Sat, November 04, 2006

加藤陽子『戦争の日本近現代史 征韓論から太平洋戦争まで』

テーマ:歴史

◆加藤陽子『戦争の日本近現代史 征韓論から太平洋戦争まで』講談社現代新書、2002年3月

本書のねらいは冒頭部で明確に次のように述べられている。

 為政者や国民が、いかなる歴史的経緯と論理の筋道によって、「だから戦争にうったえなければならない」、あるいは、「だから戦争はやむをえない」という感覚までをも、もつようになったのか、そういった国民の視角や観点や感覚をかたちづくった論理とは何なのか、という切り口から、日本の近代を振り返ってみようというのが、本書(講義)の主題となります。(p.9)

冒頭でフーコーに触れているが、要するに、戦争に関する言説分析といったところだ。方法はなかなかおもしろくて、興味深いものだった。ただ、ちょっと内容が難しくてよく理解できなかった。

加藤 陽子
戦争の日本近現代史―東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで

Fri, October 06, 2006

網野善彦『日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」』

テーマ:歴史

◆網野善彦『日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」』洋泉社MC新書

この洋泉社のモダンクラシックス新書は、新書にしては値段が高い。なぜだろう。この本も1500円する。新書で1000円を超えると、良い本でも買うのにためらってしまうだろう。他にも読んでみたい本があるのだが、もうちょっと値段が安ければ買うのにと思う。

本書は、網野史学のエッセンスがわりとよく理解できる。たとえば、『日本の歴史をよみなおす』あたりを一緒に読むと、網野善彦の方法論というか歴史の考え方を把握することができそう。

もう一つおもしろかったのは、保立道久氏の解説だ。この解説が熱い。網野史学をなんとしても超えてやろうという強い意志と、しかし同時に網野史学に対する尊敬の念の両方が記されていて、読んでいて感動してしまう。学問を通じた人とのつながりっていいなあと改めて感じた。


網野 善彦
日本中世に何が起きたか―都市と宗教と「資本主義」


Thu, June 15, 2006

大杉栄『大杉栄自叙伝』

テーマ:歴史

◆大杉栄『大杉栄自叙伝』中公文庫、2001年8月

アナキスト大杉栄の自叙伝。子どものころの話から、初恋の話もあり、平民社の人たちとの関係が始まるところまでと、それから神近市子に刺される有名な「葉山事件」についても書いている。「葉山事件」というと、やはり吉田喜重の『エロス+虐殺』だ。この映画を見たとき以来、大杉栄が気になる存在であった。

大杉は、子どもころから我が強い。また乱暴なところもあり、いたずらや喧嘩をして、しょっちゅう母親に叱られていた大杉栄。大杉栄の母親もちょっと変わっていて、「ほんとにこの子は馬鹿なんですよ。箒を持ってこいと言うと、いつも打たれることがわかっていながら、ちゃんと持ってくるんですもの。そして早く逃げればいいのに、その箒をふりあげてもぼんやりして突っ立っているんでしょう。なお癪にさわって打たないわけにはゆかないじゃありませんか」(p.107)などと言っていた。軍人になるべく、幼年学校に入るも、憂鬱に襲われ、ある時喧嘩で大怪我し、幼年学校を退学することになる。その後、文学に興味を持つが、「文学は困る」と言う父親に妥協して、語学を勉強するということで、東京の中学校を受験する。このときのエピソードも面白い。

この時、大杉は「東京中学校」と「順天中学校」を受けることにしたが、この二つの入試は同時に行われた。そこで、学力に自信のあった大杉は東京中学校を受け、順天中学校には「換玉」を使った。ところが、東京中学校の試験に、大杉の苦手とする問題があり不合格となってしまう。一方、「換玉」はうまくいって順天中学校に合格したという。

いろいろ面白いエピソードが書かれてあって、けっこう面白い自伝だと思う。明治のころの学校の雰囲気もよく分かる。

大杉 栄
大杉栄自叙伝
Tue, June 13, 2006

山本博文『日本史の一級史料』

テーマ:歴史

◆山本博文『日本史の一級史料』光文社新書、2006年5月

常々歴史家は、どのように普段研究をしているのか気になっていた。本書は、東京大学史料編纂所で研究を続けている著者が、歴史家が史料をどう読んでいるのか教えてくれる歴史研究入門書だ。

史料を求めて各地を移動したり、厖大な史料を整理したりと、歴史家の仕事は大変そうだが同時に魅力的だ。一通の手紙からその背後にある人間関係や政治状況を読み取る手腕は実に見事である。

山本 博文
日本史の一級史料
Wed, June 07, 2006

小田中直樹『日本の個人主義』

テーマ:歴史

◆小田中直樹『日本の個人主義』ちくま新書、2006年6月

個人の《自律》をめぐって、本書では大塚久雄を取り上げ、そして彼の思想を近年のさまざまな思想や学問の成果と比較検討する。

教科書のように、先行する所説を整理していく手際の良さには感心するが、読み物としては、いまいちな出来だったと思う。したがって、《個人の自律とは、懐疑精神とコミュニケーション能力を兼ねそなえ、そのうえで「自ら立てた規範に従い、自らの力で行動すること」である(p.180)》という結論は、落着くところに落着いた感がなきにしもあらず。優等生的というか非常にお行儀が良い本なのだ。もちろん、結論が凡庸だから悪いというわけではなく、たとえ凡庸であっても主張すべきことは主張するのが学問だと思うので、本書の考えそのものは尊重したいと思うが。――

とはいえ、著者の読書ノートを読まされているようで、何かもう一工夫欲しかった。

小田中 直樹
日本の個人主義
Wed, May 31, 2006

坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』

テーマ:歴史

◆坪内祐三『同時代も歴史である 一九七九年問題』文春新書、2006年5月

久しぶりに坪内祐三の本を読んだ。本書は、2003年から2004年に掛けて雑誌『諸君!』に連載されたものをまとめたもの。まえがきを読むと、この評論では「同時代性」に強くこだわっているのが理解できる。各章が独立した読み物となっているが、同時に全体としてのつながりも持った評論にしたという。したがって、テーマは歴史から文学や政治などがあるが、本書の全体に一貫して流れているのは「歴史とは一体何なのか」(p.9)というテーマであると坪内は述べている。そこで、坪内がこだわっている「一九七九年」が重要となってくるのである。坪内は「一九七九年問題」について、こう述べている。

《私がずっと考え続けていたテーマに「一九七九年問題」があります。
一九八〇年前後を一つの境として、その時から歴史が変っていきました。
いわゆるポスト・モダン時代に入っていったわけです。
ポスト・モダン時代の大きな特徴の一つは、永遠の現在性です。
過去→未来、あるいは未来→過去という風に流れる時間を失なって、そこにあるのは永遠の現在だけ。
しかし、そのように思えたとしても、現実には、時は確実に経過して行くのです。現在は常に歴史化されて行くのです。
そういう矛盾点、それが「一九七九年問題」です。(p.9)》

永遠に現在のまま、まるで時間など流れていないかのように思われたポスト・モダンと呼ばれた時代に、時間を取り戻す作業と言えばよいのか。ポスト・モダンを歴史の一つとして把握しようとしている。そのために何をしているのかといえば、この評論を書いている「今」と1979年前後の比較だ。こうして坪内にとって、1979年が歴史を把握するための、一つの参照点として重要視されるのである。

これまでは、「68年」という年が現代思想ではある意味特権的な年でもあったのだが、その年に少し遅れてやってきた世代である坪内にとって、よりリアリティがあるのが「一九七九年」なのだろう。これは、「68年」を相対化するという意味で面白い論点だと思う。

坪内 祐三
同時代も歴史である 一九七九年問題
Sun, April 23, 2006

小熊英二『日本という国』

テーマ:歴史

◆小熊英二『日本という国』理論社、2006年3月

これは、中学生あたりに向けて書かれているのかな。そのために、かなり易しく書かれてあってよい。

日本という国がどのようにして形づくられてきたのか。近現代の日本について論じる。取り上げられているのは、明治の日本と戦後の日本。明治の日本では、福沢諭吉の文章を読みながら、特に教育と国家の形成について論じる。戦後の日本は、アメリカの占領政策から、憲法問題や自衛隊、戦後補償の問題を論じる。ここでは、戦後の日本を形づくってきたのは、アメリカとの関係が大きいことが分かる。「戦後の日本の外交は、ごくごくおおざっぱにいえば、アメリカとの関係さえよくしておけば、アジア諸国との関係は何とかなる、というものだったといえなくもない」(p.184)というわけだ。しかし、特に冷戦が終わってしまった90年代以後、こんなことはもう通用しない。

本書は、最後に丸山眞男がサンフランシスコ講和会議を前に書いた文章を引用して締め括っている。この引用された文章のなかで丸山は、明治維新後、日本はアジア最初の近代国家として、アジアのホープであったが、ヨーロッパの帝国主義の尻馬に乗って、アジアを裏切った。日本の悲劇は、アジアのホープから裏切り者への変貌にあったという。そして、敗戦によって日本はもう一度明治維新に戻り、再びアジアの裏切り者としてデビューするつもりなのかと述べている。「アジアの裏切り者」とならないために、さてどうするか。

小熊 英二
日本という国
Wed, March 01, 2006

関口すみ子『御一新とジェンダー』

テーマ:歴史

◆関口すみ子『御一新とジェンダー 荻生徂徠から教育勅語まで』東京大学出版会、2005年3月

「荻生徂徠から教育勅語」とあるように、かなり広い範囲にわたって、多くの資料を分析しているので、近世史や政治思想史の素人の私には、読むのに相当苦労した。しかしながら、女性と政治をめぐる興味深い一冊である。

本書は、「「女権」をめぐる男たちのうめきと凱歌を追った江戸から明治への旅」(p.331)だという。

武家は権威を得るために、大奥という権力の中枢に公家の女性を入れるのだが、これが男たち(政治の領域)に厄介な問題を引き起こす。武家の文化に公家の文化が浸透してくるし、大奥をめぐるスキャンダルは将軍家の権威をじわじわと崩されていく。つまり、政治の世界に口出しをする女たちに、男たちは手を焼いていたというわけだ。

こうした男たちの「うめき」は、「御一新」をきっかけにして、政治の領域から女を徹底的に排除した。女はあくまで夫(男)を支える「賢母良妻」へと導かれていくだろう。「江戸の儒者の模索と苦闘は、近代日本の建設にも活かされたとも言える」(p.330)と著者は述べている。「西洋の衝撃」と江戸時代以来の男たちの「うめき」が、日本の近代を整備していったという点が面白い。

関口 すみ子
御一新とジェンダー―荻生徂徠から教育勅語まで
Mon, January 30, 2006

藤原てい『流れる星は生きている』

テーマ:歴史

◆藤原てい『流れる星は生きている』中公文庫、1976年2月

満州からの引き揚げ時の困難を語る。昭和20年8月9日から始まった藤原家の引き揚げは、約一年かかって日本にたどり着いた。病気、飢え、過酷な山中の移動。その中で、母と三人の子どもたちは何度も「死」に直面している。途中で、夫は捕虜としてつかまってしまうので、藤原てい一人で赤ん坊を含んだ幼い三人の子どもを連れて逃げなければならなかった。当時の状況が生々しく語られていて、読むのがつらい。

藤原 てい
流れる星は生きている
Thu, January 26, 2006

鈴木貞美『日本の文化ナショナリズム』

テーマ:歴史

◆鈴木貞美『日本の文化ナショナリズム』平凡社新書、2005年12月

日本の文化ナショナリズムがいかなる形で現れてきたのか概観する。新書という性格上、各テーマを細部を深く追求することができなかったのだろうが、多くのテーマに触れているので、良い意味で教科書的に使える本だと思う。近年のカルチュラル・スタディーズやポストコロニアル研究の成果が存分に取り入れられており、知っている人は「ああ、またこの話か」と思うかもしれないが、専門書をなかなか読むことが出来ない人には、この本が良い入門書となることだろう。

いくつか興味深いことがあった。ひとつは、明治の読み方として、「近代文明化しようとする動きと、近代文明に反対する動きの二つの方向、また、西洋化に向かう動きと、日本および東洋の伝統を形づくろうとする動きとの二つの方向、つごう四つの方向の動き」(p.144)があると、明治文化の分析スキームを提示しているところである。この四つの動きの中心に「近代天皇制」を置いている。ただし著者が、この図式は明治文化を理解しやすくするための図式にすぎず、当てはまらない事態もあると、ことわっていることには注意しておきたい。

もうひとつは、私が勉強不足で知らなかっただけかもしれないが、筧克彦という憲法学者を紹介しているところに興味が引かれた。明治天皇が没した後、筧克彦は『古神道大義』(1912)という本を書いた。ここで筧は「天皇と日本人民は互いにその存在を支え合う関係」(p.179)であることを示した。筧の論理を著者はこう説明している。

《「古神道」とは、「日本国の成立当初より存在し、之と共に発達すべく、又現に発達しつつある『かみのみち』」のことで、「日本民族日本国家といふ一心同体」を成り立たせる「生きた宗教」、生活の根本規範、国家の根本宗教であるという。憲法と教育勅語とは、この精神を制度として定めたもので、これを「人の心の底に養はしめ」なければならない、と主張する。(p.179)》

筧は、「絶対者に帰依する感情こそが宗教の本質であり、それを保障するのは精神共同体である」というシュライアーマハーの理論を「「天皇」に「帰一」する日本民族の心」と読みかえたという。

その後、筧は『続古神道大義』(p.1915)を書き、そこでは大正期に流行した「生命」主義が見てとれる。また「古神道」は「寛容」「平和主義」であり敵対しないかぎり包容するとされ、「「古神道」は一切を同化する力をもつ普遍理念」(p.181)だとしたという。

筧の考えは、1920年代に神社関係者に広まり、普遍宗教のお墨付きを得た国家神道は「内地」や「外地」の神社の活動を活発にした。そして、筧は「皇道派」の理論的支柱ともなる。

筧克彦という存在を知っただけではなく、その影響力がかなりあったことを知って驚いた。本書を読むと、大正期の「生命」主義が後々までさまざまな思想や文学に見いだされることが分かる。

鈴木 貞美
日本の文化ナショナリズム

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