2008年05月28日

忘れないように

テーマ:

何だかんだ云いながらも、多分このまま北京オリンピックは無事に開催され、オリンピックが終わるとともに、チベットのことは再び世界から忘れられて行くのではないかと心配です。
聖火リレーと国家主席の来日が終わった今、日本ではすでに過去のニュースになりつつあるかのようですし…。
もちろん、市民レベルでのさまざまな活動は続いているし、ニュースを調べればチベットの文字は出てくるけれど、次から次へと起こる大小さまざまの出来事にまぎれて、わたし自身の中でも、日常の埃につい埋もれさせてしまいそうになります。
チベットのニュースを初めて聞いたとき、心に強烈に突き刺さる感じがしました。しかし、そのショックが今や薄れつつあることを、わたしは認めないわけにはいきません。
エラソーなこと云っても、結局わたしは“ヒトゴト”としか思っていないわけです。


チベットに替わって(?)、今もっとも注目されているのはミャンマーのサイクロンと四川の大地震ですが、それとても、いつまで世間は関心を向けるでしょうか…。
どんなに大きな、ショッキングな災厄でも、それがヒトゴトである人間たちの記憶からは、意外にさっさと早く薄れてしまいます。
でも災厄という現実は消えるわけがなく、当事者たちは長い間痛みを抱えたまま生きていくわけで。


世界を見渡せば、何もチベットやミャンマーや中国だけが悲惨なのではなく、自分が訪れた国のことを心配するのなら、たとえばイラクやジンバブエやアフガニスタン…などは、慢性的に深刻な問題を抱えているわけです。
しかし、もはやそのあたりのことは、よほどのことでもなければニュースにも聞こえてこなくて、多くの人には知られないまま、黙ったまま不幸でいるしかないのでしょうか。
ま、ヨソの国のことまで知らんよと云ってしまえばそれまでですけど…(わが日本だって、いつまで平和を保てるか分かりませんし、国内にいたって国内の問題は分からなかったりするし)。


そんな中、地道に草の根運動を行なっている無名の市民たちもいるということで、先日、読者の方からメールをいただいたので、ご紹介させていただきます。
「洞爺湖サミットで、ダライ・ラマ法王と胡錦濤国家主席との対話を実現させよう」
という署名運動だそうです。
http://fttj.org/ja/  (ダライ・ラマと国家主席の対談へのアクション)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30791166&comm_id=7228  (mixiでのアクションのきっかけ)
わたしは無力ですが、少しでも役に立てることがあれば、と思います。


チベット人たちが命がけで訴えようとしていることを、世界が忘れてしまいませんように。もちろん、わたし自身も忘れないように……。
そして、あの国やこの国の人々が、幸福と云えないまでも、せめて大きな不幸に叩き落されないように…と祈るばかりです。

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2008年05月19日

カイラス会

テーマ:

…と云いましても、たった3人なのですが(笑)、チベットをともに旅した仲間・今年帰国したSさん、現在は東京で働いているTさんとで、ささやかな会を設けました。
お昼から集まったのですが、解散したのは夜の11時過ぎ。Tさんが通りすがりの縁日でビールを1杯飲んだ以外は、まったく酒が登場しない(笑)にもかかわらず、長丁場の会となりました。
何せTさんとSさんは、ラサで分かれてぶりの、実に4年越しの再会。わたしは、それぞれに少しずつ会ってはいますが、こうして3人で集結するのは初めて。SさんがTさんに、「あらあ、小ぎれいになっちゃって!」と驚いていたのがちょっと面白かったです(※当時のTさんは、肩までの長髪で、真っ黒に日焼けしていたのです)。
インド料理屋にて頼んだカレーがたまたま赤・黄・緑色で、「ああ、この色、和田(ホータン)で買った雨合羽を思い出すねえ」「あの合羽、自転車用で、胸までしか覆えなくて全っ然使えなかったっすよね」なんて、ふと蘇ってくる思い出の数々。「グゲ遺跡からツァンダまで、炎天下を5時間歩きましたよね~」「アリに帰る途中で泊まった村の中華料理がめちゃめちゃマズかったねえ」「ツァンダのトイレがすごい場所にあって、夜中に行くことができなくて、仕方なくメインストリートに出ておしっこしたなあ…」etc、etc。
本当にあのときは。極限状態の中で、小さな家族のように支え合って旅をしていたんだなあ…と今さらながらしみじみします。


それにしても、相変わらず圧倒されるのはSさん…。
わたしもTさんも、この日「すごいっすね」という言葉を何回発したことでしょうか(笑)。
チベットのあとも何年も旅を続け、ジンバブエの農村やらアマゾンのジャングルで現地の人々と暮らしたり、あちこちでシャーマンの儀式に参加したり、わたしには逆立ちしても出来ないような、モテモテでごきげんな旅(笑)を続けてきたSさん。話を聞けば聞くほど圧倒されるばかりです。本当にこの人は、どこまで高いところに行ってしまうのだろう…と、空いた口がふさがりません(笑)。
ただでさえ俗っぽいのに、物欲OL生活でさらなる世俗の垢にまみれまくっているわたくしという存在は、いったい何なのでせうか?虫ケラ?いや、まだ虫ケラの方が1万倍は地球の生態系に役に立っていますよね?
…といった思いにとらわれたりもしましたが、まあ、生まれ変わっても彼女のようにはなれないので、微量のエッセンスだけでも吸収して、このあとの人生をよりよいものにしていけたらいいですね……(小声)。


わたしとSさんとの圧倒的な差は、コミュニケーション能力とか、素直さとか、数え上げたらキリがないほどありますが、今回特に感じたのは「母性」という面でした。
前回のブログで、自分は性同一障害の男色者ではないか?などと意味不明なことを口走っておりましたが、それよりも、わたしにはそもそも性がないのではないか?と云った方が、より正しいのではないかと思います。
よく考えたら、女性性がない代わりに男性性を持っているかと云われると、それも特に自分の中に大きく存在しているとは思えないのです。
Sさんは「自分がいろんな大地母神のようなものと、つながっているような気がするんですよ」というようなことを云っていましたが、確かに彼女は、カオサンに溜まっている長期旅行者たちから「天女様」、果ては「観音様」などと呼ばれていたことからもわかるように(笑)、ある意味、この世に降臨した女神なのかも知れませぬ。
冗談はさておき(いや、あながち冗談ではない…)、本当の女らしさって結局、母性から来るものなのかなという気がします。それは、「自分の子」限定で愛するという狭義の母性ではなく、もっと広い意味で、本能に根ざしている母性。
わたしに決定的に欠けているのはそれではないか。人を大きく包み込み、温かくいたわり、静かに癒す…そういう力が、わたしにはまるでない(涙)という気がします。
わたしは、子ども一般を決して嫌いではありませんが、例えば友人の子どもと仲良く遊んでいると、心のどこかで「ウソ臭いなー…」と思うことがあります。
可愛いとは思うけれど、それはとても表面的でうすっぺらい感情で、心の底から喜びや愛情が湧き出ているのかと云われると……そうでもないんじゃないかって。


前に、ちょっとスピリチュアル方面に詳しい人に、「前世は女性差別者の男性で、今回は女性として生まれ、女性としての修行を積まされているのでは?」なんて云われたこともありましたっけ。
それが真実かどうかはともかく、なんかまあ、そうかもな…って腑に落ちる感じはします。女子特有の粘着的なノリには、たまに生理的嫌悪すら覚えるし(と云うか、疎外感があるのよね、そういうノリって…)。
ということは、今生は、云ってみれば「去勢された雄の動物」として生まれてきたようなもんでしょうか(苦笑)。だって、根っから女性だったら、こんなこと、わざわざ思わないよねえきっと…。
ああ、齢30を越えて、何ゆえ己の性別を疑うようなことになっているのかしら。意味が分かりません。


まあそんなことも含めて、いろいろ気づかされることもありましたが、もっとも印象に残ったのは、「自分とは、可能性である」と云っていたことでした(※あくまでわたしの解釈。間違っていたらすみません)。
「自分が何であるか、自分とは何者かということはもうどうでもいいんです。ただ、自分に何が起こるのか見てみたいんですよ。」
そう云えば、旅の終わりにくれたメールにも、そう書いていましたっけ。“何がどうなるか、見てみよう”って。
わたしだって、自分が何者であろうが、そんなことは大して重要ではないと、頭では理解できます。でも、俗世でそれを保てるほど、わたしは強くはない。些細な優劣、カテゴライズ、レッテル…決して、そういうものが自分を決めているわけではないはずなのに、何故自分は、価値のない人間だという思いに、たびたび囚われてしまうのか。
そもそも価値って何?誰にとっての?人や周りから愛される量のこと?
でも、「自分とは可能性である」という言葉は、そんな優劣や価値を飛び越える、もしかすると魔法の言葉なのかも知れない。そんなふうに思いました。


しかしまあ、超人のごときSさんの稀なる性質には、家庭環境もかなり大きいと思うんですよね。
Sさんの父ちゃんもすごいけど、何がすごいって母ちゃんが常人ではない(笑)。
70歳にしてシワひとつなく(使っている化粧品は「SK-Ⅱ」でも「ゲラン」でもなく、「ちふれ」だそうです…すげえ)、徹夜作業も出来ちゃうという驚異的な身体能力。そして、決して美人ではないけれど「一緒にいたら自分の存在が無くなってしまうくらい」“華”のある人なのだそうで。
Sさんの存在が無くなるほど…って、どんなオーラの持ち主なんだよ!?Sさんでそれだったら、わたしなんて空気以下になるんじゃねーか!?


ふう、いつにも増して長くなってしまいました。
わたしをここまで饒舌にさせるとは…やっぱりタダ者ではないなあの女…(苦笑)。
ちなみにSさん、恋愛成績表は2位だったそうです。。。
くそっ、やっぱ当たってんじゃねーかあのテストは…(ちなみにTさんはわたしと同率15位。でも今年結婚だって!うくく)。

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2008年05月15日

恋愛不能症

テーマ:上京後

もうこのテの話は書かない方が身のため…と重々分かっていながら、やっぱり書いてしまうのは、きっと変態だからなのね~♪


先日、同僚から「当たるよ~」と云われて「恋愛成績表」なるテストをやったところ、悲惨な結果を叩き出してしまい、かなり凹んでおります。。。
あまりに激しく凹みすぎて、同僚に「そ、そんなに気にしなくても…」とヒかれる始末。
まず、恋愛レベルが「合コン呼ばれない級(←ヒドイ名称)」の15位(18位中)。確かに合コンとか、全然呼ばれてないけどね☆
そして恋愛タイプは向上心欠如型。曰く「恋愛に興味がないのかまたは不要だと考えているのか、あまり自分磨きのための努力をしようとは思っておらず、その姿勢があなたの株を下げてしまうのは残念です」だとよ。
項目別の細かい評価については気に病むほどの内容でもなかったのですが、決定的に凹んだのが、「31歳のわりにはとても子どもっぽい考え方をしています」というコメント。ちなみに精神年齢は24歳だそうで…。
さらにさらに、結婚適齢期は19歳だったんだって!つまり、中身が子どもだから、外見も子どものうちにさっさと結婚しとけばよかったのに、ヴァーカってことなのでしょうか。
…↑まあ、こういうところが子どもなんだろう…。


いや、思ってたんだよね、かねがね。
わたしは本当に本当に本当に本当に(×1000)……恋愛をする能力が欠如しているって。
最近も、「もしかしたらわたしは、性同一障害を持った同性愛者なのでは?(つまり心が男の状態で、男が好きだという意味)」という妙な不安に苛まれ、確かに、女子特有のベタッとしたノリに時々ついていけないしなあ、ロリータっぽい服装にしたって自分の中に女子の要素がないからムリヤリ注入しているだけなのかも、あ、でもこの構造だと表面上はあくまでも女として生きていけばいいわけだから、特に問題はないのか?
……などとどーでもいいことで頭を悩ませていたところでした。
どこかのブログにも書いてありましたっけね、「売れ残りには売れ残るだけの理由がある」って。
本当に、何か、致命的な欠陥があるとしか思えない。それはもう、ある種の病気なんじゃないかって。人間としてはもちろんだけど、女子として、無くてはならない何かが欠落している、不良品なんじゃないかって。


でも、今さらどーしたらいいのか、本当に分からないんだよなあ…。
何を、どのようにしたら、誰もがやっているように見える“普通の恋愛”ってやつができるのか。好きになった人に、自分のことを好きになってもらうには、どうしたらいいのか。
昨年の目も当てられないほど枯れきった状況に比べれば、今年になって、ようやくほのかな恋心を抱ける人が見つかって、少しは前進したかも知れない…と思っていたけれど、その人とも知り合ってそれなりの時間が経つというのに、なかなか距離を縮めることができず、自分のふがいなさにイライラし始めているのです(友達にも、「自分から積極的にアプローチしなきゃダメだよ!」と叱責されたりして…。いや、別に向こうからのアプローチなんか待ってないんだけどさ)。
それで、前にムギさんにおすすめした東京大神宮 にもしっかり行って、お守りも買ったけど、

「数カ月後に出会いました! 今の夫に! 3年間、彼氏なしだったのに」

「東京大神宮に初夏に行き、真夏に今の夫と知り合い翌年春に結婚しました」

なんてコメントが続出するなか、わたしはまだな~~~んの効果も表れていない!(でもおみくじは大吉!(涙))
神の力を持ってしても好転しない状況……マジでさあ、呪われてるんじゃねーの!?


…いや、そうじゃないんだよね、きっと。
わたしの精神年齢が子どもすぎて、向上心がないからダメなんだよね。
今一度、自分の欠陥と向き合って、自分を、外からも中からも変えなきゃいけないってことっすよね(例:MILK的服装→OL的服装)。
でも、ここまで築いてきた自分というものが、全部間違っていたんだとしたら、いったいここからどう変えていけばいいの?全身の血を入れ替えるように、別の人間になるしかないの?
何だか人生の迷子になってしまいそうです。もう占いとかじゃラチが開かないから、カウンセリングでも受けようかしら…。
恋愛が出来なくても、せめて自分の仕事や得意分野で成功していれば、そんなふうに思わなくて済むのかも知れないけれど、それも中途半端、ってか何の結果も出せてないしさ。。。


ということで、ひさびさに「人生やめた方がいーんじゃねーか…」ってな気分になったわけですが、世の中ではサイクロンや大地震が起きていて、死にたくなくても死んでいる人がたくさんいるので、とりあえず生かされている間は、きちんと生きていこうと思います…。


興味があれば、皆さんもやってみてくださいね~♪
わたしももう1回テストし直そうかしら。。。
http://hanihoh.com/love2/

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2008年05月14日

テーマ:上京後

ここ数ヶ月間というもの、コメント欄に必ず変態が現れるんですが…。
しかも、何故かいつも同じ、独特の文体(なのか?)の書きこみで、はっきり云ってとてもキモイ。まあ、巡回で書きこまれているんだろうけど、何回IPアドレスを禁止してもやって来るので、ほんとイライラする。
いや、もしかすると、コメントの極少なわがブログを哀れんでくださっているのやも。そっか。いつもコメント欄をにぎやかにしてくれてありがとう☆……なワケねーだろ!!!


閑話休題。
最近、人から借りて『デトロイト・メタル・シティ』というマンガを読みました。
おそらく一時期かなり話題になった作品で、今夏には映画化もされるということで、今さらすぎるトピックですが、わたしは今さら読んだんですよ。ええ、マスコミのくせに、世の中の動きにまったく付いて行けていませんよ。
アマゾンのレビューではかなり賛否両論激しいようですが、わたしは2回読み返しました。
“否”の云い分ってのはたいがい、「下品すぎる」とか「下ネタばっかり」とか「子供に読ませられない」とかいう批判なんですけど、何だかそれこそ“今さら”と云うか判で押したような感じで、ちょっとげんなりしますね。
確かに下品だけどさあ、ギャグマンガじゃん?笑いはお上品じゃなきゃいかんのかい?下ネタがレベルの低い笑いだって、誰が決めたのさ?それならさ、レベルの高いお笑いって、いったい何よ?
わたしは、下ネタに目くじら立てるのって、何だか苦手(もちろん、過去に性的嫌がらせを受けていたとかいう話なら別です)。
まあ、一歩間違えたら完全にセクハラになるし、なかなかデリケートな分野ではありますが、だからこそ、そこで笑いを取るというのはかなり高度なワザなんじゃないか?とすら思うのです。
(そんなこと云いながらも、わたしも、実体験に基づいた下ネタは苦手です。人のネタは楽しく聞けるのですが、自分にふられるとホントに困る。だって、面白いネタなんかいっこも持ってないんだもん…(涙)。)


おっと、今回はそんなことを書きたかったのではなかった。。。(のわりに長えー;)
このマンガを読んでいて思ったのは、怒りの持つパワーはすごいな…ってことでした。
内容をかいつまんで書くと、渋谷系オシャレポップスを愛する善良な青年が、ナゼかメタルの才能を開花させデスメタルの帝王として君臨するという、“引き裂かれた自己”を面白おかしく描いたマンガです。
自分が認められたいポップスの才能はけちょんけちょんに貶され、デスメタルではカリスマとして持ち上げられる、このギャップが生み出す笑いが個人的にはかなりツボにはまるのですが、中でも、くねくねした純情青年からデスメタラーに変貌する瞬間には、ある種のカタルシスすら覚えます。
(その姿は、普段、隣の編集部がお笑い芸人だミュージシャンだのの取材に行く傍らで、地味に野菜の栄養素などを調べているわたしと、少ぉ~し重なるところがあります…って、ちょっとQ数小さくしてみた;)


で、この強烈な変貌を促しているのが“怒り”だと思うわけです。
怒りが生み出すものって、人を激しく揺さぶる何かを秘めていて、例えば「キャプつば」の日向くんがあんなにカッコいいのは、彼のサッカーが、怒りに貫かれた強烈な破壊力を持っているからで、東邦学園に入ってからは、吉良監督に「今のオマエは牙を失った虎だ…」と云われ、愕然としていましたっけ(笑)。
サンドウィッチマンの富澤氏も、売れない頃のブログにこう書いていました(最近のブログは告知ばっかりなので悲しい…まあ仕方ないんですが)。
「怒りの持つ『爆発力』を私は大切にするし、わざと怒りをためる。溜まりに溜まった怒りを文章にして思い切りコラムにぶつけてやる。ぶちまけてやるんだ!!」って。
これ、すごくよく分かるんだよなあ。わたしも、筆に一番勢いがあるのって、何かしら憤怒を抱いているときですもの。ま、だいたい慢性的に抱いているのですが…。
怒り、引いてはマイナスのパワーとでも云うんでしょうか、何かを創る上で、そいつを持っているかどうかって、すごく重要だと思うのです。
強烈なコンプレックスとか、鬱屈した劣等感とか、世の中を激しく呪う怨念(笑)とか…。
人は、喜びや悲しみによっても動かされますが、怒りによるそれは、純粋にパワー数値だけで云えばそれらを上回るじゃないでしょうか。“喜”や“楽”や“哀”に比べて、低位の感情として扱われがちですけど…。


でも、怒りは用途を間違えると大変なことになるから、取り扱いには充分な注意が必要ですけどね(笑)。
最悪なのはやっぱ、怒りの刃を実際に、誰か特定の人に向けてしまう場合。そういうときは、自分まで傷ついてしまう、まさに“諸刃の剣”(ドラクエにおいても、やたらに攻撃力が高い武器なんだけど、呪われてるのよね(笑))。
そのパワーを人に直接ぶつけるのではなく、違うかたちに変えて捌くことができればいいですよね。


人に怒りはぶつけないけれど、怒りの火種は、心の奥底で常に燃やしておきたい。
いざというときのために。何か大きなパワーが必要なときのために。何かに凹まされても立ち上がれるように。
何て云うか、怒れなくなったら終わりだよな…って。そんなことを思う、今日この頃です。


とりあえず、DMCの映画が公開されたら観に行こうっと☆
知り合いがナゼかエキストラで出ているらしいし(笑)。
ゴートゥDMC!(※デトロイト・メタル・シティのライブで叫ばれるかけ声)

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2008年05月02日

メーデー雑感

テーマ:上京後

昨日はメーデーだったが、会社は普通に出勤日であった。
会社の近くでは、朝から昼過ぎまでメーデーのデモ行進が行なわれていた。
拡声器で叫ばれる声は、もやもやしていて今ひとつはっきり聞こえないが、「ワーキングプア」「格差社会」「ネットカフェ難民」「派遣法」「パワハラ」といった単語が散りばめられている。


すると、誰かが窓を閉めた(けっこう勢いよく)。
さらに、誰かがラジオをつけた。


拡声器を通した声は確かにうるさかった。仕事に集中していると、耳障りな音ではある。
しかし、これは無意味な騒音ではないのだ。うるさかろうが、通行に支障があろうが、なくすわけにはいかないのだ。うるさいとしか思えないとしたら、それはある種の傲慢と云えなくはないか?
まあ、わたしだって、そのとき仕事が立て込んでいたら、とてもそんなふうには思えなかっただろうが…。


まあしかし、誰も真剣に聞いていないことだけは、とりあえずわかった。
やっぱり人間って、その立場になってみないと、わからないんだと思った。
わたしだって、メーデーの声に耳を傾けながらも、一方で「ジェーン・マープルの新作が欲しいな~、あとでチェックしに行こうかな~」などと考えている。そんなふわふわの脳みそで、彼らが叫んでいることが本当に理解できるわけがない。
でも、無関心は無知よりも罪が重いと思うので、せめて関心くらいは向けたい。


ちょっと前に、数少ない欧米人の友達が、久々にメッセンジャーで話しかけてきたので応じていると、話が急に難しい方向に飛んでしまった。
曰く、「日本人って毎日10時間くらい働いてるのにさ、一方でワーキングプアとか、ネットカフェ難民とか、ホームレスも多いんでしょ?」と。
わたしの英語力では、何から、どのように答えていいのかわからず、「確かにそういう人たちはいるけれど、ホームレスに関しては必ずしも不幸だとは云い切れないし(自分で選択している人もいるわけだし)、マスコミは必要以上に彼らを“かわいそうな存在”として紹介するけれど、多分それは国が国民をもっと働かせたくて、“(あまり)働かないことは悪である”というプロパガンダを流したいからだと思う。しかし、市民レベルでは、仕事に命を捧げるような働き方は今は奨励されておらず、特に若い人たちの間ではそういう考え方は薄れてきている。だから、労働時間や状況も少しずつではあるがマシになっているはず。それから、ワーキングプア、これもマスコミが煽り立てすぎるのであって、とりあえず餓死するほど貧困にあえいでいる人はそんなにいない」というようなことを、ランダムに、そしてすこぶる稚拙な語彙で答えてみた。
「でも、国が国民をもっと働かせたいと思っているんなら、日本はしっかりした労働システムがあるってこと?それなら、何でワーキングプアが社会問題になってるの?」と突っ込まれ、いや、そういうことではなくて、むしろ反対の意味だったんだけど…と思いつつ、己の論理矛盾を立て直せずに、“退席中”にしてしまった…。どうしょうもないヘタレである。そして、「餓死する人はいない」という発言は、あまりに傲慢に過ぎたかも…と、後々までくよくよ悩んでしまった。自分が今たまたま働けて、生活できているというだけで、わたしは、世の中の物事を甘く見すぎているのではないか…と。まあ、世の中は意外と甘かったりもするのだけれど。


ワーキングプアと云えば、今日はこんな興味深いニュースがあった。


「蟹工船」再脚光…格差嘆き若者共感、増刷で売り上げ5倍
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080502-00000041-yom-soci


まさかこのようなシブイ本が売れるとは…(笑)。
しかし、ワーキングプアすらも商売のタネになるというのが、つくづく資本主義のすごいところである。
とか云いつつ、わたしもブームに乗って読んでみようかなあ…。

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