ジャパネットたかたスピリット

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放送と通信の融合をすでに実現し
すでに、ネットの売上げがテレビを凌駕しつつあるという
第一人者のリアルなコトバは説得力があります

いわく、ネットと繋がることでテレビは変わる


そういう文脈だと、夏野さんの
このコラムもなるほど、と思うことしきりです

若者離れ・広告減のテレビを救うのはITだ!
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ネグロポンテの予言

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MITの父、ネグロポンテが
1984年のTEDで語った映像

パーソナルコンピューターの普及やタッチパネルなど

そこで予言されていることが
ほとんど実現しているところがスゴい

今から25年後はどうなるんだろう?

と思わずにはいられないですね



そんなネグロポンテが
今、進めているのが

貧しい国の子供にラップトップコンピューターを
という運動

なかなか、うまくいかない部分も多いですが
素晴らしい活動だと思います
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デビッドリンチいわく

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アイディアとは釣りと同じである

それを捕まえるには、忍耐と仕掛けが必要である

小さな魚はすぐに捕まえられるが
大きな魚は深い場所にしかいない

それを欲しいという欲望こそが針である

深いレベルにいたるには
ピュアでパワフルであるべき

さまざまなアプローチが必要である

ビジネスやスポーツ、全ての領域で
大きな魚はいる

深いところにいる魚を捕まえに行ってこそ
大きなビジネスになる

僕にとっては映画であり
そこでの大きな魚は、素晴らしいものである
(上記は和訳ではなく、あくまで僕の印象です)


胸に太陽を

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『蟹工船』という小説を書いた小林多喜二という作家がいます。
この人は戦前、思想・社会運動を取り締まる特高警察に検挙されました。
取り調べといっても実際には、竹刀やムチで打たれたり、
投げられたりする毎日で、
目は腫れ、口は裂け、髪の毛もずぼっと抜けるなどのひどい拷問でした。

多喜二はやがて東京・多摩の刑務所に入れられますが、
北海道の小樽にいる多喜二のお母さんに、
5分間だけ面会が許されることになりました。


字の読めないお母さんは、刑務所からの手紙を読んでくれた人に、
「5分もいらない。1秒でも2秒でもいい。
生きているうちに多喜二に会いたい」
と訴えました。
貧乏のどん底だったので、
近所の人になんとか往復の汽車賃だけを借りて雪が舞う小樽を発ち、
汽車を乗り継いで指定時間の30分前に刑務所に着きました。

看守がその姿を見て、あまりにも寒そうなので火鉢を持ってきました。
するとお母さんは、
「多喜二も火にあたっていないんだから、私もいいです」
と、火鉢をよたよたと抱えて面会室の端に置きました。
今度は別の看守が朝に食い残したうどんを温め直して差し出しました。
お母さんは車中、ほとんど食べていません。それでも、
「多喜二だって食べてないからいいです」
と、これも火鉢のそばに置きました。

時間ぴったりに看守に連れられて面会室に現れた多喜二は、
お母さんを一目見るなりコンクリートの床に頭をつけ、
「お母さん、ごめんなさい!」
と言ったきり、顔が上げられません。
両目から滝のような涙を流してひれ伏してしまいました。

わずか5分の面会時間です。
言葉に詰まったお母さんを見かねた看守が、
「お母さん、しっかりしてください。
あと2分ですよ、何か言ってやってください」
と言いました。
ハッと我に返ったお母さんは、
多喜二に向かって、この言葉だけを残り2分間繰り返したそうです。

「多喜二よ、おまえの書いたものは一つも間違っておらんぞ。
お母ちゃんはね、おまえを信じとるぞよ」

その言葉だけを残し、お母さんは再び小樽に帰りました。

やがて出獄した多喜二は、今度は築地警察署の特高に逮捕され、
拷問によりその日のうちに絶命しました。
太いステッキで全身を殴打され、
体に何か所も釘か何かを打ち込まれ、亡くなったのです。

もはや最期の時、特高がまだステッキを振り上げようとすると、
多喜二が右手を挙げて、しきりと何かを言っているようです。
「言いたいことがあるなら言え」
と特高が水をコップ一杯与えました。
すると、多喜二は肺腑から絞り出すような声で言いました。

「あなた方は寄ってたかって私を地獄へ落とそうとしますが、
私は地獄には落ちません。
なぜなら、どんな大罪を犯しても、
母親に信じてもらった人間は必ず天国に行く
という昔からの言い伝えがあるからです。
母は私の小説は間違っていないと信じてくれました。
母は私の太陽です。
母が私を信じてくれたから、必ず私は天国に行きます」

そう言って、彼はにっこり笑ってこの世を去ったのでした。

お母さんは、字はひらがなぐらいしか読めません。
したがって、多喜二の小説は一行も読んではいないのです。
しかし、自分の産んだ子は間違ったことはしていない。
かあさんはおまえを信じている、と言ってくれました。
そういうお母さんに対し、多喜二は「母はオレの太陽だ」と言ったのです。

ここにおられる女生徒の皆さん、
あなた方はあと十年もすれば愛する人を見つけて結婚なさると思います。
どうかそのとき、その愛した男性に対して
「お父さま」とおっしゃってください。
どうか「尊い人」と言ってあげてください。

男性も女性から尊い人と言われれば、本当に命をかけて、
あなた方の命の安全と幸福のために汗を流して頑張ります。
人間のこの父母である夫婦が尊敬しあい、
いたわりあわなければ、子供が健全に育つはずがありません。

だから、皆さんの世代になったら、
ぜひ日本人の母になってください。
カミ様になってください。
男の生徒さんは、たくましく、
優しい日本人の男になってください。

そして、だれも真似できない太陽を胸に輝かせた
自分というものをしっかり確立してください。
それが、皆さんの永遠の心棒です。

「日本の心」(作家・境野勝悟) 『致知』2000年5月号より


人を信じること、信じられること
それがすべて

その仕事は、人を幸せにしているか?
自問自答の日々ですね

卵の側に立つ

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こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。
 
もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。

しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
 
このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「組織」をつくったのです。
これが、私がお話ししたいすべてです。
 
「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。

村上春樹


強い信念は、強いコトバになって伝わりますね
ココロの持ち方が大事だなと、痛感

360から365へ

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TBWAグループの総帥
ジャンマリドゥリュー氏いわく

時代は「360から365」へ変わった、と

つまり、ホリスティックな
360度統合マーケティングの時代から

365日、ユーザーと対話を行い
ブランドを成長させていかなくてはならない時代になった

ということ

なるほど…

via.Le Figaro

コミュニケーションは受け手優先

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これは、僕が仕事を始めたころ
広告の「基本のキ」として
先輩から教えてもらった言葉

いかに送り手が
「A」というメッセージを送ったとしても
受け手が「B」という風に解釈したならば
そのメッセージは「B」だったということになり

それはつまり、
送り手に問題があったということで

受け手を批判してもはじまらないから
送り手の方法を見直すべき、ということ


現首相の発言を見ていて、
常に思い出すのはこの言葉なんですよね

「私は常に一貫した主張をしてきている。
いろいろ誤解があるならば、今後誤解のないように努めていきたい」

送り手の主張が一貫していても
受け手がそう思わなければ、ブレている
というのが現実

正しくは、受け手に一貫して伝わる、
そいういった伝え方が必要

つまり、受け手優先の社会
ということですね