Tue, July 04, 2006

トルーマン・カポーティ『冷血』

テーマ:海外の文学

◆トルーマン・カポーティ(佐々田雅子訳)『冷血』新潮文庫、2006年7月

一家四人が惨殺されるという事件が起きる。その犯人の逃亡と捜査、そして裁判を経て、犯人たちが死刑になるまでを描いたノンフィクション・ノベル。ニュージャーナリズムの先駆けとも言われる作品。訳者のあとがきによると、「カポーティは『冷血』の執筆に先立ち、三年を費やしてノート六千ページにも及ぶ資料を収集し、さらに三年近くをかけてそれを整理」(p.620)したそうだ。そのために、かなり重厚な作品に仕上がっている。特に各登場人物の内面描写に重点が置かれていた。

読み終えてみると、すべてが終わったにもかかわらず、なんだかすっきりしなくて、もやもやとした重たいものが残る。

カポーティ, 佐々田 雅子
冷血
Thu, April 13, 2006

マルセル・プルースト『失われた時を求めて 2』

テーマ:海外の文学

◆マルセル・プルースト(鈴木道彦訳)『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へ Ⅱ』集英社文庫、2006年3月

第2巻に突入。ここには、第2部「スワンの恋」と第3部「土地の名・名」が収録されている。

「スワンの恋」は、これまで箇所とは異なり、語り手の「私」の生まれる前に起きたスワンとオデットの恋愛の物語となっている。スワンがオデットという高級娼婦(ココット)と出会い、オデットに夢中になる。しかし、オデットには他に男がいるのではないかと、嫉妬に苦しんだりするスワン。

そして、「土地の名・名」に入ると、再び「私」が登場し、ある日ひとりの少女と出会う。それが「ジルベルト」で、彼女はスワンとオデットの娘なのであった。――

ただ読んでいるだけでは人物の関係がつかめず、その都度あらすじや登場人物の紹介を参照しながら読んでいる。難しい小説だが、それだけに非常に読み応えのある小説だと思う。

マルセル プルースト, Marcel Proust, 鈴木 道彦
失われた時を求めて〈2〉第一篇 スワン家の方へ〈2〉
Tue, April 04, 2006

マルセル・プルースト『失われた時を求めて 1』

テーマ:海外の文学

◆マルセル・プルースト(鈴木道彦訳)『失われた時を求めて 1 第一篇スワン家の方へⅠ』集英社文庫、2006年3月

鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』がとうとう文庫に入った。私のなかでは、大事件だ。井上訳がちくま文庫であったが、まさか鈴木道彦訳まで手軽に文庫で読めるようになるとは思ってもいなかった。待っていた甲斐があったというものである。

この第一巻は充実した作りになっていて、というのもここには各巻のあらすじや登場人物の紹介がついているので、今後読み進めていく際には常にそばに置いておきたいものである。

さて、『失われた時を求めて』は、何度か読みかけては挫折しているおり、特にこの第一巻はもう何度も読んでいるような気がする。語り手の私が、神経質な子どもで、ママのキスがないと寝られないとパニックに陥る場面など、よく覚えている。もちろん、紅茶に浸したマドレーヌを口にした瞬間に、コンブレーの記憶が甦る場面もあまりにも有名だが、何度も読んでも感動的な場面だと思う。

ともかく、今度こそ、全巻読み通そうと固く決意する。

マルセル プルースト, Marcel Proust, 鈴木 道彦
失われた時を求めて〈1〉第一篇 スワン家の方へ〈1〉
Tue, February 28, 2006

C.S.ルイス『ライオンと魔女』

テーマ:海外の文学

◆C.S.ルイス(瀬田貞二訳)『ライオンと魔女』岩波少年文庫、1985年10月

もうすぐ映画が始まるので、その前に原作を読んでみた。児童文学はまったく読んだことがない(あるいは読まない)私だが、一読してすぐに「ナルニア」の魅力に引き込まれた。これは本当に面白くて、『ライオンと魔女』以外の物語も読んでみたくなる。

映画のほうも楽しみになってきた。

C.S.ルイス, 瀬田 貞二, C.S. Lewis
ライオンと魔女 ナルニア国ものがたり(1)
Mon, June 13, 2005

F・X・トゥール『ミリオンダラー・ベイビー』

テーマ:海外の文学

◆F・X・トゥール(東理夫訳)『ミリオンダラー・ベイビー』ハヤカワ文庫、2005年4月

このあいだ、映画『ミリオンダラー・ベイビー』を見て、その内容が気になったので、原作を読んでみた。原作は短篇集になっていて、「ミリオンダラー・ベイビー」もその短篇の一つだった。これらの短篇は、すべてボクシングに関わる人々を描いたものだ。

「ミリオンダラー・ベイビー」という短篇は、たしかに映画にふさわしい話かもしれない。でも、「ロープ・バーン」という小説のほうも映画に出来たのではないかなあと思う。ギャングに因縁を付けられて、一人の有望なボクサーの少年が殺される。そのボクサーを教えていた男が、そのギャングたちに復讐をする。背景に、ロドニー・キング事件があって、政治の問題と絡んでしまうのが難しいところだけど。

著者: F.X.トゥール, 東 理夫
タイトル: ミリオンダラー・ベイビー
Sun, May 29, 2005

ヘンリー・ミラー『北回帰線』

テーマ:海外の文学

◆ヘンリー・ミラー『北回帰線』(『ヘンリー・ミラー全集(1) 北回帰線』大久保康雄訳、新潮社、1965年3月)

私は、奔放な性とか退廃的な都市生活を描いた小説は苦手なので、ヘンリー・ミラーもずっと遠ざけてきた。なので、途中でくじけないように、気合いを入れて読み始めたのだけど、予想に反して、猥褻な言葉が飛び交うわりには、全然不快な印象を与えない小説だった。しかし、一方で、イメージがイメージを生み出すような文体はけっこう難解だった。

《永遠の都、パリ!ローマよりも永遠であり、ニネヴェよりも華麗である。まさに世界の臍だ。(p.189)》

とか、

《パリは売笑婦に似ている。遠くから見ると、男の魂をとろかすようであり、彼女を両腕に抱きしめるまで待ちきれぬほどだ。しかも、五分後には空虚感を味わい、自己嫌悪をおぼえる。だまされた思いだ。(p.215)》

なんていう言葉は、ぜひとも暗記しておきたい。そして、いつかパリに行ったら、「パリは売笑婦に似ている」と、したり顔で言うのだ。

著者: ヘンリー・ミラー, 大久保 康雄
タイトル: 北回帰線
Thu, May 26, 2005

ゾラ『獣人』

テーマ:海外の文学

◆ゾラ(寺田光徳訳)『獣人――愛と殺人の鉄道物語』藤原書店、2004年11月

「鉄道」というテーマは、近代の文化史で必ず注目される重要なテーマで、もちろん近代文学でも「鉄道」がもたらした感性の変容がしばしば描かれる。「鉄道」というのは「近代」の一つの大きな象徴なのだろう。

『獣人』も「愛と殺人の鉄道物語」と副題に付けられているように、「鉄道」が重要なモチーフになっている。近代と鉄道の絡みで言えば、この小説の一番最後のがもっとも象徴的な場面となっている。今なら近代批判、国民国家批判と呼べる文章だ。

《機関車が途中で犠牲者を出したところでなんであろう!血が飛び散ることなど気にもかけずに、機関車はなおも未来へ向かって進んでいくではないか!機関車は死のなかに放たれた。眼も見えず、耳も聞こえない獣のように、機関士もなく闇のなかをただひたすら走っていた。積荷の肉弾兵たちは、すでに疲労でぼーっとなり、酔っぱらって、歌を歌いつづけていた。(p.509)》

やがて戦争の世紀を迎え、戦場に次々と兵士を送り込み、それこそ無数の戦死者を生み出した「近代」の原理、「近代」のテクノロジーに対する批判として、こうした一節を読むのも悪くないだろう。

この暴走しつづける鉄道のように、この小説の登場人物たちは欲望あるいは(動物的な)本能に取り憑かれ、その欲望を充足すべく脇目もふらず突き進み崩壊していくの特徴だ。正直、嫌な性格の人間たちばかりなのだ。いくら悪党でも、バルザックの小説の悪党はどこか憎めない、それどころか非常に魅力的な人物でもあるのだが、ゾラの『獣人』の人間は、悪党でもなく、かといって善良でもなく、うまく説明できないのだけど、もう読んでいて腹立たしくなる不快な人物たちばかりだった。

この小説の中心となる人物は、ルボーとその妻セヴリーヌそして、セヴリーヌの愛人になるジャックだ。とりわけ、ジャックは物語内では異質な存在で、他の登場人物たちは一線を画していることは注意しなければならないが、この3人もやはり欲望あるいは本能に取り憑かれた人間なのだ。ルボーは嫉妬やギャンブルに取り憑かれているし、セヴリーヌは性に取り憑かれている。そしてジャックは、殺人の欲望に取り憑かれているのだ。ルボーにせよ、セヴリーヌは通俗的な欲望に走っているといえるが、ジャックの殺人志向は欲望というより、本能、人間のいや動物のもつ原初的な本能であることが強調されている。この点、他の登場人物とは異なるといえる。分かりやすくいえば、ジャックという人物はかつて宮台真司が「脱社会的」存在と呼んでいた少年に近いと言えばよいのだろうか。

ジャックとセヴリーヌの関係が、物語の中心を占めることになるが、私の趣味で言うに、このセヴリーヌがあまりにも魅力がない。というか、腹立たしい。ゾラの描き方がそれだけ巧みである証拠かもしれない。このセヴリーヌ、ジャックとの関係によって真の愛に目覚めてしまったから、さあ大変。寝てもさてもジャックと一緒にいることしか考えられなくなってしまう。要するに頭のなかはセックスのことしかないというわけだ。ジャックにだけ愛を捧げていれば、物語的には美しいかもしれない。しかし、セヴリーヌはジャックだけしか愛せないと言いつつも、男に無理矢理言い寄られたらふらふらっとよろめいてしまうような女性でもあるのだ。町田康の『告白』で、熊太郎と結婚するあの女性と似ているかもしれない。

読んでいて「セヴリーヌって、バカなんじゃないか」と思ったりしたのだが、フェミニズム的に見ると、ゾラが女性を肉欲しか頭にない愚かな存在だと考えていた、ということになるのだろうか。ここにゾラの女性蔑視が現れていると。したがって、こういう性的に奔放な女性は、物語の定石通り、パニッシュメントを受けるハメになるだろう。物語的に、こういう女性が幸福になるはずがないのだ。

登場人物にはイライラさせられるが、それだけゾラの筆運びが巧みなのであろう。とにかく物語は非常に面白い。やっぱり19世紀のフランスの小説は素晴らしい。ゾラの他の作品も読みたくなってきた。

著者: ゾラ, 宮下 志朗, 小倉 孝誠
タイトル: ゾラ・セレクション (6)
Fri, May 13, 2005

ゲーテ『ファウスト 第二部』

テーマ:海外の文学

◆ゲーテ(相良守峯訳)『ファウスト 第二部』岩波文庫、1991年12月

第二部は、かなり難解。ボリュームもあるし、筋も込み入っているし、一度読んだだけでは内容を把握するのは無理かも。読了後に訳者の解説を読んで、ようやく物語の内容が理解できた。その後、気になる箇所だけ、少し読み直してみると、はじめに読んだときはガラッと印象が変わって驚いた。

『ハムレット』といえば、「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」という有名な台詞があるように、この『ファウスト』にも、もちろん重要な台詞がある。一応引用しておこう。

《瞬間に向かってこう呼びかけてもよかろう、
留まれ、お前はいかにも美しいと。(p.462)》

この台詞をつぶやくことで、ファウストはメフィストーフェレスとの賭けに敗れ、約束通りファウストの命が潰えることになる。

この台詞を吐くとき、ファウストが何をしていたかというと、人々のために開拓事業をしており、彼の最後の望みとは、人々は自由に働いて住める土地を提供することだったのだ。欲望を追求し享楽の果てにたどり着いたファウストの境地は、こういうことだった。

《野は緑に蔽われ、肥えている。人々も家畜も
すぐさま新開の土地に気持ちよく、
大胆で勤勉な人民が盛りあげた
がっちりした丘のすぐそばに移住する。
外側では潮が岸壁まで荒れ狂おうとも、
内部のこの地は楽園のような国なのだ。
そして潮が強引に侵入しようとて噛みついても、
協同の精神によって、穴を塞ごうと人が駆け集まる。
そうだ、おれはこの精神に一身をささげる。
知恵の最後の結論はこういうことになる、
自由も生活も、日毎にこれを闘い取ってこそ、
これを享受するに価する人間といえるのだ、と。
従って、ここでは子供も大人も老人も、
危険にとりまかれながら、有為な年月を送るのだ。
おれもそのような群衆をながめ、自由な民と共に住みたい。(p.462)》

こうして、ファウストは瞬間に対し「お前はいかにも美しい」と発し、最高の瞬間を味わう。

これに対し、メフィストーフェレスは、「永遠の創造とは、一体なんの意味だ」「過ぎ去った、ということに、なんの意味があろう」と言い、こうつぶやく。

《おれはむしろ永遠の虚無のほうが好きだな。(p.464)》

この悪魔らしいメフィストーフェレスの言葉も、私にはすごく魅力的に響く。こういうニヒリズムはけっこう好きだ。

思うに、ファウストは書斎にひきこもって、真理を獲得しようとすることに絶望して、享楽の限りを尽くしたが、それでも生の意味が得られず、結局労働に生の意味を見出した。つまり、ファウストは孤独なひきこもりの生活を批判しているのではないか。書斎から出よ、ということなのだろう。

これは、今の私には痛い批判だな。だからファウストよりもメフィストーフェレスのほうが私には魅力的に映る。だいたい、ファウストはひどい人物だ。己の欲望のおかげで、グレートヘンという一人の女性を不幸に追いやっている。そういう人物が、ユートピアを創造することで、幸福だなどと言ってはいけない。グレートヘンは、ファウストに良いように弄ばれたのに、最後までファウストを信じて、しかもファウストを最後に贖罪し天に導くのだ。ファウストは都合が良すぎる。自分勝手なのだ!。ファウストは地獄に落ちるべきだったのではないかと、私は思う。

著者: ゲーテ, Goethe, 相良 守峯
タイトル: ファウスト〈第二部〉
Thu, May 12, 2005

ゲーテ『ファウスト 第一部』

テーマ:海外の文学

◆ゲーテ『ファウスト 第一部』岩波文庫、1991年12月

まだ、第一部しか読み終えていないが、ファウストと悪魔メフィストーフェレスの関係が面白い。わがままな主人(ファウスト)に仕える召使い(メフィストーフェレス)というような凸凹コンビみたいだ。

著者: ゲーテ, Goethe, 相良 守峯
タイトル: ファウスト〈第一部〉
Sun, April 24, 2005

シェイクスピア『ハムレット』

テーマ:海外の文学

◆シェイクスピア(野島秀勝訳)『ハムレット』岩波文庫、2002年1月

今更ながら言うのも恥ずかしいが、これはすごく面白い。もっと早く読んでおけば良かったと激しく後悔する。有名な場面、有名な台詞がバンバン出てきて、そのたびに「お!これが、あの台詞か」とニヤニヤしてしまう。

《生きるか、死ぬか、それが問題だ。(p.142)》

ハムレットのこの台詞は、あまりにも人工に膾炙されているので、わざわざ引用するまでもないか。

この戯曲を読んでいていいなと思うのは、言葉の使い方が面白いこと。駄洒落ではないかもしれないけど、言葉を巧みに使っている。気になった場面を一つ引いておくと、第2幕第2場でハムレットが本を読みながら登場し、そこにポローニアスが話かける場面がある。ポローニアスが「殿下、何をお読みで?」と言うと、ハムレットはこう答える。

ハムレット 言葉、言葉、言葉。
ポローニアス いえ、中にはどんなことが?
ハムレット 仲って、誰と誰との?
ポローニアス いえ、お読みになっていらっしゃる本の中身ということでして。(p.108)》

この場面、原文はどうなっているのかが、すごく気になる。「仲」と「中」と訳者は訳しているけれど、英語ではどう言っているのだろうか?冷静に読むとハムレット、嫌味だなあ。何を読んでいるかと聞かれて、「言葉」と答える人とは付き合いにくいものだ。

あとはヨリックのしゃりこうべの場面も引用しておこう。

ハムレット ちょっと見せてくれ。ああ、哀れ、ヨリック!あいつなら、よく知っている、ホレイショー――のべつ幕なしに気の利いた冗談を飛ばす男だった。始終、ぼくをおぶってくれたものだった。それが今や、いや、思っただけでも身の毛がよだつ!吐きそうだ……(略)さ、その面さげて、誰でもいい、乙に澄ました貴婦人のお部屋に出かけて言ってやるがいい。どんなに厚化粧あそばしても、行きつく果ては、これ、このとおりとな。そう言って笑わせてやれ……ホレイショー、ちょっと聞きたいことがある。(p.280)》

これだなあ。この思いにハムレットは取り憑かれてしまうのだ。この「行き着く果て」を考えてしまうと、あとは無気力になるしかないよなあ。この「病」からいかにして抜け出すか?これが「問題」なわけだ。

著者: シェイクスピア, SHAKESPEARE, 野島 秀勝
タイトル: ハムレット

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