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Sat, March 03, 2007

高橋源一郎『ニッポンの小説』

テーマ:文学研究・批評

◆高橋源一郎『ニッポンの小説 百年の孤独』文藝春秋、2007年1月

けっこうボリュームのある本なので、読み終えるのに時間がかかるかなと思ったが、いざ読み始めると面白くて一気に全部読んでしまった。保坂和志にせよ、この高橋源一郎にせよ、最近、小説家による小説論が熱い。

ここでは、自由であると思われている小説が、実はそうではなく非常に不自由な制限の下にあることを繰り返し述べている。つまり、小説の制度批判だ。また、近代小説では死者の物語が量産されてきたことに触れている。死者は誰にもわからない絶対的他者である。この誰にもわからない、書けない存在である死者の代弁者として文学が書かれてきたことへの違和感が吐露されている。死者は口がきけないがゆえに、誰かが代弁者として死者の物語を語る。ここでは、こうした言葉のあるいは文学の暴力への批判がなされていると思う。

死者の声を聞くことができないことを良いことに、「ニッポンの小説」は、死者を虚構の発現する場として利用し続けてきたのかもしれない。このことは反省されるべきだろう。

とはいえ、本書に感じられる純粋性への憧れというか志向が気になる。どうして、ここにきて、意味に汚染されていない「存在」をいかにして書くかということが重視されなくてはならないのか。言語に表象され得ないモノと言語の関係、あるいは小説との関係をもう一度考え直そうという試みなのだろうか。純粋性へのこだわりが気になって仕方がない。

高橋 源一郎
ニッポンの小説―百年の孤独

Thu, January 11, 2007

小西甚一『日本文学史』

テーマ:文学研究・批評

◆小西甚一『日本文学史』講談社学術文庫、1993年9月

きわめて個性的な日本文学史で、日本文学の有名作品を解説したような教科書的な本とはことなり、本書では著者の文学史観に沿って語られている。

個 性的なものの一つに、時代区分がある。たいてい日本文学史を語るときには、奈良時代、平安時代、鎌倉時代云々とか、あるいは文学部で習うのは上古、中古、 中世、近世、近代といった時代区分なのだが、本書はまず古代から始まり、つぎに中世第一期となり、次に中世第二期、中世第三期と移り、最後に近代で終わ る。中世第一期は、いわゆる平安朝の文学、中世第二期ではいわゆる中世の文学(能や連歌など)、そして中世第三期では俳諧を中心とした江戸期の文学が解説 されている。近代については、あまりページが割かれていない。

もう一つの特徴は、文藝の展開を秩序づける立場として、著者が「雅」と「俗」という表現理念を認め、文藝史はこの二つの交錯によって形成されているとしたところだろう。

著 者は、「序説」のなかで、「雅」と「俗」について少し触れている。それによると、われわれには「永遠なるものへの憧れ」があるという。この憧れは、宗教や 藝術とか科学といった形で表現されたり、それらを媒介にしてわれわれは永遠なるものへと連なっていく。そして著者は、「永遠なるものへの憧れ」は二つの極 を持つとも言う。一つは「完成」であり、もう一つは「無限」である。「完成」の極が、「それ以上どうしようもないところまで磨きあげられた高さをめざす」 のに対し、「無限」の極は「どうなってゆくかわからない動きを含む」と説く。そして、著者は、前者が「雅」であり、後者が「俗」と呼ぶとしている。

独 創的な内容というのは、言い換えればかなり癖のある内容で、少々理解しにくい箇所もあるのだが、それでも時折興味深い指摘などがあり、読んでいてハッとさ せられる。たとえば、江戸の後期の文藝に現実逃避の精神を認めていたりして、なるほどなと思った。日本の文学の知識を得るには適当ではないかもしれない が、一人の文学者の文藝史観を味わい楽しむ本なのだろう。

小西 甚一
日本文学史

Tue, January 02, 2007

藤井貞和『古典の読み方』

テーマ:文学研究・批評

◆藤井貞和『古典の読み方』講談社学術文庫、1998年2月

藤井氏には、岩波のジュニア新書にも古典入門の本があるが、そ ちらが高校生向けに主に古典文法を説明しているのに対し、こちらの本は古典を文学としてどのように読んだらよいのかを説明している。古典を読むのに必要な 知識や背景なども語られており、非常に役に立つ本。何より読んでいて面白い。

物語の読み方や、和歌の味わい方など参考になることが多い。

藤井 貞和
古典の読み方

Wed, November 29, 2006

『世界は村上春樹をどう読むか』

テーマ:文学研究・批評

◆『世界は村上春樹をどう読むか』文藝春秋、2006年10月

今年はとにかく村上春樹が非常に注目された年であった。本書は、3月に行われた村上春樹をめぐるシンポジウムとワークショップの記録である。

世 界各国で翻訳され、また多くの熱狂的な読者を持つ、日本の作家としては希有な存在である村上春樹。なぜ、世界で村上春樹の作品が受け入れられるのか。村上 春樹というと、こうした問いが常につきまとう。今回は、こうした問いをめぐって、村上春樹の作品の翻訳者たちが議論をした。文学の研究者あるいは批評家と はまた違った観点からの議論が、とても新鮮だった。言語によって翻訳のする際の難しさは異なってくるのだが、それが言語の問題なのか、文化の問題なのか、 それとも村上春樹という作家性の問題なのか、非常に奥の深い問題が浮かび上がってくる。そういった点で、たとえば「夜のくもざる」という短編の翻訳につい て議論されたワークショップは、読んでいて非常に刺激を受ける内容だった。村上春樹の面白さを再発見することになった。

ただ、四方田犬彦だけが他の参加者とは若干温度差があって、それに違和感を覚えた。このあたりは、内田樹がよく言うように、日本の文学者・批評家(若い人はのぞく)がどうして村上春樹を避けるのかといった問題と絡んでくるのだろう。

柴田 元幸, 藤井 省三, 沼野 充義, 四方田 犬彦, 国際交流基金
世界は村上春樹をどう読むか

Fri, November 10, 2006

橋本治『これで古典がよくわかる』

テーマ:文学研究・批評

◆橋本治『これで古典がよくわかる』ちくま文庫、2001年12月

これは名著。すばらしい。古典のどこに魅力があるのかを教えてくれる。古典は必要ないから、どうでもいいかなと思う前に、一度この本を読んでみるといいのかもしれない。

古 典の何がわかりにくいのかを指摘しているところに好感を持つ。現代に生きる私が、どうして数百年前の日本語の文章が読みにくいのか。日本語の文章の歴史を 丁寧にそしておもしろく説明している。この説明の仕方とか、橋本流の古典の読み方など、非常に参考になる。これはもう一流の芸だ。この本は私の座右の書に したい。

橋本 治
これで古典がよくわかる

Wed, August 30, 2006

石原千秋『学生と読む『三四郎』』

テーマ:文学研究・批評

◆石原千秋『学生と読む『三四郎』』新潮社、2006年3月

授業の仕方の参考にするために読んでみた。この本に書かれてあ る石原千秋の講義は、とても厳しいけど、学生はきちんと付いていけば、それに見合った成果が出そう。やる気のある学生にとっては、こういう講義はおもしろ いだろうなと思う。授業にはポリシーというか一種の哲学が必要なのだということを知る。日本の大学がどのような状況にあるのか知ることもできる。

はたして、私自身はどうなのか。学生をどのような方向へ導いたらよいのか悩む。授業を受け持つ以上、学生が成長する姿を見たいとは思う。

石原 千秋
学生と読む『三四郎』

Wed, July 26, 2006

伊藤整『改訂 文学入門』

テーマ:文学研究・批評

◆伊藤整『改訂 文学入門』講談社文芸文庫、2004年12月

『小説の方法』のしばらく後に書かれた本。伊藤は『文学入門』に続いて『小説の認識』を出している。

『小説の方法』はかなり面白い本だったので、続けてこの『文学入門』も読んでみることにした。『小説の方法』はやや難解な本であったが、『文学入門』は『小説の方法』の解説に位置するような本で、非常に読みやすい。具体的に文学作品を分析しながら論じているのが功を奏している。『文学入門』のほうが、伊藤整が何を考えようとしているのかが理解できるので、こちらを先に読むといいのかもしれない。

《ある社会をいかに見るか、ということは、その作品の内容に思想として現れるだけでなく、その文体にも現れるのである。(p.118)》

こうして文体と社会の関係を論じるところは、見逃せない。伊藤整は、しばしば音楽を引き合いに出すことがあるが、こうしたところもバフチンに似ている。

批評家、理論家としての伊藤整は再評価されるべきだなと思う。

伊藤 整
改訂 文学入門
Sun, July 23, 2006

伊藤整『小説の方法』

テーマ:文学研究・批評

◆伊藤整『小説の方法』岩波文庫、2006年6月

日本の小説について、特に私小説について、伊藤整がそれがいったい何なのか、西洋の小説との比較を通して解明しようとする。もとになった文章は、戦後すぐの1947年から48年にかけて発表されている。そして1948年に出版されている。そのわりには、今読んでも非常に新鮮な内容。最近の文芸批評となんら遜色がない。というか、現在の批評家よりも、はるかに高いレベルで、小説について思考を巡らせている。

本書には、亀井秀雄氏の解説がついている。この解説がよい。伊藤整の理論をバフチンの理論と比較して、その画期性について教えてくれる。この解説も必読すべき。

伊藤 整
小説の方法
Thu, July 20, 2006

中村光夫『日本の近代小説』

テーマ:文学研究・批評

◆中村光夫『日本の近代小説』岩波新書、1954年9月

文学史に興味がある。文学の歴史に興味があるのはもちろんのこと、文学の歴史がどのように語られてきたのかにも興味がある。

本書の「あとがき」を読んでいて面白かったのは、「今日の小説の停滞と混乱は、現代日本人の心理をそのまま反映したものといえます」(p.208)と述べている箇所だ。本書は、基本的に小説は社会の「鏡」として捉えているが、そのことの是非よりも、中村光夫が、「今日の小説」は「停滞と混乱」しているとみなしている点に私は興味が引かれる。1954年の時点でも、すでに小説は「停滞」していたのかと。

以前、川西政明の『小説の終焉』を読んだが、そこでは「小説はどうやら終焉の場所まで歩いてきてしまったらしい」と述べられていたが、となるともしかして日本の小説は戦後すぐに停滞がはじまり、以後過去の小説を凌駕するような小説を生み出せず、五十年後にとうとう終焉してしまったということになるだろうか。

おそらくこれは文学の歴史の語り方の一つなのだろう。文学の歴史を語る際、評論家は「今」の小説を否定的に捉えてしまう傾向があるのだろう。逆に、「今」の小説を讃美する評論家は、歴史を軽視する傾向がある。どちらにも一長一短がある。

中村 光夫
日本の近代小説 改版
Tue, July 18, 2006

山口仲美『日本語の歴史』

テーマ:文学研究・批評

◆山口仲美『日本語の歴史』岩波新書、2006年5月

奈良時代から明治期までの日本語の歴史を概観する。非常に面白い本。日本語が、これまでどのような変化を辿ってきたのか、よく理解できる。

日本語で、文の構造を明確にする動きが現れたのが鎌倉から室町時代にかけてだそうだ。古典の文法で係り結びを習ったが、この係り結びが衰弱していくのがちょうどこの頃。それにしたがって、たとえば主語を示す「が」が発達し、また論理構造を示す接続詞が現れてきたという。そもそも、係助詞は「主語であるとか、目的語であるとかいう、文の構造上の役割を明確にしない文中でこそ、活躍できるもの」なのである。したがって、係り結びの消滅と文の論理構造の明確化は深い関係があったのだ。

《 係り結びの消滅は、日本語の構造の根幹にかかわる重要な出来事です。日本人が情緒的な思考から脱皮し、論理的思考をとるようになったということなのですから。(p.120)》

高校生の頃、係り結びを「覚えるのが面倒なものだな」としか思っていなかったが、日本語の歴史において重要なものだったのだ。

山口 仲美
日本語の歴史

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