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Mon, November 21, 2005

松本健一『三島由紀夫の二・二六事件』

テーマ:三島由紀夫

◆松本健一『三島由紀夫の二・二六事件』文春新書、2005年11月

歴史に疎いので、「二・二六事件」を取り上げた三島の小説(たとえば「英霊の聲」)や文章を読むのが苦手だ。なんとか理解したいなと思っていたところに、本書が出たのでさっそく購入し読んでみた。

この本は、三島由紀夫だけがメインではなく、三島を含めた三人が論の対象となる。もう一人は北一輝であり、もう一人は昭和天皇である。著者は、時や所が異なるこの三人が、それにもかかわらず、「二・二六事件」をめぐる北と三島と昭和天皇との関係は、わたしにはあたかも三つ巴のようにからまって、非常な緊張関係を形づくっているように感じられる」(p.10)という。本書は、この三人の思想のドラマを描き出すのである。その際、批判の対象となる論が、ハーバート・ビックスの『昭和天皇』だ。私はビックスのこの本を読んでいないので内容は分からないのだが、松本健一は『昭和天皇』に「北一輝の名はほとんど、そして三島由紀夫の名はまったく出てこない」と指摘し、「これは、おかしなことではないだろうか」(p.13)と批判する。本書は、『昭和天皇』という本への批判も興味深い内容のひとつである。あとで、確認のためにも、ビックスの本を読んでみたいと思った。

松本 健一
三島由紀夫の二・二六事件
Sun, November 20, 2005

堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』

テーマ:三島由紀夫

◆堂本正樹『回想 回転扉の三島由紀夫』文春新書、2005年11月

三島由紀夫の性的志向についてはあまり興味がなかったが、この本には「切腹ごっこ」についてや映画『憂国』の撮影について語られていたので読んでみた。

三島と堂本氏の関係は「兄と弟」という関係で、二人でいろんなことをやっていたのだなと分かって、けっこう内容は面白い。

文学関係で興味深いのは、たとえば次のような証言だ。

《 なお『愛の渇き』を献本されて読み、「あんな女がいるのかしらね」と私が云うと、「当たり前だろう、悦子が男だよ。正樹だってあの三郎みたいな素朴で無知な身体、欲しいに決まっている」と、ぬけぬけと云った。男を女に換えて男を見る手法が、三島作品に多用されている。直接聞いたものに『沈める滝』があった。成功した中間小説『美徳のよろめき』もその可能性が高い。(p.82)》

ここを読んだとき一瞬笑ってしまったが、なるほど、三島はこんな書き方を密かにやっていたのかと関心を持った。三島を読むときには、この手法のことを頭の片隅に置いておいたほうがよいのかもしれない。

Mon, November 14, 2005

丹生谷貴志『三島由紀夫とフーコー <不在>の思考』

テーマ:三島由紀夫

◆丹生谷貴志『三島由紀夫とフーコー <不在>の思考』青土社、2004年12月

タイトルからこの本は、三島の思想とフーコーの思想を比較したものだと思いこんでいたのだが、読んでみるとちがった。単に三島論とフーコー論が収められているだけだった。この点、ちょっと期待はずれだ。それぞれの論は、なかなか面白いものではあったが。

丹生谷 貴志
三島由紀夫とフーコー“不在”の思考
Fri, November 04, 2005

中村光夫/三島由紀夫『対談・人間と文学』

テーマ:三島由紀夫

◆中村光夫/三島由紀夫『対談・人間と文学』講談社文芸文庫、2003年7月

三島由紀夫と中村光夫が、がっちりと四つに組んで文学とは、小説とは何かを話しある。非常に興味深い内容だった。語られている内容は、現代でも真剣に取り上げてもよいものばかりだ。

たとえば、小説における現実と虚構とは何かという議論。虚構論などは、今こそ必要な議論だと思う。また、三島が「自分で自分のイリュージョンに迷わされぬためには、自分で自分のイリュージョンを意識的に操作してゆくほかはない」(p.130)と語っているのは面白い。三島はこの時「いまは実体がなくてイメージの世の中」だという認識を持っていたことも合わせて考えると良いのだろう。

それから、次の言葉も重要だと思う。

《小説を書いていると、大げさなことをいえば、「彼は家へ帰ってきて飯を食った」と書いても、その一行に小説の全運命、全宿命、全問題がみなかかってくるような気がして、その一行書くだけでくたびれちゃう。何で飯を食っただけでくたびれなければならないのか。それはどんな言いかえも可能でしょう。(…)それだけ小説にはいろいろな可能性があるように見えるけれども、どんなに可能性を追求しても小説の持っている運命は逃れられない。何と言いかえても同じだと思うと、言いかえがおしまいに空しくなってしまう。そうすると「彼は家へ帰って飯を食った」ということを人に信じさせるのにはどうしたらいいだろうか、ほんとうに手がでない。そのときの絶望感が、生きているのだから大した絶望感ではないだろうけれども、小説というものはそういうものだと思う。(p.110)》

この問題と似たようなことを、たしか最近でも保坂和志が述べていたような気がする。『群像』2005年10月号での石川忠司との対談で、保坂はこう述べている。

《『プレーンソング』のときに、書きながらすぐに気がついたのは、「そして、アキラは帰っていった」と無造作に書くと、アキラがいなくなったことで何か事件が起きるような、ネガティブなものを呼び寄せる機能が文章にある。(p.210)》

保坂は、映画にも不吉な場面を漂う場面の作り方のように、文章もなぜか自然にそうなってしまうと言う。「それが物語を語ってきたというか、事件に依存してきた小説が育てた文章」かもしれないと。なので、そうではなくて、「彼は事実としてただ帰っただけなんだ」というふうにするために、『プレーンソング』のはじめのほうではかなり苦労したと語っている。これは、小説を書く人の共通の問題なのだろうか。読者の側からすると、どんな文章でも言葉でも、そこから「意味」を引き出すことが可能だからだろう。作家がどんなに努力をしても、この「意味」化の「宿命」はのがれられないのではないだろうか。そう考えると、三島の言うとおり絶望的な試みであることは間違いない。読みの自由は、書き手に絶望感を与えることになるのか。

中村 光夫, 三島 由紀夫
対談・人間と文学
Tue, October 25, 2005

三島由紀夫『文章読本』

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫『文章読本』中公文庫、1973年8月

これは文章を書くための本ではなく、文章をいかに味わうのかをレクチャーした本だと思う。というのも、三島は冒頭でチボーデを参照して、読者を「普通読者」と「精読者」に分ける。「精読者」とは、「趣味人の最高に位し、「いわば小説の生活者」と言われるべきものであった、ほんとうに小説の世界を実在するものとして生きていくほど、小説を深く味わう読者のこと」だと述べ、この『文章読本』を通じて、この本の読者を「精読者」に導きたいと書き記している。(p.10)

三島は、情報化の社会のなかで「文章」を味わう習慣が少なくなっているという。そして、「昔の人は小説を味わうと言えば、まず文章を味わったのであります」(p.43)と注意を促す。これなどは、大岡昇平がかつて「美文」というジャンルがあったと漱石論のなかで主張していたことを思い出させる。物語だけ楽しむのではなく、文章そのものを楽しむこと。三島の評論は、たしかにその傾向があった。三島は、文章を味わうために、ゆっくりと文学作品のなかを歩いて欲しいとも言う。そうすれば、これらが「言葉の織物」(p.44)であることがはっきりと露呈する。昔の人は、この「織模様」を楽しんだのだと。そして、「小説家は織物の美しさで人を喜ばすことを、自分の職人的喜びといたしました」(p.44)と三島は書いている。ここで、「言葉の織物」と意味は異なるけれど、ロラン・バルトと似たような言葉を使っていることに興味が引かれる。

三島 由紀夫
文章読本
Mon, October 24, 2005

三島由紀夫『三島由紀夫未発表書簡』

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫『三島由紀夫未発表書簡』中公文庫、2001年3月

ドナルド・キーンへの書簡97編を収めた本。昭和31年から死の直前の手紙まである。これらの書簡から、いかに三島がドナルド・キーンを信頼していたのかが理解できる。文学研究者としても翻訳者としても、三島はキーンを信頼していたのだ。

三島は、死の直前にキーンに宛てて、こんな手紙を書いている。

《小生たうたう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました。キーンさんの訓讀は学問的に正に正確でした。小生の行動については、全部わかつていただけると思ひ、何も申しません。ずつと以前から、小生は文士としてではなく、武士として死にたいと思つてゐました。(p.197)》

これは、まあなんとも痛ましい手紙だなと思う。昭和45年あたりの手紙は、楽しく近況を報告しつつも、どこか暗い影がつきまとっていて、しかも何かを諦めたような雰囲気もある。しかし、キーンを最後まで頼りにしていて、「豊饒の海」は全4巻の翻訳がきちんと出るように最後にお願いしている。三島は、「暁の寺」が批評家に冷遇されて、日本の批評家を「無知」だと諦めていた。その一方で、世界ではきっと認められるだろうと、それを楽しみにしているとまで書いている。

三島 由紀夫
三島由紀夫未発表書簡―ドナルド・キーン氏宛の97通
Mon, October 24, 2005

三島由紀夫『中世・剣』

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫『中世・剣』講談社文芸文庫、1998年3月

三島の二十代に書かれた作品が主に収められている。収録作品は、「中世」(昭和21年)、「夜の支度」(昭和22年)、「家族合せ」(昭和23年)、「宝石売買」(昭和23年)、「孝経」(昭和24年)、「剣」(昭和38年)。

20代の作品だと、ラディゲの影響が残っているように感じる。たとえば、「夜の支度」の次のような文章などはどうだろう。

《 しばらくして自分よりはるかに烈しい頼子の動悸を、彼はまずふしぎな不安と嫉ましさを以て感じている自分に気づいた。頼子にとって最初のものである接吻が、芝にとって最初のものではないからとて、彼が頼子を非難する理由になろうか。(p.68)》

「……とて、……になろうか」という語り口は、ラディゲの翻訳本で見かけそうな文章だと思う。というか、ラディゲの文章に対する私のイメージが、「……とて、……になろうか」というものなのだ。こういう語り口を見ると、私は勝手にラディゲっぽいなと感じてしまう。実際、ラディゲの文体ではないかもしれない。

ほかに、剣道を扱った小説「剣」がとても面白かった。己の理想へひたすら邁進するストイックな男性を描くときの三島は良い。

三島 由紀夫
中世・剣
Sun, October 23, 2005

三島由紀夫「複雑な彼」

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫「複雑な彼」(『決定版三島由紀夫全集12』新潮社、2001年11月)

「複雑な彼」は、昭和41年(1966)の1月から7月まで『女性セブン』で連載。お嬢さまの「冴子」と謎めいた過去を持つ「複雑な彼」である「譲二」の恋愛物語。譲二は「自由」であることを望む男であり、束縛を嫌って日本はもとより、世界中を放浪しては、各地で女性と関係を持つというコスモポリタン。

この小説を読んだ田宮二郎が「この役をやれるのは日本中で俺一人だ」と言ったそうで、その言葉がきっかけとなり大映で映画化されることになったという。連載第一回目に「大映・映画化決定」と銘打たれた「複雑な彼」は、昭和41年6月に島耕二監督によって映画が作られている。

その後、『女性セブン』には「私は"複雑な彼"のモデルだった! ボクの青春は恋と反抗と冒険の連続だった――と語る安部直也氏(29歳)のドラマチックな半生」(初出:『女性セブン』昭和41年7月27日号)という記事が出て、「複雑な彼」のモデルが紹介されている。

三島によると、「複雑な彼」は「ある友人からきいた話をもとにして書いたもの」であり、三島自身も外遊体験があるので、「自分の知つてゐる土地を、この奔放な主人公に、自由自在に飛び廻らせてみたかたつた」(「大映映画『複雑な彼』――原作者登場」(初出:『小説現代』昭和41年8月)、引用:『決定版三島由紀夫全集12』p.570)とのこと。

ということで、三島は友人から聞いた話と自分自身の旅行経験をもとに、この「複雑な彼」という小説を創作したようだ。主人公のモデルという「安部直也」氏は、のちに作家となる安部譲二のことだ。安部譲二は「正しく私は、この三島由紀夫先生の「複雑な彼」のモデルでした」と文庫版の解説で書いている。

《 この「複雑な彼」は、私の二十七歳までの半世記で、背中に彫物が……等の細部を除けば、なんとも私が生きて来た事実そのままです。(引用:『決定版三島由紀夫全集12』p.570-571)》

安部譲二は、昭和28年頃に三島とゲイバーで知り合いになったという。こうした背景は、小説そのものよりも興味深い。

三島 由紀夫
決定版 三島由紀夫全集〈12〉長編小説(12)
Thu, October 20, 2005

三島由紀夫「夜会服」

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫「夜会服」(『決定版三島由紀夫全集11』新潮社、2001年10月)

これは、昭和41(1966)年9月から翌42年8月まで『マドモアゼル』で連載された。これも女性雑誌に書かれた物なのだろうか。「お嬢さん」にしろ「夜会服」にしろ、当時の女性の読者に向けて書かれたのだろう。「夜会服」では、有閑マダムの豪華な衣装が描写されたり、新婚旅行でハワイに行くなど、当時だったらけっこう夢のような生活が描かれいたのではないだろうか。

戦後の海外旅行の歴史をちょっと調べてみると、海外への観光旅行が解禁されたのが、昭和39年(1964)4月1日。4月8日には羽田からハワイへの団体観光客第一陣が出発したとのこと。その後、1970年を境に日本人の海外旅行が急激に増えていくという。三島のことだから、当時の時代の状況を巧みに取り込んだことだろう。

物語は、絢子(あやこ)と俊男というカップルに、俊男の母であり絢子にとっては姑になる滝川夫人の3人の関係を描く。滝川夫人の父は、財閥の大番頭だったということで裕福な家で育ち、一生彼女がぜいたくできる財産を残した。滝川夫人の夫は、各国の大使をつとめたあと亡くなっている。したがって、絢子と出会った頃、俊男と母の二人で暮していた。だが、俊男は母の滝川夫人のことをあまりよく思っていない。母親の世界から抜け出して独立したいと思っている。

そのような状況で、俊男と絢子の結婚生活がはじまる。絢子は俊男と滝川夫人との間に挟まって苦労する。滝川夫人は、絢子と俊男の結婚生活を邪魔しようとする。そして、夫人の開いた宮様を迎えたパーティーを、絢子と俊男がすっぽかしたことで、滝川夫人は激怒。二人に離婚するように命令する。しかし、ここは俊男と絢子がうまく立ち回り、見事に関係は修復してハッピーエンドとなる。嫁と姑、母と息子という関係を描いている。

結局、滝川夫人が二人の生活を邪魔した原因は「さびしさ」であった。女のさびしさを描いた物語となる。「あなたは女がたつた一人でコーヒーを呑む時の味を知つてゐて?」(p.610)「それはね、自分を助けてくれる人はもう誰もゐない、何とか一人で生きて行かなければならない、といふ味なのよ。」(p.611)「黒い、甘い、味はひ、何だかムウーッとする、それでゐて香ばしい味。しつこい、諦めの悪い味。」(p.611)

なかなか洒落た言い方だなと思う。最後に夫人は、絢子に心境を吐露する。

《さびしさ、といふのはね、絢子さん、今日急にここへ顔を出すといふものではないのよ。ずうーつと前から用意されてゐる、きつと潜伏期の大そう長い、癌みたいな病気なんだわ。(p.611)》

その通りなのかもしれないと納得してしまう言葉だ。

三島 由紀夫
決定版 三島由紀夫全集〈11〉長編小説(11)
Thu, October 20, 2005

三島由紀夫「お嬢さん」

テーマ:三島由紀夫

◆三島由紀夫「お嬢さん」(『決定版三島由紀夫全集8』新潮社、2001年7月)

昭和35年の1月から12月まで『若い女性』というところで連載された。昭和36年には、弓削太郎監督によって映画化されている。

作中に、「永すぎた春」なんていう言葉が出て来るのだが、これはもちろん三島自身の『永すぎた春』という作品を意識している。三島自身、「「永すぎた春」といふ小説のその先の人生を書きたい」と述べていた。『永すぎた春』では、婚約期間が長かったゆえに生じた心理的な変化を描いていたが、「お嬢さん」では婚約期間から結婚まではあっという間で、その後の新婚生活における女性の心理の動きを分析している。

「かすみ」と「景一」は理想的なカップル。何の障害も起きずに結婚したのだが、新婚生活でかすみは景一をいろいろと疑うようになる。以前、景一に結婚するように迫った女性「浅子」の登場が不安を引き起こしたり、かすみの兄の妻である「秋子」と景一が実は付き合っているのではないかと邪推したりして、ひとりで思い悩むかすみ。かすみの心境を、つぎのような一節が物語っている。

《ここまでじつと無言で景一の話をきいてゐるあひだ、かすみの精神的姿勢は、抵抗の一語に尽きてゐた。丸め込まれまい、だまされまい、といふ一心で、景一の一言一言を、トランプの札を裏返すやうに、神経質に裏返してゆくけれど、言葉が手より早くて、はうばうに裏返せない札が残つてしまふ。すると、それをそのままにしておきたい弱気と未練も起り、しかもそんな弱気と必死に闘つてゐるのである。(p.437)》

景一が、秋子との間には何の疑わしいことはないのだと切々とかすみに説明する場面で、かすみは必死になって景一の言葉を疑おうとしていく。かすみの心理のネガティブな動きを、「トランプの札を裏返すように」と書いているところが、面白いと思う。マイナス思考の時は、たしかに、一枚一枚トランプの札を裏返すように、あらゆることを悪いほうにもっていく。うまい比喩だ。

三島 由紀夫
決定版 三島由紀夫全集〈8〉長編小説(8)

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