「汚染度が高い」と言っても、「犯罪歴」や政治家のような「錬金術寄付集め」や「トイレの便器」の話しではない。

ごく当たり前に生活している時の、外部からの汚染のことである。

人は、どこかで買い物や乗り物をしないでは生活が出来ない。

そんなごく普通の世の中に、なんとも恐ろしい黴菌(ばいきん)や細菌が潜んでいると言われたならば、あなたはどうしますか?

「えっ、そんなことあるの?」と、目を白黒するのではないだろうか。

実はこれが本当にあると言うのであるから、潔癖度の高い人でなくとも何となく嫌な気分にさせられる。しかも、公共の場でのことであるという。

スーパーの、なんとその第一位は「ショッピングカート」なそうである。

これは日本でのことではない、韓国の消費者保護団体が調査してのデーターであるが、さしずめ日本でも当てはまる調査と言ってもいいなそうである。

かなりな量の細菌(バクテリァ)が、この取っ手に(たむろ)していることが分かったとか。

何気なしに、しかも何の警戒もなくすぐ手にしてしまう買い物籠の取っ手と言うから、始末が悪い。

最近では、買い物袋を持参するよう生協などが進めている。

要するに、「ゴミを出さない運動」なそうである。

これはこれで確かに、いいことではある。

ところが、この運動の影には落とし穴があったと言う、笑えないケースが発生していたのである。

それは、なんと「万引き」なそうである。

肩に掛けた袋の中に、スイスイと品物を入れられレジのないドァから「ハイ、さようなら」と遣られるなそうである。

専門の警備員兼監視員を置くなそうであるが、相手もさる者で誰が監視員でどこで見張っているかを経験済みだというのである。

特に、二人組みとなると分散されてアッと言う間に逃げられるなそうだ。

私も生協組会員であるが、よく店長がこぼしていたものである。

次に汚染されいるところは、これもまたその場合によっては使わざるを得ない

「吊り革」だったと言う。

バスや電車の、その「吊り革」である。

助け舟の、本来の役目以外に黴菌を振り撒いているようなものなそうである。

第三位が、パソコンのマウスということであるが、これにはさすがにビックリした。

でも、自分だけが使うものであればあんまり汚さを感じないが、何人かで共同使用の場合は気になって来るはずである。

そして、今度はトイレの「ノブ」なそうである。

いやはやどれを取って見ても、日常お世話になるものばかりである。

もっとも、使う頻度が多いからのことではある。

こうなったなら、「手袋」を嵌めて街を歩かねばならない。

しかし、冬はいいが夏ともなればそうも行かない。

そうなったなら、「濡らして絞ったたハンカチ」を小さなビニール袋に入れて、闊歩するしかないであろう。こっそり、拭くために。

この汚染の話しは、何も物に付着することだけではない。

付着とは性質は違うが、なんとなんと「醜悪な容姿」を持つ人間には「犯罪者」が多い」と言うからこれも驚いた。

これは、アメリカの研究者のグループが発表したものである。

何となく、「人は、見かけで見てはいけない」という言葉を逆撫でするような、研究結果である。

容姿の「美」や「醜」でもって犯罪者扱いされては、「ふざけんな」と言いたいところだが、連邦政府から資金援助をもらっての大掛かりな調査結果だったというから、あながち「出たら目」ではないのであろう。

15000人の高校生を対象に、「美形」と「ブサイク」を5つの段階に分けて、格付け調査をしたなそうである。

よくまぁ、遣るもんだと思った。

ヌケヌケと、こともあろうに他人のスタイルや顔の「美醜」程度をチィックし、それをサンプル化して過去の犯罪歴を分析するなどとはとてもじゃないが、日本ではプライバシーの侵害だと批判を浴びることであろう。

いずれにしてもその結果が、「美形容姿組」よりも「ブザイク型」は遥かに犯罪歴があったなそうであるから、これも(うなず)けられる話しではある。

そこで、ではこの話しは日本では信憑性があるのかとある犯罪心理学の先生にきいてみたそうである。

その先生曰く、

「あると思いますよ、今回の研究結果は納得の行くところですな。

人間は他者を見るとき、瞬間的に内面を想像してしまう習性がある。

これを対人認知と呼ぶのあるが、恐らく要因はここから発生しているものと思われる。

つまり、容姿の醜い人は外面のマイナスイメージを内面にまで引きずってしまい、そこで既に人生のハンデを負ってしまう」ということなそうである。

これにはさすがに「ギャフーン」であったと、これを発表した方が言っておられた。

みなさん、いいですか、「容姿」ですよ、姿かたちの悪い人を気をつけねばならないということですよ。

通りすがりに、「ブスッ」とやられるかも?

何たって、相手は「ブス」ですからね、近寄らない方が無難ということになりますな。

それにしても、失礼な調査ですな、容姿スタイルや顔面調査で「要犯罪者リスト」に載せられては、親やご先祖様を恨んでも恨み切れませんな。

何でも振り分けるというか、極端なデーターを弾き出す趣向とは何となく殺伐感を感じるが、皆さんはどう思いでしょうかな?

外出中での黴菌や細菌とは違い、これはちょっとやそっとでは塞ぎ切れない問題なような気がした。

問題提起もよいが、親から貰った「五体」への批判や調査は止めにしてもらいたいものである。

仮にその結果が判明しょうが、それはそれを必要とする人達のみが非公開で利用してもらいたい。

これが事実としたならば、とてもじゃないが街中を安心して歩けない世の中になるのではなかろうか。

ふと、そんな風に感じたレポートだった。

「気をつけよ あのスタイルは 犯罪者」などと、その風評こそが「犯罪者」にならないよう願いたいものである。

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7 「なに? 親を捨てたい・・・・?」。

 踊り場の、木製のスノコの上にやや目をうつろにして見ていた女が、どっかりと座り込んで物憂げに報告する。

 額に垂れ下がる、長い茶髪をまくし上げながら時々私の顔を見上げてはうつむく。

 何が入っているのか、大きな手下げカバンを折った膝の上に抱え、貧乏ゆすりをしながら次の私の言葉を待つ二十四歳になる女。

「奥でもう一度、話して見ないか?」と、事務室に引き入れて聞いてから、もう一ヶ月以上になる。

これは数年前の夏のある日曜日、二回目の海水浴に園児達を連れて行った。 

この前は、東北の太平洋側の浜だった。

この日は、大分天気が曇っていて余り行く気にならなかったが、子供達がせがむのでまぁ行って見るかと、重い腰を上げてのことだった。

案の定晴れそうにも無く、海水浴を諦めて皆で遊覧船に乗ることにした。

その方が、子供達は喜んでくれた。

前面には、うねる波が大山小山を造りその波とうの向こうにこれも大少の島が点在していた。

船尾には、掻き分けられた航路が出きその上や前後左右からおびただしいカモメが群がり飛んで来る。

子供達や、周囲の人達が手にするエサを求めて追って来るのだ。

中には、指を噛まれて「痛かった、痛かった」と言いながらも、夢中になっている人もいた。

その顔は、決して本当に痛いと言っている顔ではない。

自分が差し出したエサの成功に、満足した得意気な顔である。

船上は、いささか寒かった。

その年と違って、翌年の海水浴はガラリと天気が良かった。

日中三十一度五分。東北の日本海側のS浜の海水浴場はすこぶる賑っていた。

それに、太平洋側と違って海水が暖かい。

何時間入っていても、ちっとも寒くない上に浅瀬が奥深くて安心であった。

帰路、さすがの園児達も長時間の海水欲で車内に眠りこけ、二時間以上の行程にもかかわらず、「もう、着いたの?」と言う頓狂な顔だった。

大きい児は、小さい児を波からかばい、小さい子は大きい児に従って行動するその(さま)は、何も真の兄弟だけのものでは無かった。

長い保育生活の中で培われた、無言の仲間意識と目に見えない秩序と生活のリズムが、こうした愛しい心をはぐくんでくれているのであろう。

その愛しい仲間達から、遠ざかっていかねばならない児童がいた。          世の中が、過っては銀行までが倒産する時代に陥り、その影響が大少の企業にも波及してか中々に立ち直りの出来ない時期だった。

そんな飛ばっちりを受けた家庭の様で、その事情は理解出きるがちょっと

いただけない様な過程の事情のようだった。

前から相談を受けてはいたが、五回も離婚調停に出廷しない上にただ子供だけをよこせと言う夫。

子供を渡した所で、ハンコを押すとも限るまい。

だいいち、二年近くも別居生活をしていて帰って来たなら離婚にハンを押してやると言うなそうであるが、だったら何故別れなければならないのだろうか?

男の未練だけが、見え隠れしている様な気がした。

とは言い、女房ドンが子供を亭主に上げるから、「では、ハンコを押す」と言うのも甚だ身勝手な様にも思う。

いずれ、夫婦の間だけは所詮他人様には解らないと、昔しから言われている通りなのだ。

「夫婦喧嘩は、犬も食わぬ」とよく言われるが、これはそれを通り越した問題の様である。

大岡越前守のお裁きの様に、その児の両手を親同士で引っ張りあって、

「身が二つになっても欲しいか、真の親ならそうも致すまい。

その方ら、親では無いと申すか、いかにと言いたいところだが、今の世は何でもハンコと手続きである。

最初は、女房ドンが自分の母親を捨てたいと言っていた。

何でも元気なばぁさんらしく、孫の泣き声を聞きたくないと常識では考えられない発言をしていたらしい。

このばぁさん、誰から教わったのか老人介護の福祉士を最下勉強中とかで、昼は老人ホームで臨時に働いているとのことだった。

 亭主に先立たられたことと、昔しやった産婆の経験を生かしどうにかあるホームに採用されたらしい。

 だから、夜しか自分の勉強時間が取れないから、孫の面倒は見られないといつも親娘で言い争いが絶えないと彼女は言っていた。

皺だらけの顔に、ひび割れしそうな厚化粧をし人でも食ったように唇を真っ赤に染め、髪の毛は縦長に何本にも巻き編みしちょうどチンチクリンのパンチパーマの様で、太った腹からズリ落ちそうなズボンをはいていた。

何度か、孫をお迎えに来たことがあったのでその(なり)は私も解っていた。

その姿は、娘より派手だった。

世の口拙い人たちの間では、「あーあ、あのチンドン屋見たいなばぁさんな」と、少し有名人らしい。

唇だけが若返り、恋に落ちる若さでも無いと思うがその着る物も子娘染めている。

私などは、恋に落ちる前に階段か溝に落ちているかも知れないが、このばぁさん、なんのなんの実は二つ三つ若いダーリンがいるとの事だった。

そんな家庭内容を持っている関係か、この女房ドンは何もかも捨てたい子供も要らないと亭主ドンに連絡したなそうだ。

いやしくも、この子供を従えて今後どう生活したなら良いものかを問われるのなら、相談ごととして回答のしようもあろう。

だが、母親の責任を捨ててただの女に成りたいと言うのであれば、その相談はご免こうむりたい。

樽のタガが、緩くなり取れても責任は取れない。

恐らくは単なる女に戻った将来は、再び種違いの子を持って今と同じ様な失敗を繰り返すだけの事だろうと案じた。 

がしかし、「先生、おやつまだ?」と無邪気に絡まるこの児を思うと、むしろ親の要求の方が多いのでは無いかと腹ただしさを感じた。

「みんな、置いて行きゃいいじゃねぇか、邪魔な物は・・・・。

そのうちに、自分で自分をさえ邪魔になって来るかもな」と、皮肉って見た。

その日から、四,五日この児を誰も迎えに来なかった。

それでも、この児は大きい児に手を引かれ元気に海水と戯れて遊んでくれた。

いつだったかの、高校のPTAの小委員会で議論された生徒のことを思い出した。

 子供の責任は、やはり親の責任であることは言うまでもないが、(ほう)たらかしにしていたその親がある日その息子が成人に達した時に、母親の髪の毛を握り塀の外に投げ出したと言う報告だった。

「ここで会ったは、百年目」と言う訳でもあるまいが、そんな気持ちで生きて来た当人にすれば、決して許せない「生い立ち」だったのかも知れない。

「親が無くとも、子は育つ」とは言うものの、死に別れで無い限りは将来こう言うこともあると心して置く必要が有るように思えた。

恐い話しだが・・・・・。

それから一週間もしただろうか、久し振りに聞く声が電話の向こうから問い掛けた。

何あろう、捨て置きにしいるこの児の父親だった。

どう言う風の吹き回しか、この児を一度引き取ると言うことであった。

どうやら、親同士で結論を見え出してのことと思われた。

こちらとしても、そろそろ児童福祉施設に連絡相談をしなければと思っていた矢先のことだった。

まさに、グッド・タイミングである。 

そんな訳で、どうやら無事元のサヤに納まった様だと胸を撫で下ろした。

ところが、一週間もしないある夜のことだった。

「先生 女房がそっちに立ち寄っていませんか~っ」と言う、のっぴきならない悲痛な問い合わせだった。

その後、何の連絡もない旨告げると、「ハンコ、ハンコが欲しいんですよ、女房の?」と責め立てて来た。 

何と、今度は亭主の方が女房を追っかけ、「ハンコをくれーだったのだ?

どうなってるんだろうと、机に肘を立てながら顎を持ち上げ天を仰いだ。

「もう、二度と要らないよ」と、心の奥で答えていた。

手を取り合っていた時もあったろうに、今はハンコを取り合っているとは世も末だなぁこりゃと、ツクヅク虚しさを感じた。

絶対、この手を放さないと誓った{愛の手}が、今度は{絶対、ハンコを放さないと言う人生に変わってしまったのかと、虚しさだけが胸に去来した。

子を持ちて 暮らせるうちは 母なれど

         捨て子をすれば ただの女なり  

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「泥酔」と言う言葉を、皆さんはよく聞くだろうし言う場合もある。

この言葉に、意外なエピソードがあることを発見した。

どうなんだろう、「お酒好き」の人口割合はどの程度になるのだろうか?

昔から、「酒は百薬の長」と言われているがその量の程度はどのくらいかと言うことになる。

一般には、一合弱だと言われているようだ。

ところが、こんな程度では飲んだ気がしないと言う人が大方だろうと思う。

中には、すっかり酔っ払って前後不覚な人も居るものだ。

こう言う人のことを「泥酔者」と言われるが、実はこの「泥酔」の「でえ」即ち「ドロ」のことであるが、これはドロドロになった雨の後の泥濘(ぬかるみ)のことだろうと思う人が多いと思う。

ところが、これは全然泥には関係の無いところから来ていると言うのだから驚いた。

ではどこから出た言葉だろうかと気になり、色んな書籍をあさってやっとそれらしき物を発見できた。

なんと、実はこれは「空想上の虫」の名前であると言うから更に驚いた。

しかも、やはり「ドロ」と呼ぶなそうである。

この虫は、南海の方に住む虫のようで骨が無く水の中では全く生き生きしているが、水を失うと酔ったようにフニャフニャするなそうである。

その様子が、ちょうど人間が酔ったような姿になるところから「泥酔」と呼ぶようになったなそうである。

とは言われても、無理に「ドロ」と言う虫を引っ張り出して来なくとも、何も「泥」のように異体の知れない状態と言うことであれば、「土の泥」でもいいのではないだろうかと疑問を持った。

詰まるところ、「ドロと言う虫」のように酔うことである訳だ。

この、「泥酔」の上を行く人も居る。

言わずと知れた、「トラ」である。

これにも謂れがあって、酒のことを「ササ」とも言う。

この「ササ」を飲み過ぎて、辺り構わず吠え出す人が居る。

つまり、飲めば一癖出て来て言わずとも良いことを言って辺りと一悶着を引き起こすタイプの人のことである。

トラは獲物を獲るときには、体を低く構えて笹薮から出て来る。

笹薮には、虎がつき物でそれにあやかって酔っ払いを「トラ」と呼ぶようになったと言うことのようである。

要するに、笹の藪からフイに出て来ることから一種の「シャレ」と言うことになるようだ。

どっちにしろ、「ササのトラ」「ドロ酔い」も迷惑な話しではある。

やはり飲むにしても、程々にしないと喧嘩騒ぎにもなるし酷い時には足が何かに絡まってしまい橋の下へ落ちることもあろう。

そればかりではない、深酒はアルコール中毒にもなり肝硬変などをも引き起こすことにもなるのだ。

ところで、酒を飲んで子作りした場合に生まれた子供の脳に、傷害が出るかと言う飲み仲間で話題になったことがある。

よく分からないので、知り合いの産婦人科の先生に聞いてみた。

何ともまぁ、ビックリした。

そんなことは、無いなそうである。

これを聞いて、安心した人もおろう。

特に早漏気味の人は、ある程度アルコールを飲んで多少感覚を鈍らせた方が良いそうだ。

もっとも中には、飲み過ぎて「行かな過ぎて」いつまでも乗っかって嫌われる人も居るものだ。

「うんまぁ、しつこいわね、あんたと、足で蹴飛ばされる場合もあるから程々に飲んでお付き合い願いたいものである。

我が地方で、トンでもない死に方をした人があった。

なんと、極寒の夜に泥酔して電柱を背中にして一晩眠ったはいいが、朝になってこれを発見した人がビックリした。

既に息が絶え、ガチガチに凍って死んでいたなそうである。

要するに、「凍死」していたわけであった。

それから間もなく、検視が終わって今度は豪火の中に放り込まれ、あえ無く煙となって散って行った運命の人もいた。

こんな死に方をしたものであるから、家族は面目が立たない死に方であるからと言って、取り立てて知人も呼ばず密葬のような形で葬式を行ったものだった。

しかも墓も建ててもらえず、その遺骨はお寺にお布施を持って暗置されていると言うのだ。

何とも寂しいお話しである、こう言うこともあるからやはり程々が大切なのであろう。

特に、これから本番の冬が来る。

ほんのりと、暖かい赤ちょうちんの店。

何となく、お手々を擦りあわせていつもの居酒屋の暖簾を持ち上げ入り込む。

ママさんが、「お帰り」と言ってさっそく細長く畳んだ暖かい手布巾を差し出してくれる。

それで顔を拭き、更に手を拭いて目の前のカウンターに静かに置く。

何となく、至福の時が来たような感じがする。

「いつものでいいよわね?」と、ママさんがボトルを棚から下す。

何となく、今日一日の良きことも悪しきことも忘れる一瞬だ。

「飲み過ぎて 人生を()める バカな奴」とならないように、お酒も綺麗に飲みたいものである。 

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「おー、遣ったーっ」と、誰かが叫んだ。

その瞬間、通行人四、五人がいきなり集まった。

中には、商店の窓越しから覗いて見ている者もいる。

その運転手がすぐ降りて来て、その自転車の通行人を拾い上げた。

いつの間にやら、野次馬が重なり合った。

狭い路地での、交通事故だった。

その運転手が、前に停まっていた車を避けてバックし、ハンドルを右へ切り替えして道路の中央部分を越えた辺りでの衝突事故とのことである。

一台の自転車が、ノーブレーキでこの車の運転席のドァに突っ込んで来た。

突っ込んだ自転車野郎が、自分のハンドルを越えドァに弾んで吹っ飛び、地面に叩き落ちた。

ドァが、見事にへっこんでしまった。

その運転手は、車をそのままにして走って来たタクシーを止め、直ちに近くの病院に駆け出した。

十日間の、治療を要すると診断された。

当然、任意保険を掛けていたらしい。

治療を終え、現場に戻って見ると車が別な駐車場に入っていた。

後で知ったことだが、パトカーのお巡りさんがそう言う処置をしたとのことだった。

それから一時間半くらいしてから、実地検分が行われた。

その時、どうしたことか肝心要の被害者が現場に来なかった。

加害者の運転手が、のぼせ上がっていたせいもあって、その者の住所氏名を聞いていなかったようである。

仕方が無いので、お巡りが言う通りに検分に従った。

「はいではね、この席からバックミラーを見てくださいね。

どうです、ここの位置が見えますか?」。

「では、この地点はどうですか?」。

「じゃー、もう少し前に進んでこの位置をバックミラーで見てください」。

「見えますか? じゃー、ここはどうですか?」。

「なるほど、ではですね、そこの正面のお店の方にちょっと進み、右の被害者が来た方向を見てください。 よく、見えますか?」。

「なるほどねぇ、いずれにしても確認不注意が原因ですね」と、警察。

そんなこんなで、結局四点の原点に一万五千円の罰金。

このままだと、免許書き換えの時は一日中あのつまらないビデオを見せられて、棒に振らないことには免許証は貰えない。

おまけに、一ヶ月間の病院通いをされてしまった。

とある日、再びそこの現場の近くに買い物に出かけた。

ファクス用のロール用紙と、製図関係の方眼紙やら鉛筆などを買い込むためだった。

すると、そこの店員さんが、

「この間の事故、大変だったわねぇ、あれじゃ防ぎようがないわよね」と言われたと言う。

「えっ? 見てた?」。

「その瞬間まで、見えたわよ。

生まれて始めて目の前の事故、見せていただいたわ」。

「確か私は、危ないと思いストップしたんですがね、お巡りさんがね、前や後ろだけじゃなく横も見ろと言うんですよ。

当たり前ですよね、前ならず横も見るのは」。

「だってあれじゃないの、横見ようが前を見ようがあんなに突っ込んで来たんじゃ、どうしょうもないわよね。

自殺行為よ、あの男」。

「自殺行為?」と、この運転手さんが声を張り上げた。

この話しを聞いた彼は、早速一方的ミスでない事を交通課に訴え直した。

交通課の、再度の聴聞が行われた。

ところが、その被害者が保険会社から百二十万円の保証金をもらって、どこかへ引っ越して連絡が取れないと言う。

「どうして、百二十万円なの?」。

そこの警察の事務官曰く、

「自賠責の範囲でね、それ以上だとね保険会社からの保障なんですよ。

そうなりゃ、くどくなるでしょう。

大将、よく勉強したな」。

「じゃ保険会社、一銭も損はないんで?」。

「そうやね、お国のお金だからね。

でも、あんたたちが払った自賠責だがね」と、涼しく言う事務官。

「もっと、軽くならないの?」。

「証言だけじゃねぇ」と、難しい顔。

結局は、踏んだくられ損と言うことになった。

それが今年の初秋の頃、その男が「当てられ詐欺」で捕まった。

「これじゃ、取るにも取れねぇや」と、彼は再び頭を抱えてしまった。

そこで一句、

「ザル法に生かしてもらう危な気さ」。

やれやれ。

 

 

この10月の末に定年になる、町内の友人がやっと散り始めた桜の葉っぱを踏みしめながら我家の玄関を跨いだ。

その日は、土曜日の朝の9時頃であった。

彼の名を、ここでは仮に「鮒釣りさん」とでも言っておこう。

彼は、渓流釣りの名手であると言われている。

夏場になると、どこで釣って来るのかは知らないが自然ものの「鮒」を、何匹も釣って来ては我が家に差し入れてくれる。

その鮒の釣れる場所を、未だに明らかにしてはいないが知ったところで私には興味が無い。

だから、特別にお尋ねしたことも無い。

さて彼は、35年間ぐらいお勤めした電力会社の社員でしかも電工と言って、ほとんど道路の電柱に登っては配線工事をするお人である。

もっとも、今では油圧式の箱型のユニックみたいな物に乗っての作業だから、大分楽になったことであろうと思う。

その彼が、こんど新しく出来た地ビール会社のビール一箱を従えての訪問だ。

「なんだ、そろそろ捨て身される時期が来るんで、その挨拶かい?」。

「ご挨拶だなぁ、捨て身かー、なるほど、ちげぇねぇな」。

「俺んとこなんかよりもよ、町内の老人会あたりが先じゃねぇのかい?」。

「てやんでぇ、やっとこ60だぜ。

まだまだ老人仲間にゃ、入りたかぁねぇな。

それでよ、あんたがさ毎週行っている例の温泉な、そこをよ、紹介してくれよ」。

「紹介だ、そんなの金出せやぁいつでも客になれるさ」。

「まぁな、でもよ、ポツンと独りじゃーさ、つまんないだろうさ」。

「そうか、仲間が欲しいと言う訳か。

もっともなことだな、定年してしまえばさ、毎日行くところがなくなるもんな。

特に、これからの冬場は趣味の川釣りも出来ねぇもんな」。

そんなことで、そのビールを飲み交わしながら二人だけの宴会になった。

町内の行事ごとなどで、いつも飲み交わしながらそうした行事を仕切ってきた仲間でもある。

それだけに、気心はお互いに知り尽くしている言わば仲間である。

その彼が、面白いことを話し始めた。

どこからか、多分仕入れてきた話しなのであろうが、暇つぶしにやって見たいが成功するだろうかと訊ねてきた。

「一種の、広告屋と言う事かいな。

なるほど、あるいは行けるアイデァかもな」と、一瞬閃きが走ったような感じがした。

5通から10通ぐらいの封筒の裏によ、起業広告を載せてさ、その封筒には切手が張ってあってさ、利用者はただ投函するだけと言うシステムさ。

そりゃさ、切手でなくともいいさ、例えば料金別納とかという方法だってあるからな」。

「つまり、その封筒利用者にすれば、ただで手紙などを出せるというメリットがある訳だ。

料金無料と言う、封筒を媒介した広告か。

問題は、どのようにしてその封筒利用者を確保するかだな。

それに、広告主もそうだな。

今ではさ、インターネット時代だからな」と、私。

「それよ、その通りでよ、パソコンなどのメールだろうな。

条件はさ、その広告を載せる会社つまり、企業のメールや郵便物を受け取ることに同意した人のみということになるな」。

「そうなると、顧客の絞り出しとそのニーズに合った会社つまり、人を含め選択する必要があるわけだ。

その反対も、また然りだがさ。

で、あんたの儲けがどんな仕組みなんだい?」。

「その封筒の広告主の発送業務とかさ、アンケートの回収とかこれを通した売れ筋調査とかな知名度率調査、あるいは顧客要望の把握とかさ、言わばグローバルCMを通した市場調査や提言などさ、いっぱいあるさな。

その業務料としてな、月額とか枚数とかあるいは委託業務をするとかな、色んな方法があると思うんだ」。

「相手次第というわけか、確かに面白そうだな。

と言うよりもさ、もうどっかの会社がすでにやっているんじゃねぇか?

第一に,資本があんまり掛からん話しかもなぁ?」と、改めてこの「鮒釣りさん」を見直した。

 電柱に、蝉のように張り付いて仕事をしていた人が、今までの仕事とは大よそ関わりの無いことを考えていたことに、驚きを隠せなかった。

 このアイデァが、良いとかどうかと言うことよりも日頃予想だにしないこの発想に感心してしまった。

良く人は、「見かけによらない」と言う言葉を発する。

この場合も、そうした感じで彼に接することとなった。

退職後の、新たなる「起業」として本気になって挑戦するのだろうか?

「先ずはよ、この酒の上での話しッコさ」と、彼ははにかんで(照れて)いた。

「人知れず 定年後に燃ゆる 友もあり」で、自分までもが励まされた気分であった。

ところで、どの程度の年になれば「あ~ぁ、俺も年を取ったなぁ」と感じるのだろうか?

もっとも、人によって感じ方が違うとは思うがその感じ方が様々なだけに、面白い言葉となって表れるのだろう。

近くの八百屋兼酒販売店でのことであったが、ここの親父は滅多に笑わないでよく冗談を言うお人である。

近くの飲ん平たちが、仕事の帰り際にチョイっと一杯引っかくて雑談談義にふけていた。

年中置きっぱなしにしているストーブがある。

その上に、四角くいテーブルが乗っている。

真冬以外は、このストーブに火が灯ることはない。

このストーブ上のテーブルを囲み、数人がどうでもいい今日の出来事や女話しに花を咲かせている。

そんな時に、店の親父が商品棚の野菜の位置替えをしている時にオナラをした。

「おい親父、ネギに染みるじゃねぇかよ」と、水道工事屋の考ちゃん。

「そんなこたぁねぇさ、ネギの臭いにゃかなわねぇさ」と、親父がうそぶく。

「それにしてもよ、元気がねぇな。

まるでよ、ため息でもしているような屁じゃねぇかよ」と、今度は電気工事屋の章ちゃん。

「ハハハハ、ため息している屁か、こりゃいいや。

年は取りたかぁねぇな、オナラで年も解かるか」と、大工の要ちゃん。

この三人のうちで、水道工事屋の考ちゃん以外はどれも40過ぎの独身者である。

「てやんでぇ、屁に元気がねぇよりも金玉に元気のねぇのがよ、オメェさんたちだろうて」。

「おっ、飛ばっちりが来たぜ。

休ましてあるんだよ、早めに老けねぇようにな」と、考ちゃん。

「そう言えやぁよ、どんな時に年を取ったなぁと感じるだろうか、な?」。

「そうよな、女のオッパイを見ないでさ、尻を眺めた時かなぁ」。

「なんでぇよ、お尻なら色っぽさを感じるだろうて?」。

「いやな、もう拝めねぇかとふと思う時もあるぜ」。

「俺も一言、いいかぁ。

あのさ、免許証の書き換えの時に俺はそう思ったよ。

検眼の時よ、両方では何とか丸の欠片をさ、上だ横だ下だと読めたがさ、片目となったらちっとも当たらねぇんだよな。

しかもよ、なんだ、あの昭和うん年生まれと言う表示、あれを見てグッと来ちゃったよ、年なんだなぁとさ、西暦でいいのによ」と、八百屋の親父。

「だろうさ、親父73だろ? もう、そろそろお上(警察)に返上の年じゃねぇのか?」。

「バカ言ってよ」と言いながら、女房が居ないかを確めるようにして辺りを見渡して一言。

「所変れば品変わるでさ、相手によっちゃ~ぁさ、レジの金を掴んでよ、追っかけたくなることもあるぜ」。

「なんだとーっ、そんないいババァがこの界隈にいるってかっ?」。

「おいおい、そんな大きな声を出すんじゃねぇよ、奥からババァが出てくるぜ」。

「それにしてもよ、今まで知っていたさ、歌手や俳優の名前を思い出さねぇ時があるがよ、あれも年こいた証拠かもな」。

「もある、俺は若い女の娘(こ)の艶(つや)のある肌をマジマジと眺めたときかもな」。

「なんたって、性欲が衰えたときだろうて、の?」。

「あのよ、オシッコしてさ、一振りで済んだものがさ、34回も振らねぇと仕舞い込めなくなっちゃったよな、これも年かな」。

「二日酔いのさ、臭いが消えねぇしさ、朝によ、シャキっと起きられなくなったな。

それによ、畳にゴロ寝して顔に付いたさ、その皺の跡が中々消えねぇんだよな」。

「そう言えやぁーよ、毎朝ウォーミングアップしねぇとさ、何となく体が動かねぇようなったな」。

「先だってよ、床屋に行ったんだよな。

その時にさ、鏡に映った顔を見てさ、あれっ、親父が居たと思ったよ。

てめぇの面(つら)なのにさ、ガックリ来たよなぁ」。

「ハハハハ、ちげぇねぇ、よくあるぜ、俺もそう思った時もあった。

それよりもよ、生え際がさ、ドンドン後ろに行くのが辛いな」。

「でもいいさ、(こう)のようによ、赤ん坊のような毛のねぇ頭になりゃさ、もうこれ以上の悩みはねぇもんな」。

「これは年じゃねぇんだよ、若禿(わかはげ)と言うんださ。

動物学的に言うとよ、遺伝と言うことなんださ」。

「鼻毛が長くなって来てか、おまけに眉毛(まゆげ)伸びて来てさ、小便すりゃ出が悪くよ、出し終わってもまだ出るような感じがしてよ、数秒間仕舞いかねて居る時もあるよな、やはり年かもな」。

「それにしてもよ、昭和がドンドン遠のいて行くなぁ。

一方通行違反でさ、切符を切られた時によ、生年月日はだってさ、お巡りがよ」。

「大正じゃなくて、良かったな、おい?」。

「そこまで年は取っちゃいねぇがさ、いずれ若い方がいいがさ、それはよ」。

「相撲界じゃよ、年寄り名が貰えるよな。

引退すりゃよ、若くとも年寄り襲名とならぁ~な。

俺たち職人はさ、生涯現役よ。

(たくみ)なんだぜ、な、師匠だぜ」。

「落語や漫才屋みてぇにか?」。

「そうだよな、襲名すりゃもうあれだな、年取ったと言うことなんだな」。

「それにしてもよ、一番年を取ったと思うのはここの親父だな。

大体にしてよ、ダイヤルを指で回す電話を持っているのはこの店だけだぜ。

だからこの親父がよ、電話だと言うとさ、指をクルクル回すもんな」。

「あたりめぇよ、人は年を取っても電話機は年を取らねぇさ。

何がケータイだ、コードレスだ。

要は、通じりゃいいんだよ」。

「あ~ぁ、これからはさ、寒さが厳しくなってくらぁ。

それによ、木枯らしでよ、財布も心も寂しゅうなるってぇのによ、それに平行してよ、女までが遠く感じるぜ、まったくよ」。

古くて新しい老い方の問題ではあるが、どことなく漫才風でしかもチョッピリ嘆きと憐れみのある会話だった。

さて皆さん、あなたならどんな時に年を取ったと感じるでしょうか?

「その仕種 いつしか年を 証明し」、なのだろうか?

去年の5月の始め頃に、ある温泉に行ったときのお話しである。

元デカだった我が友人のチョビ髭さんに、妙な人が近寄ってあることを相談していた。

どうやら農家の方のようだったが、何かを横領されての相談のようだった。

現役時代の若い頃のお知り合いのようで、その後チョビさんが世帯を持って実家を引き払い官舎に入ったなそうである。

勿論それから数年して、現在ある家屋敷を持ったとのことだった。

この相談者は、その実家時代の同じ部落の人なそうであった。

チョビ髭さんたちと、新年の初顔合わせの日に我々のところに来てこの話が始まった。

「で、番地はあるんだね、それで図面には無い

と言うことは、法務局の記録には片一方しか載って無いと言うことか?

そんなことってあるのかなぁ」と、チョビさん。

「実際調べたんだがね、どうしても見当たらなかったんだよ」と、その旦那。

「で、法務局ではなんと言っているんだい?」。

「今となっては、調べようもねぇと言うんださ。

手落ちはよ、国だろうがさ。

誰だって、土地の謄本がありゃーさ、信じざるを得ないもんな」。

と言うことで、話しの内容はある土地ブローカーを介して山林を購入したとのことだった。

そこで、買ったからにはその境界を確認し合うつもりで購入した土地の周囲の人達を調べて見ようと思った。

当然ながら、周囲に立ち会ってもらわないことには境界が定まらない。

間違いないと言う、周囲からの同意の自筆や印鑑が必要である。

ところがである、登記簿上は確かに甲区欄に名義は本人のものとして登記をされてはいたが、別紙の登記図面上ではその土地が存在しないと言う摩訶不思議な物件になっていた。

図面に無いと言うことは、その土地の周囲の人の誰かに食い込んでいて存在しない形になっているか、あるいは大分前の調査時に見落としてしまったか、または間違って外の人の土地と一緒にしてしまったかのどちらかに違いない。

と言うことは、今忽然と消え失せたと言うことではない。

長い間、そうした欠陥山林として放置されて来た言うことなのかも知れない。

まことに以って、珍しい不思議な物件と言わざるを得ない。

「で、その仲介した人は何と言っているんだね」。

「それがさ、この取引後に行方が知れないんだよ

しかもよ、その売主さんもよ、この俺が払った代金までもがさ、一銭も貰っていねぇと言うんだよ」。

「なにーっ、じゃー、横領されたとでも言うのかい?

幾らよ、大金か?」。

「うん、まぁ大金のうちじゃろな、620万だったから」。

「なんと、そりゃ大金だ。

野朗、はなっから計算しての紹介だったんだな、きっと?

それにしても、その売主さんがさ、図面上はあると思っていたんだろうか?」。

「らしいな、なにしろご先代からの引き継ぎなそうじゃから、それに親子だからそこまでは調べなかったと言うとるワイ」。

と言うわけで、まことに以ってケッタイなお話しのようだった。

あり得ない話しの様だが、実は結構こうした幽霊土地がそっちこっちにあるなそうである。まことに、恐い話しでもある。

改正あるいは改定の際に、国から委託を受けた土地調査士などの手落ちなのかも知れない。

それはそれとして、未だに未解決でしかも当のそのブローカーもトンと行方が分からないそうだ。

それにしても、さすがに詐欺師でしかも堂々と横領するものである。

それよりも、よくぞこう言う幽霊物件を見つけ出して()めるものであると感心してしまった。

横領は、この場合は業務上と言うことには難しいなそうである。

となると、単純横領罪で5年以下の懲役である。

時効は、3年であるから逃げ回っていれば時効の可能が充分あり得るかも知れない。

これだけの金が手に入れば、たった3年はなんとでもなるだろう。

そう言えば、何年か前に徳島県那賀町の元日下町長が先物取引の失敗で町の預金を担保に、三億八千万円以上の金を金融機関から借受けてその穴埋めをしたらしいが、その後行方不明となっているが未だに未解決なようで逮捕もされていないというが、もっとも時効になってしまったらしぃ。  

これは、捕まれば10年以下の刑である(時効は7年である)。

もっと面白いのでは、1967年に大物のオーストラリァの元首相のハロルド・ホルト氏が、海に泳ぎに行ったまま行方不明になっている。

鮫に食われたか、あるいはワニに食われたものなのか場合によっては、愛人さんとどこかのお国でラブラブして生きているかも知れない。

生きていたとしても、もう100歳をとっくに越したようだ。

10年後になってから、ようやく「死亡済み」にしてもらったようである。

世の中本当に、考えられないことが起こるものである。

どうやらこの旦那さんは、まんまと引っ掛けられたようである。

金は返って来ない、その上土地が消えていたとは踏んだり蹴ったりもいいところであろう。

とは言え、さすがの元デカのチョビ髭さんとてお手上げである。

もっともこの旦那さん、告訴もしなかったというから余裕と言うか世間知らずかのどちらかも知れない

いくら農家の人とは言え、全くノンキなものである。

まぁ、もっとも余裕のあるご家庭なそうである。

その証拠に、必ず誰かが金魚のウンコのように二、三人がついて来て、お相伴に預って飲んだくれていたらしぃ。

と言うわけで、お気の毒さも消え果ててしまったお話しのようだ。     

取り立てて大した裕福な旦那さんではなかったらしいが、街の発展に合わせてどうでも良かった周囲の田畑が宅地化された。

4反歩ほどのリンゴ畑を手放して、今では左団扇(うちわ)で温泉通いなそうである。

良い身分になり、適当に狙われても「アハハハハ、やられたよ」と酒の肴にしているようでもあった。

「財産を かじられ(むし)られ 湯船中」で、その後もひっきり無しに温泉通いであるようだ。お目出度いお人のようである。

 ところで、日本の場合であるがどれだけの人が「神」や「地獄」を信じているのだろうか?

確かに、「○○の神」や「お仏様」は信じていると言う人も多かろう。

それは、「信仰の自由」であるからいいとしょう。

だが、絶対的に信じなさいと言われたならばこれは人によっては苦痛である場合もあるであろう。

絶対に、「天国と地獄」を信じなければどんな公務員にもなれないと言われたならば、国民はどうするであろうか?

アメリカのテネシー州法 9章第2項(神の存在を否定するもの)。

「死後の世界に天国と地獄が存在することを否定するものは、テネシー州においては公職につくことができない」。

なんと、神様と鬼や閻魔(えんま)(さま)を信じなさいとある。

良かったですねぇ皆さん、日本に生まれて。

日本国憲法第19条(思想及び良心の自由)、

「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」。

これと比べると、雲泥の差がある。

そう言えば、アメリカ大統領が就任する時には必ずと言っていいほどに「神を信じ」とか「神の名において」などと言うセリフを吐く。

まぁ、キリスト様を信じるお国であるから止むを得ないのであろう。

もっと面白いことに、日曜日に働くことは違法である言う法律もあった。

やはりアメリカで、サウスカロライナ州法である。

(日曜日及び、祝日と他の特別な日第一章)。

「日曜日に働くことは不法である。

普通日曜日と呼ばれる週の初日に、必要な仕事とチャリティを除いて一般的な仕事をしてはならない」。

う~ん、確かにいいことである。

日本人は、とかくセコセコと働き攻めである。

私生活や家庭よりも、会社が優先するようである。

とは言え、「子供が日曜日に遊ぶためには、免許証が必要である(テネシー州法)や、「車の販売、及びレンタルは日曜日に行ってはいけない(ウィスコンシン州)」となると、幾らなんでも過酷法と言いたくなる。

まぁ、安息日と言うことであろうからそれもいいだろうが、随分とクドイ規律であると思った。

もっとも、どこかのお国のように断食するところもあるから、これは腹が減らなくてまだいい方であるかも知れない。

ところで、これとは全く以って違う話しであるが最近珍しいことに出会った。

と言うのは、「少年新聞配達」のことである。

見慣れない、まだ中学くらいの少年が我家の玄関で「お早う御座います」と元気な声を出した。

多分、マラソンか何かの練習かと思い気やなんと新聞の配達だと言う。

これは、「労働法違反」に該当することである。

聞いて見たなら、単車で配達するお兄ちゃんが風邪を引き寝込んでしまったのでその代わりだと言う。

まぁ、配達を休むわけには行かなかったのであろう。

確かに、新聞は未だかと待っている人もいることであろうから。

しかし、15歳未満の者は夜の10時以降から朝5時までは労働禁止である。

その時の季節、2月の半ばで朝5時と言っても真っ暗である。

たまたま、雪が降ったために少し早めに外灯を点けて玄関前の路上に出た。

この我家の前の通りは、小中学生の通学路にもなっている。

街灯を点け一払いしょうかと思って、スコップを片手にして出会ったと言うわけである。

感心もしたが、反対に新聞販売店に疑問を感じた。

労働基準法第56条(最低年齢)、

「使用者は、児童が満15歳に達した日以後の最初の三月三十一日が終了するまで、これを使用してはならない」とある。

意外と、遵守されていないことに驚いた。

ついでだが、18歳未満の児童を解雇した場合は、故郷までの帰りの旅費を出すべし」ともある。

また、「業務上に於いて亡くなった場合は、給料六十日分を葬儀代として給付すべし」ともある。

意外と親切丁寧に、保護されているわけである。

覚えていて、損はあるまい。

お国が違えば、やはりその法律も(おの)ずと違ってくるものであるが、それにしても中には「金魚を金魚鉢で飼ってはならない(イタリャのモンツァと言う町)」などと言う条例もあって、つい笑い出したくなる法律もあるものである。

その理由は、金魚が彎曲に見えて実際とは違った見え方をするからだと言う。

と言うことは、誰かが金魚になって水槽に入って見てのことなのであろうか?

これは多分にして、「動物愛護精神」から生まれた発想かも知れないが、果たして金魚はどう思っていることであろうか、聞けるものであれば一度聞いてみたいものである。

そのうち、「モルモットを飼育し、医療用として実験に使ってはならない」などと言う法律がどこかの国で制定しかねないかも知れない。

最後には、「全ての動物を狩猟し、またはその他の方法で以って堵殺してはならない」となると、もう人間は何も食することが出来なくなる。

もっと極端になると、「根のある植物を採集してはならない」となると、「死ねと言われた様な物である。

あ~あ、ここまで動植物愛護が進展しては生存すること事態が違法と言う事になってしまう。

「どうして、そうなるの?」と、元気な頃の欽ちゃんのように質問したくなってきた。

バカバカしいが、現実に変な条例や法律があることも事実である。

「神様に 従う法律 不自由なり」で、やはり西洋の神様よりは日本の神様の方がいいと思った。

記、ご注文の件について、ご連絡を申し上げます。

当注文につきましては、弊社にて商品情報の扱いに手違いがあったため以下の通り、

誤った販売価格でのご注文承りとなりました。

この度は大変なご迷惑をおかけすることになり、深くお詫び申し上げます」。

と言う通知やメールが来たならば、皆さんはどう致しますか?

これは、実際のお話しである。

どことは言わないが、メールで買い物が出来るメデァであることには違いない。

しかも、その契約した代金の差額は500円前後だった。

その代金は前払いであり、既に注文の荷物が到着してからのこの文書である。

みなさんなら、素直にこれに従いますか?

注文を受け、伝票を整理し支払を要求しその代金の確認をし、その上で発送し買主に到着後に実は値段が違いその差額を払ってくれと言うことのようであるが、これは考えようによっては「振り込め詐欺」のように思われても仕方が無いのではないだろうか?

いや、あるいは新たな手の込んだ余分な額の取り込み詐欺なのではと、疑いたくなるようなミスに格好つけた商法のような気がした。

しかも、現金で振り込むかあるいはポイントから差し引くと言う物である。

これが、今始まったことなのかあるいは前々から行われていた物で、その成功率からの詐欺まがいの商売だったのかどうかは分からない。

善意に解釈するならば、あるいは価格の改定をするのを忘れて旧価格にて販売してしまった。

そこで、このような手段を選ばずにおられなかったと言うことなのだろうか?

確かに「限定品」などであれば、止むを得ず不愉快であっても送金若しくは何らかの同意をせざるを得ないこともあろう。

時には、カード会社と提携しているユーザーだっていることだろう。

そこから、勝手に引き落とされていたなどと言うこともあり得る訳だ。

また、気の弱い人ならばなおさらのことであろうし、「シメシメ、上手く行った」と言う裏で微笑む図太さがチラホラ見えるような気がして仕方が無い。

一件二件ならず、相当な数の請求ともなればただ事ではない金額が転げ込んで来ることにもなろう。

やり方によっては、最初から安い値段を設定して置いて注文が確定してから実は価格が間違っておりましたと言う、どうも「差額詐欺商法」のような気がしてシックリしない。

こんなことが罷り通るとなると、安心して「ネット買い」が出来ない気がした。

そんなことよりも、たかが「500円前後」のお金でこうしたことをバラ撒いて、それこそ会社の信用に関らないとでも言うのだろうか?

間違ったや手違いは、売主側の責任であるのに追加料金とはどうも解せない。

ここまでにしても、ネット通販の信頼度を妨げてよい物なのだろうか?

聞く由によると、そのお知らせタイトルに本名が書かれてあったと聞くが、こうしたことでヒョッとして個人情報が漏らされているのではと、ビックリすることだってあるだろう。

いずれにせよ請求が来れば、大半はやはり振り込むかあるいは引落しにあうのも仕方ないと思う人が多かろうと思う。

だが、その価格そのものが本当に誤った値段だったのかはユーザー側としては調べようも無かろう。

仮に事実であったとしても、上場している会社のやることではあるまい。

勘ぐれば、

「いいか、手数料含めて500円前後で押さえておくんだぞ。

それ以上となるとさ、世間が騒ぐからな。

まぁ、少額ならそう言うこともあるか」などと勝手に解釈してしまうこともあるかも、そんな裏があるような気がしてならない。

「チリも積もれば山となる」で、あるいは捨て置けない商法かも知れない。

少額だけに訴えどころの無い範囲の詐欺行為、せいぜい消費者センター程度への相談ぐらいなもので、注意を受けて「はい、それまーでーよー」と言うことになってしまいそうである。

こんなことが、罷り通っていたんでは「ネット通販は恐い」となり、他の業者などにも影響が必至であろう。

請求しないで自社のミスとして、未だ学生気分が抜け切れない若い社員が多いのでと覚悟して、お知らせ程度にして不問に帰すかべきが商法の基本のような気がした。

買う方は、安いから買うのでありミスを支払うために買う訳ではあるまい。

「釣銭の 詐欺より恐い 差額盗り」

・・


世の中で、「父権と言う権利の放棄」とか、「親父にならない権利」とかと言うものはないだろうか。

アメリカのある男性が、知らない間に出来た子供の父親としての権利の放棄を訴えたと言うお話しがあった。

この男性は、ガールフレンドから妊娠したという報告を受けてさすがに頭を悩ましたそうである。

元々、女性との間で避妊具やクスリでもって妊娠しないように約束されていた。

ところが、「出来てしまった」と通告を受けたが約束違反であるとこれを突っぱねて養育費を断った。

ところが、女性の方で裁判を起こした。

当然ながら、女性の方で勝訴したのは言うまでもない。

そこで今度は、反対に男性の方でも「女性に産まさせない権利がある」と反訴したなそうである。

どう考えても、勝ち目のない訴訟ではあったが勝つとか負けるとかのことよりも「問題提起」のための訴えだったとか。

これを知った「男のためのナショナル・センター」なる団体が、この男性の代理となって争った。

この団体は、男性が望まない出産については養育費やその責任を拒否できると言って活動している団体であるらしい。

この団体は、「男性にも、女性と同じく子供を持つかどうかを決める権利があるべきだ」と主張しているなそうである。

「本来は、女に騙されて父親にされた」と言って憚らないが、果たしてこうした理屈が通るかどうかの懸念はあったらしい。

大体の国の法律は、「女性には中絶の権利もあり、反対に子供を産むかどうかも女性にゆだねられている」のが現状である。

「何で出来たか?」と言われれば、「おんなの言う言葉を信じていたから」としか言いようのない結末であつた。

男性が、全然子供を持つということは頭になかったにせよ、出来てからでは「父権や夫権を拒否出来ない」のが裁判例である。

早い話しは、子供が出来たからには二人の責任であるということなのである。

生まれた子供には、なんの責任がないのである。

結論としては、この男性は毎月5000ドルを支払いと裁判所から命令が来てしまった。

やはりどう考えても、「種付け料」は家畜と違って自分が取るのではなく相手の女性に取られてしまうのが人間界の常識のようである。

家畜なら反対に「種付け料」をもらえるのだが、ここが外の動物と違う人間様社会なのである。

仮に、子供が欲しくないとか妊娠させたくないとか、あるいは「種付け料」ともなる「慰謝料」などを払いたくないとなれば、セックスを諦めるか完全防備の避妊策を講じなければならないということになる。

もっとも、中には冷凍した精子を利用して勝手に出産した場合などもあるらしい。

しかし、男性が同意しなければ認知も慰謝料も生じないという。

要するに、保存精子で受精卵をつかって妊娠または出産しても、裁判所は男性の言い分を認める判断を下すわけである。

この場合は、「父親にならない権利」が発生する訳である。

しかし考え方としては、子供が欲しがる女性に仮に騙されて妊娠させたとしても、この事実からは逃れられないという恐ろしい現実に身震いを感じた。

出来た以上は、「おらぁ、知らねぇ~ぜ」と逃げられないとは本当に「男はつらいよ」だと思った。

まさか、女性の方から暴行されたということは通じないことであろうから、覚悟せねばならない羽目になるわけである。

ある、面白い話しがあった。

それは、いつも行く温泉での話しだった。

今は、60近いご年配の方であったが、

「俺が中学の頃にな、30前後の独り身の女によ、川沿いの土手によ、いきなり引っ張り込まれてさ、馬乗りされたもんだよな。

あのときぁよ、何のことだか分らんかったがよ、チクリと膀胱の上の方がよ、痛く感じたな。

あの時なんだな、童貞を失しなったのは」と、言い出した。

「じゃ、暴行に会ったんだ。 で、幾ら取った?」と、仲間の一人。

「金のことか、そんなの取れるわけぁねぇだろ?」。

「どうしてさ、一番若ぇときの生きのいい奴だったろうに?」。

「それがよ、毎日が楽しい学校帰りになったのさ。

だからおめぇ、取るよりも子供を取り越して大人にしてもらったもんな。

取られたのは、待ちどうしい気持ちコを取られてたのよ、へへへへへ」。

大変、価値のあるお話しであった。

今は、中々自然界の草むらでこうした光景は見られなくなった。

外部からのニュースは、ラジオしかなかった時代のお話しだった。

それだけにこうした卑猥な話しや行為が、「夜這い」と言う形で部落を活性化させていた時代だったのだろう。

そんな時に、生まれた子供も多かったと聞いたことがあった。

それでも、誰も批判したり影口を叩いたりする者が居なかったという。

まさに、おおらかな時代だったのであろうか。

もっとも「食いない家庭」が、暮らしの良い家庭の親父に女房を「一晩貸しの身売り」をしたという現実もあったらしい。

そこには、生活の苦しさが滲み出てくる悲哀なこともあったであろう。

それが今では、離別や縁切れはすべて金で評価される時代になってしまった。

この時代には、「父親でなくとも親である」という暗黙の承知の世界があったのであろう。

現代は、「絶対に、妊娠はあり得ない」と確信しても女の裁量でどうにもなるという現実が存在する以上は、男性諸君はそれを認知しておいた方がいいような気がする。

「その容姿 過去のあやまち 蘇えり」と、後で隠し子だと言われないようにしましょうね・・・・・・、男性諸君!!

「今さら、冗談じゃねぇよ、そんな約束しなかったぜ」では、遅いのである。