日々雑記~年の瀬ですね。

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今年は、夏以降、気候が不安定で、というか、夏なのに夏でない、とか梅雨なのに梅雨っぽくない、とか、台風が毎週のように来る、とか

数十年間、培ってきた季節の体感が、カレンダーと悉く異なってるなー、という感覚です。

 

加えて、人生初の子供の受験。慣れない事に、年々衰える頭を整理しつつ、目の前の事を懸命にやってるうちに、「うわっ!気が付いたら、

もう、こんな時期!」という年の瀬です。

そんな中、年々、無意識に感じていることをうまく表現してくれている文章に出会いました。

 

「この身が生きのびるために言葉や態度に載せて排出した毒を吸ってくれる者がいて、だからこそいまこうして生きて在る。」

 

本当にそうだなー、としみじみ思います。そして、できれば、私も、毒を吸う人になりたいと思いつつ、そこまでの器には至らず、せめて、

上記のことだけは意識して、感謝の気持ちで毎日を過ごしたい、と切に願ってもいます。(これがまた難しいのですが)

 

もう、思い返すと、嫌になるので、あまり思い返したくもないのだけれど、若い頃(いえ、今の今もですが)、いかに不用意な諍い、衝突をしてきたか、と思います。あれだけのエネルギーがあるのだったら、もっと、良きものに、事に、そのエネルギーを使ったら良かった、とも。

 

そして、そうなるのは、大抵、「自分の思う通りに、物事が進まないor誰かが動いてくれない」とか「私の事を理解してくれない」という強い思いが主原因。

 

これに 「急いでいるイライラ」 「空腹」 「睡眠不足」 「体の冷えやどこかの痛み」 「身体の疲労」 が加わります。

 

どちらか一方が、心身に余裕があって、相手の毒(言葉や態度)に直反応することなく、その奥にある気持ちや、本人が置かれている状態に気が付き、適切な対応が出来れば、事は丸く収まりやすい。が、双方ともに、上記の状態であった時、そして、それが長い時間積み重なれば重なるほど、事は、いや、感情は複雑に絡まり合い、収まることが困難に。 

 

自分の感情を、他人にわかりやすく理路整然に説明できる人は、ほぼいない、というか、本人でさえ、「何故、自分は、こんな状態になっているのか」と、感情的になっている時には、気が付かないことが多いため、後になって「ああ、あの時はこうだったな」と思っても、後の祭りだったりします。

 

やはり「時間と身体と心」の余裕を持つことは、気持良く毎日を過ごすためには、本当に大事ですよね・・・。(これもまた、本当に難しいのですが。)

 

先日、”次の予定は、空腹だとうまくいきそうにない”な用事の際、でも、お店に入って何かを食べる時間的な余裕もなかった際、おにぎりをどこかの隅で食べて、向かおう!(←いい大人なのに、恥ずかしい)と、とある駅ビルの地下街に、おにぎりを買いに行きました。

 

ちょうどいいおにぎりを見つけ、店員さんに声をかけると「少々、お待ちください!」と、遠くから大きな声。よく見ると、広いお店に、店員さんは

一人。「あー、忙しいんだな」との思いと同時に、「あー、こっちも急いでいるんだけど。」と、ちょっとしたイライラ感も湧き上がってきました

 

い、いけない、いけない。この私のイライラが、店員さんに伝播し、店員さんが、それを止める力がなかったら(ってか、疲れると、止められないか、あるいは、その人自身のストレスにつながる) また、それが、誰かに伝播してしまう。 年末は、特に、よくそういう場面に出会います。

 

「ありがとうございます。」

さっきの自分の態度を反省し、おにぎりを受け渡してもらう時、丁寧に気持ちを込めて、言葉を伝えました。

 

と書くと、「出来ている自分」アピールのようですが、これが、相手が身内だと、なかなかそうはいかない・・・。

特に、立場が弱い相手=子供に対して、うまく対処できないことが多いのです。

 

先日、へとへとに疲れて帰ったある日の夜、(自分だけの部屋ならまだしも、家族全員が使う)リビングのあまりの乱雑さに、普段あまり口うるさくしないよう気を遣っていることも相まって、息子に、久し振り(!?)に声を荒げて注意しました。 それまで「早く、晩ご飯作って!」とゆっていた息子は、せっかく食事の用意をしているのに「二階に行く。」と。

 

「自分が注意されたからと言って、そういうふてくされた態度はやめなさい。」と言った時、息子に返された言葉。

 

「お母さん、疲れてるでしょ。疲れてる時、(何もしていない)ボクを見てると、イライラするでしょ。ボクが二階に行ってる間、ちょっと落ち着いたらどうかな、と思って2階に行こうとしたんだよ。」

 

確かにそうでした。部屋が乱雑は毎日の事。けれども、特にその日は、へとへとで、すぐ晩御飯を作らねばならないクタクタ感が、息子に荒い言葉を投げさせたのでした。

 

息子に、あまりにも、冷静で、しかも、少~し思いやりを感じた態度で言われたため、私のイライラは、どこかに飛んでいき、普通の機嫌で食事を作り、普通の機嫌で、ドラマ「陸王」を見ながら、息子と晩御飯を食べました。

 

「この身が生き延びるために言葉や態度に載せて排出した毒を吸ってくれる者がいて、だからこそいまこうして生きて在る。」(←しつこい)

これは、家族以外の周囲の方達にも、当てはまります。 本当~に感謝の気持ちを持って、良き年末年始を迎えたいです。南無。

 

追記:この場面に気を良くした息子は、この数日後、私が大事にしていたものを失くした時も、同じような態度で臨んできました。

    そして 「そういう事じゃないでしょ!」と、私に叱り返されていました。

    こういうところが、まだまだ子供だと思うし、本人も早く自覚して欲しい、と切に願っています。はああ。(←ため息)

 

「毒」というか「疲れ」を吸い取ってくれる、我が家の猫たち。この直前まで、取っ組み合いして、ふぎゃふぎゃ言っていたのに。

「子ども」や「動物」は、一番身近にある「自然」。人間がコントロールし得ない「自然」は、色々なものを吸い取ってくれるなー、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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