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こんにちは第三のスタッフです。

今回は「私の地蔵フォルダが火を噴くぜ!」……というわけで、タイトルの通り、お地蔵さん写真をポチポチ載せていこうと思います。

 

法乗院 深川ゑんま堂(深川の閻魔さん)

「深川の閻魔様」。江戸三大閻魔の一つだそうです。

日本最大の閻魔大王座像があります。

この写真の左側にある「えんま堂」に閻魔様がいらっしゃいます。

柵の上の部分も錫杖デザインになっていて、とてもテンションがあがります。
いそいそと並んで、自分の番を待ちます。

手前に願い事が描かれた冠が、ずらっと並んでいます。

お願いしたいところにお賽銭を入れると……

暗かったお堂がピカピカとエレクトリカルに光りだし、お賽銭を入れたお願いごとに対して語ってくれます。
とても低いダンディーなお声でした。
ちなみに閻魔様の左手にはお地蔵様が乗っています。
また手前には「見返り不動明王」が。
ちょっと「やだなぁ」といったような表情をしていて可愛く感じました。

「大聖歓喜自在天」
密教の神様で名前を短くして「聖天」。インドのガネーシャのことです。硝子が反射してよく見えなかったのですが、「聖天」はパワーが強くて秘仏状態がほとんどなので、どんな感じだったのか気になります。

「法乗院光照殿」
本堂に大日如来様がいらっしゃいます。

下の階に移動すると、お釈迦様がドドーンとお迎えしてくれました。
向かって左が「大孔雀明王」右が「延命普賢菩薩」です。

とても美人さんな普賢さんでした。
また壁には「地獄極楽絵」があります。

お正月なのもあって、お賽銭を頂けました。
(しゃもじですくった五円玉を授けてくださるのです)
大事にしたいと思います。
御朱印もいただいてきたので、今回はアップしてみます。
 

■蟠龍寺(おしろい地蔵)
こちらは山手七福神の弁財天である「岩屋弁財天」もいらっしゃいます。
この間知ったのですが、山手七福神は江戸七福神で一番古いそうです。

「千の風になって」のサウンドプロデュースをされた作曲家の吉田哲さんはこちらのお寺の三男だそうです。
さすが音楽を司る弁財天様です。

そしてこちらが……

「おしろい地蔵」になります。
このお地蔵さまは関東大震災で被災をしたために浅草より当寺へ移って来られたもので、お顔がかけている珍しいお地蔵さまです。
言い伝えによると、その昔、顔に痘痕(あばた)のある娘さんが、そのために人並みの結婚ができずに悩んでおりましたが、このお地蔵さまに願掛けをしたところ痘痕が消え、幸せな生涯を送ることができたという故事にならい、若い女性がお参りに来られるようになったと言われているそうです。

江戸時代には、歌舞伎役者がおしろいに含まれる鉛の害に悩み、おしろいをお地蔵様のお顔につけ願を掛けたと言われており、現在でもこのようしてお参りをされる方を時折お見掛けします。

いつの世も美しくなりたいという願いは変わらないようですが、一番大切なことは、心を常に美しく養い保つことで、美しい心が美人を作るということ、つまり心美人であるということではないでしょうか。(説明より)


お顔にかなりファンデーションをパタパタされておりました。
 

霞関山本覚院太宗寺

(塩かけ地蔵、三日月不動像、内藤新宿のお閻魔さん、つけひも閻魔)

 

新宿三丁目駅にあります。大都会にありつつも、実際に行くととても静かな場所です。

「銅造地蔵菩薩坐像」
正徳2年(1712年)造立。267cmという大きな銅造で、深川の地蔵坊正元が発願した「江戸六地蔵」の3番目だそうです。
胎内にもお地蔵さんが6体入っているそうです。

 

「閻魔像」
木造で550cm、文化11年(1814年)に安置されたそうです(関東大震災で大破したので身体は昭和8年に作り直されたものとのこと)

「内藤新宿のお閻魔さん」として庶民の信仰を集めました。
目をむき大きな口を開けて見据える姿は拝観者を恐れさせ、子供のしつけのために参拝されました。
お盆の7月15、16日にご開扉されるそうです。

 

ボタンを押すと堂内が明るくなり、大迫力の閻魔様を拝むことができます。すぐ隣に明治3年製作の「奪衣婆像」がいます。
(「しょうづかのばあさん」と呼ばれ信仰されたそうです)
どちらも凄い迫力です。
1847年に泥酔者が閻魔像の目を取る事件があり、錦絵になったりもしたそうです。

「三日月不動像」

194cm、火炎光背の総高は243cm。
誰が作ったのかは不明とのことなのですが、寺伝によれば、この像は高尾山薬王院に奉納するため甲州街道を運搬中、
休息のために立ち寄った太宗寺内で盤石のごとく動かなくなったため、不動堂を建立し安置したと伝えられているそうです。
頭の上に銀製の三日月があるので「三日月不動」と呼ばれています。
額上の三日月は「弓月の遍く照らし、大空をかける飛禽の類に至るまで、あまねく済度せん」との誓願によるものと言われているそうです。
このため、像の上の屋根には窓が付けられ、空を望むことができます。

また「新宿山の手七福神」の布袋様もいます。

 

そして……

「塩かけ地蔵」
こちらにある塩を頂いて帰って、つらい部分に揉みこむと治るそうで、治った時は頂いた分の倍お返しするそうです。

また毎年7月15日、16日には「観無量寿経曼荼羅」「無量寿経曼陀羅」「阿弥陀経曼荼羅」「涅槃図」「十王図」が公開されるということです。
このブログを書いていて気付いたので、今週末行けそうだったら見てこようと思います!
 

寶珠山 東福院(豆腐地蔵)

去年大ヒットした映画「君の名は」の舞台にもなっている四ツ谷駅、須賀神社へ向かう途中の坂にあるお寺になります。

 

何故「豆腐」なのかというと、昔はこの坂途中に豆腐屋があったからだそうです。
地蔵像はよく見ると手首がありません。それにはこんなお話があるようです。

 

このお地蔵さんは元々、慶安2年(1649)に開基の曽孫が、死んだ子の供養のため建立されたと伝えられています。
豆腐地蔵の由来は、安永年間(1772~81)東福院坂下に豆腐屋がありました。この主人は手の付けようのない親爺で近隣の憎まれ者であった。
地蔵尊がその邪悪の心を直すために坊さんに変身して豆腐を買いに行きました。
坊さんが豆腐屋に払ったお金がいつも木の葉に変わってしまうため、豆腐屋が怒って、その店先で手首を斬ってしまいました。
豆腐屋が滴る血の跡を追って行くと、東福院の地蔵堂で跡が消えていました。
豆腐屋は初めて地蔵尊の戒めと悟り、改心し、善人に立ち直り、長く地蔵尊を崇拝し、信仰に励んだと伝えられています。
それ以来、「豆腐地蔵」と呼ばれようになり、切り落とされた手首をさすると、傷・腫れ物が治ると信仰を集め、信者から豆腐が供えられるようになりました。
地蔵尊は昔からのもので、切り落とされた手首も保存されていましたが、残念ながら戦災で行方不明になってしまいました。(説明より) 


「怒ったからって、いきなり手首を切るとは……」と震えました。
話が変わりますが、「四谷怪談」のはこの地のことを言っているのだと今まで思っていたのですが、「四ツ谷」ではなく、雑司ヶ谷の「四谷」なのですね。
初めて知りました。
 

■源覚寺(こんにゃく閻魔、塩地蔵)

水道橋方面にあるお寺です。

正面から撮影したところ、何度撮ってもこの状態に……。神々しく撮れたということにします。

寛永元年(1624年) に創建。本尊は阿弥陀三尊。

江戸時代~現代まで何度も大火に見舞われたものの、「こんにゃくえんま像」や「本尊」は難を逃れているそうです。

 

早速、こんにゃくえんま様へご挨拶です。

運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作と考えられているとのこと。

お賽銭、「め」ですね……。

こんにゃくが沢山お供えしてありました。

閻魔像の右側の眼が黄色く濁っているのが特徴。
右側の目が濁っていることについては以下のような伝説がある。
宝暦年間(1751年-1764年)に一人の老婆が眼病を患いこの閻魔大王像に日々祈願していたところ、老婆の夢の中に閻魔大王が現れ、
「満願成就の暁には私の片方の眼をあなたにあげて、治してあげよう」と告げたという。
その後、老婆の眼はたちまちに治り、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物である「こんにゃく」を断って、ずっと閻魔大王に供え続けたという。以来この閻魔王像は「こんにゃくえんま」「身代わり閻魔」の名で人々から信仰を集めている。
現在でも眼病治癒などのご利益を求め、閻魔像にこんにゃくを供える人が多い。また毎年1月と7月には閻魔例大祭が行われる。(説明より)

 

閻魔様は「裏表のない蒟蒻が好物」という話は読んだことがあるのですが、こんな優しいお話もあるのですね。

「小石川七福神」の毘沙門天さまがいらっしゃいました。

 

そしてこちらにも……

「塩地蔵尊」

お塩を患部にぬると良いそうです。

頭の上がかなりモッサリしておりました。

「南洋群島物故者慰霊像」「汎太平洋の鐘」

第二次世界大戦でサイパンなど南洋群島で犠牲になった方たちを追悼する像があります。遠隔の地への参拝が叶わぬ人々のために、南洋群島とゆかりの深い源覚寺境内に遥拝所として建立されたそうです。
 

何故ゆかりが深いかと言いますと、この1690年(元禄3年)に鋳造された鐘は、昭和12年(1937年)に当時日本領だったサイパンのお寺(南洋寺)に送られたそうです。

しかしその後、第二次世界大戦が勃発。アメリカの占領下になってから行方不明となっていたそうです。

戦後20年たった1965年、米国・テキサス州の日本女性によってこの鐘が発見され、その後、昭和49年(1974年)返還されました。

銃弾の跡が残っていたりと、かなり生々しい印象をうけました。

潰される前に無事日本に戻ってきてくれたこと、本当にありがたいことです。

 

........

そして先日京都に行った時に撮ったお地蔵さんを。

東寺近くの湯葉のお店に行く途中にありました。

今まで意識をしていなかったのですが、京都は「地蔵盆」がある地域というだけあって、あちこちに大事にされているお地蔵さんがいてホッコリします。

まずは夜に行った湯葉料理専門店の向いにいたお地蔵様。

 

矢取地蔵寺

「ここあたりが元羅城門(羅生門)だねぇ……」と話しながら歩いている時に通りがかりました。

お地蔵さんが沢山です。

手を合わせてからお写真を撮りまして、東京に帰ってきてからちゃんと調べてみたら、過去に仏ネタの本を読んでいた時に発見した「矢負(やおい)地蔵」であることが分かり、もっとちゃんと見ておけば良かったと大後悔しました。

平安時代(824年)、日照り続きで雨が全く降らない時期がありました。
そこで当時の淳和天皇は、東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏僧都が神泉苑で雨乞いの法会を行うよう勅命を出します。
先に守敏は祈祷するものの降らず、次に空海が祈祷すると三日三晩にわたって雨が続き、国土が潤いました。
このことで空海を恨んだ守敏は、羅城門近くで待ち伏せて、矢を射ます。
その時、一人の僧が現れ、空海の身代わりとなって矢を受けたため、空海は何を逃れることができました。
実はこの僧は地蔵菩薩の化身でした。
その後の人々はこの身代わり地蔵を「矢取の地蔵」と呼び、羅城門の跡地であるこの地に地蔵尊を建立した。
 

右肩に矢を受けた傷跡が残っているそうです。

ちゃんと……みれば……良かったです……。

 

■おまけ■

先日行った「福猫展」に何とも可愛い「地蔵菩薩猫」がいましたので、今回そっと載せます。もりわじんさん作品です。

 

■曹源寺(かっぱ寺)
さらに「お地蔵様」ではないのですが、「かっぱ大明神」がいらっしゃるこちらも今回一緒にご紹介です。
上野駅から浅草駅に歩いていく途中にあるお寺なのですが、かっぱをお祀りしています。

 

文化11年(1814)、新堀川(現在の合羽橋道具街通り)の堀削工事に私財を投じて尽力した合羽屋喜八が没し、菩提寺である曹源寺に葬られました。
この辺の土地は低いうえ水捌けも悪かったため、住民たちの難渋は見るに堪えなかったようです。そこで喜八が工事をはじめたそうです。
その工事のおり、かつて喜八に命を助けられた隅田川の河童が協力したといい、この河童を見たものは不思議と商売が繁昌したと伝えられています。
この河童大明神は、 商売繁昌・火水難除などに霊験著しいといわれ、今も厚い信仰が寄せられています。(説明より)

道にある可愛い河童像。

入口にある「かっぱのぎーちゃん」
最初、どう見たら「かっぱ」に見えるのか分からな過ぎました。

こちらのお堂に祀られています。

手前のかっぱ像もきゅうりを持っていて大変可愛いです。

お賽銭箱も河童仕様。そしてきゅうりがのっていました。


「オン・カッパヤソワカ」……真言可愛いです……!

戦いのない江戸時代になると現世御利益のある神様が色々登場するのですが、河童様もその流れなのでしょうか。

今回は短めに書くつもりが、結局長めの記事になってしまいました。

次こそサクサク読めるような纏め方をしたいと思います。
お寺が続いているので神社、もしくは数年前に行った京都の記事を書きたいなと思います。

 

 

【イベント開催情報】

期間限定イベント『仏前の契り~The Summer Bride~』が始まっております。昨年は洋装でしたが、今年は和装!?

是非ご参加くださいませ!


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