言葉としての対義語が常に逆の意味を表すとは限らない。
『"好き"の反対は"嫌い"ではない。無関心である』
有名なマザーテレサの言葉である。
しかし、言葉の定義としては、"好き"の反対は"嫌い"なのである。
どういう事か?
マザーテレサは"愛情"にスポットを当てて考えているのだろう。
"好き"という感情も"嫌い"という感情も、そこには人と人との接点がある。
しかし、無関心は人と人が接していないという事である。
『だから好きの反対は無関心』マザーテレサはそう言ったのだろう。
同じように、進化という言葉について考えてみる。
言葉としては、"進化"の対義語は"退化"である。
それは正しい。
しかし、生物の"進化"にスポットを当てるとどうだろうか?
人間は猿から"進化"したというのは周知の事実である。
確かに人間は猿とは違い、言葉をしゃべり、道具を使う。
だから人間は猿から進化したのだと言われれば納得である。
しかし、人間は猿に比べて敏捷性に劣り、おそらく腕力も弱くなっている。
言ってしまえば退化である。
人間は猿から進化したというのに退化?
マザーテレサ的に言うなれば『進化の反対は退化ではない。無変化である』となるのだろう。
しかしながら、よく考えてみよう。
『猿から人間へ進化した』というのは、言い換えれば『A地点からB地点まで車が前進した』という事なのだ。
しかし、実はこの車はA地点からB地点までバックで進んだかも知れない。
でも、A地点からB地点まで進む事を『前進』と定義しているのだから、バックで進もうがなんだろうが、それは『前進』なのだ。
猿から人間もそういうことだ。
数百万年をかけ、猿から人間になったという事実が『進化』であって、その過程で失ったものや失った能力があったとしてもそれは『退化』ではなく『進化』ということなのである。
そして色んな物事も進化しているのである。
私が中学生の頃は、オ○ニーと言えば手を上下に動かして擦るのが唯一の方法であった。
しかし、1年、2年とたつうちに、それが進化し始める。
コンニャクであったり、カップラーメンであったり、掃除機であったり。
道具を使い始めたのだ。
そして、今。
オ○ホの登場である。
http://ameblo.jp/hotelcalifornia/entry-10973126152.html
ナニを包み込む感触を人工的に女性器に近づける事で、より高い快感を得ようというのだ。
究極の道具の誕生であった。
それは世界的に有名な(ハード)オ○ニスト『K.J.』に『もはや女性器を越えた』と言わせしめたほどである。
しかし、進化に終りなどなかった。
http://www.somjapan.com/som.html
そのオ○ホを自動で動かしてしまうというこの発想。
しかもその動きたるや『リアルな手コキ運動を完全再現』したという。
どこまで進化し続けるのだろうか?
その進歩は終わる事がない。
進歩はいつまでも続くのだ。
チ○ポだけに。