはいけないですよね。逆に、大人には分からなくなっていることを教えてくれもするわけですから…。
ここに出てくるシュンスケやミネさ、トモ、トンダ、それに映画には出てこないセンセイ、オバといった仲間たち…みんなヤンキー(ってか時代的にはツッパリか)だけど、愛すべき人たちなんだよね。ツッぱるだけでなく、自分たちを分かってもらおうと、若さというエネルギーの限りを尽くして必死にもがいている。
そして、このお母さんが彼らを愛し、応援し、時には叱り、一緒に成長していこうとする姿には敬意を通り越して畏怖すら覚えます。


「ロックよ、静かに流れよ」という秀逸なタイトルの意味は、映画のラストシーンでやっと分かるのですが、原作ではもう少し詳しく書かれています。
友達の通夜の晩、遺体を囲んだ仲間たちが、彼の好きだったロックの曲をかけながらこう云うのです。


「オレ、ロックがあんなに淋しく聞こえるなんて思ってもみなかったじー」(※語尾は方言)


すさまじいパンクの叫び、それが心にしみるほど淋しかった、というのだ。
(中略)
どんなにけたたましくても、いま、ロックは静かだった。心に添ってやさしく、そして淋しかった。


ここはもう、映画の映像がフラッシュバックしてくるせいもあって、何回読んでもぐっと来るものがあります。


そして、ミネさがシュンスケのお母さんに云うこのセリフ、映画では出てこなかったけれど、これまた心に刺さってきます。
「人間って、やり直せるんだね」
ミネさを演じたあの人も、どこかで、そう思ってくれているといいな…なんてね。

AD
いいね!した人  |  コメント(3)  |  リブログ(0)
2012年06月17日

ま、さ、か、の

テーマ:偏愛

またわたしの中に、不可解きわまりないムーブメントが起こりつつあります。
つい先日まで、心はキリシタンブームに占拠されて1600年代初頭の長崎あたりにいたはずだったのですが、わたしが現在いるのは(いや、いないけど)ラスト・オブ・80s。でもTM NETWORKじゃありません。
なんと今、わたしは男闘呼組が気になっているのです。……おい正気か!? ウソだろ、ウソだと云ってくれよ!! これまでの人生でジャ●ーズにハマったことは一度もなかっただろ!? 3年前にメンバーの一人が大麻で逮捕されていたことにも気づかなかっただろ?? まさか、4人組の天正遣欧少年使節にハマった流れから、同じ4人組つながりで男闘呼組なのか!?
自分のことがよく分からなさすぎて、自分探しの旅に出てしまいそうです。どうか、誰か、わたしの頬を引っぱたいてください…。


昨年のTMブームもかなりの謎具合でしたが、それでもまだ、TMには根強い人気があり、出戻りFANKSなんて人たちも少なからず(?)いて、その結果がこの春の武道館2days&新曲リリースにつながり、ついでに春の天皇賞ではビートブラックというTMの曲名を冠した最低人気の馬が勝利するなど、結果的には、そんなに悪くない流れになっていると思うのです。
しかし…男闘呼組は…どうなんだ…。TM以上にいろんな意味でハードルが高いぞ…。再結成の望みは恐ろしく薄そうだし…。
さすがに彼氏も呆れるのを通り越して、「どうせ10年後には『嵐っていいよね!』とか云ってんじゃないの~!?」と侮蔑交じりの声で非難しておりました。


いったい何をどうしたら21世紀も10余年を過ぎた今になって男闘呼組なのかといいますと、例によって動画サイトですよ。つべ、本当に恐ろしい子…!!
急に昔のドラマ『君の瞳に恋してる!』が観たくなって(こういうのたいがい何の脈絡もないんだよなぁ)、うわーなんてバブリーでラブリーなドラマだったのかしらんと甘酸っぱいトキメキに悩殺されつつ、前田耕陽くんといえば海原ともこ…じゃなくて男闘呼組でしょ、と思い出したのが運のつき。
「え、けっこうカッコよくね? 成田昭次の声セクシーじゃね? 高橋一也って歌うまくね? 岡本健一ってこんな美形だったっけ?」などと温故知新的感動を得てしまったのでした。
男闘呼組といえば「DAYBREAK」「TIMEZONE」あたりの初期が最盛期で、それはそれでもちろんいいんですけど、92年あたりの活動後期のライブ映像なんか観ると、もはやアイドルバンドとは思えないほど普通のロックバンドしてます。ちゃんと自作曲&演奏で(初期はおそらくエアのはず。いくらなんでもギターが巧すぎです!)。
「なんで解散してしまったんだ…この路線、悪くないのに…このまま続けていれば、いいロックバンドになったかもしれないのに!」と20年近くも前のことを悔しがってしまいました。成田さんのチンピラ声&雰囲気は、ブランキーのベンジーにも通じるものがあると思う…たぶん誰も賛同しないだろうけど(苦笑)。
音楽もけっこうカッコいいのですが(洋楽元ネタありそうだけど)、素晴らしいのがコーラスのハモリ。成田×高橋、高橋×岡本の声の重なり具合は鳥肌もの! 成田さんの声量少なそうなギリギリの声が好きだけど、高橋さんの安定感あってこそですね。さらに、前田さんの声がふわっとかぶさってきて、分厚くて広がりのあるサビになるのがたまりません。


あと、楽曲に関しては、キーボードの入れ方が勉強になります。
もはや幽霊部員化しているバンドのキーボード奏者として、長年悩んでいたんですよ、「いったいこのロックな曲に、どうやって鍵盤を絡ませたらいいんだ!?」と。DEEP PURPLEはちゃんと楽譜があるからいいんですけど、元々鍵盤の入っていない曲の場合、自分でアレンジして入れなきゃいけないから超苦労していたの。ていうか、そういう曲の場合は何も弾かなかったの。なもんだから、干されつつあるの。
男闘呼組の曲は、曲調はロックなんだけど、メンバーの一人が鍵盤担当だったからか、初期の作曲者が鍵盤奏者だったからか、わりと分厚く大きめに音が入っていていて、さらに、おそらくあまり鍵盤技術が高くないであろう前田さんのために、簡単だけど印象に残る音を入れていたりするのが心憎い。前田さんの微妙な立ち位置(必要なの?的な…)も併せて参考になります(笑)。ま、最も現在、わたしは活動休止状態ですがね…。


となんだか熱く語っているのも気恥ずかしい限りなんですが…。
思えば、幼なじみが男闘呼組と光GENJIの大ファンでした。
その頃は、光GENJIより光源氏の君の方がよっぽど好きだったし、アイドルといえば源義経だったので、「岡本くんカッコええやろ」と力説されても「そう? なんかナルシストっぽくて好きじゃないわあ」などと生意気なアンチコメントをしてほとんど興味も示さなかったのですが、表層意識とは裏腹に、彼女の影響がしっかりと記憶の地層に刷り込まれていたのでしょうか。まあ歌謡番組は観ていたから、ヒット曲はいやでも覚えていますしね。
その幼なじみに半年ぶりくらいにメールを送り、「男闘呼組のCDとかビデオとか持ってへん?」と尋ねたら、「へ? あんた、好きやったっけ??」と驚かれてしまいました。は、恥ずかし~~~。。。
ごめんね、あの時一緒にファンになれなかったわたしを許して!! 今なら一緒に云えるよ、「岡本くんは超絶イケメンだよね!」って! でも誰か1人のファンになるとしたら、成田くんのファンになるだろう!
しかし、当然ながら彼女の男闘呼組ブームはとっくに終わっており、ビデオも音源もすべて廃棄済みでした。ま、音源は小学生当時はカセットでしたから、今もらってもしょうがないっちゃしょうがないんですけどね。
何せ、ベスト盤とライブDVDがAmazonの中古でたいへんな高値になっているんですよ。さすがにTMでも、DVDに10000円以上出すのはちょっと…っつうか出せないよ。新宿のTSUTAYAにも、最初のベスト盤しか置いてないんだよね~…後発の方が欲しいのですが。仕方ないので、相変わらず動画サイトのお世話になっております。
ああ、カラオケ行きたい。そして、誰に気兼ねすることなくTM&男闘呼組を歌いまくりたい。♪SHOW ME 分からない この愛の意味が~♪

AD
いいね!した人  |  コメント(8)  |  リブログ(0)
2012年06月13日

長崎のほんとのおみやげ

テーマ:

暑苦しい記事が続きましたので、ここらでお口直しのデザートをお届けします(遅いって)。長崎みやげです。


【教会グッズ】
今回は、旅行の主旨的にもやっぱこれですね。長旅をしていた頃から、教会グッズにはつい反応してしまう癖がありまして、長崎でも五島でも、教会グッズを見るのが旅の楽しみのひとつでした。
だから、大浦天主堂入り口の教会ショップが定休日だった時は、友人ともども激しく落胆したものでした(友人は以前、カトリックに入信しようと考えていたので、本当は教会好きなのだ)。

信者でもないのにロザリオをぶら下げるのはいかがなものか…という抵抗感はあるものの、やっぱりロザリオは、アクセサリーとして素直にかっこいいです。キリスト教伝来時は、ファッションとして身に着けている若者も多かったそうなので、そんなに間違ってはいないんです、きっと…。
でも、教会で売っている聖具のロザリオにはそこそこの値段がついており、金遣いの荒いわたしでもちょっと躊躇します。
そこで、行き場を失った物欲を埋めてくれるグッズが、メダイです。聖人の像が刻まれたメダルですね。
こちらは平均500円くらい。もちろん、純金製などは値段が高く、安いものは素材も安っぽいのですが、まあチープなくらいの方が、信者でないわたしが買うのにも気兼ねがなくていいです。
惜しむらくは、どこの教会でもそんなに売られているものが変わらない点ですかね。ご当地系、限定モノなどがあったらなあ(キティちゃんかよ)。
これらは、大浦天主堂横のキリシタン史料館で購入しました。コルベ神父のメダイ(右)がご当地系でしょうか。


放浪乙女えくすとら-medai コルベ神父は、アウシュビッツで信者の身代わりとなって亡くなりました。


五島の教会のステンドグラスをモチーフにした本の栞です。
わたしが買ったのは堂崎教会バージョンで、このほかにも代表的な8つの教会のバージョンがあります(道の駅で見かけた)。
聖具系以外で教会関連のおみやげはあまりないので、これは気軽に買えていいですね。


放浪乙女えくすとら-shiori 左は堂崎教会売店謹製のいけてる包装紙。


今時のガイドブックには必ず載っている、有名雑貨店「たてまつる」のオリジナル手ぬぐい。
教会グッズではないのですが、教会モチーフ満載の柄! なんとザビエルや天正遣欧少年使節もいるよ!
このお店では、長崎らしい和洋折衷感あふれるグッズがいろいろ売られていて、物欲を大いにそそられました。少年使節グッズ、作ってくれないかな…。


放浪乙女えくすとら-tenugui1


放浪乙女えくすとら-tenugui2 あの少年たちが!


【椿】


放浪乙女えくすとら-tsubaki


五島といえば椿、椿といえば五島です。
近所の薬局に行けば必ず置いてある椿油ですが、国内の生産地は限られており、五島列島は伊豆諸島に次ぐ全国第2位の生産量を誇っています。中通島の有方地区では、「資生堂」と書かれた何某かの施設の看板を見かけました。あの赤いシャンプーで五島の椿が使われているんですね。


椿油はまあ定番として、右は椿油を使った竹炭石鹸。
石鹸にしてはそこそこいい値段しますが、「わたしも使ってるのよ~」とこれを薦めてきた奈良尾フェリーターミナルのおみやげ屋のおばさんが、めちゃくちゃ肌がキレイだったので、つい…。
なんかもう、肌が発光している感じだったんですよ。ファンデの厚塗りとかではなくて! あのおばさんは、売り子としてあまりにも説得力がありすぎました。
今はまだ他の石鹸を使用中なので開封すらしていませんが、早く使って顔を発光させたいです。


それにしても、五島を表すキーワードが「椿」に「教会」って、どんだけ乙女チックなんですかね!(完全に色眼鏡)


【そのほか】


放浪乙女えくすとら-gotouyaki


五島焼の箸置き。
とある仕事の関係で、昨年来、陶磁器が何かと気にかかるようになりまして、もうそこら辺の適当な器や湯飲みを買う気になれず、また金食い虫をひとつ増やすことになっております。
と云ってもまあ、月に1個買えばいい方で、従来の服道楽に比べたら微々たるものではありますけどね。
でも、陶磁器は服以上に趣味とインスピレーションの買い物ですねー。手に取って、手放しがたい感じがあるかないかだけ。良し悪しは、正直よう分からん。
この妙ににこやかな魚に、「え、俺らを置いていくの?!まさかそんなことないよね??」と云われているような心持がしたりしなかったりで、なんか気がついたらレジにいました。

放浪乙女えくすとら-kasutera


上記「たてまつる」で買ったカステラ箸置き。他に抹茶カステラとチョコカステラバージョンあり。
カステラをかわいい!と認識したのは、初めてかもしれません。そのうちエミキュやミルクでも、カステラ柄ワンピースとか出るでしょうか(出ないか)。
箸置きばかり買っていますが、正直なところ、一人暮らしの食卓で箸置きを使うような優雅な心は、わたしにはありません。。。


放浪乙女えくすとら-gunkanjima


おおよそ乙女らしさゼロの軍艦島ストラップ。でも金属のかすれ具合とか無骨さとか、軍艦島らしくていい!
彼氏とペアでネックレスにするのはどうだろう? と思って買ってみたけれど、あっさり断られました。。。うん、まあ気持ちは分かる(泣)。

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2012年06月08日

旅の置きみやげ~終章に代えて

テーマ:

長崎・五島の旅が、わたしに置いて行ったみやげ…。

それは、わたくし史上空前のキリシタンブームでありました。




…えっ、ジャンプの次号予告ばりに煽っといてそれかよって???(汗)





<野ぎく的キリシタンブームの変遷>


カクレキリシタン





天草四郎と島原の乱





天正遣欧少年使節





ペトロ岐部 ←今ココ!




というわけで、ここ1か月ずっと一人キリシタン祭りなんですよ。第23次戦国ブーム到来ですよ。そのうちザビエルの伝記とかフロイスの『日本史』とか読み始めそうですよ。

歴史好きの常として、戦国時代は必ずそして何度もハマる時代のひとつではありますが、キリシタンという観点でハマったことは、かつてなかったような気がする。しかしこの分野は、想像以上に豊穣な世界だったわ!

これでもけっこう歴史には詳しいつもりでいたけれど、まだまだいくらでも知らないことはあるもんですね。そして、知りたいという情熱に身を任せるのは、とても心地のよいものです。また本代が嵩んでいますがね…。

そんなに好きならいっそのこと自らもキリシタンになればより理解も深まろうというものの…どうしても、どーーーしても聖書を読み通す気力が湧いてこない!

まんがで読む『旧約聖書』も買ってみましたが、まんがなのに挫折しちまったもんなあ。キリシタン史を知るうえで必須科目なのは重々分かっているんですが!




【カクレキリシタン】

長崎の雑貨屋で目に付いた、そのものズバリなタイトルの『カクレキリシタン』という本を買ったことから、ブームはスタートしました。

「カクレキリシタン」という表現の背景は、やや複雑です。正確には、幕府の禁令以降も密かに信仰を守っていた人々を「隠れキリシタン」または「潜伏キリシタン」と云っていました。

しかし、明治になってキリスト教が認められた後も、一部の潜伏キリシタンはカトリックに戻らず、代々受け継がれてきた教えを信仰し続けました。

彼らはもはや隠れているわけではない。けれどもその信仰はカトリックではない…。ということで、「カクレキリシタン」という独自宗教として表されるようになったようです。

かくいうわたしも、「隠れキリシタンってなんだかロマンチックだわ~」と軽く考え、五島にも“隠れキリシタンの里”のイメージを抱いて訪れましたので、「カクレキリシタン」の存在を知って驚きました。




神父もいないまま250年の時を経た信仰は、元々のカトリックキリスト教からは大幅に変化し、独立した土着宗教の体を表しています。

元ネタはもちろんカトリックに依拠しますが、カモフラージュとしての仏教や神道といつの間にか色濃く混ざり合い、さらには口伝に次ぐ口伝によって、ある種いびつなほどの変貌を遂げました。




例えばこんな具合です。




帳方=神父的な役割の最高指導者

オラショ=お祈りの言葉

お授け=洗礼

納戸神=ロザリオやクロスなどの聖具を密かに祀ったもの

マリア観音=文字通り、聖母と観音のミクスチャー

日繰表=教会暦

ツモト=礼拝のための御堂で、帳方の家であることが多い




とにかく、混ざりに混ざった化学変化のごとき変遷っぷりに、興味は尽きません。

お正月に小さく切った鏡餅を聖水で清めて信徒に配る「餅ならし」などはミクスチャーの典型的な例と云えそうですし、五島の頭ヶ島教会近くの墓地のお墓も、日本のオーソドックスな墓石の上に十字架が乗せられていましたっけ。

また、カクレキリシタン文化の象徴的な例であるオラショは、ポルトガル語の「祈り」=オラシオから来ているもので、元はもちろんカトリックの祈りの言葉ですが、今では音だけが残って意味不明な個所が多々あるそうです。伝言ゲームですね…。

既存宗教が土着信仰と結びつくケースは世界各地にありますが、それらは素朴であればあるほどに神秘性或いは呪術性を高めていくように思われます。信仰のパワーがより純化していくのでしょうか。

信仰にとって重要なことは、“何を信じているか”ではなく“信じていること”そのものなのかもしれません。




参考書によると、今も五島にはカクレキリシタンの集落がわずかに残っており(大半は解散)、キリシタンを御神体として祀る「キリシタン神社」なるものもあるようです。ああ、知っていれば車で通過するくらいはしたかった…!

まあでも、旅行前の予習ってあんまり身が入らないというか、今いち想像力が及ばないので仕方ないですね。やはり向学心が湧いてくるのは旅行直後です。

しかしながら現在、カクレキリシタンはほぼ絶滅危惧種的存在(福江島は1999年時点で1集落のみ)。失われていくものへの郷愁に弱いわたしは、最も色濃くその文化が残る長崎の生月島に、激しく心を掴まれております。次の行き先はここかしらん…。





【天草四郎と島原の乱】

天草四郎といえば三輪明宏。現代の連想ゲームではそうなっていますが(?)、実際には、天草四郎はあまりにも謎に包まれており、実在さえも怪しいという説もあるくらいです。

「海の上を歩いた」「盲目の少女を治した」など数々の奇跡を行った話に始まり、聡明な美少年だった説、ハーフだった説(髪が赤いという証言がある)、豊臣秀頼の子孫説……まあ何しろ、わずか16歳で3万人を率いる乱の総大将だったわけですから、華麗な伝説に彩られるのも当然の成り行きではあるでしょう。

常識的に考えれば、奇跡は手品や奇術の類であり、カリスマ性は周囲の大人たちによる演出であろうと思われますが、んなこと云ったらちっとも面白くない上に空しくなるので(笑)、やっぱり四郎は神の使いで、天才の美少年でないといけません。





島原の乱には、キリシタンとしての殉教戦争なのか、厳しい年貢の取り立てに抗議する農民一揆なのかという争点があります。それを顕著に表すように、カトリック教会は戦死者たちを殉教としても、キリスト教集団としても認めていません。

しかしながら、厳しい貧しさから出発する信仰というのは確実にあるでしょう。聖書の有名な言葉「貧しき者は幸いなり」は、信仰に頼る以外の術を持たない貧しく弱い者たちに対して、必然的に放たれた最後の救いなのではないかと思います。

そして、貧しく弱い人々が「このまま黙っていたって人生はひどいままだ。それなら命を惜しまずに、少しでもよくなる可能性に賭けたい」と考え、死を恐れず奮戦したとしても何ら不思議ではありません。




ただ、幕府軍=強者、一揆軍=弱者という図式はやや単純で、一揆軍を率いていたのは戦いのプロ集団(浪人)であり、武器や火薬も大量に備蓄していました。

そして、キリシタンの迫害や殉教ばかりがどうしても目につきますが、実際には、キリシタンが寺社を焼き払ったり、改宗を迫ったりというキリシタン→仏教徒への迫害というのも多々ありました。この辺りは、宗教の負の面がモロに表れていますね。

島原の乱は、れっきとした“戦争”だったわけです。決して無謀な体当たりではなく、勝算もきっとあったのではないでしょうか。ことと次第によっては、キリスト教王国を打ち立てる革命になり得たのかもしれません。キリスト教をよく分かっていない農民たちも、“ここではない理想世界”の獲得のためなら喜んで戦ったのでしょう。

幕府が12万5千もの大軍(大坂夏の陣が15万5千だったことを考えると相当な軍勢)を以て徹底的に制圧したのも、よくある農民一揆ではなかったからではないでしょうか。




3万人ともいわれる一揆軍は、3か月間籠城しましたが、兵糧が尽きたところを攻め込まれ、女子供に至るまで根絶やしにされました。島原の人口は激減し、大量の移民を招致しなければなりませんでした。

今でも原城址からは大量の人骨が出てくるといいます。前回の旅行記で書いた、島原の喫茶店の方は「あそこに行くと、どうにも普通でない空気が漂っていて、恐ろしい感じがする」と話していたそうです。




【天正遣欧少年使節】

天草四郎についてあれこれ調べていると、「天草四郎は千々石ミゲルの子」という説にぶち当たりました。

前述のように、豊臣秀頼の孫という伝説もあるくらいなので信憑性は薄いと思われますが、全面否定したくない何かを大いに孕んだ説ではあります。

千々石ミゲルは、九州のキリシタン大名たちによってローマに派遣され、時の教皇・グレゴリウス13世に謁見した天正遣欧少年使節の一人です。4人の使節のうち、ただ一人、棄教したことで異彩を放っており、島原城のキリシタン史料館でも彼だけが卒業アルバムで右端にいる欠席者のごとく、別展示が小さく設けられていました。

厳しい迫害の中で信仰を捨てたんだろう、と昔は単純に思っていましたが、大人になった今は、もっと何か屈折した、複雑な理由が絡み合っているのではなかろうかと、深読みしてしまいます。

棄教の理由は、学業に就いて行けず挫折した、奴隷貿易を目の当たりにしてキリスト教世界が信じられなくなった、など諸説あるようです。ただ、棄教後は仏教徒にもならなかったので無神論者になったのではないか、ともいわれており、天正遣欧少年使節を知るための課題図書『クアトロ・ラガッツィ』では、作者はミゲルを「現代に生きるわれわれに最も近い人間だったのかもしれない」と評しています。

わずかな文献からの推測ではその心の内を正確に知ることはできませんが、彼の複雑な人生を思う時、天草四郎が息子であってもいいのではないか? という感傷に囚われるのです。

ちなみに今読んでいる本は、『千々石ミゲルの墓石発見』です。すごいタイトルだ(笑)。





ミゲルと対照的なのが、中浦ジュリアンです。

島原カトリック教会の庭には、中浦ジュリアンの銅像がありました。「はっ、ジュリアンだ…」と、わたしは知り合いでもないのにその名前にドキッとして、しばしその前に立ち尽くしました。

遠い昔、『まんが歴史人物事典』でその名と簡単な経歴を読んだ記憶が、急にまざまざと浮かび上がってきたのです。4番目に配されたジュリアンの経歴の最後は、「殉教した」とありました。

千々石ミゲルは上記のとおり棄教し、正使の伊東マンショは若くして病死、原マルチノはマカオに追放され現地で死亡。最後まで生き延びた中浦ジュリアンが殉教というかたちでその生涯を終えたという史実は、子ども心に、非常に暗い影を落としたものでした。

庭の銅像は、少年の頃のジュリアンではなく、ずいぶんと年を取っていました。4人の中で一番長く生きたがゆえに、刻一刻と酷くなってゆく迫害の中に身を置くことになったジュリアンの苦しさが、その表情にありありと浮かんでいるようでした。




使節のローマへの旅は、帰国まで含めるとなんと8年もかかっています。

10代前半で旅立ち、20代前半で帰国。現代に置き換えたとしても、感受性の最も強い時期にこれだけの体験をしたことは、その後の彼らの人生を確実に決定づけたことは疑いようがありません。

何しろ渡欧時、現地での歓待ぶりは凄まじく、ローマの前にはスペインに滞在し、かのフェリペ2世にも謁見。グレゴリウス13世は謁見直後に病死しましたが、次の教皇シスト5世の即位式・司教座獲得式にも主賓として招かれています。

まだ日本がほとんど世界のことを知らなかった時代(逆も然り)に、これだけの体験をした日本人、それも10代の少年たちがいた…それだけでも背筋の震えが止まらなくなります。

子どもの頃はその凄さが今ひとつピンと来なかったけれど、改めてこの事実を噛みしめると、日本史上きわめて偉大かつ稀少な体験であったことを痛感せずにはおれません。




65歳で刑場に引かれて行く時、ジュリアンは「わたしはローマに行った中浦ジュリアンである」と叫んだといいます。

いろいろと解釈の余地がありそうな言葉ですが、栄光と苦難に満ちた青春の旅路は、激しい迫害を受け続けても色褪せるどころか、いっそう輝き続けていたのであろうと想像します。

彼は無論、キリスト教に殉じたのですが、その体験の尊さ、“この目で世界を見てきたのだ”という事実に殉じた側面もあるのではないでしょうか。そして、それを与えてくれたキリスト教というものに対して義を貫いたのではないか…なんて、感傷的すぎますかね。

『クアトロ・ラガッツィ』のラストで、穴吊りの刑に処されるジュリアンが、船上で皆で魚を釣っていた時のことを思い出す…という小説風の記述が出てきます。その平和に満ちた光景と真っ暗な穴の対比があまりに壮絶で、わたしは心の汗を大量にかかずにはいられません。

穴吊りとは、1メートルほどの穴の中に逆さ吊りにされる刑なのですが、内臓が下がらないよう体を縄で巻き、頭に血が上るのでこめかみに穴を空けて血を抜き、すぐには死なせずじわじわ苦しめるという、当時の拷問の中でも群を抜いてエグいものでした。彼は吊るされたまま聖歌を歌いながら、静かに死んでいったそうです…って、もうだめだ、書いているそばから涙腺が破壊されるわ!

ジュリアンについて詳しく書かれた本が、あまり無いのがさびしい限りです。1冊の本としてまとまっているのは、現在取り寄せ中の『西海の聖者・中浦ジュリアン』くらいでしょうか。本当は、児童向け伝記『デウス様なにをお望みですか?』が欲しかったのですが、残念ながら絶版になっており、銀座の教文館(キリスト教専門書店)でも見つかりませんでした。そもそも天正遣欧少年使節関連の書籍って、かなりの割合で絶版になっているのよね!







放浪乙女えくすとら-shimabara031
大人ジュリアンの像。




【ペトロ岐部】

キリシタン史に興味を持たなければ、一生知りえなかったであろう名前…。どこやねんグアテマラ、だれやねんペトロ岐部です。

天正遣欧少年使節を調べていてヒットした、「ヘラクレス歴史ブログ
」というすんごく面白い歴史まんがブログで知りました。主に南蛮・蘭学系のあれこれを扱っており、今のわたしの興味にどんぴしゃすぎるうえ、歴史上のあんな人やこんな人のキャラ把握が本当に上手い。またそれが絵になっているから最高に分かりやすいのです。

最近は、500円のお弁当を食べながらこちらのブログを読むのが会社での楽しみです。




で、ペトロ岐部とは、江戸時代初期に生きたイエズス会日本人司祭で、、“世界を歩いた神父”といわれています。その冠にふさわしく、彼の旅路は、日本→マカオ→マラッカ→ゴア→バンダル・アッバース→バグダッド→エルサレム→ローマ→リスボン→ゴア→マニラ→日本…という凄まじいものでした。ゴアからエルサレムは、イスラム教徒の隊商に交じっての砂漠越えです。

旅の目的はただ一つ、ローマで司祭になることでした。よくも悪くもアグレッシブな性格が災いして、日本やマカオのイエズズ会では司祭にしてもらえなかったのです。「それなら自らローマに行ってやるわ!」と、マカオを脱出し、バイトしながら自力で旅を続け、見事ローマで司祭叙階を受けたというんですから、驚きすぎて空いた口がまる1日塞がりません。


旅立ってから実に16年ぶりに帰国し、禁教令下で布教活動を続けましたが、ついに捕えられます。中浦ジュリアンと同じく穴吊りの刑を受けた末、斬首されて殉教しました。穴吊りでも死なないところに、底知れぬ逞しさを感じます…。

いやーもう、知れば知るほどファンタジック、かつドラマチックな人生! しかも時代は今から500年も前です。こんな人が日本史にいたなんて、少年使節とは別の意味で、非常に現代的な感覚でうれしくなるわ。

体力、信念、行動力、好奇心を兼ね備えた、最強の旅人ですね。もし今、彼に布教されたら、わたしはカトリックに帰依してしまうかもしれません。

さあ、バックパッカーのみんなも彼を応援して知名度を高めよう!(笑) だって、これまたなかなか本が手に入らないんですよ…。児童向けの『旅びと』という伝記が読みたいんですけどねえ。

いいね!した人  |  コメント(4)  |  リブログ(0)
2012年06月06日

長崎・五島・軍艦島ぶらり湯けむりサスペンス&巡礼の旅――その伍

テーマ:

コンビニが1軒も見当たらなかった五島から4日ぶりに長崎に戻ってくると、この旅でいちばんの快晴とも云える天気、観光客でにぎわう出島周辺……なんとも隔世の感があります。


放浪乙女えくすとら-back to nagasaki005 長崎はいい天気。


今日は長崎を経由して、島原へ向かいます。
この旅程に島原を組み込んでいるのは、ひとえに友人の「温泉に浸かりたい」という希望を叶えるためですが、もう一つ、熊本から帰ることになるなら島原→熊本だとアクセスしやすかろうという計算もありました。
しかし、ここへ来て思うのは、五島から島原という流れは、案外スジが通っているのかも?ということです。軍艦島はともかく、この旅の背中に1本の糸が通っているとしたら、それは“キリシタン”であり、島原の乱が起こった島原は、旅の終着点としてふさわしい地ではなかろうか、と。うん、我ながら悪くない旅のストーリーだぞ。


その気分に水を差す出来事があったのは、ちょうどお昼どきでした。
友人が見つけたいい感じのカフェで、昼食を取ることにし、長崎の復習と島原の予習がてら、「るるぶ」を見ながらあーでもないこーでもないと話していると、お店の店長さんが、「ご旅行で来られたんですか?」と親しげに話しかけてきました。
われわれは、ここまでの旅程をざっくりと話し、さっき五島から戻って来たんですと云うと、
「五島に3日も居たんですか!? 長崎には、ほかにもたくさん見どころあるのに、もったいないですよー。五島に住んでいる友達は、あまりに何もないからって週末は毎週こっちに来てますよ。教会群が世界遺産候補なんて云ってるけど、あれは長崎県がゴリ押ししているだけなんですよ…云々」
著しくテンションを下げるコメントが返ってきました。
そこで友人がまた「そう思います? 五島には本当に何にもなくって、雨には降られるし…」と調子のいい感じでつなぎ、やっぱり地元の人の話を聞いて上手に旅行しないとダメですね~などと云い出したので、わたしはだんだん笑顔が引きつっていくのを感じていました。


その人は、自分は旅の前に必ずチャット(?)でその土地の人にあれこれと質問して友達になるので、宿だの足だのメシだのがタダになって、安上がりで、ローカルしか知らないような場所に行っている…というようなことを楽しそうに語りました。
何だかまるで、「るるぶ」を広げているわたしたちがバカみたいじゃないですか。。。
わたしは、旅行における“地元へのこだわり”を否定するつもりは毛頭ないし、地元の人がおいしいという店=きっとおいしいという公式を疑ってもいませんが、さりとて、何でもかんでも地元視点が100%正しい、地元原理主義者でもないのです。
そりゃ、「るるぶ」に頼りきった旅はつまらないかもしれないけれど、大阪の人間がいちいち大阪城をありがたがらないように、地元に住んでいるからあまり観光地に重きを置いていないということもあるんじゃないでしょうか。
だって、地元は“日常”の場です。地元の人からすれば「こんなものを有難がるの?」と思うような場所やモニュメントが、観光客にとっては何としても見たいものかも知れないじゃないですか。それが著しく地元の見解とかけ離れていたって、別にいいじゃないですか。
それに、もうひとつ云いたいのは、別に得するために旅しているわけじゃないというか(無論、得は大歓迎ですが)、得するために旅先で友達を作るっていうのはなんか順番が違うんじゃないのか、という気がしないでもないのですが、どうなんでしょうか…。
ま、そういう旅ができないタイプのわたしが、何を云っても僻みにしか聞こえないのですけど(苦笑)。


…いや、そんなことよりも目下の問題(?)は、五島に3日いたことが何やら間違いであったかのような流れですよ。っていうか友人! 君が納得してどうするんだ! ここへ来て五島の旅を全否定かよ!(←そこまで云ってない)
別にいいじゃん…五島に何日いたって。個人的には、あと1日居て全教会を制覇したかったくらいに思っていたさ。
よしんば長崎県にまんまと乗せられただけだとしても、いいんだよそれは。世界遺産候補になっているから見に行ったわけじゃないもの。むしろそんなことは知らなかった。軍艦島だってそう。美しく撮られた写真を見て、ここに行きたいと思っただけの単純な話なのです。
まあでも、それはそれでわたしの見解にすぎない。友人は五島に3日もいたことを今さら残念に思っているのかもしれないけれど、それを責めることはできないもんなあ…。
…って、また無駄に気分が下がっちまったい。もう明日で旅行も終わりなんだから、あんまりいろいろ深く考えないでさ、気にせず楽しくやればいいんだよー。イヤなことからはなるべく目を逸らそうよー。


きっとわたしがモヤモヤしているせいで、何となく盛り上がらないまま(苦笑)、夕刻前に島原に到着しました。
この日の宿は、本ツアー最高のお値段を誇る「南風楼」です。1泊1人20000円!!! 最終日にかこつけて、後は野となれ山となれ価格です☆ ってか、雲仙・島原方面でほかに予約で空いている宿もなかったの。。。
老舗の温泉宿という勝手に抱いていたイメージとは違って、いかにも昭和後期の風情を漂わせるベタな大型ホテルですが、このちょっとひなびた感じは懐かしく、遠い日の家族旅行を思い出させます。
友人は、ホテルに着くとさっそく温泉に入る準備を始めたので、わたしはスーパーで買いたいものがあるのを思い出し、外出ついでに島原の町を少し歩くことにしました。
すでに夕闇が背中に迫る中、何となく観光名所を気にしながら歩いていると、教会の丸屋根が見えました。島原カトリック教会です。
中に入ると誰もおらず、録音の讃美歌が静かに流れているだけでした。薄暗くなった堂内は、ステンドグラスの色だけが強烈に光彩を放っていましたが、よく見るとその絵のいくつかに日本人の殉教の様子が描かれていました。ギョッととしつつもしばらく眺めていたのですが、讃美歌の響きがだんだん息苦しくなってきて、潜水から上がるようにして外へ出ました。



放浪乙女えくすとら-shimabara026 雲仙の大殉教を表したステンドグラス。


翌日は、最終日というのに特に予定も立てず、チェックアウトの10時に背中を押されるままに出かけました。
友人は昨晩、わたしの持ってきた『旅する長崎学』というガイドブックを熱心に読んでおり、その流れもあってか「島原城にキリシタン博物館があるみたいだから、そこに行こうよ」ということになりました。
わたしはというと、昨夜からぼんやりと、原城址に行くかどうかを思案していましたが、今はかの地には何もなく、島原鉄道も廃線になっているとあってアクセスにも時間がかかりそうだと分かって、決めかねていました。熊本行フェリーの出る島原港へは、午後4時前に着きたい計算です。島原城に行ったら、もう原城址はあきらめるしかなさそうだな…と思いつつ、キリシタン史料館には大いに食指をそそられたので、とりあえず島原城を目指します。
昨日、夕暮れ時の街を歩いたときは、軒並みシャッターの下りた商店街がいかにも地方都市的哀愁を漂わせて寂しく見えましたが、よく晴れた昼間はそれが長閑さに取って代わって、夏休みに田舎に来たような気分です。


キリシタン史料館は、島原城の2階にあります。
まず目に入ってきたのは、昨日見たステンドグラスの解説でした。あの絵は、1632年に起こった雲仙大殉教を描いたもので、殉教者の一人、パウロ内堀の生涯について説明がなされていました。
殉教のエピソードというのはだいたいえげつないものですが、彼の子どもアントニオ(5才)が、拷問で手の指を1本1本切られ、鮮血で真っ赤になった傷口を、泣きもせず「まるで美しい薔薇を見るかのように」見ていたという記述には、目まいがしそうになりました。痛ましいのを通り越して、いったいこれをどう理解したらいいのか、わたしには分かりません。
一方、その近くでは観光客の子どもが、ザビエルの肖像画の前で母親に「ねえねえ、どうしてこの人はハゲてるの?」と尋ねていました。思わずズコーッ!と脱力しつつ、まあでもこれが普通の子どもだろう…と妙にホッとします。

放浪乙女えくすとら-shimabara039 島原城。見事な石垣は当時のまま残っている。


キリスト教伝来に始まり、天正遣欧少年使節、島原の乱まで、決して大きくはない規模ではありますが、古田織部のキリシタン燈籠(『へうげもの』の影響で思わずニヤリとしてしまう)、マリア観音、納戸神、踏絵…物と物を結ぶ線から歴史が浮かび上がってくるような、見ごたえ十分の展示でした。
その後、併設のさまざまな展示を見ながらも、心は上の空でした。何故なら今、この展示を見た後こそ、原城址に行きたい、いや行くべきだと強く思ったからです。ときは今(by明智光秀)。
しかし、わたしに輪をかけてじっくりと展示に見入っている友人は、なかなか史料館から出てきませんでした。原城へのアクセスはいちおう調べてあり、路線バスが1時間に1本程度の割合で出ています。
ようやく現れた友人に、わたしは「やっぱ原城に行きたいんだけど、君はどうする?」と尋ねました。友人は少し考え、自分は街なかを散策すると答え、船出まで袂を分かつことになりました。
最終日の最後で別行動ってのも愛想のない話だな…と、一瞬苦い気持ちになりましたが、いや、かえってこの方がお互いのためだと思い直しました。
何しろ、バスの本数が少ないだけでなく、原城までも片道50分かかるのです。時刻表を穴のあくほど見た結果、現地で滞在できる時間は30分にも満たないことがわかりました。そうすると、友人の遅すぎる歩行速度では、とても一緒に観光などできません(笑)。


有明海沿いの道を走るバスは、長閑すぎる風景の中どこまでも南下を続け、このまま地の果てにでも向かうのかと思うほどでした。
陽光にきらめく田舎道。時間さえあれば、路線バスの旅っていうのも悪くないな…。しかし、さすがにこんだけの距離を走ると路線バスの運賃ってすごいことになるな…(ちなみに原城まで往復1800円)。
「原城前」バス停で降りると、ご親切にも「原城跡」というデカい看板が出ていました。おお、目の前で停まってくれるなんて大助かりですう! とホッとしたのもつかの間、どうやら本丸跡まではだらだらと坂道を上って行かねばならないことが判明。。。これ、帰りのバス間に合うのか?!
本丸跡までは、平和を絵に表したらこうなりそうな緑の田園風景が一面に広がっています。いちおう原城址内なのでしょうが、普通におばあちゃん、畑耕してるし!


放浪乙女えくすとら-shimabara079 本丸が蜃気楼のように遠い。。。


暑い、あぢい、と犬のように舌を出しながらひたすら本丸を目指します。バス停から10分強はかかったでしょうか。
本丸跡は、まさに“跡”でした。低木が植えられた石垣の上の台地には、白いクルスの慰霊碑、天草四郎像、そして天草四郎他の小さな墓石があるのみです。東側は絶壁で、眼下に有明海のブルーが広がるさまはなかなかの眺望です。
わたしは、ひととおりこの地を味わうために、台地の端から端まで小走りで駆けめぐりました。走っていると、何故か島原の乱の雑兵にでもなったような気分になり、かつて自分は本当にそうだったのではないか、などと無理やりこじつけたくなるのでした。
快晴ということもあり、また短時間だったこともあり、3万人もの死者が出た古戦場という陰鬱さはさほど感じません。しかし、低木が地面に落とす影のせいで少し薄暗い様子や、海からの風が葉っぱを揺らす乾いた音は、少し不気味です。
ちなみにここでも、無邪気な子どもが天草四郎像を見て、「ねえ、これ桃太郎?」と尋ねていました。確かに、この四郎像はふっくらしすぎていて、伝説どおりの美少年のイメージからは遠いかもな…。

放浪乙女えくすとら-shimabara109 桃太郎こと天草四郎。


放浪乙女えくすとら-shimabara119 本丸の入口にある、ホネカミ地蔵。島原の乱の130年後に、慰霊碑として建てられた。「ホネカミ」とは、骨をかみしめる=自分自身のものにする、人々を救済するという意味だそうです。


さて、わたしが原城址を駆けずり回っている間、友人は、とある喫茶店に入って、そこの女主人と遊びに来ていた友達の会話に混ぜてもらい、何だかいろんな話を聞いたようです。
友人が「一緒に来た友達が今、一人で原城に行ってまして」と話すと、女主人は「まあ、そのお友達は、きっと原城にとても深い思い入れがあるのねえ。だってあそこは何もない場所だもの。きっと熱心なカトリック信者の方なのね」としみじみ感じ入っていたそうです。
あああ、すみませんぜんぜんそんなんじゃないんです!!! どんな場所にも足を運びたいだけの旅人病なんです。。。
むしろ、わたしの宗教観というのは、無節操どころの話ではないほど、あやふやで貧弱なものです。教会巡りは好きだけどキリスト教徒ではないし、家族のお葬式が仏式だからと云って仏教徒とも断言できないし、イスラムの国が好きでも、ムスリムにはなれない。
旅先でさまざまな教会やモスクや寺や聖地に、あくまでもお気楽観光客として足を運ぶわたしにとって、どの宗教を信じるかというのは非常に難しい問題です。その代り、どの宗教施設に行っても特別な違和感を覚えたことはなかったし、どんな宗教でも“祈り”という共通点によってつながっているという気がするのですが、どうでしょうか。まあ、明確に汎神論者ってわけでもないんですけどね。


その人の話では、島原のキリシタンは壮絶な弾圧と戦乱で壊滅し、島原には教会も全く残っていないそうです(島原カトリック教会は1997年の創立)。
この辺りの旧家では、しめ縄を1年中軒先に飾っており、わたしも散歩中に1軒の家でそれを見かけたとき「何だ?」と不思議に思ったのですが、これは禁教時代に「うちはキリシタンじゃありませんよ」と表明するための習慣で、未だにそれが残っているのです。そういう家の造りはたいてい、玄関を入るとすぐ左脇に神棚や仏壇が備えつけられているのだとか。
長閑な田舎町の下に眠る、凄まじい歴史の渦と悲しみ。今ここに住む人たちが日々それを感じて生きていたら大変ですが、土地が背負っているものというのは、確実に存在している。だから、「教会群を世界遺産に」と長崎県が必死に宣伝しているとしても、それには相応の理由があるのだと思います。
「若い人がこうして島原に来て、歴史を勉強してくれるのはとてもうれしいわね」とその女主人は、友人に話したそうです。


放浪乙女えくすとら-shimabara068 小さな小さなバス停。


…友人の話を聞きながら、わたしは新たな感慨を抱き始めていました。
こうして体験を分け合うというのも、なかなか悪くないもんだ。同じものを見るだけではなく、それぞれが別の場所からみやげを持ち帰って来るっていうのも、2人旅の楽しみ方なのかもしれないな。
ま、最初は、わたしと一緒じゃない方が、旅が充実するんじゃねえの? などとひねくれた疑いを抱いて勝手に寂しくなっていましたがね(苦笑)。うーん、嫉妬深くて女々しい男みたいな性格でイヤになるわ!
わたしが交代で原城址の話をすると、友人は「君はさ、旅のことになるとすごいエンジンがかかるよね。きっと旅が本業なんだね。毎晩遅くまで日記を書いているのを見てもそう思うよ」と笑いました。
本業はいくらなんでも違うけれど、旅先でのわたしは、確かに異常に元気です。ま、精神的にはかなり波があるものの、体はすこぶる快調で、食欲もあるし、かと云って多少食べなくても平気だし、睡眠時間はいつもより少ないし、頭痛や胃痛もないし、どこまでも歩けるし、運転もそんなに苦じゃないし…何だか危ない注射を打っている人みたいです。
最も、ピーク時の旅行がこんなに不得手だとは思わなかったけどね! 今回、大いに反省すべき点のひとつです…。


東京に帰り着いたのは、夜の12時を回る頃でした。
友人は極狭のわがアパートで1泊し、翌日の昼過ぎに仙台に帰って行きました。
東京駅の改札口で、友人の背中を見送った瞬間にこの旅は終わりました。しかし、もしかすると、ここまでの旅路は実は、壮大な序章に過ぎなかったのかもしれない…。そう、この旅はわたしに大きな置き土産を残して行ったのです。それはいったい何だったのか…待て次回!(まだあるんかいーーー!)


<今回の旅程>
1日目…東京→熊本(経由のみ)→長崎
2日目…長崎市内観光&軍艦島クルーズ
3日目…長崎→福江 福江島一周
4日目…福江 教会めぐり
5日目…福江島→若松島(経由のみ)→中通島 教会めぐり
6日目…中通島→長崎→島原
7日目…島原観光→熊本(経由のみ)→東京

いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)
2012年06月01日

長崎・五島・軍艦島ぶらり湯けむりサスペンス&巡礼の旅――その四

テーマ:
♪た~の~しく、た~の~しく、やさし~くね~♪
よし、今日のテーマソングは、華原朋美で行こう。

今日もまた、いちだんと早起きのスケジュールとなっております。
化粧の時間を逆算すると朝4時起きくらいになりかねない友人は、せっかくの朝食ビュッフェをフイにし、さすがのわたしも咽そうになりながら15分で朝食をかきこみ、慌ただしくホテルを出ました。
それというのも、ジェットフォイルが取れなかったために、カーフェリーという予約の要らない二等雑魚寝船に乗らねばならないからです。出発は7:40。
ターミナルには、いや、ターミナルの外まですでに長蛇の列ができており、地元の人らしき女性が「おかしいわねえ、いつもこんなに並ばないのに…」と携帯で話しています。
「まさか、積み残しになるってこと、ないよね?」と心配性の友人の言葉に、それだったら最初っから予約チケット売るんじゃないのー、と一笑に付したわたしでしたが…果たして、友人の悪寒は当たりました。
「カーフェリーは、ただいま満席となりました。次便のチケットの販売までしばらくお待ちください」
無情なアナウンスが流れ、列の半分近くが、まるでトカゲのしっぽのようにアッサリと切られました。…ええ、われわれはもちろん、切られた側の人間です。
次のカーフェリーは、えーと…11:40!? で、到着が13:00過ぎですって!?
中通島での時間は、今日1日のみです。だからこそ、眠い目をこすって朝イチの船に乗ろうとしていたのです。
ジェットフォイルの当日券が出ないものか…とかすかな望みをかけるも、あえなく潰えました。
とりあえず、次のカーフェリーを押さえたはいいけど…ただいまの時刻、7:50。ホテルにいるならともかく、このフェリーターミナルで4時間過ごせといふのですか…。またレンタカーを借りるには時間がもったいない。旧五輪教会のある隣の久賀島に行くってのはどうだろう……って、カーフェリーが出港する前に帰って来れねーよ!

呆然とするわたしの隣で、友人はすでにあきらめの境地に達しており「あの…あたし、寝るね」と椅子に横たわりました。
ぐぬぬぬ……(一瞬イラっとする)。いや、それもこれも、わたしの段取りの悪さがすべての根源なんだよ。ジェットフォイルを、せめて福江に着いた時点で取っておけばってことだよ! ゴールデンウィークって、ゴールデンウィークって…(号泣)。
悔し涙で滲む視界の先に、ふと目に留まった文字がありました。
「奈留島・若松島 フェリーオーシャン」
と書かれた窓口が、ターミナルの、ほとんど気づかれなさそうな端の方にオープンしているではありませんか!

…説明しよう。若松島とは、中通島に隣接し、若松大橋によって陸続きでの行き来ができる島である。つまり、若松島にさえ渡れれば、バスなりタクシーなりで中通島へアクセスできるというわけなのだ!
わたしは、窓口にかぶりつき「あのっ、次の便は何時ですか!?」と尋ねました。
「あと5分で出るよ」…なんとっ!
「ちなみに、若松島から奈良尾までは車でどのくらいですか?」
「20分もあれば行けるでしょ~」
こりゃもう行くしかないって! 1分待ってください!と叫んで、ベンチの友人を叩き起こし、忍者のような素早さでカーフェリーの乗船券を払い戻してフェリーオーシャンに飛び乗りました。げに目まぐるしきは旅の運命です。

船内は、先ほどまでの行列が冗談に思えるほどガラ空きでした。
どうやら、カーフェリーがかくのごとく混んでいたのは、奈良尾ではなく長崎に向かう人が多かったからのようでした。福江→奈良尾→長崎便なのよね。島の人たちがGWに、内地に遊びに行く便だとしたら、そりゃ混むよね。
奈留島を経由し、若松島で船を下り(本当はどちらの島にも行きたい教会があったのですが、そんな時間はとてもありません!)、そこからはタクシーで、予約していたレンタカー屋に直接アクセス。なんとか11:00前には車を出すことができました。叩け、さらば開かれん! 燃えよ、旅人魂!(意味不明)

中通島は、福江島よりもひと回り小さな面積に、福江島の倍以上の、29の教会が点在しています。
友人が、中通島の教会マップを見て、大量の楔のように打ち込まれている絵面が怖いと云ったのもうなずけるほどで、どちらかというと、五島の教会めぐりのメインは福江よりもこちらでしょう。
島の最南端である奈良尾からスタートし、まずは島の東部にある頭ヶ島天主堂を目指します。上五島で最も有名にして由緒ある古い教会です。
…と、待って! 今、左手に教会が!
そこは、頭ヶ島教会と並んで、わたしが前もってチェックを入れていた中ノ浦教会でした。ここは、別名“椿の教会”とも呼ばれ、白を基調にした壁に真っ赤な椿と水色の曲線が絡み合う、美しい内装が特徴です。乙女度の高さは五島でもトップクラスではないでしょうか。何しろ、“おとめ聖マリア”に捧げられている教会ですしね!
椿の名産地として全国的に知られる五島では、薔薇の意匠の代わりに“冬の薔薇”とも称される椿を教会の内装に採用しているのだそうです。昔は、日本に西洋式の薔薇がなかったんですね。この教会だけでなく、椿のモチーフは他の教会のステンドグラスなどにも散見されます。

放浪乙女えくすとら-nakadori007 ラブリーで大胆な椿模様。

この後も、道中で目に入った教会は片っ端から攻めるという感じになり、「教会を発見しました!」と友人が副隊長のように叫ぶと、わたしがすかさず車を停めるという連携プレイが成立してきました。
そして、教会の数をこなすうちに、教会に入る→スタンプを探す→スタンプ帳に捺印する、という流れも様式化し、わたしのスタンプ帳だというのに、いつの間にか友人が「はい、スタンプ帳貸して」と我先にスタンプを押そうとしやがります。どうやら、スタンプを押すことに快感を覚え始めたらしいです。
もともと五島の教会に興味があったのはわたしの方ですが、キリスト教という点だけでいうと、その昔カトリックに入信しようとしたこともある友人の方が近しく、造詣もわたしよりは深いはずなので、ここに来て、巡礼魂が目覚めてきたのでしょうか…。


放浪乙女えくすとら-nakadori029 隊長!ガケの上に教会があります!(跡次教会)

「なんか、巡礼してるのか、スタンプ押しに来てるのか分かんなくなってきたね」
と、嬉々としてスタンプを押す友人に、
「いや、巡礼しながらスタンプを押しているのであって、どっちかってわけじゃないんだよ」
とわたしは反論しました。
スタンプラリーという言葉にはひどく軽いニュアンスがありますが、巡礼とスタンプラリーは、本質的には似ているものだと思うのです。
だって、巡礼もスタンプラリーも、決められたありがたい場所を「踏破する」「制覇する」行為でしょ? それで得られるものが、ご利益なのか、魂の浄化なのか、或いは達成感なのか(ま、スタンプラリーはこれですね)という違いはあるにしても、スタンプラリーって、そんなに卑下するほどつまらない行為でもない気はする。
まあそうは云っても、本物の巡礼の人たちを見ると、「“なんちゃって”ですみません…」とも思いますけどね。
頭ヶ島教天主堂では、長崎から渡って来たと思しき巡礼の一団と遭遇しました。彼らはそこで讃美歌を歌い、ミサを捧げていました。図らずも同席するようなかたちになり、何やらもったいないような気持ちになりました。

放浪乙女えくすとら-nakadori080 五島で唯一の石造りの教会、頭ヶ島天主堂。

頭ヶ島天主堂は島の外れにあり、中心部へ引き返して五島うどんなど食べていると、けっこういい時間になってきました。
細長く伸びている島の北部にも教会が点在しており、最北端を目指しながらそれらを訪れる、というのが当初の予定でしたが、己の運転技術なども含め冷静に計算すると、青砂ヶ浦天主堂、大曾教会など比較的有名どころが集まる中心部を攻めるのが精一杯のようです。
福江より狭いとは云え、福江の倍もある教会を訪れるには、やはり1日では到底足りないか…。一時は路線バスの旅も考えていたけど、車でもこのありさまでは相当厳しかっただろうな。。。

放浪乙女えくすとら-nakadori091 青砂ヶ浦天主堂。リブ・ウォールト式と呼ばれる特徴的な内装。

放浪乙女えくすとら-nakadori121 レンガ造りの大曾教会。

「ぶっちゃけさあ、どの教会も同じに見えて来てるんだけど…。さっき、君のデジカメの画面を覗いて、『あれ、これさっきも見た』って思っちゃったよ」と友人。
そ、それを云うなあ! だって教会は様式美だから、ある程度似通ってくるのは仕方がないだろう! 細かく見ると、どこもちゃんと個性があふれているじゃないの!
…と反論しつつ、まあ、内心ちょっと、そんな気もしていたけどね(苦笑)。
ざっくり分類すると、西洋建築系、鉄筋コンクリート建築系、民家系の3パターンという感じでしょうか。
堂崎教会や頭ヶ島教会、青砂ヶ浦教会といった有名どころのほとんどは、五島出身の建築家・鉄川与助(終生仏教徒だったそう)が手がけていますね。彼の教会はどれも、おとぎ話に登場しそうなロマンチックな外観&内装でうっとりします。


放浪乙女えくすとら-nakadori102 青砂ヶ浦天主堂の外観。「天主堂」という漢字の看板が、何だか素朴でいい。


放浪乙女えくすとら-nakadori115 こちらは現代的な外観の青方教会。

でも一方で、民家或いは公民館風のきわめて簡素な教会には、見た目の美しさ以上の“雰囲気”が漂っていて、これもまた五島教会めぐりの醍醐味と云えるかもしれません(ま、都内にもビルの一角に教会があったりしますが、何となく入りづらいのは何故だろう…)。
祈りが息づいているというのでしょうか。『もののけ姫』の“コダマ”みたいに、さまざまな人の祈りがこの狭い空間に、静かに浮遊しているような…。本当にこの場所が、祈りのために存在していることが強く伝わってくるのです。決して世界遺産候補には入ることはないでしょうが、教会の素の美しさを見る心持がします。
例えば、若松大浦教会。外観は完全に民家です。正面に回って十字架の意匠を見るまでは、誰もここが教会とは気づかないでしょう。それでも、中に入れば折り上げ天井が施され、小さいながらもすべてがきちんと整えられています。このギャップには萌えすら感じてしまうほどです。
また、高井旅教会は、特徴的な赤い三角屋根こそ教会らしいですが、入口や本堂の外観は公民館に近い。この地で長年信仰を守っていた3家族の潜伏キリシタンが、カトリックに帰依してから建立した教会だそうです。もう、ルーツからして強い信仰をひしひしと感じるではありませんか。

放浪乙女えくすとら-nakadori176 民家風、というより完全に民家。でも正面に回るとちゃんと教会なのだ!(若松大浦教会)

放浪乙女えくすとら-nakadori189 アルミサッシの玄関が何ともローカル(高井旅教会)。

宿を取った青方地区への路線バスが、6時で終わってしまうため、レンタカーもそれまでに返さねばなりませんでした。
ギリギリの時間まで教会を巡った結果、今日周れたのは中の浦教会、跡次教会、頭ヶ島天主堂、青砂ヶ浦天主堂、青方教会、大曾教会、真手の浦教会、若松大浦教会、高井旅教会、福見教会の10件でした。
それなりに頑張った結果とは思いますが、本当は、鉄川与助が手がけた冷水教会や、ステンドグラスが壮麗な仲知教会、浦上天主堂の被曝レンガを一部使用している旧鯛ノ浦教会などにも行きたかったです。っていうか、やっぱり全部行きたかったです! (あとで知りましたが、廃墟になっている教会もあるとか…)
見てのとおり、敬虔な気持ちをあふれさせて教会を巡っていたわけではないんです。信者じゃないですからね。
だけど、1つでも多くの教会を訪れずにはいられなかったんですよ。そして、実際に周ってみて改めて、こんなに小さな島に、こんなにも多くの祈りの場所が存在し守られていることに、えもいわれぬ感動を覚えたんですよ。日常生活の中に、“祈り”のための空間的・時間的余地が設けられていることは、何て麗しいのだろう、って(怖さと紙一重ではありますけどね)。

放浪乙女えくすとら-nakadori200 福見教会の庭に建つマリア様。

さて、今日は、“友人にやさしくしようキャンペーン”の初日でもありました。
ま、やさしかったかどうかは怪しいもんですけど、2人で旅行していることがいちばん楽しく思えた1日だったという気はします。
友人も、昨日の話では「車内で仮眠を取らせてほしい」と切実に訴えていたはずが、フタを開けてみれば、最近読んだ本やら映画のあらすじや、以前コルカタのマザーハウスでボランティアをしていた頃の思ヒ出をえんえんと語っておりました。寝ないのかよ!

放浪乙女えくすとら-nakadori202 カトリックでも婚活を応援しているようです。
いいね!した人  |  コメント(2)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。