2008-02-28 16:59:42

食人小説家、殺した恋人を揚げて食べる メキシコ

テーマ:アステカ・メソアメリカ


http://sankei.jp.msn.com/world/america/071016/amr0710161230004-n1.htm

人を食べる人間を題材にした本を執筆し、魔法も使えるというメキシコ人作家が、(実生活で)元恋人の女性を絞殺し、遺体の一部を揚げて食べるという事件が発生した。検察当局が15日に明らかにした。

 警察が先週、ホセ・ルイス・カルバ容疑者のアパートを家宅捜索したところ、食卓の上で食器類とともに、油で揚げた人間の肉が乗った皿を発見した。さらに冷蔵庫にも人間の肉、シリアルの箱からは人間の骨が見つかった。

 メキシコ市の検察当局者は、記者会見で「男(容疑者)が人間の肉を食べたと仮定しても全く差し支えない」と述べた。

 カルバ容疑者は、警察がアパートに突入した際に逃げようとしてベランダから転落し負傷、現在病院で治療を受けている。

 検察側は、同容疑者が過去2年間に別の女性2人も絞殺し、遺体を切断した疑いがあるとみている。

 同容疑者は、自作の詩を路上で売って生計を立てていたとみられており、アパートからは、人を食べる人間を題材にした書きかけの本が見つかっている。(ロイター)


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2005-01-12 14:30:15

メソアメリカ・太陽に心臓を奉げた理由

テーマ:アステカ・メソアメリカ
アステカ文明が容易に崩壊したのは人身御供を奉げすぎたからである

という説を読んだのだが、
たったそれだけの事で文明一つが消滅してしまうような事があるのだろうか。
アステカの歴史は侵略者によって都合の良い形で書き換えられている
自分の推測だけで考えず歴史を追ってみる事にした

古代アステカで人身御供が行われ
心臓が供えられていたのは歴然たる事実である

人間を犠牲にする儀礼をトラミクティリストリといい
心臓は磨きぬかれたトルコ石に例えられていた

戦争はトルトラチノリと言ったがこれは神の液体と焼いた物という意味であり
戦場での死はシチョチミキストリ、花のような死と呼ばれた
確かに戦争で得られた捕虜を生贄として捧げていた事が多数あったようだ
が、そもそも何故心臓を太陽の為に奉げなくてはならなくなったのだろうか
マヤアステカの神話の太陽創出の神話に以下のような物がある

世界に日が無かった時
神々は集まって新世界を照らす仕事をすべきか議論していた
テクシステカトル(月の神)は世界に光明を与えるという仕事を引き受ければ
おそらく称賛を得ることができるだろうと考えまず最初に引き受けた
そしてもう一人皮膚病を患っていたナナウツインという神が推挙により
第二候補として引き受けた

二人は四日間の苦行を続けた後岩で築いた炉に火をつけた
テクトシカルは供物として枯れ枝の代わりに高価な羽根
干草の代わりに金塊
リュウゼツランの刺の代わりに貴石から作った針
先に血を塗って義務的に作った針の変わりに赤サンゴから作った針
最高品質のコパール樹脂を供えた

しかしナナウツインは枝の代わりに三本づつ束ねた九本の緑の葦と
乾草と自分の血を塗ったリュウゼツランの針
そしてコパール樹脂の代わりに
自分の傷口から取ったカサブタを供えただけだった

ナナウツインとテクトシカルの為に他の神々は
山ほど大きな塔を建てた
集まった仲間はその中で四夜苦行を行った

かがり火が四日間焚かれ
供え物の設置場所が壊されたあと、
神々は火に向かって二列に並びテクトシカルにこう言った

「テクトシカル、火に跳び込め!」

テクトシカルは四度試みたが四回ともたじろぎ
十分な勇気を集中する事ができなかった
が、ナナウツインはありったけの勇気を集中し
火に身を投げた
彼はパチパチ火を立て燃えた
恥ずかしくなってその後テクシステカトルも焔の中に身を投げた

神々のうちでもっとも卑しい神は行くべき道を示した。
そしてこの神話が
のちに、太陽の為に人間の肉体である心臓を引き裂くという要求の理由付けにされたようなのである

古代アメリカにおける初期の人身御供はおそらく自発的に行われていた
一人の若者は俗世におけるテスカトリポカの像として受け入れられ
死の直前の一年間特別の尊厳の中心に祭り上げられ
最高の敬意を持って処遇された

彼に遭ったものは大地にキスをし最敬礼をした
昼でも夜でも出歩くのは自由であり
いつも八人の従者にかしづかれていた

犠牲に供される二十日前に
世話人たちは着衣を彼が命を終える時に着る衣装に変えさせ
大切に育てられた四人の女神の名を与えられた処女と結婚する事ができた

最後に若者は天蓋のついたカヌーに乗せられ
妻が同行し低い丘のある場所まで漕いで行った。
そこに妻たちは残され、八人の従者だけが小さく粗末な造りの神殿まで若者についていった

一段めで彼は大事にされ幸せに暮らしていたこの一年間吹いていたフルートを壊し
二段目で別のフルートを壊し
三段目でも別のフルートを壊した

神殿の最上階に行き着くと
そこには神官たちが集まって彼を殺そうと集まっていた
彼らは二人づつ組んで立っていた
若者は手と首を縛って台の上に仰向けに寝かせられ
石のナイフが彼の胸を突き刺して心臓を抉り出し
直ちに太陽に供えられた

若者の死は真実なるもの、すなわち神化された心臓のみが
この世の生命を支える巨星の養分に値するという哲学的な理念に基づき受け入れられる

一般人の心臓はヨリョトルと言われ神化された心臓はヨルテオトルと呼ばれた
初期の段階ではその心臓を食うという行為は行われていなかったに違いない

しかしその後人身御供は定期的暦の訪れに応じて行われるようになる
この辺りの経緯については想像するしかないが
どうせなら太陽も多数の心臓を貰った方が喜ぶのだろうと
想像したのでは無いかと思う

人身御供を行う前
神官たちは神の行った試練と同時期間、四日間の断食を行う事から始める。(ネサワリストリ)
またこれとは別に特別な例として「神を食す者」としてテオクアクエとよばれる
男女の神官集団による一年間の断食であった

もっとも一般的な供物としてはウズラなどの動物の頭部が切り落とされるだけであったが
何よりも劇的で恐れられたのは捕虜となった戦士と奴隷による供儀であった
この生贄は準備期間中に儀礼的な沐浴を行い、注意深く衣装をあてがわれ
特別な踊りを踊るように教わり、
太らされるか、痩せさせられるかのどちらかであった

太ったほうが テクトシカルの化身で
痩せたほうが ナナウツインの化身であるのだろう

彼らは供儀の対象となるそれぞれ特定の神に扮するように
慎重に衣装を着せられた

供儀の技法としては斬首(通常は女性に対して)
槍や矢による射殺、溺死、火炙り、高いところからの投下、銃殺
生き埋めによる餓死や剣闘士との戦いなどもあったようだ

修道士ベルナルディーノ・デ・サアグンの証言によると
このような供儀も行われていたようである

「彼らはいつも石臼のように丸い石の上に捕虜を登らせた
 そして捕虜が石の上に乗ると神官の一人が
 石臼の紐通し穴から出てきた縄を取り捕虜の腰で縛った
 それから刃の代わりに縁に羽根を張りつけてある木刀を与え
 また四枚の松の板を与えた。
 それで身を護ると共に相手を落とすようにさせた」

とはいえこれも侵略者の証言である事は忘れてはならないだろう

上記の内容については真偽の疑いがあるけれd
普通は華麗な衣装に身をつけた捕虜の所有者と捕虜が
神殿まで行列を作って踊りながら進み一つの神聖な儀式として進んで行った

神殿につくと捕虜は階段の上の供儀の石(テチカトル)の場所まで導かれた
生贄は直ちに直ちに供儀の石に押し倒され
神殿の神官が儀礼用のナイフ(テチパトル)で胸壁を切開した

神官はまだ鼓動のある心臓をつかんで
「高貴な鷲サボテンの実」と叫び
ついでに心臓を胸からもぎとり
太陽の活性化、活力の補給を祈ってそれを太陽にささげた後
「クアシカリ」、鷲の器とよばれる円形に刻まれた容器の中に入れた

今や鷲人間と呼ばれる死体は
神殿の階段を下までばたばたと転がされそこでバラバラにされた
首を斬って脳を取り出し
皮を剥いだ後頭蓋骨はツオンパントリと呼ばれる頭蓋骨の棚の上に並べられたが
それは頭蓋骨を一杯ぶら下げて水平に並べた棹のような物だったという

その後捕虜の所有者達はトラカトラオリと呼ばれる
捕虜の人肉と乾燥トウモロコシのシチューを食べた

その他トラロクと呼ばれる供儀の生贄が集められ
彼らを殺すとその肉にウリの花を載せ
貴族、すべての上級裁判官が食べた。
しかし平民が食べるような事は無く
食べたのは支配者だけであった

一四五〇年から一五一九年にかけて行われたショチヤオヨトル花の戦争は
それぞれの首都で行う儀礼的祝祭に供する生贄の供給を安定させると共に
戦士を鍛錬させる為に行われたとされているけれど
結局は有力な都市国家群の中でこうした理由は重要であったが
勢力の均衡を崩したり、改めて築いたりするために
戦争が利用されていた事の理由のほうが有力であるようだ

世界宗教史7 ミルチア・エリアーデ著
メソ・アメリカの諸宗教ー都市と象徴
 人身供犠の実践と道具

マヤ・アステカの神話 アイリーン・ニコルソン



著者: アイリーン ニコルソン, Irene Nicholson, 松田 幸雄
タイトル: マヤ・アステカの神話
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2004-12-20 09:16:21

アステカ文明の人喰いについて考察

テーマ:アステカ・メソアメリカ
週末アステカ文明に詳しい山瀬氏からメールを頂いた
山瀬氏は多数の歴史関連書籍を執筆しているのみならず
英国の紳士録にも記載されている著名な方である

別途新エントリーにアップしたので、
興味のある方は是非覗いていただきたい
メールの内容を総括するに

つまりは

アステカには二種類の生贄が居た

ということであり
一般庶民が食べるといった事は無かったようだ
イメージ的に生贄の心臓が捧げられると
一般庶民が鍋カマ持って神殿に押しかけ
人肉を食べていたような物があったが
それは大きな間違えで
食べていたのは本当に一握りの特権階級の人たちだけであったようだ。

幾つかの参考図書も教えて頂いたので
これは近日中読んで書評なりコラムの形で公開したいと思ってる

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2004-12-20 09:07:44

山瀬氏よりのメール

テーマ:アステカ・メソアメリカ
>アステカでは一般人が人肉を食べる習慣は無かったとかかれていますが
>神殿ではあったのですよね。
>神官が心臓を食べていた。


これは間違いやすいことですが、アステカ社会では人間を食べるのは、
年に何回か行われる祭りの時に神殿で生け贄にされた人間のことであ
り、普段から豚小屋のような人間飼育所みたいなものを作って日常の
食用に人間を飼っていたということではありません。

>インターネットでちょこちょこ調べていたのですが
>食べていたのは神官だけではなくて一般人も食べていたのですか?
>功労者には心臓と脳を与え……というのは本当ですか?


基本的には神官の特権事項ですが、例外はいくらでもあります。各都市の
王はその都市の最高神官でもありましたから、食する機会はありましたし、
捕虜を生け贄にした場合は、戦いの功労者や戦闘指揮官クラスにも機会
はありました。田舎の町でも生け贄は小規模ながら行われ、こういうところ
で行われた場合、多くの平民が神の恩恵に授かるため人肉を分けてもらう
ことはあり得ますが、一番いい場所は神官達や神が持って行ったのはいう
までもありません。

メキシコの古代文明では魂という概念がはっきりしておらず、魂とは心臓で
あるとかいうような考えや、魂=生命のエネルギーは血であるとか、すなわ
ち魂は物質でもあるという考えがあったわけです。まあ、キリスト教の一歩
手前の宗教であるユダヤ教でも、モーゼが牛の血を人民に振りかけて神と
の契約の証だとかいったとかありますよね。こうした脳とか血などの生命を
司ると考えられる部分が、神聖なものとして優先的に食されたのは当然と
いえます。

>犠牲者を両方から二人の男が押さえ付けて跪かせ、もう一人の男が頭を押さえ
>て仰け反るようにします。その首の下に、流れる血を受ける皿を持つ役の者が
>つき、首を掻き切ります。血をこぼさないように全て受けきると、今度はすみ
>やかに解体が始まります。

>首を切断し、内蔵を取りだし、身体をヘソの上くらいから二つに切り分け、さ
>らに腕、足、背骨から左右、という具合に切り分けます。
>それをさらに小さく捌いて、参加者全員に分配します。
>生贄としての解体の場合は、心臓は神に捧げられました。
>他、1番の功績を認められた者の褒賞として、与えられる場合もありです。心
>臓と脳みそは特別な物とされたようです。

>この犠牲者を切る方法は有名ですが
>山瀬さんの見解としてはどうなのでしょう?
>これは誇張された内容なのでしょうか?


正しいですが、この前に書きましたように、ここでいわれている参加者と
は神官や神官を兼任する実力者達ばかりですよね。
手柄でも立てない限り、平民がこのような神聖な場所に行けるわけはな
いことは容易におわかりでしょう。

>また

>生贄になる人は神の擬人であって、崇拝され、病気を癒し、人々に祝福を与え、
>つねに、そのそばには彼の世話をする弟子たちがいた。それから彼は殺され、
>彼に与えられていた特別な家(calpulliと呼ばれていた)でばらばらに解体さ
>れた。育児中の母親たちは、その血を子どもに含ませた。


これは、年間行事としての生け贄ですね。選ばれるあるいは志願して生
け贄になる者は、生け贄の日まで神として扱われ多くの召使い達を持つ
ことができました。神のための犠牲は崇高なことと考えられていたので、
美女・美男あるいは何かしらの才能のある人を選んだことが多く、こうし
た名誉を喜ぶ人もいたんです。最初の方でアギラールというスペイン人
の話を出しましたが、彼の船が難破したとき仲間達がマヤ人の捕虜とな
って生け贄にされたのは、珍しい人間だから神が喜ぶだろうと「選ばれ
た」訳です。

ところで、はて、カルプリと書いていましたか?カルプリは共同体そのもので
すが?何を参考にされたのかな?


>しかし山瀬さんの書籍には侵略者は捕虜にされると心臓を割かれ
>殺されてしまう……云々書かれていました


生け贄は年間の祭りの中でその国の住民の中から選ばれたもので恵み
を与えてくれた神々への感謝を示すために行われるものと、戦争に勝っ
たときの祝賀行事として捕虜を神に捧げ、戦勝をもたらした神を祝うもの
の二種類あったのです。これはアステカの勢力の拡大の過程で、国威発
揚のイベントとして生け贄の儀式を拡大したため後者の方が有名になって
しまいましたが。

>一年間に二万人殺されたとか。
>どちらが本当なのでしょうか?


生け贄の数は1595年頃に書かれたスペイン人神父の本の中では年間6
万人に以上ふくれあがっています。どちらにせよ正確にどのくらいの規模で
生け贄が行われていたか知ることはできませんが、後世の記録になればな
るほど犠牲者の数が増えています。2万人を毎年殺していれば、ちょっと大
きな都市国家が毎年一づつ消えていた計算になりますから、大規模な侵略
戦争のあった年ならともかく(コルテスの決戦の時はいい例です)、通常の
年はまずあり得ない数字です。
著者: 山瀬 暢士
タイトル: インカ帝国崩壊―ペルー古代文明の破滅の歴史
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