2005年07月24日

わたしはアホなのか・・・

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普段から、ことあるごとに「もしかしてわたしは、真性のアホなのではなかろうか?」と不安になる場面に遭遇し、人生を儚むことがあります。


顕著に思うのが、ゲームやクイズのときです。
わたしは、人からクイズを出されてまともに答えられた試しがありません。いや、そりゃ、「上は火事、下は洪水、これなーんだ?」みたいなナゾナゾくらいは答えられますが、それもただ、何となく昔出された記憶があるからであって、自分で考えて答えを出せるワケではないのです。ちなみに、今の答えは信号機ね。


ナゾナゾ以上に困るのが、理数系問題。
たとえば、「1から10までの数字で、それぞれ5つ使って四則演算で=5にして下さい」とか、「12個の見た目が同じ玉があります。この中にひとつだけ重さの違う玉があります。天秤を3回だけ使ってこの玉を探り当て、重いか軽いかを当ててください」とか、「ひとふでがきの星に、2本だけ線を加えて三角形を10個作ってください」とか・・・・・・


ああああああっ、全然分からんっつーの!こーゆーの、ほんっっっとに解けないんだよ。
昔っから、理数系は大の苦手でして、もし理数系教科の成績さえよければ、わたしは外務省もしくは研究所勤務のスーパーキャリアウーマンとしての人生を送っていたかも知れないというくらい、数学・理科はわたしの人生に暗い影を落としているのです(ホンマか?)。


で、旅人同士集まったときに、一人がこういうクイズを出して、あとの何人かでいっせいに解いたりするんですが、もっとも挫折の早いのが、ほかならぬわたしです。
もうねー、答えを考えるのがめんどくさくて、1分後くらいに「降参」と云いたくなる。もういいよどうでも、答え教えてよとか思ってしまう。でも、出題した方はそれじゃおもしろくないから、なかなか教えてくれなくて、周りのみんなが頑張って解いている中、すっかり煮詰まった頭を持て余して、悶々としているワケです。解いているフリしながら(笑)。


手品のタネも絶対見破れないです。
例えば、カード手品でよくある、こちらが1枚引いてそのカードを記憶して、元の山に戻し、相手が山を切って、その中からわたしの引いたカードを当てるというやつ。もう何十回と見ているのですが、未だに何が起こっているのか分かりません。
毎回違う人に同じ手品を見せられては、「へえー」と感心している無邪気な女子28歳です。きゃは。


さて、最近、旅先でよく会う人と、しょっちゅうトランプをやっているのですが、これがまたねー・・・見事にボロ負けなんですよ。
スピード、シットヘッド、2人用大富豪をミックスで、40回対戦して、勝ったのは何とたったの8回・・・。大富豪は1勝9敗!どんだけ弱いんじゃい!


前にも、別の旅人と2人用大富豪を何十回もやって、1勝もできなかったことがありました(暗い過去)。
5連敗くらいしたあたりから、わたしの顔から完全に笑顔が消え、「まあまあ、ゲームなんですから気楽に」となだめられたりしていました。小学生かオレは。
大富豪をやるときに、自分でも思うのが、カードを勢いで出してしまうということ。例えば3枚「2」があるとしたら、そういうカードは1枚1枚出せばいいのに、つい3枚一気に出しまう。そんなところで気前のいいところを見せてどーするんだ?!


数手先を読むということが、どうしてもできないのですね。
メキシコ以来、パソコンのソフトでしかやっていない麻雀も、多分めっちゃ弱い。
将棋とかチェスとかバックギャモンもダメですね。
論理的思考力がすこぶる弱いのです。思考を丁寧に重ねることができない。だから、人を論破したりすることもできません。


論理的思考に弱い、先を読めないということは、人生においてかなり危険というか、損な人生を歩む確率が高いのではないでしょうか・・・。
そう考えると、たかがゲームやクイズとは云え、それらによってわたしの思考能力が試されており、それに負ける(解けない)ということは、単なる勝敗以上の問題があるのです。すなわち、己の能力のなさをつきつけられ、仕事がまともにこなせなそうとか、株や投資に手を出して失敗しそうとか、税金対策で損しそうとか、結婚詐欺につかまりそうとか(カンケーないか?)、今後の人生への危惧を掻き立てられるということなのです。


大げさな!ただのゲームじゃん!と思うでしょ?
でもねえ、時々本気で不安になるのですよ。左脳に何か重大な欠陥があるんじゃないかって。
そういえば・・・と、簿記3級と履歴書には書いてあるけれど、実は試験は3回受けて3回とも落ちている暗い過去を思い出したりするのです。


そういうわけで、帰国したら、算数のドリルを買って1日1ページやり、少しでも左脳の活性化につとめていこうと思います。

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2005年07月17日

野ぎく、衝撃の過去を告白

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旅先だと、必然的に日本のニュースを知る機会も減ってくるわけですが、それでも昔(5~6年前)に比べると、格段に状況はよくなっています。もちろん、ネットの普及によって。

メールで友人が知らせてくれたり、ヤフーなどの検索サイトのトピックス欄を読んだりしているので、マツケンサンバが流行っていたこともちゃんと知っています。


とは云え、ネット環境にありつくには、金を払わねばならないのが旅先ですので、日本にいるときのようにつなぎっぱなしというわけにはいきません。

せいぜい、3~4日に1回、1時間というのが平均的な頻度です。


わたしのHPは、インフォシークの無料サービスを使用しているのですが、トップページ右上の方に、その日のニューストピックスが出るようになっています。

先日のこと、そこに「氷川きよし”衝撃の過去”を告白」という一文が掲載され、わたしの目を引きつけました。


わたしは氷川くんのファンではないけれども、芸能人の中ではわりと好きな方なのです。

そして、氷川くんと云えば、昔ニューハーフと住んでいたとかいう素敵なスクープがあったはず、もしかして衝撃の過去って、それ関連?「昔、男の恋人もいました」なんていう告白?ていうか、今もゲイだったりして・・・と、その記事がとても気になってしまい、クリックして読むことに。どれどれ・・・・・・


(以下引用)

同曲は、好きな女性を追って大阪まで来た男性の叶わない恋を歌った失恋ソング。大阪を舞台にした曲を歌うのは初めてで、「氷川きよし初のナニワ演歌です。みなさんに応援していただきたいと思います」とアピール。歌の中ではリングを渡せなかった主人公。氷川自身はプライベートで指輪をプレゼントした経験があると“衝撃の過去”も告白ただし「子供の頃、(ジュースの)缶のフタをあげた」というオチで、「今気になる人は?」との問いにも「最近はいないですね」と女っ気のなさを強調していた。


・・・・・・


何じゃそらーーー!!!

ふざけんなよーーー!!!

どこが衝撃の過去なんじゃーーー!!!


氷川くんだって、27歳の普通の(いや、ゲイかも)男子、指輪のひとつやふたつ、好きな人に贈ってたって、驚くことでもなんでもないでしょうに。

(あ、でもわたし、28歳の普通の女子なのに、指輪を一度ももらったことがありません)


この記事を読むのに金かかってるわたしの立場、わざわざ海外のネットカフェで読んでいるわたしの立場はいったい!?(まあ、数円くらいだけどさ・・・)


・・・と、コンピューターの前でしばし、わなわなと震えてしまいました。しかしまあ、よく考えるとこのテの煽情的なコピーは、週刊誌やテレビ欄などの見出しではごく当たり前のことなのだった・・・。


”衝撃の過去”というコピーで思い出すのは、テレビ番組「あいのり」です。

あの番組では、よく、登場人物たちの”衝撃の過去”が明らかになりますよね(笑)。で、どんな過去やねんと思ったら、まあはっきり云って、衝撃でも何でもないわけ。別に、本気で期待してるわけじゃないけどさ・・・。


というわけで、このブログのタイトルも、扇情的なものにしてみました。ていうか、氷川くんの記事のパクリです。「看板に偽りありじゃねーか!」とお怒りの方もいらっしゃるでしょうが、日本のマスコミの模倣ってことで許して下さいね♪

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2005年07月12日

戦争を知らずに僕らは生まれた

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という歌は、誰の歌だったか・・・。


ベトナム・ホーチミンシティにある、ベトナム戦争証跡博物館を見学した帰りに、このフレーズを思い出しました。
それ以外の歌詞を知らないので、そのフレーズをやたらにリフレインしていました。


ベトナム戦争、という名は誰もが知っているでしょうが、その内容をきちんと知っている人となると、いったいどれほどの数になるのか・・・。
わたしも実は、よく知りません。ポルポトの大虐殺にしてもそうですが、どちらも、わたしが生まれる年の前後に起こったという事実に、今さら驚いている始末です。


学校でも、特に習った記憶がありません。多分習わなかったはず。というのも、歴史の授業は、必須科目ではないし、旧石器時代から始まった授業は、1年で現代史に追いつくことができないからです。


しかし・・・授業で聞いたところで、何の関心も生まれなかったかも知れません。
旅をしていると、色んな場所で歴史の傷跡を見ることになりますが、そうして初めて、歴史は重みを持って、わたしに迫ってくるのです。

リアリティなんて、所詮そんなものという気がします。


陰惨な写真や展示の数々を見たあとで、外に出ると、ごく普通の日常の風景がそこにあります。
屋台で食事をする人々、バイクで突っ走る人々、籠を担いで歩く物売り、昼寝するシクロの運転手・・・ああ、何て平和なことでしょう。
さっきのあれは、いったい何だったのでしょう?
枯葉剤で巨頭症になった赤ん坊(のホルマリン漬け)や、ベトナム人の生首を前にして記念撮影をするアメリカ兵や、焼け野原になった都市や、手足のない人々や・・・。


ベトナムでも、戦争を知らない世代が増えてきているといいます。
時間軸が直線的に進むならば、それは当然のことでしょう。


わたしたちに出来ることはただ、”知る”ということだけです。
”知ろう”という気持ちと試み。それは些細なものですが、ゾロアスター教の聖火のように、決して絶やしてはならないものだと思います。


そんなわけで、わたしも帰国したら、ベトナム戦争について、その他の戦争の歴史についても、もっと勉強いたす所存であります。
(と云いながら、多分、帰国後1ヶ月くらいは、マンガ喫茶でマンガを読み漁るような気がしますが・・・。)

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2005年07月06日

再会小話②

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phnom-penh プノンペンの安宿・キャピトルホテル周辺。


(続きが遅くなりました・・・すみません)


すかさず駆け寄ろうと思ったら、彼はすかさずトイレに行ってしまいました・・・ありゃ。
わたしは、そわそわしながら、彼の動きをレーダーのようにしっかり目で追い、彼が帰ってきたところに歩み寄りました。


「すみません、Yさんですか?」


・・・って、えらい唐突かつそのまんまのアプローチやね・・・。


彼はあきらかに怪訝な表情で、「ええ、そうですが?」と答えました。何と!!!やっぱり!!!


わたしは、はやる気持ちを抑えるために、わざと間を置かずに云いました。
「1999年の春、昆明に、昆湖飯店にいらっしゃいましたよね?」


すると、彼の表情がいくらか緩んだように見えました。
「・・・ええっ?ということは・・・えーと・・・」
「わたし、卒業旅行で友達と来てて・・・で、その友達がアメリカ人と恋仲になって・・・」
「ああ!覚えてるよ!あのときの学生さんか!」


残念ながら彼は、わたしの名前は覚えていないようでしたが、存在は思い出してくれたようでした。
友達のことは、名前が珍しいのと、アメリカ人とのイザコザのインパクトゆえか、しっかり覚えていました。
さらにいうなら、この彼―Yさんも、かなり珍しい名前なので、わたしははっきり記憶していたのです。名前って、大事だわー。
わたしの名前は、日本人には平凡すぎて覚えてもらえないし、外国人には難しすぎてやっぱり覚えてもらえないの。ぐすん。


さて、ここまで読んで、Yさんの正体が分かった人は、かなりの放浪乙女マニアと云えましょう(笑)。
しかし、そんな人はほとんどいないので、簡単に解説します。
このブログの母体である「放浪乙女」「旅先むだ話・昆湖飯店306号室の思ゐ出」 に、わたしがまだ可愛いひよっこパッカーだった頃の、お気楽卒業旅行の話が書いてあるのですが、そこに登場する、”気孔の先生”が、このYさんなのです。


ここまで引っ張ってそのオチかよ!という怒りの声が聞こえてきそう・・・(汗;)。
まあね、ここはやっぱり、元恋人だったとか、初恋のナントカさんだったとかいうのが、昨今の純愛ブームにも則った”美しい話”なんでしょうけどね・・・期待した方、ほんとにもうしわけない。石を投げたり、かみそりの刃を送りつけたり、読者をやめたりしないで下さいね・・・(最後のはかなり本気)。


でもねでもね!わたしにとっては、衝撃的な再会だったのですよ!
だって、6年ぶりですよ!あれから、連絡を取っていたわけでもないのに!
それも何故か、日本じゃなくて、カンボジアですよ!
”ただの偶然”で片付けるには、あまりにも妙じゃないですか?!


何とYさんは、あれから4年もの間、旅を続けたそうです。
中国、ネパール、インド、東南アジア・・・何でも、雲南で現地人の彼女ができて、雲南にはかなり長居していたらしい。
何だ、あのときいた、謎の日本人女性とは、何でもなかったのか・・・。
今回カンボジアにいるのは、その旅の延長ではなくて、当時の旅で知り合ったガイドブックの編集の人に頼まれて、取材をしに来ているとのことでした。


そして・・・。

先のむだ話に、Yさんとともに登場する重要人物(笑。わたしの中ではな)、Mさんという人がいるのですが、
”あれから6年、彼は今も、世界の何処かを彷徨い続けているのだろうか?帰るところのない彼は、一体何処にいるのだろう??”
と書いた、そのMさんの行方が分かったのです。


彼は今、中国の深セン(ごめん、漢字が出ない)にいて、日本語教師をしているのだそうです。


深センとは、香港の目と鼻の先にある都市です。
この旅の終わりを、香港で迎えようと思っている(いや、もしかしたら上海かも知れんが)わたしは、これはまた、何という旅の神の導きだろうか・・・と、ため息をつかずにはおれませんでした。

この長い旅の原点が、あの卒業旅行での日々にあるのなら、あそこで会ったもっとも印象深い人物であるMさんに、この旅の最後に会うことは、偶然というよりも、必然なのではないか・・・。


ちなみに、友達と恋仲になったアメリカ人Sは、2年くらい前に、アメリカ人女性と結婚したそうです。


この晩と、3日後の晩、Yさんと夕食をともにし、お互いの旅の話をしつつ、その後の”昆湖飯店306号室”の話もあれこれと教えてもらったのですが、その話はまたいずれ、別の機会に譲りたいと思います。

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