1、エッセイ、 2、おもしろ外聞時事放談、3、川柳で見る、

    社会観。

  2、なんでだろう?  一口雑学の裏技。

   

  <どうだ、この雑学特上ネタを話題にして語り合え?


   ・・・・・・・だ!!>、

    

                  コメント、宜しく。



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2012年02月14日 19時04分48秒 hoopou-chuの投稿

「システム泥棒と、首無し指無し殺人?」、

テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」

最近では、貴金属店への強盗や泥棒の話しは聞かなくなった。

と言うことは、それだけの厳しい監視体制が撮られていると言うためのものだろうか?

過っては、貴金属が盗まれたと言うニュースが何度かあった。

しかも、2億円前後の代物だったと思う。

そのお店は、前にも一度泥棒に会っているらしい。

何とまぁ、間の抜けた貴金属商なんだろうかと呆れてしまったことを思い出した。

まぁ別に私の物ではないから、心配したとてどうしょうもないことであるが、余りにもお粗末過ぎる管理体制に思えたからだ。

もっとも、監視カメラなどを設置しているのが大半であるが、どうもこの監視カメラなるものは死角があり過ぎて、油断ならないと言う記事をどっかで見たような気がする。

とは言え、100%ではないと言う意味のことであると思う。

設置しないよりは、それは抑止力にもなるから当然設置して置くに越したことはないであろう。

大体にして、設置してある無いにかかわらず客の振りして飛び道具やら刃物でいきなり恐喝して強盗に及ぶ者がいるから防ぎようもない時もある。

最近では銀行関係では、目玉(アイ)や指即ち指紋認証などで本人確認すると言う方法などが取られていると聞く。

アメリカの大手スーパーなどでは、「バイオメトリクス認証技術」なるものを本格導入したとかと言う。

この導入には、先ずもって住所氏名などの個人情報は勿論、身分証明書や写真つきIDカードなどを提示し、銀行口座や指紋を登録する必要があるそうだ。

要するに、買い物をした場合にその代金の支払いをするときに、その指紋をスキャンするだけで銀行口座から引き落とされると言うシステムのようである。

お金の出し入れもそうであるが、マンションなどのドァの開閉などにも応用されるらしい。

もっと凄い、システムを考案中と言う研究もあるそうだ。

これは、直接お金の出し入れやドァの開閉のことではない。

殺人事件などに、応用するものなそうである。

それは、なんと「死んだ人の目の奥の画像を取り出す」と言う、にわかに信じ難いシステムの開発だと言う。

確かに殺された被害者は、大抵は犯人を見ていることであろう。

その犯人の顔を、死体になった人の目の奥の画像から取り出すと言うのであるから、これは画期的発明なんて言うものではなさそうだ。

開発が成功すれば、恐らくは99パーセント以上の検挙率になると思う。

と言うことは、100パーセントと言うことにもなる。

それにしても、本当に可能なことなのだろうか?

もうこうなれば、「死人に口無し」などと言う従来の「ことわざ」もなくなることであろう。

多分、「死人の、網膜画像が語るっ!」と言う「新語」に生まれるかも知れない。

ところで、「指紋認証」にしろこの「網膜画像」にしろ、もし誰かが犯罪に使おうとする場合どんな方法を考え出すだろうか?

自分の指でも、自分の目の奥の画像でもない。

所詮は、他人様が利用出来る持ち物ではないのだ。

それでも、ある銀行口座の大金をせしめようと狙いたいとか、あるいは殺してしまったとかになった時に犯人はどんな手を使うだろうか?

「そんなことを考えて、どうする気。

まさか、あんたやる気?」などと言う人もおられよう。

これは、私が計画しているとか興味があるからとかではない。

もし、こうした被害者になった場合には犯人はどのような方法で狙ったり、あるいは殺傷してしまった場合の行動をどうするかと言う、即ち「証拠隠し」のことである。

単的に考えたときに、「ギクリッ」とするような身の毛が与奪ようなことが浮んだからだ。

それは多分であるが、あるいは「指紋認証者」の指を切断してその「指を利用」すると言う手段に出ないだろうか?

一方の殺人は、見てしまった人の「首を切断」して隠蔽するか捨てるいや燃やして隠蔽してしまうことであろうと気がついた。

これは場合によっては、こうしたシステムは新しい犯罪の方法や証拠隠滅をも新たに生み出してしまうと言うことになる。

と考えると、新式の導入はそれに比例して新しい手段が考案されると言う、「いたちごっこが繰り返される」ことになるだけかと思ってしまった。

科学の発展も著しいが、それに挑むようなもっと恐ろしい結果を生むための開発研究にも思えてゾッとしたが、反対にそれに対抗するかのように新たなる解除の方法を模索する者も出て来るのも当然のようだ。

やはり石川五右衛門さんではないが、「世に、浜の砂子と泥棒の種は尽きるまい」と言う有名な言葉があったが、いつの世になってもまことに含蓄のある名言だと思った。

「その科学 犯罪手段を 増殖し」と言うことになり、やはり「イタチごっこ」が永遠に続くことなのであろう。

2012年02月10日 19時18分11秒 hoopou-chuの投稿

「チンポコを、もぎ取れーっ! そんなーぁ?」、

テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」

ある県の男女共同参画調整委員会が、学校の男女別名簿は差別であるから改善すべきだと言う苦情が多いので、「男女混合名簿」を導入するよう県の教育委員会に勧告してきたと言うニュースが新聞に載った。

勧告は、「男女別名簿は、形式的な男女差別。改善してほしい」との県民からの苦情を受けて出された。

県男女共同参画推進条例に基づく慣行の見直しの一つとして、各学校に議論を促し判断材料となる資料を提供するよう求めている。(引用)

もっとも、男女混合名簿の採用を呼びかけている自治体もあるようだが、本県では学校の判断に委ねているとのことである。

結果として、「勧告内容をよく読んで対応を検討したい」と言う結論のようであった。

ところで、当の児童たちはこうした問題に本当に差別を感じているのだろうか?

何となくヒマな人たちの集まりがあって、手慰みかあるいは物を言わねばそうした任務に就いていない気がしての意見だったのだろうか?

「ジェンダーフリー団体」とか言う、呼び方の団体もあるようだがそうした人たちからの横槍的意見のような気がした。

こうしたことが、健全なる県民の意見として捉えられてなんでも物を申せば通る委員会とされるような思いに危惧された。

確かに、「ア」で始まる人の苗字が最初で「ワ」で始まる苗字の人は、いつでも最後尾となり、その点からのクレームだったのだろうか?

そうであれば、「あいうえお」そのものが既に差別であり、「イロハニホヘト」だって順位があるから差別と言うことになる。

あるいは誕生日順ともなれば、四月生まれの人が常にトップに置かれることにもなる。

まだしも、名前のことであるからこんな申し出もまんざら分からない訳ではないが、そのうち男子も「ブラジャーを付けるべきだ」となるとこれはトンでもない問題になることであろう。

ピカピカの一年生のランドセルも、女の子のように赤いランドセルを男の子に背負わせるべきだともなる。

何となく、「差別と区別」を一緒に考えている種族の意見のような気がした。

実際問題として、最近では男の子の名前か女の子の名前かが判別出来ない名前が増えて来たことも事実だ。

ましてや、ドQn(きゅん)名だってある。

それだけに、使い分けが必要になって来ることにもなる。

時と場合によって、「男女別名簿」と「男女混合名簿」を使い分けすることが望ましいのではないだろうか?

「それが差別だ」と言うのなら、更衣室やトイレの別も差別になるのではなかろうか?

着替えや身体測定なども、男女の区別無く一緒の所で行えとなってしまうだろう。

制服だって、場合によっては男子もスカートにしなさいとなろう。

もっとも、どっかの水兵さんのような場合もあるしどっかのお国の楽器隊(イギリスだったかな)の場合もあるからそう奇妙にも感じないだろうが、これが「立ちションもいけない」となったなら男の子はもう虐待を受けているような物でしかない。

深く考えると、温泉や銭湯も男女の区別はダメ、修学旅行の寝床も男女同室、運動会の全ての競技も男女混合で行うべし、であるから男女別の記録は違反だ、

柔道も男女混合で行え、大相撲も男女混合だ、スポーツの殿堂とも言うべきオリンピックも男女別は止めろ、男性にも生理休暇を与えよなどとなる、果たしてこれが平等と言えるのだろうか?

 確かに極論ではあるが、こうした考え方に傾注されないとも限らない。

 もっとも、まだまだ社会進出などからして女性の不利な点も確かに存在するが、そうであれば改善すべきところは即刻改善すれば良いだけの話しである。

 こうした本質的な点については同感であるが、男女名簿がどうのこうのと噛み付くと言うことについて分かってよく分からない意味不明な意見だと思った。

 そのうちに、戸籍欄の性別も差別だと言えかねまい。

 もっと言えば、書類などの性別欄の「○印も差別だ」と言うことにもなろう。

 これは大変だ、男性全てが「ホモか性転換」させられてしまうことになる。

と言うことで、なんでもかんでも平等となると神が創りたもうた男女の別さえも否定することになろう。

仮に「男女別名簿」そのものに、特別男女の貴賎や優劣あるいは上下があるわけではない。

要するに、男子か女子かの認識区分なのであってそこには差別は存在しない物だと私は思う。

「差別と区別の認識不足」ではないのだろうかと、改めてこうした意見を発する人たちに違和感を禁じ得なかった。

要は、「男女別」であろうが「混合」であろうがその時々によって使い分けをすると言う便利さをも考えて欲しかった。

もっとも究極の意見となると、「男性シンボルそのものを捥(も)ぎ取れー!」と言うことにも為りかねない。

「勘弁や それだけが人生の 我が光だ」のシンボルは、どうあっても譲れない。

2012年02月07日 07時51分59秒 hoopou-chuの投稿

「介護から出た、親父の涙」、

テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」

わが園の4歳児のおかぁさんは、ある病院の看護婦さんをしている。

従って、時には夜間看護のときもある。

そうなると、当然お父さんのお迎えとなる。

その時の、お父さんのお話しであった。

「本当に、女房(嫁さん)には頭が下がりますよ。

その寝たっきりの親父がね、今じゃベットから起き上がるようになりましてね、あぁ、やはり女房の判断に誤りがなかったんだと、つくづく反省もし感謝もしましたよ」と、晴ればれとした顔で報告があった。

今問題の、老人介護のことである。

制度的に、ケァマネージャーの仕組みが出来上がっているようだが、実際はその資格がどこまで信じていいのやら分からないらしい。

確かに、介護認定制度があり介護計画をたてさせて介護に従事させ、その差額分は国が負担するようになったという。

問題は、このケァマネージャーなる方々の独立性と信頼性について、このおかぁさんは疑問を持ったなそうである。

このおかぁさんのお勤めの病院でも、やはりケァクリニック的な設備もあるとのことだった。

だが、ここはそんなことよりむしろ寝たきり老人のベットに等しく、言わば家族の厄介払いのための施設のように使われていた。

この介護に携わって思ったことは、現在家庭内に於いて幾らか丈夫であるおばぁさんたちが、何とかおじいちゃんたちのお世話をしていると言う環境の人たちが多いなそうである。

そこで、嫁さんは自分の病院にも空きがないために仕方なく家に置き、そこで介護士を頼んで見てもらっていた。

ところが、確かに介護車で連れて行って一日ケァなどをしてもらっているのだが、当の肝心なおじぃちゃんが最近になって嫌がることが多くなった。

あまり上手にお話しも出来なくなった関係で、中々聞き取れない言葉ではあったが、なんとかしてその理由を知りたかった。

あとで分かったことだが、この制度は確かにこれからの高齢者社会にはなくてはならない制度ではあるが、どこかが業者的で金儲け主義のところもあるように感じられた。

お話し相手になってやろうとする者が、ボケ人を相手にするように子供用語で受け答えをし、その上サッサと衣服を脱ぎ剥がされ裸にされてその瞬間、グィッと持上げられて風呂場へと担ぎ込まれる。

終わればベットに寝かされ、食べたくもない菓子や果物を与えられ、帰宅時間の来るまでその状態で待たねばならないことが分かった。

これを知った嫁さんが、ある決断をしたのだった。

介護会社は、表向きは丁寧でしかも行き届いたケァのように見えるが、現実は数多いこうした患者のタライ回し的な介護のようであった。

これは、お年寄りのための制度ではなく業者である会社や、ケァマネージャー達のための介護制度であると思ったのであった。

確かに自分のお勤めしている病院でさえも、看護婦不足からキメの細かい部分までは手が届かないことがしばしばあったこともある。

だが、別途に介護者をつけてサービス出来る仕組みもあった。

このままでは、良くないと彼女は長期のお休みをとることにした。

旦那の親でもあり、嫁である自分の親でもあるのだと覚悟を決めた。

その後自宅でケァを続け、デーサービスの時には一緒に車に乗って介護会社のホームに赴き、その手抜きのないように看視もしたのである。

家の中では、無理のないリハビリを行い続けた。

少しでも、ベットから離れることが出来るように励まし続けた。

とにかく、寝たきり老人を作らないで起きる老人にしたかった。

自分で立つことの出来る、喜びを与えたかった。

幾ら不自由な身とは言え、誰だって家族に扱ってもらいたい。

抱きかかえられたにせよ、裸にされ洗ってもらうにせよ、いわんや(しも)の世話ともなれば誰かれにいじくられたくもないのが当たり前である。

この場合の介護とは、「リハビリ」と「余計な神経を使わせない」ことが重要であることを彼女は知っていたのである。

そして、遂にベットから立ち上がったのだった。

その時に、「親父の涙を、忘れられない」と、この旦那は努力家の女房に心から感謝し、改めて出来た女房だと痛感させられたと報告してくれた。

出来るものならば、私もそうありたいと思った。

子供達はみんな巣立って行き、めいめい好きな職業についている。

周りには、誰もいない。

住むのに何の不自由もない家があるのに、何故子供たちが出て行かんにゃならんのか老い先が思い知らされる。

もっとも、一番末の子が「そのとっきぁ、帰るよ」とは言ってくれるがこれもお嫁さん次第であろうと思う。

近々帰って来るそうなので、確認をしておこうかと思う。

もっとも、先の長いことではあるが約束だけはとっておきたい。

「オヤジ、ボケの話しさ、まだそれないだろうさ?」と、言われそうだが?

やはり止めにするか、まだ20年以上も先のことだからせいぜい女房の延命の方に力を注ぐことしょう。

いずれにせよ、このお嫁さんはご立派な方であると思った。

「老夫婦 介護のための 人となり」で、どちらかに負担のかかる時期が来ることに晩酌も冷めてしまった。

2012年02月04日 07時41分30秒 hoopou-chuの投稿

 「夢が届かなかった、天国への郵便物?」、

テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」

ある13歳になる少女が、天国へ行った母親に手紙を出したと言う。

宛先は、当然「天国、パラダイス通り」とかで宛名は母親の名前だった。

しかも、切手を貼らずに投函したらしい。

差出人の、住所氏名も書き込んであった。

郵便局によると、実際に「天国」と言う地名はあったが「パラダイス通り」と言う場所がなかった。

そこで差出人に舞い戻し、しかも切手代1ユーロ35セント(213円)の郵便料金未納の罰金通知付きであったと言う。

これは、フランスでのことである。

常識的に判断した場合は、13歳ともなればこうした行為は届く筈は無いと思うのが当たり前のような気がしないでもない。

「ウブ」だったのか、「ジョーク」だったのかは知る由も無い。

いつだったか、日本でも少女の頃ペットボトルに手紙を入れ海に流し、それをカレイさんが飲み込んだらしく成人に達してから、市場で発見され無事本人に届いたと言う珍しいニュースがあった。

この少女は、母親の二周忌に合わせて投函したようである。

さて、この郵便局でとった態度にいろんな意見が交差したようである。

「ジョークもない、冷たい処置である」とか、「夢の無い話し」だとかいや「今後に置いて、真似されないための処置では」とかと、多数の意見が上がったようである。

確かに、多少の気のきいた粋な計らいも欲しかった面もある気がする。

この投函すると言う判断力であるが、わざとした物なのかあるいは本当に純粋無垢な気持ちでの行為だったのか知る由も無いが、日本だったならどうなるのだろうか?

多分、「宛先不明」と言うことでやはり戻ってくることであろうと思われる。

問題は、「広報」と言う手段の問題にある種の「オチ(落語のような)や計らい」があっても良かったのではとも思える。

と言っても、天国までの切手はどのくらい掛かるんだろうか?

配達人が天国まで行って配達し、それから二度と再びこの世に帰って来られないなどとなるとこれもまた困ったことになる。

あるいは、余りにも寂しかったので気を使ってくれる優しい郵便局員からの返信が欲しかったのだろうか?

それでは、中身を開けて見ることになり他人の投函を見てしまうことになる。

これは、「通信の秘密」で禁止されている。

となると、どうしたなら彼女の希望をかなえられるのだろうか?

もしジョーク好きのアメリカだったなら、返事を書いたかも知れない

日本ではどうか、あるいは「墓前」に届けたかも知れない。

イタリァなら、あるいは「教会」に届けたかも知れない。

北朝鮮だったなら、勿体ないと言って「お尻のチリ紙」にしたかも知れない。

ロシァなら、「くだらん」と言って「燃やした」かも知れない。

中国なら、あるいは濡らして団子にして「ギョウザ」に混ぜたかも知れない。

フランスだから、返還して寄こしたのであろう

いずれにせよ、あまり現実的な行為ではないことは確かである。

ファンタスティックかメルヘンの世界ならいざ知らず、13歳にしては切手も貼らず投函とは少し幼稚過ぎるように思えた。

郵便局は、当然配達する業務であるから行き先不明となれば投函者に戻すことや、切手分も戴くのは当たり前のことではある。

仮に本当の意味での投函にせよ、今後の模倣犯を出さないためにも毅然とした態度で臨まねばなるまい。

配達もしていない物を、「はい、お届けしました」とは言えないのである。

ましてや、中身を見ることも出来ないのだ。

手紙ではなく、あるいは「ハガキ」だったなら誰かが粋に計らって「返信」してくれたかも知れない。

確かに、「遊び心」と言うものもあっても然るべきかとも思う。

「型に嵌った対応」だと、見る人もおろう。

「ポーカーフェスでユーモァやジョークがない」と、顔をしかめる人も居ることであろう。

いずれにせよ、この少女は「死を理解出来ない」のかあるいは「自己満足」のためなのか、はたまた「試した」かったのか本当に「信じていた」のか、いや深い悲しみを癒してもらうために「返信」を望んだのか、それとも「諦めの手段」だったのかどうもこの辺がよく分からない。

どちらにせよ、少々の人の痛みを感じてやるとするならばやはり「罰金(213円)」だけでも、免除してやればよかったかもとも思われる。

それとも、任務の遂行であるから「これで良し」と言うこともある。

皆さんは、どう思いであろうか?

「無視されて 天国への手紙 舞い戻る

         願い届かぬ 世間の冷たさ」

但し、純粋無垢な気持ちでの行為であった場合の読み短歌(うた)である。
2012年01月31日 08時03分00秒 hoopou-chuの投稿

「ギネスブックは、どうして出来たか? これが、俺の宝物だ~っ!」、

テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」

何でも世界一となると、必ずと言って良いほどにこの「ギネスブック(世界記録を集めている本)に掲載される。

早い話しは、「名誉ある世界一を掲載した本」と言うことにもなるようだ。

まぁ、これまでどの位の数の掲載物があるのかは知らないが恐らくは半端な数ではあるまい。

ところで、この本を制作した会社をご存知の方はどれだけ居るのだろうか?

なんとなんと、イギリスのビール会社であるギネス社が発行元なそうである。

「どうして、ビール会社なんだ?」と、つい問い質したくなるような変な関係に思えてしまう。

この会社の専務さんが、猟をしていた時に上空を飛ぶ鳥を見て「一番早く飛ぶ鳥は何だろうか」と思った。

その時に、あることが閃いた。

「世界記録を集めた本を創れば、酒飲みの話が盛り上がって ビールの売上が伸びるな」と、思ったなそうである。

言え代えれば、ビールの販売量を増やすためのアイデァだったと言うことになる。

人は、真剣に考えているときには至って良い案がそうたやすく浮かび上がる物ではない。

むしろ、何かの行動をしていたりいじくっていたりあるいはヒョイッと急に何かを思い出した時などに意外と、「え~と、なんだっけ?」となって予想もしないことを考え付く場合も多いものだ。

凝り性からだったり、趣味あるいは全然関係のない偶然からとかの場合もあるものだ。

何かに精通していての発見や発明ならば、「それもありか」ともなるが偶然からとなるとこれは正に良き運命の悪戯(いたずら)でもある。

将来を希望と夢に結び付ける「偶然」が為し得たともなれば、もはやこれは奇跡を越えた「神のみぞ知る恵み」と言うことなのであろう。

人生つつましく真面目に生きていても、そう簡単には夢が実現出きるチャンスが滅多に来ないものである。

反対に放埓な生き方をしていても、偶然が織り成してトンでもない大チャンスを手にする者だってあり得る。

もっとも、世に言う成功者は努力によって成し遂げている場合が多い。

「今に見ておれ、億万長者になってやらぁー!」と、毎日夢だけを追って酒を食らっていては成功の神は来ないであろう。

考え方によっては、何となく普段から何がしかの記憶の裏側があってそれが元になって、「あっ、これだーっ!」と言う物に突き当たることもあり得る。

それにしてもギネス社の場合も、何となくビールとは掛け離れたところからいきなり「一番早い鳥は?」からの思考の結果からであった。

それが何時しか、「世の中での一番の物の収集本」と言う点に行きついた。

話しのネタの本を製本し、これを話題化させ一杯飲みながらの議論と言う話題を世に提供した。

これが、「ビールの量産販売に貢献」したことになった。

蓮舫さんの、「一番じゃなければ、ダメなんですか?」と言う行政刷新の時の言葉よりも早く、ギネス社は先取りしていた訳である。

この「ギネスブック」に登録掲載されると、当然ながら最高物としての地位と名誉の格式が与えられる。

もっとも、時には「ゲテ物の一番」なんて言うものも認定される場合もあるようだ。

どうだろうか、みなさんも奇想天外なことばかりを考えずにあるいはこれも「ギネス物では?」と言う物を掘り当てて見てはいかがだろうか?

「そんな暇がない」などと理屈を言わずに、「思い付きや発想の転換」と言うもう一つの思考を回転させて見るのも、楽しい人生かも知れない。

特に斬新な物と言うことに拘(こだ)わらず、普遍的に存在する物からとか偶然からだって発見できるものだと思う。

一生に一度ぐらいは、「これがよ、俺のギネス物でさ、一生の宝物だぜ」と、自慢出来るものがあってもいいのでは?

とも思うが、それを考え探し続けているうちに会社から首になったり倒産してしまっては

元も子も無いが。

「バカな考え、休むに似たり」で、「黙って、一つのことをやっておれ」とあるいはお叱りを受ける場合もあろう。

でも、「俺は、夢を捨てない」と言うお方は偉い。

「瓢箪から駒」と言うことも、あるいはあるかも知れない。

必ずや成就されるものと、期待し応援したいものである。

とは言え、「夢を追い 白髪になりて 金も無し」で、年金も貰えない人生だけは避けたいものである。

2012年01月28日 08時14分11秒 hoopou-chuの投稿

 「酔っ払い恩師の、大往生」(一)、

テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」

         (一)、

なんと言うか、小説のテーマになるような恩師がいた。

その先生の、訃報の一報が入ってきた。

わが、中学時代の国語の先生だったがどう言うわけか良く「文語」などを教えていたようだった。

特に、万葉集などがお好きだったようで昔の短歌を暗記させられものである。

そのお陰だったのであろう、今にして文章を綴るとか瀬がない短歌や川柳などをいつしか億劫にならずに身に付いたようだ。

但し、下手や上手は別にしてお話しである。

この先生は、大変な大酒飲みでもありよく家庭訪問をなさる先生でもあった。

それには、大きな訳があったのだ。

卒業して大分経ってから、後で親父に教えられたことがあった。

この先生は、よく生徒の家に行ってはその生徒のお父さんに対しては、決して「お父さん」とは言わなかった人である。

必ず呼び合う時は、どう言うわけか「いとこ(親戚)」と呼ぶのである。

実際には、親類でもなんでもないのだが当時の町中を「いとこ」と言う触れ込みで行脚していた。

「あの大友先生はの、町中をイトコにしての、それで酒を飲んで歩いておるんじゃよ

まぁ、先生と言ってもの、戦後の軍隊上がりの先生が多い割にゃ、一応大学を出ての本物の教師じゃったの。

大抵の先生はの、戦争に取られ大変な数のホンマ者の教師が亡くなったわけじゃ。

そんなわけでの、戦後の教師を募集したらの、仕事にあふれた軍隊さんたちがの、食うために先生になったのさ」。

と言うようなことで、本当の意味する教師は居なかったのが事実のようである。

そんな兵隊上がりの教師の中だけに、一際目立った大学出の教師と言うことで大事にされたらしいのである。

一度雇ってしまった軍隊上がりの者を、世の中が落ち着き新卒の大学出身の教師も増えたからと言って、即刻首にする訳にも行かず定年まで雇う外はなかったらしい。

どう言うわけか私の場合、この先生がわが中学時代に3年間も同じ担任として指導を受けた。

クラスが変わっても、偶然にもこの大友先生が担任だった。

ある日、この担任の大友先生が我家を訪問した。

それは確か、田植えが終わった時期であったから多分5月の連休前だったように記憶している。

ちょうど中学の3年制の頃だったが、相変わらず我家で馳走になり前後不覚な状態で帰り出した。

その時は、先生は自転車であったようだった。

普通は車道などを通って行くはずなのだが、どう言うわけかその日は堤防の上を通って帰ったようだった。

車道と言っても、当時は多少の自動車もあったが大抵はまだ馬車で砂利道だった。

堤防の上は、家畜の草を刈り取ったリヤカーなどの比較的小造りの運搬車が通っていた。

「おい、ホッポーよ、先生が土手に出たぞ。

あんな調子じゃ、川に落ちてしまうぞ。

はよう行って、下の道に降ろさせるんじゃ」と、親父殿が私を急かした。

仕方が無いので、馬に跨り先生の後を追った。

案の定、自転車が引っくり返り堤防の法面(のりめん)に逆様になって(うめ)いていた。

幸いなことに、川とは反対の田んぼ側の方だったので川に転げ落ちることはなかった。

抱きかかえて起こしてみたが、さてどうしょうかと思案してしまった。

もう1キロ半も来てからのことだったので、家へ戻ってリヤカーを持って来るよりは、あと半分歩けば先生の家に着くと思いともかく自転車を杖に歩かせてみた。

ところが、体がグラリグラリとして少しも落ち着かない。

風に戯れる、柳の枝のようである。

そこで仕方が無いから、馬にムリムリ乗せることにした。

勿論、鞍(くら)などはなく裸馬である。

ところが、三歩も歩かないうちに馬から叩き落ちてしまった。

それなのに、痛いとも言わなかった。

そうか、痛さも感じないほどならやはり乗せて帰るしかないかと、もう一度馬に乗せることにした。

それにしても、独りでは乗せるのには大変であった。

最初は、疲れない前だったからなんとか載せられたが二度目となると簡単ではなかった。

得てして、そう言うときにはある程度の幸運もあるものである。

向う先に、人が自転車に乗ってこちらへと進んで来た。

よく見ると、同級生のA君だった。

事情を話し、それでは二人で乗っけようと言うことになった。

今度は、同じ乗せるでも跨がせないで腹ん這いの形にして腰を曲げさせ、馬の横腹の左右に脚と手をぶら下げさせた。

いわゆる、孤の字型に腹ん這いにしたのである。

このA君、突拍子なことを言い出した。

なんと、馬の手綱で先生の手と脚を落ちないように結わいつけようと言うのである。

       (二)へ続く、

2012年01月28日 08時11分50秒 hoopou-chuの投稿

 「酔っ払い恩師の、大往生」(二)、

テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」

(二)、

馬の腹の下を通して、その手綱で結わいてしまおうと言うことになった。

これは、グッド・アイデァだと思った。

「先生、手と脚を縛るからな、痛くねぇか?」。

「なんじゃと、馬鹿コケ、お前らの弁当はいつも梅ぼしと大根か。

そうだ、今度イワシを買ってやる。

いいか、飲みに来い」と、訳の分からないことを口走っていた。

「この調子じゃ、痛くもなんともねぇ見てぇだな」と言うことで、チョッと無様だったが歩き出した。

300メートルも歩いただろうか、後ろから「ボンボン」と言う音を出して単車が近づいてきた。

確か、「ホンダのベンリ」とかと言う単車だった。

当時のこの辺りでは、23台しかない代物である。

川向かいの、通称「流行り物好き」と言われていた「ボンボン息子」だった。

やたらと、これ見よがしに噴かして走るドラ息子である。

この音に、馬が急に驚き出した。

さぁ(たま)ったものではない、手綱のない馬がいきなり走り出したのだ。

見る見るうちに、馬が堤防を斜めに横切りそのまま田んぼの畦道(あぜみち)を駆け出した。

「こらぁー、待てーっ」と言う、言葉も出ないほどの勢いで走って行ってしまった。

もう、二人で走る馬を見届けているしか外はなかった。

「あのバカ康平めがっ!」と、A君。

「落ちねぇかな、馬から?」と、言うのがやっとだった。

仕方が無いから、ともかく家に帰ろうと言うことになった。

帰って見たら、なんと馬が我家に辿り着いていた。

飼い馬は、堤防などに放しておいても夕方には帰って来る物である。

長年の、家族との交わりで馬舎(うまや)は自分の居るところと認識しているようである。

「また先生がの、飲み足りないらしくての、戻って来たぞ」と、親父が呆れたような顔をしていた。

あれだけ走られて、良くぞ落ちなかったものである。

しかし、体はさすがに馬の右の腹辺りにズリ下がっていたなそうだ。

結わいてあったから、少々のことでは地面には落ちなかったようである。

大抵は、酒も醒めるはずなのだがグッタリなっていたそうである。

結局は、二人の責任と言うことで今度はリヤカーに自転車がらみ乗せて送り届けるハメになった。

それから先生は、手首と足首が痛いと言って45日欠勤したようだった。

少しはクスリになったかと思っていたが、一週間もしないうちに再び余所で飲みまくっていたと言う。

あれから40数年余りになって、先生が昨年の11月の末に大往生したと実家から報告があった。

ご丁寧に、農家も暇になった初冬に眠ったようにして炬燵に入って亡くなっていたと言う。

今まで、78回同級会に参られたがそう言えば今年の春ごろにもう一度同級会があるはずであった。

もう、お見受けすることが出来なくなった。

思い出多き、先生であった。

ここに、ご冥福を祈りたい。

「故里の 景色が如き 恩師かな」

2012年01月24日 19時27分09秒 hoopou-chuの投稿

「雪中の里に生きるっ! 伝達のお色気話しの行商人たち」(一)、

テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」

               (一)、


 去年の暮のある日、ある海岸の街に出かけた。

急行のローカル電車で、片道一時間二十分を要した。

わが街を後ろにして遠ざかるこの電車の車窓から、周辺を眺めて通り過ぎて行く景色を、久しぶりにゆっくりと眺めることが出来た。

雪のない普段の日なら、この曲がりくねった山間(やまあい)のこの道路を運転の範囲でしか眺めたことがない。

たった、二両編成の電車である。

その二両目の座席後部に座って、その通り越して行く銀世界を見送った。

車両の回転で吹き飛ぶ細かい雪が、霧のような雪煙を上げて四方に飛び散って行く。

進行方向右側は山であり、その反対側が傾斜になった平地となり、やがて再び山となって視界を遮る。

そんな状況の、田舎の電車である。

このノンビリした風景とは逆に、いつぞやの列車の大事故を思い出した。

雪道の曲がりくねった県道よりも、電車の方が安心かと思い久し振りにこのローカル線に乗ることにした。

だが、乗ってから急にそんな電車事故を思い出したがもうどうにもならない。

「覚悟して 電車に乗り込む 遣る瀬無さ」毎日乗らねばならない人達も多いことであろう。

あるいはと言う事故を考えながら、乗る気の重さや遣る瀬無さもあろうかとも思われる。

ふと、もしやもと思ってのことに反射神経がそうさせたのか既に後部座席に座っていた。

その電車が、三つ目の駅で止まった。

その駅から、二人のおばぁさんが乗り合わせた。

10分位したなら、その二人のおばぁさん達が私が乗っている二両目に遣って来た。

何やら、大きな袋状の物を携えていた。

やがて、話し込んで来た。

「寒ガンスナス(寒いですね)、この電車、あんたとおらぁ達の三人だけでガンスナス(のようで)?」と言う。

「そのようですな、朝早いためでしょうな、でどちらへ?」。

「うんだガンス(そうだね)な、浜へだガンス」と、一人のおばぁさん。

「ガンス」とは「そうです」と同じ意味で、「ナス」は「のようでとか、ですよ」と言う意味である。

「この電車、無論浜へ行くんでしょうが、浜のどちらへ?」。

「あーぁ、仕入れのことかねぇ、うんだ、魚コだ」。

「行商のですか?」。

「うんだうんだ(そうだそうだ)、年越し用のナス」。

「注文して、送ってもらった方が早いじゃないの?」。

「あのな、そうすっとよ、値段コのナス、折り合いが上手く行かぁねぇのよ。な、これもな、長年の腕コが物言うんじゃよ」。

「なーるほど、仕入の値段定めですかい。

スーパーより、安いんですか?」。

「先ず、()きが違うな。それにさ、いつものお得意さんがおるんでの。

このばばぁの魚じゃねぇば、正月が()ねぇと言うお客さんもいるんでな」。

すると、もう一人のおばぁさんが、

「五十年間、魚に惚れて来たんだガンス。

このわしらのな、おしっこ拭いたお手々の魚じゃねぇてっとな、盆も正月もねぇとおっしゃる人も多くての、つまりこのわしどもに惚れているのでガンスてば、ハハハハ」。

するとお隣のおばぁさん、

「昔しゃ、南部なでしこ(青森・岩手美人)と言われたんだガンスてば。

もう少し早く親父(亭主)が逝っていたならばよ、早よう嫁コさ来いと言われたもんでガンス。

おすい(おしい)ことしてしまったナス」と、自慢話しが出た。

「今からでも遅くないじゃないの?」。

「あんたも言うな。うんだ、でもさ、今まで貯めた物までしょって(背負う)来いと言われたんじゃ~、合わねぇな」。

「裸で来いと、言う人はいないの?」。

「この年でが? うんだな、すわ(皴)っこ伸ばして油こ垂らすてが?

悪くねぇども、肝心な所がばれるもんな、ハハハハ。

小便するのによ、もぞ(かゆ)ぐなって((くすぐ)ったくホロ痒い)困るじゃ。

締りっコも無くなったしね、ハハハハ」と、再び笑った。

ついぞ、私も吹き出してしまった。

「ところでばぁさんたち、いつかの山形の電車事故のようにこの電車、風に吹き飛ばされると言うようなことにゃならんでしょうな?」。

「あぁ、あれか、うんだなぁ、この線路は吹き込みやすい所はねぇがらな。

一度、確か三陸リヤス線ではあったな、脱線が。潮風にやられてな。

だども、おんかねぇ(怖い)と言うておったら、商売にゃなんねぇもんな」。

お隣りのばぁさん、

事故なんてもんはさ、畳の上でだって起こるさ

起きたら起きたでしょうがナガンスこった。

その人の、運命だガンスな」と、言い切った。

この言葉の重みに、人生の凄まじさを感じた。

やれ安全だ、それミスだ、速度緩和だなどはどうでも良いというような、そんな信念を垣間見せられたような気がした。

鉄道や乗り物が軟弱になったのか、それとも人間の思考や生活が軟弱になったのか知らないが、こうした山間部に暮らす民の精神の強さに圧倒された。

名も無く、特別に欲も無く、不満も無く、己が天から与えられた生き方を真っ当する、強靭な覚悟見えた生き様がそこにあった。

「事故などは 天の裁きさ 我に無し」と言う、信じ切った姿に見えた。

帰り道、再びこのばぁさんたちと一緒だった。

「どうでガンスすた(どうでした)、浜でいい人(女)と会えたかねぇ」。

「その会いたい人は役所でね、その市役所にある書類を提出して来たんですよ、大事な人の人権に関ることなんでね」。

「役所かね、じゃじゃ、婚姻届けかねぇ。

浜の女子(おなご)が、一人売れたんだ、よかったよかった」と、勝手に解釈していた。

        (二)へ続く、


2012年01月24日 19時25分07秒 hoopou-chuの投稿

 「雪中の里に生きるっ! 伝達のお色気話しの行商人たち」(二)、

テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」

         (二)、

帰り道、再びこのばぁさんたちと一緒だった。

「どうでガンスすた(どうでした)、浜でいい人(女)と会えたかねぇ」。

「その会いたい人は役所でね、その市役所にある書類を提出して来たんですよ、大事な人の人権に関ることなんでね」。

「役所かね、じゃじゃ、婚姻届けかねぇ。

浜の女子(おなご)が、一人売れたんだ、よかったよかった」と、勝手に解釈していた。

「ばぁさんも、嫁コに行ったら?」。

「ハハハハ、新巻(鮭の半干し)のようによ、すなくて(噛み締めにくい)硬くて相手に申す訳なガンスもナス、この俺じゃ~」と笑う。

そして隣のおばさんが、

「うんだうんだ、大体にしての、ほとりっコ(温かみ)も無くなったもナス。

冷えている体っコじゃーな、新しい旦那に申し訳なガンスもナス(無いもね)。

あと、10年若かったらナス、そりゃー、皆に負けねぇくれぇお勤め出来たがの、今では分けてやるほどの熱コも無くなったもナス」と言う。

今度は、お隣のばぁさん。

「もっともよ、(わけ)えころはさ、ドバッと親父に熱い露コをふんだん(いっぱい、沢山)に出してやったもんだ。今じゃナス、一滴も出なくなったナス。

だがよ、それがかえって(反対に)丈夫な体にさせているんだナス」。

「旦那さんが亡くなって丈夫になったと言うわけ?」。

「そりゃーあんた、やれ飯だそれ火焚けそれ床敷けとな、おまげに早ぐ横になれとな、一日中コキ使って(うる)せいもんだった」。

独りになったバさ、まったく自由なもんだじゃ」。

「ハハハハ、横になれか、いいじゃないの、休めと言うことだから?」。

「それがな、同じ休むでもの、すぐ()りかかってきてな、(せわ)すったらありゃしなかったナス」。

「うんだうんだ、おらほ(自分の)の親父もそうだったナス。

なだて(どうして)あんなに(せわ)すかったんだべ、減るもんでもねぇのにな。

よっぽどおらぁの品物(すなもの)がいがった(良かった)だべナス

相変わらずの、屈託のない朗らかなばぁさん達である。

どうやら、「手を合わせ 家族が浮かぶ 電車中」などと言う、危険なことも無い楽しい列車の旅だった。

雪の吹雪く、山間部の集落を膝まで雪に脚を埋め「居たガンス(居りますか)がー」と遠くから声を掛けて、一軒一軒回って歩く姿を思い出した。

四方山話(よもやまばなし)を引っさげて、閉ざされた集落への伝達者としての情報屋の役目をも兼ね、明るくその地域に息を吹き込ませて行く(したた)かさがそこにはあった。

(さび)れたる 雪で埋もれし その里に

       

     行商の笑い声が 息を吹き返す」。




2012年01月21日 08時15分45秒 hoopou-chuの投稿

「犬の太巻きにしてやらぁー」、

テーマ:「シリーズ、外聞、おもしろ時事談」

わが有する、いつもの山でもあり兼畑地でしかも残土捨て場に行った。

昨日は今日と打って変わり、とてもよい天気であった。

その山の入口の、例の墓石見本センターの村中大将が何やら工作をしていた。

「おーぉ、やってるな、どうしたい例の除雪機製作は止めたのかい?」。

「それなんだがな、こうも雪が降らんじゃさぁ、機械が欲しいって奴がいねぇんだよなぁ。商売上がったりさ」。

「だろうなぁ、去年と打って変わって一粒の雪もねぇもんな。

やはりあれか、坊主の薪ストーブの燃料集めでもした方がいいかもな」。

「それだってさ、もう沢山なくらい納めたからな、やる事がねぇのさ」。

「だったら、製造元の石屋で粗削りのバイトがあったろうよ」。

「それがな、去年はあまり注文が入らなかったようでさ、反対に人が余るってよ。

それにな、墓石屋はな、これから販売が眠りに入るんだよ。

真冬に、墓堀りもありゃしねぇさ」。

「じゃー、そろそろ自分のを掘るのかい?」。

 「なんだとー? 冗談じゃねぇよ、この通りピンピンだぜ」。

「のようだな、で何を作るんじゃい?」。

「バタリー(獣捕獲用箱)よ」。

「バタリッ? 寅バサミか?」。

「ハサミじゃーよ、目的違いの獣が引っ掛っちゃーさ、あとで文句を言われるからな、そこが腕よ」。

「で、何を捕獲するんだい?」。

(いたち)や狸などさ。イタチはさ、毛皮が高く売れるんだぜ

それによ、狸や猪が獲れりゃさ目ッケ(見つけ)物さぁな」。

「イノシシっ? そりゃいいだろうが仮に日本カモシカなど引っ掛ったならさ、新聞沙汰だぜ?」。

「馬鹿言いなさんな、そんな天然記念物を獲る様な箱じゃねぇさ。

あの手の大きい奴はよ、入らねぇよ」。

「子供の方が、入るんじゃねぇか?」。

「冗談じゃねぇさ、もうとっくに大きくなっているんださ」。

「そりゃーいいが、もし雌の(きじ)が引っかかったならどうするんだい?

あれは、ご法度だぜ?」。

「あーぁ、メスな。 そりゃーさ、離してやるだけさ。

もっとも、オスだったらこりゃまぁ、鍋だな、なべ・・・・・、なっ?」。

「なるほど、でさぁ、そのイノシシどうするんだい?」。

「へへへへへ、そう聞いてくれるなよ、(よだれ)が出るぜぇ

実はな、あの西木戸うらのよ、ハット(スイトン)屋あるだろ?

あそこの親父によ、頼まれたんだよな」。

「ハハーン、鍋か、イノシシの?

なーるほどー。でもよ、あそこは雉とか比内鶏とか鳥骨鶏(うこっけい)とかのさ、主に鳥類が本職だろ、それがどうしてイノシシや狸なんだ?」。

「そりゃおめぇさん、今年はよ鳥もいいがさ、真冬はなんたってイノシシださぁな。

そんなもんでよ、お客さんから頼まれたんだってさ、しかも団体さんなそうだぜ。

でな、もし好評だったならさ、これも追加メニューにするんだってさ」。

と言う事は、これからも続く仕事と言うことかいな?」。

「へへへへ、世の中ぁ、捨てる神ありゃ拾う神もあるってこう言うことよ。忙しくなるぜ、今年はよ」と、大将は手を合わせた。

「そうかい、年中メニューとなりゃな、そりゃ忙しくもなるようだな。

まぁ、精々頑張ってくれや」。

「おっ、そうだ、明日来てみな。

新鮮(いき)のいい獲物をさ、見せてやるぜ。

なんだったらよ、それをぶら下げて持って行こうぜ。

ついでにあれだな、これを餌に二人の新年会ってぇのはどうだい?」。

「そりゃーいいのう、まっ、獲れてからのお楽しみってところかな」。

そんな冗談を言いながら分かれた訳だが、何にせよよくもまぁ色々と新しい仕事を見つけるものだと感心した。

鵜呑みにはしなかったが、やはり新商売が気になったので今日出かけて見ることにした。

どんよりした灰色の空から、細かい雪がいつ止むとも無く降り注いでいる。

夕方に別組の新年会があるが、それまでは暇である。

そこで思い立ったついでに、車を走らせて山へと向った。

どうやらお墓屋の大将は、罠場所と見えて姿が見えなかった。

そこで、少し沢を下り一声呼んでみた。

「獲れたかーい どこだー」と、叫んだがその返事も無い。

仕方が無いので、更に奥に下ってみた。

合羽を着た黒い影が、黙々と樹木の影で何かを引っ張っていた。

「おい、村さんよ、返事ぐらいしろい」と言ったが、彼は見向きもせずに何かと格闘中だった。

しめたっ、やったりかっ」と、思わず大きな声になった。

やがて彼は、ゆっくりと振り向いた。

合羽の帽子から現れたその顔に、数箇所の傷が見えた。

「獲物は?」と言うと、彼は無言でバタリー箱を指ざした。

「うん?」と思って、覗いてみた。

なんと、そこにはどう見ても獲物が獲物でも犬のようだった。

「畜生目、野犬だぜ、まったくよー

「じゃじゃー、犬かーっ」。

「それがよ、一匹じゃねぇんだよ、二匹だったが一匹逃げやがった。

噛まれたんじゃてぇへんだと思ってよ、この上の穴からさ、この棒を何度も差し込んで殺したよ」と、その悪戦苦闘振りを振り返っていた。

棒の先を鋭利に削り、これを武器に何度も突き刺して仕留めたようである。

「ハハハハ、犬かー、これじゃー商売にならねぇな」。

「まったくだぜ、年初め早々によ、ついてねぇよ」。

「まっ、犬鍋は御免だな、せめて狸なら我慢するがよ。

(しし)がダメなら寿司にするか」。

「てやんでぇ、犬の太巻きにして出してやらぁーな」。

どうやら今年もこのおっさんは、獲物からも好かれる年でないようである。

と言うよりは、鍋からも見放された失敗が続く年のようであった。

「意気込んだ 年始の勝負 不運年」

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