「チンポコを、もぎ取れーっ! そんなーぁ?」、
テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」ある県の男女共同参画調整委員会が、学校の男女別名簿は差別であるから改善すべきだと言う苦情が多いので、「男女混合名簿」を導入するよう県の教育委員会に勧告してきたと言うニュースが新聞に載った。
勧告は、「男女別名簿は、形式的な男女差別。改善してほしい」との県民からの苦情を受けて出された。
県男女共同参画推進条例に基づく慣行の見直しの一つとして、各学校に議論を促し判断材料となる資料を提供するよう求めている。(引用)。
もっとも、男女混合名簿の採用を呼びかけている自治体もあるようだが、本県では学校の判断に委ねているとのことである。
結果として、「勧告内容をよく読んで対応を検討したい」と言う結論のようであった。
ところで、当の児童たちはこうした問題に本当に差別を感じているのだろうか?
何となくヒマな人たちの集まりがあって、手慰みかあるいは物を言わねばそうした任務に就いていない気がしての意見だったのだろうか?
「ジェンダーフリー団体」とか言う、呼び方の団体もあるようだがそうした人たちからの横槍的意見のような気がした。
こうしたことが、健全なる県民の意見として捉えられてなんでも物を申せば通る委員会とされるような思いに危惧された。
確かに、「ア」で始まる人の苗字が最初で「ワ」で始まる苗字の人は、いつでも最後尾となり、その点からのクレームだったのだろうか?
そうであれば、「あいうえお」そのものが既に差別であり、「イロハニホヘト」だって順位があるから差別と言うことになる。
あるいは誕生日順ともなれば、四月生まれの人が常にトップに置かれることにもなる。
まだしも、名前のことであるからこんな申し出もまんざら分からない訳ではないが、そのうち男子も「ブラジャーを付けるべきだ」となるとこれはトンでもない問題になることであろう。
ピカピカの一年生のランドセルも、女の子のように赤いランドセルを男の子に背負わせるべきだともなる。
何となく、「差別と区別」を一緒に考えている種族の意見のような気がした。
実際問題として、最近では男の子の名前か女の子の名前かが判別出来ない名前が増えて来たことも事実だ。
ましてや、ドQn(きゅん)名だってある。
それだけに、使い分けが必要になって来ることにもなる。
時と場合によって、「男女別名簿」と「男女混合名簿」を使い分けすることが望ましいのではないだろうか?
「それが差別だ」と言うのなら、更衣室やトイレの別も差別になるのではなかろうか?
着替えや身体測定なども、男女の区別無く一緒の所で行えとなってしまうだろう。
制服だって、場合によっては男子もスカートにしなさいとなろう。
もっとも、どっかの水兵さんのような場合もあるしどっかのお国の楽器隊(イギリスだったかな)の場合もあるからそう奇妙にも感じないだろうが、これが「立ちションもいけない」となったなら男の子はもう虐待を受けているような物でしかない。
深く考えると、温泉や銭湯も男女の区別はダメ、修学旅行の寝床も男女同室、運動会の全ての競技も男女混合で行うべし、であるから男女別の記録は違反だ、
柔道も男女混合で行え、大相撲も男女混合だ、スポーツの殿堂とも言うべきオリンピックも男女別は止めろ、男性にも生理休暇を与えよなどとなる、果たしてこれが平等と言えるのだろうか?
確かに極論ではあるが、こうした考え方に傾注されないとも限らない。
もっとも、まだまだ社会進出などからして女性の不利な点も確かに存在するが、そうであれば改善すべきところは即刻改善すれば良いだけの話しである。
こうした本質的な点については同感であるが、男女名簿がどうのこうのと噛み付くと言うことについて分かってよく分からない意味不明な意見だと思った。
そのうちに、戸籍欄の性別も差別だと言えかねまい。
もっと言えば、書類などの性別欄の「○印も差別だ」と言うことにもなろう。
これは大変だ、男性全てが「ホモか性転換」させられてしまうことになる。
と言うことで、なんでもかんでも平等となると神が創りたもうた男女の別さえも否定することになろう。
仮に「男女別名簿」そのものに、特別男女の貴賎や優劣あるいは上下があるわけではない。
要するに、男子か女子かの認識区分なのであってそこには差別は存在しない物だと私は思う。
「差別と区別の認識不足」ではないのだろうかと、改めてこうした意見を発する人たちに違和感を禁じ得なかった。
要は、「男女別」であろうが「混合」であろうがその時々によって使い分けをすると言う便利さをも考えて欲しかった。
もっとも究極の意見となると、「男性シンボルそのものを捥(も)ぎ取れー!」と言うことにも為りかねない。
「勘弁や それだけが人生の 我が光だ」のシンボルは、どうあっても譲れない。






