1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
Thu, March 01, 2007

パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』

テーマ:社会科学

◆パオロ・マッツァリーノ『つっこみ力』ちくま新書、2007年2月

けっこう面白い。批判や否定よりも「つっこみ力」の必要性を説く。

批 判や否定の言辞は、相手の間違いを指摘してつぶしていくだけだ。つっこみはそうではない。つまらない「ボケ」も、つっこみ次第では面白くなる。そうすれ ば、たしかに議論が広がっていくかもしれない。「つっこみ力は、場を盛り上げようというサービス精神と自己犠牲の精神が息づいている点で、批判や批評、メ ディアリテラシーとは一線を画します」(p.63)というが、これらの精神は何かを議論する場では重要だなと思う。

また、「メ ディアリテラシーや論理力がなかなか受け入れられないのは、それを使う人たちの態度が間違っているからなんです。そこにあるのは容赦のない否定ばかりで、 愛がありません。権威に刃向かう勇気がありません。そしてなにより、笑いがなく、つまらない」(p.103)という言葉から、ついこの間まで、世間を賑わ せていた「生む機械」発言を巡る野党の批判を思い出す。野党の批判があまり効果的でなかったのは、その批判が面白くなかったからだ。批判ではなくて、 「つっこみ力」で世間に笑いを引き起こしていたら、政治の流れは変わったかもなどと思う。

パオロ・マッツァリーノ
ちくま新書 645

Thu, January 04, 2007

村上龍『日本経済に関する7年間の疑問』

テーマ:社会科学

◆村上龍『日本経済に関する7年間の疑問』NHK出版、2006年11月

メールマガジン「JMM」に載せられた村上龍の エッセイを集めた本。政治や経済について語っているのだが、全体に流れているのは大手既成メディアに対する批判だ。景気について語っていても、日本の政治 について語っていても、行き着くところはメディアに対する強い批判なのだ。メディア批判の内容そのものは間違っていないと思うが、読んでいてそのワンパ ターンに辟易してしまう。読み進めていくと、どうして村上龍は、自分をメタ的立場に置いて、メディアを批判しているのだと疑問に感じる。既成メディアを上 から見下ろしている印象を受ける。言葉の使用に敏感である小説家のわりには、批判の方法にセンスを感じないのだ。

たとえば、メ ディアの特徴として「対象を一括りにする」(p.202)ということを指摘しているが、そう批判する村上龍自身もメディアを「一括り」にして論じてしま う。そのことに無自覚な点に、小説家として言葉の可能性と限界を真摯に考えているのだろうかと疑問に思う。批判がワンパターンであるというのは、つまり決 まり文句しか口にしていないということだ。したがって、相も変わらず、共同体批判を繰り返し、責任ある自律的な「個人」を求める。しかし、「個人」を深く 考えている形跡がない。

読んでいて非常に物足りない内容だった。


村上 龍
日本経済に関する7年間の疑問


Wed, January 03, 2007

藤原和博・宮台真司『人生の教科書[よのなかのルール]』

テーマ:社会科学

◆藤原和博・宮台真司『人生の教科書[よのなかのルール]』ちくま文庫、2005年5月

なかなかよくできた「教科書」。日本の社会の仕組みあるいは「ルール」がよくわかる。概説的ではなく、具体例に沿って解説しているところが、学校の教科書と異なるところ。

「少 年犯罪」から「仕事」「性」「結婚と離婚」「自殺」などといったテーマが語られる。「大人はなぜ接待をするのか」という章などは、日本人あるいは日本社会 を考える上で非常に興味深い。こういう話を、日本語を勉強している学生たちに教えたら、日本社会に少しは興味を持ってくれるのではないかと思う。

私自身、「社会」経験が著し不足しており「社会」のルールをよくわかっていないので、その勉強のためにも本書は役に立つ。

藤原 和博, 宮台 真司
人生の教科書 よのなかのルール

Sun, December 10, 2006

稲葉振一郎・立岩真也『所有と国家のゆくえ』

テーマ:社会科学

◆稲葉振一郎・立岩真也『所有と国家のゆくえ』NHKブックス、2006年8月

本書の第3章にあたる、今年3月に大阪で行われた対談を聞きに行っていたので、本書が気になっていた。対談の内容もしっかりと確認しておきたかったし。しかし、活字になったものを読んでも、よく理解できなかった。やはり経済学の話題はまだまだきつい。

分配か経済成長か、どちらを優先するかという対立点には興味があって、私自身は分配のほうに関心をもっている立岩氏の議論のほうに惹かれる。立岩氏が何を考えてきたのかを知って、もう一度『私的所有論』を激しく読みたくなる。

Fri, July 07, 2006

立岩真也『希望について』

テーマ:社会科学

◆立岩真也『希望について』青土社、2006年7月

ここ数年に書かれた、比較的短い文章を集めた本。テーマは多岐にわたる。たとえば、国家、政治、境界、労働、所有、社会(学)など。どの文章も興味深く読んだ。特に、労働の分配について論じている「労働の分配が正解な理由」と、構築主義や本質主義、(脱)構築などについて考える「社会的――言葉の誤用について」が面白い。

立岩 真也
希望について
Sun, April 16, 2006

岩田規久男『日本経済を学ぶ』

テーマ:社会科学

◆岩田規久男『日本経済を学ぶ』ちくま新書、2005年1月

これは非常に分かりやすい本だった。この本を読んでみたのは、『不安型ナショナリズムの時代』の内容がどうなのか知るため、つまり高度成長をもたらした開発主義について、経済学ではどのように説明されているのかを確認するためである。

本書で、このことに関連するのは、第5章の産業政策と規制改革を論じたところだろう。この章を読むと、「旧通産省の「産業政策」は「戦後の経済成長に貢献した」という「通念」は誤解だと言われている。むしろ、通念とは逆に「旧通産省の『産業政策』が有効でなかったことが、製造業の競争を制限することなく、生産性向上や新製品の開拓などをもたらし、高度経済成長に貢献した」と考えられるという(p.154)。

となると、たしかに『不安型ナショナリズムの時代』の内容は怪しくなってくる。韓国と中国に関しては分からないが、少なくとも日本においては、開発主義があって高度成長が起きたとするのは誤解なわけで、これが日韓中に共通する点であるという議論の前提が崩れてしまう。

岩田 規久男
日本経済を学ぶ
Sat, April 15, 2006

高原基彰『不安型ナショナリズムの時代』

テーマ:社会科学

◆高原基彰『不安型ナショナリズムの時代 日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由』洋泉社、2006年4月

ナショナリズムの問題を、日韓中の三国の社会状況を比較して論じる。この試みには興味を持ったが、議論の中身はちょっと留保。この三国に共通しているのが、上からの「開発主義」的な高度成長と、その後に「社会流動化」という変化が生じていること、そして「高度消費社会」によるライフスタイルの変化ということだ。本書は、とりわけ「社会流動化」が盛んに強調されているのが特徴的だといえる。

「社会流動化」によって、特に若者あたりに、たとえば「雇用不安」のような、将来自分がどうなってしまうのかという不安が起きた。本書ではこれを「個別不安型ナショナリズム」と呼んで、自国の経済成長を賞揚する「高度成長型ナショナリズム」と区別すべきだと主張される。こうした問題は、本来国内問題であるはずなのに、国内に目を向けずに、国外に敵を転移させてしまった。これが、反日とか嫌韓中といった動きに見いだせるということらしい。

「歴史問題」は、国内問題から目を逸らすための疑似問題にすぎない。したがって、「ナショナリズムに関する議論は、特に日本において、ベクトルを国内問題に向け直す必要がある」(p.242)と述べられている。

最後に著者は、「今東アジアの各国で噴出しているナショナリズムのかなりの部分は、基本的にナショナリズムと別次元で生じた問題のすり替えでしかないように、私には見える」(p.246)と書いている。結局、ひとり一人が「社会流動化」に耐えられるような強い個人になれば、反日だの嫌韓中といった動きは収まるだろうということか。

高原 基彰
不安型ナショナリズムの時代―日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由
Fri, April 14, 2006

芹沢一也『ホラーハウス社会』

テーマ:社会科学

◆芹沢一也『ホラーハウス社会 法を犯した「少年」と「異常者」たち』講談社、2006年1月

本書は、「知」の暴走あるいは「善意」が暴走する社会を論じているといえる。データでは少年による凶悪犯罪や精神障害者による犯罪など増えていないのに、ショッキングな事件が起きると、それを過剰に問題視するメディアに対する批判は、最近いろいろなところでなされている。本書もこうした問題意識を持ちつつ、近代における少年犯罪や精神障害者による犯罪対する法制度の歴史、それらの語られ方すなわち言説分析を行う。これを一言でいうならば、「治療から監視・隔離へ」(p.186)の歴史だったとまとめられる。

そして、現代社会はどうなったか。秩序や安全を守るという「善意」のもと、人々は管理社会を作っている。根拠無き「不安」が語られ、管理や予防という名で人権や自由が奪われる。くり返すが、これが「善意」のもとで行われてしまうのが厄介なのだ。さらに、不安が日常化した現在、「治安が悪化しているわけでもないのに、まだ遭わぬ犯罪への不安を掻き立てられ、安心で安全な街づくりをするために、自治体、企業、地域が一体となって治安管理へと邁進している」(p.206)。そして、絶えず不安を作り出しては、監視や予防が強化される。管理の強化は、安心を得るどころか逆に不安を増してしまうという皮肉な結果に陥るだろう。

だが、さらに問題なのは、ここに人々が「快楽」を感じているかもしれないことだ。社会の秩序を脅かす逸脱者を発見し排除することに、人々は「快楽」を感じているのではないかと著者は批判する。著者は言う、「わたしたちは安全で安心な街づくりを行っているのではない」「恐怖を快楽として消費できるホラーハウスをつくっているのだ」(p.216)と。

《 秩序と排除とが危ういバランスで均衡しているこの社会で、住民たちは警察の視線を嬉々として受け入れ、多くの人が警察官であるかのようにふるまっている。善意と一体感とやりがいが与える快楽に喜びを覚えながら、不審者はいないかと、警戒の目を光らせ歩いている。(p.217)》

著者は、このような「善意」と人々の一致団結ぶりに「違和を表すために」、本書を書いたという。この批判はなかなか鋭く、興味深いものだった。批判はもっともだと思う。それでも、あえて穿った読み方をしてみるならば、本書これ自体もまた「不安」を語ってしまっていないだろうか。つまり、とんでもない監視社会が生まれつつあるぞ、現代社会は「ホラーハウス」となってしまうぞと。ミイラ取りがミイラになってしまうように、本書もまた、監視社会の登場という「不安」を結果的に煽ってしまうことにならないか。「ホラーハウス社会」というタイトル自体に問題があるように思う。

芹沢 一也
ホラーハウス社会―法を犯した「少年」と「異常者」たち
Thu, April 06, 2006

本田由紀『若者と仕事』

テーマ:社会科学

◆本田由紀『若者と仕事 「学校経由の就職」を越えて』東京大学出版会、2005年4月

本書は、教育から仕事への移行がどのような形で行われ、そこでは何が問題になっているのかを分析する。日本の社会では、「学校経由の就職」が支配的で、この慣行が高度経済成長を支え80年代まで力をもってきたが、90年代以降、この「学校経由の就職」がうまく機能しなくなってきたという。「学校経由の就職」の影で、疎かにされてきたものが、「教育の職業的意義(レリバンス)だった。そこで、本書は「教育の就職的意義」に注目し、「学校経由の就職」が機能しにくくなった今こそ、「教育の就職的意義」を回復させる必要があると主張される。

大学院まで出てしまった私にとって、自分が受けてきた教育が仕事をする際に尊重されるという状況はたしかに望ましい。苦労して身につけた知識なのに、「そんなものは仕事に役立たないよ」と言われるのは本当に悲しいことだ。したがって、「「職業的意義」については、教育内容の改善だけでなく、仕事という社会的領域の側が、教育の提供するさまざまな知識やスキル等をより尊重するような体制へと変革されることが不可欠である」(p.203)ということにまったく同意なのだが、とはいえ現実を考えると無理なのかなと弱気になってしまう。専門性がなくても就職には苦労するが、専門性が高すぎてもまた就職に苦労するのだと思う(誤解かもしれないが)。

本田 由紀
若者と仕事―「学校経由の就職」を超えて
Mon, April 03, 2006

野口旭/田中秀臣『構造改革論の誤解』

テーマ:社会科学

◆野口旭/田中秀臣『構造改革論の誤解』東洋経済新報社、2001年12月

本書は、構造改革なくして景気回復はないという「構造改革主義」の誤解を正し、日本の長期停滞の原因を「バブル崩壊後の資産デフレに端を発する、マクロ的な総供給に対する総需要の恒常的な不足」(p.4)であることを主張し、相次ぐマクロ政策、金融政策の失敗を明らかにする。
本書を読んでいて、次の箇所が一番印象に残った。

《ポール・クルーグマンはかつて、九〇年代の日本の金融緩和政策の不徹底ぶりについて、「誤って歩行者を轢いてしまった運転手が、『ごめんなさい。元に戻します』といって、車をバックさせてもう一度轢いてしまうようなもの」と揶揄したことがある。(p.171)》

これはひどい。デフレは恐ろしい。それを容認するかのような政策は、やはり許せないものだ。

野口 旭, 田中 秀臣
構造改革論の誤解

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
    メロメロパーク
    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト