昨日は8か月ぶりに スタティック&モノフィンで泳ぎました。

初めて「ビックブルー」にお邪魔して、ダイナミックトレーニング。
車で向かいましたが、大渋滞。
2時間以上かかり疲れと眠気で、やる気あるのかってくらいゆるゆる状態でトレーニングに参加。

これが功を奏して、
気負いもなく、不安もなく、緊張もなく、焦りもなく
完全に脱力して、水と仲良く溶け合うように、気持ちよく
トレーニングできました。

そうそう取り戻したかった感覚
何年振りだろうかこの感覚は
始めたころの感覚

記録とかどーでも良くて、
この感覚が欲しかった



ちょっと前まで
久しぶりで息が止められるのか?
モノフィンで泳げるのか?
スタティックは嫌だなとか
ネガティブな思いが湧きあがってきたらどうしようとか
またすぐ逃げちゃったり、あきらめちゃうんじゃないだろうかとか
思ってました


いい感じにゆるゆるだったのもあるけれど、
過去の嫌な思いや未来の不安にフォーカスしなくなった自分がいました。
一瞬ネガティブな思いが湧きあがってくることもあるけど、
それにとらわれない、手放して、今だけ観る。
そんな無駄なことにエネルギー使ってもしょうがないしねぇ。
いや~、これできるようになった。よしよし。

そして、ちょっとイカレタ楽しい仲間達と練習できたのも良かったです。
一緒に練習してくれたみなさん、
このタイミングで誘ってくれたパーコさんありがとう♪

また練習しようと思えたのは
フリーダイビング初心者仲間が楽しそうに練習しているのも良いきっかけでした。
先週の大会で選手のサポートで参加しました。
一生懸命練習してきて、競技をしている選手はとてもカッコ良かったし、
いい結果が出なくて悔しんでいる選手でさえ、なんだかうらやましかった。
やっぱり、やりたいんでしょ?→ 「はい。」って感じです。



$本日も晴天ナリ


数年前にモノフィンに自分で書いた
「Enjoy! Yossy」
これ楽しくなかったから書いたんだよな~とふと思い出しました。


まあ、とりあえず
昨日の感覚を忘れず、気楽に楽しみながら、ぼちぼちトレーニングします♪

ではまた♬
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「枠」崩壊!

テーマ:
1年を振り返る。
今年は自分の中の色々な枠が崩壊した年だった。

今までの考え癖、自分の中での常識など自ら崩しにかかったところもあるし、自然とそういう流れになったこともある。


まず住む環境を変えたことがとても大きかった。
なかなかしっくりくるところが見つからなかった。
何を最優先したいのか、どうありたいのか何度も何度も問われた。
引越しまで時間がない、早く決めないと不安な自分がいた。
引越しまであと3週間。でも待ってみた。こんなギリギリまで待ったことはなかった。
でも待った甲斐あり、結果的に富士山と海が高台から見渡せるこの場所を見つけることができた。


$本日も晴天ナリ-家からの富士山


料理に苦手意識があった。自分には向かないものだと決めつけていた。
今のアパートは台所が一番明るくて、いい気が流れている。
遊びに来てくれた友人達がこの台所で、ちゃちゃっと、料理を作ってくれた。
そんなに構えて作らなくてもいいのかもしれないと思った。
朝市や野菜の無人販売に行くと、生き生きした野菜たちが美味しそうに並んでいる。
レシピを見ながら料理してみる、美味しかった、できないって決めつけていただけなんだ。
もう料理は苦痛ではなくなった。

$本日も晴天ナリ-料理QQ



やるからには完璧で結果を残さなければならないとずっと思ってきた。
5月のフリーダイビングのインドア(プール)大会でゴーグルつけたままドヤ顔でサインをしてしまい人生初のレッドカードになってしまった。(本来は顔面装備をはずしてからサインをする。意識がないとその手順ができないことがある)
距離もなかなか出ていたし、ドヤ顔するくらい意識もしっかりしていたのに、最後の最後でくだらないミスをしてしまった。ちょっと悔しかったけど、みんなが「やっちゃった」と大笑いしてくれたのが、実はすごくうれしかった。人を笑わせるのって、楽しいと本気で思った。完璧にこなして結果出していたら、この種の喜びは味わえなった。別に完璧でなくてもいい結果になることもあるんだと楽になった。って言うか、このドジさ加減が本来の私だと再確認し、お茶目だなと思った。これでいいんだな。


$本日も晴天ナリ


そして今。
10月にした左足の捻挫が治りきらない。
今まで通り動けない、運動できないことで、別の流れが来た。
それは休むことであったり(そうでもしないときちんと休まないから?)、勉強に打ち込む時間になったり、大会でサポートが出来ず宴会係に専念することになったり(みんなが美味しそうにご飯を食べてくれたのがものすごくうれしかった)などなど。これは必要なことだったと今では思う。
先日、足を診てもらった時のこと。これ以上動かすのは無理と思っていたら、先生がちょっと触っただけで、足首が可動域が大きくなった。無理と思いこんでいたらしい。勝手に枠を作っていた。こんな思いこみに気づけた。
そんな中、年末年始、怒涛のヨガティチャートレーニングが始まる。
完治しない状況で臨むのは少々不安もあるが、きっとこれも何が枠を外すきっかけを与えてくれるのだと思う。流れに身をまかせて、体験することをただ受け入れていきたいと思う。


今までと同じだと安心できるが、見える世界、経験できることは限られる。
怖いし、面倒くさいし、見たくないし、嫌なこともあるけれど、「枠」をはずすと世界が広がる。
そして本来の自分らしく軽やかに楽に生きられると思う。

$本日も晴天ナリ-ダイアモンド

偶然遭遇した、5月のダイアモンド富士
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食べる瞑想

テーマ:
捻挫してあまり動けない日々が続いています。
お陰で、来月の試験勉強はかどってます♪
家にいる時間が長いので、嫌いだった料理なんかしています。
思った以上に美味しくできたり、効率良く料理する手順なんか考えたり、実は結構楽しいのね♪
食べたいものがわからなかったり、食欲なかったり、胃腸の調子が悪かったのはどこへやら。
お陰さまで動かないのにいっぱい食べているから、太ってきた。

今日は食べる量を減らそうと思いついたのが「食べる瞑想」

実際に以前やったのは、干しブドウだったけど、干しブドウじゃ少ないので、レーズン入りの食パンでやりました。

そもそも瞑想なので、痩せるためとか食べる量を減らすためのものではないけれど、味わって食べることでものすごい満足感が得られるのです。

味覚、感覚に集中して、今ここを感じる瞑想です。
瞑想なので、集中できる環境を整えます。
パンを少し食べます。味覚に集中したいので、目を閉じます。
ゆっくり噛み、味わいます。
歯触り、固さ、パンの甘み、レーズンの甘み、レーズンの繊維など。
普通に食べるより、強く甘みを感じたり、繊維を噛み砕くのが大変だったり、ちょっと食べただけなのに満足したり。
普通に呼吸に集中したり、頭頂や鼻の頭に意識を集中して行う瞑想より、簡単に集中できました。
時々集中し過ぎて、食べてる途中なのに、普通の瞑想してたり。
美味しいものだったから余計味覚に集中できたのかもしれません。
あれこれ色々なことを考えることもなかったし。久しぶりにちゃんと集中しました。

今回は集中より、少ない量でお腹を満たすこと。
たくさん噛むし、甘みをとても強く感じたので、かなり満足、満腹感を味わえました。
食パン1枚食べるのに30分かかりましたけど。

またやってみよっと。。
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変容の時は、色々大変なことが起こる。
今までと違うことを受け入れていくから、当たり前。

やっと、9月の後半からよい方向に動き出した気がします。

あやさんのメイクアップリーディング。
自分の顔を見るのが嫌だったけど、毎日教わった通りメイクすることでだんだん受け入れられるようになってきました。数日後には初対面の3歳の男の子に「かわいい」って言われちゃいました。

春先からずっと、食欲がなかったり、食後にお腹の張りがでたりしていました。
普通に西洋医学の病院に行っても、対症療法、出される薬も目に見えている。一時的に症状を抑えたいのじゃなくて、長引くこの症状を根本から治したい。西洋医学、東洋医学、必要あらばヒーリング、レメディを行なう病院を受診しました。
腹診、舌診、脈診してもらい「気が流れていない。肋骨下のお腹に固さがある。緊張のため呼吸が浅く、時々自然と息止めているでしょ。」なんてこと!
しかし、漢方薬を2週間飲んだだけで、先生もびっくりするほど回復。
お腹の緊張も緩み、呼吸も深くできるようになってました。

2年半ほぼ毎月通っているばなばん先生の施術では、いつもものすごい痛いところがたいして痛くない(わざと優しくしたわけではなくいつも通りの施術)、クレニオしてもらったら、呼吸が深く入ってくる。空気を吸いたくて、自然と鼻の穴が大きくなってしまいました。水の中から浮上して、いっぱい空気を吸っている時のように。色々ため込んでいた感情=身体の痛みが少しずつ消えてきたのを実感しました。たくさん刺さっていたナイフが数本抜けました。

$本日も晴天ナリ


いい感じだった矢先、左足首捻挫。。
昔だったら、ネガティブ感情炸裂でしたが、なんだかんだ言っても現実を受け入れるしかない、必要なメッセージが込められているに違いない。
実際、この件でより人と親密になれたり、必要な時に人に頼ることができるか(今まで甘えられず無理しがちだった)、自分の身体を大切に扱えるかなど、試されたり、大事なメッセージはたくさんありました。

そして最後に不整脈の診断結果。
「経過観察。ただし、激しい運動、30分以上の運動、もちろん息止めは控えるように。やるならちゃんと息を吸える有酸素運動を。」
すでにフリーダイビングのトレーニングは中止しています。
体調を考慮し、今やりたいことに集中したいため、今は競技として集中して練習する時ではないと判断しました。なので、医師からの指示も違和感なく素直に受け入れられました。
必要なことは必要な時に起きている、抵抗せず、ただ受け入れるだけ・・・

傷だらけの愛車

テーマ:

7月後半に車の点検とついでにサイドミラーが電動で動かなくなったので修理に出しました。
車が戻ってきて2週間、駐車場で駐車していた車をすられてしまいました。私の目の前で。
そして車の修理も終わり、愛車が戻ってきて1週間後、駐車していたら、またすられてしまいました。それ以外にも止めた場所が悪かったのもあり、ナンバープレートは折れ曲がり、狭い道を通ったせいか、ちょっと目立つ擦り傷も発見。
そしてまたまた修理に出すことになり、台車をかりました。
今度はその台車を私がぶつけてしまいました。
激しくバンパーがへこんでます。こんな派手にぶつけたのは人生初。


別にこの出来事に特別な意味はないんだと思っていました(そう思いたかった、縁起悪いし)。
色々な思いを巡らせていたら、この車って私なんじゃないかと。


成功するには幸せになるには、苦しい思いをしないといけない。だから自分を追い込んだりして苦しいほうへ苦しいほうへ導く思考がありました。簡単に手に入る幸せなんて素直に受け入れらい、信じられない。

ある人には私のことを「くさりでぐるぐる巻きにされて身体の色も分からない龍」(実際にはくさりじゃなくて、包帯と言われたらしいが自分の中で勝手にくさりにしていた。また苦しいほうへ導いている)
またある人には「身体にナイフがいっぱい刺さってる」(私があまりにもこの現実と向き合わないのでこんな表現されちゃいました)
て言う具合です。


「もういい加減傷だらけなのを認めて、その傷を癒しなさい!!」
と何度も車が傷ついて、このメッセージを届けてくれたのかもしれない。



先日、友達にマッサージをした時、友達は身体に痛いところはないと言いました。
痛みなく過ごしている人がいるなんてとショックを受けました。
そう本当に傷だらけ。
常に身体のどこかしらは痛い、痛みなく過ごしていたのは一体何年前なのか思いだせない。

実はこの車傷だらけ事件の間に母が入院しました。
これも身体を自分を大事にしなさいと言うメッセージだったのかもしれない。


車に他人につけられたすり傷より、自分で作った傷のほうが大きかったのもうなずける。
自分自身のネガティブな感情が傷を大きくしている。誰のせいでもない、自分の思考のせい。

実際はくさりじゃなくて、包帯なんだから、ハサミで切っちゃえばいいだけだし。
身体に刺さったナイフが自分で抜けなければ、誰かに手伝ってもらえばいいだけだし。
やっと認めて、こんな風に考えられるようになりました。


そんな訳で先日、5年以上ほったらかしにいていた不整脈の精密検査に行ってきました。
まだ、検査途中だし、結果も分かってないけど、ただ行っただけで、急に身体の痛みが軽くなり楽になりました。
ただ、身体を気にかけてあげただけで、身体はよろこんだんだなあ。
私に必要なのはこんなちっちゃなことだったんだな。

車さん、身を削って、大事なことを教えてくれてありがとう♪
ポンコツな私も修理の旅に出ます。