(M編集)
毎日15本以上のタップ交換ですか・・・はぁ・・・私なら一日かかりそうですσ(^_^;)
(堀家プロ)
毎日の仕事だし、レッスンやお相手撞きもあるから、手が空いていれば常にタップ交換していたよね。
そりゃぁ上手になるよね。
(M編集)
時代は「ハスラー」の映画が公開されて『第1次ビリヤードブーム』と言われた時代ですよね
(堀家プロ)
そう、そう。
本当に沢山の人がビリヤード場にきてよく遊んでいたよ。
だから48台のお店なんて出来たんだよね。
(M編集)
プロになって、アマチュアのボーイ時代と違ってきたことは?
(堀家プロ)
・・・まぁ・・・ある言った意味、一番まじめな時代だったかな・・・ (;^_^A
--- (語り) ---
飯田橋の「ビリヤード日本」に移り、本格的にプロ生活のスタートを切った聡臣は、公式戦に対して優勝したいと言う意欲がさらに強くなっていった。
プロになったからには当然、「全日本スリークッション選手権」での優勝が目標だ。
お仕事中の「レッスン」「お相手撞き」はお客様に満足させるビリヤードに対し、試合のためのビリヤードはお仕事ではほとんど出来るものではない。
仕事を終えてから、バイト時代と変わらず、自分のための練習は欠かさず続けていた。
ところで・・・
スリークションのプロには「ランク」があるのはご存じたろうか?!
プロのランクの分け方として現在は「Aプロ」「Bプロ」「Cプロ」と言われているが、当時は『金バッチ』『銀バッチ』と言われていた。Aプロ-金、Bプロ-銀のようなものである。
「○○プロは金か?銀か?」
と言われ、ランクでそのプロの評価のされ方が大きく違う時代だった。
『金バッチ』の条件は、プロの公式戦で5位以内に入賞。当時のプロの公式戦は
・全関東スリークッション選手権
・全日本スリークション選手権
の2試合のみ。
その中で5位以内に入賞しなければならない、狭き門であった。
「銀バッチ」スタートの聡臣が最初に参戦したのが45年夏に行われた「全関東スリークッション選手権」だった。
先輩プロはもちろん、予選を勝ち上がってきた強いアマチュアも参戦している。
その並み居る強豪が揃っている中で、聡臣は「3位」に入賞!
見事、「金バッチ」の仲間入りである。
プロ半としてすでにAプロ-金バッチになった聡臣。
周囲からは、
「若いさも味方した、怖いもの知らず」
といわれる程、聡臣のからは『勢い』を感じた。
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