2011年05月31日

短いボランティアの旅④

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やっぱ、3日って短いよね。
誰かと比べてとか、そういうことだけじゃなくて。
旅行だって、2泊3日だと短いなあって思うんだもの。
何だかんだでもう最終日。


最後の作業は、6人の小規模チームでした。
一昨日、昨日と大人数の団体作業だったこともあり、6人という少なさに心細さを感じます。
初めて、外国人(フランス人)のボランティアさんと一緒になりました。インターンシップで、金沢で働いているそうで、日本語はかなり上手です。それでも、異国の見知らぬ土地で災害ボランティアをするというのはハードルが高いだろうになあ……。しかも今や、日本に残って生活しているだけでも尊敬されがちな(?)、希少な外国の方ですからね。
自分のボランティア精神はウソモノっぽいし大いに疑問を抱いているけど、他人のそれは単純に美しいと思える。
23歳の新卒の、小さくて色が白くて守ってあげたくなるタイプの女子も、たった1人で来ていたよ。ボランティアは初めてですって。


家の中の物は、前日にほとんど出されており、今日の主な作業は、庭に溜まった泥を土嚢に詰めること。
そんなに大きな庭ではありませんが、これがなかなか、途方もない泥の量でした。
というかですね、どこまでが除去していい泥で、どこまでが元の庭の土なのか、ときどき分からなくなるんですよ。夢中で掘っていると、「やべ、掘りすぎたかも」てなこともあります。


ヘドロの臭いにはけっこう慣れたような気でいましたが、この日、新たな難関に対面しました。
それは……飼料の臭いです。
同じ悪臭でもヘドロの臭いはじわじわ来る系ですが、腐った飼料のそれは鼻腔に刺さる系と云えばいいんでしょうか。強烈なアンモニア臭にも似た、鼻が痛くなるような臭い。
徐々に腐りつつある飼料の塊のまわりを、うすい緑色のふわふわが覆っているのは……カビだよね(泣)。
家の人も、飼料の臭いがどうにもキツくて……と苦笑いしていましたが、さらにここにヘドロの臭いがかぶさってくるんだから、鼻にとっては地獄の様相です。
加えて本日は防塵マスクのフィット感が微妙で、そのせいだけでもないだろうけどマスク内の湿気が半端ない。かと云って、マスクをいちいちずらしたり、まして外したりするわけにもいかない。ゥー苦しい。


休憩の間、わたしは昨日と同じように、しかし今日は友達がいないので、1人で周辺を歩きました。
決して見慣れることはない風景です。だけど、どこまで歩いても、家と家財道具の山が、延々と、延々と、もう、驚くこともできないくらいに続いている。
町の一角に、丘のように小高くなっているのはゴミの山。「この柵より外にゴミを出さないでください!」と注意の看板も空しく、ゴミは生き物のように増えている様相。
物の山をマクロズームで見ると、あ、エロ本がある。部屋の奥に隠してあったエロ本もエロDVDも、全部家から吐き出されているんだろうな。
まだ手のつけられていない家。庭には飼料袋が山盛りで、破けた袋から黄色い粒つぶが漏れてそこらじゅうに広がっている。
ああ、本当に、ぜんぜん終わってないんだ。そりゃそうか、ボランティアが20人集まったって、1日じゃ1軒の家を何とか片付けるので精一杯だもんな。
歩いていると、この世の終わりを1人でさまよっているねずみ男みたいな気持ちになってくる。……


わたしは廃墟好きだし、廃墟が好きなら原発の近くに行けばいっぱい見れるんじゃない、とイヤミのひとつも云われたけれど、こういうのは違うよ、やっぱ。
だって、廃墟は美しくて、もっと詩的だもの。いや、そうじゃない廃墟もあるけど、ここまで傷跡が生々しいのは、とても廃墟とは呼べないよ。


床下のヘドロをさらう作業は、昨日よりもヘドロの量が多いために、けっこうな重労働になりました。
今さらですが、ヘドロ、重ーーーっ!! 昨日のは手でさくさく剥がせたけど、今日のヘドロはもうこってり、でかいスコップでガツンとさらわないと動きやしない(泣)。
しかも、人数が少ないから床下ヘドロ担当が女子2人。ザ・非力。まあわたしは、ここに来てもはやビジュアルが女子ではなくなっているんですけど、男性に比べたらやっぱ作業量落ちるもんねー。。。


最後は、ヘドロの重さに腰を抜かしながら、石巻での短いボランティアは終わりました。
ゴールデンウィーク後半、がっつり作業される同胞の方々には、やはりどこか後ろめたさを覚えつつ、作業服を脱ぎ、東京に帰る服装に戻りました。


石巻駅までは、地元のボランティアの人が車で送ってくれました。ありがたい……。
なんだか、ボランティアに来たわりにいろいろ世話になりすぎている気もするけど(汗)、人の世話になることでまた繋がっていくものもあるだろう。全部が全部、自分で完結してしまったら、誰との係わりも要らなくなるものね。ま、性格的にはそっちの方が合ってるけど……(苦笑)。
でも、被災したお家の人もさ、こんな非常時だから気を使わなくていいのに、おにぎりやら飲みものやら用意してくれて、本当にいいのでせうかと、毎回思いますよね。
今日のお家のおじさんも、朴訥とした無口な人だったけど、休憩になると「これ、飲んでくださいよ」とビタミンウォーターをしきりに勧めてくれたっけな。
なんか、そういうの、本当にたまんないなと思う。でも、そういうことによって人は係わり、繋がっていくのかもしれない。そのビタミンウォーターの味を、わたしは忘れない。


バスの時間まで、石巻駅の周りを少し歩いてみると、来たときには見ることのなかった大小の傷が目につきました。
点灯しない信号機。真ん中で盛り上がった歩道。家財と土嚢の山。店という店のシャッターは閉まり、何よりも、町がとてつもなく静かです。
1時間後、仙台駅に到着したら、石巻の駅前がウソのようなにぎわいでした。
仙台で週休を取る予定のフクさんと牛タン屋「利久」で牛タン定食を食べ(うめえ!)、バスの時間まで、案内してもらいつつ仙台の商店街を散歩しました。
日曜日の夜、店は8割以上閉まっているけれども、若い人たちがウロウロしていて、ミナミかどこかの商店街のようです。
つうか、仙台の商店街ってめちゃくちゃ立派なのね。道幅も広いし、アーケードも広々。しかも、いわゆる歌舞伎町的な歓楽街? の看板がお上品でびっくり。大阪の道頓堀は歓楽街でも何でもないけど、ここの100倍は下品だもんな(笑)。
仙台も間違いなく大変だったんだろうけど、束の間やって来たわたしの目には、ほとんどまるで分かりませんでした。


ライブハウスで働いている友達が、話していました。
アマチュアバンドのライブでは、時節柄、多くのバンドが判で押したようにこう云うそうです。
「僕らには、歌うことしかできない」
……いやっ、そんなことないと思うよ? 本気で役に立つ気があるなら、歌うほかにもできること、あるんでないの? 別に間違ったことは云ってないだろうし、歌うことで誰かの励みになっているかもしれないけど……なんか違和感を覚えてしまうわたしは腐った大人なの?
多分こんな状況では誰もが無力感を覚えて、“できること”のテリトリーを自分で線引きしてしまう。でも、無力だと云い切ってしまってはいけないし、無力さに甘えては、負けてはいけないんだよなあ。
ボランティアに行ってみて、やっぱ自分はほとんど無力だって思ったけど、限りなく無力に近い微力かもしれないけど、0と1はやっぱ違っていて、どうせ無力だから何もしなくていい、ということでは、多分ない。
今、被災地に対して“できることをやる”というのは、いつも通りのことをいつも通りにやることではなくて、やっぱりどっか、少し上乗せが必要なんだと思うのです。
だから、あんまり自分を卑下せずに、いつもより“少し頑張って出来ること”を、忘れずにやろうと、思っています。
いや、思っているだけではいかんな……。思っているだけだと、ついぼんやりしちゃってルームランナーみたいにずるずるーって流されてしまうから(苦笑)、気をつけないとですね。



放浪乙女えくすとら-RIMG0083 黄色くなっているのが飼料。あちこちの家に散乱



放浪乙女えくすとら-RIMG0078 ぢっと足を見る



放浪乙女えくすとら-RIMG0092 駅前の仮面ライダーV3

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2011年05月25日

短いボランティアの旅③

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2日目は、フクさんの所属しているチームに編入しました。
フクさん曰く「傭兵集団」。団体に属していない個人のボランティアが寄り集まっており、特に決まった団体ではないので、独自でニーズを聞いてまわって作業を行っているそう。なるほど……。確かに、ボランティアって傭兵っぽい。しかも作業がばりばりのガテン系だし(笑)。


今日の作業は、海岸から500メートルくらいのエリアのお宅です。
昨日はもっと駅に近い、つまり海からは距離のある場所でした。それでも充分、ひどいありさまだと思ったのでしたが、海に近いそのエリアは、さらに破壊が進んでいました。
途中の公園は、一面へドロに埋まっていました。ヘドロ特有のあの亀裂を見ると、不穏な気分がしみのように広がってきます。
町なかよりも大きな家が立ち並ぶ、商店の少ない住宅地。やはりどこか、祖父母の住む田舎を思い出させます。
家の前に出される山盛りの家財道具。遠くから見ればどれも同じに見える山も、近づけば透明のプラスチックケースに貼られた「父の薬」「父の衣類」などというシールが、強烈なリアリティを以って迫ってくる。そこにあった生活。薬箱があるということは、お父さんは持病を患っていたのだろうか。わたしがこの先、老いた父ちゃんと2人暮らしすることになったら、きっとこんなプラスチックケースをつくったりするだろう……。


着いた先は、古い造りの大きな家でした。手前にアパートがあり、その大家さんの家。
アパートの物出しはすでに終わっていました。2階は無事だったのでしょうか、洗濯物が普通に干されていて、1階の破壊とのギャップが凄まじい。
昨日の家の2倍はゆうにあるでしょうか。大物はある程度出されていますが、例によって家のなかは物と泥で埋まった混沌状態。
「え、これ?」と正直ひるんでしまうビジュアルです。しかし、ひるもうがひるみまいが、やるしかありません。
作業はほぼ、昨日と同じ。ただ、海に近い分だけ、泥の量が昨日の家よりもかなり多い。まずは通り道をつくらないと、物を出すにも出せないようなありさまです。
ヘドロを踏むときのにゅるりとした感触は、その昔、ケニアのエレメンティタ湖の上を歩こうとして、一撃で足が膝まで埋まったときのそれにそっくりです。
泥の中には無数の物が埋まっていて、割れ物もたくさん混ざっているので、それを手で取り除きます。台所を片すだけでも、かなりの時間を要します。
もう、ほとんど無心に物を出し、泥を出す、この繰り返しです。意外と雑念も起こらないのですが(全身を激しく使うため、脳まで力が回らないのかも)、急にハッと心が反応することもあって、例えばそれは、外に出された膨大な“物”のひとつひとつに焦点が合うとき。
いちいち思い出すのは、祖父母の家です。もし祖父母の家が被災したら、それこそ大量に物が出てくるでしょう。そうなったら、当然わたしも手伝いに行くでしょう。そこできっと、思い出のなかにある、さまざまな物の破壊を目の当たりにするでしょう。
そのとき自分がどんな気持ちになるか、想像すると正直……吐きそうです。
物には命がないという説もあるけれど、生活をつくっていた物という物にはやっぱり命というか魂はあって、泥まみれの服や布団や、割れた食器や花瓶は、やっぱり“死んで”しまっていて、見ていて苦しすぎます。


お昼の休憩の間、フクさんや他のボランティアの人たちと、近辺を歩きに行きました。
満潮で、真っ黒な水がひたひたと道路の方へ寄せていました。ヘドロがこびりついた長靴を洗うのにはちょうどいいね、などと冗談をかませるうちはまだよかった。
家屋は残っているものの、1階部分が津波に侵食されている。そんな家がいくつも、いくつも、どこまで行っても現われ続けます。家の前には必ず、大量の家財道具の山。
どこから説明すればいいのでしょう。この景色を。製紙工場から流れてきた大量の紙。同じく、飼料工場から流れてきた大量の飼料。ありえない形になっている車両。ヘドロの不気味なひび割れ。家財道具。家財道具。家財道具。家財道具。
……はっきり云って、理解できない。目に入るものすべて、どう説明をつけたらいいか分からない。自分の目で見たら、何かが分かるかもしれないって思ったけれど、見たらよけいに混乱が生じてしまって……。
傾いた貨物車が連なる線路、そこから海の方を臨む風景はどう見ても終末的だし、車両が縦になって家屋にのしかかっている状況は、あまりに非現実的すぎる。それでも、わたしが見ている光景は、たったの一部でしかなくて。
元は本当に普通の町、わが故郷とさして変わらぬ、日本のどこにでもある普通の町のはずなのに…。人生において、自分の町がこんなふうになる日が来ることを、今も想像できないのに…。


さて、昨日と違っていたのは、泥を出したあと、床下に溜まったヘドロを出す作業があったことです。
床下のヘドロを取り除くため、まず床板をすべて外さねばなりません。
板を剥がす音は、どういったらいいのでしょうか……けっこう“痛い”音です。体の奥に響くような、不協和音のような…・・・。
家の人が黙々と、のこぎりで板を切断するのを見て、自分で作った家を自分で解体しなければならないのは、何ともむごい作業だなと思いました。他人が遠慮なくバリバリ剥がすのを見るのもいたたまれないだろうけど…。
床下に溜まった厚さ数センチのヘドロは、半乾き状態だとけっこう気持ちよく剥がれます。
すごくよい風に喩えればチョコレートムースのようなそれを、形を崩さずにするんと剥がせると、ごく小さな達成感があったりして。地味な楽しみ(笑)。


昨日も思いましたが、本当に人の手の数とはすごいもので、午後2時ごろには家財道具はほとんどすべてが出され、泥もヘドロもかなり掃けていました。
これはほんと……人員の頭数がすべてだわ。自分1人なんて何の役にも立たないと思いがちだけど、1人が寄せ集まれば確実に力になれるんだわ。それがどんな1人であっても、一瞬のにわか善意でも、手を動かせられる限り、たぶん役に立つ。
いや、だってさ。家族だけじゃ絶対に無理だもの。こんな大量のヘドロをかき出し、泥まみれになった家財道具を運び出すなんて、1ヶ月かけても無理だよ。これがもし実家で、父ちゃんとわたしだけでやってたとしたら、まあ1日でブチ切れて、3日目には発狂するよね。それやりながら、生活もしていかなきゃいけないなんてさ。
自分の善意の質とか、もはやどうでもいいと思える。崇高な慈愛の気持ちで泥なんかかいてない。それでも、来ないよりはよかった。


いきなりハードな作業でごめんねー、とフクさんに苦笑されたとおり、確かにこの日は、作業着が真っ黒になり(動きが上手くないせいもあります)、疲労も昨日の3倍増くらいに感じました。
帰りのバスに乗る前、異常に空腹感を覚えてコンビニで揚げたてのチキンを買って食べました。五臓六腑にしみるとはまさにこのことかと思うほどうまく、3分くらいでむさぼり食い尽くしてしまいました。
バスで隣に座ったおっちゃんに、「うまいか?」と訊かれて「めっちゃうまいっす」と真顔で答えたら爆笑されたわ。。。


へこたれ気味のわたしを気遣ってか、フクさんが、自衛隊が無料で提供している風呂に連れて行ってくれました。
風呂に3日入れないくらいはまあしょうがなかろうと覚悟していたので、えっいいんですかたった2日目のクセに風呂なんか、わたしみたいなただのナメクジボランティアに風呂なんか……と申しわけない気持ちになりましたが、よく考えたらボランティアは苦行ではないのでした。
とは云え、野営の風呂ですし、5分くらいシャワーが浴びられれば御の字かと思いきや……これがっ、銭湯か温泉レベルの素晴らしすぎる風呂だったのです!!広くて深い湯船!!なみなみの湯量!!待合室にはストーブとまんがまで完備!! ルシウス(@『テルマエ・ロマエ』)もビックリだよ!!
ぐっはー気持ちエエ。。。髪がサラサーテや。。。
復旧・復興作業における自衛隊の大いなる活躍は、テレビでも見知っていたものの、この風呂でもう、尊敬のダメ押しでしたよ。「また来てくださいねー」なんてにこやかに云っちゃってさあ、貴方たちは神様なの??


そして、帰りは「すき家」にて夕飯。完全に温泉宿の観光客状態ですまん…(苦笑)。
「すき家」は昨日だか今日だかに再開したばかりとのことで、フクさんとはありがたみが違いすぎるのですけど、せっかく復活したのなら行かない手はないわけで。
普段はあまり、こういうガッツリ系ファーストフード店には行かない、毎回デートで「すき屋でいい?」と云われたらむくれてしまいそうなスカしたわたしも(てめえ何様だ!?)、このときの白髪ねぎ豚丼の美味しさには感動を覚えざるをえませんでした。
コンビ二、ラーメン屋、日本料理屋……数はまだ少ないものの、営業を再開している店がポツポツと灯りを灯していました。それはまるで、暗い東京の空に星が光っているかのようです。
少しずつ灯りが戻ってくるのはうれしいねえ、とフクさん。
灯りは、文字通り復興の灯火でありバロメーターであるのだなあと、文明に骨の髄まで浸かっているわたしは改めてその赤い、青い、黄色い光に、えもいわれぬ親しみと美しさを感じるのでした。


写真を載せること、撮ることには賛否両論あると思いますが、少し載せます。わたしの駄文だけでは、どうしても伝えきれないことがたくさん、たくさんありますので……。


放浪乙女えくすとら-RIMG0045



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放浪乙女えくすとら-RIMG0071  すき家のほのかな灯り

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2011年05月17日

短いボランティアの旅②

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仙台駅に着いたのは、ド早朝でした。
うっ空気が冷たい…。
この数日、東京が夏日のようだったせいで、寒さに対する感覚が鈍っていました。
ロシアに着て行ったようなオーバーはいらないかと捨て置いて来ましたが…大丈夫かおい。


確か、仙台駅は地震で崩れたのだっけ…とテレビの映像をおぼろげに思い出しますが、わたしの目の前にある駅、そして駅前は、拍子抜けするほど整っていました。復旧の成果だとしたら、すごいスピード…。パルコも、ロフトも、ヨドバシカメラも、ちゃんと建ってる。地下道も新しい感じ。
なにぶん仙台に来るのは初めてなので、むしろ駅前の立派さに驚き、仙台って都会なんだなーとアホみたいな感想を抱きました。
ただ、反対側に回ってみると、駅舎は巨大なシートに覆われていて「がんばろう! 東北」の垂れ幕が貼り付けられていましたが…。


わたしはここで、一瞬、考えました。
「仙台のモンベルかヨドバシあたりで、テントを買えるのではないか……」
フクさんとの連絡で、13時くらいに石巻駅に着いてくれればいいっすよーと云われていたので、うまくすれば、テントを入手してその時間に間に合うこともできるはず。
しかし一方で、たった3日しかいないのに、半日をテント探しに費やすのもどうなのか? という思いも湧いてきます…。
結果、フクさんのテントに泊めていただくことになりました。ボランティアはすべて自力が条件のはずなのに、早々と人に頼るわたし!! 石田ゆうすけさんのトークライブでも、その旨さんざん注意されていたのにね!!
さらに云うなら、「え? 男性のテントに泊まるなんて」と眉をひそめられた方もいらっしゃるでしょうか……でも大丈夫。そのテの間違いが起こりやすい人間だったら、とっくに2人くらい子どもを産んでいます♪
冗談はさておき、わたしはバックパッカーではありますが、宿専門(ごくたまに野宿)のインドア野郎なため、アウトドア装備をぜんぜん揃えてないのよね。寝袋はたまたま、コスタリカで安く買っていたのがあるけれど…。
もう少し早く決めていれば、誰かに借りるってこともできたのに、つくづく備えのできないマギワ人間だわね!!


寝床の心配がなくなったので、仙台に長居は無用(在住の友人には会いたかったけれど、ド早朝すぎて連絡できず)、始発の市バスで石巻へ向かいました。
バスの中だからか、お天道様が高くなってきたからか、ずいぶんと温かくなってきて、ウトウトしてしまいます。
石巻市内に入り、巨大なイオンの前で停車。見渡すかぎりでは、平和な田舎の風景が広がっていました。
後にここは、石巻市内でも被害のなかった地域だということを知るのですが、このときはまだ、のんびりと「日本の田舎というのは、どこも変わらん風景だな」と四国の祖父母の住む町なんか思い出していました。
そして、終点の石巻駅で降車です。所要1時間ちょっと。
石ノ森正太郎の生地ということで、赤い屋根の駅舎には、まんがのキャラクターが随所にあしらわれています。ポストの上にもキャラが乗っかっていたりして、思わず記念撮影したくなります。
わたしは、普通に東北旅行に来たのだろうか…というぬるい錯覚にとらわれ、思わず「石巻観光案内」の看板をじっと見入ってしまいました。ああ、これがただのみちのく一人旅だったらな。
それでも、未知の場所を訪れるときの喜びだけは、どんな場合でも素直なもんだ…。それを旅人の性と云ったらまた怒られてしまうかな。


放浪乙女えくすとら-RIMG0005



石巻ボランティアセンターは、石巻専修大学内に設けられています。
平日であれば専修大までの市バスが運行しているのですが、この日はあいにくの土曜日。
地図を見る限り、まあ1時間も歩けば着くだろうとタカをくくっていたものの、タクシー乗り場でボランティアらしき人たちが相乗りをしているのを見て、あっさり考えを翻しました。
ということで、特に苦労もなくタクシーで移動。運転手さんは、われわれをボランティアと知って地震と津波被害のことを話してくれるのですが、東北弁が思った以上に聞き取りにくく、ちょっと外国に来たような気分に……。
車窓の風景は、おおむね日常の色濃い、よくある田舎の市街地といったふうに見えます。イオンのあたりもそうだったけど、この辺もそんなでもないのか…?
と思いながら外を見ていると、運転手さんが、ここはそうでもないけどね、海の方はめちゃくちゃだよといった旨を話し(しつこいようですが、東北弁の聞き取りがわたしには難しいのです)、
「天国と地獄だね」
そうですか……という返答にもならない言葉を、うまく発することができずに飲みこんでしまいました。
被災地の人と話すと、思った以上に言葉が出てこないことに、愕然としました。
車が進むにつれ、目につき始めたのは、各家から路上に出された家財道具の山でした。


フクさんはすでに作業に出かけているので、わたしはとりあえず受付を済ませ、荷物をテントに置かせてもらって、作業服に着替えます。
青紫色のレインスーツを着、防塵マスクをしてピンクのヘルメット(笑)を装着すると、いったいどこのハイパーレスキュー隊かというような本気の見た目。さすがに「まんねんや」で一式揃えただけのことはあります。でも中味は超絶初心者です(苦笑)。


受付前の広場で待機していると、5分くらいで仕事の召集がかかりました。
その場に居合わせた15人くらいがチームになり、そのままバスで移動。
20分くらい走ったでしょうか。着いた先は、1階部分が店舗になっている3階建ての家でした。家主のおばあさんと、30~40代くらいの娘さんが立ち合いに来ていました。
玄関から一直線に庭へ抜ける構造の建物。倒壊はしていないけれど、店舗部分から奥に連なる3部屋にいたるまで、これでもかというくらい、物が詰まっています。いや、正確には、物と泥が。
家がめっちゃ苦しそうや……て、またえらく陳腐な感想を抱いているな(苦笑)。
それでもすでに、外にはそれなりの量の物が出されてはいるのです。ひっくり返った数台の車両とともに。
これが現実の光景か。これ以上にめちゃくちゃな光景は、たぶんテレビで、ネットで数えきれないくらい見たはずだけど、それらすべてを上書きする生々しさ。


ボランティアの仕事は、ひたすら、ひたすら家の中の物という物を、外に吐き出す作業です。
とにかく、とにかく単純に、物を外に出し続ける。海水を吸った重い畳。棚。たんす。椅子。机。冷蔵庫。レンジ。割れたり割れていなかったりする食器。汚れたり助かったりしている服やカバン。化粧品。商売道具。こけし数体。洗剤の備蓄。シャンプーの試供品。書類。写真。
人が暮らす家には、これほど物があるものなのか……あるか。まして田舎の一軒家なら。
そして、それらに付着する、あるいはそれらを生き埋めにしている大量の、ねちゃねちゃしたヘドロを、スコップで掻いては土のう袋に詰めて、これも外に出す。
時にはガラス混じりのヘドロの上を歩き、中から物を拾い出すのに、安全長靴とレインスーツとゴム手袋は絶対に欠かせなかったことを悟りました。ああ、アウトドアショップでウェアを揃えなくてほんとによかった。そんないい服を着ていたら、泥まみれになることに躊躇してしまいそう。レインスーツの下の体からは、驚くくらい汗が噴き出してくるし。
それにしても、ヘドロの臭いって強烈。ちょっと懐かしい感じもあるけど(昔、家の近所にドブ川があった)。いつぶりだっけ、こんな記憶に残るような臭いを嗅ぐの。ヘドロってこんな真黒だっけ。
ついでに云うなら、これまでの人生で最後にデカいスコップを持ったのがいつのことか、まったく思い出せない。たぶん、大人になってからは一度もなかっただろう…。


「奥の方にある服は、置いといてくださいね」と娘さん。
その服たちは、クリーニングに出したか何かでビニールに包まれ、水の被害を免れていたのです。救い出された服に、MILKやJane Marpleやエミキュの服の幻を重ねずにはおれませんでした。
泥の中から、たまに無事なものが出てくるとハッとします。箱から出て来たネックレスの無垢な輝きに、ビニールに包まれた新品の洗剤の重みに、機械のように動いていた手が止まる。そして、ゴミとは別の場所に勝手に避けてしまう。とりあえず。とりあえずまだ持って行かないで。
「これ、かわいいからね」と呟いて、あまり汚れていないぬいぐるみを「置いておく物」の方へ避けておく娘さんに、わたしはふと親近感を覚えるのでした。
でも、たいがいの物は諦められ、捨てる方へとうず高くなっていきます。そしてこれらの“捨てる物”は、自衛隊がトラックでごっそり運ぶことになっているようです。


1時間~1時間半ごとに休憩が入ります。
作業の手を止めてしばらく休むと、大量の汗がすっと引いて、寒いくらいです。
家の人が、おにぎりやお茶をふるまってくれました。こんなときでも「お客さん」扱いしてもらっていいのでしょうかと若干恐縮しながらも、体を動かしきったあとの米は素直に美味い。
一緒に作業をした同年代くらい(に見える)の双子の姉妹は、仙台から日帰りで来たとのことでした。
どちらからですか? と訊かれて東京ですと答えると、遠いところから本当にありがたいですと頭を下げられ、
「地方の人は来てくれるのに、こっちの人はあんまりボランティアに行ってなくて……あっ地方はこっちですね」
ま、わたしも阪神のときは全然ボランティアなんか行ったことなかったな。距離が近いと生々しくて行きづらいような…。おっとり、ポツポツとした話し方が、仙台の友人によく似ていました。仙台の人はみなこんなふうに話すのでしょうか。


家主の娘さんからも、どちらから?と同様の問いを受け、東京だと答えます。
東京も揺れたんでしょう? ええ、そうですね、こちらに比べたら軽いですけど。千葉の方にいたので地面が液状化したりとか、交通がマヒしたりとか、家の冷蔵庫が20センチくらい動いたりとか…。
自分の体験がいかに小さくても、語れる話はそれしかない。目の前で、家がこんな状態になっている人に話す内容ではないけれども。
ひとしきり話した後で、娘さんがぼそっと云いました。
「世界が終わるかと思いましたよ」
それに対して、わたしは適切な言葉を探してやっぱり失敗し、うつむいて黙るしかできませんでした。
ダメだ…例えば心のケア的なボランティアだったら、わたしには到底できなかっただろう。こうして元気でいる人の顔も、まっすぐ見られないのだから。
へっぴリ腰でも、尋常じゃない汗をかいても、黙ってヘドロをかき出している方がナンボかわたしには合ってる。


途方もないように思えた家財道具&泥出しでしたが、人数とは侮れないもので、午後3時には家の中からほとんどすべての物と泥が出されていました。
それはもう見事なほどに、来た時にどうだったのか思い出せなくて唖然とするほどに…。
泥まみれだったシンクは、あやうくゴミに出されそうになっていた洗剤で、きれいに磨かれていました。ヘドロに埋まって見えなくなっていた浴槽も、銀色の姿を現しているじゃないの。
人手って、すごいわ。半分くらい女の子だったのに。双子の妹さんはよりによってホワイトジーンズを履いて来ちゃってたけど(笑)、ものともせず泥かいてたもんね。
がらんどうの空間には、高いところにあって難を免れた神棚や賞状、カレンダー、時計だけが取り残されたように元の位置にいました。しかも時計は、正確に時刻を刻んでいました。
白い壁に、煤けたような横線が入っていて、「ここまで水が来ていた」名残りだとボランティアの人に教えられました。その横線は、身長162センチのわたしのあご辺りの高さで、家の壁という壁につながっていました。


夕方、専修大学に戻って、ようやくフクさんと対面。
会うのは数カ月ぶりですが、心なしか色が黒くなっており、肉体労働者の風格を存分に漂わせていました。
片や、ボラセンの中や大学の近所を案内してもらっているわたしは、完全にただの観光客です。ほんと、なんちゃって野郎だなお前は~;
お客さんが来たときくらいは、と手持ちの食料をふるまってもらい、さらには炊き出しでカレーや温野菜をいただくと、ボランティアで働きに来たとは思えないほど満腹になってしまいました。
トイレもきれいだし、手も洗えるし、寝床はあるし。ヘドロと汗の入り混じった臭いはけっこうヤバそうだけど、ま、わたしだけじゃないし。何より、頼れる話し相手がいるのは本当にありがたい。
夜行バスで熟睡できなかったのもあり、9時半過ぎには早々に床につきました。というか、ボランティアの生活は農家と同じような感じみたいです。
東北の夜はやっぱり寒く、何度か目が覚めるほどでした。テントじゃなかったら、凍死してたなこりゃ(涙)。


放浪乙女えくすとら-RIMG0088

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2011年05月09日

短いボランティアの旅①

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GWの前半3日間、石巻に行ってきました。
5/2と6を有給休暇取ってロングランGWにして、しばらく実家で過ごそうと思っていたのが、仕事でアテが外れましてね。
飛び石連休になったからにはこの際、ボランティアに行くしかない、と。そんな消極的な理由を書くとまた不謹慎って云われるかな。


前回のエントリーでは、コメント欄こそ荒れていないものの(?)、なかなか辛辣なメールをいただき、3日間くらい心に穴が空いて、修理にしばらく時間がかかってしまいました(それでコメントのレスもすっかり放置状態…すみませんっ;)。
内容を詳しく書くと、こないだの二の舞になるのでやめておきますが、主旨としては“あなたみたいな不謹慎で不愉快な人に、ボランティアに来てほしくない”という、“被災地の方”からの声でした。
さすがに凹み、悩んだ末……やっぱ行くことにしたわたしは、何だかんだで神経が太いというか、ただの変態というか(苦笑)。人の嫌がることをあえてするあたり、変態ぽいか。


確かにわたしは、不謹慎で不愉快で、いくぶん変態だけどね。。。
このまま、被災地に行かないままだと、たぶん忘れてしまうと思ったんですよ。
目の前には仕事の川が、日常の川が絶えず流れていて、手は絶えずそっちの方で動かしながら、目は絶えず被災地へ……それには正直、限界がある。
仕事がすごく大切かと問われると、そういうことでもないんだけど(崇高な仕事ってわけでもないし)、それを止めたら今度は自分の首が締まるし、ボールは絶えず飛んでくるから、打ち返さなきゃいけなくてね。目の前にいる仕事やその相手をおろそかにするわけにもいかなくてね。
離れていたら、自分の知らない間に、ほとんど手を下すこともなく自動的に復興がどんどん進んでいるような妄想に、支配されそうになる。いや、支配されたくなる。「何とかなるのだろう」って思いたくなる。
すっかり落ちついた感が満載の東京にいて仕事して暮らしていると、リアリティなんかどんどん薄れてくる。仙台に住む友人だってもう被災者という感じではなく(もともと被害は少なかったのですが)、日々の仕事に追われているようなのですから。
忘れないために行く……そんなのは、興味本位と大して変わらない、100%エゴだと思うけれど、何も係わりを持たないままで忘れずに、さらに親身になり続けられるのか。実体験だけがすべてに勝るわけではないとしても、想像と情報だけで心を痛め続けられるほど、わたしは繊細にできていない……。行ったことのある、好きな国でもあるイエメンのデモで多くの人が死んでも、わたしは平然とごはんをおいしく食べているのだから。


東京のボランティアにも、週1(だいたい…)で行っていたんですよ。
当初は、「誰でも彼でも被災地に行けばいいってもんじゃ…」と腰が引けたのもあって、東京で、やれる範囲で奥ゆかしく(?)やればいいと思っていたのです。
だけど、やっぱりどうも間接的にしか被災地のことは分からなくて、服の上から体を掻いているようなもどかしさもあって。
それに、遠隔からのボランティアというのは事務仕事が大半、それがいやだということではなくて、こういう事務局的な作業は、日々刻々の流れをきちんと把握しないと、ホントについて行けないの。そういう点では、ボランティアとは云え、会社の仕事と同等の処理能力が必要だと痛感。メーリングリストで回ってくるメールは追うものの、すごい量で追い切れないし……どんどん使えないやつになり下がり中。GW後、復帰できるんだろうか……。


何故、石巻にしたかというと、このブログからもリンクしている旅人・フクゾウさん が4月の真ん中からあちらに行っていて、コメント欄にも「ぜひ石巻に来て下さい」なんて書いてくれていたので、渡りに船と、乗っからせていただいたわけです。
…まっ、いっそ原発の近くでボランティアしたらどうですか? なんてご意見もあったんですけど、一瞬はそうしようかとも考えましたけど、何しろ初めての場所であり作業ですから、知った人のいるところに行った方が余計な迷惑をかけないかと思って……
という理由は何割かで、ほんとは原発の近くはちょっと怖いのでやめました(この先、子どもを産む機会はなさそうですけど、念のため…って、セコイな;)。
あとは、GW前になって、あちこちのボランティアセンターが規制をかけていて、どうも単独で未知の場所へ行くことに、ブレーキがかかってしまったというのもあります。これで断念した人も、わりと多かったんじゃないでしょうか…。
わたしも、フクさんが「仕事いっぱいあるよ」と云ってくれていなかったら、中止したかもしれないです。


で、何だかんだで行くことを決めたのは、その週の火曜日でした。
ほとんどなんの用意もできないまま(災害ボランティア保険に入ったくらい)出発の金曜日になり、朝っぱらから新宿の「まんねんや」(作業服専門店)に駆けこんで装備を買いこみました。
廃墟散策のために買っておいたヘルメットや軍手はついに役に立ちそうだったけれど、さすがに安全長靴やゴーグル、レインスーツなんかは持ってないもんね。
後ほど書きますが、山ガールみたいな服装で行ったら間違いなく泣きを見ます。ザ・作業着で正解でした。ちなみに、まんねんやさんは、被災地にボランティアに行く人に、無料で作業着をプレゼントしてくれる、とっても素敵なお店です!
そして、ただでさえ時間がギリギリというのに、3週間ほどじりじりと待っていたスマートフォン入荷のお知らせが!
4月中に契約しないと解約金が発生するので、這ってでも取りに行かねばならず、昼食時間を削って、職場からけっこう離れたケータイショップへ……。
夜9時過ぎ、かなり無理やり仕事を終わらせ(後輩さんごめん)、いったん自宅に戻ってパッキングし直し(作業着のかさが膨大に増えた)、シャワーを浴び(3日間は風呂に入れない)、やっと部屋を出たと思ったら保険証やらなんやら忘れて取りに戻り(何やねん!!)、もはや電車では確実に遅刻なのでタクシーで夜行バス乗り場へ(余計な出費)……ぜーぜーぜーぜー。。。ドンキホーテでテントを買うつもりが、とても、0.1秒もそんな時間はなく!!!


仙台行きのバス乗り場には、けっこうな台数のバスが停まっていて「もしやGWボランティア御一行様??(オマエモナー)」と思いましたがそうでもなく、こぎれいな雰囲気の帰省客ふうの人が多かったです。
まさか、自分の初めての東北行きがこんな理由とはな……と奇妙な、少し後ろめたいような気持ちで東京を後にしたのでした。

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