Sun, November 05, 2006

太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』

テーマ:サブカルチャー

◆太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』集英社新書、2006年8月

日本の歴史や社会・経済などを学生に教える授業をしているので、何かネタはないかと読んでみたが、期待はずれ。笑いについて語っているのに、笑えないのはたしかに芸がない。

愛 には毒がある、といったことが語られているけれど、本書自体には毒がないのだ。口当たりのよい言葉が続く。憲法九条を世界遺産にと言いつつも、そう唱える 自分も疑わないととか、日本国憲法は矛盾しているから良いのだといった、ポストモダン的な考え方が目立つ。いかにも現代思想で語られていそうな言説を薄め たといった印象だ。こういう考え方を否定する気はないのだが、目新しさがないのが不満。このあたりの考えで止まってしまうのが中沢新一の限界なのか。

正義を唱える自分自身を疑う、二項対立ですっきり分けるのではなく矛盾を矛盾のままに受け止める、などといった言説は当然すぎて、それよりむしろ、これらを踏まえた上でどう考えるのかといった一歩先の思想が、そろそろ登場してきてもいいのになあと思う。

太田 光, 中沢 新一
憲法九条を世界遺産に

Tue, March 21, 2006

梅田望夫『ウェブ進化論』

テーマ:サブカルチャー

◆梅田望夫『ウェブ進化論――本当の大変化はこれから始まる』ちくま新書、2006年2月

話題の本ということなので、興味本位で読み始めたが、これが非常に面白い。知的な刺激に富んだ一冊である。

この本を読むまで、なんとなく「ウェブ」や本書で言われる「オープンソース現象」というものを信用していなかった。「「そんなコンテンツなんて大半はクズである」という権威側からよく聞かれる典型的な言葉」(p.147)に肩入れしていたのであるが、本書を読み進むに連れて、そうとばかり言っていられないと思うようになった。たしかに、「いまや「玉」のほうと向き合わざるを得なくなった」(p.147)というのも納得できる。「石」の部分ばかりみて、ウェブの世界の可能性を貶めていても仕方がないのではないか。その意味で、本書で提示されている「総表現社会=チープ革命×検索エンジン×自動秩序形成システム」(p.153)という方程式に興味を持った。

話は逸れるが、私は最近、「より良い社会」の構想や設計が可能なのかということに興味がある。特に、社会主義の失敗を目の当たりにした現代において、それでも「より良い社会」を構想するとすれば、どのような方法があるのだろうかと。

そのようなわけで、先ほどの方程式は興味深いし、「不特定多数無限大への信頼」に関する話など参考になった。「不特定多数の参加」は悪だ、衆愚だと思考停止してはならない。思考をその先に進める必要があるのだ。

《日本だけでも数千万、世界全体で見れば数億から一〇億以上という不特定多数の厖大さ、それゆえの「数の論理」、それらを集約するためのテクノロジーの進化の加速やコスト低下、そういう諸々の要因を冷静に見つめ、「不特定多数の集約」という新しい「力の芽」の成長を凝視し、その社会的な意味を、私たちは考えていかなければならないのだ。(p.207)》

梅田 望夫
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる
Tue, November 15, 2005

大塚英志・大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』

テーマ:サブカルチャー

◆大塚英志・大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』角川書店、2005年11月

第1部と第2部に分かれている。第1部では「ジャパニメーション」を日本の伝統文化に結びつけてしまう言説を批判するために、まんがやアニメの「歴史」が検討される。キーワードとなるのが「戦時下」である。要するに「戦時下」に現れた表現が、手塚治虫によって戦後に批評的に再構築され、それが現在のまんがに至っているという歴史の説明。これは、以前の『教養としての〈まんが・アニメ〉』で示されたものがより詳しくなったものだと思う。興味深いのは、小熊秀雄がまんがの原作をやっていたということと、それに関連してまんがが、転向者や転向予備軍の受け皿になっていたのではないかという意見である。戦前、戦中のまんがについては、まったく知識がなかったので、興味深い内容だった。

第2部は、国やシンクタンクの出しているレポートを検討しながら、まんがやアニメに国が手出しをするなと批判する。産業の話になると、私はよく分からないのだが、この本を読む限り、どうあがいてもハリウッド(アメリカ)にのみ込まれていくだけなのだなあと思う。今の状況では、「国策としてのジャパニメーション」は敗れる運命にある。だから、そんなところに税金を使うのは無駄である――。はたして、大塚英志の批判はあたっているのだろうか。気になるところだ。

大塚 英志, 大澤 信亮
「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか
Tue, April 19, 2005

こうの史代『夕凪の街 桜の国』

テーマ:サブカルチャー

◆こうの史代『夕凪の街 桜の国』双葉社、2004年10月

絶賛されているで、どんな本なのか買って読んでみた。

広島そして原爆がモチーフになっている。あの日に生き残ってしまったこと。どうして生き残ってしまったのか?こうした問いは、たとえば『父と暮せば』でも扱われていた。生き残ってしまった者たちの傷。

著者: こうの 史代
タイトル: 夕凪の街桜の国
Mon, March 28, 2005

ナンシー関『天地無用 テレビ消灯時間6』

テーマ:サブカルチャー
◆ナンシー関『天地無用 テレビ消灯時間6』文春文庫、2004年9月

やっぱり面白い。このテレビ批評が注目されるのも、なんとなく分かるような気がする。批評が的を射ているとか、曲解しているとかの以前に、端的に読んで面白い文章なのだ。少なくとも、私には魅力的な文章であることは間違いない。

論じる対象であるテレビに対する突き放した感じもさることながら、テレビを見ている自分あるいは文章を書いている自分への距離の取り方が興味深い。自分自身を冷静に見つめている「自分」というものを、この文章の中に感じるのだ。こういう文章は、簡単そうでなかなか書けないなと思う。


著者: ナンシー関
タイトル: 天地無用 テレビ消灯時間6
Sat, November 06, 2004

夏目房之介『マンガ学への挑戦 進化する批評地図』

テーマ:サブカルチャー
◆夏目房之介『マンガ学への挑戦 進化する批評地図』NTT出版、2004年10月

一気に読んでしまった。とりあえず、漱石に関しては再考の余地がある。これは、マンガ学、マンガ批評を中心テーマとする本書では、かならずしも重要な点ではないが、でも近代の芸術観を漱石を代表させて、それを元に論が成り立っているので、見逃せない欠点だと私は思う。

本書は、現時点で考えられるだけのマンガ批評の行方を示す試みである。先に出版された『マンガの深読み、大人読み』と同様な考えが示されている。これまで夏目氏が手がけてきた「表現論」が、作者よりであったこと、あるいは広義に「私」語りの批評であったことを自己批判する。そのうえで、新たな視点として受容論というかマンガ市場論が必要であることを再度訴えている。その延長上で、社会学的な批評を取り入れていこうとする姿勢が見える。マンガ表現論で、ある意味、確固とした地位を築いた夏目氏が、それを崩してまでも新たな批評方法を模索しているという点において、これは重要な本だとは思う。

が、しかし、このような批評方法の整理などは、やはり若手の大学院生あたりに任せて、もっと骨太な評論を行って欲しいと思う。前にも述べたように、以前の表現論に欠点があったとしても、その欠点を修正して、もっと表現論を洗練させて欲しいのだ。こう言ってはおかしいのかもしれないが、夏目氏にはマンガ批評における蓮實重彦になってくれればいいのに、と思う。若手研究者に「マンガが読めてない」と一喝するような存在になってほしいが、たぶんそれは無理か…。

あと、気になるのは、夏目氏は、以前の表現論で自分はついマンガの表現を日本の「伝統」文化と繋げて、日本固有文化論にしてしまったと自己批判して、その反省に基づいて異文化論、社会学を取り入れようとしている。それは良いのだが、以前の夏目氏がマンガ=日本固有文化という文化本質論であったとしたら、今度はマンガというジャンルの固有性、本質を研究しようとしているのではないかと感じた。マンガを「日本」に結びつけない、という点は理解できる。が、結局、夏目氏は形を変えた本質論をやろうとしているのではないか?。たしかに、マンガをさまざまな要素の「混交」する場として捉えようとすることを論じていたので、私の勘違いかもしれない。私の誤読なら、それで良いのだが。
Thu, September 30, 2004

大塚英志『物語消費論』

テーマ:サブカルチャー
◆大塚英志『物語消費論』角川文庫、2001年10月

今週は、大塚英志の本ばかり読んでいる。人それぞれ感じ方は異なると思うが、私には、大塚の文章はすごく読みやすい。大塚の文体のリズムと私の読むリズムが、うまくかみ合うことが多いということだろうか。人によっては、大塚英志の文章は読みにくい!と言うので、決して大塚の文章が優れたものというわけではないのだろう。ともかく、大塚の本は読みやすいので、スランプの時とか、どうしようもなく何も手がつかないというような精神状態の時に読むと、さらさらっと読み終えることができるので、ちょうど良い気分転換になる、というわけなのだ。個人的に、大塚の「思想」というか批評にも関心を持っていて、ずっと追跡しようと思っているという理由もあるのだけど。

この本は、大塚の評論の中でもけっこう有名なほうだと思う。「ビックリマンシール」を仕組みを分析し、子どもたちが「物語」を消費することに夢中になっていることを示したものだ。断片化された「物語」から、ちらりとかいま見ることができる「大きな物語」。大塚の言葉で言えば、「大きな物語」は「世界観」にあたり、断片化された物語は「趣向」ということになる。この「世界観」さえあれば、あとは「趣向」をとっかえひっかえに物語を産み出すことが出来るようになる。それは、作り手と受け手の非対称性が崩れたことを意味するだろう。一人で物語を産み出し、それを消費することが可能になったのだ。これが、<モノ>という記号と戯れる消費社会の「終末の光景」なのだと述べていた。

大塚は民俗学を専攻していたので、こうした消費社会分析や評論に民俗学を応用するのだけど、この「民俗学」という方法もどこか精神分析と似て怪しさを時折感じる。メモをしていなかったので、記憶違いかもしれないが、大塚自身も何かの本で、民俗学の危うさを書いていたように思う。その危うさというのは、民俗学のタームを用いると、けっこうなんでも説明できてしまうということだ。精神分析でも、同じように専門用語を使うとうまく説明ができてしまうということがある。マジックワードのように精神分析や民俗学のタームを使うことで、文学や文化を読み解くが可能なのだ。ある社会現象に対して、これは民俗学で○○と言われるものだよ、とか説明されると「なるほど、そういうことか!」と一見現象の本質を理解したようになるけれど、それがあまりにもうまく当てはまりすぎて逆におかしいと感じてしまう。うまい説明ほど、あやしいものなのだ。

それは、80年代にマーケティングにおいてこうした「知」が利用されたということとも関わっているのかもしれない。今、盛んに産学協同とか産学提携といったことがひどくもてはやされているけれど、ニューアカの時代のような結果にならなければいいなあ。


著者: 大塚 英志
タイトル: 定本 物語消費論
Thu, September 30, 2004

『マンガの深読み、大人読み』

テーマ:サブカルチャー
◆夏目房之介『マンガの深読み、大人読み』イースト・プレス、2004年10月

期待して読んだのだけど、あまり面白い内容ではなくて残念。私としては、マンガ文化論や市場論を語る夏目房之介より、マンガ表現論の夏目房之介のほうが好きだ。表現論のほうが、断然面白いし、説得力がある。ぜったい表現論のほうが、マンガ研究に貢献できるはずだ。文化論や、市場論などマンガを読んでもどうせ理解できない大学院生や研究者に任せれば良いではないか。

だいたい、文化論などをやる研究者は、文学研究でも同じだけど、作品を読んで解釈することができない人たちなのだ。自分で読んで理解できないので、文化論とか市場論などのように作品外について研究しているわけで、それは作品を読めないコンプレックスの裏返しなのだ。「どこぞの国では、日本のマンガがこんな風に受けとめられている、びっくり!」みたいな文化論なんて、退屈な話にすぎない。

だから、夏目房之介のように、高いレベルで作品の表現を分析できる人が安易に文化論などにすり寄っていってはダメだ。「文化本質主義」などど若造に批判されても気にせず、がんがん表現分析をしてほしいものだ、と思う。

この本は、3部に分かれていて、1部がエッセイ、2部が『巨人の星』と『あしたのジョー』の徹底分析。3部が、マンガ文化論という構成になっている。やはり、読み応えがあるのは第2部だ。作品分析とインタビューで構成されており、製作現場の雰囲気がよく分かる。資料的にも貴重だし、内容も面白い。

逆にひどく詰まらない内容なのが第3部。ここは、いかにもマンガ学会っぽい言説になってしまっている。おそらく、この界隈の人たちとの交流が、夏目房之介の言語に悪い影響を与えてしまったのだろうなと感じる。

それにしても、三島由紀夫が『あしたのジョー』が読みたいばかりに、編集部まで雑誌を購入しに来たというエピソードは、ちょっと感動的だった。

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