2009年02月27日

布団萌え…いや、布団燃え;

テーマ:上京後

こないだの自転車の件といい、最近不注意が多いです。昨夜もどうやら、玄関の鍵を開けっ放しで、しかもドアが半開きになったまま寝ていたらしく、朝、ちょっと凍りつきました。
いつも、戸締りや火の元など過剰に気にする方で、外出前にはすべてのコンセントを抜くくらいなのに、何がわたしをそうさせるのでせうか……。
そして先日。朝起きたら布団が燃えていました。
一度目が覚めてから、ストーブを付け、ちょっと部屋があったまるまで10分くらい布団にくるまっていよう……そしたら、10分がどうやら1時間くらいになっており、その間に寝返りを打ったらしく布団がストーブにくっついて、じわじわと燃え出したってことみたいです(寝てたから分からん)。
でも確かに、半眠半起の状態で、何だか香ばしいにおいがするなあ…と夢うつつで気づいてはいたんですよ。でもこちとら夢だと思ってるから、わざわざ起きないじゃん?まさか、本当に何かが燃えてるとは思わないじゃん???
起きたら、部屋いっぱいにうっすら靄がかかっており、確実に異様な臭いが充満していました。
布団を叩く、水をぶっ掛けるなど急いで消火活動に努めましたが、けっこう布団のあちこちにちょっとずつ燃え移ってて、ぷすぷすと煙がしつこく出ていました。
いやーーーーー……やばいだろうこれは!わたし、やばすぎるだろう!大丈夫かよ!?
外出までの1時間ほど部屋の窓を全開にしてましたが、その12時間後に帰宅してもまだ、いや、未だに部屋が焦げくさいです。ま、隣近所への被害とかなかっただけ、不幸中の幸いでしたが…。自転車の件と云い、わたしは悪運が強いのだらうか…と思ったけど、単にわたしが不注意すぎるだけですね。


しかし、わたしもやばいが、電気ストーブもやばいな…。
何を隠そう、幼少のみぎりより、こたつの次に電気ストーブを愛用しているわたくし。至近距離だけすぐにあったまるという点が最大の魅力ゆえ、眠る時も湯たんぽの代わりにストーブを抱いて眠れたらさぞあったかいだろうに…と残念に思うくらいです。
そんなわけで、昔から、常にわたしの傍らには電気ストーブがいるのですが、まだ小学生の頃、背中に電気ストーブを当てて読書していたらセーターに燃え移って、母親にえらく激怒されたことがありましたなぁ…。
このままだと、わたしの行く末は80%の確率で、「独居老人・電気ストーブによる焼死」(←新聞の見出し)となるのではないでしょうか…。わたしがそんな年になるまでには、絶対に火事にならないストーブ(でなくても、暖房器具)が開発されていることを祈るばかりです。南無~。

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2009年02月23日

えにし

テーマ:

ここ2回ほど、ブログの内容が殺伐としておるので、気を取り直して、友人の結婚式の話を書きます(ムギさんのブログでも書かれていた話なので、二番煎じになりそーだけど、何卒ご了承のほど)。


新郎は、カイラスをともに旅したTさん。新婦は、イエメンで会ったCさん。
もともと身内だけだった挙式に、わたしとムギさんをわざわざ呼んでくれたのは、僭越ながら、夫婦となった経緯のなかに、われわれが介在していたから。
上京して間もなかったTさんから、かねてより「なかなかこっちに知り合いもいないので、飲み会とかあったらぜひ呼んでくださいねー」と云われていて、ちょうどそのときムギさんの東京オフ会があったので、声をかけてみたのです。
そこに、ムギさんのブログの読者であるCさんも来ていました。そのCさんとわたしは、イエメンのサナアで1日だけ会っており、その日の夕食をともにしたという仲。わたしのオフ会に来てくれたこともありました。
ムギさんのオフ会は新宿のアジア屋台村で、朝方まで続いたのだけど、わたしを含めほとんどの人間がゾンビのような顔で半死状態になっているなか、2人だけは別世界にいるかのようにえらく話が盛り上がっていました。なんや、意外とええ感じやん、と寝ぼけた頭で思っていたのを今もよく覚えています。
しかし、まさかほどなくして実際にカップルになるとは思ってもみず、しかも結婚に至るとはもっと思ってもみず……人の縁とはどこでどのように結ばれるものやら、皆目わかりません。


式の最初、館主のあいさつ文の中で、「仏縁」という言葉が何度も出てきました。
実際のところは、会場である「求道会館」の和洋折衷具合、まるで隠れキリシタン寺のような異種混合の不思議な調和に目を奪われ、「今年、夏休みを取ったら、海外じゃなくて長崎の隠れキリシタンの里を訪ねる旅でもしようかな……」などと完全に雑念に支配されて、仏縁うんぬんの話はきちんと頭に入らなかったのですが、その単語だけはしっかりと、心に刻まれました。
人の縁は、どれもこれも必然と云えば必然だし、偶然と云えば偶然。Tさんがフンザで張り紙をしていなければ、一緒にチベットに行っていなければ、わたしがブログを持っていなければ、ムギさんがオフ会をやっていなければ……if(if not)を考えることはいくらでもできるでしょう。出会いがたとえテレクラであれ、ミクシイであれ、旅先のロマンチックな場所であれ、確率論から考えたらそれは等しく運命の出会いと云えるし、同時に偶然でしかないとも思う。
でも、チベット仏教の聖地をともに巡礼した人が、わたしからつながる縁によって、生涯の伴侶と出会い、今こうして、仏の前で結婚を誓う――その場面を前にして、仏縁という言葉は、やけにリアリティを持ってわたしの頭に響いてきました。


だから――と云うとこじつけっぽいけど(笑)――この式に呼んでもらったとき、絶対にチベットの民族衣装を着て行こうと思いました。
もう着る機会もないかと思って実家に眠らせてあったのを、父ちゃんに送ってもらって、しかも最初は間違って別のワンピースを送ってきて焦りもしたのですが、どうしてもこの服じゃないとダメだと思ったんだもん(父ちゃん、ありがとー。でも「お前、またこんなおかしな服着てどこ行くねん?なんか劇にでも出るんか?」と余計なイヤミも忘れておりませんでしたが……)。
チベットをともに旅したTさんはもちろんだけど、Cさんもチベットが好きで、タンカ(仏画)を習っているほどの人だから、これを着て、2人の門出に立ち会うことができて本当によかったと思っています。……え?単にコスプレ趣味を満たしただけじゃねーかって?そうとも云いますね。てへ。
しかしこれ着ると、Tさんと「ポタラ宮にチベタン料金で入るぞお!」と奮闘していたときのことを思い出すなあ(笑)。


親族と、3人の友人だけが列席した、時間も30分くらいのつつましやかな式でした。
結婚式というと、なんだか派手なイベントのようなイメージが先行しますが、2人の結婚式に参加して、結婚式とはひとつの歴然たる儀式なのだということに、思いを改めました。わたしは今、新しい夫婦、新しい家庭の誕生する瞬間に立ち会っているのだな……という厳かな感動で、胸が静かに震えました。
式なんてメンドクサイからやらない、というカップルも多いなか、ひとつの儀式として、節目として、結婚式を行うことには少なからぬ意味があるのではないでしょうか。神仏の前で、家族の前で、親しい人たちの前で、2人の絆を誓うというその行為が大切なんだと思います。


それにしてもここ最近、友人知人の結婚話がちょくちょく飛び込んで来ますねー(まさに、飛び込んで来る感じなのだ)。世の婚活ブームとは多分カンケーないんだろうけど、なんとなく世間のムードが結婚に向かってでもいるのでしょうか。不思議です。
せっかくブーケも頂いたことなので、わたしもわたしの仏縁を信じて、今年じゅうに結婚することにします(ウソ。大ウソ!)。


ここまでで、すっかり書き忘れてたけど(笑)、Tさん、Cさん、おめでとうございます。いつまでも仲良く、お幸せに!


放浪乙女えくすとら-kekkonshiki1 造りは完全に西洋風の教会なのに、仏様が祀られている、なんとも不思議な空間@求道会館

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2009年02月20日

己がちょっと怖いと思った夜道の出来事

テーマ:上京後

先日、夜の帰り道で、普段はやらないのについうっかり携帯をいじりながら自転車を漕いでいたら、向こうから来たやはり自転車のおばさんと軽く衝突した。わたしの自転車のライトは今まさに壊れており無灯火で走っていたので、おばさんが烈火の如くブチ切れた。
おばさんは、「携帯持って運転」「無灯火」というわたしの罪状をたぶん各20回くらいは繰り返して滔々と説教した。あなたね、運が悪かったら救急車呼んだりして、病院代やら大変なことになってたのよ、わたしは外を歩くときは絶対に携帯なんかさわらないわよ、あなたほんとに何考えてるの?!と、そんな感じ。
それは確かに、いちいちごもっともで、わたしが全面的に、1億%、一点の曇りもなく悪いので、とにかく平謝りした。ところが、自分の中でどういうスイッチが入ったのか、おばさんの説教具合に乗せられたのか、平謝り具合が急激にエスカレートして、そうですよね、本当に悪かったです、何とお詫びしたらよいのやら、いったいわたしはどうすればよいのでしょうか、と膝を地面についてひれ伏し、「わたしこのままじゃ気が済みませんから、改めてお家にうかがって謝罪したいと思うんですが!連絡先をぜひ教えていただければ!」などというところまで発展し、思わず、「こんなもの!こんなもの!」と叫んで携帯を真ん中からたたき割りそうになったが、そこはかろうじて踏みとどまった。
わたしの謝罪がエスカレートするにつれ、おばさんの説教もどんどん盛り上がっていき、いったいどこまでこの“天丼”をかぶせ合うのか?と思ったら、ふっとおばさんの態度が軟化し、まあ、これくらいで済んだからいいじゃない、今後はおばさんに云われたことを思いだして、二度とこんなことがないようにしてね。最後は、菩薩のような微笑みさえ浮かべていた。もう自転車に乗るのはやめて今後は電車で移動しなさいという助言にはさすがに従えないが、まあ、大事に至らず10分程度の説教&謝罪で終わってよかった。ここまで謝ったからには、お時間を取らせてしまったことに対しての謝罪も忘れずに付け加えさせていただいた。


何ともヘンな気分だった。どうも、途中から、謝ることにカタルシスすら覚え始めていたフシがあり、だんだん謝罪の仕方がオーバーで芝居がかってきていた。あれは何なのか。何かが憑依したのか。あのときわたしは誰だったのか(って、わたしだよ)。
……あの心情は、逆ギレのねじ曲がったパターンなのではないだろうか?謝り倒す、と云う表現があるけれど、まさに謝ることで相手を倒そうとしているのではないか。最後におばさんが、周りに恥ずかしいから立ってよ、みたいなことを云っていたが、つまり過剰に謝ることで相手に何らかのダメージを与えているとも云えるわけだ。いわゆる慇懃無礼ってやつですか。企業の謝罪会見みたいな。
と考えると、やっぱ自分はつくづく、性格が歪んでるなあと思う。結局、意味不明にプライドばっか高くて、まともに謝罪ができない人間なのかも……。あーあ。しょうもな。
ただ、相手が善良な市民だったからよかったようなものの、危ない人だったら付け込まれて裁判を起こされたりするかも知れないので、今後は気をつけよう。ってか、早くライト買お。

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2009年02月18日

威圧的な人が苦手だわ

テーマ:上京後

心の狭さにかけては誰にも負けないわたしですが、意外にも(?)誰か一個人を指して「こいつ嫌い」と判決を下したことは、30余年生きてきて、数えるほどしかありません。
しかし、一般論として、威圧的な人というのが本当に苦手。最近改めて、しみじみと思う。
人は誰しも、上からモノを云うのは、多少なりとも気分がいいものだろうし、わたしだって、知らず知らずのうちに上から目線でエラソーなことを云っている場面が、いく度となくある(すみません。気をつけよう)。
でも、立場とか差し引いても常に常に威圧的な人って、たまにいるじゃないですか。何をするにもケンカ腰というか、自分が誰よりも200%正しいと思っている感がありありと見えるというか、必ず人の意見に難癖つけるというか、人を完全に見下しているというか、攻撃性むき出しというか、悪口&陰口が病的とか、いろいろ。(しばらく遠ざかっていたけど、エニアグラム的に云うと「タイプ8」でマイナスの状態の人って感じか)
誰かを「威圧的」と判断するわたしの物差しには、いくばくかの歪みがあるだろうし、わたしの根本的な自信のなさが、相手の態度を勝手に針小棒大に解釈しているのやも知れぬし、そもそも本当にわたしの頭が足りなさすぎてエラソーにされるということもあるだろう。
といちおう認識したうえで、やっぱり苦手。嫌いとは云わないよ、でも苦手なの。
こういう人に、まともにぶつかると大変なことになる。得られるものは多分ないし、わたしのように内向的な人間はメッタ切りのズタズタにされるから、攻撃されてもぐっと堪えることが多い。しかしそれでは必ず損をするので、視界から消す方法を、なるべく取り入れようと試みますが。
わたしは、かなり理想論としてですが、イソップ童話の『北風と太陽』は世界の真理だと思っていて、頑なな旅人の心は北風方式ではやっぱりうんともすんとも云わないものだと思う。だから、攻撃性には、攻撃性以外の別次元の何かで対処するのが、多分ベスト。でも、それが何なのか。無視なのか。表面上だけ服従するのか。その人の云うことを全面的に真に受けるか(超卑屈に。これ得意だけど、あんまりやると心を病む)。限りない愛を持って接するのか。
グーグルで「威圧的な人の対処」と検索したら、「全ての攻撃は、助けを求める声である」という心理学の考え方があるそうな。その視点から考えると、威圧的な人とはよく吠える犬のようなもので、内実は脆く弱いからこそ、威圧的になるのだということになる。確かに、そのように酌量することはできる。自分にも身に覚えがあるし。何て云うの、他人をバカにすることでしか自分の優位性を保てないっちゅうの?
しかし、あからさまな攻撃性、あからさまな侮蔑や非難に対して、愛で対処することはとてつもなく難しい。多分、それが出来たら最強なんだろうけどそもそも、いつもいつもそんなに自分の心が愛で満たされているわけもない。攻撃性に対しては、むしろ深い憎しみさえ募るのが普通ではないのか。と凡百の徒であるわたしは思う。
だけど、人を憎むことになんのためらいもなくなってしまったら、それはそれで終わりという気もするから、そこら辺はどう折り合いをつけたらいいのだろう。
まあ、そういう人からは距離を取ることが、処世術としてはいちばん現実的なんでしょうね。柳に風ですか。うーん。久々にブログ書いたのになんだこの内容。。。鳴呼、達観したいですぅ。

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2009年02月04日

赤ちゃん、はじめました

テーマ:上京後

しばらくごぶさたしている間に、子どもが産まれましたおんぷ赤ちゃんおんぷ





















……あ、わたしじゃなくて、弟くんなんですけどね☆
(やっぱり?って思いましたよね……。つまらない書き方してすみません;)


わたしの仕事ちゅう、珍しく電話をかけてきたと思ったら、赤子が無事に産まれましたと云うんですよ。
なんか耳ふさいでるわ~、えらい顔が赤いなあ、なんやお前、まだ産まれてきたくなかったんか~?……などと、今まで聞いたこともないような気持ち悪い猫なで声で、赤子にしゃべりかけている弟くん。朝、明るくなるまで仕事して、頭がすこぶる重いわたくしには、とてつもなく遠いニュースのように聞こえました。
て云うか、最近仕事のストレスが尋常じゃないもんだから、「おめでとう」を云う口調もなんだか鈍くて、また意地悪な姉として嫌われたかも知れません(苦笑)。


しかし、わたしはわたしなりに、姪の誕生を喜んでいるのだということを、本人に伝えるのは難しいのでここにこっそり書き記しておこうと思います。


ベストセラー『負け犬の遠吠え』で、最も印象に残った箇所のひとつが、“実家に帰るたびに家族全体が老いていっているのがわかる”という記述でした。
著者も、彼女の兄も未婚であるので、父・母・兄・妹という構成のまま全員が老いていくという状態、そこから新しいものが生まれることはないというわけです。


わたしの家は、著者の家族構成とは違いますが、実家や田舎に帰るたびに、似たようなことを思います。
子どもの頃、田舎に帰るということは、夏と冬の一大イベントでした。いつも帰っている母方の祖父の家は、大阪の自分の家に比べると、まるでお屋敷のように大きくて新しくて、普段は会わない親戚たちに会えることにわくわくしたものでした。しかし、大人になって田舎に帰るたびに、その家が、どんどん古びていくのを痛感します。
年齢にしては無駄とも思えるほど元気だった祖父は、腰をケガしてからめっきり老いた。口うるさかった祖母も老いてやたら涙もろくなった。ダンディでかっこよかった叔父も、美しかった叔母も歳を取り、いとこたちはそれぞれ家を出て暮らしている。
大きな家は、まるでがらんどのようで、時間だけが静かに、しかし確実に堆積しているのが痛いほど、わかりすぎるほどわかるのです。


そんな中、弟夫婦が、妊娠の報告を持って祖父宅にやって来ると、何となくその間だけは、かつての、親戚一同が集まって賑やかにしていたお正月の空気が、少しだけ戻ってきたようでした。
最もわたしだけは、昨年と違う、明らかに“別の家族”になった感じに、ほろ苦い気持ちを抱いていたものの、老いていく人間たちの中で、弟夫婦だけが眩しく、本当に光ってでもいるかのように見えました。
そのとき、綿入れ&ノーメイクのこたつむりになっていたわたしは、弟くんに「お前、去年より確実に老けとるな」と云われたこともあり、自分はもう終わった人間で、あとは余生なのではないか……と不安になったほどです。


やはりひとつの「家」において、若い人間の存在は、たとえ不安定で、さまざまな問題を孕んでいたとしても、何よりも明るい光なのではないでしょうか?元来、家とはそのようにして、絶えず変化と再生を繰り返してきたものではなかったでしょうか?
産まれた当時は、幾多の喜びを提供したであろう、長女で初孫のわたしも、すでに32。無邪気に祝福される存在ではありません(苦笑)。
しかし、これから生まれてくる若い命は、多くの人に祝福され、老いていく家族たちに微笑ましい話題をもたらすことでしょう(ま、10数年後にはヤンキーになっているかも知れませんがね☆)。それは、家族にとっては、わたし個人が今後、どれほどのことを成したとて、遥かに及ばないほどの喜びに違いない。
だから、生まれてきた姪は、無事に生まれてきたことだけで、充分に感謝に値する存在なのだと思います。かつてわたしや弟くんが、この家にとってそうであった(たぶん)ように。
そしてそれが、わたしにとっても、唯一、子を産む理由となり得るかも知れません。


ちなみに、産まれた日は、母ちゃんの誕生日、の翌日でした。
もともと予定日がそれくらいと聞いていたので、父ちゃんをはじめ親戚の間では「母ちゃんの生まれ変わりかも知れんなあ」と盛り上がっていましたが、弟くん的には、「同じ日じゃなくてよかった……」らしい。
ま、確かに、母ちゃんが生まれ変わってきたとか思うのは、ちょっと不気味かも知れませんな。。。
しかしながら、これからは、節分が近づいて来るたびに、家族というものに思いを巡らせることになりそうです。

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