2008年08月20日

喫煙をめぐるくだらない考察

テーマ:上京後

最初に断っておきますと、わたくしは喫煙者ではありませんが嫌煙家ではありません。
食事やお茶の席で喫煙する人がいても非難するつもりは毛頭ありませんし、自分以外は全員喫煙者の飲み会に参加しても別に平気です。
ただ、その場合はいつも、帰宅すると着ていた服にものすごい臭いがしみついていることに気づき、「わたしの可愛いミルクのお洋服があ!」と悲しい気持ちにはなるのですが…。
まあしかし、昨今は喫煙者もどんどん隅に追いやられているので、気の毒だなとすら思っているくらいです。


…と、全国の喫煙者を敵に回さないために釘を打ったところで(笑)、本題に入りましょう。
喫煙者、特に女子のそれに関して、ある共通する特徴があることに、先日ふと思い至りました(ヒマな奴…)。
それは、「何だか堂々としていて、ものをハッキリと云う、自信のありそうな人が多い」ということです。異論反論、かなりあるでしょうが、まあ聞いてください(笑)。
たまに、小動物みたいに大人しそうな女子が喫煙していて「へー」と思うこともありますが、基本的には、女子の喫煙者は上記のキャラクターであることが多い気がします。
喫煙するからそういうキャラになるのか、元来そういうキャラだから喫煙するのか?
(思春期における)喫煙の発端が、大半はヤンキー的な動機に基づくものである(←偏見)ということを鑑みると、後者なのかも知れません。確かに、ヤンキーとは云わないまでも、女子の喫煙者は、昔それなりに悪さをしていたり、それなりに遊んでいたりと、マセた女子が多いようには思います。
ちなみにわたしも、ご多分に漏れずイキがって思春期に吸い始めたものの、基本的に不良的な遺伝子を持ち合わせていないため、長続きしませんでした(貧乏だったし)。
もう少し大人になってからは、乙女の大家である森茉莉が、フィリップ・モオリスの煙草を、チョコレートと洋酒に並ぶ3つの嗜好品として挙げていたため、「やっぱ乙女は喫煙せねば」と、その後もちょろっと吸っていましたが、常習には至りませんでした。


しかし、社会人になってからストレスで吸い始める、性格大人しめの女子だって、かなりの数いるはずです。
そこで、元来のキャラクターはともかく、ナゼそう見えるのか?の答えとして、「煙草は(ある種の)武器である」という仮説を立ててみました。
あの、細い棒からもくもくと吐き出される毒の煙。形状と云い作用と云い、まさに武器と呼ぶにふさわしい物体ではないでしょうか?
喫煙する女性がやけに堂々として見えるのは、“武器”を手にしているからだと考えると、まあ少なくともわたしは納得できるのです。そして、日常的に吸っていれば、例え目の前で煙草を手にしていなくても、堂々としたオーラみたいなものがまとわりつくのではないでしょうか。見た目大人しそうな女子でも、煙草を手にしたとたん、違うオーラを持ち始める気がします。
また、その自信オーラ(?)のためか、女子の喫煙を嫌う男子が多い世の中にも係わらず、喫煙女子で男に困っているタイプは少ないように思います。
非喫煙者であるわたしが、今でもたまに煙草を吸うことがあるとすれば、やはりこの「武器としての煙草」。
うっかり行ってしまったクラブなどで間が持たないときなど、煙草を手にしていないと、あまりに格好がつかなくて不安になり、普段吸っていないとは思えないほどすごい勢いで煙草を消費します。飲み会のときだけ吸う、という人と、ちょっと似ているかも知れません。


以上、いつにも増して偏見だらけの話ですみませんが、そんなこんなでわたくしは、煙草を吸う女子を見ると、かなり微かにではありますが、萎縮してしまうのです。


あと、ここまで書いておいてなんですが、煙草の動詞は、「吸う」ではなく「(喫むと書いて)のむ」の方が、美しいのではないかと思っております。かしこ。

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2008年08月13日

なんということもない夏

テーマ:上京後

気がつけば世間はお盆休みに突入し、しかしわたしは盆休みとはカンケーなく出勤し、ビーチだのキャンプだの花火大会だのといった夏のレジャーに何ひとつかすることなく(あ、今週末かろうじて海に行くことになったけど、なんか雨なんだってね!!!最近ずっと晴天なのに、わたしが海に行く日のみ雨って!!しかも70%って!!確実に中止だろーが!!!)、たぶん今年の夏は(も)終了。
日ごろの付き合いの悪さ&友達の少なさも大いに関係していると思いますが、やっぱ夏に彼氏がいないことが、夏のお楽しみを大幅減にしているような気がするのはただのヒガミ?(だろーなあ)
今年は、花火大会くらい好きな人と行きたいなー♪とか乙女らしい目論見を抱いていたけれど、残念ながら花火どころか2人で飲みに行ったことすらございません。今どき、思春期の子供でももうちょっと進展早いだろーが!!!ナメてんのかテメーは!?ほんと、あまりのヘタレ具合に、今ここで自分のこめかみを撃ち抜きたくなります。
恋愛相談的なことをしている数少ない周囲の人々にも、すでに見放されつつある昨今。
「臆病すぎるっ!!!」
先日も、そう一喝されました(-_-;)
いや、自分では決して何もしていないつもりはなく、出会った頃に比べればずいぶんと、メールの頻度も文章の長さも増えたはずなのですが、それを「進展」と見なすほど、世間は甘くない。


その人が好きだという気持ちと、その人を手に入れるということのどこに差があるんだろう、と思います。
好き→手に入れたい。世の恋愛のほとんどはそういうロジックで進んでいると思うのですが、それはあくまでも欲望であって、愛だと云えるのでしょうか?
一方、世の中には、「相手の幸せを第一に考えることが本当の愛」みたいなロジックもあります。それは確かに真実だと思いますが、その場合、相手の幸せを考えたら、自分が消えるのがベストでは?ってことも往々にしてあるわけで、いったいどうしたら「好きな人とうまくいく」という単純にして遠大な使命が果たせるのかと、頭が混乱してきます。
つまり、「好きな人の幸せを考える」というスローガン(笑)のもとに行動するべきなのか、「好きな人を手に入れる」というスローガンのもとに行動するべきのか、これが分からないわけです。そもそもこれは、違うスローガンなのか、それとも実は同じスローガンなのか?きっと、普通に恋愛がうまくいっている人たちは、これを同じスローガンとして実践できているのだろうな…と、頭では何となく分かるのですが。
何故このような難しい命題を、世の多くの人が、食べることや寝ることと同じように難なくやれているのが、いつもいつもいつもいつも不思議でなりません。


まあ、どちらにしても結局、好きという気持ちだけではどうしても終われないのがこの世の恋愛と云うか、恋愛も、仕事その他と同じく「結果を出さなければ意味がない」というふうに、世の中的には見なされている気がします。
つまり、相手を永久であれ一時的であれ“所有する”ことが、恋愛における“結果”だとするならば、恋愛もやはり勝ち負けでしか語られない行為だと云えるでしょう。
付き合う=所有するという考えは、個人的には賛成できないけれど、この世に「不倫」だの「浮気」だのがはびこり、「浮気したら許さない」なんて台詞がまかり通っていることを鑑みると、やっぱり「自分のものにしてナンボ」ってことになるんだろうな、って。
周りから進展を聞かれるたびに、たいした報告もできない自分が、この世でいちばんヘタレな女のように思えてくる。わたしはわたしなりに、相手の役に立てることとか、喜びそうなこと、なおかつ負担にならないようにと考えて行動しているつもりだけれど、それが何にもなっていないのなら、もう、やめた方がいいんじゃないかって。
まあ、努力の仕方がそもそも間違っているとも云えるので、ちゃぶ台をひっくり返す前にいろいろと見直しが必要ですが…。恋愛本とか、馬鹿にせずにちゃんと読んだ方がいいかもなあ。アプローチの仕方とか、周囲の人間の使い方とか、たぶん根本的に間違っているような気がしてきた…。


で、こういう堂々巡りで煮詰まって、結果にあせり始めると、例の「告白」という禁じ手を使いそうになってしまいそうになるから怖い。告白という手段は果たして、どの程度有効なのでしょうか?最近それが、甚だしく疑問です。わざわざ告白をせねばならない時点で、見込みは薄いと考えるのが世の常のようですが、どうなんでしょうか?(友人にも堅く止められています…)


それにしても、ここ数年、脈のない相手ばかりを好きになるらしい自分の性質を、どうにかしたいものです。
なかなか振り向いてくれない人のことなんかさっさと忘れて、他の誰かを好きになれたらいいのにね。
でも、ちょっといいなと思えるような人とも縁がなくて、もうこのまま出家した方がいいのではないかと……って、何を自暴自棄になっているんだよ(笑)。暑いせいか、どうもすべてがめんどくさくなってくるなー…。


…そう云えば、東京大神宮のお守りの効果ってどうなったんだろ…(笑)

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2008年08月11日

防災してますか?

テーマ:上京後

先日、同僚とご飯を食べていると、「何とかっていうガイジンの予言者が、8月某日に東京で大地震が起こるって云ってるらしいよ」なんて話になりました。
まあ、その予言は当たらなかったようですけど(後で調べたら、某日というのは5日だったらしい。もう過ぎたから大丈夫だよね?)、これを機に、防災(特に地震対策)というものをちょっと見直すようになった昨今です。兼ねてより気になっていた『地震イツモノート』という本も買いました。


周期的には、いつ大地震が来てもおかしくないと云われている東京。
そう新しくもない木造アパートで、しかも住宅密集地帯に暮らしていて、近所に頼れる知人もいないわたしは、いざ大地震が起きたとき、いったいどのように生き延びればいいのでしょうか?
『地震イツモノート』には、「原始生活ならば身近に自然があります。(中略)コンクリートで固められた都会でライフラインが止まるということは、原始以上に不便で不安な状況に置かれることを意味します」と書いてありました。
まさに!便利さを支えるシステムが複雑である都市生活は、災害によって一気に原始生活以下に逆転しうるのです。


阪神大震災のとき、わたしは大阪に住む高校3年生でした。
幸い、わたしの住んでいる地域で大きな被害はなかったものの、明け方に大きな振動で目が覚めたこと、本棚に飾ってあった置物が落ちてきたことはよく覚えています。
その程度の、被害とも云えない被害だったのと、神戸の親戚もみな無事だったので、地震被害のコワさを味わったとは云いがたいのですが、大きくショックを受けたのは、当時ある映画で観て「何て美しい街!」と感激し、受験が終わったら絶対に遊びに行こうと思っていた芦屋の街が、震災で崩れてしまったことでした。「街がなくなる」というのは、それまでに味わったことのない感覚でした。
地震直後、被害の大きかった神戸の街は、まるで戦後のような状態だったといいます。戦後の焼け野原も、震災直後の神戸も、写真で見たことは何度もあるけれど、実際にそこに立っている自分というものを、なかなかリアルに想像することはできません。


しかし、起こるときは一瞬にして起こるのが、災害というものの怖さです。
どんな状況下でも、可能なら生き残りたい。ましてそれが、ちょっとした心がけで助かれるのなら。
そう思ったので、とりあえず、誰もが手始めにやるように、防災グッズというものを見直してみました。
すると、この辺のグッズというのは、基本的に、バックパッカーで長期旅行に出るときの考え方でいけるもんだなということに気づきます(気づくというほどのことでもないが…)。
例えば、「貴重品袋」「歯ブラシ」「数日分の下着・洋服」といった基本装備から、「十得ナイフ」「寝袋」「軍手」といったややアウトドア寄りのハード装備、「笛・防犯ベル」「懐中電灯」「救急セット」などの安全グッス、それに数日分の水・食料を足せば、立派に防災グッズとして役に立ちそうです。
わたしの場合はあと、「何度でも読み返せる本」と「パソコンのデータを入れたHDD」(できればパソコンも持ち出したいけどね)くらいがあればいいかなあ…。
まあ結局のところ、人が生きていくためには、それほど多くのものは必要でなかったりするということでしょうか。まあ、旅行中、死ぬほど荷物の重かったわたしが云うと、何の説得力もありませんけど。。。
”防災”と考えるとちょっと気が進みませんが、"いつでも旅に出られるため”としてなら、楽しく準備できそうですね♪…というイイワケのもと、また余計なものを買ってしまいそうなわたくし(苦笑)。


あとは、備え付けの消火器の使い方を読んだり、家電製品の配置を見直したりもしました(急にどうしたんだ…)。
うちは基本的に、高い家具を置いてないので、ものが倒れてくる危険は少ない…かと思いきや、確実にやばいものがちらほら…。
まずは照明。可愛さに惚れ込んで買った吊り下げ式のカラーシャンデリアなのですが、天井に2箇所に固定しなきゃいけないのに、賃貸で穴を開けるわけにいかないので1点吊り。そのため鎖がビローンと延びたままで、立つとわたしの肩くらいのところにシャンデリアがあって、よく頭をぶつけます(泣)。
地震が起きたら、100%こいつは落下、ガラスは粉々に砕け、大ケガをするのは間違いありません。せっかく買ったけど、はめ込み式に変えようかなあ…(何気に明かりも暗いし)。
それから、キッチンに備え付けの吊戸棚。けっこう高いところにあるので、強い振動でトビラが開けば、食器が容赦なく降ってきます。これも、ストッパーとか付けた方がいいかも…(冷蔵庫もか?)。


でも会社にいるときに災害が起こった場合はどうしたらいいんだろ?或いは、通勤中、外出中だったら…。
まさか旅のときみたいに、貴重品袋を体に巻きつけて毎日過ごすわけにもいかないし、外出用の防災グッズを毎日抱えて出かけるってのもツライし…。


さて、みなさんの防災対策はいかがでしょうか?

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2008年08月04日

無題

テーマ:

イスタンブールの宿にいた頃、現地でシェフ修行中だったNさんが一時帰国したということで、歓迎会が行なわれました。
わたしがその宿にいたのはほんの10日間で、夜、ただれた宿泊客たち(笑)とだらだら過ごしていると、そこに仕事を終えた彼が帰ってくる、というような浅い面識しかなかったので、連絡先を交換することもありませんでした。
が、当時よく遊んでいたサッカー留学生Dさんが、Nさんとともにイスタンブール在住組で仲が良く、宿を出た後は一緒に住んでいたこともあったというような関係から、わたしもこの会に参加したのでした。
当時のNさんは、二十歳過ぎとかそんな感じだったでしょうか。宿のメンバーの中で最も若かった気がします。
イスタンブールでトルコ料理を学んだ後、イタリアに渡って今は3年目。3都市を渡り歩いて、現在はミラノの一つ星レストランで働いているそうです。


イスタンブールで会ったときと、髪形などは変わっていませんでしたが、目的を持って海外に長くいる人の顔はやっぱ違うなぁ、と思いました。
小柄で、まだ二十歳そこそこにも見えるような風貌なのに、顔つきがすごく男っぽい。異国の地で1人で戦っている(なんて云うと大げさだけど)人の顔。ベタな表現だけど、「サムライ」って感じなんだよねえ。
旅人の顔は、もっと刹那的な気がします。わたしはもともと、ただの旅人として海外にいたかったから、そのことを後悔もしていないけれど、本当に海外で揉まれている人を見ると、いくばくかの劣等感を伴った尊敬の念を抱きます。


イスタンブールのその宿の元管理人さんが、こんなことを云っていました。
「俺も4年近く海外にいて、半分くらいは現地で働いていたけど、日本人向けの宿だったり居酒屋だったりで、日本ということをいつも意識していた気がする。やっぱり寂しくなるしね……。だから、本当に現地の社会で生きている人ってすごいなあと思うんだよねえ」
わたしは、現地で働いたことすらなかったけれど(ガイドブックの取材くらいか)、「ずっと日本を意識していた」というのは、わたしもまさにそうで、すごく分かるなと思いました。
何だかんだで旅行中も、日本人との係わりって多かったもの。それに、旅が終わった後の未来の中に、外国に住もう、働こうって思ったこともなくて、“帰国後”といったらいつも、日本で働くことをイメージしていた気がする。
元管理人さん曰く、「日本から完全に離れられなかった」って、本と、わたしもそうだなあって。
だから、「お店を開くのは、日本でもいいし海外でもいい」というNさんの、日本に対するこだわりの無さとか、「次はスペインで修行したい」という開拓精神は、見た目に「フリ~ダ~~~ム」(@犬井ヒロシ)な旅人よりも、もっと柔軟で、自由なのかも知れません。

おみやげにもらった塩漬けのケッパーはすこぶる美味しくて、本場の味がするなあと思いながら噛みしめました。
今後、このケッパーを料理するのが楽しみでなりません(って、大した料理はできないのですが;)。


イスタンブールで彼の料理を食べたことがあるDさんは、「本っ当においしいし、むちゃくちゃセンスがあると思う」と云っていました。その後、さらに磨きのかかった料理は、どんなにおいしくなっていることでしょうか。
彼がいつか、お店を開いて、「情熱大陸」なんかに取り上げる日も来るかも知れません。楽しみです。
そして、不肖のわたくしめも、本当に欲しいもののためには、もっと適切な努力をしなきゃな……と、深く自省したしだいです(いつも反省だけは一人前;)。


追記:
最近、エロスパムの攻撃がマジでヒドいですね。。。
アメブロの禁止IPアドレスも50までしか登録できないから、ぜんぜん追いつかれるしさ、ほんと何とかしてよ、って感じです。イライラ、イライラ……。

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