あたしは、バリバリ営業職をしていました。
これでも、全身全霊で頑張っていました。
おかげさまで、頑張った人が行ける、会社の施策の温泉一泊に行けることになり、その日は温泉に居ました。
地震があった、あの時間は、まさに、最上階の温泉に入っていました。
最上階ということもあり、揺れが大きく感じました。
あたしはちょうど、髪を洗っている時で、揺れに焦って、ウロウロしちゃいました。
その時、当時の上司が、古川ちゃん!!大丈夫だから、落ち着いて!!って、声をかけてくれて、あたしは冷静になったのを覚えています。
部屋に戻って、急いでテレビをつけました。
画面に流れてる映像が、最初まったく飲み込めませんでした。
なんか、水で溢れているんですよ。
え!?何!?これは、何!?何が起きてるの!?って、頭が混乱しました。
まさか、それが、津波だとは、思いもしませんでした。
いろんなものが流れていました。
あたしは、家族と離れていたので、慌てて電話をいれたら、あたしの住む街も、海の町で、津波注意報が出て、家族は避難することになっていました。
港に小さな津波は来たけれど、おかげさまで大丈夫でした。
遠く離れた北海道でも、凄く心配な1日を過ごしました。
家族が大丈夫とわかった後は、当時の上司にかわって、支部のメンバーの安否確認の電話係をしました。
みんな何事もなく、安心しました。
けど、他にも全国各地に、支部があり、転勤して行った上司等が、たくさん居たので、みんなのことが、とても心配でした。
中でも、石巻に転勤した上司とは、しばらく連絡がつかず、本当に心配しました。
福島の上司も、安否の確認が取れて、安心しました。
本当に、心配の1日だったのを、覚えて居ます。
あれから、会社のみんなで支援物資を送ったりしました。
けど、出来ることは本当に、限られて居ました。
気持ちとしては、今すぐにでも、飛んでいきたいと思いました。
でも、家族もあるし、自分の仕事もある。
もちろん行けません。
行くことだけが、全てではない。
今、あたしのやるべき事を、やる。
目の前にある、お仕事をやる。
そう、言い聞かせました。
しかも、保険のお仕事だったので
いろいろ考えさせられました。
被災地の担当者は、自分も被災しながら、お客様の安否確認に追われていました。
あたしたち北海道組は、幸いにも被害がなく、お仕事が出来ていたから。
それに感謝して、目の前を生きる事しかある意味出来なかったです。
心の奥では、何も出来ない悔しさを抱えながら。
でもね、
痛みは分かるつもりです。
病気とはいえ、あたしも、47歳の母親と2歳の妹を亡くしているから。
大事なものを失くす絶望感は、知っています。
今でも、忘れる事は無いし、今でも、逢いたいし、今でもお話ししたいから。
ツナグという映画を見て、本当に、ツナグがこの世に居てくれたらいいのに。って、思いました。
だったら、死者ともう一度お話し出来るんだよ。思わず、ググッちゃいましたよ。笑 でも、この世に本物のツナグは、存在しませんでした。
でもさ
人は必ず死ぬんだよね。
100パーセント。
それだけは、誰しもが避けられないこと。
あたしも、死ぬし。
死だけは、絶対的な物だから。
ここまで来て、想いを、まとめられないや。笑
だから、ここで、おわり。笑
今日という日は、忘れないよ。
今、目の前にあるものを、今、目の前に居る人を、大事に守ろう。それが、今出来ること。だよね。