橋本治『青空人生相談所』
テーマ:エッセイ◆橋本治『青空人生相談所』ちくま文庫、1987年12月
何かネタになるような話はないかと読み始める。読み始めると、相 談する方も答える方も、妙におかしくて笑ってしまう。世の中には、いろいろな悩みがあるものだなあと。当たり障りないの言葉で悩みを解決するのではないの だけど、橋本治の答えを読んでいるとつい納得してしまう。絶妙な回答にうならされる。
◆橋本治『青空人生相談所』ちくま文庫、1987年12月
何かネタになるような話はないかと読み始める。読み始めると、相 談する方も答える方も、妙におかしくて笑ってしまう。世の中には、いろいろな悩みがあるものだなあと。当たり障りないの言葉で悩みを解決するのではないの だけど、橋本治の答えを読んでいるとつい納得してしまう。絶妙な回答にうならされる。
◆市川伸一『勉強法が変わる本』岩波ジュニア新書、2000年6月
最近は、岩波ジュニア新書をよく読んでいる。岩波ジュニ ア新書は、高校生向けに書かれてあるので、難解な内容をやさしく説明しているが、これがけっこう参考なる。私は説明が下手で、特に難解な内容をわかりやす く学生に説明するのに、毎日苦労している。知識を共有していない、あるいは共有している部分が少ない人々を相手に授業するのは、本当に難しい。ゲームの規 則を共有しない「他者」と向かい合っているというわけだ。「他者」をいかにして説得するのか。
それはともかく、本書は勉強法について、認知心理学からアプローチしている。人間の記憶がどのように行われているのか、理解するとはどういうことなのか。記憶や理解など、人間の心のメカニズムをもとに勉強法を説いていく。
この本で述べられている方法のいくつかは、普段自分でもやっていたので、自分の勉強法は間違っていなかったのかと確認できて安心した。
◆池田輝政、戸田山和久、近田政博、中井 俊樹『成長するティップス先生―授業デザインのための秘訣集』玉川大学出版部、2001年4月
最 近は、授業法に関して書かれているサイトや本を手当たり次第読んでいる。ひたすら授業法についての勉強の日々。どういう授業をしようかと考えるのは、難し いことでもあるが楽しいことでもある。とはいえ、毎回、授業が終わる度に「また失敗してしまった…」と落ち込んでいるのであるが。
この本や、ティップス先生の授業日誌の部分がおもしろい。「こういう失敗したなあ」と思い当たる節があったりして、ズキズキと胸が痛む。
◆橋本治『乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない』集英社新書、2005年11月
冒頭の「はじめに」で書かれていることは、けっこう共感できることが多い。
たとえば、今の日本社会でおかしいと思うのは、「勝ち組・負け組」という二分法の考え方が現れたこととか、勝ち組とか負け組とか本当はどうでもいいことなんだけど、社会に向かって何か物を言おうとするなら、たちまち「負け組の欲求不満」と位置づけられてしまい、一旦「負け組のひがみ」と位置づけられると、「なにを言っても"負け組のお前の言うことには意味がない"とジャッジされかねないところ」からスタートしなければならないこととか、「勝ち組・負け組」という考え方は「思考の平等」を侵しているといった点などだ。
しかしながら、本文はやや期待外れだった。要するに、「勝ち組・負け組」といった考え方の登場は、バブルがはじけて、人々が頼るべき指針を失い不安になったために、結果的に「勝ち組」の人を担ぎ出して、その人たちに自分たちを引っぱっていってもらおうとしているからだというのだ。こうした考え方は、割と一般的なものかなと。経済の話もいまいちだった。
橋本治は、回りくどい言い方で、単純なことをわざわざ複雑に考えるほうがおもしろい。本書は、逆なのだ。つまり、回りくどい言い方をしているのだが、複雑なことを単純に考えてしまっているので、橋本治の魅力がなくなってしまったのだと思う。
◆吉永良正『新装版 数学・まだこんなことがわからない 難問から見た現代数学入門』講談社ブルーバックス、2004年9月
数学の知識が欲しいと最近になって思う。とりあえず、数学の歴史ぐらいは知っておきたいものだ。
本書には、たしか『博士の愛した数式』にも出てきた「完全数」の話も触れられていた。「完全数」も難問のひとつなのかと驚く。数学は、ロマンがあって良い。もう一度、基礎の基礎から数学を勉強し直したいと思う。
◆大山倍達『地上最強への道 大山カラテもし戦わば』ちくま文庫、2006年1月
面白すぎる。奇書と呼んでも良いのではないか!
「もし戦わば」という通り、この本では様々な対戦を想定し、その攻略法をあれこれと語っている。冗談なのか本気なのか、まったく分からないが、たとえば猛獣と戦うならばとして、ライオン、虎、ヒョウ、牛、熊、ゴリラなどの攻略法を考えているし、凶器と戦うならばとして、剣やナイフ、銃を相手にして戦った経験を語っている。
四方田犬彦は、中上健次論である『貴種と転生』のなかで、宇宙大に拡がっていく「偽史」の想像力について分析していたが、本書の想像力も「偽史」のそれと匹敵するのではないか。肉体的にも精神的においても、まさに「地上最強への道」を極めんとした本だと言えよう。
◆藤原正彦『祖国とは国語』新潮文庫、2006年1月
いままで知らなかったのだが、藤原正彦は新田次郎と藤原ていの息子だったのか。この本に収められている「満州再訪記」という文章は、戦後の日本を考える際にけっこう興味深い内容であると思う。
「満州再訪記」は、敗戦後、満州から必死に引き揚げてきた藤原家。高齢になった母、藤原ていをつれて、もう一度かつて住んでいた地を訪れる旅についての文章である。昔の記憶を頼りに、藤原正彦が生れた病院や、住んでいた官舎などを捜索するのだが、場所の名称などが変わっていたり、当時の建物が残っていなかったりして、見つけるのにかなり苦労する。しかし、なんとか見つけ出すことができ、最後に引き揚げの出発点となるかつての「新京駅」に行く。そして藤原正彦は、「ここは藤原家の原点なんだ」「この駅はお前たち発祥の地なのだ」(p.222)と自分の子どもたちに向かって言う。日本人にとっての「満州」、日本文学における「満州」の意味など、いろいろ考えるべきだなと思う。
◆香山リカ『貧乏クジ世代 この時代に生まれて損をした!?』PHP新書、2006年1月
1970年代生まれ、特に「団塊ジュニア」と呼ばれる世代には、自分たちが「貧乏クジ」をひかされたという意識があるらしい。バブルに乗り遅れたし、不況による就職難であったり、年金問題のツケを払わされるかもしれないし…etc。楽しいことは終わった、もうこれから何もないという「祭のあと」のような空虚感と人生に対する諦観を持つ世代。そして、この世代には、自分に対する自信がないという劣等感や敗北感を抱いている特徴がある。どうして、この世代の人たちは、「貧乏クジ」を引かされたと身の不運を嘆き、負け犬のような劣等感に苛まれているのか。それに対して、どのような処方箋を与えたらよいのか。――
「貧乏クジ世代」というネーミングに興味が引かれ読んだのだが、内容的にあまり深く分析がなされておらず、世代論あるいは社会論としてはやや苦しい。自己啓発系の本のひとつだと言えそう。
本書のなかで一つ興味深かったのが、「貧乏クジ世代」の法則の一つに「頑張っているとき以外は不安」があるという指摘だ。頑張っていることに対しては自信があるが、それが「内面的な揺るぎない自信」へと繋がっていかない。
《学生時代には競争を強いられ、バブルがはじけたころに社会人となった貧乏クジ世代は、つねに「頑張らないとたいへんなことになりますよ」と、半ば脅されるような努力を強要された。だから、その上の世代のような「頑張るなんてカッコ悪いよ」という、"泥臭い努力への抵抗"はもっていない。(p.88)》
だが、頑張ったところで、彼らは社会や他人からなかなか認められない。頑張ってもそれに見合った評価や報酬は得られないが、「ただ、頑張っているその最中にだけ、「私だって頑張れる」という、きわめてささやかな実感と自信が味わえるのだろう」(p.88)というわけだ。したがって、「頑張る」ことがやめられない。要するに「頑張る」ことそれ自体が目的化してしまっているのだ。「頑張る」ことを「頑張る」という不毛なサイクルに陥っている。この指摘は、たしかにそうかもしれないと思う。
◆茂木健一郎『脳と仮想』新潮社、2004年9月
小林秀雄賞を受賞した本ということで興味を持った。最新の脳科学についての本だと予想して読み始めたのだが、中身は普通のエッセイだったので、やや拍子抜けした。しかも、合理では捉えきれないものがあるといった調子の科学批判は、もはやおなじみのものだ。小林秀雄が話題となっているから、賞がもらえたのだろうかと皮肉が言いたくなるような本だった。私は、情緒的な自己語りよりも、バリバリの科学論を期待していたのだが。それは別の本を読まないといけないのか。
茂木氏は、「仮想」が人間の生にとって切実なものであることを説く。これは虚構に対していかなる態度をとるのか、その問題に対する一つの解答だと思う。
茂木氏は、脳内現象一元論、あるいはクオリア一元論といった考え方をする。そこから茂木氏は、現実も仮想も「一リットルの脳内現象」であることを指摘する。どちらも脳内現象にすぎない。私たちが「現実」だと感じているものは何か。それは、「脳の中の一千億の神経細胞の活動によって生み出され、私たちの意識の中にあらわれる様々な表象が、複数の経路を通って一致し、ある確固とした作用をもたらすとき、私たちはそのような作用の源」(p.95)だという。「仮想」は、このような一致に至らずに浮遊しているもの、ということになる。「現実」は私たちの生の確固として基盤となるが、「仮想」は自由をもたらしてくれるだろう。
ベースとなるクオリア一元論のためか、本書はまるで現象学者が語るようなエッセイとなっている。たとえば、竹田青嗣などの本を読んだ人なら、この本の内容は見覚えがある懐かしいものだと感じるのではないだろうか。
Amebaおすすめキーワード