動物愛護活動
堅苦しく言わずとも
動物たちに関わる
寄り添う
向き合う
最初からなのか
途中から変わってしまうのか
人の心の中が見えない
不幸な動物たちを救いたいと思い
関わったとするのなら
日々の向き合い方がとても大切で
惰性や慣れ合いと言った事に流されることなく
関わり始めたときの気持ちで
動物たちに寄り添う
それが普通と考えるのなら
ずっと同じ思いで反復継続して行くことが
普通を続けて行くことは難しいと思います
自らがそれを実践する中で
誰にでも動物愛護活動は出来るとは
決して言えません
これは
上から目線とか下から目線と言った
チープなお話しではありません
ボランティア活動に参加して頂きながら
意識などをしっかりしたものに
して頂く期間も相応に必要だと思って居ます
時に
どうしてこんなに大変なことを
初めてしまったのだろう?
と思うことも多々あります
関わって居るのは紛れもなく命です
変わることなく命に向き合い
反復継続を続けることは少なからず
楽なことではありません
だからと言って
常日頃、弱音を吐き
大変だ、大変だと言うのもナンセンス
だって自らの決断で始め
自らの決断で続けているのですから
過酷な環境に居た猫さんたち
安堵して身体を休める場所は
決まって
枯葉のお布団、土の上だったり
腐りかけた木の上だったり
砂利、コンクリートの地面だったり
そんな姿を日々、目にして
出来る事なら何に怯えることもなく
安心出来る環境で
温かいフワフワの毛布の上で寝かせてあげたい
可哀想と思う動物愛護からより良いを考える
福祉へ変わる時です
大変な環境で生きて来た
この姿を目に焼き付け、脳裏に焼き付ける
これが
記憶として残されるからこそ
どんなに大変であっても
自分の事より先に救った命を優先するのです
それが...
いつの日からか
向き合うは愚か
可哀想で救った気持ちは何処かへ
置いてけぼりとなり
ずっと
枯葉のお布団やコンクリートなどで
蹲って居た子たち
室内に入れられても
タオル1枚敷いてもらえる環境になく
何処で安心して寛げばよいのか
可哀想と思い助けた結果が
更に犬や猫を追い詰めることに
なって居るとしたら
見て居るのは本当に辛い
○○だから仕方ない
それは命に通用する言葉なのですか?
救うとか助けるって
動物福祉なんて堅苦しい言葉で言わなくても
出来て居る事なのだと
ずっと思って居ました
とてもわかりやすく
良いことを書かれている方が居ました
追ってその内容をお伝え
できればと思って居ます